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miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja]
2024-11-24T21:19:22Z
利用者の投稿記録
MediaWiki 1.31.0
葉隠
2018-07-19T05:30:07Z
<p>240B:11:4A00:400:B522:1DDB:CA3D:B447: /* 参考文献 */</p>
<hr />
<div>『'''葉隠'''』(はがくれ)は、[[江戸時代]]中期([[1716年]]ごろ)に書かれた書物。[[肥前国]][[佐賀藩|佐賀鍋島藩]]士・[[山本常朝]]が[[武士]]としての心得を口述し、それを同藩士[[田代陣基]](つらもと)が筆録しまとめた。全11巻。'''葉可久礼'''とも。『葉隠聞書』ともいう。<br />
<br />
== 概要 ==<br />
「朝毎に懈怠なく死して置くべし(聞書第11)」とするなど、常に己の生死にかかわらず、正しい決断をせよと説いた。後述の「[[武士道]]と云ふは死ぬ事と見付けたり」の文言は有名である。同時代に著された[[大道寺友山]]『[[武道初心集]]』とも共通するところが多い。<br />
<br />
文中、鍋島藩祖である[[鍋島直茂]]を武士の理想像として提示しているとされている。また、「[[龍造寺隆信|隆信]]様、日峯(直茂<ref>戒名「高伝寺殿日峯宗智大居士」から直茂を「日峯様」と呼ぶ。</ref>)様」など、随所に龍造寺氏と鍋島氏を併記しており、鍋島氏が龍造寺氏の正統な後継者であることを強調している。<br />
<br />
当時、主流であった[[山鹿素行]]などが提唱していた[[儒学]]的武士道を「[[上方]]風のつけあがりたる武士道」と批判しており、忠義は山鹿の説くように「これは忠である」と分析できるようなものではなく、行動の中に忠義が含まれているべきで、行動しているときには「死ぐるい(無我夢中)」であるべきだと説いている。[[赤穂事件]]についても、主君・[[浅野長矩]]の切腹後、すぐに仇討ちしなかったこと<ref>長矩の切腹は[[元禄]]14年[[3月14日_(旧暦)|3月14日]](西暦[[1701年]][[4月21日]])、浪士達が義央を討ったのは元禄15年[[12月14日_(旧暦)|12月14日]]([[1703年]][[1月30日]])で、1年9ヶ月を要した。</ref>と、浪士達が[[吉良義央]]を討ったあと、すぐに[[切腹]]しなかったことを落ち度と批判している。何故なら、すぐに行動を起こさなければ、吉良義央が病死してしまい、仇を討つ機会が無くなる恐れがあるからである。その上で、「上方衆は知恵はあるため、人から褒められるやり方は上手だけれど、[[深堀事件|長崎喧嘩]]のように無分別に相手に突っかかることはできないのである」と評している。<br />
<br />
この考え方は主流の武士道とは大きく離れたものであったので、藩内でも[[禁書]]の扱いをうけたが、徐々に藩士に対する教育の柱として重要視されるようになり、「鍋島[[論語]]」とも呼ばれた。それ故に、佐賀藩の朱子学者・[[古賀穀堂]]は、佐賀藩士の学問の不熱心ぶりを「葉隠一巻にて今日のこと随分事たるよう」と批判し、同じく佐賀藩出身の[[大隈重信]]も古い世を代表する考え方だと批判している。<br />
<br />
[[明治]]中期以降[[アメリカ合衆国]]で出版された英語の書『[[武士道]]』が[[逆輸入]]紹介され、評価されたが、新渡戸の説く武士道とも大幅に異なっているという[[菅野覚明]]の指摘がある。<br />
<br />
また「葉隠」は巻頭に、この全11巻は火中にすべしと述べていることもあり、江戸期にあっては長く密伝の扱いで、覚えれば火に投じて燃やしてしまう気概と覚悟が慣用とされていたといわれる。そのため原本はすでになく、現在はその[[写本]](孝白本、小山本、中野本、五常本など)により読むことが可能になったものである。これは、山本常朝が6、7年の年月を経て座談したものを、田代陣基が綴って完成したものといわれ、あくまでも[[口伝]]による秘伝であったため、覚えたら火中にくべて燃やすよう記されていたことによる。2人の初対面は宝永7([[1710年]])、常朝52歳、陣基33歳のことという。<br />
<br />
{{quotation|''浮世から何里あらうか山桜'' 常朝<br />
<br />
''白雲やただ今花に尋ね合ひ'' 陣基}}<br />
<br />
=== 「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」 ===<br />
葉隠の記述の中で特に有名な一節であるが、葉隠の全体を理解せず、ただとある目的のためには死を厭わないとすることを武士道精神と解釈されてしまっている事が多い。実際、[[太平洋戦争]]中の[[特別攻撃隊|特攻]]、[[玉砕]]や[[自殺|自決]]時にこの言葉が使われた事実もあり、現在もこのような解釈をされるケースが多い。<br />
<br />
しかしながら、そのような解釈は全くの見当違いである。葉隠の真意は、自己を中心とした利害に基づく判断からの行動は、結局のところ誤った行動となってしまう。そのため、本当に最良の行動ができる心境とは、自己を捨てたところ、すなわち自身が死んだ身であるという心境からの判断であり、そのような心境から得られる判断が、自分も含めた全体にとって最良の結果を生むというところにある。<br />
<br />
葉隠の記述は、嫌な上司からの酒の誘いを丁寧に断る方法や、部下の失敗を上手くフォローする方法、人前であくびをしないようにする方法等、現代でいうビジネスマナーの指南書や礼法マニュアルに近い記述も多い。また[[衆道]]([[男色]])の行い方を説明した記述等、一般に近代人の想像するところの『武士道』とはかけ離れた内容もある。<br />
<br />
戦後、軍国主義的書物という誤解から一時は禁書扱いもされたが、近年では地方武士の生活に根ざした書物として再評価されている。先述したように『葉隠』には処世術のマニュアル本としての一面もあり、『葉隠』に取材したビジネス書も出版されている。<br />
<br />
戦後も、葉隠を愛好した戦中派文学者で、[[純文学]]の[[三島由紀夫]]は『[[葉隠入門]]』を、大衆文学の[[隆慶一郎]]は『死ぬことと見つけたり』を出している。両作品は、いずれも葉隠の入門書として知られ、各[[新潮文庫]]で再刊された。<br />
<br />
=== 書名の由来 ===<br />
本来「葉隠」とは葉蔭、あるいは葉蔭となって見えなくなることを意味する言葉であるために、蔭の奉公を大義とするという説。さらに、西行の[[山家集]]の葉隠の和歌に由来するとするもの、また一説には常長の庵前に「はがくし」と言う柿の木があったからとする説などがある。<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{Reflist}}<br />
<br />
== 刊本 ==<br />
* [[岩波文庫]] 上中下。[[和辻哲郎]]・[[古川哲史]]校訂(初版1940年)<br />
** 上 ISBN 4003300815<br />
** 中 ISBN 4003300823<br />
** 下 ISBN 4003300831<br />
* [[徳間書店]]「現代人の古典シリーズ」 全2巻。[[神子侃]]編訳<br />
** 葉隠 ISBN 4192421445<br />
** 続 葉隠 ISBN 4192424886<br />
* [[中公クラシックス]] 全2巻(現代語訳)。[[奈良本辰也]]・[[駒敏郎]]訳。解説菅野覚明<br />
** I ISBN 4121600908<br />
** II ISBN 4121600916<br />
* [[教育社歴史新書|教育社新書]] 上中下(原本現代語訳)。[[松永義弘]]訳<br />
** 上 ISBN 4315401382<br />
** 中 ISBN 4315401390<br />
** 下 ISBN 4315401404<br />
* [[講談社学術文庫]] 全3巻(「新校訂 全訳注 葉隠」)、[[菅野覚明]](代表)・栗原剛・木澤景・菅原令子訳注・校訂、2017年9月 - 刊行中。<br />
** 上 ISBN 406292448X<br />
** 中 未刊<br />
** 下 未刊<br />
* [[ちくま学芸文庫]] 全3巻(「定本 葉隠 訳注」)、[[佐藤正英]]校訂・[[吉田真樹]]監訳、2017年10月 - 12月。<br />
** 上 ISBN 4480098216<br />
** 中 ISBN 4480098224<br />
** 下 ISBN 4480098232<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
* [[井沢元彦]]『葉隠三百年の陰謀』(徳間書店、1991年) ISBN 4-19-124469-8<br />
* [[黒鉄ヒロシ]]『葉隠 <small>マンガ日本の古典 (26)</small>』(中央公論社、1995年/中公文庫、2001年)ISBN 4122038340 <br />
* [[小池喜明]]『葉隠 <small>武士と「奉公」</small>』([[講談社学術文庫]]、1999年) ISBN 4061593862<br />
**『「葉隠」の叡智 <small>誤一度もなき者は危く候</small>』([[講談社現代新書]]、1993年)<br />
* [[ジョージ秋山]]『武士道とは死ぬことと見つけたり』(幻冬舎文庫、2005年)<br />
* [[奈良本辰也]]『葉隠 武士道の神髄』([[徳間文庫]]、新版2006年)ISBN 4198923639 <br />
* [[西部邁]]「『葉隠』における死のすすめと生のすすめ」、『国民の道徳』([[産経新聞出版]]、2000年)所収、585-588頁、ISBN 9784594029371<br />
* [[三島由紀夫]]『[[葉隠入門]]』(新潮文庫、1983年、改版2010年)、ISBN 4101050333。初刊は光文社カッパブックス、1967年<br />
* [[山本博文]]『「葉隠」の武士道 <small>誤解された「死狂い」の思想</small>』(PHP新書、2001年) ISBN 4-569-61940-1<br />
*『葉隠 [[まんがで読破]]』([[イースト・プレス]]、2009年) ISBN 978-4-7816-0125-0<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
*[[武士道]]<br />
*[[佐賀藩]]<br />
*[[侍政]]<br />
*[[戦陣訓]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
*[http://www.saga-otakara.jp/search/detail.php?id=2247 葉隠とその教え | さがの歴史・文化お宝帳]<br />
* [http://hagakure-text.jp/ 葉隠原文Web] - 葉隠の原文と現代語訳<br />
* [http://100.yahoo.co.jp/detail/%E8%91%89%E9%9A%A0/ 葉隠] - [[Yahoo!百科事典]]<br />
* [http://wedge.ismedia.jp/category/bushidou 「いま、なぜ武士道なのか」青木照夫(青木養蜂園代表)]<br />
* [http://www.dl.saga-u.ac.jp/OgiNabesima/haga.htm 佐賀大学電子図書館](解説やリンクは、小城藩寄りで一方的に記述編集されており、中立性は疑わしい)<br />
* [http://www.interq.or.jp/silver/choakira/vf3/puro/puro.html#カゲ 葉隠流柔術] - [[バーチャファイター]]に登場する「影丸」のバックボーン<br />
<br />
{{デフォルトソート:はかくれ}}<br />
[[Category:江戸時代の書籍]]<br />
[[Category:日本の思想史]]<br />
[[Category:東洋哲学]]<br />
[[Category:日本の哲学書]]<br />
[[Category:18世紀の哲学書]]<br />
[[Category:倫理学の書籍]]<br />
[[Category:日本の美学]]<br />
[[Category:日本の保守主義]]<br />
[[Category:保守思想書]]<br />
[[Category:佐賀藩]]<br />
[[Category:武士]]</div>
240B:11:4A00:400:B522:1DDB:CA3D:B447
黒鉄ヒロシ
2018-07-19T05:28:03Z
<p>240B:11:4A00:400:B522:1DDB:CA3D:B447: /* 主な漫画作品 */</p>
<hr />
<div>{{Infobox 漫画家<br />
|名前=黒鉄 ヒロシ<br />
|画像=<br />
|画像サイズ=<br />
|脚注=<br />
|本名=竹村 弘<br />
|生年={{生年月日と年齢|1945|8|3}}<br />
|生地=[[高知県]][[高岡郡]][[佐川町]]<br />
|没年=<br />
|没地=<br />
|国籍={{JPN}}<br />
|職業=[[漫画家]]<br />
|活動期間=[[1968年]] - <br />
|ジャンル=ナンセンス漫画、歴史漫画<br />
|代表作=『ひみこーッ』<br />『赤兵衛』 他<br />
|受賞=第43回[[文藝春秋漫画賞]](1997年)<br />第2回文化庁メディア芸術祭漫画部門([[1998年]])<br />第47回[[小学館漫画賞]]審査委員特別賞([[2002年]])<br />[[紫綬褒章]]([[2004年]])<br />
|サイン=<br />
|公式サイト=<br />
}}<br />
'''黒鉄 ヒロシ'''(くろがね ひろし [[1945年]][[8月3日]] - 男性)は、[[日本]]の[[漫画家]]、コメンテーター。[[BS日本]][[番組審議会]]委員。[[高知県]][[高岡郡]][[佐川町]]出身。本名は'''竹村 弘'''(たけむら ひろし)。<br />
<br />
== 略歴 ==<br />
* [[1964年]]‐[[土佐中学校・高等学校|私立土佐高校]]卒業。[[武蔵野美術大学]]商業デザイン科除籍。<br />
* [[1968年]]‐『山賊の唄が聞こえる』で漫画家としてデビュー。<br />
* [[1971年]]‐『[[天下御免]]』のタイトルバック[[イラスト]]。<br />
* [[1987年]]‐第18回[[講談社出版文化賞]]さしえ賞を受賞。<br />
* [[1997年]]‐『新選組』で第43回[[文藝春秋漫画賞]]を受賞。<br />
* [[1998年]]‐『坂本龍馬』で第2回[[文化庁メディア芸術祭]]マンガ部門で大賞受賞。<br />
* [[2002年]]‐『赤兵衛』で第47回[[小学館漫画賞]]審査委員特別賞受賞。<br />
* [[2004年]]‐[[紫綬褒章]]受章。<br />
<br />
== 人物 ==<br />
ペンネームは実家である[[司牡丹酒造]]の屋号'''黒金屋'''に由来する。黒鉄の漫画はギャグ漫画が多い。歴史雑誌「[[歴史街道]]」の表紙絵を担当し、見開きに描いた人物に関するコメントをしている。<br />
<br />
大の[[ギャンブル]]好きで、[[色川武大|阿佐田哲也]]の作品に挿絵を描いたほか競馬ファンとしても知られる。阿佐田とは、個人的にも交流し、家族同然の仲となった。2013年9月15日放送のドラマ『[[いねむり先生]]』([[テレビ朝日]]系、原作・[[伊集院静]])では、黒鉄をモデルとした「黒上」役を[[阿部サダヲ]]が演じている。<br />
<br />
また[[読売ジャイアンツ]]のファンとしても有名で、『[[ニュースステーション]]』には初期の[[プロ野球]]応援企画に度々出演。どんなことがあっても毎年巨人は優勝するとし、何があっても巨人が優勝すれば世の中は安泰だとこじつける「安心理論」を披露している。<br />
<br />
[[TBSテレビ|TBS]][[Japan News Network|系列]]の[[クイズ番組]]『[[クイズダービー]]』の初代3枠解答者として出演し、同番組司会の[[大橋巨泉]]から“'''裏切り狸'''”(うらぎりだぬき)と呼ばれていた。しかし、漫画に専念したい理由で降板し、3枠解答者を黒鉄と同じ高知県出身の漫画家[[はらたいら]]に譲った。奇しくもはらたいらに代わってから同番組がTBSの人気番組としての地位に立ち上がることになった。<br />
<br />
ひげを生やすようになったのはパチンコ屋にいた際に高校生に間違えられ(当時30歳代)、警察官に年齢を訊かれたからと、『[[笑っていいとも]]』に出演した時に語っている。<br />
<br />
== 出演番組 ==<br />
=== 情報・クイズ・バラエティ他 ===<br />
* [[クイズダービー]]([[TBSテレビ|TBS]]系)<br />
* [[世界まるごとHOWマッチ]]([[MBSテレビ|MBS]]系)<br />
* [[ニュースステーション]]([[テレビ朝日]]系)<br />
* [[ウルトラアイ]]([[日本放送協会|NHK]])<br />
* [[サタデージャングル・サンデージャングル|サタデージャングル]](テレビ朝日系)<br />
* [[うそつきクイズ]](日本テレビ)<br />
* [[マジカル頭脳パワー!!]]([[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系)<br />
* [[その時歴史が動いた]]([[日本放送協会|NHK]])<br />
* [[バイオグラフィー ]][[ヒストリーチャンネル]](スカイパーフェクTV!)<br />
* 未来をつくる君たちへ~司馬遼太郎作品からのメッセージ~黒鉄ヒロシが語る勝海舟([[日本放送協会|NHK]])<br />
* [[サンデースクランブル]](テレビ朝日系)<br />
* [[西部邁ゼミナール]]([[東京メトロポリタンテレビジョン|TOKYO MX]])<ref>{{Cite web |url=http://s.mxtv.jp/nishibe/archive.php?keyword=%E9%BB%92%E9%89%84%E3%83%92%E3%83%AD%E3%82%B7|title=黒鉄ヒロシ|publisher=西部邁ゼミナール 放送アーカイブ|accessdate=2017-03-04}}</ref><br />
::{| class="wikitable"<br />
|-<br />
! タイトル<br />
! 放送日<br />
|-<br />
|[https://www.youtube.com/watch?v=e7zi2d2IbkI 平成のドタバタ喜劇を嗤う]<br />
|2009年4月11日<br />
|}<br />
<br />
=== TVドラマ ===<br />
* [[日曜劇場|東芝日曜劇場]] / [[海まで5分]](TBS系) - ジョニー黒木<br />
* [[サザエさん#星野知子版|サザエさん パート2]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]]系)<br />
* 金曜特別ロードショー / [[七曲署捜査一係|太陽にほえろ!2001]](日本テレビ系) - 柴崎修造<br />
<br />
=== ラジオ ===<br />
* [[久米宏 ラジオなんですけど]]([[TBSラジオ]])<br />
<br />
=== CM ===<br />
* [[味の素]]<br />
<br />
== 著書 ==<br />
=== 主な漫画作品 ===<br />
* ひみこーッ<br />
* 赤兵衛([[ビッグコミック]]、[[ビッグコミックオリジナル]]に連載中)<br />
* 結作物語<br />
* [[坂本龍馬]]<br />
* [[京都見廻組]]<br />
* [[新選組]]<br />
* 幕末暗殺<br />
* [[葉隠]] 「マンガ日本の古典26」[[中央公論新社|中央公論社]]、のち[[中公文庫]]<br />
:(22名の漫画家によるこの『マンガ日本の古典』は、第1回[[文化庁メディア芸術祭]]マンガ部門で大賞を受賞した)<br />
* 信長遊び<br />
* 信長遊び(地)<br />
* 長島氏参る<br />
<br />
=== 共著 ===<br />
* {{Cite book|和書|author=[[西部邁]]|year=2013|month=12|title=もはや、これまで: 経綸酔狂問答|publisher=PHP研究所|isbn=9784569813905}}<br />
<br />
== 脚注 == <br />
<references /><br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://kotobank.jp/word/%E9%BB%92%E9%89%84%E3%83%92%E3%83%AD%E3%82%B7 黒鉄ヒロシ] - [[コトバンク]]<br />
* [http://www.weblio.jp/content/%E9%BB%92%E9%89%84%E3%83%92%E3%83%AD%E3%82%B7 黒鉄ヒロシ] - [[Weblio]]<br />
<br />
{{Normdaten}}<br />
{{Manga-artist-stub}}<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:くろかね ひろし}}<br />
[[Category:日本の漫画家]]<br />
[[Category:紫綬褒章受章者]]<br />
[[Category:高知県出身の人物]]<br />
[[Category:1945年生]]<br />
[[Category:存命人物]]</div>
240B:11:4A00:400:B522:1DDB:CA3D:B447
エリュトゥラー海案内記
2018-07-19T03:16:03Z
<p>240B:11:4A00:400:B522:1DDB:CA3D:B447: /* 新訳版 */</p>
<hr />
<div>『'''エリュトゥラー海案内記'''』(エリュトゥラーかいあんないき、{{lang-el|''Περίπλους τῆς Ἐρυθράς Θαλάσσης''}}、 {{lang-la-short|''Periplus Maris Erythraei''}}、{{lang-en-short|''Periplus of the Erythraean Sea''}})は、古代の[[インド洋]]近辺における[[海洋]][[貿易]]について[[ギリシア語]]で記された航海案内書。10世紀の版が[[ハイデルベルク大学]]図書館に、14・15世紀の写本が[[大英博物館]]に所蔵される。<br />
<br />
== 概要 ==<br />
[[File:Periplous of the Erythraean Sea.svg|thumb|450x450px|案内記に登場する地名、航路、交易品]]<br />
紀元後40年から70年ごろに成立したと推定され、著者は[[アエギュプトゥス|ローマ領エジプト州]]に住んでいた[[ギリシャ人|ギリシア人]]航海者であったと言われる。[[アレクサンドリア]]もしくは[[紅海]]に面したベレニス([[:en:Berenice Troglodytica|Berenice]])出身<ref>Schoffによる説、[[ナイル川]]の遡上、およびその以北について記述が無いため。</ref>と推定されている。著者は読み書きが出来る程度の教育は受けていたが、ギリシャ語とラテン語の混同がみられ、文法上の誤りもあり、最上の教育程度であったわけではない。<br />
<br />
この書は、[[インド洋]]に吹く[[モンスーン#モンスーンによる貿易|季節風]]を利用した遠洋航行を行う貿易業者のために書かれた。当時、インド洋においては、[[ローマ帝国]]と南インドの[[サータヴァーハナ朝]]の間で季節風貿易が行われており、そのためこの書には航海の状況のみならず、各港での貿易品や各地の特産品などについての記述も詳しい。[[アラビア半島]]から[[東南アジア]]にいたるまで広い範囲をカバーしているため、1世紀ごろのインド洋周辺という、情報の少ない地域・時代の様相を知るための貴重な史料である。<br />
<br />
=== 地理 ===<br />
『エリュトゥラー海案内記』に見られる地域は以下のとおり。<br />
*[[アフリカ]]東岸<br />
*[[紅海]]<br />
*[[ソコトラ島]]<br />
*[[ペルシア湾]]<br />
*[[アラビア海]]<br />
*[[インダス河|インダス河口]]<br />
*[[ベンガル湾]]<br />
*[[セイロン島]]<br />
*[[マレー半島]]<br />
<br />
[[中国]]について、 {{lang|el|θίν}} (''Thin、ティン'') という呼称で[[絹]]の産地として紹介している。「[[秦]]」に由来すると言われる。<br />
<br />
=== 名称 ===<br />
「エリュトゥラー」({{lang|el|Ἐρυθρά}}) とは[[ギリシア語]]で「赤」の意味。すなわち、「エリュトゥラー海」とは「[[紅海]]」という意味である。ただし、古代においては、紅海、[[ペルシャ湾]]、[[オマーン湾]]、[[アラビア海]]、[[インド洋]]、[[ベンガル湾]]を含めた海のことを広く指していた。<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[ゾスカレス]]<br />
* [[ペリプルス]]<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
* 『エリュトゥラー海案内記』 [[村川堅太郎]]訳注、生活社、1946年<br />
**[[中公文庫]] 1993年。改版2011年 ISBN 4122055040。解説[[増田義郎]]<br />
<br />
* [http://www.fordham.edu/halsall/ancient/periplus.html Ancient history sourcebook]: [[:en:Wilfred Harvey Schoff|W.H. Schoff]] による 1912年の翻訳、地の文のみ。<br />
<br />
=== 新訳版 === <br />
* 『エリュトラー海案内記』(全2巻)、[[蔀勇造]]訳注・解説、[[東洋文庫 (平凡社)|平凡社東洋文庫]]、2016年。<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{reflist}}<br />
<br />
{{wikisourcelang|el|Περίπλους τῆς Ἐρυθράς Θαλάσσης}}<br />
{{wikisourcelang|en|Periplus of the Erythraean Sea}}<br />
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{{DEFAULTSORT:えりゆとうらあかいあんないき}}<br />
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[[Category:インド洋]]<br />
[[Category:地誌]]<br />
[[Category:1世紀の書籍]]<br />
[[Category:ギリシア文学]]</div>
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