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https:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&feedformat=atom&user=2400%3A7800%3A4975%3A9200%3A2406%3ABDF0%3AD198%3AE90A miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja] 2025-01-14T17:22:34Z 利用者の投稿記録 MediaWiki 1.31.0 テニアン島 2018-05-31T03:45:29Z <p>2400:7800:4975:9200:2406:BDF0:D198:E90A: /* ドイツ統治時代 */</p> <hr /> <div>{{Infobox 島<br /> |島名 = テニアン島<br /> |画像 = [[Image:Saipan-Tinian.png|280px]]<br /> |座標 = {{coord|15|00|N|145|38|E|display=inline}}<br /> |面積 = 101.01<br /> |周囲 = <br /> |標高 = 173<br /> |海域 = [[ミクロネシア]]<br /> |国 = {{MNP}}<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;テニアン島&#039;&#039;&#039;(テニアンとう、Tinian)は、[[北マリアナ諸島]]の[[島]]の一つ。面積は約100[[平方キロメートル|km{{sup|2}}]]で、[[サイパン島]]からは約8[[キロメートル|km]]の距離にある。現在は[[アメリカ合衆国]]の[[コモンウェルス (米国自治連邦区)|自治領]]([[北マリアナ諸島]]に所属)である。<br /> <br /> == 歴史 ==<br /> === 先史時代〜スペイン統治時代 ===<br /> テニアン島は、かつて[[先住民族]]の[[チャモロ]]人が自給自足の暮らしを送っていた。[[マリアナ諸島]]が西洋人に「発見」されたのは[[1521年]]の[[フェルディナンド・マゼラン|マゼラン]]の世界一周航海の途上であった。この時マゼランは[[グアム島]]に上陸し、[[ロタ島]]を望見したが、テニアン島にはやって来なかった。<br /> <br /> 140年後の[[1668年]][[6月16日]]、[[カトリック教会|カトリック]][[司祭]]で[[イエズス会]]宣教師の[[ディエゴ・ルイス・デ・サンビトレス]] (Diego Luis de Sanvitores) ら5人が[[グアム島]]に上陸してキリスト教布教を開始。サンビトレスはマゼランによってラドローネス諸島(ラドローネスとはスペイン語で盗賊、泥棒の意)と名づけられた島々をマリアナ諸島([[スペイン]]女王マリア・アナより)と名付けた。当初布教活動は順調であったのだが、宣教師が住民の旧習に干渉するようになってから住民の間で不満が高まり、1670年に[[ルイス・デ・メディナ]] (Luis de Medina) が殺害され、サンビトレスもグアムで殺害された。<br /> <br /> スペインの支配が確立した後、[[1695年]]にスペインは島民全員を[[グアム島]]に強制移住させ、テニアンは無人島となった。19世紀の中頃からはスペインにより同島は牛や豚の放牧地となったが、後に放棄されテニアンは野生化した家畜のみが住む島と化してしまった。<br /> <br /> === ドイツ統治時代 ===<br /> [[米西戦争]]でのスペイン敗北を契機に、[[1899年]]、スペインはテニアン島を含む[[北マリアナ諸島]]の支配権を450万ドルで[[ドイツ帝国]]に売却した。<br /> <br /> ドイツのサイパン島庁はテニアンで野生化した家畜を有効利用すべく、ハム工場を建設するが結局失敗に終わった。その後は週1回、サイパンで雇ったハンターを送り込むだけとなった。テニアンで得た牛や豚はサイパン産の牛や豚の3分の1で取引され、島民用の食肉となった。<br /> <br /> === 日本統治時代 ===<br /> [[File:Tinian in the Japanese Period.JPG|thumb|240px|日本統治時代のテニアン]]<br /> [[第一次世界大戦]]でのドイツ敗北によって、統治権は[[日本]]に移動した。[[1920年]]([[大正]]9年)には、[[国際連盟]]より正式に日本の[[委任統治|委任統治領]]となる。<br /> <br /> 日本の統治となりテニアンで初めて本格的な開発が行われ、[[1916年]](大正5年)11月には最初の移民である日本人4人とサイパン島民約20人が移住し、森林の伐採と開墾に従事した。テニアンの開発を請け負った丸喜商会は、マリアナ諸島北部の[[パガン島]]と[[アグリハン島]]から種用の椰子の実10万個を買い入れ、椰子の栽培が開始された。<br /> <br /> その後、[[1918年]](大正7年)2月22日に[[山形県]]出身の日本人約100名とサイパン、ロタの両島民約300人がテニアンに移住し、彼らはまず、海岸沿いのソンソン地区から内陸のマルポ地区までの間の森林を伐採し、連絡道路を開通させ、その後森林を開墾して椰子栽培を開始した。しかし、会社の指導法や待遇に不満を持った移民たちは、1918年(大正7年)末にストライキを起こした。その結果、ストライキは成功したものの、この時までに30名余りの日本人が島を離れることになった。<br /> <br /> 一方、椰子栽培の方は10万個のうち6万7~8千個を植え付けることに成功したが、[[1919年]](大正8年)の初め頃に害虫([[イセリヤカイガラムシ]])が大発生し、さらに6月に起こった大[[旱魃]]が追い討ちをかけたため、テニアンの農産物は、椰子だけでなく島民や移民たちの食糧となる[[バナナ]]や[[パンノキ|パンの木]]に至るまですべて全滅した。その結果、テニアンの開発を請け負っていた喜多合名会社(丸喜商会が1918年(大正7年)に改名)は破産し、日本から来た移民は、十数人を残して[[内地]]やサイパン島に引き揚げた。<br /> <br /> [[1926年]](大正15年)に新たにテニアンの開発を請け負った[[南洋興発]]は、[[沖縄県|沖縄]]や[[福島県|福島]]、[[山形県|山形]]などから移民を集め、椰子に代わって[[砂糖]]や[[コーヒー]]、[[綿花]]の生産を開始させた。その結果、昭和初期にテニアンの砂糖の生産量は、[[台湾]]に次いで東洋第二位の生産量となるまでになった。その他にも同島では鰹漁が盛んとなり、島内には[[鰹節]]工場もあった。<br /> <br /> [[1944年]](昭和19年)6月時点での人口は、日本人15,700名(軍人を除く)、朝鮮人2,700名、チャモロ人26名であった。<br /> <br /> === 太平洋戦争 ===<br /> [[File:B-29s of the 462d Bomb Group West Field Tinian Mariana Islands 1945.jpg|thumb|240px|日本に向かうB-29]]<br /> [[太平洋戦争]]中は島北部に当時、[[南洋諸島]]で一番大きい飛行場である[[ハゴイ飛行場]]があったことから日本軍の重要な[[軍事基地|基地]]となり、軍人の[[駐屯]]は、陸海軍合わせて約8,500人に達した。<br /> <br /> [[アメリカ軍|米軍]]はテニアンの[[戦略]]的価値の高さに注目し、[[1944年]](昭和19年)7月24日に北部のチューロ海岸から[[上陸作戦|上陸]]、8月2日に同島を[[占領]]した([[テニアンの戦い]])。その後、ハゴイ飛行場は拡張整備され、島の東部にはウエストフィールド飛行場(現[[テニアン国際空港]])が建設されて、本格的な[[日本本土空襲]]を行う基地となった。<br /> <br /> 1944年(昭和19年)11月以降、連日のように日本に向かう [[B-29_(航空機)|B-29]] がこの島を離陸していった。[[1945年]](昭和20年)[[8月6日]]の[[広島市への原子爆弾投下|広島]]、[[8月9日]]の[[長崎市への原子爆弾投下|長崎]]への[[日本への原子爆弾投下|原爆投下作戦]]の B-29 もここから発進した。<br /> <br /> === 戦後 ===<br /> [[1947年]]にグアムを除く北マリアナ諸島は、アメリカの[[信託統治領]]となった。[[1948年]]にはサイパン島やロタ島、[[ヤップ島]]より[[チャモロ]]人や[[カロリニアン]]約400人が再び移住し&lt;ref&gt;その大部分がヤップ島から移住した人達で、ヤップ島から移住したチャモロ人は、18世紀にグアム島からヤップ島に移住した者の子孫である。&lt;/ref&gt;、[[1950年代]]に現在のテニアンの中心地であるサン・ホセを建設した。<br /> <br /> [[1986年]]に[[コモンウェルス (米国自治連邦区)|コモンウェルス]]である[[北マリアナ諸島]]の一員となった。現在の人口は約3,500人と言われているが、この数値は最後に[[国勢調査]]を行った時のものであり、近年は原油高の影響で島を離れる者も多いため、実際の人口は2,500人程である。<br /> <br /> == 交通 ==<br /> [[Image:PAP 0233.JPG|thumb|240px|テニアン空港へ乗り入れるチェロキー機]]<br /> [[Image:PAP 0231.JPG|thumb|240px|テニアン空港前にある砲塔]]<br /> ===空港===<br /> *[[テニアン国際空港]]<br /> :日本からの直行便はなく、すべてサイパンでの乗り継ぎとなるが、観光客は、オプショナルツアーで気楽に行くことができる。サイパン・テニアン間の航空便は、[[フリーダムエアー]]社(定期便)とスターマリアナズエアー社(チャーター便)により一日数便が運航されている。スターマリアナズエアーは早朝、夜間も運行している。<br /> <br /> ===港===<br /> :サイパン港(チャーリードッグ)から高速船が就航していたが、現在は運休中。<br /> <br /> ===道路===<br /> :自動車とバイクがメインであるが、基本的に交通量が少ないため、テニアン島には信号が存在しない。小さな島のため、数時間もかからず島を周遊できるが、道路状況はあまり良いとは言えず、舗装されている道は全体の半分ほどで、観光名所に行くまでに、土や草や岩の露出した凹凸のある道を通ることがほとんどである。舗装された道にも砂が多いため、特にバイクでの転倒事故が多く、走行には注意が必要である(速度を出さなければ安全に走行・観光できる)。レンタバイクは無免許でもレンタル可能で、1日25ドル程度でレンタルできる。<br /> <br /> == 観光 ==<br /> [[Image:PAP 0208.jpg|thumb|240px|タチョンガビーチ]]<br /> [[Image:PAP 0219.JPG|thumb|240px|ウナイ・ダンクロビーチ]]<br /> [[Image:PAP 0215.JPG|thumb|240px|ブロウホール(潮吹き海岸)]]<br /> [[File:Tinian Shinto Shrine 1.JPG|thumb|240px|住吉神社]]<br /> [[File:No. 1 Atomic Bomb loading pit, North Field (Tinian), 27 August 2008.jpg|thumb|240px|原子爆弾積荷場]]<br /> 島全体に観光名所が点在しているが、南西部のサン・ホセがメイン観光地として人気が高く、タガ[[酋長]]の家やテニアンビーチ・タガビーチ・タチョンガビーチ・石灰石の森の小道などがある。特にこのエリアのビーチでは、ウミガメを見ることが出来ることで人気が高く、世界でも有数の美しさを誇る海は、透明度が80メートルもあり、サイパンの[[マニャガハ島]]に匹敵するほどの高い水質で、ダイビングやスノーケリングに最適である。ただし、[[サイパン島]]にあるような[[ラグーン]]はなく、波の高いところが多い。ビーチには、人があまりいないためとても静かで、プライベートビーチのように利用でき、自由にバーベキューを楽しむ人の姿も見られる。<br /> <br /> テニアン島は、島の形状が[[ニューヨーク]]の[[マンハッタン島]]に似ていることから、島の道路には「[[ブロードウェイ]]」や「[[8番街]]」のように、テニアンを占領した米軍によって、ニューヨークにあやかった名が付けられた。島の散策途中には、NKK神社の大きな鳥居や旧日本軍の司令部、防空壕が現存しているなど、日本統治下や太平洋戦争の歴史も伺うことができる。<br /> <br /> テニアン島中心部の草の豊富な丘には、北マリアナ諸島最大の牧場であるM.D.C.牧場がある。島の3分の1の面積を占める広大な牧場には、数千頭の乳牛や肉牛が放牧されている。以前は、日本のオーディオメーカーの[[パイオニア]]が経営していたが、[[BSE問題]]の際に牧場が倒産し、その規模は縮小され、柵だけが残っている。車などで牧場内を散策する事ができ観光名所になっている。&lt;ref&gt;[http://find-travel.jp/article/4460 テニアンの大牧場!「M.D.C.牧場」について]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ===主な観光地===<br /> *タガ遺跡<br /> :マリアナ諸島で最大規模の古代タガ王朝の遺跡である。北マリアナ諸島の国旗のデザインにもなっている[[タガ・ストーン]]が林立している。<br /> *タガビーチ<br /> :古代タガ王朝の時代、王専用の水浴び場だったといわれている。切り立った岩に囲まれた白い砂浜の海岸は、プライベートビーチの気分を味わえる。<br /> *ブロウホール(潮吹き海岸)<br /> :テニアン島北東にあるサンゴ礁でできた岩場で、岸壁に複雑な穴が空いていて、波が押し寄せるたびに潮が10m近く吹き上がる。<br /> *テニアングロット<br /> :サイパンの[[グロット]]と同様に、ダイビングスポットとなっている海中洞窟。水深10メートル〜20メートルで、様々な熱帯魚が生息している。<br /> *サンホセ教会鐘楼<br /> :サンホセ教会の庭に建っている17世紀末のスペイン統治時代の鐘楼。高さ20mほどの鐘楼には、太平洋戦争で被った砲弾の跡がたくさん見受けられる。現在では、テニアンのシンボルとして「ベル・タワー」と呼ばれている。<br /> *住吉神社(天仁安神社)<br /> :日本統治時代に創建された[[神社]]で、太平洋戦争中に破壊されたが、戦後に再建された。<br /> *NKK神社<br /> :日本統治時代の神社跡で、一の鳥居と二の鳥居が残っている。<br /> *日本海軍司令部跡<br /> :日本海軍の第一航空艦隊の司令部が置かれていた建物。重厚なコンクリート2階建ての建物で、太平洋戦争中に米軍の砲撃で損傷したが、米軍が上陸後修築され、米軍の施設として使用された。<br /> *原子爆弾積荷場<br /> :1945年8月に、広島・長崎に投下された原爆[[リトルボーイ]]と[[ファットマン]]を搭載した地点。[[ハゴイ飛行場]]滑走路の北側に跡地が残されていて、三角屋根のガラス張りの施設に記念碑が建てられている。<br /> <br /> == ホテル ==<br /> [[Image:PAP 0225.JPG|thumb|240px|ダイナスティホテルのプール]]<br /> *Tinian Dynasty Hotel&amp;Casino(テニアンダイナスティホテル&カジノ)<br /> :ダイナスティホテルは、[[1998年]]にオープンしたテニアン唯一のリゾートホテル。24時間営業の[[カジノ]]があり、[[日本料理]]・[[中国料理]]などのレストランやショッピングゾーン、プール、マリンアクティビティも充実している。[[香港]]資本のホテルだが、[[日本人]]のスタッフやツアーデスクが駐在している。<br /> <br /> :ダイナスティカジノは、ダイナスティホテル内にあるミクロネシア最大のカジノで、30を超える[[テーブルゲーム|ゲームテーブル]]や100台以上の[[スロットマシン|マシーン]]、5つのVIPルームを完備している。24時間営業しており、カジノ内にはレストランやバーなどの飲食施設もある。ダイナスティカジノは、サイパンに集中している観光客をテニアンへ誘致するためにオープンした。そのような経緯もあり、初心者でも楽しめるカジノを目指していて、日本人のディーラーも常駐している。ゲームは、[[バカラ (トランプゲーム)|バカラ]]・[[ブラックジャック]]・[[ルーレット]]・[[ポーカー]]・シックボーが常設され、毎月、カジノのトーナメントが開催されている。男性のみ[[ドレスコード]]があり、ビーチサンダルや袖無しシャツでは入場できないが、女性のドレスコードは比較的自由である。カジノ内は満21歳未満の入場が不可で、[[パスポート]]の提示を求められる場合がある。<br /> *Fleming Hotel (フレミングホテル)<br /> *Lori Lyn&#039;s<br /> *PAPACOCONUTS INN<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[テニアンの戦い]]<br /> * [[広島市への原子爆弾投下]]<br /> * [[長崎市への原子爆弾投下]]<br /> * [[テニアン国際空港]]<br /> * [[ハゴイ飛行場]]<br /> * [[おとなの基礎英語]](スキットドラマの舞台になった)<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> {{commonscat|Tinian}}<br /> * [http://japan.mymarianas.com/tinian/ マリアナ政府観光局]<br /> * [http://www.tinian-dynasty.jp/ テニアンダイナスティーホテル&カジノ]<br /> * [https://ameblo.jp/mktours/ 日本人向け観光ツアーガイド(日本語)]<br /> <br /> {{北マリアナ諸島}}<br /> {{デフォルトソート:てにあんとう}}<br /> [[Category:テニアン|*]]<br /> [[Category:太平洋の島]]<br /> [[Category:北マリアナ諸島の島]]<br /> [[Category:北マリアナ諸島の地方区分]]<br /> [[Category:第509混成部隊]]</div> 2400:7800:4975:9200:2406:BDF0:D198:E90A 投資信託 2018-05-30T13:20:53Z <p>2400:7800:4975:9200:2406:BDF0:D198:E90A: /* 一方的な市場拡大 */</p> <hr /> <div>{{otheruses|広義の投資信託一般|[[投資信託及び投資法人に関する法律]]において定義される投資信託|投資信託 (法律)}}<br /> &#039;&#039;&#039;投資信託&#039;&#039;&#039;(とうししんたく)は、多数の投資家から販売会社を通じて出資・拠出されてプールされた資金を、[[運用会社]]に属する資産運用の専門家(ファンドマネージャー、ポートフォリオマネージャー)が、[[株式]]や[[債券]]、[[金融派生商品]]などの金融資産、あるいは[[不動産]]などに[[投資]]するよう指図し、運用成果を投資家に分配する[[金融商品]]&lt;ref&gt;[http://www.shiruporuto.jp/finance/kinyu/hyakka/hk2502.html#a1 金融広報中央委員会 - 投資信託とは]、2008年5月11日閲覧。&lt;/ref&gt;。運用による利益・損失は投資家に帰属する。投資信託は流動性のある一項&lt;!--条文を掲示すべき--&gt;有価証券である&lt;ref group=&quot;※&quot;&gt;集団投資スキーム(collective investment scheme)は[[有価証券#第二項有価証券|二項有価証券]]という別物に分類される。[[投資事業組合]]や、[[ファンド]]ないし[[投資ファンド]]は多くの場合二項有価証券である。&lt;/ref&gt;。アメリカでは戦前から[[独占]]手段として利用されている。<br /> <br /> == 一方的な市場拡大 ==<br /> [[1907年恐慌]]以来、[[アメリカ合衆国]]の投資信託は[[国際金融市場]]の重要なプレイヤーである。[[アメリカ合衆国の経済史#世界恐慌: 1929年-1941年|アレゲーニー・スキャンダル]]や[[ゴールドマン・サックス|セントラル投信ピラミッド]]が[[世界恐慌]]で白日に晒されたとき、そしてバーナード・コーンフェルド([[:en:Bernard Cornfeld|Bernard Cornfeld]])が最初につくった[[ファンド・オブ・ファンズ]](FOF)の破綻したとき、投資信託は厳しく批判された。しかし[[投資顧問業]]の隆盛をともない、投資信託は[[生命保険]]と入れ替わりで[[機関投資家]]の代表格となった。FOFが増えてゆくなか、日本では投資信託が[[証券不況]]の原因となった。<br /> <br /> [[連邦準備制度]]が[[インフレーション]]政策を採った1970年代を除いて、2014年現在まで世界の投信残高は単調増加傾向にある&lt;ref&gt;杉田浩治 [http://www.jsri.or.jp/publish/topics/pdf/1501_01.pdf 米国投信4分の3世紀の歴史から何を学ぶか] 日本証券経済研究所 p.3. 図表1&lt;/ref&gt;。[[プラザ合意]]が成立してから、日本の投信残高も国民総生産の10%前後にまで増加した&lt;ref&gt;杉田浩治 [http://www.jsri.or.jp/publish/topics/pdf/1105_01.pdf 発足から満60年を迎える日本の投資信託] 日本証券経済研究所 平成23年5月28日 p.3. 図表1&lt;/ref&gt;。1990年代から[[ボストン]]発の[[ミューチュアル・ファンド]]が一般投資家の膨大な資金を吸い上げ、[[多国籍企業]]などへ投じている。<br /> <br /> 手堅いとされてきた[[公社債投資信託]]は、2000年前後の[[エンロン]]破綻事件により元本割れした&lt;ref&gt;福光寛 [http://www.seijo.ac.jp/research/economics/publications/reserch-report/jtmo420000000mul-att/green31.pdf 公社債投資信託の元本割れをめぐって] 成城大学経済研究所研究報告第31巻 2002年3月&lt;/ref&gt;。[[フランス]]の投信市場も注目される。2007年現在で[[クレディ・アグリコル]]が運用資産残高の首位を維持し、国内では主にFOFと[[マネー・マーケット・ファンド]]が取引され、個人は相続税などが優遇されている保険を通して保有することが多い&lt;ref&gt;井上武 [http://www.nicmr.com/nicmr/report/repo/2008/2008spr13.pdf 世界第二の規模を誇るフランス投資信託市場] 資本市場クォータリー 2008年4月&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> もっとも、個人金融資産に占める投信の割合は、[[スウェーデン]]の方が高い(26.1%)。[[世界金融危機 (2007年-)|世界金融危機]]では、資産構成に[[サブプライムローン]]の劣位証券を組み込んでいた年金基金・保険会社・投信会社が損害を加入者と顧客へ転嫁した。事件の進行中も、世界の投資信託残高は単調増加を続けた。2013年から日本では[[信金中央金庫]]が唐突に投信保有残高を増やしてきている&lt;ref&gt;天尾久夫 [https://sakushin-u.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&amp;active_action=repository_view_main_item_detail&amp;item_id=619&amp;item_no=1&amp;page_id=13&amp;block_id=21 信金中央金庫の研究―信用金庫と信金中央金庫の抱える諸問題―] 作大論集7号 177頁 図1-19 全信用金庫の国債と投資信託の資産運用の動向 2017年3月15日&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 2017年7月以降、[[ゆうちょ銀行]]が投資信託を取り扱う拠点を急ピッチで増設している&lt;ref&gt;女性自身 [https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/jisin/life/jisin-29529 保険・投信…“郵便局のサービス”拡大も専門家が注意点指摘] 2017年6月29日&lt;/ref&gt;。ところで[[アベノミクス]]は[[ビットコイン]]に対し寛容である。しかしビットコインから[[上場投資信託]]の認可を申請された[[証券取引委員会]]は、2017年3月にそれを拒否した&lt;ref&gt;日経新聞電子版 [http://www.nikkei.com/article/DGXLASFL11H63_R10C17A3000000/ 米SECビットコインETFを認可せず投資家保護が不十分として] 2017年3月11日&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 商品としての位置づけ ==<br /> 投資信託は、[[株式]]や[[債券]]、[[コマーシャルペーパー|CP]]などの金融商品を主体として投資をし、個別に決算をする。日本で[[簿外債務|飛ばし]]の流行った時代に行われたような&#039;&#039;&#039;元本保証はない&#039;&#039;&#039;。銀行などの[[普通預金]]や[[定期預金]]よりも良い投資益が期待されるが、これは相当する[[リスク]]を取ったことに対する[[リスク#経済学上のリスク|リスク・プレミアム]]を受取っていると解釈できる。特に[[ペイオフ (預金保護)|ペイオフ]]が解禁され、低[[金利]]([[ゼロ金利政策]])による預金での利息収入がほぼ見込めない現状では、資産運用のための一手段として注目されている。<br /> <br /> どの程度のリスクを取ってどの程度のリターンが得られるかは、投資信託の投資対象によって千差万別である。たとえば、株式は債券よりリスクが大きく、リターンも大きいとされる。また、国内を投資対象としているものよりも、海外を投資対象としているもののほうが為替レートの影響も受けるためリスクやリターンが大きいとされる&lt;ref group=&quot;※&quot;&gt;リスクとリターンの程度を標準化した尺度の一つに、[[経済学]]で[[ノーベル賞]]を受けた[[ウィリアム・フォーサイス・シャープ]]の開発した[[シャープ・レシオ]]がある。これは、期待されるリターンから無リスク資産の利回りをマイナスし、引き受けているリスク([[標準偏差]])で割ったものであり、正で大きな値をもつものほど、運用が効率的であることになる。また、分母を[[資本コスト#β値(ベータ値)|ベータリスク]]とすると[[トレイナーの測度]]となる。投資信託の場合、評価指数はシャープ・レシオが使われるケースが多い。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> いつでも購入・解約できる追加型投資信託などでは、保有する資産の評価額の変動に対応して、&#039;&#039;&#039;基準価額&#039;&#039;&#039;&lt;ref group=&quot;※&quot;&gt;NAV、Net Asset Value、よく価格と誤記される。基準価額は、ファンドに組み入れられている株式や債券などの資産の時価総額を合計した純資産総額(資産-負債)を投資信託の受益権総口数で割り計算される一種の指数であり、純資産に連動しているが、後述のように分配金を配当すれば基準価格は下落し、収益を内部留保すれば上昇するものであり、「高基準価格=成績の良いファンド」と言う判断には&#039;&#039;&#039;そぐわない&#039;&#039;&#039;。1口1円で設定された投資信託は、1万口あたりで公表されている。追加型投資信託の基準価額については、運用会社・販売会社の[[ウェブサイト]]や窓口に掲示されている他、[[日本経済新聞]]朝刊(1/1-1/4と祝祭日の翌日を除く火-土曜)に全銘柄が、大手全国紙朝刊では一部銘柄が掲載されている。運用会社のサイトでは、一番情報が早く得られ、その日の内に当日の基準価額を知ることが出来る。単位型投資信託の基準価額については、購入した販売窓口(証券会社など)に問い合わせが必要である。&lt;/ref&gt;が計算されている。運用の利益は、一定期間ごとに払出される分配金の他、基準価額の値上がり益があれば、解約・売却時に受取ることができる。<br /> <br /> 信託財産の運用により大幅な収益が上がり基準価額が上昇すると、口数単位で購入する場合に購入単価が上昇し購入しづらくなるため、基準価額を下げるために受益権の再分割をすることがある&lt;ref group=&quot;※&quot;&gt;たとえば、基準価額が2万円で1:2の受益権の再分割を行った場合、基準価額が1万円になり保有口数は2倍になる。&lt;/ref&gt;。1999年-2000年の[[ITバブル]]の頃に流行した。そこで振替制度が必要になった。すべての投資信託ファンドの受益権は、2007年1月4日より[[証券保管振替制度]]&lt;ref group=&quot;※&quot;&gt;ファンドの受益権の発生、消滅、移転をコンピュータシステムにて管理する&lt;/ref&gt;に移行された([[有価証券のペーパーレス化]])。そのため、現在は受益証券が発行されていない。<br /> <br /> 従来はある証券会社や銀行にある口座ではその会社系列のファンドしか購入できなかったが、近年の自由化と競争のため他社のファンドも購入できるようになる傾向にある&lt;ref&gt;[http://www.nikkei.com/money/fund/toushin.aspx?g=DGXNMSFK2200F_22022012000000&amp;df=3 日本経済新聞 なぜ投信だけが購入時手数料を払うのか]2012年2月26日記事 2014年1月10日閲覧&lt;/ref&gt;。たとえば[[預金供託金庫]]が比較的早くから中立的だった。<br /> <br /> 受益者がファンドを購入すると、販売した金融機関は購入手数料(フロントロード、front load)を得る&lt;ref group=&quot;※&quot;&gt;投信購入時に一定割合(1~5%程度)の手数料があらかじめ徴収され、実質的に元金が目減りした状態で始まる制度&lt;/ref&gt;。購入者がそのファンドを保有している間も、その投資信託を販売した金融機関は信託報酬の一部を受託者から間接的に受け取ることができる。信託報酬は一定率(通常年間0.2~3%程度)がファンドの純資産から日々差し引かれている。証券会社以外にも[[銀行]]などの金融機関各社がこぞって投資信託の販売に力を入れるのは、購入手数料と信託報酬間接取得分が非常に高額なためであると言われる&lt;ref&gt;[http://etf.life-k.com/column/bank.php インデックス投資でラクラク投資信託生活 銀行は信用するなという話] 2014年1月9日閲覧&lt;/ref&gt;。現在の日本の投資信託では購入額の3%前後が多数だが、アメリカのミューチュアルファンドでは販売手数料を一切徴収しない[[ノーロードファンド]]が一般的である。この原資も普通、ファンドの純資産である。<br /> <br /> == 利点・欠点 ==<br /> {{col|<br /> 一般に、投資信託は個別株式などに比べ一般大衆投資家にとって左段以下5点の利点があるといわれる。<br /> <br /> * 危険分散([[分散投資]])<br /> * 投資のプロによる運用&lt;ref group=&quot;※&quot;&gt;投資にかかわる情報の迅速な入手およびその解析・対応行動に必要な手間隙を肩代わりしてくれる。&lt;/ref&gt;<br /> * 小額投資が可能{{Refnest|group=&quot;※&quot;|個別株式では原則として売買単位株数が決められており、例えば時価310円の株でも1,000株が売買単位なら31万円ないと投資できない&lt;ref&gt;[http://www.miller.co.jp/report/wakaru/20110408.html 株初心者のためのやさしい用語集 売買単位とは(ばいばいたんい)]2014年1月9日閲覧&lt;/ref&gt;が、オープン型の投資信託では端数の口数を購入(売却)可能で、例えば基準価格が1,200円なら1万円で8.333口、基準価格が1,250円に値上がりしたら同じく1万円で8口,、1,500円なら1万円で6.667口というように柔軟に購入でき、比較的小額の一定金額を定期的に拠出する長期の積立型貯蓄・投資に適しており&lt;ref&gt;[http://www.nikkei.com/money/fund/toushin.aspx?g=DGXNMSFK1602M_16042012000000 日本経済新聞 投信積み立てのメリット8カ条] 2012年4月29日記事 2014年1月9日閲覧&lt;/ref&gt;、[[ドル・コスト平均法]]による危険低減とも相性が良い。さらに、個人の零細な資金では、[[単位株]]数程度を頻繁に売り買いすると証券会社の売買手数料負担が馬鹿にならなくなってくるが、投資信託ではものによっては数十万人の投資家から巨額の資金を集めて大きな単位で投資を行うので、相対的に費用が少なくてすむ。}}<br /> * 「[[スケールメリット]]」あるいは「マス・メリット」<br /> * 国境を越えた投資の容易さ&lt;ref group=&quot;※&quot;&gt;日本で上場されていない外国会社の株式などを購入するには原則としてその会社が上場している国の証券会社などに口座を持たねばならない。その口座開設のための手間や資格(居住者・非居住者など)、送金、税務処理等一切をプロへ一任できる。勉強・資金・費用・危険などの負担がなくなるだけでなく、分散投資にもなる。&lt;/ref&gt;<br /> &lt;!--(一般論に傾き、投資信託から離れている)<br /> 投資における危険度を低く抑えるための格言に「全部の卵をひとつの籠に入れるな」がある&lt;ref&gt;[http://www.shiruporuto.jp/finance/kinyu/hyakka/hk1107.html#a 金融商品なんでも百科/知るぽると(金融広報委員会)]&lt;/ref&gt;。もし手持ちの全部の卵が入った籠を落としてしまったらすべての卵が割れてしまうが、複数の籠に分ければ生き残る卵がある可能性は大きい。投資も、複数の対象([[銘柄]]、種目、業種、手段など)に分散して行えば、仮に投資先の会社のひとつが倒産や業績不振に陥ったり、社会構造の急激な変化により特定の業種が軒並み[[不況]]になったとしても、投資全体に与える影響は比較的小さく押さえることができる。個人の零細な投資資金ではなかなか幅広い分野に投資することは難しいが、投資信託を購入すると間接的ではあるが[[分散投資]]が可能となる。--&gt;<br /> |<br /> 損害回避のため投信設定のできない普通の投資家にとっては、右段以下5つの欠点があるといわれる。<br /> <br /> * タイミングをはかり辛い&lt;ref group=&quot;※&quot;&gt;個別株式などが買った1分後に売れるのとは異なり、オープン型の投資信託でも毎日市場終了後に計算されるその日の基準価格が決定されるまで売買できない。また、多くのオープンエンド型ファンドでは最低保有日数(例えば30日)を定めており、これより少ない期間で売却すると罰金を課せられる。これは、短期間の売買を繰り替えされると、その支払いのための現金を常に確保しておかねばならず、多くの投資家から資金を集めて投資するという本来の目的が損なわれ、またその手続きの費用が投資資金から支払われるために投資資金が無意味に目減りして行くのを防止するためである。&lt;/ref&gt;<br /> * 各種費用&lt;ref group=&quot;※&quot;&gt;世の中に「タダめし(free lunch)」は存在せず、金融機関は販売手数料が入るから投資信託を販売し、運営会社・ファンドマネージャは信託報酬が入るから投資信託を運営・運用することは明らかで、これらの費用の源泉は投資家の拠出する投資資金である。投資家は、投資信託の購入に当たって、すべての商品購入と同様、その効果と費用・価格を比べて判断しなければならない。&lt;/ref&gt;<br /> * 必ずしも高収益を期待できない{{Refnest|group=&quot;※&quot;|通常、投資信託を購入するのは、投資を本業としない一般大衆投資家や年金組合などの団体である(投資家の年齢や投資スタイルを基にして、個別銘柄ではなく推奨する複数の投資信託の組み合わせに投資する「投資信託の投資信託(Fund of Funds)」すなわち「複数の投資信託を組み合わせた[[定食]]型投資信託」も存在する&lt;ref&gt;[http://www.nikkei.com/money/fund/toushin.aspx?g=DGXNMSFK09010_09052013000000 日本経済新聞 「幕の内弁当」バランス型投信でお任せ投資もアリ]2014年1月15日閲覧&lt;/ref&gt;)が、「プロのファンドマネージャに信託するのだから高収益だろう」と言う期待に反して、例えば市場の状況を分析するための種々の[[株価指標|インデックス]]があるが、インデックスを上回る高収益を出している投資信託はまれであり、むしろ&#039;&#039;&#039;多くの投資信託はインデックスに届かない収益しか実現できていない&#039;&#039;&#039;&lt;ref&gt;[http://etf.life-k.com/basic/investment_trust-04.php インデックス投資でラクラク投資信託生活 市場平均に勝ち続けることは難しい] 2014年1月9日閲覧&lt;/ref&gt;。これは過去から[[証券取引委員会]]が指摘している事実だが、投信業界は個人投資家の運用成績と比べるべきだと反論している。}}<br /> * 危険分散の対価&lt;ref group=&quot;※&quot;&gt;危険分散とは、色々な方面に分散して投資することであり、その中の一つの投資先が大儲けになっても、他の投資先が追従しなければ全体としてその大儲けは薄まってしまうことは明らかであり、その逆に大損も薄めるのが危険分散の目的であるから当然である。&lt;/ref&gt;<br /> * 信託されたプロの資金運用故のジレンマ{{Refnest|group=&quot;※&quot;|一般に投資に初心者が投資を始めるときは長期の投資、例えば優良株を買って数年から10年単位で保有することを勧められる。しかし投資信託で働くプロの投資家(ファンドマネージャ)はこれができない。「信託報酬だけ受け取って何もしないでいる」という潜在的または顕在的な批判を避けるため、ファンドマネージャ(運用責任者)は[[デイトレーディング]]のような[[投機]]的売買を実行する傾向があると言われる。&#039;&#039;&#039;投資対象の売買に関わる費用は投資家から集めた運用資金から拠出され&#039;&#039;&#039;、結果的にその投資信託の基準価格を押し下げる。投資信託の中には、積極的な(短期売買が多い)運用を表明する「[[アクティブファンド|アクティブ型]]」と消極的運用(長期保有傾向)を表明する「[[パッシブファンド|パッシブ型]]」を標榜するものがあり、一見「アクティブ型」の方が高収益を期待できるように感じられるが、実態は同じ分野の投資先を持つ投資信託を比べるとパッシブ型の方が結果的に高収益である例が少なくない(アクティブ型の方が信託報酬も高めの傾向がある)&lt;ref&gt;[http://www.nikkei.com/money/fund/toushin.aspx?g=DGXNMSFK0400R_04042013000000&amp;df=3 日本経済新聞 投信が売買し過ぎていないか、チェックしよう]2013年4月7日記事 2014年1月10日閲覧&lt;/ref&gt;。}}<br /> &lt;!--(情報の非対称性を一般投資家に転嫁する記述は中立的でない)<br /> 更に、投資信託の購入者は一般に投資に関して熟達していない(だから投資信託を購入する)ので、市場の変化に疎く、市場全体あるいは特定分野が好況になると、その好況が誰の目にも明かになってからでないと投資行動を起こさない傾向があり、よく「宴会に遅れて来る」と比喩される。ところで、景気は上昇と下降を繰り返すことが知られており、仮にファンドマネージャが「もう好況は終わりでこれからは不況になる」と判断していても、誰もがいつでも売買できるオープン型の投資信託では、遅れてやって来た投資家から押し寄せる資金を拒絶することはできず、経験を積んだ個人投資家が自己資金を個別銘柄に投資しているなら「ここは投資の多くを現金化してしばらくは積極的な投資を控えよう」と言う局面でも、たとえ不本意でも何とか投資先を探して資金を押し込まなければならない(一般に投資信託は見込まれる解約の払い戻しや新しい投資のために常に一定額の現金を運転資金として保有するが、それ以外の資金は常にどこかに投資されていることが期待されるものである)。このような投資は、宴会に遅れて来た投資家に残飯だけを残してそれまでの収益を薄めるだけでなく、来るべき不況時には損失を発生することになる。--&gt;<br /> }}<br /> == 募集方法 ==<br /> 昔は契約型とクローズドが主であったが、[[ユーロクリア]]とその[[カストディアン]]が出てからは会社型およびオープンが主流。<br /> ; 事業体の形態<br /> 資金や投資先商品を保有するための[[特別目的事業体]](SPV)の形態により、契約型と会社型に分類される。前者は[[信託]]を用いたものであり、後者は[[株式会社]]類似の[[法人]]を用いたものである。<br /> * 契約型投資信託<br /> :日本の[[投資信託及び投資法人に関する法律]]に基づく[[投資信託 (法律)|投資信託]]や[[イギリス|英国]]等の[[ユニット・トラスト]]など。<br /> * 会社型投資信託<br /> :日本の[[投資法人]]や英国の[[#インベストメント・トラスト|インベストメント・トラスト]]、米国の&#039;&#039;&#039;[[ミューチュアル・ファンド]]&#039;&#039;&#039;、[[REIT]]など。<br /> <br /> ; 応募・償還の機会による分類<br /> * オープンファンド<br /> : 買い付け停止の措置がなされた時以外は、基本的にいつでも買い付け自由。また、いつでも解約・売却も可能。&#039;&#039;&#039;追加型&#039;&#039;&#039;投資信託とも言う。基本的に、購入時に代金とは別に買付手数料を支払う必要がある。<br /> * クローズドファンド<br /> : 買い付け期間が定められており、その期間が過ぎれば追加買い付けは一切出来ない。ファンドによっては解約・売却が一定期間制限されるものもある。&#039;&#039;&#039;単位型&#039;&#039;&#039;とも言う。買付手数料は購入代金に含まれているものが殆ど。<br /> * オープンエンド型<br /> :投資家はいつでも自由に償還を求めることができる。投資家は売却だけでなく償還によって換価を行うことができる。償還により払い戻される金額は、一般に、一口当たり純資産額(基準価額と呼ばれる)に償還口数を乗じた金額となる。[[アメリカ合衆国|米国]]のミューチュアル・ファンドや英国等のユニット・トラストなど。<br /> * クローズドエンド型<br /> :投資家は自由に償還を求めることができない。投資家は換価を行うには売却を行うのが基本となる。売却価額と純資産額は必ずしも一致しない。上場される場合にはこのタイプが用いられる。英国のインベストメント・トラストなど。<br /> <br /> == 投信法上の分類 ==<br /> * [[投資信託 (法律)|投資信託]]:日本法上の契約型投資信託<br /> ** 委託者指図型投資信託:委託者の指図により資産運用が行われるもの。「委託者」、「受託者」、「受益者」の三者で構成される。信託財産の運用は委託者である投資信託会社が受託者である[[信託銀行]]に株式売買等の運用の指図を行う。<br /> *** 証券投資信託:主として[[有価証券|第一項有価証券]]への投資がなされるもの。投資信託財産の総額2分の1を超える額を有価証券に対する投資として運用することを目的とする委託者指図型投資信託。<br /> ** 委託者非指図型投資信託:委託者の指図によらずに受託者(又はその委託する第三者)によって資産運用が行われるもの。「委託者兼受益者」と「受託者」の二者で構成される。あらかじめ定められた1つの信託約款にもとづいて受託者である信託銀行が運用し、委託者である個々の投資家は運用の指図を行うことはできない。<br /> * 外国投資信託:外国法上の契約型投資信託<br /> * [[投資法人]]:日本法上の会社型投資信託<br /> * 外国投資法人:外国法上の会社型投資信託<br /> <br /> == ショーウィンドウ ==<br /> ; 運用指標<br /> * [[アクティブファンド]]<br /> * [[インデックスファンド]](パッシブファンド)- [[上場投資信託]]<br /> <br /> ; 投資対象<br /> {{col|<br /> * [[公社債投資信託]]<br /> ** [[マネー・リザーブ・ファンド]] (MRF)<br /> ** [[マネー・マネージメント・ファンド]] (MMF)<br /> ** [[公社債投資信託|長期公社債投信]](狭義の公社債投信)<br /> ** 短期公社債投信<br /> ** [[中期国債ファンド]]<br /> ** 外国債ファンド<br /> ** [[ハイイールド債]]型<br /> |<br /> * [[株式投資信託]]<br /> ** 国内/国際株式型<br /> ** バランス型<br /> ** [[転換社債型新株予約権付社債|転換社債]]型<br /> ** [[インデックスファンド|インデックス]]型(業種別もあり)<br /> ** [[派生商品]]型<br /> ** 限定追加型<br /> ** [[ファンド・オブ・ファンズ]]<br /> }}<br /> * ヘッジファンド型(マーケット・ニュートラルなど[[ヘッジファンド]]の手法を利用して運用される投資信託)<br /> * ブル型(基準価格の値動きが指数の値動きの2倍程度大きく動くよう運用される投資信託。[[レバレッジ]]型とも。)<br /> * ベア型(基準価格の値動きが指数の値動きと反対に動くよう運用される投資信託。インバース型とも。)<br /> * [[コモディティ]]型(世界の商品価格に連動して動くよう運用される投資信託)<br /> * [[REIT]](不動産投資信託)<br /> * [[ご当地ファンド]]<br /> <br /> == 投資信託にかかるコスト ==<br /> 投資信託は、運用を外部に委託する仕組みであるため、購入時、運用期間中、解約・買取請求時に所定の手数料(コスト)がかかる。ノーロード普及まで料金システムは顧客との公平性をめぐり何十年も議論された&lt;ref&gt;[[:en:Diana B. Henriques|Diana B. Henriques]], &#039;&#039;Fidelity’s World: The Secret Life and Public Power of the Mutual Fund Giant&#039;&#039;, Scribners, 1995.&lt;/ref&gt;。主な手数料は下の通りである。<br /> <br /> ; 販売手数料<br /> : 投資家が投資信託を購入する時に販売会社が徴収するもの。同じ投資信託であっても、購入金額や取り扱い金融機関により手数料額が異なる場合がある。かつては搾取のためフロントロード制が横行した。またこれを徴収しない販売会社もあり、そのような投資信託は「&#039;&#039;&#039;[[ノーロードファンド]]&#039;&#039;&#039;」と呼ばれている。「販売」ではない分配金の自動再投資の場合は無手数料で購入できる場合がほとんどである。また、販売手数料が必要な投資信託であっても、後日手数料をキャッシュバックすることで実質的な手数料の割引や無料化を行っている販売会社もある(バックロードやエグジットロード)。<br /> ; 信託報酬<br /> : 投資信託の運用期間中、運用会社と販売会社が徴収するもの。年間の徴収率(0.5%~2%が一般的)があらかじめ定めてあり、信託財産の純資産総額から毎日差し引く形で徴収される。販売手数料と違い、所有額や販売会社による差異は生じない。基本的に、投資対象が債券より株式、日本よりも海外(特に新興国)に投資するもの、投資対象を長期に渡って保有するパッシブ型・インデックス型より投資先を頻繁に変えるアクティブ型の方が、信託報酬が高くなる傾向がある。基準価額は信託報酬を差し引いた後の価額で表示されるため、受益者が意識する事は少ない。<br /> ; 信託財産留保額<br /> : 投資信託の売却・解約時に徴収される費用。信託財産留保額がかからないものも多く存在する。信託財産留保額は信託財産の中に残り投資信託を保有している受益者に還元されるため、販売会社や運用会社に支払う手数料ではない。これは、解約に伴い信託財産の一部である株式や債権などの原資産を売却するときの費用を信託財産から支払うことになるので、他の受益者に対する迷惑料として説明される&lt;ref&gt;[http://www.nikkei.com/money/features/68.aspx?g=DGXMZO7990531019112014000000 投信に学ぶ タダでも喜んではいけない費用あり 投資教育アドバイザー 大江英樹]2014年11月25日 2014年11月25日閲覧&lt;/ref&gt;。<br /> ; 解約手数料<br /> : ほとんどの投資信託では、解約時に手数料を徴収されることはない。<br /> : ごく一部(公社債投資信託など)の投資信託では手数料が発生する場合がある。<br /> <br /> == 分配金 ==<br /> 投資信託の分配金とは、投資信託の決算時に信託財産の一部から受益者に還元されるものである。信託財産の還元なので、定期預金の利子や株式の配当金とは性質が異なり、分配金が出るとその金額だけ基準価額が下がる。<br /> 基準価額が個別元本を上回る部分の分配金は[[普通分配金]]となり課税扱い、基準価額が個別元本を下回る場合は[[特別分配金]](元本払戻金、元本の一部払戻しに相当する部分)として非課税扱いになる。<br /> なお、自動再投資を選択しても普通分配金は課税され、課税後の金額が再投資される。<br /> <br /> 一般に多くの日本の個人投資家は(元本保証と)分配金にこだわり、投資信託を販売する側も分配金の多寡や予定・頻度を強調するが、特に「特別分配金(元本払戻金)」は自分で拠出した投資資産から払い戻す「タコ足配当」に他ならず、その投資資産も投資信託購入時の販売手数料と信託報酬が差し引かれた後の残金であり、拠出額から既に目減りしていることには関心を払わない傾向がある。このような分配金を再投資しても、普通分配金なら分配時点で課税され、例えて言えば銀行の[[現金自動預け払い機|ATM]]で出金した現金をそのまま再預金するようなもので、時間外引き出しの手数料が徴収されることが普通分配金に課税されることに相当し、その分複利効果が薄れるので実質的には損をすることになる。一般に、定期的な分配金による生活費の安定した確保などが目的でなく、長期的な資産額の増大を目的とするならばむしろ分配金などなしでひたすら基準価格の上昇に注目するなど、投資の目的に応じて分配金と基準価格の値上がりを総合して評価するべきであると言われる&lt;ref&gt;[http://www.nikkei.com/money/features/36.aspx?g=DGXNZO4938913010122012EL1P00、日本経済新聞 投信の落とし穴 「分配金=もうけ」とは限らない]、2012年12月15日記事、2014年1月3日閲覧&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[http://etf.life-k.com/column/global.php インデックス投資でラクラク投資信託生活 毎月分配型投資信託の落とし穴] 2014年1月9日閲覧&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == インベストメント・トラスト ==<br /> 投資信託は[[イギリス]]発祥の国際金融手段である。1868年、海外植民地投信([[:en:Foreign &amp; Colonial Investment Trust|Foreign &amp; Colonial Investment Trust]])が設立された。同社は確定利付証券を発行して、その資金を海外・植民地証券に投資した。会社といっても勅許会社ではなく、[[信託]]約款による社団であり、[[ユニット・トラスト]]に近い形態であった。その後ロバート・フレミング([[:en:Robert Fleming &amp; Co.|Robert Fleming &amp; Co.]], now [[JPモルガン・チェース|JP Morgan Chase]])など複数の投資信託が設立された。[[スエズ運河]]買収後の1876年、イギリス投信は利払不履行となった。1879年、投信は1862年会社法([[:en:Companies Act 1862|Companies Act 1862]])に反するという判決を下された。以降1930年代までイギリス投信はユニット・トラストを禁止されて、全てインベストメント・トラスト([[:en:Investment trust|Investment trust]])になった。インベストメント・トラストは会社型であり、普通株だけでなく[[社債]]・優先株も発行した。インベストメント・トラストは専ら海外証券を買ったので、1890年[[ベアリングス銀行|ベアリング]]恐慌の直撃を受けた。[[1907年恐慌]]も同様であった。インベストメント・トラストは競争力を失ってゆき、[[第一次世界大戦]]が生じた膨大な[[英国債]]引受市場で保険会社に主役をとられた。1918年、保険保有の英国債は1億6200万ポンド(総資産の25.5%)であった。1920年代の戦後復興需要で多くのインベストメント・トラストが新設されたが、そこへマーチャント・バンク([[:en:Merchant bnak|merchant bank]])が参入していった。1925年[[ゴッシェン子爵]](Sir William Henry Goschen, chairman of the [[:en:Sun Life Assurance Society|Sun Life Assurance Society]])の設立したアングロ・セルティックは一例である。&lt;ref&gt;代田純 『ロンドンの機関投資家と証券市場』 法律文化社 1995年 20-25頁&lt;/ref&gt;<br /> <br /> == ライン両岸での発展 ==<br /> インフレヘッジを必要とした[[ヴァイマル共和政]]の1923年、ヘルマン博士([[:de:Hermann Zickert|Hermann Zickert]])が[[ベルリン]]に投信的な組合をつくった(Deutsche Kapitalverein)&lt;ref group=&quot;※&quot;&gt;広義の投資ファンドには投資事業組合をふくむが、ヘルマン博士がそれを発明したのである。現在、[[任意組合]]や[[リミテッド・パートナーシップ]]などいくつかの形態が存する。&lt;/ref&gt;。フランスでも投信の先祖が1925年から1929年にかけて4つできた。この5つは[[世界恐慌]]で全部なくなった。そこから先、投信は国際資本としてアメリカに定着した。しかし[[ユーロカレンシー]]が1960年代に大きな国際市場をつくった。その背景として、戦後のドイツ・フランスもアメリカとあわせて知る意味がある。<br /> <br /> 国際社会が一斉に逆コースを向いた1949年のことである。ドイツの[[コメルツ銀行]]がバイエルン合同銀行などと共同出資で、投信を運用する管理会社を設立した(Allgemeine Deutsche Investment Gesellschaft mbH)。フランスでも国営の運用会社が誕生した([[:en:Société Nationale d&#039;Investissement|Société Nationale d&#039;Investissement]], cf. [[ダノン#北アフリカ総合会社|Maghrib]])。その原資はドイツなどが所有したフランス企業株式であった。&lt;ref name=worldsystem&gt;『世界の投資信託 主要国の制度研究』 投資信託協会 2002年 フランス・ドイツ各章&lt;/ref&gt;<br /> <br /> 1952年6月30日法により先のフランス国営運用会社に対する税制上の不利がなくなり、同年から民営の投信会社も成長した([[:en:SICAV|Société d&#039;investissement à capital fixe]], SICAF)。1956年[[ドイツ銀行]]がシンジケートの他13行と合弁で管理会社を設立した([[IG・ファルベンインドゥストリー#清算|Deutsche Gesellshaft für Wertpapiersparen]] mbH)。翌1957年ドイツ政府がオープンエンドの契約型投資信託を制度化した(投資会社法)。フランスは1957年12月28日法でSICAFをSICAVに改組、同時にFCPも設立させた([[:en:Fond commun de placement|Fond commun de placement]])。同法のもと、1963年9月20日に規則が定められ、翌1964年にSICAV6社が営業をスターとした([[オフショア金融センター]]で組成)。1968年ドイツで、保険会社や年金基金といった一部の[[機関投資家]]だけを対象として受益証券を発行する私募投資信託が設立された(スペシャルファンド)。事実上のFOFがドイツに初めておかれたのであった。1979年フランスのFCPがやっと開業した。フランスは1980年代に価格維持規定がないMMFを導入した。1988年12月23日法ではSICAFとFCPを合体させて、ECパスポートを付与した([[:fr:Organisme de placement collectif en valeurs mobilières|Organisme de placement collectif en valeurs mobilières]], OPCM)。再統一まもない1990年、ドイツは投資会社法を改正した。そして1994年にMMFを解禁した。1998年FOFやインデックスファンドを導入し、デリバティブの投資対象も拡大させた。&lt;ref name=worldsystem /&gt;<br /> <br /> 1988年のスペシャルファンド運用業者は、[[ドレスナー銀行]]の出資するDBIと、ドイツ銀行の出資するDEGEFが最大手、それぞれ160億マルクを運用していた。コメルツ銀行本体が第三位で73億ドルだった。スペシャルファンドの投資規制は緩い。銀行預金は総資産の5%まで。同一銘柄の株式・債券は5%まで。年金を除いて海外証券に関する規制は存在しない。1993年SICAV運用業者はシェアランキングで[[クレディ・アグリコル]]が首位(13.9%)、[[ソシエテ・ジェネラル]]が二位(9.6%)、[[ケス・デパーニュグループ|ケス・デパーニュ]]が三位(9.5%)、[[BNPパリバ|BNPとパリバ]]はそれぞれ四位(8.7%)と八位(5.1%)であった。短期運用でもトップ・テンを既出の大銀行が占める点に変わりない。フランスも、ドイツのようにユニバーサル・バンク制なのである。&lt;ref&gt;代田純 『ロンドンの機関投資家と証券市場』 法律文化社 1995年 112、118頁&lt;/ref&gt;<br /> <br /> == 日本における投資信託の歩み ==<br /> === 太平洋戦争と財閥解体 ===<br /> 1937年7月、[[藤本ビルブローカー]]が藤本有価証券組合を結成した。組合員が運営することが難しいので藤本証券が世話役を買ったところ、信託類似の行為であるとして業界と政府当局の反対により打ち切られた。1940年6月25日、大蔵省は寛大な指令を出した。「今後は信託会社と連携し、委託者の募集の斡旋、信託会社の証券投資事務の範囲内において、ユニット・トラストの形における投資信託に関与することは差し支えなし」というので、[[野村証券]]が認可を求めたところ1941年11月13日大蔵省が認可した。野村投信は[[太平洋戦争]]緒戦の戦果による株価高騰で含み益を得た。1942年9月、藤本、[[山一証券|山一、小池]]、[[遠山元一|川島屋]]、[[戦時金融金庫|共同]]の5社が、合弁で創設した日本投資信託(1950年から[[東京信託銀行]])を[[特定金銭信託]]の受託者として、一斉に投資信託業務をスタートした。1943年まで順調に毎月募集された。1944年4月設定分からは、国民貯蓄組合の斡旋する貯蓄の対象となって、1ユニットにつき元本一万円までは収益が非課税とされたので、募集額が飛躍的に増大した。これらクローズド型ファンドは、軍需産業をはじめ外地の会社の証券にも投資をしていたので、敗戦にともない大打撃を受けた。[[逆コース]]で株式市況が立ち直ると、各社とも[[朝鮮戦争]]勃発までに全額償還した。&lt;ref&gt;[[有沢広巳]]監修 『日本証券史 1』 日本経済新聞社 1995年 216-218頁&lt;/ref&gt;<br /> <br /> 野村の投信は戦時投資信託設定総額の47%を占め、二位の山一のほぼ2倍であった。組み入れ証券のうち、国債は額面100円に市場価格は75円程度、株式には時価不明のもの、許可なしでは処分できない外地会社・制限会社もあり、社債もほとんど市場性がない[[閉鎖機関]]・企業再建整備会社の発行社債であり、顧客と[[損失補填]]を契約していたこともあって償還は延期されていた&lt;ref&gt;『日本証券史資料 戦前編 第八巻 公社債・投資信託・税制』 日本証券経済研究所 2011年 35頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 1951年6月、[[投資信託及び投資法人に関する法律|証券投資信託法]]が施行された。この制度は[[財閥解体]]による株式の肩代わり機関として始まった&lt;ref name=worldsystem /&gt;。[[奥村綱雄]]が[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]経済科学局のアリソン次官を黙認させ、法案審議では[[池田勇人]]蔵相が必要性を強弁していた&lt;ref&gt;有沢広巳監修 『日本証券史 2』 日本経済新聞社 1995年 89、92頁&lt;/ref&gt;。施行後すぐ野村、[[日本興業銀行|日興]]、山一、[[大和証券|大和]]の4社が登録した&lt;ref name=hiromi89&gt;『日本証券史 2』 89-91頁&lt;/ref&gt;。大阪屋証券(現・[[岩井コスモ証券]])と大井証券(現・[[新光証券]])が7月と9月に登録した&lt;ref name=hiromi89 /&gt;。彼らが募集したのは単位型であったが、無記名式を新たに採用し、買い取りと一部解約を制度化し、契約から資産構成を解放し、戦前の損失補填特約を廃した&lt;ref name=hiromi89 /&gt;。[[池田・ロバートソン会談]]のときにデフレ政策がとられて株価が大きく下がり、1955年まで運用成績は低迷した&lt;ref name=hiromi89 /&gt;。すでに設定されていた追加型は1956年1月から信託期間が無期限となった&lt;ref name=hiromi89 /&gt;。<br /> <br /> === 証券不況と国際投信 ===<br /> 1958年、7証券会社が投信業務の免許を得て、証券会社の兼営による委託会社は14社となった&lt;ref name=hiromi142&gt;『日本証券史 2』 142-146頁&lt;/ref&gt;。翌1959年、大手証券4社が新委託会社を設立し、兼営という利益相反問題に応じた&lt;ref name=hiromi142 /&gt;。昭和30年代には好景気を背景に株式投信が人気を呼び、増加する資金が株式を需要し株価を上昇させるという循環がみられた。1961年1月には日興証券と[[庭山慶一郎]]の発案で公社債投信が大衆向けに発売された&lt;ref name=hiromi142 /&gt;。4月に公社債発行条件が引き下げられると、ファンドは利回りを確保するため新発債の組み入れ比率を80%から50%に下げた&lt;ref name=hiromi142 /&gt;。7月には公定歩合が引き上げられ、公社債投信は解約が増加した&lt;ref name=hiromi142 /&gt;。組み入れ公社債は証券会社が引取った&lt;ref name=hiromi142 /&gt;。1963年に当時大蔵大臣だった[[田中角栄]]も公社債投信を支援した。同年株式投信の残存元本は1955年比で20倍の1.17兆円となっていた&lt;ref name=hiromi142 /&gt;。時代人は「池の中のメダカが鯨になった」というたとえを残している。ある証券会社の支店は懸垂幕で「銀行よさようなら、証券よこんにちは」なる文句を掲げた&lt;ref&gt;[http://www.mhigano.com/blog/2007/01/post_dbf8.html 「貯蓄から投資へ」の今昔] 日向野幹也・立教大学経営学部教授&lt;/ref&gt;。やがて流動性を失った公社債が引き金となり[[証券不況]]が起こった&lt;ref name=hiromi142 /&gt;。<br /> <br /> 1967年8月、投信法改正でファミリーファンドの根拠となる「みなす投資信託」が認められた。ファミリーファンドは子投信を消費者に販売して、その資金で親投信を買うという仕組みである。FOFがトップダウンの投信ピラミッドならば、このファミリーファンドは逆にボトムアップのそれであった。ユーロクリアの設立された1968年には単位型・追加型投信がともに元本額を回復した。&lt;ref name=hiromi298&gt;『日本証券史 2』 298-299頁&lt;/ref&gt;<br /> <br /> [[1969年]]2月、野村証券と[[N・M・ロスチャイルド&amp;サンズ]]と[[メリルリンチ]]が共同出資で、いわゆる太平洋ファンド(Pacific Seaboard Fund)を設立した。この純資産額は3200万ドルで、日本株ほか太平洋沿岸諸国の銘柄が1800万ドルを占めた。3月、東京バロールという[[ルクセンブルク]]の日本株専門投信が設立された(純資産額2100万ドル、全額日本株投資)。4月、金利平衡税が従来の18.75%から11.25%に引き下げられた。これとニューヨーク株式市場の不振と見通しの悪さから、5月から[[ミューチュアル・ファンド]]が日本の証券市場に買出動してきた。キーストン・カストディアン([[:en:Evergreen Investments|Keystone Custodian Funds, Inc.]])やドレフュス・ファンド([[:en:Dreyfus Corporation|Dreyfus Fund]])、そして[[フィデリティ・インベストメンツ]]が日本株を組み入れ注目されたのである。9月、ドレフュス・ファンド(純資産24億ドル)が1億ドルを日本株へ一挙に投下してきた。翌1970年1月、[[連邦準備制度]]が日本株式投資に対するガイドラインを強化した。&lt;ref&gt;伊奈健二 「国際化時代にはいった証券市場」 証券経済 第110号 1970年5月 24-25頁&lt;/ref&gt;<br /> <br /> 太平洋ファンドの投資顧問は、少なくとも日仏投信(1964年3月設定)と野村証券(1969年1月10日大蔵省認可)である。<br /> <br /> 当時、外人投資の中心は欧州の投信であった。彼らは日本の比較的かぎられた優良株・成長株に集中投資をして、ユーロクリア創立以降の市場価格形成において完全に主導権をとった。こうして[[株価収益率]]概念が日本市場に定着した。&lt;ref name=kawai&gt;川合一郎 『日本の証券市場』 東洋経済新報社 1979年 246-254頁&lt;/ref&gt;<br /> <br /> === 資本自由化による機関化 ===<br /> 1970年2月以降、[[第3次佐藤内閣|佐藤政権]]下で日本株価の堅調を見た国際投信による買い越しが続いた。4月30日、バーナード・コーンフェルド率いるIOSの経営危機をきっかけとして海外投資家による大量売りがおこった(いわゆるIOSショック)。世界的に株価暴落、日経平均株価も8.7%下げた&lt;ref&gt;日興リサーチセンター株式会社 『日本経済と資本市場 企業と投資家のガバナンスがもたらす変化』 東洋経済新報社 2016年 21頁&lt;/ref&gt;。日本は外国人による政府短期証券の取得を禁じ、また非居住者による非上場公社債・公社債投信の取得も禁じ(1971年)、もっとすすんで外国人が対日証券投資を純増できなくした(1972年)&lt;ref name=kawai /&gt;。しかし投信は解約にめげるどころか[[資本自由化]]を迫ってきた。日本側の措置は1973-4年を通して全廃された&lt;ref name=kawai /&gt;。<br /> <br /> 1971年5月4日、野村投信委託が日本初の国際投信(国際合同投信)を150億円で設定した&lt;ref name=daiwa /&gt;。この投資顧問は、ドレフュスとモルガン・グレンフェル(現[[ドイツ銀行]])であった&lt;ref name=daiwa /&gt;。[[オイルショック]]の1972年11月、外国投信の国内販売が自由化された&lt;ref name=hiromi298 /&gt;。翌1973年からファミリーファンドは設定額を次第に減らした&lt;ref name=hiromi298 /&gt;。1973年1月29日には[[大和証券]]がドレフュス・ファンドを日本国内で販売開始した&lt;ref name=daiwa&gt;『日本証券史資料 戦後編 別巻二 証券年表(明治・大正・昭和)』 日本証券経済研究所 1989年&lt;/ref&gt;。1976年1月、ファミリーファンドは無期限だった信託期間を有期に改めるなどの改善策がとられた&lt;ref name=hiromi298 /&gt;。翌1977年には株式投信の57%を占めた&lt;ref name=hiromi298 /&gt;。新商品も開発の主軸が単位型から追加型へ移っていった&lt;ref name=hiromi298 /&gt;。<br /> <br /> 1980年に発売された[[中期国債ファンド]]が、一ヶ月据え置き後出し入れ自由&lt;ref group=&quot;※&quot;&gt;正確には30日未満の解約には信託財産留保金が必要&lt;/ref&gt;、銀行預金を上回る実質金利で一ヶ月複利などの商品性を持つことから人気商品となった。証券会社は[[マネー・マーケット・ファンド|預金類似商品]]の開発などにより投資信託の大衆化を図った。組み入れ証券は傾向が1970年代とさして変わらず、供給量を直接取引が抑えてくれいてた一流企業の株式や公社債であった。このような官民癒着に外資が便乗した。1985年、[[住友銀行]]が買収したゴッタルド銀行([[:de:Gotthard-Bank|Gotthard-Bank]])が、[[イトマン]]発行[[外債]]の主幹事をやるということで銀証分離が骨抜きにされた&lt;ref&gt;[[奥村宏]] 『日本の株式会社』 東洋経済新報社 1986年 199頁&lt;/ref&gt;。この同年4月には[[日本電信電話]]と[[日本たばこ産業]]が民営化され、株式は即座に機関化された。5月21日、[[長期信用銀行]]・[[第一証券]]・[[ベアリングス銀行]]の三社が日本の機関投資家対象の[[投資顧問業]]について全面提携することで合意した&lt;ref name=daiwa /&gt;。1986年12月、東京が[[オフショア市場]]として開放された。そして[[リクルート事件]]が日本の機関化を正当化した。<br /> <br /> === 住専とリート、そして年金 ===<br /> もはや募集・運用主体においても組み入れ証券においても、日本だけに的を絞って研究することが難しくなった。<br /> <br /> [[バブル景気]]には株式投信が著しく増加を示し、[[1989年]]には58兆円(公社債投信含む)に上った。株式投信は為替差損を避けがたかったので基準価額は低迷し、多くの投資家が損失をこうむった。バブルが崩壊した1991年頃から公社債投信がじわりと増加し始めた。一部のアナリストや学者が[[サブプライム・ローン]]を論じたこともあり、投資信託の選択の難しさは評価会社へのニーズにつながった。そこで1996年、[[藤沢久美]]によって日本初の投資信託評価会社アイフィス(1999年に[[スタンダード&amp;プアーズ]]社に売却)が設立された。少し立ち止まり、増加していた公社債投信の組み入れ証券は何か、一部の日本人がサブプライム・ローンに関心を寄せていたのはなぜか、という問いを立ててみよう。これに大切な示唆を与えてくれるのが1996年6月に破綻した[[住宅金融専門会社]]である。ノンバンクとしての資金調達は、自らが保有する[[不動産担保証券]]を、外国投資顧問が十年前から参入している[[信託銀行]]に信託し、[[担保付社債信託法#運用実績|オープンエンド化]]した信託受益権を機関投資家に販売することによって行っていた。<br /> <br /> 1997年に系列の証券会社や投信運用会社が銀行の一部スペースを借りて販売窓口となる形(店舗貸し方式)で投資信託の販売が解禁された([[金融ビッグバン]])&lt;ref group=&quot;※&quot;&gt;従来、投資信託は、[[リスク]]商品の取り扱いを禁じられていた[[銀行]]や[[生命保険]]会社では販売が認められず、事実上[[証券会社]]の専売特許であった。&lt;/ref&gt;。1998年12月から銀行窓口での投資信託販売が解禁された。これを皮切りに、[[銀行]]や[[生命保険]]・[[損害保険]]会社、[[信用金庫]]、信用組合、[[農業協同組合]]、[[郵便局]]などが参入し、販売競争が激化している&lt;ref group=&quot;※&quot;&gt;もっとも、投資信託ではないが商品性が投資信託に似た商品([[変額保険]]・[[年金保険|変額年金保険]]など)を扱う[[日本生命]]のように、投信販売の取り扱いを中止する企業も現れている。&lt;/ref&gt;。やがて、[[ゼロ金利政策]]で預貯金ではきわめてわずかの利息収入しか得られないこと、2002年の定期性預金についての[[ペイオフ (預金保護)|ペイオフ]]解禁、2005年の全面解禁により、大口預金者が[[毎月分配型投資信託]]に注目するようになった。2007年、[[日本郵政公社]]が民営化にともない機関化された。[[野村総合研究所]]のファンドマークによると、2008-9年[[世界金融危機]]で日本の投信は海外不動産投資信託の組み入れ額を2兆円から1兆円に下げたが、そのあとは単純増加傾向で2011年に5兆円、2015年に8兆円も組み入れている。<br /> <br /> 2012年[[LIBOR]]不正操作事件においては、投信手数料がLIBORに連動する上場投資信託が存在した。これを特に教訓とすることなく、[[日銀]]は国際証券集中保管機関と上場投資信託の普及をねらっている。2012年には多くの[[厚生年金基金]]が解散に追い込まれたので、代わりに[[確定拠出年金]]が投信の売り込み先となっている。<br /> <br /> == 投資信託と退職者 ==<br /> 現在、多額の金融資産を有しているのは預貯金を中心に運用していた60歳以上の人々である&lt;ref&gt;[http://www.smtb.jp/others/report/economy/cmtb/pdf/repo0806_2.pdf わが国の資産保有の実態と資産活性化プラン]中央三井トラスト・ホールディングス 2008年夏調査報告 2014年1月8日閲覧&lt;/ref&gt;。こうした資金を取り込むため、年金が主たる収入という生活実態に配慮し、分散投資することにより安全性に留意しつつ、毎月ないしは年金の受け取り月以外の月に分配のある商品も開発されており、これらの商品は投資信託の純資産残高の上位にランキングされている&lt;ref group=&quot;※&quot;&gt;2006年7月の純資産増加ランキングのうち、[[毎月分配型投資信託|毎月分配型]]が8本、年6回配当型が2本入っている&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ただし、独立系FP([[ファイナンシャルプランナー]])の多くは、[[勤労者]]が退職時に[[退職金]]を基に生まれて初めての投資信託購入などの投資を始める際には、事前に十分研究してから、できれば損失が所得で補える現役時代(退職以前)から、小額で始めて投資経験を積むように警告している&lt;ref&gt;[http://diamond.jp/articles/-/16316 まとまったお金があると発病!?「退職金運用病」に要注意! ] 2014年1月3日閲覧 &lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[http://www.nikkei.com/money/column/nkmoney_tokushu.aspx?g=DGXNASFK1002D_10052012000000&amp;df=2 退職貧乏父さんにならない方法]日本経済新聞 2012年5月16日記事 2014年1月8日閲覧&lt;/ref&gt;。この点、以下のような理由を挙げている。<br /> * 退職金のようにそれまでに手にしたことのない多額の金を手にして気分が高揚しているので、冷静な判断がしにくい可能性がある<br /> * 投資信託は安全性が高いとは言え、投資は常にリスクを伴うものであり、その仕組みや市場の傾向、投資技術などよく理解するには一定の経験が必要<br /> * 今まで給与振り込みなどをしており退職金も振り込まれた口座のある銀行は、退職者の財政状況(それまでの収入や金融資産額など)をよく知っており、そのような銀行の窓口で言われるままに投資信託を購入することは、退職者の利益よりも銀行の利益を優先した勧誘になる可能性がある&lt;ref&gt;[https://www.rakuten-sec.co.jp/web/market/opinion/yamazaki/yamazaki_20090619.html#q-03 山崎元 退職金が振り込まれた銀行では資産運用しない! ] 2014年1月3日閲覧 &lt;/ref&gt;<br /> <br /> 今では現役世代も[[年金積立金管理運用独立行政法人]]を通し運用させられている場合が多い。<br /> <br /> == 注釈 ==<br /> {{Reflist|group=&quot;※&quot;}}<br /> == 出典 ==<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> {{Cite book |和書 |author1=田村威 |author2=杉田浩治 |author3=林皓二 |author4=青山直子 |authorlink= |coauthors= |translator= |date=2016-11-30 |title=十二訂 プロフェッショナル投資信託実務 |publisher=経済法令研究会 |isbn=978-4-7668-2394-3 |ref=harv }}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[運用会社]]<br /> * [[証券取引等監視委員会]]<br /> * [[投資信託協会]]<br /> * [[集団訴訟]]<br /> <br /> &lt;!--== 外部リンク ==<br /> *[http://www.toushin.or.jp/ 一般社団法人 投資信託協会]--&gt;<br /> <br /> {{デフォルトソート:とうししんたく}}<br /> [[カテゴリ:投資信託|*]]</div> 2400:7800:4975:9200:2406:BDF0:D198:E90A
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