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https:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&feedformat=atom&user=2400%3A7800%3A8380%3AE300%3A6419%3A1767%3A7FE6%3A47D5
miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja]
2025-01-14T17:19:45Z
利用者の投稿記録
MediaWiki 1.31.0
笑福亭仁鶴 (3代目)
2018-08-07T16:30:23Z
<p>2400:7800:8380:E300:6419:1767:7FE6:47D5: /* 来歴 */</p>
<hr />
<div>{{複数の問題|存命人物の出典明記=2012年7月|大言壮語=2012年7月}}<br />
{{Otheruses|当代(3代目)の「笑福亭仁鶴」|名跡としての「笑福亭仁鶴」|笑福亭仁鶴}}<br />
{{落語家<br />
| 芸名 = 3代目 笑福亭 仁鶴<br />
| ふりがな = しょうふくてい にかく<br />
| 画像ファイル = Gomaisasa.svg<br />
| 画像サイズ = 200px<br />
| 画像コメント = 五枚笹は、笑福亭一門の[[定紋]]である。<br />
| 本名 = 岡本 武士<br />
| 別名 = <br />
| 出身地 = {{JPN}}・[[大阪府]][[大阪市]][[生野区]]<br />
| 死没地 = <br />
| 生年 = 1937<br />
| 生月 = 1<br />
| 生日 = 28<br />
| 没年 = <br />
| 没月 = <br />
| 没日 = <br />
| 師匠 = [[笑福亭松鶴 (6代目)|6代目笑福亭松鶴]]<br />
| 弟子 = <br />
| 名跡 = <br />
| 出囃子 = [[猩々くずし]]<ref name="kyokai">[http://www.hanjotei.jp/data/rakugoka/index.php?hanasika_ID=10020 上方落語会名鑑:笑福亭仁鶴] - 上方落語協会公式プロフィール</ref><br />[[地車囃子|だんじり]]<br />
| 活動期間 = [[1962年]] - <br />
| 活動内容 = [[上方落語]]<br />
| 配偶者 = [[岡本隆子]]<br />
| 家族 = <br />
| 所属 = [[よしもとクリエイティブ・エージェンシー]]<ref name="yoshimoto">[{{吉本プロフィール|699}} 吉本興業 芸人プロフィール:笑福亭仁鶴] - 吉本興業公式プロフィール</ref><br />
| 公式サイト = <br />
| 主な作品 = <br />
| 受賞歴 = 第3回[[上方お笑い大賞]]大賞(1974年)など<br />
| 備考 = [[上方落語協会]]相談役<br />
}}<br />
3代目'''笑福亭 仁鶴'''(しょうふくてい にかく、[[1937年]]〈[[昭和]]12年〉[[1月28日]]<ref name="kyokai" /><ref name="yoshimoto" /> - )は、日本の[[上方落語]]を演じる[[落語家]]である。本名、岡本 武士(おかもと たけし)<ref name="kyokai" /><ref name="koto1">[https://kotobank.jp/word/%E7%AC%91%E7%A6%8F%E4%BA%AD%E4%BB%81%E9%B6%B4%283%E4%B8%96%29-157253 笑福亭仁鶴(3世)] [[コトバンク]] - 典拠は『[[ブリタニカ国際大百科事典]] 小項目事典』</ref><ref name="koto2">[https://kotobank.jp/word/%E7%AC%91%E7%A6%8F%E4%BA%AD%E4%BB%81%E9%B6%B4-1082578 笑福亭仁鶴] コトバンク - 典拠は[[講談社]]『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』、『[[タレントデータバンク]]』</ref>。<br />
<br />
[[出囃子 (落語)|出囃子]]は「[[猩々くずし]]<ref name="kyokai" />」または「[[地車囃子|だんじり]]」。深夜ラジオ番組の出演で当時の若者層から絶大な人気を博し、番組中に発した「'''どんなんかな~'''」が当たりギャグとなった<ref name="yomiuri">読売新聞大阪本社文化部(編)『上方放送お笑い史』 [[読売新聞社]]、1999年 pp.268-273「仁鶴時代の幕開け」</ref>。<br />
<br />
所属[[芸能事務所|事務所]]は[[吉本興業]]→[[よしもとクリエイティブ・エージェンシー]](1964年 - )<ref name="kyokai" /><ref name="yoshimoto" />。[[上方落語協会]]会員、吉本興業特別顧問。身長165[[センチメートル|cm]]、体重58[[キログラム|kg]]<ref name="yoshimoto" />。[[ABO式血液型|血液型]]はO型<ref name="kyokai" />。妻は[[吉本新喜劇]]に在籍した[[岡本隆子|永隆子]]。[[大阪府]][[豊中市]]在住。<br />
<br />
== 来歴 ==<br />
[[大阪府]][[大阪市]]<ref name="yoshimoto" />[[生野区]]出身(後に同府[[交野市]]へ転居した)。生家は鉄工所を経営<ref name="yomiuri" />。[[大阪市立生野工業高等学校]]卒業<ref name="yomiuri" />後、友人らと訪れた古道具屋のワゴンセールで、[[浪曲]]や[[安来節]]の[[SPレコード]]に混じって売られていた[[桂春団治 (初代)|初代桂春団治]]の[[SPレコード]]を購入。自宅にあった父の蓄音器でその落語を聴いたのがきっかけで芸界に魅せられ、前田達(のちの[[桂枝雀 (2代目)|2代目桂枝雀]])ら[[演芸]]好きの仲間と[[天狗連]]を結成する。[[朝日放送ラジオ]]『[[東西お笑い他流試合]]』、[[毎日放送]]『[[素人名人会]]』などの素人参加番組に出演。『東西お笑い他流試合』のプロデューサーだった[[狛林利男]]から「出演者が足らんかったり、おもろなさそうやったら、わざわざ彼に出演を依頼したほど」と言わしめるほど才能を買われていた<ref name="yomiuri" />。前田が[[桂米朝 (3代目)|3代目桂米朝]]に弟子入りした翌年の[[1961年]]3月中旬、素人参加番組の審査員だった[[笑福亭松鶴 (6代目)|6代目笑福亭松鶴]]に入門を懇願、[[4月1日]]に正式に弟子入りした。「仁鶴」という芸名は、師匠の6代目松鶴が車で角を2回曲がった際、「2つの角→二角→仁鶴」から思い付いたものとされる。なお[[笑福亭鶴光]]・[[笑福亭鶴瓶]]などは弟弟子、[[明石家さんま]]は従弟弟子にあたる。<br />
<br />
[[1962年]]4月、[[高島屋]]で行われた若手の落語会で初舞台を踏む。本来は[[新世界 (大阪)|新世界]][[新花月]]で初舞台を踏むことが決まっていたが、周囲から「[[林家花丸|笑福亭花丸]]と組んで(ステレオ落語のようなことを)やれ」と言われるも、師匠の6代目松鶴が反対したという。<br />
<br />
師匠である6代目松鶴やその弟子の大部分が[[松竹芸能]]に所属しているのに対し、仁鶴は活動初期から[[吉本興業]]に所属している。これは、[[林家染丸#3代目|3代目林家染丸]]が「吉本でやってみぃひんか」と仁鶴を誘い、6代目松鶴も賛成したためである。仁鶴に吉本を薦めた理由は、染丸、松鶴共に「吉本向きだから」だったという<ref>笑福亭仁鶴著 『仁鶴湯』(主婦と生活社)</ref>。[[京都花月]]で吉本デビュー。ネタは「[[くしゃみ講釈|くっしゃみ講釈]]」であった。この高座に関してはウケず失敗したという苦いエピソードがある。[[1967年]]4月、[[吉本新喜劇]]の[[俳優|女優]]、[[岡本隆子|永隆子]]と結婚する。<br />
<br />
[[1960年代]]後半以降、落語ブームも相まって、[[月亭可朝]]や[[桂文枝 (6代目)|桂三枝(現:6代桂文枝)]]とともに、吉本興業の顔として花月劇場チェーンへの出演のかたわら、テレビ、ラジオ、映画、レコードに多数出演。お笑いタレントの宝庫としての吉本の基礎を築いた。戦後の吉本に対する仁鶴の功績について、漫才作家[[足立克己]]は「今日の吉本の基は仁鶴が作った」「吉本中興の祖」と評した{{要出典|date=2017-09}}。吉本の総帥と呼ばれた[[林正之助]]でさえ、仁鶴には頭が上がらなかったという(初代桂春團治などの大物芸人ですら呼び捨てにしていた正之助が、仁鶴だけは「さん」付けで呼んでいたと後輩の[[前田五郎]]は著書に記している<ref>前田五郎『芸能界み~んなホントのことでっせ』(日本文芸社刊、1993年)P51、P134~P135。前田は同書のP134で「吉本の内部にいる自分の目から見る限り、吉本の芸人のトップは仁鶴さんに尽きる」とも述べている。</ref>)。正之助は生前、「仁鶴の面倒は一生吉本で見るようにせい」と言い残している。<br />
<br />
ラジオの深夜放送『[[オーサカ・オールナイト 夜明けまでご一緒に!]]』([[大阪放送|ラジオ大阪]]、火曜日担当)や『[[ABCヤングリクエスト]]』([[朝日放送ラジオ]])内の内包番組「仁鶴・頭のマッサージ」で若者層から絶大な支持を得た。後に仁鶴を代表するギャグとなった「どんなんかな~」は仁鶴が[[はがき]]を紹介する際「どんなはがきでしょうか」という意味で絶叫していたものであった<ref name="yomiuri" />。また同番組では、架空の「掃除のおばちゃん」が放送中にスタジオブースに入って来て仁鶴のまわりをうろつく、という設定をたびたび演じて評判を取り、のちに自身の歌『おばちゃんのブルース』の元になった<ref name="yomiuri" />。<br />
<br />
やがて仁鶴は、『[[ヤングおー!おー!]]』([[MBSテレビ]])を通じて全国区のタレントとなった。『ヤングおー!おー!』では、放送開始直後に「ごきげんよう! ごきげんよう!」とがなり立て、裏番組の『[[てなもんや一本槍]]』([[朝日放送テレビ]])にチャンネルを変えさせないポジションを担った<ref>『上方放送お笑い史』、p.279</ref>。仁鶴は「'''視聴率を5%上げる男'''」との異名を取り、当時のテレビ関係者はキャスティングするため奔走したという。[[1972年]]には『[[NHK紅白歌合戦]]』に応援ゲストとして出演している。[[1973年]]に放映された「[[ボンカレー]]」([[大塚食品]])の[[コマーシャルメッセージ|CM]]で[[時代劇]]『[[子連れ狼]]』の[[パロディ]]として[[拝一刀]]に扮し、「3分間待つのだぞ<ref name="koto1" />」のフレーズで一世を風靡した。この時期、仁鶴の写真がプリントされた大塚食品の[[自動販売機]]の筐体が多数製作・設置された<ref>logc_nt「[http://gigazine.net/news/20160326-curry-jihanki-gosho24/ 日本で唯一の「ボンカレーライス自動販売機」がまだ稼働しているところを見てきた]」 [[GIGAZINE]]、2016年3月26日</ref>。<br />
<br />
落語会や寄席でも人気が上昇し、[[めくり]]が仁鶴の名に変わるだけで笑いと拍手が起こり、登場すると同時に歓声が沸いて、落語を始めるのに10分近くかかったという。そのため、当時[[漫談]]の[[滝あきら]]からは「笑いの爆弾男」とのあだ名を付けられる。<br />
<br />
「四角い仁鶴がまぁーるくおさめまっせぇ」のフレーズで有名な法律[[バラエティ番組]]の元祖『[[バラエティー生活笑百科]]』([[NHK大阪放送局|NHK大阪]])<ref name="koto1" /><ref name="koto2" />や、『[[大阪ほんわかテレビ]]』<ref name="koto2" />([[讀賣テレビ放送|ytv]])などのレギュラー番組を長らく受け持つ。<br />
<br />
仁鶴は6代文枝・[[西川きよし]]とともに'''吉本興業の三巨頭'''と称され{{誰2|date=2017-09}}、吉本のみならず上方落語界の重鎮として、独演会や一門会などの落語会で活躍する一方、吉本の本拠地・[[なんばグランド花月]](NGK)にも月1回のペースで出演している。<br />
<br />
[[2005年]][[2月1日]]には吉本興業特別顧問に就任。タレント活動を続けながらご意見番を担うことになった。これは仁鶴の常日頃の人柄、吉本興業に対する過去からの貢献によるものである。<br />
<br />
=== 受賞歴 ===<br />
<ref name="yoshimoto" /><ref name="koto2" /><br />
* [[1970年]] 第3回[[大阪府民劇場奨励賞]]<br />
* [[1972年]] 第12回[[日本放送作家協会賞]]演芸部門<br />
* [[1974年]] 第3回[[上方お笑い大賞]]大賞<br />
* [[1994年]] [[大阪市民表彰]]文化功労賞<br />
* [[2002年]] 第53回[[日本放送協会放送文化賞]]<br />
<br />
=== 弟子 ===<br />
いずれも吉本興業所属。兄弟弟子、孫弟子などについては「[[松鶴一門]]」のページを参照のこと。<br />
* [[笑福亭仁智]]<br />
* [[笑福亭仁福]]<br />
* [[笑福亭仁扇]]<br />
* [[笑福亭仁勇]]<br />
* [[笑福亭仁嬌]]<br />
* [[笑福亭仁幹]]<br />
* [[笑福亭仁昇]]<br />
<br />
; 廃業した元弟子<br />
* 笑福亭仁燕<br />
* 笑福亭仁雀([[1972年]]7月入門、[[1988年]]廃業)<br />
* 笑福亭仁碌<br />
* 笑福亭仁助<br />
<br />
== 人物・エピソード ==<br />
=== 芸風・評価 ===<br />
* 天狗連で売り出した当時は、初代桂春團治ばりのあくの強いスピーディーな語り口であったが、6代目笑福亭松鶴に入門直後は、「教えてもうた通りきっちりとやらなあかん時期」だったため、「地味で硬い語り口」に転じた<ref name="yomiuri" />。そこで基礎から落語を学び直し、やがて本来の「機関銃のような<ref name="yomiuri" />」スピードと強さを取り戻していった。[[1970年代]]後半に喉を痛めてからは芸風を変更し、的確な描写力を持ってじっくりと聴かせる正統派の落語家となった。[[バリトン]]の声調を持つ特徴的な声色と口調は、[[シンデレラエキスプレス]]松井成行や[[モンスターエンジン]]大林健二、[[霜降り明星]]せいやなど、多くの後輩芸人に[[物真似|ものまね]]されている。<br />
<br />
=== 持ちネタ ===<br />
* 代表的な持ちネタには、<!--五十音順-->『[[青菜 (落語)|青菜]]』『[[池田の猪買い]]<ref name="koto2" />』『[[牛の丸薬]]』『[[からし医者|辛子医者]]』『[[黄金の大黒]]』『[[口入屋 (落語)|口入屋]]<ref name="koto1" />』『くっしゃみ講釈<ref name="koto2" />』『[[三人旅]]』『[[崇徳院 (落語)|崇徳院]]<ref name="koto2" />』『[[たらちね|延陽伯]]』『[[次の御用日]]』『[[壺算]]<ref name="koto1" /><ref name="koto2" />』『[[道具屋 (落語)|道具屋]]<ref name="koto1" />』『[[長屋の花見|貧乏花見]]<ref name="koto1" />』『[[夏の医者]]』『[[人形買い]]』『[[万国島巡り]]』『[[初天神]]<ref name="koto1" />』『[[七度狐]]』『[[百年目]]』『[[兵庫船]]』『[[不動坊]]<ref name="koto2" />』『[[へっつい盗人]]』『[[向こう付け]]』などがある。<br />
* [[1971年]][[11月11日]]公演の[[朝日放送]]『[[1080分落語会]]』で『くっしゃみ講釈』を演じた際は、登場人物が胡椒の粉を買えないという[[落ち|サゲ]]に大きく関わる失敗を語る必要があるにもかかわらず、間違って「胡椒を買うてきた」と言ってしまったため、買ってきた胡椒を返しに行き改めて唐辛子をもらってくるという不可解な展開を語ってしまった。<br />
* 通常、ネタは師匠(または先輩)から弟子に伝えられるものであるが、『黄金の大黒』は逆をたどり、仁鶴から師匠松鶴へ伝わっている<ref group="注釈">弟弟子の[[笑福亭鶴瓶]]との対談{{要出典|date=2017-09}}で仁鶴本人が証言した。</ref>。<br />
<br />
=== その他 ===<br />
* 尊敬する人物として、映画やドラマで何度か共演した[[森繁久彌]]の名を度々挙げており、自宅には森繁から直接貰った書が飾られている。ちなみに仁鶴が売れっ子だった頃の吉本の社長[[八田竹男]]は森繁とは旧制北野中学校時代からの同級生。<br />
* [[1994年]][[1月3日]]には、[[豊中市]]にある自宅が半焼した。その際、長年かけて収集してきた落語関連の資料も被災している。<br />
* 上方落語界の重鎮でありながらもあまり独演会を開催していなかったが、[[2009年]][[11月3日]]には5度目の独演会を[[なんばグランド花月]]で開催している。<br />
<br />
== 出演作品 ==<br />
=== テレビ ===<br />
==== 現在出演中のバラエティ番組 ====<br />
* [[バラエティー生活笑百科]]<ref name="koto1" />([[日本放送協会|NHK]]、[[NHK大阪放送局|大阪局]]制作全国ネット) - 司会・相談室長 役 17.6~ 一時降板<br />
* [[大阪ほんわかテレビ]]([[讀賣テレビ放送|ytv]])<ref name="koto2" /> - 司会・岡本仁八 役<br />
<br />
==== 過去に出演したバラエティ番組 ====<br />
* [[ヤングおー!おー!]]([[MBSテレビ]])<br />
* 仁鶴とあそぼう!([[朝日放送テレビ]])<br />
* [[仁鶴・きよしのただいま恋愛中]] <ref name="koto1" />(朝日放送テレビ)<br />
* [[とにかく仁鶴]]([[関西テレビ放送|関西テレビ]]、1972年1月 - 3月:日曜夜10時〜10時15分)<br />
* [[アタック仁鶴]](関西テレビ)<br />
* [[こんばんは仁鶴です]](MBSテレビ)<br />
* [[仁鶴・たか子の夫婦往来]](MBSテレビ)<br />
* [[仁鶴の夫婦でぶちかまし]]([[讀賣テレビ放送|読売テレビ]])<br />
* [[やまかんヒット大賞]](読売テレビ)<br />
* [[ごきげん2時]](MBSテレビ)<br />
* [[ズームイン!!朝!]]([[日本テレビ放送網|日本テレビ]]、「おはよう!新婚さん」コーナーを担当)<br />
* [[お笑いオンステージ]]([[NHK総合テレビジョン|NHKテレビ]]、1972年4月 - 1973年5月)<br />
* [[お笑いワンマンショー|仁鶴のお笑い決定版]]([[名古屋テレビ放送|名古屋テレビ]])<br />
* [[初笑いうるとら寄席]]([[TBSテレビ]])<br />
* [[いのちの響]](TBSテレビ、ドキュメンタリー)<br />
* 日曜特番・夢をつくった男たち 〜お笑い100年のパイオニア〜([[2012年]][[10月21日]]、[[BS-TBS]]) ※[[笑福亭鶴瓶]]と対談<br />
<br />
==== 過去に出演したテレビドラマ番組 ====<br />
* [[銭形平次 (大川橋蔵)|銭形平次]] 第439話「夜霧に消えた男」([[フジテレビジョン|フジテレビ]])<br />
* [[けったいな人びと]](NHKテレビ)<br />
* [[どてらい男]](関西テレビ)<br />
* [[刑事鉄平]](関西テレビ)<br />
* [[鮎のうた]](NHKテレビ)<br />
* [[心はいつもラムネ色]](NHKテレビ)<br />
* [[吉宗評判記 暴れん坊将軍]] 第45話「寿限無寿限無のニセ小判」([[テレビ朝日]]) - 仁兵衛 役<br />
* [[騎馬奉行]] (関西テレビ) - お化けの正助 役※セミレギュラー<br />
* [[江戸の用心棒 (1981年のテレビドラマ)|江戸の用心棒]](フジテレビ)<br />
* [[花らんまん]](読売テレビ)<br />
* [[大江戸捜査網]] 第371話「笑いを売る謎の男」([[テレビ東京|東京12チャンネル]]) - 夢八 役<br />
* [[連続ドラマ小説 木下部長とボク]](読売テレビ)<br />
* 笑福亭仁鶴50周年記念ドラマ「[[だんらん]]」(関西テレビ) - 原案<br />
* [[木曜ゴールデンドラマ]]「[[夫婦善哉 (小説)#テレビドラマ|夫婦善哉]]」(読売テレビ)<br />
* [[時代劇スペシャル (フジテレビ)|時代劇スペシャル]]「[[沓掛時次郎#1981年|沓掛時次郎]]」(フジテレビ) - 朴庵 役<br />
<br />
=== ラジオ ===<br />
==== 現在 ====<br />
* [[仁鶴の楽書き帖|笑福亭仁鶴の楽書き帖]]([[朝日放送ラジオ]]/毎週土曜朝5時30分〜6時00分)<br />
* [[仁鶴の日曜想い出メロディー]]([[京都放送|KBS京都ラジオ]]、1986年10月5日 - 2006年3月25日 全997回、2014年4月6日 - /毎週日曜 朝8時00分〜9時00分)<br />
: ※20年続いた長寿番組として2006年3月に一旦放送を終了したが、2014年4月に再開された。<br />
==== 過去 ====<br />
* [[即席リレー小話、ハイ本番]](ラジオ大阪、1964年)<ref name="yomiuri" /><br />
* [[オーサカ・オールナイト 夜明けまでご一緒に!]](ラジオ大阪、1966年12月 - 1968年頃)<ref name="yomiuri" /><br />
* [[ヒットでヒット バチョンといこう!]](ラジオ大阪)<ref name="yomiuri" /><br />
* [[笑福亭大仁鶴]](ラジオ大阪)<br />
* [[ABCヤングリクエスト]](朝日放送ラジオ)「仁鶴・頭のマッサージ」<br />
* ハッピー仁鶴(MBSラジオ、1974年)<br />
* [[MBSヤングタウン]](MBSラジオ、1975年)<br />
* [[東芝サタデーワイド 仁鶴のなんやかんや土曜日です]](朝日放送ラジオ)<br />
* 仁鶴の土曜日です(朝日放送ラジオ)<br />
* [[FMシアター]]「夫婦うどん」(2002年11月30日、[[NHK-FM]]・[[NHK大阪放送局]]制作)<br />
* [[仁鶴・裕子の午後の小径]](ラジオ大阪)<br />
* 復活! 仁鶴の日曜想い出メロディー サンクススペシャル(2012年12月16日)<br />
<br />
=== 映画 ===<br />
* 体験旅行([[1970年]])<br />
* 仁鶴・可朝・三枝の 男三匹やったるでぇ!(1970年)<br />
* [[ああ独身]](1970年) <br />
* 谷岡ヤスジのメッタメタ ガキ道講座([[1971年]])<br />
* 座頭市御用旅([[1972年]])<br />
* ヤングおー!おー! 日本のジョウシキでーす([[1973年]])<br />
* [[現代任侠史]](1973年)<br />
* 桜の森の満開の下([[1975年]])<br />
* テキヤの石松([[1976年]])<br />
* ギャンブル一家 チト度が過ぎる(1978年)<br />
* マンザイ太閤記([[1981年]])<br />
* [[夢見通りの人々]]([[1989年]])<br />
* [[流転の海]]([[1990年]])<br />
* [[釣りバカ日誌14]]([[2003年]])<ref name="koto2" /><br />
* [[酒井家のしあわせ]](2006年) - 酒井照美の父<br />
<br />
=== 劇場アニメ ===<br />
* [[じゃりン子チエ]](1981年) - 花井拳骨 役<br />
* [[ちびまる子ちゃん イタリアから来た少年]](2015年) - 本人 役<br />
<br />
=== イメージポスター ===<br />
* [[京阪電気鉄道]] [[京阪中之島線]]開通予告ポスター「シマへ行こう。」篇(2008年) ※[[豊臣秀吉]]、[[福澤諭吉]]、[[五代友厚]]に扮装した。<br />
<br />
=== CM ===<br />
* [[大塚食品]]「[[ボンカレー]]」 ([[1972年]] - [[1978年]])<br />
* [[サッポロビール]]「ミニ樽」 ([[1983年]])<br />
* サッポロビール「2リッ樽」志ん朝との共演。<br />
* [[麒麟麦酒|キリンビール]]「キリン関西風味生ビール」([[1994年]]、関西限定)<br />
* [[ファミリーマート]](2012年)<br />
<br />
== レコード・CD・DVD ==<br />
'''シングルレコード'''<br />
* どんなんかなァ/おばちゃんのブルース(1969年12月)<br />
* 大発見やァ!/仔犬のラメント(1970年3月)<br />
* 大阪は第二の故郷/へちゃむくれ讃歌(1970年11月)<br />
* 男・赤壁周庵先生/夜店のオペレッタ(1971年11月)<br />
* 花の定期便/どうせ人生まっ裸(1972年4月)<br />
* 仁鶴の娘江州音頭/仁鶴の河内アホダラ音頭(1973年7月)<br />
<br />
'''LPレコード'''<br />
* 仁鶴古典独演会(1979年、LPレコード)<br />
* 続・仁鶴古典独演会(LPレコード)<br />
<br />
'''CD'''<br />
* 笑福亭仁鶴(全4集、[[1994年]][[10月21日]]、[[JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント|ビクターエンタテインメント]])<br />
* 日本の伝統芸能 落語9 三代笑福亭仁鶴([[1995年]][[10月1日]]、[[テイチクエンタテインメント]])<br />
* 日本の伝統芸能 落語10 三代笑福亭仁鶴(同上)<br />
* 上方艶笑落語集 1([[1996年]][[3月1日]]、[[日本コロムビア]])<br />
* もず唱平のなにわ歌小路 35(オムニバスCD、「夜店のオペレッタ」を歌唱、[[2002年]][[10月23日]]、テイチクエンタテインメント)<br />
* 上方落語特選(全10集、[[2004年]][[7月22日]]、テイチクエンタテインメント)<br />
* 笑福亭仁鶴 独演会DVD+CD豪華記念本BOOK(2008年9月)[http://www.warau-senior.com/nikaku/dvdbox/]<br />
<br />
== 書籍 ==<br />
* 仁鶴の鼻ちょうちん([[1972年]]、[[六月社書房]])<br />
* 仁鶴の頭のマッサージ(『[[ABCヤングリクエスト]]』の企画で誕生、1973年、自由国民社)<br />
* 仁鶴の落語([[1974年]]、[[講談社]])<br />
* 仁鶴湯(『[[マンスリーよしもと]]』での連載記事に加筆・再編集したもの、[[2005年]]6月、[[主婦と生活社]]、ISBN 439113098X)<br />
<br />
== 笑福亭仁鶴を演じた俳優 ==<br />
*[[菅広文]]([[ロザン]])(舞台「[[吉本百年物語]] 深夜のキラ星〜スター誕生〜」、2012年)<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
{{No footnotes|date=2017年9月|section=1}}<br />
* [[難波利三]] 『小説吉本興業』<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
=== 注釈 ===<br />
{{Notelist}}<br />
=== 出典 ===<br />
{{reflist}}<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[大阪府出身の人物一覧]]<br />
* [[松鶴一門]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [{{吉本プロフィール|699}} 吉本興業 芸人プロフィール:笑福亭仁鶴] - 吉本興業公式プロフィール<br />
* [http://www.hanjotei.jp/data/rakugoka/index.php?hanasika_ID=10020 上方落語会名鑑:笑福亭仁鶴] - 上方落語協会公式プロフィール<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:しようふくてい にかく}}<br />
[[Category:落語家]]<br />
[[Category:日本の司会者]]<br />
[[Category:吉本興業]]<br />
[[Category:日本のタレント]]<br />
[[Category:日本の男優]]<br />
[[Category:日本のラジオパーソナリティ]]<br />
[[Category:ズームイン!!シリーズ関係者]]<br />
[[Category:大阪市出身の人物]]<br />
[[Category:1937年生]]<br />
[[Category:存命人物]]</div>
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