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https:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&feedformat=atom&user=2400%3A7800%3A4975%3A9200%3A75C4%3AC94%3A362D%3A61BB miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja] 2024-05-26T00:48:40Z 利用者の投稿記録 MediaWiki 1.31.0 母体保護法 2018-08-17T08:57:13Z <p>2400:7800:4975:9200:75C4:C94:362D:61BB: /* 関連項目 */</p> <hr /> <div>{{law}}<br /> {{日本の法令<br /> |題名=母体保護法<br /> |番号=昭和23年7月13日法律第156号<br /> |通称=<br /> |効力=現行法<br /> |種類=[[医事法]]<br /> |内容=不妊手術や人工妊娠中絶に関する事項を定める<br /> |関連=<br /> |リンク= [http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO156.html 総務省法令データ提供システム]<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;母体保護法&#039;&#039;&#039;(ぼたいほごほう、[[1948年|昭和23年]][[7月13日]][[法律]]第156号)は、[[不妊手術]]及び[[人工妊娠中絶]]に関する事項を定めること等により、母性の生命健康を保護することを目的とする[[法律]]である(同法1条)。<br /> <br /> 本法によって[[母体保護法指定医師]]が指定される。また、本法では[[医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律|薬機法]]の規定に関わらず「[[ペッサリー]]等[[避妊具]]を販売できる」という特権を有する[[受胎調節実地指導員]]についても規定が置かれている。<br /> <br /> == 経緯 ==<br /> === 優生保護法の成立===<br /> [[1907年]]にアメリカ合衆国のインディアナ州で世界初の優生思想に基づく中絶・堕胎法が制定された。それ以降、[[1923年]]までに全米32州で制定された。[[カリフォルニア州]]などでは梅毒患者、性犯罪者なども対象となったこともあった&lt;ref&gt;{{Citation|和書<br /> | url = http://www3.kmu.ac.jp/legalmed/ethics/theme2.html<br /> | title = 優生学の錯綜<br /> | work = 関西医科大学法医学講座<br /> | publisher = [[関西医科大学]]<br /> | date = 2013/4/1<br /> | deadlinkdate = 2017-12-3<br /> | archiveurl = https://web.archive.org/web/20150715005249/http://www3.kmu.ac.jp/legalmed/ethics/theme2.html<br /> | archivedate = 2015-07-15 }}&lt;/ref&gt;。優生学は[[20世紀]]には世界的に国民の保護や子孫のためとして大きな支持を集めていた。日本では戦後の当初は[[1948年]](昭和23年)に優生保護法という名称で施行された。この法律は、戦前の[[1940年]](昭和15年)の国民優生法と同様[[優生学]]的な色彩がある法律である。<br /> <br /> [[:s:刑法_(明治13年太政官布告第36号)|明治刑法]]が「墮胎の罪」を定めて中絶した者には刑事罰を与えていた一方、国民優生法は、「国民素質ノ向上ヲ期スルコト」を目的とすることを謳って親の望まぬ不良な子孫の出生と流産の危険性のある母胎の道連れの抑制、多産による母体死亡阻止を目的とし、日本では中絶という行為が宗教的[[タブー]]であるとは見なされていなかったため、出産という女性への選択肢の位置づけがなされていた&lt;ref&gt;母体保護法とわたしたち、齋藤有紀子、2002年、p23]&lt;/ref&gt;。状況によっては家族や[[後見人]]が[[中央優生審査会]]、地方優生審査会に手術申請を行うことや、中絶や放射線照射の処置を可能としていた法律である&lt;ref&gt;『[{{NDLDC|2960490/2}} 国民優生法]』。『官報』、1940年、&lt;/ref&gt;。なお当時存在した[[日本優生学会]](1925年創立、[[阿部文夫]]、[[岡本利吉]]、他)では同法に併せて不妊手術の状況を報告し、また人口増加問題も論じている&lt;ref&gt;『[{{NDLDC|1495771}} 優生手術十ケ月狀況]』、日本優生学会『優生学』、1942年。&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;日本優生学会『[{{NDLDC|1495760}} 優生学]』、[[1941年]]12月。&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;阿部文夫『[{{NDLDC|1744607/170}} 社会問題と教育:優生運動]』、『岩波講座教育科学』、1933年。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> しかし、戦後の優生保護法においては、戦後の治安組織の喪失・混乱や復員による過剰人口問題、強姦による望まぬ妊娠の問題を背景にし、革新系の女性議員にとっては、[[妊娠中絶]]の完全な合法化させるための手段である側面があった。1946年(昭和21年)4月10日に行われた戦後初の選挙である[[第22回衆議院議員総選挙]]で当選した革新系の女性議員らは、[[第1回国会]]において国民優生法案を提出した。[[日本社会党]]の[[福田昌子]]、[[加藤シヅエ]]といった革新系の政治家は母胎保護の観点から多産による女性への負担や母胎の死の危険もある流産の恐れがあると判断された時点での堕胎の選択肢の合法化を求めた。<br /> <br /> 彼女らは死ぬ危険のある出産は女性の負担だとして人工中絶の必要性と合法化を主張していた。加藤などは外国の貧民街を見て帰国直後の1922年には社会運動に理解のあった夫と日本で産児調節運動を開始していた。石本静枝として産児制限運動を推進するなど母胎保護には望まぬ出産への中絶の権利や母胎への危険のある出産を阻止する方法が女性に必要だと訴えていた&lt;ref&gt;{{Citation|和書<br /> | title = 花を投げた女たち : その五人の愛と生涯<br /> | page = 124<br /> | publisher = [[文藝春秋]]<br /> | author = 永畑道子 | author-link = 永畑道子<br /> }}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 障害者への強制不妊手術 ===<br /> 更に親族や預け先が面倒を見ていることで、生活を送っている障害者同士が親族の把握を越えて妊娠する場合や障害者が性的暴行で妊娠させた場合、精神や知的障害者が性的暴行を行った場合は心神喪失て責任能力が無いことで無罪になるため、面倒を見ている親族が謝罪や和解金を負担すること、妊娠した子供の世話、心神喪失で罪にならないも問題になった。<br /> <br /> 障害者同士で理解せずに性行為を行って妊娠した場合、特に男性障害者による性的暴行の場合、これを繰り返すことも問題になった。障害者を持つ親族から出産後の自分での子育て能力や相手を妊娠させた場合に法的責任持てないと判断された場合の中絶や不妊手術を許可することを合法化してほしいとの要求が起きた。<br /> <br /> 特に面倒を見ている親族やその家族の更に子供までの面倒を見きれないとの感情、性的被害者やその親族の心神喪失は無罪との怒りを背景に出産後の子育てや中絶や不妊手術を合法化要求があり、当時は与野党異論なく法案に盛り込まれた。これは面倒を見ている者らの苦労への同情や苦労を経験している親族らの要請が通ったからとの声がある。<br /> <br /> 実際に障害者への中絶や不妊手術に対して、度重なる性的暴行・妊娠、被害者からの法的責任能力の欠如批判、それらの報道に触れるなど更なる負担増加を理由に親族らが手術希望したり、容認した。齋藤有紀子はこの親族らの考えは世界的に珍しくなく、中絶の合法化された国家で障害を持つ子供を妊娠した時点で中絶を選択する率がどこの国家も高いことから、障害者の要望とその親族の要望では、親族の要望が優先されていると指摘している&lt;ref&gt;母体保護法とわたしたち、齋藤有紀子、2002年、p56]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ===改正案を巡る議論===<br /> [[1949年]](昭和24年)の法改正により、経済的な理由による中絶の道が開かれ、[[1952年]](昭和27年)には中絶について地区優生保護審査会の認定を不要とした。[[刑法 (日本)|刑法]]上の[[堕胎罪]]の規定は存置されたが、空文化が指摘されるようになった。<br /> <br /> その後、[[高度成長]]により、経済団体の[[日本経済団体連合会|日本経営者団体連盟(日経連)]]などからは将来の優れた労働力の確保という観点から中絶の抑制が主張されるようになった。また、[[宗教団体]]からは、[[生長の家]]と[[カトリック教会]]が優生保護法改廃期成同盟を組織して中絶反対を訴えた。一方、[[羊水診断]]の発展により、障害を持つ胎児が早期に発見されるようになり、[[日本医師会]]は生長の家などの主張には反対しつつ、障害を持つ胎児の中絶を合法化するように提言した。こうした、思惑は違えど様々な改正案の動きがあった。これに対して、[[全国青い芝の会]]などの障害者団体は優生学的理由を前面に出した中絶の正当化に対して、[[中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合|中ピ連]]や[[リブ新宿センター]]などの女性団体からはそれに加え、経済的な理由に基づく中絶の禁止に対する反発が広がるようになった。<br /> <br /> 1962年に[[社会民主党]]の前身である日本社会党当時の宮城県議が[[宮城県]]に不妊手術の強化を要求した。そのため、後身の社会民主党は関係者に謝罪する声明を発表している&lt;ref&gt;{{Cite news |url=https://news.nifty.com/article/domestic/government/12145-2018022200762/?utm_source=webpush&amp;utm_medium=email&amp;utm_campaign=webpush_new1article |title=社民、強制不妊問題で謝罪=旧社会県議が強化要求 |newspaper=ニフティニュース |agency=時事通信 |publisher=NIFTY |date=2018-02-22 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180223050912/https://news.nifty.com/article/domestic/government/12145-2018022200762/?utm_source=webpush&amp;utm_medium=email&amp;utm_campaign=webpush_new1article |archivedate=2018-02-23}}&lt;/ref&gt;。<br /> [[1970年代]]から[[1980年代]]にかけて、両者の間で激しい議論がなされた。[[1972年]][[5月26日]]、政府([[第3次佐藤内閣 (改造)|第3次佐藤改造内閣]])提案で優生保護法の一部改正案が提出された。改正案は経済団体や宗教団体などの意向を反映したもので、以下の3つの内容であった。<br /> <br /> #母体の経済的理由による中絶を禁止し、「母体の精神又は身体の健康を著しく害するおそれ」がある場合に限る。<br /> #「重度の精神又は身体の障害の原因となる疾病又は欠陥を有しているおそれが著しいと認められる」胎児の中絶を合法化する。<br /> #[[高齢出産]]を避けるため、優生保護相談所の業務に初回[[分娩]]時期の指導を追加する。<br /> <br /> 障害者団体からは主に2が、女性団体からは主に1と3が反対の理由となった。法案は一度廃案になったが、[[1973年]]に再提出され、継続審議となった。[[1974年]]、政府は障害者の反発に譲歩し、2の条項を削除した修正案を提出し、[[衆議院]]を通過させたが、[[参議院]]では[[審議未了]]で[[廃案]]となった。<br /> <br /> 宗教団体などによる、経済的理由による中絶禁止運動はその後も続いた。[[マザー・テレサ]]は[[1981年]]、[[1982年]]と二度の来日で、中絶反対を訴えている。一方で日本母性保護医協会、日本家族計画連盟などが中絶を禁止するべきでは無いと主張し、地方議会でも優生保護法改正反対の[[請願]]が相次いで採択された。その結果、1981年([[鈴木善幸内閣]])から再度の改正案提出が検討されたが、[[1983年]]5月([[第1次中曽根内閣]])には、[[自由民主党 (日本)|自民党]][[自由民主党政務調査会|政務調査会]]優生保護法等小委員会で時期尚早との結論を出し、国会提出は断念された。<br /> <br /> ===母体保護法への改組===<br /> [[1996年]](平成8年)の法改正により、法律名が現在のものに変更されるとともに、[[人権]]上の問題のある規定で、優生学的思想に基づいて規定されていた強制断種等に係る条文が削除され、「優生手術」の文言も「不妊手術」に改められた。<br /> <br /> なお、優生保護法、母体保護法ともに、[[議員立法]]によって制定・改正が行われてきている。ただし、行政実務上の主務官庁は[[厚生労働省]](雇用均等・児童家庭局母子保健課)となっている。<br /> <br /> == 構成 ==<br /> *第1章 - 総則(第1条~第2条)<br /> :[[不妊手術]]及び[[人工妊娠中絶]]に関する事項を定めること等により、母性の生命健康を保護することを目的としていると記述されている。<br /> :旧優生保護法では、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護することを目的とすると記述されていた。<br /> *第2章 - 不妊手術(旧法では、優生手術。第3条~第13条)<br /> :旧法では、本人又は配偶者の遺伝性精神病質、遺伝性身体疾患もしくは[[ハンセン病|癩(らい)疾患]]、血族の遺伝性精神病などを理由により優生手術(断種)を行うことができた。また、特定の遺伝性精神・身体疾患に対し、医師がその疾患の遺伝を防止するため公益上必要であると判断した場合、都道府県優生保護審査会の審査を経て、(本人又は配偶者の意向に関係なく)優生手術を行うものとされた。<br /> :現法では、[[不妊手術]]は審査を受けず、本人と配偶者の同意で行えると明記され、第4条から第13条まで法文が削除されている。<br /> *第3章 - 母性保護(第14条~第15条)<br /> :第14条では、指定医師は次のいずれかに該当する者に対して、本人及び配偶者の同意を得て、[[人工妊娠中絶]]を行うことができると定めている。<br /> # 妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの<br /> # 暴行若しくは脅迫によって又は抵抗若しくは拒絶することができない間に[[姦淫]]されて[[妊娠]]したもの<br /> *第4章 - 削除(旧法では、都道府県優生保護審査会)<br /> *第5章 - 削除(旧法では、優生保護相談所)<br /> *第6章 - 届出、禁止その他(第25条~第28条)<br /> *第7章 - 罰則(第29条~第34条)<br /> *附則<br /> <br /> == 免許・資格 ==<br /> *[[母体保護法指定医師]]<br /> *[[受胎調節実地指導員]]<br /> <br /> == 表記の不一致 ==<br /> 旧法(優生保護法)時代には表記の不一致があった。<br /> *遺伝性&#039;&#039;&#039;奇型&#039;&#039;&#039;(第3条第1項第1号、第14条第1項第1号及び同第2号)⇔遺伝性&#039;&#039;&#039;畸形&#039;&#039;&#039;(第3条第1項第2号)<br /> *&#039;&#039;&#039;癩&#039;&#039;&#039;疾患(第3条第1項第3号)⇔&#039;&#039;&#039;らい&#039;&#039;&#039;疾患(第14条第1項第3号)<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> &lt;!--=== 注釈 ===<br /> {{Reflist|group=注}}--&gt;<br /> === 出典 ===<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[優生学]]<br /> * [[人工妊娠中絶]]<br /> * [[催奇性]]<br /> * [[ブルーボーイ事件]]<br /> * [[不幸な子どもの生まれない運動]]<br /> * [[少子化]]<br /> <br /> ==外部リンク==<br /> *[http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO156.html 母体保護法 総務省法令データ提供システム]<br /> *[https://www.facebook.com/神経筋疾患ネットワーク-744608398962043/ 神経筋疾患ネットワーク]<br /> *[http://www.arsvi.com/d/a08001.htm 年表:優生保護法・母子保健法・他] - [[立命館大学]]グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点 <br /> <br /> {{law-stub}}<br /> <br /> {{デフォルトソート:ほたいほこほう}}<br /> [[カテゴリ:日本の法律]]<br /> [[カテゴリ:日本の医事法]]<br /> [[カテゴリ:妊娠中絶]]<br /> [[カテゴリ:1948年の法]]<br /> <br /> [[en:Abortion_in_Japan#Law]]</div> 2400:7800:4975:9200:75C4:C94:362D:61BB 優生学 2018-08-17T08:50:48Z <p>2400:7800:4975:9200:75C4:C94:362D:61BB: /* 現在の優生学的問題 */</p> <hr /> <div>{{出典の明記|date=2015年7月}}<br /> [[Image:Eugenics congress logo.png|thumb|250px|right|『&#039;&#039;&#039;優生学は人類進化の自己決定&#039;&#039;&#039;』&lt;BR&gt;1921年開催された第2回[[:en:International Eugenics Conference|国際優生学会]]のロゴ。異なった領域の多様性を一つに統合する樹木として表現されている。&lt;ref&gt;{{cite book<br /> | last = Currell<br /> | first = Susan<br /> | coauthors = Christina Cogdell<br /> | title = Popular Eugenics: National Efficiency and American Mass Culture in The 1930s<br /> | publisher = [[Ohio University Press]]<br /> | year = 2006<br /> | location = Athens, OH<br /> | page = 203<br /> | url =<br /> | doi =<br /> | isbn = 082141691X}}&lt;/ref&gt;]]<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;優生学&#039;&#039;&#039;(ゆうせいがく、{{lang-en-short|eugenics}})は、[[応用科学]]に分類される学問の一種で、一般に「[[生物]]の[[集団遺伝学|遺伝構造]]を改良する事で[[人類]]の進歩を促そうとする科学的[[社会運動|社会改良運動]]」と定義される&lt;ref&gt;&quot;Eugenics&quot;, Unified Medical Language System (Psychological Index Terms) National Library of Medicine, 26 Sep. 2010. &lt;[http://ghr.nlm.nih.gov/glossary=eugenics]&gt;http://ghr.nlm.nih.gov/glossary=eugenics&lt;/ref&gt;。[[1883年]]に[[フランシス・ゴルトン]]が定義した[[造語]]である。<br /> <br /> 優生学は[[20世紀]]初頭に大きな支持を集めた&lt;ref name=&quot;Lynn2001&quot;&gt;{{cite book|last=Lynn|first=Richard|authorlink=Richard Lynn|title=Eugenics: a reassessment|year=2001|publisher=Praeger|location=New York|isbn=0-275-95822-1|page=18|quote=By the middle decades of the twentieth century, eugenics had become widely accepted throughout the whole of the economically developed world, with the exception of the Soviet Union.}}&lt;/ref&gt;。その最たるものが[[ナチス|ナチス政権]]による[[人種]]政策である&lt;ref&gt;Hans-Walter Schmuhl, &quot;The Kaiser Wilhelm Institute for Anthropology, Human Heredity and Eugenics, 1927-1945&quot;, Boston Studies in the Philosophy of Science Vol. 259, Wallstein Verlag, Göttengen, 2003, p. 245&lt;/ref&gt;。しかし、多くの[[倫理]]的問題を引き起こしたことから、優生学は[[人権]]問題として[[タブー]]となり、[[第二次世界大戦]]後は公での支持を失っていった。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> [[生殖]]管理により人種を改良する、という発想は、[[プラトン]]にまで遡ることもできるが、優生学の直接的な起源は、[[1865年]]の[[フランシス・ゴルトン]]の報告である。彼は従兄弟の[[チャールズ・ダーウィン]]が[[1859年]]に著した『[[種の起源]]』から影響を受けた。優生学は[[アレクサンダー・グラハム・ベル]]のような当時の有力者らによって支持された。<br /> <br /> 優生学の目的は様々であるが、「知的に優秀な人間を[[創造]]すること」、「社会的な[[資源#人的資源|人的資源]]を保護すること」、「人間の苦しみや[[健康]]上の問題を軽減すること」などが挙げられる。これらの目標を達成するための手段として、[[産児制限]]・[[人種改良]]・[[遺伝子操作]]などが提案された。この考えは、強権的な[[国家]]による[[人種差別]]と[[人権蹂躙]]、[[ジェノサイド]]に影響を与えた。<br /> <br /> [[File:Francis Galton 1850s.jpg|right|thumb|200px|[[フランシス・ゴルトン]]、最初に「優生学」の概念を展開]]<br /> <br /> [[1930年代]]、{{仮リンク|エルンスト・リューディン|de|Ernst Rüdin}}が優生学的な言説を[[ナチス・ドイツ]]の[[ナチス・ドイツ#社会政策|人種政策]]に融合させる試みを開始した。当時は、[[アメリカ合衆国]]や[[北欧]]諸国でも、同様の政策、研究が盛んに進められていた。例えば、[[カーネギー]]、[[ロックフェラー]]などの[[財閥]]系企業も、アメリカの優生学協会に資金援助を行っていた。<br /> <br /> [[第二次世界大戦]]の終結以降、優生学は、「{{仮リンク|民族衛生|en|racial hygiene}}」や「[[ホロコースト|絶滅政策]]」といったナチスによる蛮行と結びつけて認識されるようになり、廃れた。<br /> <br /> [[イギリス]]、[[北欧]]、[[日本]]などで福祉政策の一環として取り入れられていた優生学的施策も[[20世紀]]末までに撤廃されている。<br /> <br /> しかしながら、[[1990年代]]に至るまで、地方[[行政]]や[[国政]]のレベルにおいて、さまざまな優生学的施策が[[先進国|先進各国]]で実施されてきた。事例の一つとして、[[太平洋戦争]]後半世紀にわたり実施されてきた[[日本のハンセン病問題|ハンセン病患者に対する日本]]の[[無癩県運動|強制隔離政策]]がある。<br /> <br /> 優生学は、個々人が誕生以前よりその遺伝形質に規定された不平等性を有する、という「人間不平等性論」を前提として構築されている。人間を「尊厳(&lt;ruby lang=&quot;de&quot;&gt;Würde&lt;rp&gt;(&lt;/rp&gt;&lt;rt lang=&quot;ja&quot;&gt;ヴュルデ&lt;/rt&gt;&lt;rp&gt;)&lt;/rp&gt;&lt;/ruby&gt;)」においてではなく、「価値(&lt;ruby lang=&quot;de&quot;&gt;Wert&lt;rp&gt;(&lt;/rp&gt;&lt;rt lang=&quot;ja&quot;&gt;ヴェルト&lt;/rt&gt;&lt;rp&gt;)&lt;/rp&gt;&lt;/ruby&gt;)」の優劣において理解する思想を、その根底に有している。その意味では、異[[人種]]間の価値的優劣を主張する「人種主義・[[人種差別主義]]」と、同一[[民族]]内における価値的優劣を問題化する優生学は、その人間理解において思想的に通底する。<br /> <br /> == 初出と定義 ==<br /> ゴルトンは[[1883年]]、『人間の知性とその発達』の脚注において、初めて「優生学」という用語を使用している。<br /> &lt;blockquote&gt;<br /> それは、[[ギリシャ]]の「{{lang|el|εuγενεσ}}」という語に類似しており、遺伝的な {{lang|en|qualities}}(資質)を付与された種にとって有益という意味である。様々な関連する用語や「{{lang|el|εuγενεια}}」といった語は、等しく[[ヒト]]や[[動物]]、[[植物]]に対して応用されている。我々は、[[品種改良|種の改良]]の科学を表現するに簡潔な用語をことのほか好むものであり、それらは決して賢明な[[交配]]という問題に限られたものではない。しかし、取り分け人類に関して言及するならば、その語はあらゆる作用について我々に気付かせることになる。それは、程度の差こそあれ、より[[環境]]に適合した人種や[[血統]]に対し、そうでない存在に優先して、より十分な機会を即座に与える作用である。「ユージェニクス」という語はそのような概念を余すことなく表現するものであり、それはより洗練された用語であり、少なくとも、私が以前試みに使ってみた「{{lang|en|viriculture}}」という語よりは違和感がないであろう。<br /> &lt;/blockquote&gt;<br /> <br /> [[1904年]]、ゴルトンは「ユージェニクス」を次のように定義した。<br /> <br /> &lt;blockquote&gt;人種の[[先天性|先天的]]な諸特質を改善する、あらゆる様々な影響に関する科学である、そこには究極的に優れた状態へ人間を発達させることも含まれる。&lt;ref&gt;{{Cite web|last=Galton|first=Francis|authorlink=フランシス・ゴルトン|year=1904|month=7|url=http://galton.org/essays/1900-1911/galton-1904-am-journ-soc-eugenics-scope-aims.htm|title=EUGENICS: ITS DEFINITION, SCOPE, AND AIMS.|language=英語|accessdate=2009-08-27}}&lt;/ref&gt;&lt;/blockquote&gt;<br /> <br /> == 思想の発展(第二次大戦終了まで) ==<br /> === 先駆としての古代ギリシア優生思想 ===<br /> 人種改良は、少なくとも[[プラトン]]まで遡ることが可能である。彼は、人間の生殖活動は国家によって管理されるべきであると考えた、次のように記している。<br /> {{Quotation|最も優れた男性は、意図して最も優れた女を妻に娶ったに違いない。そしてその反対に、最も劣った男性についても同じことが言える|『[[国家 (対話篇)|国家]]』|プラトン}}<br /> <br /> プラトンは、選択法則に気付いて人々の心が傷つけられるのを防ぐため、偽りの[[くじ|くじ引き]]で(人為的)選択が行われるべきであると提案している。その他の古代の事例としては、虚弱な[[新生児]]を都市の外れに遺棄した[[スパルタ]]の[[スパルタ教育|伝説的な慣行]]が上げられる。このスパルタの事例については、のちに[[エルンスト・ヘッケル]]も参照している&lt;ref&gt;{{Harv|カショーリ|ガスパリ|草皆|2008|p=36}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === ゴルトンの理論 ===<br /> [[1860年代]]から[[1870年代]]にかけて、フランシス・ゴルトンは従兄弟の[[チャールズ・ダーウィン]]の『[[種の起源]]』におけるヒトと動物の進化に関する新たな理論と、[[アドルフ・ケトレー]]の「社会物理学」から影響を受け、統計学的アプローチに基づき、[[進化論]]を独自に解釈した&lt;ref&gt;{{Harv|ケヴルズ|西俣|1993}} {{要ページ番号|date=2013年9月}}&lt;/ref&gt;。ゴルトンは“[[自然選択]]のメカニズムはいかにして人間の[[文明]]によって潜在的に妨げられているか”という文脈において、ダーウィンの研究を解釈し、「多くの人間社会は経済的に恵まれない人々と弱者の保護に努めてきた。それゆえにそれらの社会は、弱者をこの世から廃絶するはずの自然選択と齟齬を来してきた」と論じた。<br /> <br /> ゴルトンは、これらの社会政策を変えることによってのみ、社会は「月並みな状態への逆戻り&lt;ref&gt;{{lang-en-short|reversion towards mediocrity}}&lt;/ref&gt;」([[統計学]]において彼が最初に作った造語である)から救出することが可能であると考えた。この語は、現在では一般に「平均への回帰&lt;ref&gt;{{lang-en-short|regression towards the mean}}&lt;/ref&gt;」という用語に置き換わっている。ゴルトンは、[[1865年]]の論文「遺伝・才能・[[性格]]」において、初めて自説を開陳し、[[1869年]]の『遺伝的天才』において、「[[天才]]」と「才能」は人間において遺伝するとした。また、「人間は動物に対して様々な形質を際立たせるために[[人為選択]]の手段を用いることが可能であり、そのようなモデルを人間に対して応用するなら、同様の結果を期待することが出来る」として、次のように述べた。<br /> <br /> &lt;blockquote&gt;人間の本性の持つ才能はあらゆる[[有機体論|有機体]]世界の形質と身体的特徴がそうであるのと全く同じ制約を受けて、遺伝によってもたらされる。こうした様々な制約にも拘らず、注意深い選択交配により、速く走ったり何か他の特別の才能を持つ[[イヌ|犬]]や[[ウマ|馬]]を永続的に[[繁殖]]させることが現実には簡単に行われている。従って、数世代に亘って賢明な[[結婚]]を重ねることで、人類についても高い才能を作り出しうることは疑いない。--ゴルトン『遺伝的天才』[[1869年]]、序文&lt;/blockquote&gt;<br /> <br /> ゴルトンは、社会は既に知的に劣った者の[[出生率]]が[[知性]]に優れた者に勝る状態(すなわちダーウィンの用語で言うところの「[[カタストロフィー理論|カタストロフィー]]」の状態)にあるとして、[[逆淘汰]]の状況に進んでいると主張した。ゴルトン自身は如何なる形での選別方法も提示することはなかったが、もし人々が子孫を残すことの重大性を認識することで社会的[[規範]]が多少なりとも変わるならば、いつの日にか解決方法が見つかるであろう、と願った。<br /> <br /> === ゴルトン以降の理論史 ===<br /> ゴルトンと彼の統計学的方法を継承した[[カール・ピアソン]]は、「優生学」に対して[[生物統計学|生物測定学]]的アプローチと呼んだものを発展させた。それは種の遺伝を記述するために新たな複雑な統計モデルを発達させたものである。<br /> <br /> しかし、[[グレゴール・ヨハン・メンデル|グレゴール・メンデル]]の遺伝法則の再発見に伴って、優生学を唱道する2つの学派が現れることになった。その1つは統計学者から、他方は生物学者から構成された。統計学者たちは、生物学者たちは粗雑な[[モデル理論|数学モデル]]しか用いないと考え、一方、生物学者たちは、統計学者たちは[[生物学]]についてほとんど知識を持たないと考えた。<br /> <br /> 優生学は、最終的には、出生率に直接影響を及ぼす研究手法を通じて、望ましい[[形質]]を持った子供を作り出すために、意図的な選択的生殖に関わっていった。<br /> <br /> 「[[社会進化論]]」は、優生学とは分岐していった。両者は知性は遺伝するという点では主張は一致するが、優生学者たちは新しい諸政策は、より「優生学的な」状況へ現状を変える必要があると主張した。他方、社会進化論者たちは、社会そのものは、もし社会[[福祉]]政策が機能しなければ(例えば、[[貧困]]者は多産であるが、[[乳幼児死亡率]]も高いといった具合に)、ゴルトンが危惧した「逆淘汰」の問題を自然に食い止めることが出来たと主張した。<br /> <br /> === フィッシャーと集団遺伝学 ===<br /> [[ロナルド・フィッシャー]]は優生学の熱心な推進者でもあり、[[1930年]]に出版された『自然選択の遺伝学的理論』では、「集団数([[個体群]])の増大が多様性を生み、それによって生存の機会の数も増大していく」と述べて後の[[集団遺伝学]]の基礎となった。さらにフィッシャーはこの考えはヒトに関しても適用できると述べ、「[[文明]]の衰退と凋落は、[[上流階級]]の生殖力の低下に帰することが出来る」とした。例証として、[[1911年]]のイギリスの[[国勢調査]]結果を基に、生殖力と[[社会階級]]とに逆関係があると述べた。そして子供の少ない家庭への補助を撤廃する一方、子沢山の家庭に対して父親の収入に比例した[[補助金]]を出すことを提案している。これに関してはフィッシャー自身が8人の子供の父親であり、その養育の負担が、彼の遺伝学・進化論的確信を深める原因の一つとする家族や友人達の証言もある。<br /> <br /> フィッシャーの理論は、[[チャールズ・ゴールトン・ダーウィン]](チャールズ・ダーウィンの孫)を初め、[[ウィリアム・ドナルド・ハミルトン]]の[[血縁選択説]]の形成にも影響を与えた。また優生学会は、[[1929年]]から[[1934年]]にかけて、優生的観点から断種法(結果的には否決されたが)の制定を求めるキャンペーンを、フィッシャーらを中心として行っている。<br /> <br /> 集団遺伝学者には、[[J・B・S・ホールデン]]、[[ハーマン・J・マラー]]などがおり、「改革派優生学」として知られる。<br /> <br /> === 優生学運動(1890年代 - 1945年) ===<br /> [[近代]]において優生学的な考え方を提唱した最初の一人に[[電話]]を発明したことで知られる[[アレクサンダー・グラハム・ベル]]がいる。[[1881年]]にベルは[[マサチューセッツ州]][[マーサズ・ヴィニヤード]]島における[[ろう者|聾者]]の人口比率を調査した結果、[[聴覚障害者|聴覚障害]]は自然に遺伝すると結論付け、聴覚障害を遺伝しない結婚を奨励した&lt;ref&gt;論文「人類の聾唖種の形成に関する記録」&lt;/ref&gt;。その他多くの初期の優生学者と同様に、彼は優生学的意図から[[移民]]の制限を提起し、「ろうあ者の寄宿学校がろうあ者の産出の場となっていると考えられる」と警告した。<br /> <br /> 優生学運動は[[アメリカ合衆国|米国]]においても盛んであった。[[1896年]]の[[コネチカット州]]を皮切りに、多くの州で優生学に基づく結婚法が立法化された。それは[[てんかん]]患者や[[知的障害者]]の結婚を制限するものであった。<br /> <br /> == 優生政策 ==<br /> 優生政策は歴史的に次の2つのカテゴリーに分けられてきた。<br /> ; 積極的優生学 : 子孫を残すに相応しいと見なされた者がより子孫を残すように奨励する。<br /> ; 消極的優生学 : 子孫を残すに相応しくないと見なされた者が子孫を残すことを防ぐ。<br /> <br /> 積極的優生学は、優れた[[形質]]を持つと思われた人間を増やすことを目的に、複数の子供を持つ優れた素質を持つ両親を表彰したり、金銭的援助を与えるという手段を採る。消極的優生学は劣った形質を持つ人間に生殖を思い留まらせるものである。<br /> <br /> 消極的優生学は必ずしも強制力を伴わない。[[国家]]は[[不妊手術]]に同意した人々に経済的な報償を提供した。だが社会的圧力([[同調圧力]])を伴ったこの報償が強制力となったとみなす論者も存在し、実際に[[断種]]や[[人種差別]]、[[ジェノサイド]]にまで発展した。積極的優生学も強制力を伴うことがあった。例えば[[適応度|健全]]な女性による[[人工中絶]]は、ナチス・ドイツにおいて非合法化された。<br /> <br /> [[20世紀]]の間に多くの国々において様々な優生的な政策と計画が策定された。それには以下を含む。<br /> * 差別的な産児制限の推進<br /> * 強制[[断種]]&lt;ref&gt;{{lang-en-short|compulsory sterilization}}&lt;/ref&gt;<br /> * 結婚の制限<br /> * 遺伝子検診<br /> * [[避妊|産児制限]]<br /> * [[移民]]の制限([[排外主義]]の煽動)<br /> * [[人種隔離]]<br /> * [[ジェノサイド|絶滅政策]]<br /> これらの政策のほとんどは、後になって強制的・制限的・大量殺戮的というイメージが付され、今日、優生学的と見なされたり、または明確に優生学的とラベルを貼られる様々な政策を実際に施行する行政主体はほとんど存在しない。しかし、現在でも産婦人科学会などにより[[遺伝カウンセリング]]などが実施され、[[リプロジェネティクス]]は国家の強制でない「リベラル優生学」ともされる。<br /> <br /> == アメリカの優生政策 ==<br /> 人種優生政策で有名なドイツよりも、アメリカの方が優生学的な政策を開始した時期が早く、また実施していた期間も長い。アメリカの優生政策がむしろドイツに影響を与えたともいわれる。しかし、ナチスのようないわゆる「積極的駆逐」(=組織的殺害)は全くおこなっていない。1930年代終わりまでに優生学運動の盛り上がりは下行期を迎え、政治的な支持を失っていった。それでも[[1960年代]]に断種の実施数においてピークを迎えるなど、[[第二次世界大戦]]後も政策は継続された。<br /> <br /> === アメリカ断種法 ===<br /> [[1907年]]、インディアナ州で世界初の断種法が制定されて以降、[[1923年]]までに全米32州で制定され、計12000件の断種手術が行われた。[[カリフォルニア州]]などでは梅毒患者、性犯罪者も対象となった&lt;ref name=&quot;関西医科大学2013/04/01&quot;&gt;[http://www3.kmu.ac.jp/legalmed/ethics/theme2.html ○優生学の錯綜] - [[関西医科大学法医学講座]]&lt;/ref&gt;。また、[[合衆国最高裁判所|連邦最高裁判所]]は[[1927年]]、[[バージニア州]]が「不適格者」と見做された人間に断種を行うことが可能とした{{仮リンク|バック対ベル裁判|en|Buck v. Bell}}に関して裁決を下した。当時、米国において優生法のもと6万4千人が強制的に断種手術を受けさせられた。アメリカではその後も[[20世紀]]の大半の期間に渡って、知的障害者に対する断種が行われた&lt;ref name=&quot;関西医科大学2013/04/01&quot; /&gt;。<br /> <br /> === 優生記録所(1910) ===<br /> [[1898年]]、米国の著名な生物学者である[[チャールズ・ダベンポート|チャールズ・B・ダベンポート]]は[[コールド・スプリング・ハーバー研究所|コールド・スプリング・ハーバー]]生物学研究所所長として植物と動物の進化に関する研究を開始した。<br /> <br /> [[1904年]]、ダベンポートは実験的進化を目的とした研究所の創設のために[[カーネギー財団]]から資金援助を受け、カーネギー研究所のなかに実験進化研究所を設立した。[[1910年]]に同研究所の付属施設として{{仮リンク|優生記録所|en|Eugenics Record Office}}が開設され、ダベンポートと{{仮リンク|ハリー・H・ラフリン|en|Harry H. Laughlin}}は優生学の普及を開始した。<br /> <br /> 翌[[1911年]]の著作『人種改良学』&lt;ref&gt;原題「{{lang|en|Heredity in Relation to Eugenics}}」&lt;/ref&gt;はアメリカ優生学史上に残る仕事であり、大学教科書として使用された&lt;ref&gt;1920年代から40年代にかけて多くの高校と大学の教科書においては人々に対する優生学的諸法則を応用することから得られる様々な科学的進歩を喧伝する章立が見られた。また初期の科学雑誌には遺伝関連の記事が多く掲載された。雑誌の編集者には優生学者がおり、優生学の特集記事を掲載することもあった。&lt;/ref&gt;。翌年ダベンポートは[[米国科学アカデミー]]の会員に選出された。<br /> <br /> 「優生記録所」は数年間に渡って膨大な量の家系図を収集し、不適者達の存在は経済的かつ社会的に劣悪な背景が遠因となっていると結論付けた。ダベンポートや[[心理学]]者の{{仮リンク|ヘンリー・H・ゴダード|en|Henry H. Goddard}}、自然保護論者の{{仮リンク|マディソン・グラント|en|Madison Grant}}などの優生学の信奉者達は、「不適格者」の問題への解決について様々なロビー活動の展開を開始した。ダベンポートは最優先事項として移民制限と断種に賛意を表した。ゴダードは自著『[[カリカック家]]』([[1912年]])において人種隔離を主張し、グラントはこれら全てのアイデアに賛意を表し、かつ絶滅計画も示唆していた。<br /> <br /> ダベンポートは、[[1929年]]の著作『ジャマイカにおける混血』&lt;ref&gt;{{lang-en-short|Race Crossing in Jamaica}}&lt;/ref&gt;において、黒人と白人の間で生まれた混血の子供は生物学的にも文化的にも劣っているという統計学的な証拠が示されたとした。これは今日では科学的人種差別と見なされ、また当時も[[トーマス・ハント・モーガン]]などから批判された。さらにダベンポートは、[[ナチス・ドイツ]]の研究所とつながりがあり、ドイツの2つの学術誌([[1935年]]創刊)の編集委員や、[[1939年]]には劣等人種の隔離政策にかかわった{{仮リンク|オットー・レーヒェ|de|Otto Reche}}に対する記念論文集に寄稿している&lt;ref&gt;{{lang|de|Kühl, S}}、「{{lang|en|The Nazi Connection; Eugenics, American Racism, and German National Socialism}}」(オックスフォード/ニューヨーク、O.U.P.、1994年)&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === ポパノウ報告書 ===<br /> 群を抜いて多数の強制的な断種手術が実施された[[カリフォルニア州]]の断種手術に対し、生物学者{{仮リンク|ポール・ポパノウ|en|Paul Popenoe}}が好意的な報告書を出版した。この報告はナチスドイツにも影響を与えた&lt;ref&gt;この報告はナチス政府によって、それらの広範な断種計画は実行可能であり、かつ[[人道]]に適ったものであるという証拠として広く引用された&lt;/ref&gt;。[[第二次世界大戦]]後、[[ニュルンベルク裁判|ニュルンベルク戦犯法廷]]に引き出されたナチスの行政官達は、米国の事例を引用することで、ナチス政権による大規模な断種計画(10年に満たない期間に45万人が手術を受けさせられた)は異常なことではなく、国際的には一般的であったとして、正当性を主張した。<br /> <br /> === 移民法(1924) ===<br /> [[1924年]]、アメリカで移民法(いわゆる[[排日移民法]]&lt;ref&gt;国外から流入する「不適格者」達の数を制限するために制定されたものであり、前年比で15 %移民の数を減少させた。&lt;/ref&gt;)が議会を通過した。このことは優生学者たちにとっては、[[東ヨーロッパ]]と[[南ヨーロッパ]]からやって来る「劣った血統」の脅威に関する議会の討論において専門職顧問として中心的な役割を果たす最初の機会であった。この新法は[[遺伝子プール]]を維持するための試みであり、既存の人種間の交配を禁ずる様々な法を強化したものであった。優生学的な考え方は米国の多くの州で導入されている[[近親相姦|近親姦]]を禁ずる様々な法律の背後に基礎を置くものであり、そしてそれは多くの[[白人]]と[[有色人種]]間の[[混血]]を禁ずる法律を正当化するために用いられた。<br /> <br /> [[スティーヴン・ジェイ・グールド]]らは、米国において[[1920年代]]に成立し[[1960年]]に大幅な改正を受けた[[移民]]制限が、自然の遺伝子プールから「劣った」人種を排除することを意図した優生学的目標によって動機付けられたものであったと主張している&lt;ref&gt;スティーヴン・ジェイ・グールド『人間の測りまちがい』河出書房新社&lt;/ref&gt;。20世紀初頭、米国とカナダは、南欧と東欧から膨大な量の移民を受け入れるようになった。{{仮リンク|ロスロップ・スタッダード|en|Lothrop Stoddard}}や{{仮リンク|ヘンリー・ラフリン|en|Harry H. Laughlin}}&lt;ref&gt;[[1920年]]の移民と[[帰化]]に関する下院委員会に対する専門参考人として指名された&lt;/ref&gt;の様な影響力を持った優生学者たちは、もしこの先移民が制限されないとするならば、国の遺伝子プールを汚染することになる劣等人種が国中に満ち溢れることになる、とする議論を立ち上げた。これらの議論によってカナダと米国は民族間の序列化を行う様々な法の立法化へと向かうことになった。<br /> <br /> これらの法律では最上位に[[アングロ・サクソン]]と[[北方人種|スカンジナビア人]]が位置付けられ、下に向かって事実上移民から完全に閉め出された[[日本人]]と[[中国人]]に至る[[格付け]]が行われた。<br /> <br /> 他方、移民制限政策は多量の外国人の流入に対する国の[[文化]]的健全さを維持する欲求に動機付けられたものであるとする見解もある&lt;ref&gt;フランツ・サムエルソン、マーク・シュナイダーマン、{{仮リンク|リチャード・ヘアンスタイン|en|Richard Herrnstein}}らによる、移民政策に関する議事録調査より。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === アメリカ優生学協会 ===<br /> [[1926年]]には[[ハリー・クランプトン]]、[[ハリー・H・ローリン]]、[[マディソン・グラント]]、[[ヘンリー・フェアフィールド・オズボーン]]などによって、[[アメリカ優生学協会]]が創設された&lt;ref&gt;{{Harv|カショーリ|ガスパリ|草皆|2008}} {{要ページ番号|date=2013年9月}}&lt;/ref&gt;。[[1926年]]から[[1994年]]までの20世紀後半期の著名な会員には[[状況倫理]]の創始者の{{仮リンク|ジョーゼフ・フレッチャー|en|Joseph Fletcher}}、[[プロクター・アンド・ギャンブル|P&amp;G]]財団の{{仮リンク|クラレンス・ギャンブル|en|Clarence Gamble}}博士、[[産児制限]]の提唱者で『[[コモンズの悲劇|共有地の悲劇]]』の著者の[[ギャレット・ハーディン]]らが含まれる。<br /> <br /> === 産児制限 ===<br /> 一般的に優生学の概念に同意しない立場においても優生学的立法は依然として公益性を有すると主張している人々が存在した一例として、{{仮リンク|米国産児制限協会|en|Planned Parenthood}}創立者の[[マーガレット・サンガー]]は優生学に基づいて、[[産児制限]](バース・コントロール)運動を展開した&lt;ref&gt;{{Harv|カショーリ|ガスパリ|草皆|2008}} {{要ページ番号|date=2013年9月}}&lt;/ref&gt;。当時優生学は科学的かつ進歩的な思想であり、人間の生命の領域に、産児に関して科学的な知見を応用するものであると多くの人々から理解されていた。[[第二次世界大戦]]の強制絶滅収容所以前、優生学が[[ジェノサイド]]に繋がる恐れがあるとする考え方は真剣には受け取られなかった。<br /> <br /> == 欧州における優生政策 ==<br /> === ナチスドイツにおける優生政策 ===<br /> ナチスドイツの最高指導者であった[[アドルフ・ヒトラー]]は優生学の信奉者であり、「[[ドイツ人#「民族」としてのドイツ人|ドイツ民族]]、即ち[[アーリア人|アーリア系]]を世界で最優秀な民族にするため」に、「支障となる[[ユダヤ人]]」の絶滅を企てた([[ホロコースト]])以外に、長身・[[金髪]][[碧眼]]の[[結婚適齢期]]の男女を集めて強制的に結婚させ、「ドイツ民族の[[品種改良]]」を試みた。[[民族衛生]]の旗の下に実施された様々な優生計画を通して、純粋ゲルマン民族を維持する試みが行われた。つまり、強制断種と強制結婚を両用したのが、ナチスドイツである。<br /> <br /> [[1930年代]]、{{仮リンク|エルンスト・リューディン|de|Ernst Rüdin}}が優生学的な言説をナチスドイツの[[ナチス・ドイツ#社会政策|人種政策]]に融合させる試みを開始し始めた。<br /> <br /> ; 人体実験<br /> : [[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス政府]]は、自らの遺伝理論を[[検証]]するために様々な[[人体実験]]を行った。それは単純な身体的特徴の測定から、[[ヨーゼフ・メンゲレ]]が[[オトマー・フライヘル・フォン・フェアシューアー]]に対して[[強制収容所 (ナチス)|強制収容所]]で行わせた[[双生児]]への驚愕すべき実験まで広範に渡るものである。<br /> ; [[T4作戦]]<br /> : [[1933年]]から[[1945年]]まで、ナチス政府は、精神的または肉体的に「不適格」と判断された数十万の人々に対して強制[[断種]]を行い、強制的[[安楽死]]計画によって施設に収容されていた数万の人々を殺害した([[T4作戦]])。<br /> ; レーベンスボルン(生命の泉)計画<br /> : ナチス政府は「積極的優生政策」をも実施し、多産の[[アーリア民族]]の女性を表彰し、また「[[レーベンスボルン]](生命の泉)計画」によって「人種的に純粋」な独身の女性が[[親衛隊 (ナチス)|SS(ナチス親衛隊)]]の士官と結婚し、子供をもうけることを奨励した。<br /> <br /> ナチス政府による優生学や民族浄化への関心は、[[ホロコースト]]計画を通して[[ユダヤ人]]・[[ロマ]]・[[性的指向|同性愛者]]を含む数百万の「不適格」なヨーロッパ人を組織的・大量に殺戮する形となって現れた。そして、絶滅収容所において、殺害に使われた多数の装置や殺害の方法は、安楽死計画においてまず最初に開発されたものであった。ナチス政府の下で、優生学といわゆる「民族科学」の[[修辞技法|レトリック]]が強引に推し進められていったのと時を合わせ、ドイツ優生計画に伴うその範囲と強制は、第二次世界大[[戦後]]の優生学と[[ナチスドイツ]]の間の、消せない文化的連関を作り出していったのである。<br /> <br /> === イギリス優生学協会 ===<br /> ゴルトンはイギリスで[[優生学教育協会]]を[[1907年]]に創設した。ゴルトンの死後、[[1912年]]には第一回国際優生学会議が開催された&lt;ref&gt;{{Harv|カショーリ|ガスパリ|草皆|2008}} {{要ページ番号|date=2013年9月}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === その他ヨーロッパ諸国の優生政策 ===<br /> 優生法は、ほとんど全ての[[反カトリック主義|非カトリック]]の[[西ヨーロッパ]]諸国によっても採用された。<br /> * [[1933年]]、[[ドイツ]]において、遺伝的かつ矯正不能の[[アルコール依存症]]患者、[[性犯罪]]者、[[精神障害]]者、そして[[遺伝子疾患|子孫に遺伝する治療不能の疾病]]に苦しむ患者に対する強制断種を可能とする法律が立法化された。<br /> * [[スウェーデン]]政府は40年の間に優生計画の一環として6万2千人の「不適格者」に対する強制断種を実行している&lt;ref&gt;[http://century.guardian.co.uk/1930-1939/Story/0,6051,126942,00.html スウェーデン政府は40年の間に優生計画の一環として6万2千人の「不適格者」に対する強制断種を実行している]&lt;/ref&gt;<br /> * 同様に[[カナダ]]・[[オーストラリア]]・[[ノルウェー]]・[[フィンランド]]・[[デンマーク]]・[[エストニア]]・[[スイス]]・[[アイスランド]]で政府が知的障害者であると認定した人々に対して強制断種が行われた。[[カナダ]]と[[スウェーデン]]においては、1970年代に至るまで、他の医療行為と同様に精神障害者に対する強制断種を含む大規模な優生学プログラムが実行され続けた。スイスでは、精神病患者などの強制的な堕胎、不妊手術が1981年まで続いた&lt;ref&gt;{{cite news |title=スイスの暗い過去 強制的に親から引き離された被害者が語る |newspaper=[[スイス放送協会]] |url=http://www.swissinfo.ch/jpn/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%9A%97%E3%81%84%E9%81%8E%E5%8E%BB-%E5%BC%B7%E5%88%B6%E7%9A%84%E3%81%AB%E8%A6%AA%E3%81%8B%E3%82%89%E5%BC%95%E3%81%8D%E9%9B%A2%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E8%A2%AB%E5%AE%B3%E8%80%85%E3%81%8C%E8%AA%9E%E3%82%8B/40643978 |accessdate=2014-9-14|date=2014-9-12 }}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 日本における優生学 ==<br /> * [[1872年]]([[明治]]5年)、[[高杉晋作]]の義弟である[[南貞助]]が海外遊学中に日本人種改良論者になり、やがて英国女性のライザ・ピットマンと「日英[[混血]]児を得る」ことを目的に結婚をした事例がある&lt;ref&gt;[[小山騰]]『国際結婚第一号・明治人たちの雑婚事始』講談社選書メチエ。[http://www.bekkoame.ne.jp/~hujino/no45/45_006.html]&lt;/ref&gt;。ライザが日本での生活に馴染めず、人種改良のための結婚生活は失敗に終わったという。<br /> * [[1884年]](明治17年)、『[[時事新報]]』社説記者の[[高橋義雄 (茶人)|高橋義雄]]は『日本人種改良論』を出版し、日本人と西洋人の雑婚([[国際結婚]])により優れた子孫を残し日本人種を改良できると主張した&lt;ref&gt;{{Cite book|和書|author=高橋義雄|authorlink=高橋義雄 (茶人)|year=1884|month=9|title=日本人種改良論|publisher=石川半次郎|id={{近代デジタルライブラリー|832935}}|ref=}}&lt;/ref&gt;。<br /> * 日本への優生学の影響は20世紀初頭には既に現れた。雑誌『人性』([[1905年]](明治38年) - [[1918年]]([[大正]]7年))に欧米優生学(民族衛生学)の紹介が見られる。<br /> * [[1910年代]]には、[[海野幸徳]]『日本人種改造論』[[1910年]](明治43年)&lt;ref&gt;{{Cite book|和書|author=海野幸徳|authorlink=海野幸徳|origdate=1910-06-09|date=1911-06-08|title=日本人種改造論|edition=訂正増補改版|publisher=冨山房|id={{近代デジタルライブラリー|1230017}}}}&lt;/ref&gt;&lt;ref name=&quot;不二出版2000a&quot;&gt;{{Cite book|和書|year=2000|month=9|title=性と生殖の人権問題資料集成 編集復刻版|volume=第15巻|publisher=不二出版|isbn=4-8350-1354-9|url=http://www.fujishuppan.co.jp/books/women/%e6%80%a7%e3%81%a8%e7%94%9f%e6%ae%96%e3%81%ae%e4%ba%ba%e6%a8%a9%e5%95%8f%e9%a1%8c%e8%b3%87%e6%96%99%e9%9b%86%e6%88%90%e3%80%80%ef%bc%881875%ef%bd%9e1953%ef%bc%89%e3%80%80%e5%85%a835%e5%b7%bb%ef%bd%a5/}} - 収録:海野幸徳『日本人種改造論』、沢田順次郎『民種改善 模範夫婦』&lt;/ref&gt;、[[澤田順次郎]]『民種改善 模範夫婦』([[1911年]](明治44年))&lt;ref&gt;{{Cite book|和書|author=沢田順次郎 |authorlink=沢田順次郎 |year=1911|title=民種改善 模範夫婦|publisher=啓成社|id={{近代デジタルライブラリー|1054528}}}}&lt;/ref&gt;&lt;ref name=&quot;不二出版2000a&quot; /&gt;、[[氏原佐蔵]]『民族衛生学』([[1914年]](大正3年))&lt;ref name=&quot;不二出版2000b&quot;&gt;{{Cite book|和書|year=2000|month=9|title=性と生殖の人権問題資料集成 編集復刻版|volume=第16巻|publisher=不二出版|isbn=4-8350-1355-7|url=http://www.fujishuppan.co.jp/books/women/%e6%80%a7%e3%81%a8%e7%94%9f%e6%ae%96%e3%81%ae%e4%ba%ba%e6%a8%a9%e5%95%8f%e9%a1%8c%e8%b3%87%e6%96%99%e9%9b%86%e6%88%90%e3%80%80%ef%bc%881875%ef%bd%9e1953%ef%bc%89%e3%80%80%e5%85%a835%e5%b7%bb%ef%bd%a5/}} - 収録:氏原佐蔵『民族衛生学』&lt;/ref&gt;が書かれた。<br /> * [[1916年]](大正5年)に[[保健衛生調査会]]が[[内務省 (日本)|内務省]]に設置され、[[日本のハンセン病問題|ハンセン病者への隔離]]を実施し、断種政策とも関連が深い[[s:癩予防法|癩予防法]]の制定へ向けて政府関係者自らが「民族浄化」を叫ぶなどした。<br /> * [[1919年]](大正8年)には[[市川源三]]を中心に[[大日本優生会]]も結成された。<br /> * [[1924年]](大正13年)には、[[後藤龍吉]]を主幹として雑誌『ユーゼニクツス』(のち『優生学』)が刊行された。<br /> * [[池田林儀]]は[[1920年]](大正9年)から[[1924年]](大正13年)にドイツで[[ワンダーフォーゲル]]や民族優生学に影響され[[1926年]](大正15年)に[[日本優生運動協会]]を設立、雑誌『優生運動』も創刊した。<br /> * [[1930年]]([[昭和]]5年)には、[[永井潜]]を中心に[[日本民族衛生学会]]が結成された。これまでにない大規模な優生学者の団体である。『[[民族衛生]]』を刊行し、形態を変えつつも現在にいたっている。この団体は通俗講演会も積極的に行ったほか、優生結婚相談所の開設や映画『結婚十字街』の製作など注目すべき事業も行っている。また[[アイヌ]]の調査も有名である。<br /> * [[1938年]](昭和13年)[[戦争]]に対応するため[[厚生省]]が作られ、予防局優生課が『民族優生とは何か』など優生政策をすすめた。<br /> * [[1940年]](昭和15年)、[[人工妊娠中絶]]条項は国会の反対で大幅に修正されたものの、遺伝性精神病などの断種手術などを定めた[[国民優生法]]が公布された。この法による断種手術は[[1941年]](昭和16年) - [[1947年]](昭和22年)で538件だった。しかし厚生省の意図とは異なり、当時の「産めよ殖やせよ国のため」の[[国策]]に加えて、[[天皇]]を中心とする家族的な国家観が強制断種と馴染まなかったなどの理由から、優生的な政策は必ずしも実効を結ばなかったとされる。<br /> <br /> === 優生保護法 ===<br /> 日本において優生学的な[[イデオロギー]]が政策的に色濃く反映され、実効されたのはむしろ戦後の[[1948年]](昭和23年)に成立した[[優生保護法]]の施行の後である。<br /> <br /> [[日本社会党]]は[[福田昌子]]、[[加藤シヅエ]]、[[太田典礼]]を中心に[[1947年]](昭和22年)「優生保護考案」を第二回国会に上程したが、[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]との折衝に時間をとられ、国会で十分な審議がなされないまま廃案となった。<br /> <br /> [[優生保護法]]([[1948年]](昭和23年))は、優生学的見地からの強制断種が強化される原因になったことでも特筆される。元[[日本医師会]]会長でもある[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]の[[谷口弥三郎]]参議院議員を中心とした超党派による[[議員立法]]で提案された同法は、当時必須とされた日本の人口抑制による民族の逆淘汰を回避することを提案理由として、子孫を残すことが不適切とされる者に対する強制性を増加させたものとなった。<br /> <br /> 同法は、[[らい予防法]]で[[ハンセン病]]を新たに断種対象としたほか、[[1952年]](昭和27年)の改正の際、新たに遺伝性疾患以外に、精神病([[精神障害]])、精神薄弱([[知的障害]])も断種対象とした。[[1952年]](昭和27年)から[[1961年]](昭和36年)の間にの医師申請の断種手術件数は約1万6,000人に行なわれた。またあわせて遺伝性疾患による中絶も年に数千件あった。これを消滅させるべく、[[1997年]](平成9年)に法改正がなされ、名称も[[母体保護法]]と変更された。<br /> <br /> === 反対 ===<br /> [[神道]]家の[[曽和義弌]]は、[[1940年]](昭和15年)に「民モ昔ニ遡レバ神ノ御末デアル、ソレヲ断種スルト伝フコトハ、……徹頭徹尾猶太〔ユダヤ〕思想デアル」と発言して[[神国思想]]から反対した(1940年、昭和15年3月13日、衆議院)&lt;ref&gt;{{Cite journal|和書|author=[[廣嶋清志]]|year=1981|month=10|title=現代日本人口政策史小論(2)|journal=人口問題研究|page=73|publisher=日本生物学会|url=http://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/14193604.pdf|format=PDF}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ==その他地域の優生政策==<br /> === 中国 ===<br /> [[中華人民共和国]]では「優生優育」政策({{簡体字|优生优育}})と呼ばれる障害者の出生率を抑制する優生学的国家政策が行われてる&lt;ref&gt;{{cite web |title= 日中韓の大学生 「生命の選別」への意識に大きな差 |publisher=[[岡山大学]]|url=http://www.okayama-u.ac.jp/tp/release/release_id245.html| accessdate=2017-11-01 }}&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;{{cite news |title=中韓で熱を帯びる優生思想 6割超「精子バンク使っても優秀な子を」 ||newspaper=[[産経新聞]]|url=http://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/141124/lif14112412000003-n1.html|date=2014-11-25|accessdate=2017-11-01 }}&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;{{cite news |title= [[エキサイト]] |webcite=人口自然増加率1%、過去30年で3億人抑制 |url=http://www.excite.co.jp/News/chn_soc/20080613/Searchina_20080613008.html|date=2008-06-13|accessdate=2017-11-01 }}&lt;/ref&gt;。[[一人っ子政策]](計画生育政策)の柱の1つは「優生」(健康で優れた子供を生む)である。中国優生優育協会&lt;ref&gt;{{cite web |title= 中国优生优育协会 |webcite=中華人民共和国国家衛生与計画生育委員会 |url=http://www.moh.gov.cn/wsb/shtt/201205/48790.shtml| accessdate=2017-11-01 }}&lt;/ref&gt;、中国優生科学協会&lt;ref&gt;{{cite web |title= 中国优生科学协会 |webcite=中華人民共和国国家衛生与計画生育委員会会 |date=2012-05-07 |url=http://www.nhfpc.gov.cn/zhuz/shtt/201304/e3a6d231aa7841c0a421e4251ea475d4.shtml| accessdate=2017-11-01 }}&lt;/ref&gt;が中国政府の下でこの政策を支える社会団体(日本の[[独立行政法人]]や[[外郭団体]]に近い)として設立されてる。<br /> <br /> === インド ===<br /> [[ヒンドゥー至上主義]]政党の中で最も過激として知られる[[シヴ・セーナー]]が、[[カースト制度]]最上位階層の多くを占めると言われるアーリア系について優生学的擁護を訴える政策をしばしば提言し、じわじわと支持を広げている。<br /> <br /> == 第二次大戦後の優生学 ==<br /> [[ナチス・ドイツ]]の経験の後、「民族衛生」と社会の成員として「不適」に関する多くの概念は政治家や科学界のメンバーによって公には放棄された。ナチ指導者に対する[[ニュルンベルク裁判]]はナチス政権のジェノサイドの実施を世界に明らかにした。この裁判は結果として医療倫理の方針が制定され、それは[[1950年]]の[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の『人種主義否定宣言』に結び付いていった。しかし多くの科学者の社会集団は、数年間に渡って類似の「人種的主張」を行い続けた。<br /> <br /> 第二次世界大戦の間に起こった、様々な[[虐待]]に応える形で「[[世界人権宣言]]」が起草され、[[1948年]]に[[国際連合]]に採択され「人種・国籍・宗教を問わずあらゆる人々が[[結婚]]と家庭を持つ権利を持っている」ことが定められた。優生学は遍く批判の対象となっていった。戦前の優生学者達の多くは、後世において「秘密結社の優生学」と命名された仕事に従事した。戦後彼らは意図的に自分たちの優生学的考えを秘匿し、[[人類学者]]や[[生物学者]]・[[遺伝学者]]として高名を博すようになっていった。米国の[[ロバート・ヤーキーズ]]やドイツの[[オトマー・フライヘル・フォン・フェアシューアー]]、また[[1950年代]]に[[結婚相談所]]を開設したカリフォルニアの優生学者の[[ポール・ポッペナー]]などが有名である&lt;ref&gt;それは「適切な」恋人同士の「健全な結婚」を後押しするという、彼の優生学的な関心が実を結んだ事業であった&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 優生学に批判的な見方が主流となった後では、教科書や雑誌において優生学に関する記事は掲載されることはなくなった。たとえば『優生学季報』&lt;ref&gt;{{lang-en-short|Eugenics Quarterly}}&lt;/ref&gt;は[[1969年]]に『社会生物学』&lt;ref&gt;{{lang-en-short|Social Biology}}&lt;/ref&gt;と改名された。<br /> <br /> == 現在の優生学的問題 ==<br /> 古典的優生学は今日では{{いつ|date=2018年8月}}[[疑似科学]]とみなされ{{誰|date=2018年8月}}、これを積極的に研究する学者も見られない。<br /> <br /> 優生学の事例として、競馬に使われる馬([[サラブレッド]])や、農業分野で行われる[[育種学]]があげられるが、あくまで限られた環境で、限られた遺伝子プールにおける[[表現型]]の、限られた情報を見ている結果にすぎず、これを人間の肉体や精神の改良へと飛躍させるのは根拠が薄いと考えられてきた。<br /> <br /> しかし、2000年代に[[ヒトゲノム]]が解明された事によって、再び優生学的なヒト遺伝子の選抜が論じられるようになり、新たな優生学が誕生しつつある。例えば、[[デオキシリボ核酸]]を用いた遺伝子診断サービスなどが商業化され、自己責任においてそれを利用するなど、個人レベルでの優生思想が、現実問題として現れてきた。今後は、この様な新しい優生学の、倫理問題について考えていく時代となっている。<br /> <br /> [[2000年]]に採択された[[国連ミレニアム宣言]]は、こうしたヒトゲノムや生物工学の倫理的配慮を要請し、同年に[[欧州連合]]が採択した[[欧州連合基本権憲章]]では、人の選別を目的とした優生学的措置を禁止している&lt;ref&gt;[[欧州連合基本権憲章]]、第3条第2項&lt;/ref&gt;。また[[障害者権利条約]]も、第10条に[[障害者差別]]のない[[生存権]]&lt;ref&gt;[[障害者権利条約#第10条 生命の権利]]&lt;/ref&gt;、第15条に医学的実験の禁止、第17条に不可侵性の権利を掲げ&lt;ref&gt;[[障害者権利条約#第17条 個人のインテグリティの保護]]&lt;/ref&gt;、[[障害者]]に対する優生学的措置を否定している。<br /> <br /> ===出生前診断〜「自発的優生学」===<br /> 遺伝的な優劣という意味での優生学を、社会制度的に法制化している国はない。しかし現在では、着床前診断、及び出生前診断などにより、出生以前に先天的異常を発見できる技術が構築されている(→[[出生前診断]])。出生前に胎児の障害や病気が確認された場合の選択的[[妊娠中絶|堕胎]]が、優生学的圧力によって行われるのか、あくまで親の自己決定で行われているのか、判断が難しい事例が増加している。優生学的な考え方は、公共の利益を追求した古典的優生学と、個人の権利を追求した自発的優生学という、新しい議論の段階に入ってきており、決して過去のものとなったわけではない。<br /> <br /> ===遺伝子工学・ヒトゲノム===<br /> [[遺伝子工学]]の発達や[[精子銀行]]の登場によって、優生学思想が別の面で復活するのではないかと危険視されている。(→[[デザイナーベビー]]参照)<br /> <br /> 例えば、[[カール・セーガン]]は、人類が[[ヌクレオチド]]を自由に並べ替えられるようになり、望み通りの特質をもった人間を作り出せるようになるだろうが、そのような未来は不安なものだと述べている&lt;ref&gt;カール・セーガン『COSMOS』上巻63頁 [[木村繁]]訳、[[朝日新聞出版]]、2013年6月&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ヒトゲノム計画&lt;ref&gt;[http://www3.kmu.ac.jp/legalmed/ethics/index.html 関西医科大学生命倫理学資料]&lt;/ref&gt;によって、ヒトの全ての塩基配列が明らかになり、重篤な[[遺伝病]]を惹き起こす遺伝子以外にも、病気と関連性のある遺伝子が発見された。しかしながら、関連性の詳細が明らかになるにつれ、単一の遺伝子が病気に及ぼす影響は部分的であり、一般的には生活環境等といった後天的要素の影響が、病気の発現に寄与していると判明してきた。また、ヒトゲノム計画によって明らかにされたのは、膨大な遺伝子の組み合わせであり、さらにそれまでは意味のない配列だと思われていたものが、[[ノンコーディングRNA]]として、遺伝子制御に重要な役割を果たしている事が判明するなど、古典的な遺伝子と形質が1対1の対応で遺伝するイメージとは、かけ離れた仕組みになっている事である。<br /> <br /> ;遺伝と学力<br /> :[[教育心理学]]の研究では、[[慶應義塾大学]][[文学部]]人文社会学科人間関係教授の[[安藤寿康]]が、約7000組の双子を対象に「遺伝」と「環境」の影響を調査した。この研究では、性格や能力、学力などが遺伝によって、有意な差がある事が分かってきた。同時に、環境による影響も大きい事が明言されており、遺伝はあくまで部分的な寄与であるとしている。<br /> <br /> ===リプロジェネティクス===<br /> 「優生学」という用語は多様な社会的文脈で用いられ、様々な論議を引き起こしてきた。それは多くの場合20世紀前半に大きな影響力を示した[[社会運動]]であり[[社会政策]]に関係して用いられてきた。歴史的そして広義の意味において、優生学は「人間の様々な遺伝的特性を改良」する研究としても認知されていた。時には「遺伝子プール」の改善といったより広義の人為的な活動を説明する場合に用いられることもある。現代の{{仮リンク|リプロジェネティクス|en|reprogenetics}}・予防的中絶・[[デザイナーベビー]]は、[[古代]]社会における[[幼児殺害]]と同様の形式として優生学として認識されている。<br /> <br /> ===倫理学での議論===<br /> 優生学の掲げる{{仮リンク|規範的な到達点|en|normative}}と、それが{{仮リンク|科学に基づいた人種主義|en|scientific racism}}に結びついている事実によって、学究の世界では優生学と言う用語から一線を画すようになっている。また、優生学のいう「改良の対象を定義すること」や「何が役に立つかという判断を行うこと」は、究極的には経験的な科学の観察の問題よりはむしろ[[文化]]的な意味での選択であり、優生学は多くの人々によって疑似科学であると見なされてきた。このことは[[遺伝学]]の発展に対しても同様である。しかし社会政策としての{{仮リンク|自由主義的な優生学|en|liberal eugenics}}の提唱に対する支持的な意見は、かなりの数で顕在している。<br /> <br /> [[遺伝子工学]]への応用可能性についての最新の調査成果が発表されるにつれて、[[生命倫理学]]についての議論において、優生学の歴史を訓戒的な物語として引き合いに出す機会がますます増えつつある。その一方、「非強制的な優生学的プログラムでさえ本質において倫理にもとるものであるのか」という問いかけを行う[[倫理学]]者もいる。<br /> <br /> 優生学についての議論で最も中心的課題となったのは「何が有用な特性」で、「何が劣っているそれ」かといった「人間の遺伝子プールの改良」についての定義付けの問題であった。当然の如く、優生学についてのこの解釈は歴史的に「科学に基づいた人種主義」の色彩を帯びていた。<br /> <br /> 初期の優生学は一般的に[[階級|社会階級]]に強い相関があると見なされていた[[知能]]の因子に結び付けられた。多くの優生学者たちは人間の社会の改善に対する類推として動物の[[品種改良]]&lt;ref&gt;そこでは{{仮リンク|純血種|en|Purebred}}を得ようと懸命の努力が払われていた&lt;/ref&gt;から着想している。[[混血|異人種間の婚姻]](特に白人と有色人種について)は一般的に[[大量虐殺|民族純化]]の文脈において避けるべきことと考えられてきた。当時、科学的見地からの支持を取り付けたその種の考え方は、今日の発展した「[[遺伝学]]」においてもなお議論を引き起こす課題として存続しているのである。<br /> <br /> 優生学はまた[[血友病]]、[[ハンチントン病]]のような[[遺伝病]]の根絶とも深いつながりを持ってきた。遺伝的欠陥のような要素を根拠に、社会的に差別的に扱う問題は、現在も存在する。<br /> * 何が劣っていて、何が劣っていないかに関する科学的なコンセンサスは存在しないし、それは社会または個人の選択を超えた問題である。<br /> * ある条件において劣っていると見なされるものは、別の条件では劣っているとは言えない。例えば[[マラリア|マラリア病原虫]]や[[結核|結核菌]]に対する抵抗を示す[[遺伝子]]は、[[ヘテロ接合型]]である場合には病気に対する抵抗性を持つ働きをするが、[[ホモ接合型]]である場合には[[鎌状赤血球症]]や[[テイ=サックス病]]を引き起こすという事例がそうである。<br /> * 障害を抱えながら成功する人は少なくない。<br /> * [[ペラグラ|ニコチン酸欠乏症]]や[[ハンセン病]]など、初期の優生学が遺伝として見なした症状の多くは、現在では完全または部分的に遺伝以外の原因で起こることが判明している。<br /> {{仮リンク|先天性疾患|en|Prenatal diagnosis}}を予測するための[[出生前診断]]が結果的に[[人工妊娠中絶]]に結び付く場合([[着床前診断]]の項を参照)同様の懸念が起こってくるのである。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{Reflist|2}}<br /> <br /> == 関連文献 ==&lt;!--著作者名の50音順--&gt;<br /> {{参照方法|date=2011年7月|section=1}}<br /> *{{Cite book|和書|author=[[マーク・B・アダムズ]] 編著|others=[[佐藤雅彦]] 訳|year=1998|month=7|title=比較「優生学」史 独・仏・伯・露における「良き血筋を作る術」の展開|publisher=現代書館|isbn=4-7684-6734-2|ref={{Harvid|アダムズ|佐藤|1998}}}} - 原タイトル:&#039;&#039;[[#CITEREFAdams1990|The Wellborn science]].&#039;&#039;<br /> *{{Cite book|和書|author=[[リッカルド・カショーリ]]|coauthors=[[アントニオ・ガスパリ]]|others=[[草皆伸子]] 訳|year=2008|month=8|title=環境活動家のウソ八百|series=洋泉社新書y|publisher=洋泉社|isbn=978-4-86248-309-6|ref={{Harvid|カショーリ|ガスパリ|草皆|2008}}}} - 原タイトル:&#039;&#039;Le bugie degli ambientalisti.&#039;&#039;<br /> *{{Cite book|和書|author=[[加藤秀一]]|date=2004-08-05|title=〈恋愛結婚〉は何をもたらしたか 性道徳と優生思想の百年間|series=ちくま新書487|publisher=筑摩書房|isbn=4-480-06187-8|url=http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480061874/|ref={{Harvid|加藤|2004}}}}<br /> *{{Cite journal|和書|author=[[桑原真木子]]|year=2003|month=11|title=優生学と教育 「教育的」環境操作がたどりつくところ|journal=現代思想|volume=31|issue=13号 特集 争点としての生命 言説の争点|pages=215-129|publisher=青土社|ref={{harvid|桑原|2003}}}}<br /> *{{Cite book|和書|author=ダニエル・J・ケヴルズ|authorlink=ダニエル・J・ケヴルズ|others=[[西俣総兵]] 訳|year=1993|month=9|title=優生学の名のもとに 「人類改良」の悪夢の百年|publisher=朝日新聞社|isbn=4-02-256646-9|ref={{Harvid|ケヴルズ|西俣|1993}}}} - 原タイトル:&#039;&#039;In the name of eugenics.&#039;&#039;<br /> *{{Cite book|和書|author=[[立岩真也]]|date=2001-10-25|title=優生学について--ドイツ・1 (医療と社会ブックガイド・9)|journal=看護教育|volume=42|issue=(9) (通号 508)|publisher=医学書院|issn=0047-1895|ref={{Harvid|立岩|2001a}}}}<br /> *{{Cite book|和書|author=立岩真也|date=2001-11-25|title=優生学について--ドイツ・2 (医療と社会ブックガイド・10)|journal=看護教育|volume=42|issue=(10) (通号 509)|publisher=医学書院|issn=0047-1895|ref={{Harvid|立岩|2001b}}}}<br /> *{{Cite book|和書|author=立岩真也|date=2001-12-25|title=優生学について・3--不妊手術の歴史 (医療と社会ブックガイド・11)|journal=看護教育|volume=42|issue=(12) (通号 511)|publisher=医学書院|issn=0047-1895|ref={{Harvid|立岩|2001c}}}}<br /> *{{Cite book|和書|author=立岩真也|date=2002-01-25|title=優生学について・4 (医療と社会ブックガイド・12)|journal=看護教育|volume=43|issue=(1) (通号 512)|publisher=医学書院|issn=0047-1895|ref={{Harvid|立岩|2002}}}}<br /> *{{Cite book|和書|author=[[スティーブン・トロンブレイ]]|others=[[藤田真利子]] 訳|date=2000-11-01|title=優生思想の歴史 生殖への権利|series=明石ライブラリー26|page=398|publisher=明石書店|isbn=4-7503-1355-6|url=http://www.akashi.co.jp/book/b64344.html|ref={{Harvid|トロンブレイ|藤田|2000}}}} - 原タイトル:Trombley, Stephen 1988 &#039;&#039;[[#CITEREFTrombley1988|The right to reproduce]]&#039;&#039;, revised edition, 2000.<br /> *{{Cite book|和書|editor=[[中村満紀男]] 編著|authorlink=|date=2004-02-01|title=優生学と障害者|publisher=明石書店|isbn=4-7503-1875-2|url=http://www.akashi.co.jp/book/b64862.html|ref={{Harvid|中村|2004}}}}<br /> *{{Cite book|和書|author=[[カール・ビンディング]]|coauthors=[[アルフレート・ホッヘ]]|others=[[森下直貴]]・[[佐野誠]] 訳・著|year=2001|month=11|title=「生きるに値しない命」とは誰のことか ナチス安楽死思想の原典を読む|publisher=窓社|isbn=4-89625-036-2|ref={{Harvid|ビンディング|ホッヘ|森下|佐野|2001}}}}<br /> *{{Cite journal|和書|author=[[松原洋子]]|year=2000|month=2|title=優生学|journal=現代思想|volume=28|issue=3号 臨時増刊:総特集 現代思想のキーワード 科学論/生命論|pages=196-199|publisher=青土社|ref={{harvid|松原|2000}}}}<br /> *横山尊『日本が優生社会になるまで--科学啓蒙、メディア、生殖の政治』勁草書房、2015年。[[ISBN 9784326602841|ISBN 9784326602841。]]<br /> *{{Cite book|和書|author=米本昌平|authorlink=米本昌平|coauthors=[[松原洋子]]・[[市野川容孝]]・[[橳島次郎]]|date=2000-07-20|title=優生学と人間社会 生命科学の世紀はどこへ向かうのか|series=講談社現代新書1511|publisher=講談社|isbn=4-06-149511-9|url=http://bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=1495119|ref={{Harvid|米本ほか|2000}}}}<br /> *{{Citation|last-editor=Adams|first-editor=Mark B.|year=1990|title=The Wellborn Science: Eugenics in Germany, France, Brazil, and Russia|series=Monographs on the History &amp; Philosophy of Biology|publisher=Oxford University Press|location=New York|isbn=0-19-505361-3}}<br /> *{{Citation|last=Black|first=Edwin|year=2003|title=War Against the Weak: Eugenics and America&#039;s Campaign to Create a Master Race|publisher=Four Walls Eight Windows|location=New York|isbn=1-56858-258-7|url=http://www.waragainsttheweak.com|ref={{Harvid|Black|2003a}}}}<br /> *{{Citation|last=Black|first=Edwin|date=2003-11-09|title=Eugenics and the Nazis -- the California connection|newspaper=San Francisco Chronicle|publisher=The Hearst Corporation|location=San Francisco, CA|url=http://www.sfgate.com/default/article/Eugenics-and-the-Nazis-the-California-2549771.php|ref={{Harvid|Black|2003b}}}}<br /> *{{Citation|last=Carlson|first=Elof Axel|year=2001|title=The Unfit: A History of a Bad Idea|publisher=Cold Spring Harbor Laboratory Press|location=Cold Spring Harbor, New York|isbn=0-87969-587-0}}<br /> *{{Citation|last=Crichton|first=Michael|author-link=マイケル・クライトン|year=2004|title=State of Fear|publisher=HarperCollins Publishers|location=New York|isbn=0-06-621413-0}} - contains an appendix on eugenics, politics, and science in the US.<br /> *{{Citation|last=Ordover|first=Nancy|author-link=ナンシー・オードヴァー|year=2003|title=American Eugenics: Race, Queer Anatomy, and the Science of Nationalism|publisher=University of Minneapolis Press|location=Minneapolis|isbn=0-8166-3559-5}}<br /> *{{Citation|last=Shakespeare|first=Tom|author-link=Tom Shakespeare|year=1995|month=October|title=Back to the Future? New Genetics and Disabled People|journal=Critical Social Policy|publisher=Critical Social Policy Ltd.|volume=15|issue=44-45|pages=22-35|issn=0261-0183|id={{doi|10.1177/026101839501504402}}|url=http://csp.sagepub.com/content/15/44-45/22.refs}}<br /> *{{Citation|last=Trombley|first=Stephen|author-link=スティーブン・トロンブレイ|year=1988|date=June 1988|title=Right to Reproduce: History of Coercive Sterilization|publisher=Weidenfeld &amp; Nicolson Ltd|isbn=0-297-79225-3}}<br /> *{{Citation|last=Wahlsten|first=Douglas|author-link=Douglas Wahlsten|year=1997|date=1997-06-01|title=Leilani Muir versus the Philosopher King: Eugenics on trial in Alberta|journal=Genetica|publisher=Kluwer Academic Publishers|volume=99|issue=2-3|pages=185-198|id={{doi|10.1007/BF02259522}}|issn=0016-6707|url=http://link.springer.com/article/10.1007/BF02259522}}<br /> <br /> == 関連項目 ==&lt;!--項目名の50音順--&gt;<br /> {{commons|Eugenics}}<br /> * [[カリカック家]]<br /> * [[宮中某重大事件]]<br /> * [[社会進化論]]<br /> * [[レーベンスボルン]]<br /> * [[妊娠中絶]]<br /> * [[不幸な子どもの生まれない運動]]<br /> * [[ボーイスカウト]]<br /> * [[山本宣治]]<br /> * [[人種差別]]<br /> * [[障害者差別]]<br /> *[[トランスヒューマニズム]]<br /> *[[ポストヒューマン]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> *{{Kotobank|優生学|2=世界大百科事典 第2版}}<br /> <br /> ;優生学批判のウェブサイトと歴史研究のウェブサイト<br /> *[http://www.eugenicsarchive.org/eugenics/ Eugenics Archive - Historical Material on the Eugenics Movement]<br /> *[http://www.africa2000.com/ENDX/aedata.htm Eugenics Watch]<br /> *[http://www.shoaheducation.com/pNEW.html Shoaheducation.com:Eugenics]<br /> *[http://cit.uvm.edu:6336/dynaweb/eugenics/@Generic__CollectionView;cs=default;ts=default;pt=eugenics Vermont Eugenics: A Documentary History]<br /> *[http://www.healthsystem.virginia.edu/internet/library/historical/eugenics/index.cfm University of Virginia Historical Collections: Eugenics]<br /> *[https://web.archive.org/web/20121026014306/http://www.ushmm.org/museum/exhibit/online/deadlymedicine/ &quot;Deadly Medicine: Creating the Master Race&quot;] (United States Holocaust Memorial Museum exhibit)<br /> *[http://www.pbs.org/wnet/dna/episode5/ DNA: Pandora&#039;s Box] - PBS documentary about DNA<br /> * [http://www.wfu.edu/~caron/ssrs/Dorr.rtf &#039;&#039;Fighting Fire with Fire: African Americans and Hereditarian Thinking, 1900-1942&#039;&#039;]<br /> * [http://personal.uncc.edu/jmarks/eugenics/eugenics.html &quot;Eugenics -- Breeding a Better Citizenry Through Science&quot;]<br /> *[http://www.meijigakuin.ac.jp/%7Ekatos 優生学とジェンダーに関する歴史年表:明治学院大学加藤秀一教授のHP]<br /> *[http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hb/a6fhb700.html ナチス・ドイツの「優生政策」の実態]<br /> <br /> ;優生学を支持するウェブサイト<br /> *[http://www.onelife.com/ethics/eugenics.html Eugenics - a planned evolution for life]<br /> *[http://groups.yahoo.com/group/e-l/ The Eugenics List - Yahoo group]<br /> *[http://www.eugenics.net Future Generations Eugenics Portal]<br /> *[http://www.childrenofmillennium.org/eugenics.htm Millennium Eugenics Section]<br /> *[http://www.mankindquarterly.com/ Mankind Quarterly]<br /> *[http://www.whatwemaybe.org/ Future Human Evolution: Eugenics in the Twenty-First Century by John Glad]<br /> *[http://www.euvolution.com Creative Conscious Evolution: A Eugenics Directory]<br /> *[http://theoccidentalquarterly.com/vol4no1/toq-editnote4-1.html &#039;&#039;Scandalizing the Science of Eugenics&#039;&#039;], editor&#039;s note, &#039;&#039;The Occidental Quarterly&#039;&#039; 4:1 (Spring 2004).<br /> <br /> {{レイシズム|state=collapsed}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:ゆうせいかく}}<br /> [[Category:優生学|*]]</div> 2400:7800:4975:9200:75C4:C94:362D:61BB Engrish 2018-08-16T10:09:20Z <p>2400:7800:4975:9200:75C4:C94:362D:61BB: /* 外部リンク */</p> <hr /> <div>{{出典の明記|date=2015年1月}}<br /> [[File:The fixed cycle is checked.jpg|thumb|right|200px|Engrishの一例 &lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;「{{lang|en|The fixed cycle is checked.}}」前の単語+ is +後ろの単語という[[機械翻訳]]の典型的な特徴が見受けられることから、おそらくは[[インターネット]]上の機械翻訳を安易に用いたものとみられる。似たような例は、このように[[英文]]の需要があると考えられるものの、致命的な英文の誤りを指摘できる担当者が不足している[[交通機関]]などに多数存在する。「固定された周期」で「定期」を表したかったのだが、「{{lang|en|Fixed Cycle}}」では「一定の回転数」という意味になってしまう。また、「{{lang|en|Checked}}」には調べるという意味もあるが、通常は「印を付ける」という意味で使われる。そのため、「一定の回転数に印が付けられる」となり、意味が全く伝わらない。通常は「{{lang|en|Out of Service}}」と書くか、「定期的な点検」であることを強調したければ「{{lang|en|Scheduled Maintenance}}」と書くのが適切。&lt;/ref&gt;]]<br /> {{lang|en|&#039;&#039;&#039;Engrish&#039;&#039;&#039;}} ({{IPA-en|ˈɪŋgɹɪʃ}}) とは、アジア系言語話者の使用する、語表現やスペリングの誤用を伴った[[英語]]を揶揄するための[[俗語]]である。&quot;Engrish&quot;という造語は&quot;English&quot;の綴り字を変化させたものであり、元々は日本語話者に特徴的な英語の[[流音]]&quot;R&quot;と&quot;L&quot;の混同を揶揄されて作られた。このように語源は日本人英語に関連があるものの、近年は語の持つ意味自体が変化しており「日本語話者の英語誤用のみならずアジア系言語を母語とする者に見られる英語誤用」の意を含む語として用いられる。事実上、[[インターネット]]上にアップロードされている&quot;Engrish&quot;を含む看板の写真などは、日本のみならず中国や韓国、タイなどが関連したものであることが大半である。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> &#039;&#039;&#039;{{lang|en|Engrish}}&#039;&#039;&#039; とは、日本語を始めとしたいくつかの言語において &#039;&#039;&#039;[[L]]/[[R]]&#039;&#039;&#039; ([[流音]])の区別が無いことにかけた[[シャレ]]である(英語= {{en|English}} の“l”を“&#039;&#039;&#039;r&#039;&#039;&#039;”としている)。日本語に限定した場合、{{en|Engrish}} は[[英語圏]]の人にとっては、おおむねユーモラスな誤用だと受け止められている。&#039;&#039;&#039;{{lang|en|Japlish}}&#039;&#039;&#039; または &#039;&#039;&#039;{{lang|en|Janglish}}&#039;&#039;&#039; という造語も存在している。また、{{en|Engrish}} は、例えば外国風な装飾として用いるなど、広告の中で用いられる、英単語の故意に誤った、または不注意な使い方を指すこともある。<br /> <br /> 一般的には、[[和製英語]]とは別のものと考えられている。和製英語とは、日本で広く用いられるが英語圏では見られない、英語をベースにした[[造語]]である。逆に日本語を母語としない人の奇妙な日本語の発音を揶揄する &#039;&#039;&#039;{{lang|en|Nihonglish}}&#039;&#039;&#039; なる言葉も存在する。<br /> <br /> == Engrishがおきる要因 ==<br /> 日本語の場合、[[ら行|ラ行]]の子音は[[歯茎音|歯茎顫動音]]、つまり舌が[[前歯]]の裏側の[[硬口蓋]]に触れる。そのため、英語の {{lang|en|L}} と {{lang|en|R}} の中間のような音になる。また、日本語の「ラ」はアルファベットの {{lang|en|L}}/{{lang|en|R}} などの発音を包括する為、英語が堪能でない日本人はしばしば英語を綴るときに {{lang|en|L}}/{{lang|en|R}} を混同する。そして、日本語話者はLをエル(EL)、Rをアール(Ah-le)とカタカナ表記通りに発音する事も多い為である。こうして、{{lang|en|English}} が {{lang|en|Engrish}} と誤記されることがある。演劇用語 「{{lang|en|break a leg}}」 (成功を祈る)が 「{{lang|en|break a reg}}」 になっていたり、「{{lang|en|get rid of}}」 と 「{{lang|en|get lid of}}」 を混同したりする宣伝ポスター、{{lang|en|rice}} ([[米]])と {{lang|en|lice}} ([[シラミ]])の区別がつかない(文脈から考えて混同することは稀ではあるが)のがその例である。また、英語を話す際に、日本語話者にとって不慣れな舌を回すRの発音を特に意識して発音しようとするケースが多いことも、Engrishと呼ばれるようになった要因の一つであると言える。<br /> <br /> Engrish は、英語からの[[借用語]]を日本語風に発音すること、または英語からの借入語を多く備えた日本の方言を指すこともある。日本語には[[母音]]が 5つしかなく、子音連結はほとんどなく、{{lang|en|L}}/{{lang|en|R}} の他にも {{lang|en|[[B]]}}/{{lang|en|[[V]]}}, {{lang|en|Shi}}/{{lang|en|Si}}, {{lang|en|Th}}/{{lang|en|S}} の明確な区別は無いので、英語の借用語はしばしば英語圏の人にとっては異様なまたはユーモラスな発音になる。特に[[下ネタ]]に聞こえるような単語や文は Engrish の話題になりやすい。例えば、ギタリストの[[エリック・クラプトン]] ({{lang|en|Eric Clapton}}) は、日本語では Erikku Kuraputon になるが、英語で {{lang|en|crap}} とは「クソ」を意味するため、英語圏の人からは滑稽に聞こえる。他にも {{lang|en|I love you}} (あなたを愛している)が {{lang|en|I rub you}} (私は[[手淫|貴方を擦る]])、{{lang|en|election}} (選挙) が {{lang|en|erection}}(勃起)、{{lang|en|sit}}(座る)が {{lang|en|shit}}(クソ)、{{lang|en|earth}}(地球)が {{lang|en|ass}}(尻)に聞こえる。<br /> <br /> 日本語を使う人は、日常会話で 600 を超える英語からの輸入語を用いるが、それらはしばしば省略形になっている。例えば、 {{lang|en|handkerchief}} は「ハンカチ」に、{{lang|en|professional wrestling}} は「プロレス」になっている。{{lang|en|[[マクドナルド|McDonald&#039;s]]}} は、[[藤田田]]が[[日本マクドナルド]]を創業する際に「マクドナルド」&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;&#039;&#039;McDonald&#039;s&#039;&#039;の原語発音は「&#039;&#039;&#039;マクダーナズ&#039;&#039;&#039;」に近いので([[国際音声記号|IPA]] {{IPA-en|məkd&#039;anldz|}})、「マクドナルド」は英語話者に通用しない。&lt;/ref&gt;表記を採用・定着しているが、さらに省略されて「マック」または「マクド」になる。{{lang|en|sandwich}}は略されて「サンド」(砂)になっている。発音の変化がより異国風でよりユーモラスであればあるほど、より Engrish であると考えられている。<br /> <br /> 注意すべきことは、申し分ない英語からの借用語ですら、英語圏の人にとっては異質に聞こえることがあるという点である。たとえば写真を撮るときに、英語では[i:]を発音する時のように笑顔を作れという意味で使われる {{lang|en|ch&#039;&#039;&#039;ee&#039;&#039;&#039;se}} を、アクセントの位置を誤って「チー&#039;&#039;&#039;ズ&#039;&#039;&#039;」と発音する。こうした発音の変化は、言語学的な理由によるものであり、話者の知性とは無関係である。<br /> <br /> Engrish は、「{{lang|en|to make speed up find up out document}}」 のように、かつては家庭用電器製品のマニュアルに頻出したが、今ではそれほど多くなくなっている。[[Babelfish]]や[[Google 翻訳]]の様に[[機械翻訳]]が出力した訳文を、確認せずにそのまま用いることが、下手な翻訳が生まれる発生源になっている。<br /> <br /> == Engrishの例 ==<br /> *{{en| Crap your hands!}}:「[[拍手]]しろ ({{en|Clap your hands!}})」という意味を表わそうとしているが、これでは「[[手]]に[[糞|クソ]]をしろ」という意味になってしまう(ただし {{en|crap}}「クソをする」は自動詞なので、文法的にも誤り)。[[J-POP]]の歌詞、エルモ([[セサミストリート]]のキャラクター)の[[ぬいぐるみ]]のパッケージ、[[Tシャツ]]など、至る所に見られる。{{en|&quot;It&#039;s too rate.&quot; &quot;Lest in peace.&quot; &quot;Reisure &amp; Lest&quot;}} など、{{en|L}} と {{en|R}} の取り違えによる {{en|Engrish}} は、数え切れない程ある。<br /> * {{en|Please take advantage of the maid.}}:日本の[[ホテル]]などで見られた掲示。「[[メイド]]をご利用下さい」という意味を表わそうとしているが、{{en|take advantange of}} は、目的語が人の場合「~につけこむ」を意味し、さらにそれが[[女性]]だと「~を[[誘惑]]する、かどわかす」という意味になりうる。珍妙な英語を集めた {{en|Anguished English}} という本にも、同様の例が収録されている。<br /> * {{en|WEAK COOL}}: 1990年代まで[[阪急電鉄]]の[[鉄道車両]]の窓に貼られていた「[[弱冷房車|弱冷車]]」のステッカーに見られた {{en|Engrish}}。漢字をそのまま英単語に置き換えたもので、「弱い涼しい」となり意味をなさない。正しくは {{en|mildly airconditioned}} など。<br /> * {{en|Please turn the card inside out}}:日本のあるホテルの[[レストラン]]で「食事が終わったらカードを裏返してください」という意味を意図して使われたもの。{{en|turn ... inside out}} は、たとえば[[手袋]]や[[セーター]]の内側を外に出すような場合に使う。カードには {{en|inside}}(内部)がないため、{{en|turn ... inside out}} することはできない。カードを裏返す場合は {{en|turn over}} が正しい表現。<br /> * {{en|Please refrain from barking, to avoid nuisances to neighbors.}}:「犬の鳴き声は近隣の方への迷惑となりますのでご注意ください」という掲示に添えられていた英文。「隣人たちへの迷惑を避けるため、吠えるのは控えてください」という意味になる。[[イヌ]]に読まれることを意図しているように見える。<br /> * {{en|Because you are dangerous, you must not enter.}}:[[名古屋城]]の掲示にあった英語。「危険ですのではいらないでください」という意味を意図しているが、これでは「あなたは危険人物だからはいってはいけない」という意味になってしまう。{{en|DANGER! Do not enter.}} のようにすべきだろう。<br /> <br /> == Engrish 文化 ==<br /> [[File:Toyota RAV4 engrish.jpg|200px|thumb|ファッションとして英語が使用される例。タイヤカバーにデザインとして英語の文章が使われているが、これも間違ったユーモラスな英語の文章になってしまっている。]]<br /> <br /> Engrish は、特に日本の[[大衆文化]]の中で顕著に用いられている。これは、おそらく英語を格好良いものと思う日本人が多く、英語を使用したがる人が多いが、日本人の英語力は教育によりある程度あるが中途半端であるためと思われる。日本の[[マーケティング]]企業が、日本人の英語好きを利用し、一見格好良い英語を使用するため、英語を[[母語]]とする人から見ると極めておかしな、または説明がつかないほど異様な、英語の表現が書かれた膨大な数の広告、製品、被服を生み出す結果となるのだと思われる。こうした新しい英語表現は、れっきとした意味のある用語として使用されるというよりも単にファッションとして用いられる。<br /> <br /> いくつかの[[テレビゲーム]]は、Engrish を生み出した。例えば 「{{lang|en|Time over}}」 、『[[ゼロウィング]]』の 「{{lang|en|[[All your base are belong to us]]}}」 、『[[メタルギア]]』の 「{{lang|en|I feel asleep}}」 と 「{{lang|en|The truck have started to move}}」 が挙げられる。ゲームの技術が進歩しゲームの主な購買層が拡大したことでゲーム開発へ投じられる予算が増えるにつれ、プロの翻訳家を雇うことによりこの種の下手な翻訳はほとんど根絶されてきた。それでも、2002年の『[[スーパーマリオサンシャイン]]』の 「{{lang|en|Shine get!}}」 のように、いくつかの日本語版のゲームでは Engrish を見つけることができる。<br /> <br /> {{lang|en|Titan}} という会社が製造したコンピュータ用の冷却ファンに書かれた 「{{lang|en|Going faster is the system job}}」 なども、{{lang|en|Engrish}} である。<br /> <br /> また、Engrish はアメリカの[[コメディ・セントラル]]で放映されているアニメ『[[サウスパーク]]』でも何度か取り上げられている。その一例を挙げれば、シーズン8の第1話 「{{lang|en|Good Times With Weapons}}」 で、登場人物たちが突然[[アニメ|日本アニメ]]のような画風になり、「{{lang|en|let&#039;s fighting love}}」という Engrish と[[日本語]]がごちゃまぜの荒唐無稽な日本語の歌が流れる。番組の終わりの歌も同様である。(歌っているのは原作者の[[トレイ・パーカー]]本人である。彼は[[コロラド大学]]在籍当時に日本語を専攻しており、[[日本]]在住経験を持つ)。<br /> <br /> {{lang|en|Engrish}} は時として、面白くする効果や、異国の雰囲気を出すためにわざと使われる。[[漢字]]や、[[ギリシア文字]]や[[偽キリル文字]]の[[アルファベット]]が、[[西洋]]の[[ラテン文字]][[社会]]において(大抵は間違った使い方で)そういった目的で使われるのと同じである。これに似た用法で、「Mötley Crüe」([[モトリー・クルー]]、[[音楽バンド]]) や 『Hägar the Hørrible』&lt;span style=&quot;font-size:x-small;&quot;&gt;(&lt;span title=&quot;en:Hägar the Hørrible&quot;&gt;[[:en:Hägar the Hørrible|英語版]]&lt;/span&gt;)&lt;/span&gt; (ヘガー・ザ・ ホリブル、アメリカの漫画)、もしくは「Häagen-Dazs」([[ハーゲンダッツ]]、[[アイスクリーム]]の[[ブランド]]) のように、普通の英語の句に[[ウムラウト]]、[[アクセント符号]]、[[Ø]] や[[誤字]]を加えて、エキゾチックな外見にすることがある。<br /> <br /> {{lang|en|Engrish}} は大きな問題ではないという人もいるが、たとえば、{{lang|en|moral}} (モラル、[[道徳]])と {{lang|en|morale}} ([[モラール]]、士気)、あるいは{{lang|en|Satan}} (セイタン、[[悪魔]])と {{lang|en|Saturn}} (サターン、[[土星]])、若しくは、{{en|haven}}(ヘイヴン、[[避難所]])と {{en|heaven}}(ヘブン、[[天国]])、又は、{{lang|en|law}} (ロー、[[法律]])と {{lang|en|raw}} (ロー、ナマモノ)のように、意味が全く異なる用語を混同して文章を書く人もおり、笑い事では済まされない場合も少なくない。<br /> <br /> == その他の用語 ==<br /> Engrish の対極の概念に Nihonglish (ニホングリッシュ)がある。これは、英語を母語とする話し手の発音の下手な、あるいは間違った文法の日本語を言う。典型例としては、「こんにちは」 (Konnichiwa) を普通のアメリカ人が発音すると、konni を「&#039;&#039;&#039;こんに&#039;&#039;&#039;」ではなく「&#039;&#039;&#039;こに(ー)&#039;&#039;&#039;」と言ってしまうために「こ&#039;&#039;&#039;にー&#039;&#039;&#039;ちわ(こにちわ)」になってしまうなど。このような例は、日本の英語学習者の会話において英語が使用されるのと同様に、日本に語学留学している英語圏からの学生たちの英語会話中で観察することが出来る。<br /> <br /> 外国語を話そうとして恥をかく英語圏の人を指して、{{lang|es|embarazado}} と呼ぶことがある。これは、[[スペイン語]]で「妊娠した」({{lang|es|-zado}} は男性形のため、正確には女性形で {{lang|es|embarazada}})という意味だが、英語の {{lang|en|embarrassed}} (「当惑した」「恥をかいた」の意)に似ているため、英語圏の人間がスペイン語を話そうとしてよく間違う言葉である。「男が妊娠して当惑」「妊娠などという言い間違いをして恥ずかしい」というジョークも含めて呼ばれている。<br /> <br /> おおむね二か国語が使える集団における英語の特有な使い方 ({{lang|en|Spanglish}}, {{lang|en|Yinglish}}, {{lang|en|[[フラングレ|Franglais]]}}) は、より中立的な意味合いの名前を持っており、大体において英語の技量がその社会の一般の人々の平均以上であるような人について用いる。<br /> &lt;!--<br /> <br /> == 他言語の場合 ==<br /> * Chinglish (中国)<br /> * Danglish (デンマーク)<br /> * Dunglish (オランダ)<br /> * Englog (フィリピン)<br /> * Finglish (フィンランド)<br /> * Franglais (フランス、カナダ)<br /> * Germish/Denglisch (ドイツ)<br /> * Globish<br /> * Hinglish (インド: ヒンディー語)<br /> * Honglish または Honkish (香港: 広東語をベースにしている)<br /> * Kanglish (インド: カンナダ語)<br /> * Konglish (韓国)<br /> * Manglish (マレーシア)<br /> * Pinglish (イラン: ペルシャ語)<br /> * Pseudo-Anglicism (ドイツ: 独製英語)<br /> * Runglish (ロシア)<br /> * Spanglish (スペイン、ラテンアメリカ)<br /> * Singlish (シンガポール)<br /> * Swenglish (スウェーデン)<br /> * Taglish (フィリピン: タガログ語)<br /> * Tanglish (インド: タミル語)<br /> * Tinglish/Thailish (タイ)<br /> * Vinish (ベトナム)<br /> * Yinglish (イディッシュ語)<br /> * Wenglish (ウェールズ: Cymraeg)<br /> --&gt;<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> === 注釈 ===<br /> &lt;references group=&quot;注&quot;/&gt;<br /> &lt;!--<br /> === 出典 ===<br /> {{Reflist}}<br /> --&gt;<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> {{Commonscat|Engrish}}<br /> * {{lang|en|[[All your base are belong to us]]}}<br /> * [[メタル・ウムラウト|ヘビーメタルウムラウト]]<br /> * [[シングリッシュ]]([[シンガポール]]英語)<br /> * [[タグリッシュ]]([[フィリピン共和国]]での[[タガログ語]]と英語の混種語)<br /> * [[コングリッシュ]](朝鮮語 + 英語)<br /> * [[フランポネ]](日本で用いられる不自然なフランス語)<br /> * [[和製英語]]<br /> * [[和製外来語]]<br /> * [[和習]] - 和文と漢文の混淆<br /> * [[外国語の日本語表記]]<br /> * [[外来語の表記]]<br /> * [[機械翻訳]]<br /> * [[混種語]]<br /> * [[インチキ外国語]]<br /> * [[日本語話者による英語の/r/と/l/の知覚]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.engrish.com Engrish.com]{{en icon}} - {{en|Engrish}} の例が画像で紹介されている<br /> * [http://engrishcheck.me EngrishCheck] - {{en|Engrish}} の例が画像で紹介されている<br /> * [http://eefoof.com/image/13306][http://eefoof.com/image/13307][http://eefoof.com/image/13308][http://eefoof.com/image/12239][http://eefoof.com/image/9955] - Engrishの例 (大きい写真)<br /> * [http://movies.yahoo.com/mv/mf/frame?theme=minfo&amp;lid=wmv-100-s.7679264-0,wmv-56-s.7679233-0,wmv-300-s.7679362-0,wmv-28-s.7679233-0&amp;id=1808579381&amp;f=1808579381&amp;mspid=1808601574&amp;type=c&amp;a=0,15 {{lang|en|I&#039;m So Ronery}}]{{リンク切れ|date=2009年10月}} - 映画『{{lang|en|[[チーム★アメリカ/ワールドポリス|Team America: World Police]]}}』で悪役の Kim Jong Il が歌うソロ。歌詞中の「{{lang|en|L}}」がすべて「{{lang|en|R}}」になっている。作詞・作曲・歌は『サウスパーク』の[[トレイ・パーカー]]。<br /> * [http://www.comedycentral.com/motherload/?lnk=v&amp;ml_video=71765 {{lang|en|Chappelle&#039;s Show: Asian Pixie}}] - 日本人が「{{lang|en|Hello, La La}}」を「{{lang|en|Herro, Ra Ra}}」と発音するのを揶揄している。<br /> <br /> {{デフォルトソート:Engrish}}<br /> [[Category:英語のスラング]]<br /> [[Category:英語の方言]]<br /> [[Category:外国語の日本語表記]]<br /> [[Category:和製英語|*いんくりつしゆ]]</div> 2400:7800:4975:9200:75C4:C94:362D:61BB
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