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https:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&feedformat=atom&user=2402%3A6B00%3A4668%3A5F00%3A4D80%3AB6CB%3AD214%3A37FD
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利用者の投稿記録
MediaWiki 1.31.0
大阪工業大学 (旧制)
2018-07-14T04:48:14Z
<p>2402:6B00:4668:5F00:4D80:B6CB:D214:37FD: </p>
<hr />
<div>'''大阪工業大学'''(おおさかこうぎょうだいがく)は[[大学令]]によって[[1929年]]([[昭和]]4年)に設立された[[日本]]の官立[[旧制大学]]。<br />
<br />
[[1896年]]([[明治]]29年)に開設された'''大阪工業学校'''([[戦後]]の[[工業高等学校]]に相当する学校)が[[1901年]](明治34年)に'''大阪高等工業学校'''([[旧制専門学校]])に昇格し、さらに[[第一次世界大戦]]後の[[高等教育機関]]拡充の流れの中で[[1929年]]([[昭和]]4年)に官立単科大学に昇格したものである。<br />
<br />
1931年(昭和6年)に大阪帝国大学(当初は医学部と理学部の2学部。[[大阪大学]]の前身)が発足すると、本学との統合を望む声が高まり、[[1933年]](昭和8年)に統合が実現し、本学は'''[[大阪帝国大学工学部]]'''となった。<br />
<br />
本記事では、本学の前身諸校の沿革についても概説する。<br />
<br />
なお、校名が同一である新制私立「[[大阪工業大学]]」は、本記事の主題である旧制官立「大阪工業大学」とは無関係である。<br />
<br />
== 沿革 ==<br />
=== 大阪工業学校時代 ===<br />
<br />
*[[1893年]]6月:大阪市会、文部大臣に工業学校設立要望を建議。<br />
*[[1895年]]:第8回[[帝国議会]]、大阪工業学校設立建議案を可決。<br />
*[[1896年]]:第9回帝国議会、大阪工業学校設立予算可決。<br />
*1896年5月18日:[[文部省]]直轄学校官制改正、'''大阪工業学校'''設立公布(勅令第226号、第227号)。<!--文部科学省 「学制百年史 資料編 五 年表」 では 5月19日--><br />
*1896年10月:大阪工業学校、授業開始。<!--文部科学省 「学制百年史 資料編 五 年表」 では 9月--><br />
**学校の目的を、上等職工・職工長の養成とした。<br />
**機械工芸科、化学工芸科の2科を設置。<br />
**修業年限4年、入学資格は満14歳以上・高等小学校卒業程度。<br />
*[[1897年]]5月:規則改正、2学部制となる。<br />
**機械工芸部 - 機械科。<br />
**化学工芸部 - 応用化学科、染色科、窯業科、醸造科、冶金科。<br />
*[[1899年]]6月:規則改正([[1900年]]から施行)。<br />
**学校の目的を、工業従事者養成に変更。<br />
**修業年限3年、入学資格は[[旧制中学校|中学校]]卒業程度(後の[[高等工業学校]]と同じ)となる。<br />
**造船部を新設(船体科、機関科)。<br />
<br />
=== 大阪高等工業学校時代 ===<br />
*[[1901年]]5月10日:'''大阪高等工業学校'''と改称(勅令第99号)。<!--文部科学省 「学制百年史 資料編 五 年表」 では 5月11日--><br />
**一般の工業学校より高レベルであることを名称で明確化。<br />
*[[1903年]]3月:[[専門学校令]]公布に伴い、4月1日付で実業専門学校となる。<br />
*1903年6月:規定改正、学部を廃止(文部省令第27号)。<br />
**設置学科は、機械科、応用化学科、染色科、窯業科、醸造科、冶金科、造船科(旧船体科)、舶用機関科(旧機関科)。<br />
*[[1906年]]5月:冶金科を採鉱冶金科と改称。<br />
*1906年9月:染色科を廃止。<br />
*[[1908年]]2月:電気科を設置。<br />
*[[1914年]]9月:窯業科を廃止、[[東京工業大学|東京高等工業学校]]窯業科に併合。<br />
*[[1915年]]7月:同窓会「玉江会」発足。<br />
*[[1916年]]5月:大阪工業夜学校を併設。<br />
**中等科2年制、高等科2年制。[[1917年]]、大阪工業専修学校と改称。<br />
*[[1919年]]1月:大学昇格運動勃発。2月、昇格期成学生大会を開催。<br />
**昇格運動は同窓生の手に委ねられることとなった。<br />
*1919年3月:同窓会「大阪工業倶楽部」設立(後の社団法人[[大阪大学工業会]])。<br />
*[[1920年]]5月:工業教員養成所を附設(機械科・応用化学科・電気科)。<br />
**修業年限3年、入学資格は中学卒・[[師範学校]]卒。<br />
*[[1923年]]3月:第46回帝国議会、大阪高等工業学校を含む5校の大学昇格案を可決。<br />
**[[旧制高等学校|高等学校]]卒業者の進学先増設のため。<br />
**当初は[[1927年]]昇格予定。9月、[[関東大震災]]発生で昇格凍結。<br />
*[[1924年]]7月:[[大阪市電]]無警告[[ストライキ]]に対し、生徒有志が運転手代行。<br />
**車掌代行は[[大阪商科大学 (旧制)|大阪高商]]生有志が務めた。<br />
<br />
=== 大阪工業大学時代 ===<br />
*[[1929年]]4月1日:大学令および官立工業大学官制(勅令第36号)により'''大阪工業大学'''(旧制)設立。<br />
**学部、研究科、選科、附属工学専門部を開設。<br />
**学部は修業年限3年、設置学科は機械工学科、応用化学科、醸造学科、冶金学科、造船学科、電気工業科。<br />
**附属工学専門部は大阪高等工業学校在学生を収容し、[[1931年]]3月に廃止された。<br />
*1929年4月15日:第1回入学式。翌16日、授業開始。<br />
*1929年10月:「大阪工大学報」創刊(文芸部発行)。<br />
<br />
[[1930年]]9月に大阪帝国大学設置が具体化し始めたが、[[1931年]]2月、大阪工大は帝国大学に合流しないと判明。すぐさま学生が決起し、2月9日に全学生協議会を結成、「1931年4月の大阪帝国大学創設と同時に工学部とする」旨の決議を採択。同2月18日には同窓会「大阪工業倶楽部」理事会も紛糾のすえ<ref name="s6">大阪帝国大学への編入には、旧高工醸造科出身者の大半が反対した。大阪工業大学への昇格時も、醸造科・採鉱冶金科は廃止されそうだったが、帝国大学の工学部と異なり 「応用に重点を置く」 独自方針が示されたことにより、廃止を免れた経緯があった。帝国大学への編入により独自性を失うことに反対したのである。参照:『大阪大学五十年史: 通史』 ([[1985年]]) 83頁、86頁、103-104頁。</ref> 同調。同2月21日には、在学生・同窓生有志が大阪帝大への編入を求めて街頭デモを挙行。同2月27日、文部省からの最終回答は、「1931年の編入は不可能、[[1932年]]度編入」であった。学生側はこれを不満として過激化しそうになったが、教授会・同窓会の勧告を容れて、同3月に学生実行委員会を解散した。しかし、1931年12月に[[若槻禮次郎|若槻]]内閣が倒され帝国議会が解散した煽りで、1932年4月編入も不可能となり、さらに1年遅れの[[1933年]]4月編入となった。<br />
<br />
*[[1932年]]2月:大阪工業大学第1回卒業式。<br />
**大阪工業大学学部名義の卒業はこの1回のみ。<br />
*[[1933年]]2月:大阪帝国大学工学部設置予算、貴族院予算会議を通過。<br />
*1933年4月:'''大阪帝国大学工学部'''発足、大阪工業大学廃止(勅令第33号)。<br />
**4月5日、大阪帝国大学工学部第1回卒業式(大阪工業大学第2期生)。<br />
<br />
== 歴代校長 ==<br />
'''大阪工業学校'''<br />
*校長:伊藤新六郎(1896年6月10日 - 1901年5月)<br />
**前・[[東京工業大学|東京工業学校]]教授<br />
<br />
'''大阪高等工業学校'''<br />
*校長:伊藤新六郎(1901年5月 - 1902年11月)<br />
*校長:安永義章(1904年4月18日 - 1918年3月)<br />
*校長:土井助三郎(1918年4月 - 1924年12月)<br />
**前・[[名古屋高等工業学校]]校長<br />
*校長:堤正義(1924年12月 - 1929年4月)<br />
<br />
'''大阪工業大学'''<br />
*学長:堤正義(1929年4月 - 1933年3月)<br />
**後身の大阪帝国大学工学部 初代学部長<br />
<br />
== 校地の変遷 ==<br />
大阪工業学校は大阪市北区'''玉江町'''(現北区中之島5丁目)で発足し、後身の大阪高等工業学校も同地を使用した。玉江町校地が狭隘となったため、[[1921年]]から1923年にかけて大阪市[[都島区]]'''網島'''('''東野田'''町)に移転完了した。網島校地(東野田校地)は後身の大阪工業大学・大阪帝国大学工学部に引き継がれた([[網島駅]]も参照のこと)。<br />
<br />
東野田校地の跡地は、現在は[[大阪市立東高等学校]]や[[日本電信電話|NTT]]の研修施設となっている。<!--阪大工学部の移転時期を示す必要があります--><br />
<br />
== 著名な出身者 ==<br />
* [[岩井喜一郎]](1902年大阪高工卒) - [[摂津酒造]]常務兼技師長<br />
* 塚田實則(1910年大阪高工卒)- [[東邦瓦斯]]社長<br />
* 石黒英一(1911年大阪高工卒)- 東邦瓦斯社長<br />
* 吉野孝一(1912年大阪高工卒)- [[日本団体生命保険]]社長、[[大阪工業会]]第4代会長<br />
* 町永三郎(1913年大阪高工卒)- [[神戸製鋼所]]社長<br />
* 小松原信(1914年大阪高工卒)- [[御幸毛織]]社長<br />
* [[竹鶴政孝]](1916年大阪高工卒)- ウイスキー製造技術者、[[ニッカウヰスキー]]創業者<br />
* 榎本好文(1917年大阪高工卒)- [[三井化学|三井化学工業]]社長<br />
* 小石雄治(1917年大阪高工卒)- [[ダイハツ工業]]社長<br />
* 田中繁松(1918年大阪高工卒)- [[三井造船]]社長<br />
* 木村音吉(1919年大阪高工卒)- [[住友重機械工業|住友機械工業]]会長<br />
* 江口孝(1920年大阪高工卒)- [[三菱ガス化学|日本瓦斯化学工業]]社長<br />
* [[伊瀬芳吉]](1923年大阪高工卒)- ダイハツ工業社長<br />
* 塩塚忠美(1926年大阪高工卒)- [[ユニチカ]]会長<br />
* [[八谷泰造]](1928年大阪高工卒)- [[日本触媒]]創業者<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
<references/><br />
<br />
== 関連書籍 ==<br />
*作道好男・江藤武人(編) 『大阪大学工学部七十五年史』 財界評論新社、[[1973年]]。<br />
*大阪大学五十年史編集実行委員会(編) 『大阪大学五十年史: 通史』 [[1985年]]。<br />
*大阪大学工学部 『大阪大学工学部創始百年史』 [[1997年]]。<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
*[[大阪大学大学院工学研究科・工学部]]<br />
*[[旧制大学]]・[[旧三工大]]<br />
*[[大阪工業専門学校 (旧制)|大阪高等工業学校]] - [[1939年]]に設立された官立の同名学校。<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
*[http://www.eng.osaka-u.ac.jp/ja/ 大阪大学工学部]<br />
*[http://gamera.env.eng.osaka-u.ac.jp/ja/outline/01.html 大阪大学工学部沿革]<br />
*[http://www.osaka-u.info/ (社)大阪大学工業会]<br />
<br />
{{大阪大学の源流・前身諸機関}}<br />
{{大阪大学}}<br />
{{旧制大学}}<br />
{{DEFAULTSORT:おおさかこうきよう}}<br />
[[Category:日本の旧制大学]]<br />
[[Category:大阪府の旧制教育機関|こうきようたいかく]]<br />
[[Category:大阪市の歴史]]<br />
[[Category:大阪市の学校]]<br />
[[Category:大阪大学|旧おおさかこうきようたいかく]]<br />
[[Category:日本の工業教育の歴史]]<br />
[[Category:1929年設立の教育機関]]<br />
[[Category:1933年廃止]]<br />
[[Category:学校記事]]</div>
2402:6B00:4668:5F00:4D80:B6CB:D214:37FD
佐治敬三
2018-07-14T04:46:39Z
<p>2402:6B00:4668:5F00:4D80:B6CB:D214:37FD: /* 経歴 */</p>
<hr />
<div>{{Infobox 人物<br />
|氏名=佐治 敬三<br />
|ふりがな=さじ けいぞう<br />
|画像= Keizo Saji.jpg<br />
|画像サイズ= 250px<br />
|画像説明= <small>光琳『食品工業』第10巻第10号(1967)より</small><br />
|出生名=<br />
|生年月日=[[1919年]][[11月1日]]<br />
|生誕地=[[大阪府]]<br />
|没年月日={{死亡年月日と没年齢|1919|11|1|1999|11|3}}<br />
|死没地=大阪府<br />
|国籍={{JPN}}<br />
|別名=<br />
|職業=[[実業家]]<br />
|著名な実績=[[サントリー]]社長、会長<br />[[ACジャパン]]創設者<br />
}}<br />
'''佐治 敬三'''(さじ けいぞう、[[1919年]][[11月1日]] - [[1999年]][[11月3日]])は、[[日本]]の[[実業家]]。元[[サントリー]]会長。基礎科学研究を熱心にサポートした実業家としても知られる。<br />
<br />
== 経歴 ==<br />
{{年譜のみの経歴|date = 2016年5月}}<br />
* 1919年11月1日 サントリー創業者の[[鳥井信治郎]]の次男として大阪で生まれる。<br />
*: 小学校の時に母方の縁者<ref>敬三は自伝(「へんこつ なんこつ 私の履歴書」)などで佐治家を「母方の縁者」としているが、母である鳥井クニは香川県の下級士族、小崎家の出であって、佐治家と小崎家には関係はない(「佐治敬三 夢、大きく膨らませてみなはれ」小玉武著、「佐治敬三と開高健 最強のふたり」北康利著)</ref>と養子縁組をして「佐治」姓となったが、そのまま大阪の実父母のもとで暮らした。<br />
* [[1942年]]4月 [[大阪帝国大学理学部]]卒業<br />
* [[1945年]] サントリーの前身である壽屋に入社<br />
* [[1946年]] 壽屋(現[[サントリー|サントリーホールディングス]]株式会社)の全額出捐により、財団法人 食品化学研究所を設立、初代所長に着任。<br />
* [[1961年]] 壽屋代表取締役社長に就任<br />
* [[1963年]] 壽屋からサントリーに社名を変更<br />
* [[1971年]] [[関西公共広告機構]]を設立(現在の[[ACジャパン]])<br />
* [[1976年]] [[藍綬褒章]]を受章<br />
* [[1979年]] 食品化学研究所を財団法人サントリー生物有機科学研究所と改称<br />
* [[1980年]] 生物有機科学研究所理事長に着任し、日本で初めて[[ポストドクトラルフェロー|ポストドクトラルフェローシップ]]を開始した。<br />
* [[1985年]] [[大阪商工会議所]]会頭に就任<br />
* [[1986年]] フランス[[芸術文化勲章]]を受章<br />
* [[1987年]] [[大阪バイオサイエンス研究所]]設立に諮問委員として関与した。<br />
* [[1988年]]2月 [[東北熊襲発言]]による舌禍騒動を起こす。<br />
* [[1989年]] [[勲一等]][[瑞宝章]]を受章<br />
* [[1990年]] サントリー代表取締役会長に就任<br />
* 1990年 フランス[[レジオンドヌール勲章]]を受章<br />
* 1999年11月3日 [[大阪府]][[吹田市]]で[[肺炎]]のため80歳にて死去<br />
<br />
== 家族・親族 ==<br />
佐治敬三は[[工学者]]・[[平賀譲]]の三女と結婚したが、長男の[[佐治信忠|信忠]]を出産直後に妻が21歳で早世。その後元[[住友銀行]]頭取・[[大平賢作]]の娘と再婚した。先妻との間に生まれた信忠はサントリー代表取締役社長を経て、現在は会長を務める(サントリーは現在でも非上場企業であり、[[同族経営]]である)。また後妻との間に生まれた娘は[[チェリスト]]の[[堤剛]]に嫁いだ。<br />
<br />
== エピソード ==<br />
* [[ACジャパン]](旧:公共広告機構)の発起人として知られる。文化事業にも多く取り組んでいた。<br />
* [[ダイキン工業]]3代目社長の[[山田稔 (実業家)|山田稔]]、[[森下仁丹]]2代目社長の[[森下泰]]とは親友だった。佐治は森下の葬儀委員長を務めて、告別式で弔辞を読んでいる。上記を含めた多くの実業家や、他に[[文化人]]との親交も多い。<br />
* [[宝塚歌劇団]]の創団歌としても名高い「すみれの花咲く頃」を愛唱していたことで知られる。<br />
* 大相撲・若貴兄弟の[[タニマチ]]として知られ、[[花田虎上|若乃花]]夫妻の媒酌人を務めたり[[貴乃花光司|貴乃花]]を自社製品のCMに起用したことがある。兄弟の父親である[[貴ノ花利彰|貴ノ花]]も藤島親方時代の1980年代前半に自社製品のCMに起用されており、おそらく兄弟の角界入り前から縁があると思われる。<br />
* [[サントリーホール]]設計に際して、ホール形式(ヴィンヤード形式)の決定は、[[ヘルベルト・フォン・カラヤン]]の助言を受けた佐治がその場で発した「ほな、そうしましょ」の一言で決まった<ref>[http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/699 カラヤンが驚いた 佐治敬三の「ほな、そうしましょ」]([http://jbpress.ismedia.jp/ JBpress])</ref>。<br />
* 文化貢献の一方、[[東北熊襲発言]]では佐治の見識を疑われる事態となった。<br />
<br />
== 著書 ==<br />
*『へんこつなんこつ――私の履歴書』日本経済新聞社、1994年<br />
**(新装版『へんこつなんこつ――私の履歴書』日経ビジネス人文庫、2000年、『[[私の履歴書]]・経済人』第29巻、[[日本経済新聞社]]、2004年)<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{reflist}}<br />
<br />
{{サントリー}}<br />
<br />
{{デフォルトソート:さし けいそう}}<br />
[[Category:サントリーの人物]]<br />
[[Category:日本の実業家]]<br />
[[category:ACジャパン]]<br />
[[Category:日本の学校法人の理事長]]<br />
[[Category:鳥井家]]<br />
[[Category:芸術文化勲章受章者]]<br />
[[Category:レジオンドヌール勲章受章者]]<br />
[[Category:藍綬褒章受章者]]<br />
[[Category:大阪大学出身の人物]]<br />
[[Category:大阪府出身の人物]]<br />
[[Category:1919年生]]<br />
[[Category:1999年没]]<br />
[[Category:大阪商工会議所会頭]]</div>
2402:6B00:4668:5F00:4D80:B6CB:D214:37FD
公文公
2018-07-14T04:46:09Z
<p>2402:6B00:4668:5F00:4D80:B6CB:D214:37FD: </p>
<hr />
<div>{{Infobox 人物<br />
|氏名 = 公文公<br />
|ふりがな = くもんとおる<br />
|画像 = <br />
|画像サイズ = <br />
|画像説明 = <br />
|出生名 = <br />
|生年月日 = [[1914年]][[3月26日]]<br />
|生誕地 = [[高知県]]<br />
|失踪年月日 = <br />
|失踪地 = <br />
|現況 = <br />
|没年月日 = [[1995年]][[7月25日]]<br />
|死没地 = <br />
|死因 = <br />
|遺体発見 = <br />
|墓地 = <br />
|記念碑 = <br />
|住居 = <br />
|国籍 = {{JPN}}<br />
|別名 = <br />
|民族 = [[大和民族]]<br />
|市民権 = <br />
|教育 = <br />
|出身校 = [[大阪帝国大学理学部]]<br />
|職業 = 高校数学教師・教育者<br />
|活動期間 = <br />
|雇用者 = <br />
|団体 = <br />
|代理人 = <br />
|著名な実績 = [[日本公文教育研究会|公文式]]の創設・普及<br />
|業績 = <br />
|流派 = <br />
|影響を受けたもの = <br />
|影響を与えたもの = <br />
|活動拠点 = <br />
|給料 = <br />
|純資産 = <br />
|身長 = <br />
|体重 = <br />
|テレビ番組 = <br />
|肩書き = <br />
|任期 = <br />
|前任者 = <br />
|後任者 = <br />
|政党 = <br />
|政治活動 = <br />
|敵対者 = <br />
|取締役会 = <br />
|宗教 = <br />
|宗派 = <br />
|罪名 = <br />
|有罪判決 = <br />
|犯罪者現況 = <br />
|配偶者 = <br />
|非婚配偶者 = <br />
|子供 = <br />
|親 = <br />
|親戚 = <br />
|コールサイン = <br />
|受賞 = <br />
|署名 = <br />
|署名サイズ = <br />
|公式サイト = <br />
|補足 = <br />
}}<br />
'''公文 公'''(くもん とおる、[[1914年]][[3月26日]] - [[1995年]][[7月25日]])は、日本の[[数学]][[教育者]]。「公文式」学習指導法の考案者。<br />
<br />
== 略歴 ==<br />
[[高知県]]出身。[[土佐中学校・高等学校|土佐中学校]]を経て[[1933年]]に[[高知高等学校 (旧制)|高知高等学校]]を卒業。[[1936年]]、[[大阪帝国大学理学部]]数学科を第1期生として卒業。[[高知県立高知小津高等学校]]数学教師を退職後、[[1958年]]に大阪数学研究会(現・[[日本公文教育研究会]])を設立。<br />
<br />
== 公文式 ==<br />
「'''数学のあれもこれもできるか。まずは、計算力を突破口にするのだ'''」というのが公文公の長年の主張であった。<br />
<br />
なお、公文式学習法が誕生した経緯や彼の考えは、『やってみよう-公文公自伝 子供の知的可能性を追求して』(くもん出版 [[1991年]])という著書に詳しく書かれている。<br />
<br />
数学教育について、[[水道方式]]の[[遠山啓]]とは長年のライバル関係にあった。<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
*[[数学教育]]<br />
*[[公文国際学園中等部・高等部]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://www.kumon.ne.jp/index.html 日本公文教育研究会]<br />
<br />
{{Normdaten}}<br />
{{Scientist-stub}}<br />
{{Math-stub}}<br />
{{DEFAULTSORT:くもん とおる}}<br />
[[Category:日本の数学者]]<br />
[[Category:日本の教育学者]]<br />
[[Category:20世紀の数学者|140326]]<br />
[[Category:日本の中等教育の教員]]<br />
[[Category:大阪大学出身の人物]]<br />
[[Category:高知県出身の人物]]<br />
[[Category:1914年生]]<br />
[[Category:1995年没]]<br />
[[Category:数学に関する記事]]</div>
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白旗慎吾
2018-07-14T04:36:04Z
<p>2402:6B00:4668:5F00:4D80:B6CB:D214:37FD: /* 略歴 */</p>
<hr />
<div>'''白旗 慎吾'''(しらはた しんご、[[1947年]](昭和22年)[[6月20日]] - )は、日本の[[数学者]]。[[大阪大学]][[教授]]。[[理学博士]]([[九州大学]]、1976年)。専門は[[統計学]]。<br />
<br />
== 略歴 ==<br />
*[[1966年]]3月 [[兵庫県立御影高等学校]]卒業<br />
*[[1970年]]3月 [[大阪大学理学部]]数学科卒業 <br />
*[[1972年]]3月 [[大阪大学大学院基礎工学研究科]]数理系専攻[[修士課程]]修了<br />
*[[1974年]]3月 大阪大学大学院基礎工学研究科数理系専攻[[博士課程]]中退 <br />
*[[1974年]]4月 九州大学理学部[[助手 (教育)|助手]]<br />
*[[1977年]]4月 大阪大学[[教養部]][[講師 (教育)|講師]](統計学教室) <br />
*[[1980年]]2月 大阪大学教養部[[助教授]](統計学教室) <br />
*[[1983年]] [[大阪大学基礎工学部]]助教授<br />
*[[1989年]]1月 大阪大学教養部教授(統計学教室) <br />
*[[1994年]]4月 大阪大学基礎工学部教授<br />
*[[2003年]]4月 大阪大学大学院基礎工学研究科教授(システム創成専攻)<br />
<br />
==著書==<br />
*『パソコン統計解析ハンドブックIV』(1987年5月、[[共立出版]]、ISBN 9784320013957)<br />
*『統計解析入門』(1992年5月、共立出版、ISBN 9784320014541)<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://www.sigmath.es.osaka-u.ac.jp/shirahata-lab/index.htm 白旗研究室(大阪大学大学院基礎工学研究科数理科学領域)]<br />
<br />
{{Normdaten}}<br />
{{Mathematician-stub}}<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:しらはた しんこ}}<br />
[[Category:日本の数学者]]<br />
[[Category:大阪大学の教員]]<br />
[[Category:大阪大学出身の人物]]<br />
[[Category:1947年生]]<br />
[[Category:存命人物]]<br />
[[Category:数学に関する記事]]</div>
2402:6B00:4668:5F00:4D80:B6CB:D214:37FD
歯学部
2018-07-14T04:31:10Z
<p>2402:6B00:4668:5F00:4D80:B6CB:D214:37FD: /* 国立大学 */</p>
<hr />
<div>'''歯学部'''(しがくぶ)とは、[[歯学]]を研究・教育する[[大学]]の学部のことである。<br />
<br />
== 概要 ==<br />
かつて歯学部は、[[歯科医師]]を養成するための「歯学科」一学科のみであったが、ここ数年で、口腔保健学科など、[[歯科衛生士]]や[[歯科技工士]]を養成する4年制の学科を新設する歯学部も出てきた。また[[歯科衛生士]][[専門学校]]や[[歯科技工士]][[専門学校]]を附属校として持つものも多い。歯学部のみを持つ単科大学は、歯科大学と呼ばれる。<br />
<br />
[[日本]]では、歯学課程は通常の大学課程と異なり、[[医学部]]などと同様に6年間を最低修業年限とする。このため卒業生は「[[学士(歯学)]]」の学位しか得られないが、[[博士]]課程に入学できるなど[[修士]]に準じた扱いを受ける。また、外国の歯科医師養成機関を卒業した者が、日本国内において歯科医師免許の交付を受けるには、原則として歯科医師国家試験予備試験を受け、これに合格する必要がある。当然のことながら、歯科医師と医師は異なるので、歯学部を卒業しても、医師国家試験の受験資格は得られない(医師法)。<br />
<br />
歯学部は日本全国に29校([[日本大学]]は歯学部とは別に松戸歯学部、[[日本歯科大学]]は生命歯学部とは別に新潟生命歯学部を設置しており、これを2校に数える)あり、すべての歯学部は臨床実習の場である附属の「[[大学病院]]」を設置している、さらに附属の診療所をいくつか持つものもある。<br />
<br />
== 教育 ==<br />
[[Image:DDShenomichi.JPG|thumb|right|420px|歯科医師養成およびその後の一般的なスケジュール(卒後臨床研修は[[2006年]](平成18年)度より必須化)]]<br />
教育期間は6年間(下記は大まかな期間)であり、基礎医学課程は医学部教育とほぼ同様である。遺体解剖(全身肉眼解剖)や全身[[病理学]]も学ぶ。<br />
* 1 - 2年生の間に一般[[教養]]課程の単位を取得する。<br />
* 2 - 4年生の間に[[基礎医学]]課程の単位を取得する(医学部で行われる基礎医学課程とほぼ同様)。<br />
* 5年生の時に臨床実習のための試験([[Computer Based Testing|CBT]]・[[OSCE]])を受験(一部の大学では4年次に受験する)し合格しなければ、臨床実習には出られない。<br />
* 4 - 6年生の間に臨床歯学課程の単位を取得する(5 - 6年生では実際に臨床現場に出る)。臨床実習において、学生は治療計画の立案、その治療及び患者とのコミュニケーション、技工操作を学び実践する。また、それには多くの時間と労力を必要とされ、連日深夜まで実習がおよぶことが日常的となる。<br />
<br />
臨床実習では、保存科に含まれる、[[保存修復科]]、[[歯周病科]]、[[歯内療法科]]、[[口腔外科]]、[[矯正歯科]]、[[歯科放射線科]]、歯の欠損を補う補綴科は[[クラウンブリッジ]]、[[全部床義歯]]、[[部分床義歯]]と分かれており、[[小児歯科]]、[[高齢者歯科]]、[[予防歯科]]などすべての診療科の患者の治療を担当するため、歯科医師と同様の責任を持つ。<br />
<br />
また1学生が30名以上の患者を担当し、実際に患歯の治療や[[抜歯]]、[[歯石]]除去などの歯科医療行為を指導医の監督の下に行う場合もあり、十分な知識と技術が必要とされる。<br />
<br />
臨床実習では、朝早くの診療準備から診療時間後に治療計画レポート、明日の診療準備、技工操作、カンファレンスなど深夜までの学習が臨床期間中(1年以上)続くため、体力はもとより、患者とのコミュニケーション能力、指導医から受ける厳しい指導に応えられる知識と精神力が必須とされ、6年生にまで進級してもそれらに耐えられない学生がリタイアすることも珍しくはない。<br />
<br />
* 歯学部には[[大学院]]課程があり、歯学研究科、医歯薬総合研究科などと称している。<br />
** 学位は「[[博士(歯学)]]」、「[[博士(医学)]]」、「[[博士(学術)]]」などが授与される。多くの学生が大学院に進学することがある。<br />
** また、「[[修士(歯科学)]]」、「[[修士(医科学)]]」を授与する課程も存在するが、歯学部歯学科を卒業した者は直接、博士課程に進学できるので、入学は理論的には可能であるが、入学しないのが一般である(修士課程は4年制学部、歯科系専門学校卒業者のための専門修士課程とされている)。<br />
* 多くの歯学部で[[編入学]]制度が行われており、2〜3年生次に編入され、理系・文系の領域に関係なく幅広い領域の学生が入学している。編入試験が行われている歯学部は、[[新潟大学]]、[[東京医科歯科大学]]、[[大阪大学]]、[[岡山大学]]、[[広島大学]]、[[徳島大学]]、[[九州大学]]、[[長崎大学]]、[[昭和大学]]、[[日本大学]]、[[神奈川歯科大学]]、[[松本歯科大学]]などがある。<br />
* その他、[[全日本歯科学生総合体育大会]](通称「オールデンタル」: 毎年[[8月]])や歯学部学生の研究発表会である[[スチューデント・クリニシャン・プログラム]]など、歯学部独自の催しがある。<br />
<br />
== 歯科医師養成を担わない歯学部の学科 ==<br />
前述の通り、歯学部は歯科医師の養成機関としての役割が大きく、その任に当たっている学科は「歯学部歯学科」である。しかし、一部の大学の歯学部では、歯学科以外の学科を有し歯科医師養成以外の教育が行われている。歯科医師養成以外の教育としては、[[歯科衛生士]]や[[歯科技工士]]の養成が主であり、あわせて[[社会福祉士]]、[[養護教諭]]などの資格取得にむけた教育を行っている学科もあり4年制である。これらの学科では卒業時の学位として、「[[学士(口腔保健学)]]」、「[[学士(口腔保健福祉学)]]」などの[[学士|学士号]]が授与される。<br />
<br />
=== 歯学部に歯学科以外の学科を持つ大学 ===<br />
* 東京医科歯科大学(歯学部口腔保健学科)<br />
* 新潟大学(歯学部口腔生命福祉学科)<br />
* 広島大学(歯学部口腔保健学科)<br />
* 徳島大学(歯学部口腔保健学科)<br />
* 九州歯科大学(歯学部口腔保健学科)<br />
<br />
== 歯学系大学院における修士課程 ==<br />
[[Image:Shikakei saigakuin nagare.JPG|thumb|right|420px|一般的な歯学系大学院課程のスケジュール]]<br />
* 前述したように歯学部を卒業し、「学士(歯学)」を取得すると大学院博士課程に進学できる。これは、医学、獣医学、薬学(6年制薬学部)を除く一般の学士号という認識ではなく、「学士号+修士号」のような形で捉えられているからである。<br />
*「学士(歯学)」取得者以外の人々、つまり歯科衛生士や歯科技工士、その他医療従事者、一般に人々を対象にした大学院(修士課程: 2年間)があり、卒業後は「修士(歯科学)」の学位を取得できる。<br />
** 歯科学修士課程を持つ大学院<br />
*** 東北大学大学院[[歯学研究科]]歯科学専攻(歯科医療コデンタルコース、口腔保健コース、歯科用器材・機能性食品開発コース)<br />
*** 東京医科歯科大学大学院[[医歯学総合研究科]]医歯科学専攻<br />
*** 岡山大学大学院[[医歯薬学総合研究科]]医歯科学専攻<br />
*** 広島大学大学院医歯薬学総合研究科医歯科学専攻<br />
* その他、医学系修士課程において、歯科領域の研究が行われていれば上記の大学院と同様の研究が行われると思われる(大学院側への事前確認が必要である)。<br />
* 本修士課程を修了しても、何かしらの医療系専門資格が得られる訳ではない。そのため、歯科領域の研究者を志望する者や既に歯科医療従事者として働いている者の向学という点では有意義な2年間を過ごすことができるかもしれないが、他の学部、特に文系学部出身者は修了後、その歯科専門性を活かした職に就くことは難しいと思われる。<br />
<br />
== アメリカ合衆国の場合 ==<br />
[[アメリカ合衆国|アメリカ]]では医師養成と同様に1度大学課程を修了し、デンタルスクール (Dental School) に進学して卒業後に各州で行われる試験に合格した者のみが歯科医師となれる(医師、薬剤師も同様)。[[日本]]でもアメリカ方式の養成方式(専門職大学院で養成)を行うことが検討されている。<br />
<br />
== 他国の場合 ==<br />
ドイツや中国など医師と歯科(口腔科)医師の領域区別がない国もある。この場合、医師の資格取得後に専門医資格として2年程度の追加教育を受けて歯科(口腔科)資格を取得する。<br />
<br />
== 歯科医師養成課程を持つ大学 ==<br />
齲蝕([[う蝕|虫歯]])が社会問題となりはじめ、歯科医療の充実が叫ばれつつあった[[1960年]]頃、日本には歯科医師養成大学が東京歯科大学、日本歯科大学、日本大学、大阪歯科大学、九州歯科大学、東京医科歯科大学(以上[[旧制歯科医学専門学校]])と大阪大学の7校しかなく、国は歯学部の新設を推進した。そして[[1965年]]までに愛知学院大学、神奈川歯科大学、広島大学、東北大学、新潟大学、岩手医科大学の6校に歯学部が設置された。その後[[1980年]]代前半にかけて歯学部が16校に新設・増設され現在に至る。 <br />
<br />
2008年現在、11の[[国立大学法人]]、1つの[[公立大学法人]]、15の[[学校法人]]が歯学部を有する。ただし、1つの学校法人ながら別々の[[都道府県|都県]]に2つの歯学部を擁する[[日本大学]]と[[日本歯科大学]]の例があるため、私立大学の歯学部の校数は17校である。合計すると、27法人29校の歯学部が日本に存在する。<br />
<br />
=== 国立大学 ===<br />
* [[北海道大学]]([[北海道]][[札幌市]][[北区 (札幌市)|北区]])<br />
* [[東北大学]]([[宮城県]][[仙台市]][[青葉区 (仙台市)|青葉区]])<br />
* [[東京医科歯科大学]](東京都[[文京区]])<br />
* [[新潟大学]]([[新潟県]][[新潟市]][[中央区 (新潟市)|中央区]])<br />
* [[大阪大学歯学部]]([[大阪府]][[吹田市]])<br />
* [[岡山大学]]([[岡山県]][[岡山市]][[北区 (岡山市)|北区]])<br />
* [[広島大学]]([[広島県]][[広島市]][[南区 (広島市)|南区]])<br />
* [[徳島大学]]([[徳島県]][[徳島市]])<br />
* [[九州大学]](福岡県[[福岡市]][[東区 (福岡市)|東区]])<br />
* [[長崎大学]]([[長崎県]][[長崎市]])<br />
* [[鹿児島大学]]([[鹿児島県]][[鹿児島市]])<br />
<br />
=== 公立大学 ===<br />
* [[九州歯科大学]]([[福岡県]][[北九州市]][[小倉北区]])<br />
<br />
=== 私立大学 ===<br />
* [[北海道医療大学]]([[北海道]][[石狩郡]][[当別町]])<br />
* [[岩手医科大学]]([[岩手県]][[盛岡市]])<br />
* [[奥羽大学]]([[福島県]][[郡山市]])<br />
* [[明海大学]]([[埼玉県]][[坂戸市]])<br />
* [[東京歯科大学]]([[東京都]][[千代田区]])<br />
* [[日本大学]][[日本大学歯学部・大学院歯学研究科|歯学部]](東京都千代田区)<br />
* [[日本歯科大学]](東京都千代田区)<br />
* [[昭和大学]](東京都[[品川区]])<br />
* 日本大学[[日本大学松戸歯学部・大学院松戸歯学研究科|松戸歯学部]]([[千葉県]][[松戸市]])<br />
* [[鶴見大学]]([[神奈川県]][[横浜市]][[鶴見区 (横浜市)|鶴見区]])<br />
* [[神奈川歯科大学]](神奈川県[[横須賀市]])<br />
* 日本歯科大学[[日本歯科大学#新潟生命歯学部|新潟生命歯学部]]([[新潟県]][[新潟市]][[中央区 (新潟市)|中央区]])<br />
* [[松本歯科大学]]([[長野県]][[塩尻市]])<br />
* [[朝日大学]]([[岐阜県]][[瑞穂市]])<br />
* [[愛知学院大学]]([[愛知県]][[名古屋市]][[千種区]])<br />
* [[大阪歯科大学]]([[大阪府]][[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]])<br />
* [[福岡歯科大学]]([[福岡県]][[福岡市]][[早良区]])<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
* 日本歯科医学教育学会歯科医学教育白書作成委員会(古市保志、鈴木邦明、城茂治、鈴木康生、菊池雅彦、大川周治、金澤栄作、森尾郁子、小田豊、奈良陽一郎、桑田文幸、岡野友宏、鹿島勇、細井紀雄、福島正義、宮川行男、宮沢裕夫、高井良招、土屋友幸、川本達雄、雫石聰、松尾龍二、内田隆、羽地達次、西原達次、中島昭彦、谷本邦久、根本孝幸、長岡栄一)『歯科医学教育白書2005年版(2003〜2005年)』2006年<br />
* 宮武光吉、大内章嗣、[[末高武彦]]、下野正基、友藤孝明、笹井啓史、渡邊達夫『厚生労働科学研究費補助金医療技術評価総合研究事業:新たな歯科医療需要等の予測に関する総合的研究(平成17年度総合研究報告書)』2006年<br />
* 社団法人日本歯科医師会ホームページ<br />
* 財団法人歯科医療研修振興財団ホームページ<br />
* コスモレディドットコムホームページ: Dental Stas<br />
* 厚生労働省ホームページ<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[歯科医師過剰問題]]<br />
* [[私立歯科大学定員割れ問題]]<br />
* [[進学課程 (医歯学部)]]<br />
* [[OSCE]]<br />
* [[歯学研究科]]<br />
* [[医療資格一覧]]<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:しかくふ}}<br />
[[Category:歯学部|*]]<br />
[[Category:歯科医師|*かくふ]]<br />
[[Category:医学教育]]<br />
[[Category:日本の医療教育]]<br />
<br />
[[en:Dental school]]</div>
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