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利用者の投稿記録
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ジョイ・ディヴィジョン
2018-05-28T21:42:31Z
<p>202.226.244.16: 送り仮名の修正</p>
<hr />
<div>{{Infobox Musician<br />
| Name = ジョイ・ディヴィジョン<br />Joy Division<br />
| Img = <br />
| Img_capt = <br />
| Background = group_or_band<br />
| Origin = {{ENG}} [[マンチェスター]]<br />
| Genre = [[ポストパンク]]<br />
| Years_active = [[1976年]] - [[1980年]]<br />
| Label = [[ファクトリー・レコード]]<br />
| Associated_acts = [[ニュー・オーダー]]<br />
| Past_members = [[イアン・カーティス]]<br />[[ピーター・フック]]<br />[[スティーヴン・モリス]]<br />[[バーナード・サムナー|バーナード・アルブレヒト]]<br />
}}<br />
<br />
'''ジョイ・ディヴィジョン''' ('''Joy Division''') は、[[イギリス]]の[[ロック (音楽)|ロックバンド]]。<br />
<br />
[[1976年]]に[[グレーター・マンチェスター]]のサルフォードで結成され、[[ポストパンク]]を代表するバンドの一つとして活躍。ボーカリストの[[イアン・カーティス]]の書く内省的な歌詞や特徴的なライブパフォーマンスは多くの人を惹きつけた。ところが、初のアメリカ・ツアーへの出発前日の[[1980年]]5月18日にカーティスが[[自殺]]。突然の悲劇によりバンドは解散を余儀なくされた。その後、残されたメンバーは[[ニュー・オーダー]]を結成することになる。<br />
<br />
活動期間も短かったが[[レディオ・ヘッド]]など1980年代末以降の[[オルタナティヴ・ロック]]に多大な影響を及ぼした<ref>[http://www.allmusic.com/artist/joy-division-mn0000290812 Joy Division - Biobraphy] - Allmusic</ref>。また、代表曲の一つである「[[ラヴ・ウィル・テア・アス・アパート]]」は80年代の名曲として名高い<ref>[http://www.barks.jp/news/?id=1000012043 あなたの人生で最高の一曲は?]</ref><ref>[http://www.barks.jp/news/?id=1000027278 英学生のアンセム、トップ10発表]</ref>。<br />
<br />
== メンバー ==<br />
* [[イアン・カーティス]] (Ian Curtis) - [[ボーカル]] <br />
* [[バーナード・サムナー|バーナード・アルブレヒト]] (Bernard Albrecht) - [[ギター]]、[[キーボード (楽器)|キーボード]]<br />
* [[ピーター・フック]] (Peter Hook) - [[ベース (弦楽器)|ベース]]<br />
* [[スティーヴン・モリス]] (Stephen Morris) - [[ドラムセット|ドラム]]<br />
<br />
== 来歴 ==<br />
=== 結成 ===<br />
[[1976年]]6月4日の金曜日、かねてからの友人同士であった[[バーナード・サムナー|バーナード・アルブレヒト]]と[[ピーター・フック]]は、[[マンチェスター]]のフリー・トレード・ホールで行われた[[セックス・ピストルズ]]のライブ<ref>[[バズコックス]]が前座とプロモーターを務めた。</ref><ref>観客数はわずか42人であったが、サムナーとフックのほかに、[[ファクトリー・レコード]]を設立したトニー・ウィルソン、ジョイ・ディヴィジョンや[[U2]]をプロデュースしたマーティン・ハネット、[[ザ・フォール]]のマーク・E・スミス、[[ザ・スミス]]の[[モリッシー]]、[[:en:Simply Red|シンプリー・レッド]]のミック・ハックネルがいた。</ref>を観に行った。ピストルズのパフォーマンスに衝撃を受けた二人は、すぐに自分たちもバンドを結成することを決意。アルブレヒトがギター、フックがベースを担当することになり、ボーカリストには以前にライヴ会場で顔を合わせたことがあったイアン・カーティスが加入。その後ドラマーを見つけるのに苦労したが、[[1977年]]8月にスティーヴン・モリスがバンドに加わったことでメンバーが固まった。<br />
<br />
当初、バンド名は[[バズコックス]]のマネージャーの命名によりスティフ・キトゥンズ(Stiff Kittens)としていたが、すぐに[[デヴィッド・ボウイ]]のアルバム『[[ロウ (アルバム)|ロウ]]』収録曲からとった「ワルシャワ (Warsaw)」という名称に変更。その後、類似する名前のバンドが存在することが判明したため、バーナード・サムナーの発案およびバンド内での協議により[[1978年]]1月から「ジョイ・ディヴィジョン」と名乗るようになった。この名前は[[ナチス・ドイツ]]の[[強制収容所 (ナチス)|強制収容所]]内に設けられた[[慰安所]]に由来するもので、[[イェヒエル・デ・ヌール]]の小説『[[:en:The House of Dolls|ダニエラの日記]]』の一節からとられた。<br />
<br />
=== アンノウン・プレジャーズ ===<br />
[[1978年]]9月、ジョイ・ディヴィジョンは[[ファクトリー・レコード]]のオーナーであり、地元の音楽シーンの顔役であったトニー・ウィルソンが司会を務めるテレビ番組に出演。ほどなくしてファクトリーとレコード契約を締結する。バンドは次第に知名度を高め、[[1979年]]1月にはイアン・カーティスが音楽誌[[ニュー・ミュージカル・エクスプレス|NME]]の表紙を飾る。<br />
<br />
1979年4月からは1stアルバム『[[アンノウン・プレジャーズ]]』のレコーディングに入る。当時の彼らの演奏は荒削りで[[パンク・ロック]]の影響を引きずっていたが、プロデューサーの[[:en:Martin Hannett|マーティン・ハネット]]の手により劇的な変化が加えられ、張りつめた空気と陰鬱さを併せ持つポストパンクのサウンドが構築された。これにはイアンの書く絶望や孤独を歌った歌詞も大きく貢献している。アルバムは発売直後から賛辞をもって受け入れられ、[[全英アルバムチャート]]では最高71位だったものの、インディーチャートでは初登場2位を記録し最終的に首位を獲得した。<br />
<br />
アルバム発売後の10月からは[[バズコックス]]をサポートする全英ツアーに出ることになり、音楽で生計を立てることが可能になったメンバーはそれまで続けていた仕事を辞めてバンド活動に専念することになった。<br />
<br />
=== イアンの死とクローサー ===<br />
バンドは[[1980年]]1月にヨーロッパを回るツアーを行った後、2月からは全英ツアーを展開。さらに3月からは次作『[[クローサー (ジョイ・ディヴィジョンのアルバム)|クローサー]]』のレコーディングのため、再びハネットとスタジオ入りする。バンドが順調に成功への階段を上る一方で、過密したスケジュールは次第にイアン・カーティスの心身を蝕んでいった。持病の[[てんかん]]と[[うつ病]]、さらに女性関係の問題も抱え精神的に不安定な状態になったイアンは、ツアーの最中の4月7日に[[フェノバルビタール]]を服用して[[自殺]]を図る。この時は一命を取り留めたものの、一部のライヴをキャンセルした後にツアーが続行されたため、イアンの健康状態は悪化した。<br />
<br />
[[1980年]][[5月18日]]、全米ツアーへの出発を前日に控えた月曜日の早朝にイアンは自宅で首を吊り自殺。彼の遺体は同日の昼に帰宅した妻デボラにより発見された。突然の悲劇によりヴォーカリストを失ったジョイ・ディヴィジョンは活動を停止し、全米ツアーもキャンセルされた。<br />
<br />
遺作となったシングル「[[ラヴ・ウィル・テア・アス・アパート]]」は5月に[[全英シングルチャート]]13位を記録。7月には二枚目の(同時に最後の)アルバム『[[クローサー (ジョイ・ディヴィジョンのアルバム)|クローサー]]』がリリースされ、[[全英アルバムチャート]]6位まで上昇。年末にはNME誌の特集で年間最優秀アルバムに選出された。<br />
<br />
=== ニュー・オーダー ===<br />
{{Main|ニュー・オーダー}}<br />
残されたメンバーは話し合いの末、音楽活動を継続することを決定。イアンの生前に結ばれた「メンバーが一人でも欠けたらジョイ・ディヴィジョンの名前でバンド活動は行わない」という約束に基づき、バンド名は[[ニュー・オーダー]]に改められ、ボーカルはギタリストのバーナードが兼任することになった。1980年9月には延期されていた全米ツアーを敢行している。<br />
<br />
後年、ニュー・オーダーはイアン・カーティスの自殺が伝えられた時の心境を曲にした「[[ブルー・マンデー (ニュー・オーダーの曲)|ブルー・マンデー]]」を発表。同シングルは世界的なヒットを記録した。<br />
<br />
== ディスコグラフィ ==<br />
=== オリジナルアルバム ===<br />
* [[アンノウン・プレジャーズ]] - ''Unknown Pleasures'' (1979年)<br />
* [[クローサー (ジョイ・ディヴィジョンのアルバム)|クローサー]] - ''Closer'' (1980年)<br />
<br />
=== シングル ===<br />
* トランスミッション - "Transmission" (1979年)<br />
* アトモスフィア - "Licht und Blindheit" ("Atmosphere") (1980年)<br />
* コマキノ - "Komakino" (1980年)<br />
* [[ラヴ・ウィル・テア・アス・アパート]] - "Love Will Tear Us Apart" (1980年)<br />
* アトモスフィア - "Atmosphere" (1980年)<br />
* アトモスフィア - "Atmosphere" (再発盤) (1988年)<br />
* ラヴ・ウィル・テア・アス・アパート - "Love Will Tear Us Apart" (再発盤)(1995年) <br />
* ラヴ・ウィル・テア・アス・アパート - "Love Will Tear Us Apart" (再発盤)(2007年)<br />
<br />
※「アルバムに入れると統一感が失われる」という理由で、[[シングル]]曲はオリジナルアルバムに収録されていない。<br />
<br />
=== コンピレーション ===<br />
* [[スティル (ジョイ・ディヴィジョンのアルバム)|スティル]] - ''Still'' (1981年) 未発表音源・ライヴ集<br />
* [[サブスタンス (ジョイ・ディヴィジョンのアルバム)|サブスタンス]] - ''Substance 1977-1980'' (1988年) シングル集<br />
* パーマネント~ベスト・オブ・ジョイ・ ディヴィジョン - ''Permanent'' (1995年) ベストアルバム<br />
* コンプリートBBCレコーディングス ''Joy Division The Complete BBC Recordings'' (2000年) ジョン・ピール・セッションを完全収録<br />
* ハート&ソウル - ''Heart And Soul'' (2004年) 未発表音源を含むボックスセット<br />
* マーティン・ハネット・パーソナル・ミックス - ''Martin Hannett’s Peronal Mixes''(2007年) レア音源集<ref>[http://www.cdjournal.com/main/news/joy-division/15143 ジョイ・ディヴィジョンのM.ハネット所有レア音源集、日本発売決定]</ref><br />
* レット・ザ・ムーヴィー・ビギン - ''Let The Movie Begin'' (2007年) ライヴ&アウトテイク集<ref>[http://www.cdjournal.com/main/news/-/10321 ジョイ・ディヴィジョンの発掘ライヴ盤が日本でも発売決定]</ref><br />
* ザ・ベスト・オブ・ジョイ・ディヴィジョン - ''The Best Of Joy Division'' (2008年) リマスターされたベストアルバム<ref>[http://www.cdjournal.com/main/news/joy-division/18040 ジョイ・ディヴィジョンの新たなベストCDが登場!レア音源集の限定アナログも発売に]</ref><br />
* ''+- Singles 1978-80'' (2010年) リマスターされたシングル集<br />
* トータル~ベスト・オブ・ジョイ・ディヴィジョン&ニュー・オーダー ''Total – From Joy Division to New Order''(2011年) ニュー・オーダーとのカップリング・ベスト<br />
<br />
=== ライブアルバム ===<br />
* ライヴ・イン・プレストン - ''PRESTON 28 FEBRUARY 1980'' (1999年)<br />
* ライヴ・イン・パリ - ''Les Bains Douches 18 December 1979''(2001年)<br />
<br />
=== 映像作品 ===<br />
* Here Are The Young Men (1982年) 複数のコンサート映像及び「Love Will Tear Us Apart」の[[ミュージック・ビデオ|PV]]を収録。未DVD化。<br />
<br />
== 映画 ==<br />
* [[24アワー・パーティー・ピープル]] (2002年) ジョイ・ディヴィジョンの所属していたファクトリー・レーベルの興亡を描く。物語前半はジョイ・ディヴィジョン、後半は[[ハッピー・マンデーズ]]を中心に進められる。<br />
*[[コントロール (2007年の映画)|コントロール]](2007年) 日本では2008年公開。イアン・カーティスの妻デボラの著書、[[:en:Touching from a Distance|タッチング・フロム・ア・ディスタンス]]をベースにイアンの半生を描く。監督は写真家として有名な[[アントン・コービン]]。主演は[[:en:Sam Riley|サム・ライリー]]。第60回[[カンヌ国際映画祭]]でカメラドール/スペシャル・メンション賞を受賞。<br />
* [[:en:Joy Division (2007 film)|ジョイ・ディヴィジョン]](2007年) 監督[[:en:Grant Gee|グラント・ジー]]による[[ドキュメンタリー]]作品。<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
{{Reflist}}<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[ニュー・オーダー]]<br />
* [[バッド・ルーテナント (バンド)|バッド・ルーテナント]]<br />
* [[法月綸太郎]] - 彼の代表作の一つ『頼子のために』にジョイ・ディヴィジョンに言及している記述がある他、短編集『パズル崩壊 WHODUNIT SURVIVAL 1992-95』には「トランスミッション」「シャドウ・プレイ」という作品が収録されている。<br />
<br />
==外部リンク==<br />
*[http://www.wmg.jp/artist/joydivision/index.html ワーナーミュージック・ジャパン - ジョイ・ディヴィジョン]<br />
<br />
{{ニュー・オーダー}}<br />
{{Normdaten}}<br />
{{DEFAULTSORT:しよいていういしよん}}<br />
[[Category:ニュー・オーダー]]<br />
[[Category:イングランドのロック・バンド]]<br />
[[Category:ポストパンク・バンド]]</div>
202.226.244.16
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