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https:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&feedformat=atom&user=131.147.248.38 miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja] 2024-06-21T13:43:43Z 利用者の投稿記録 MediaWiki 1.31.0 帆船 2018-01-17T07:11:37Z <p>131.147.248.38: /* 燃料高騰と帆船の復活(21世紀~) */</p> <hr /> <div>{{出典の明記|date=2015年12月}}<br /> [[画像:Kobe Kaio-maruII02ds3200.jpg|thumb|250px|ヨット(帆船)の例、背後の帆船は[[海王丸II世]]]]<br /> [[画像:Tall ship Christian Radich under sail.jpg|250px|thumb|シップの例(ノルウェー船籍のChristian Radich号)]]<br /> &#039;&#039;&#039;帆船&#039;&#039;&#039;(はんせん)とは「[[帆]]」に[[風]]を受けて推進力とする[[船]]のことである。<br /> <br /> == 帆船の種類と帆装 ==<br /> [[Image:Tackling.png|right|thumb|300px|帆走[[フリゲート]]とその帆装図]]<br /> &#039;&#039;&#039;帆装&#039;&#039;&#039;(はんそう)とは[[船舶工学]]における帆船の[[艤装]]の構成要素で、[[マスト]]と[[帆]]の組み合わせを体系化したものである。多くの場合、以下の3つの構成を含む。<br /> * 軽微な風での航行性 : 風の多くは[[ビューフォート風力階級|至軽風]]であるため、軽微な風での航行を可能としておく必要がある。<br /> * 風に応じた対応性 : 可変的な風に対応するため、風の強弱などに応じて帆の調整を可能とする必要がある。<br /> * 嵐に対する適応力 : 嵐のような極めて強い風の中でも、船を保守するための帆の管理を可能とする必要がある。<br /> <br /> 帆には&#039;&#039;&#039;横帆&#039;&#039;&#039;と&#039;&#039;&#039;縦帆&#039;&#039;&#039;の2種類がある。横帆は追い風を捉える効率が高く、[[季節風]]を利用して長距離を移動するのに向いている。縦帆は追い風の利用効率は劣るが、より風に向かって間切る、つまりより前方から吹く風を利用することができ、操船がしやすいという利点がある。<br /> {{main|帆}}<br /> <br /> 以下に挙げるのは一般的に用いられる帆装と、それに類する特徴的な帆装である。一般的な帆装はマストの本数と、そこに張られた帆の種類で分類できる。<br /> <br /> === マスト1本 ===<br /> * [[サンフィッシュ (帆船)|サンフィッシュ]] - [[帆#ラテンセイル|ラテンセイル]]を持つ。<br /> * [[キャットボート]] - [[帆#ガフセイル|ガフセイル]]を持つ。<br /> * [[ガンター]] - ガフセイルと[[帆#ジブ|ジブ]]を持つ。<br /> * [[スループ]] - ガフセイルとジブを持つ。ガンターよりガフセイルが大きく、分割されている点で異なる。<br /> ** 戦闘用スループ - マストの本数や帆の種類を問わず、砲門の数によって定義される。マストを複数持つものが多く、2本であればブリッグ・スループ、3本であればシップ・スループと呼ばれる。軽快なため[[17世紀]]~[[18世紀]]の[[海賊]]などが利用した例が多い。<br /> * [[カッター (船)|カッター]] - ガフセイルとジブを持つ。スループとよく似ているが、船体に対するマストの位置が異なる([[カッター (船)#帆走カッター]]を参照)。<br /> * [[プロア]] - [[帆#クラブクロウセイル|クラブクロウセイル]]を持つ。<br /> &lt;gallery&gt;<br /> Image:Sail plan catboat.svg|キャットボート<br /> Image:Sail plan gunter.svg|ガンター<br /> Image:Sail plan sloop.svg|スループ<br /> Image:Sail plan cutter.svg|カッター<br /> Image:Sail plan proa.svg|プロア<br /> &lt;/gallery&gt;<br /> <br /> === マスト2本 ===<br /> * [[ブリッグ (船)|ブリッグ]] - 2本のマスト両方に[[帆#横帆|横帆]]を持つ。スループで前述したが、戦闘用のものは帆の種類を問わない。<br /> ** [[スノー (船)|スノー]] - ブリッグ型の帆装に加えて、スノーマストと呼ばれる小さな縦帆を船尾に持つ。<br /> * [[ブリガンティン]] - 2本のうち、少なくとも1本(通常前側)に横帆を持つ。他方は種類を問わないが、通常ブリッグと区別するために[[帆#縦帆|縦帆]]が用いられる。<br /> ** [[ブリガンティン|ハーマフロダイトブリッグ]](スクーナーブリッグ) - 前マストにブリッグ型の横帆、後マストにスクーナー型の縦帆を持つ。ブリガンティンと同一視されることが多い。<br /> * [[スクーナー]] - 2本のマスト両方に縦帆を持つ。マストが3本以上の場合でも、全て縦帆であればスクーナーと呼ばれる。<br /> ** トップスルスクーナー - スクーナーのうち、前のマスト上部に横帆を持つもの。操作が比較的容易なため、トレーニングシップにこの形が多い。<br /> ** ツートップスルスクーナー(ジャッカスブリッグ) - スクーナーのうち、両方のマスト上部に横帆を持つもの。<br /> * [[ケッチ]] - 2本のマスト両方に縦帆を持つ。上記3種の帆装は後側が[[マスト#帆船のマスト|メインマスト]]であるが、ケッチとヨールの場合は前側がメインマストである。またケッチとヨールはよく似ているが、ミズンマストの高さと目的が異なる([[ケッチ#類似した帆装]]を参照)。<br /> * [[ヨール]] - 2本のマスト両方に縦帆を持つ。<br /> &lt;gallery&gt;<br /> Image:Brig.png|ブリッグ<br /> Image:Snow.png|スノー<br /> Image:Brigantine.png|ブリガンティン<br /> Image:HermaphroditeBrig.png|ハーマフロダイトブリッグ<br /> Image:Sail plan schooner.svg|スクーナー<br /> Image:Topsailschoonerdiagram.jpg|トップスルスクーナー<br /> Image:Double-topsail schooner (jackass brig).png|ツートップスルスクーナー<br /> Image:Sail plan ketch.svg|ケッチ<br /> Image:Sail plan yawl.svg|ヨール<br /> &lt;/gallery&gt;<br /> <br /> === マスト3本以上 ===<br /> * [[シップ (帆船)|シップ]](全装帆船) - 全てのマストに横帆を持つ。[[戦列艦]]や[[クリッパー (船)|クリッパー]]もシップに含まれる。<br /> * [[バーク]] - 最後列のマストに縦帆、残りに横帆を持つ。19世紀末~20世紀の帆船の終末期にドイツが積極的に採用建造した形式だったこともあり、その時代に活動した大型帆船の多くが3~4本マストのバークであった。<br /> * [[ジャッカスバーク]] - 横帆と縦帆を半々に持つ。3本マストの場合はフォアマストが横帆、ミズンマストが縦帆、中央のメインマストには縦帆と横帆を半分ずつ持つ。4本マストの場合はフォア・メインマストが横帆、ミズン・ジガーマストが縦帆となる。<br /> * [[バーケンティン]](スクーナーバーク) - 最前列のマストのみ横帆、残りに縦帆を持つ。<br /> &lt;gallery&gt;<br /> Image:Sail plan ship.svg|シップ<br /> Image:Sail plan barque.svg|バーク<br /> Image:Jackass bark.png|ジャッカスバーク<br /> Image:Sail plan barquentine.svg|バーケンティン<br /> Image:Sail plan schoonerx3.jpg|3本マストのスクーナー<br /> &lt;/gallery&gt;<br /> <br /> === 特徴のある帆装 ===<br /> * [[ジャンク (船)|ジャンク]] - 中国で使用された。[[帆#ジャンク帆|ジャンク帆]]を持つ。<br /> * [[ジーベック (船)|ジーベック]] - アラビア近辺の地中海で使用された。最前列のマストのみ横帆、残りは縦帆を持つ。初期のものは2本マスト、終期のものは3本のマストを持つ。ブリガンティンやバーケンティンは縦帆がガフセイルであるが、ジーベックの縦帆はラテンセイルである点で異なる。<br /> * [[フェラッカ]] - アラビア近辺の地中海で使用された。ジーベックと類似した帆装であるが、全てのマストにラテンセイルを持つ。<br /> &lt;gallery&gt;<br /> Image:Sail plan junk.svg|ジャンク<br /> Image:Sail plan xebec.svg|ジーベック<br /> Image:Sail plan felucca.svg|フェラッカ<br /> &lt;/gallery&gt;<br /> <br /> == 歴史 ==<br /> 帆船の源流には、北ヨーロッパを中心に横帆式の帆を用いた「&#039;&#039;&#039;北方船&#039;&#039;&#039;」と、地中海やペルシャ湾を中心に縦帆式の帆を用いた「&#039;&#039;&#039;南方船&#039;&#039;&#039;」の2系統がある&lt;ref&gt;金子隆一『船のしくみ』新星出版社 2008年、ISBN 9784405106727 p.34.&lt;/ref&gt;。それぞれの技術が融合して15世紀に標準型全装帆船が誕生し、19世紀のクリッパーに至ったが、[[蒸気船]]の登場とともに凋落していった{{sfn|ロモラ&R.C.アンダーソン |1999|p=3}}。<br /> <br /> === 初期の帆船(紀元前) ===<br /> &lt;!-- [[人類]]がいつ帆船を発明したかは良く分かっていない。[[エジプト]]のナイル渓谷の[[遺跡]]には、帆をもった舟らしき壁画が残されている。この壁画は約8000年前に描かれたと推定されている。<br /> 古代地中海の帆船は1本のマストに四角帆が船の前後方向に対し斜めに張られたものであったが、[[1世紀|紀元元年]]前後のエジプトでは、2本のマストを持つ帆船も現れだした。 --&gt;<br /> 紀元前4000年頃のものと推定される[[古代エジプト]]の陶器に帆走船を描いたと思われる図案が残されている。ただ、この絵には人物が一切描かれていないため、本当に船なのか疑問がある{{sfn|ロモラ&R.C.アンダーソン |1999|pp=1-11}}。古代エジプト人は紀元前3000年頃から外洋航海をするようになり、[[クレタ島]]や[[フェニキア]]に船を出し[[レバノン杉]]などを輸入していた。紀元前2700年頃の[[サフラー]]王の墳墓には2脚のマストと操舵用の[[オール]]を備えた船のレリーフが残されており、サフラー王は8隻の艦隊でフェニキアから捕虜を連れてきたとある{{sfn|ロモラ&R.C.アンダーソン |1999|pp=1-11}}。<br /> <br /> 紀元前2200年頃から紀元前2200年頃にかけて[[エーゲ海]]で栄えた[[ミノア文明]]で、貿易船を守るため戦闘専門の軍艦で編成された世界初の[[海軍]]が作られた。ギリシャ人の使う[[ガレー船]]はその後も地中海東部の軍船の主流となった{{sfn|レイヴァリ |2007|pp=22-25}}。ガレー船には船首に小さい帆、中央に大きな帆が付いており、巡航時には帆を使い、戦闘時には帆をたたんで漕走した。細身で高速なガレー船は「長い船」と呼ばれ、連絡用や重要人物の輸送に使われたが、物資の輸送には速度は出ないが頑丈で容積のある「丸い船」と呼ばれる商用船を作り、用途に応じて使い分けをした{{sfn|ロモラ&R.C.アンダーソン |1999|pp=22-27}}。この種の船はローマ人にも利用され、マストを2本備えた船や、[[アンフォラ]]を1万個運べる「一万船」と呼ばれる大型船も作られた。<br /> <br /> 紀元前の北ヨーロッパの帆走船に関して[[ユリウス・カエサル]]が紀元前56年に遺した記録では、[[ブリトン人]]は獣皮と薄いなめし革で作られた帆を備えた木造船を使っていたという。<br /> <br /> === アラブの帆船(7世紀~18世紀) ===<br /> [[Image:Latin Sail.png|thumb|right|100px|三角帆]]<br /> [[File:Dhonitokyoahead.jpg|thumb|right|200px|[[ドーニー]]([[モルディブ]]、2006年)]]<br /> [[アラブ人]]は、[[イスラム]]の[[共同体]]や信用制度を基礎として、[[インド洋]]を中心として、[[東アフリカ]]から果ては[[中国]]にまで及ぶ、帆船による海上貿易ネットワークを構築し、インド洋は「イスラムの海」の様相を呈していた(勢力図が変化したのは16世紀にポルトガルなどヨーロッパ諸国が進出してからである)。アラブ人は独特な[[海図]]と[[航海術]]を発展させ、夜間の航海も可能にした。『[[アラビアンナイト]]([[千夜一夜物語]])』の「船乗り[[シンドバッド]]」は、10世紀ごろのアラブ人船乗りの世界を描いている、と言われている。<br /> <br /> また同海上貿易ネットワークは、インド化したアラブ人を出現させたように、アラブ化したインド人船乗りも出現させた。多くのインド商人が帆船で[[ソファーラ]]([[モザンビーク]])周辺に行き、[[銑鉄]]を高額で買い付け回り、インドに輸出していた模様なども、アラブ人[[イブン・アル・ワルディ]]の旅行記に記されている。 <br /> <br /> [[帆#ラテンセイル|三角帆]]を特徴としたアラブ独特の帆船は、今でも[[ザンジバル島]](アフリカ)、[[パキスタン]]、[[モルディブ]]、[[インドネシア]]など広範囲で使用されており、「[[ドーニー]]」(ドーニィ)や「[[ダウ船|ダウ]]」などと呼ばれている。<br /> <br /> === オセアニアの帆船 ===<br /> 紀元前2500年頃から、[[アウストロネシア]]の太平洋、インド洋への移民が始まり、紀元前1000年頃には[[ポリネシア人]]が[[サモア]]、[[トンガ]]などに達している。当時使われた船を示す直接の証拠はないが、風の弱い時期を選んで風上に向かって帆走していたと考えられている{{sfn|レイヴァリ |2007|pp=18-21}}。<br /> [[ミクロネシア]]文化人や[[ポリネシア]]人は天測や生物相の観察、うねりの観察などを用いた独自の航法技術([[スター・ナヴィゲーション]])を発達させ、時に数千キロにも及ぶ大航海を行っていた。<br /> <br /> オセアニアでは、逆三角帆(クラブクロウ・セイル)を用いた帆船が盛んに建造され、人や物の交流に使用されていた。これらを総称して「セイリング・カヌー([[帆走カヌー]])」と呼ぶ。セイリング・カヌーには単胴のもの([[アウトリガーカヌー]])と双胴のもの([[ダブルカヌー]])がある。<br /> <br /> === 中国の帆船(8~18世紀) ===<br /> 北宋時代に高麗へ派遣する使節用として造られた帆船は全長約110メートル積載量1100トン以上で、見た事のない大船だと記される。一般の貿易船としては、積載量275トン程度の大船から万斛船と呼ばれる600~900トン程度の巨大帆船まで様々な種類の船が用いられた。戦闘船は速度が重視され、一日千里を航行すると記録されている。<br /> <br /> ヴェネツィアの旅行家[[マルコ・ポーロ]](Marco Polo,[[1254年]] -[[1324年]])は20年近く[[元 (王朝)|元朝]]の[[クビライ|クビライ・ハーン]]に仕えた。そのときのことを口述した『[[東方見聞録]]』において、元朝の南方交易用の帆船は、4本のマストを持ち乗員は60名程度であること、[[竜骨 (船)|竜骨]](キール)によって船体は高い強度を保っていること、浸水しても沈没を免れる隔壁構造の船体を採用していること、[[羅針盤]]によって正確な遠洋航行が可能であることを報告している。<br /> <br /> [[中国]]の[[明|明朝]]では[[鄭和]]が[[1405年]]から[[1433年]]にかけて7回の大航海を行った。航海した範囲は[[東南アジア]]、[[インド]]、[[アラビア半島]]、[[アフリカ]]東岸にまでわたった。これらの航海には長さ173m、幅56mにも及ぶ巨大な帆船が用いられた(詳細は項目「[[鄭和]]」を参照のこと)。<br /> <br /> === 北方船(6~15世紀) ===<br /> {{See also|ロングシップ|コグ船}}<br /> 6世紀の中頃、[[クロンファートのブレンダン|聖ブレンダン]]がカラッハ(柳の枝に革を張ったボート)で大西洋を航海したという伝説があるが、鉄具とタールで補強し、取舵オールと帆を装備していたと伝えられる。<br /> <br /> 1939年に[[サクソン人]]の船葬墓が[[サフォーク州]]サットン・フーで発見された。625年頃[[イースト・アングリア]]の王[[レドウォルド]]を葬ったものと考えられ、クリンカー・ビルド(鎧張り)工法で作られるなど後のロングシップとの類似点が多く見られる{{sfn|レイヴァリ |2007|pp=32-35}}。<br /> <br /> 8世紀半ばから11世紀の半ばまでの300年間、北ヨーロッパでは[[ヴァイキング]]が勢力を拡大した。ロングシップと呼ばれる深い竜骨と取り外しのできる横帆を取り入れた船首尾同型船で[[イングランド]]を襲撃、征服し、地中海やカスピ海、北アメリカにまで至った。いくつかのロングシップが船葬墓として発見されているが、それらはオールの数が15対と少なく戦闘用のロングシップではないと見られる{{sfn|ロモラ&R.C.アンダーソン |1999|pp=44-45}}。北欧の[[サガ]]の記述には多くのオールを装備した船がしばしば見られることから、戦闘用のロングシップは更に武骨で大型だったと考えられている{{sfn|ロモラ&R.C.アンダーソン |1999|pp=44-45}}。また、ヴァイキングは貨物用の[[クナール]]という帆走ボートを使用していた。クナールはロングシップと比べて喫水が深く、前後は短いが幅が広く、オールは少なくマストは完全に固定されていた。<br /> <br /> ヴァイキングの退潮後も、1本マストの船首尾同型船は北ヨーロッパ諸国で使われた。11世紀の[[ノルマン人]]によるイングランド侵攻を描いた[[バイユーのタペストリー]]では、その建造から出撃の様子を見ることができる。基本的デザインはヴァイキング船と変わらないが、盾の配置や馬の輸送船など[[騎兵]]戦術への移行への対応が見て取れる{{sfn|レイヴァリ |2007|pp=40-41}}。また、他のロングシップの後裔として[[スコットランド]]のウエスト・ハイランド・ガレーがある。ウエスト・ハイランド・ガレーは舷側舵ではなく船尾舵を持ち、15世紀まで使われた。<br /> <br /> 12世紀になると[[バウスプリット]]と[[舵]]を備えた北方船が出現する。バウスプリットによって風上への帆走が可能になり、船体が傾斜した状態では役に立たない舷側舵は船尾舵へと切り替えられた{{sfn|ロモラ&R.C.アンダーソン |1999|pp=50-60}}。13-14世紀にはこの種の大型船はコグ船と呼ばれ、[[ハンザ同盟]]の標準船舶となった。北ヨーロッパでは海戦はあまり起きなかったが、コグ船は戦時には船首楼、船尾楼を設け戦闘用に改装される場合があった{{sfn|レイヴァリ |2007|p=42}}。時とともに船首楼、船尾楼は大型化、常態化され、居住スペースの拡張として商船にも採用された。<br /> <br /> コグ船は基本的にクリンカー・ビルド工法だが、船体上部はカーヴェル・ビルト(平張り)工法で作られた。北ヨーロッパにはもう一種、[[ハルク船]]と言われる大型船があり、こちらは完全にクリンカー・ビルド工法で作られた{{sfn|レイヴァリ |2007|p=42}}。<br /> <br /> === 西欧諸国の大航海時代(15~18世紀) ===<br /> [[ポルトガル]]の[[エンリケ航海王子]]([[1395年]] - [[1460年]])は、インド航路を再開拓するために、船乗りの援助や帆船の改良に力を注いだ。<br /> <br /> 当時、東方との交易はイスラム商人が高い関税をかけていたため、直接、中国やインドなどから[[陶磁器]]、鉄製品、綿織物、[[香料]]、[[香辛料]]、[[絹]]などを入手するルートを開拓する必要があり、帆船には様々な改良が加えられた。それまでの帆船は1本マストであったが、この頃から3本マストの帆船が現れる。[[キャラベル船]]の誕生はそれまでの西欧の貧弱な帆船と比べ活動範囲を大幅に拡大した。キャラベル船は3本のマストに三角帆(ラテン帆)を採用することで、逆風でも前進できることが特徴である。<br /> <br /> [[クリストファー・コロンブス]]の第一回目の航海における[[サンタ・マリア号]]の僚艦、[[ニーニャ号]]と[[ピンタ号]]がキャラベル船である。[[15世紀]]、キャラベル船とほぼ同時期に開発された[[キャラック船]]は、遠洋航海においてそれまでの西欧の旧型帆船と比べ多量の輸送を可能にし、[[大西洋]]や[[インド洋]]を越えインドや中国との南海交易に参加することを可能とした。<br /> <br /> コロンブスによる[[アメリカ大陸]]の発見([[1492年]])、[[ヴァスコ・ダ・ガマ]]による[[喜望峰]]を経由する[[インド]]航路の再利用([[1498年]])がなされた。[[1519年]]から[[1522年]]にかけて[[フェルディナンド・マゼラン]]による世界一周航海がなされている。<br /> <br /> === 軍艦の発展(16~18世紀) ===<br /> [[File:Invincible Armada.jpg|thumb|right|200px|スペイン[[無敵艦隊]]]]<br /> [[16世紀]]に入ると帆船の主流はキャラベル船、キャラック船から[[ガレオン船]]に代わっていった。軍船も同様に、ガレー船からガレオン船に代わっていった。ガレオン船は船首楼より高い船尾楼を持つことが特徴である。従来、竜骨の長さは船幅の2.5倍程度だったが、3倍まで船体の全長が長くなったことも特徴に挙げられる。ガレオン船は商船としても用いられたが、大量の[[大砲]]を搭載できたことから主に[[軍艦]]として用いられた。大航海時代の主役はポルトガルと[[スペイン]]であったが、[[1588年]]、[[フランシス・ドレーク]]らが率いるイギリス艦隊がスペインの[[無敵艦隊]]を破り、状況は一変する。スペインは大西洋の制海権を失い、イギリスが一大海運国として台頭するきっかけとなった。<br /> <br /> [[17世紀]]後半から[[18世紀]]にかけて、軍艦は艦隊を組み、大火力による艦隊決戦をしばしば行うようになる。この時期に行われた有名な海戦として[[トラファルガーの海戦]]([[1805年]])が挙げられる。艦隊の主力は「[[戦列艦]]」と呼ばれる2~3層の砲列甲板に合計50~130門の大砲をもつ艦種であった。戦列艦は20世紀の軍艦における[[戦艦]]や[[巡洋艦]]に相当する。戦列艦に比べ軽快な、1~2層の砲列甲板に合計20~50門の大砲をもつ「[[フリゲート]]」と呼ばれる艦種も登場してきた。18世紀初頭には従来の「舵取り棒」に代わって操舵輪が用いられるようになり、より効率のよい操船が可能になった(詳細は&#039;&#039;[[帆船時代の海戦戦術]]&#039;&#039;も参照のこと)。<br /> <br /> === ティークリッパー(19世紀) ===<br /> [[File:Cutty Sark (ship, 1869) - SLV H91.250-164.jpg|thumb|right|200px|[[カティーサーク]]]]<br /> 19世紀は帆船史上もっとも多くの帆船が建造された時代であり、そのピークは1891年のアメリカで、年間に14万4000トンの帆船が建造された{{sfn|レイヴァリ |2007|pp=230-241}}。とくに1880年代は歴史上もっとも多くの帆走商船が貨物輸送を行っていた{{sfn|レイヴァリ |2007|pp=230-241}}。<br /> <br /> 19世紀の科学的進歩は帆船の建造技術にも及んだ{{sfn|レイヴァリ |2007|pp=230-241}}。18世紀末にジョセフ・ハダードによって従来より2倍の強度となるロープの編み方が考案され、1850年代には鉄製の[[ワイヤー]]が導入されるようになり索具の設計に大幅な自由度がもたらされた。1827年には初めての鉄製マストを持つHMS「[[フェートン]]」が建造された。マストの鉄製化は船体上部の重量軽減と省スペースとなり、強度も向上した。また1850年に鉄の肋材に木の外板を貼り付けた木鉄船体をもつ「エクセルシオール号」が[[リヴァプール]]で建造された。これらの木鉄船は、巨木の入手が困難な地域で普及した。蒸気船との競争に対して帆船の劣る点の一つに人件費の問題があった。そのため、より少ない人数で船を操作できるように縮帆法や帆の構成などに工夫が加えられ、1890年代に[[ウインチ]]が導入された。<br /> <br /> 19世紀に[[紅茶]]を運ぶための快速船「ティークリッパー」が中国からイギリスまで新茶を届ける速さを競い合った。最初に届けられた新茶は高値で取引されるため、船主に莫大な利益をもたらしたのである。この競争は「ティーレース」と呼ばれ、「[[カティーサーク]]」、「[[サーモピレー]]」などのティークリッパーがしのぎを削りあった。ティークリッパーは外洋を高速で帆走できるよう、標準よりも細長い船型をしている。例えば「カティーサーク」では縦の長さは横幅の6倍に達している。微妙な操船が困難になる細長い船型が可能になった背景には、[[蒸気機関]]によるタグボートが普及し、曳航によって出入港ができるようになったことが挙げられる。<br /> <br /> 19世紀は軍艦の主力が帆船から[[蒸気船]]に主役が交代した時代でもあった。19世紀前半あたりでは、[[石炭]]の補給の問題から蒸気船は比較的短距離の航路での運用に限られていたが、給炭地が整備され、蒸気機関の性能が向上するにつれ蒸気船の優位性が明らかになってきた。<br /> しかし、初期の動力船は船体に対して機関部と石炭庫の容積が大きすぎ、遠距離の商用航海には不向きだった&lt;ref&gt;金子隆一『船のしくみ』新星出版社 2008年、ISBN 9784405106727 pp.42-45.&lt;/ref&gt;。<br /> 蒸気船の優位を決定的にしたのは、[[1869年]]の[[スエズ運河]]の開通である。スエズ運河一帯はほとんど無風であるため、蒸気船の独擅場だったのである。帆船はその恩恵に与ることが出来ず、上述の「ティークリッパー」の多くは中国航路から、[[オーストラリア]]からの羊毛輸送に転向を余儀なくされ、やがて姿を消していった。<br /> <br /> クリッパーの時代が終わった1880年代には、ヨーロッパでは積載量を重視した鋼鉄製の大型帆船が作られるようになっていった{{sfn|レイヴァリ |2007|pp=230-241}}。帆船は荒海として知られる[[ホーン岬]]を回る航路では蒸気船よりも上手く乗りきれるとされ、オーストラリア航路やチリの硝酸の輸送に活躍した。<br /> <br /> === 帆船の衰退後(20世紀~) ===<br /> 20世紀初頭にはアメリカの「トマス・W・ローソン」や、ヨーロッパ~チリ間の硝石輸送で大規模な帆走商船隊を編成したドイツのF・ライツ社が所有した「プロイセン」など、鉄・鋼鉄製の船体で大型・多マストの帆船が建造されたが、もはや帆船は海運の主役ではなくなっていた。{{要出典範囲|イギリスに於いては19世紀末から帆船の建造が行われなくなっていたが、|date=2015年12月}}フランスでは1881年より帆船に対する補助金制度があったため、帆船時代の末期においても多くのフランス籍の大型商用帆船が就航していた。当時、フランス帆船は空荷で世界一周をしても、補助金によって十分な利益を挙げることができると言われていた。<br /> <br /> [[第一次世界大戦]]で[[Uボート|ドイツ潜水艦]]による商船無差別攻撃([[無制限潜水艦作戦]])などにより数多くの商用帆船が失われ、またフランスの補助金制度も打ち切られたため、所有していた英米仏の船会社は貨物運航を汽船に切り替えた。ドイツのライツ社は戦後賠償で失った船の一部を買い戻して再建を図ったが、結局1930年代前半迄に船員養成用の数隻を残して売却し汽船に置き換えた。両大戦間の時代はフィンランドの船主グスタフ・エリクソンが世界中で放棄された高性能の大型帆船を買い集めて大規模な帆走商船隊を編成し、ヨーロッパ~オーストラリア間で穀物輸送に当たっていた。当時は汽船の時代になってもなお航海士の免許に帆船の乗船経験を必要とした国が少なくなかったため、エリクソンの船団にはそのような実習生が多数乗船し、人的な面での需要もまだ残っていた。<br /> <br /> しかし、エリクソンの帆走商船隊も[[第二次世界大戦]]で大半の船を失い、1947年の彼の死と共に終わりを告げた。最後まで残っていたのは南米のチリ沿岸で運航されていた1隻と、[[西ドイツ]]の船主が練習船兼穀物輸送の貨物船として使用していた2隻だったが、[[1957年]]9月22日に西ドイツの「パミール」が南大西洋上で台風の直撃を受けて遭難沈没し、大半の乗員と実習生が犠牲となる惨事が起き、姉妹船の「パサート」も運航継続を断念、翌1958年6月18日にチリ沖で肥料輸送に就いていた「オメガ」が沈没し、ここに大型商用帆船は海上から姿を消した。<br /> &lt;!-- 2006年2月20日 (月) 23:20の版まであった「1949年に売却された最後の2隻」とは西ドイツの両船のことを指しているものと考えます。実際は更に約10年近く運航しました --&gt;<br /> <br /> その後[[オイルショック]]の時代、航空力学を応用したハイテク商用帆船の建造が真剣に検討され、設計も行われたが、結局は建造前にオイルショックそのものが終わりを告げたため、建造されずに終わっている。なお、このとき設計された帆船を実質的な主人公とした小説「A Ravel of Waters」が執筆されているが、これは日本でも[[ハヤカワ文庫]]から「電子帆船ジェットウインド」の題名で出版されていた。<br /> <br /> それを最後に、大型帆船の活躍の場は[[海軍]]の士官や民間の船員養成の練習船など、限定されたものになってしまっている。<br /> <br /> === 燃料高騰と帆船の復活(21世紀~) ===<br /> [[File:RC Painting.jpg|thumb|200px|ロイヤル・クリッパー(2009年)]]<br /> [[File:BMW Oracle BOR90.JPG|thumb|200px|三胴のレース帆船(2009年)]]<br /> [[File:USA-17-flying-cropped.jpg|thumb|160px|[[アメリカスカップ]]に出場する帆船(2010年)]]<br /> [[ファイル:America&#039;s Tall Ship to visit St. Petersburg, Fla. 130520-G-TG089-036.jpg|thumb|250px|訓練航海中の[[:en:USCGC Eagle (WIX-327)|イーグル]](2013年)]]<br /> <br /> 21世紀に入ってスタークリッパー社が、前述のプロイセン号をモデルにした5本マスト・シップ型の大型帆船「[[:en:Royal Clipper|ロイヤル・クリッパー]]」を初めとする3隻の帆走[[クルーズ客船]]をカリブ海域に投入している。<br /> <br /> 貨物船としては、原油高騰のあおりを受けた2007年以降、コンピュータで制御する大きな凧を装備したタンカーが運航されるようになった。このような[[機帆船]]は、第一次[[オイルショック]]の際に検討されていたが、帆を操作する熟練した船員が多数必要であり、これが人件費を抑えようとする船主との思惑と一致しないという問題点が存在した。現在は風向風速計からえられたデータをコンピュータで解析、帆を電動モータで正確に制御することにより船員を最小限にして、最大で燃費を15~30%程度改善する効果があるとされる。<br /> <br /> これらの省エネルギーを目的とした帆船は、補助動力として風を利用しており、予定航海日数を厳守するべくヨットレースのように向かい風を利用してジグザグ航行を行ってまで燃料節約を行わない。<br /> <br /> [[2008年]]には[[フランス]]の海運業者Compagnie de Transport Maritime a la Voile社(CTMV)によって、[[ワイン]]の商用輸送が再開された。CTMVは108隻の古い帆走船を所有しており、その速度は8ノット程度ではあるが、環境問題に関するアピールや燃料代の節約になっている。<br /> <br /> その後も帆走を推進力の一部とした、帆船と汽船のハイブリッド船の開発は続いており、[[新愛徳丸]]計画の他、大学と海運会社により硬翼帆を使った省エネルギー帆船の研究が進められている&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://wind.k.u-tokyo.ac.jp/index.html|title=ウィンドチャレンジャー計画HP|date=2014-01-29|accessdate=2014-01-29}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 実用船としては一般的ではなくなったが、[[オリンピック]]のセーリング競技の他、[[アメリカスカップ]]や[[ボルボ・オーシャンレース]]などのヨットレースが盛んに行われており、これらに参加する帆船の帆は人力で操作するものの、船体は最新の[[流体力学]]による知見と[[炭素繊維]]などのハイテク素材を利用して開発されている。<br /> <br /> [[北海道]]の[[野付湾]]では、[[ホッカイエビ]]漁の際に住処となる[[アマモ]]を傷つけないようにエンジンを停止して帆走のみで漁を行う[[打瀬網漁]]が伝統行事として続いており、地元の観光資源にもなっている&lt;ref&gt;[http://betsukai-kanko.jp/tokusanhin/shimaebi/hokkaisimaebi-question/ 北海シマエビ漁Q&A | 別海町観光協会]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[アメリカ沿岸警備隊]]ではドイツから戦後賠償として取得された[[バーク]]([[:en:USCGC Eagle (WIX-327)|イーグル]])を士官学校の海洋実習船として利用している。<br /> <br /> 現代でも帆船の特性に由来するルール『[[スターボード艇優先の原則]]』が国際法として継承されている。<br /> <br /> == 水上機 ==<br /> [[ファイル:Bundesarchiv Bild 102-12156, Wasserflugzeug mit Segeln.jpg|250px|thumb|帆を張った[[ロールバッハ Ro II]]]]<br /> [[水上機]]はエンジンで水上を滑走するだけでなく帆を張れば帆船ともなるため、一種の[[機帆船]]とみなすこともできる。<br /> <br /> 機械の信頼性が低かった時代にはエンジンの故障で不時着水した際、陸まで移動するための予備動力として取り外し可能な[[マスト]]と帆が搭載されており、緊急時には帆船となって移動することが想定されていた。<br /> <br /> エンジンの信頼性が向上した現代の[[水上機]]には採用されていない。<br /> <br /> == 有名な帆船 ==<br /> === 17世紀前まで ===<br /> ; [[サンタ・マリア号]]([[15世紀]]、スペイン、[[キャラック船|ナオ]])<br /> : [[1492年]]、コロンブスによる初の大西洋横断航海のときに使われた3隻の帆船のうちの最大の船で、コロンブスが乗船した。イスパニョーラ島発見後に座礁、解体された。マストの本数、帆数と種類は判明しているものの船体については不明な部分が多い。<br /> ; [[ビクトリア号]]([[16世紀]]、スペイン、[[キャラック船|キャラック]])<br /> : [[フェルディナンド・マゼラン]]による[[1519年]]から[[1522年]]にかけ地球一周航を目指した5隻の船団の1隻。船団の中で唯一世界一周を成し遂げた。<br /> ; [[ゴールデン・ハインド]]([[17世紀]]、イギリス、[[ガレオン船|ガレオン]])<br /> : [[フランシス・ドレーク]]が世界一周を行った時の旗艦。ただし、南米の[[ドレーク海峡]]を通過した時点で船団はゴールデン・ハインド号だけとなっていた。<br /> ; [[メイフラワー号]]([[17世紀]]、イギリス、[[フリュート]])<br /> : 1620年、106人の清教徒をイギリスから新天地アメリカに運んだ。<br /> ; [[サン・ファン・バウティスタ号]]([[1614年]]、日本(仙台藩)、ガレオン)<br /> : 日本で最初に建造された大型西洋式帆船。ローマ教皇のもとに遣わされたルイス・ソテロ(Luis Sotelo)および[[支倉常長]]以下の使節団を太平洋を横断してメキシコへ送りとどけ、同使節団の帰途にもメキシコから日本へ連れ帰った。<br /> ; [[ヴァーサ (戦列艦)|ヴァーサ]]([[1628年]]、[[戦列艦]])<br /> : 処女航海で横転沈没した悲劇の船。[[1961年]]に船体の原型をほぼ保った形で引き揚げられ、17世紀ガレオン船の構造を示す貴重な資料となっている。<br /> ; [[ソブリン・オブ・ザ・シーズ]](1637年、イギリス、戦列艦)<br /> : 100門の大砲を備えた。[[オランダ海軍]]は「黄金の悪魔」と称した。<br /> <br /> === 18世紀・19世紀 ===<br /> ; [[バウンティ (帆船)|バウンティ]]([[1784年]]、イギリス、[[シップ (帆船)|シップ]])<br /> : 南太平洋の[[タヒチ]]から帰途の途中で発生した叛乱で有名。この史実は[[マーロン・ブランド]]主演の『戦艦バウンティー』や[[メル・ギブソン]]主演の『バウンティ/愛と叛乱の航海』など計3度映画化されている。<br /> ; [[ヴィクトリー (戦列艦)|ヴィクトリー]]([[1765年]]、イギリス、戦列艦)<br /> : [[トラファルガーの海戦]]で[[ホレーショ・ネルソン (初代ネルソン子爵)|ネルソン提督]]の旗艦となった戦列艦。イギリス海軍の現役の戦艦としてポーツマス港に保存されている。<br /> ; [[エンデバー (帆船)|エンデバー]](1768年、イギリス、[[バーク]])<br /> : [[ジェームズ・クック]]により、世界航海に使用された。<br /> ; [[コンスティチューション (フリゲート)|コンスティチューション]]([[1797年]]、アメリカ、[[フリゲート]])<br /> : [[米英戦争]]で活躍したフリゲート。アメリカ海軍の現役艦として数回の大修理を経て2008年現在も航海可能であり、航海可能な現役艦としては世界最古である。また、ポーツマス港に保存される戦列艦ヴィクトリー、横須賀に保存される戦艦[[三笠 (戦艦)|三笠]]とあわせ世界三大記念艦とされる。<br /> ; [[ビーグル (帆船)|ビーグル]](1820年、イギリス、[[ブリッグ (船)|ブリッグ]])<br /> : イギリス海軍の調査船。[[チャールズ・ダーウィン]]が乗り込んだ船として有名。<br /> ; [[メアリー・セレスト号]]([[1861年]]、アメリカ、[[ブリガンティン]])<br /> : [[1872年]]12月4日、中部大西洋で無人のまま漂流している所を発見され、後に[[アーサー・コナン・ドイル]]の小説「J・ハバクック・ジェフソンの証言」でのマリー・セレスト(Marie Celeste)として広く知られるようになった。船長の家族を含む全乗員の行方は、現在もなお海事史上のミステリーの一つである。<br /> ; [[カティーサーク]]([[1869年]]、イギリス、[[クリッパー (船)|クリッパー]])<br /> : 現存する唯一のティークリッパー。&#039;&#039;&#039;[[サーモピレー]]([[1868年]]建造、イギリス)&#039;&#039;&#039;とスピード競争を繰り広げた。ロンドン近郊のグリニッジで保存展示されていたが、復元工事中の2007年5月21日に火災事故が発生。2012年に一般公開が再開された。[[スコッチウイスキー|スコッチ]]の銘柄の名称としても有名。<br /> <br /> === 20世紀 ===<br /> ; [[雲鷹丸]]([[1909年]]、日本、[[バーク]])<br /> : 東京海洋大の前身である東京水産大の前身である農商務省水産講習所の初代練習船・快鷹丸が韓国慶尚北道迎日湾にて難破したため、[[1909年]]に大阪鉄工所桜島造船所で、2代目練習船として建造された。4本マストのバーク。国産鋼製船舶としては現存最古。[[1962年]]に、越中島から現在の[[東京海洋大学]]品川キャンパスに移設され、[[1998年]]12月11日に国の登録有形文化財として登録された。<br /> ; [[ゼーアドラー (帆船)|ゼーアドラー]]([[1915年]]、ドイツ、クリッパー)<br /> : 第一次世界大戦時に[[通商破壊]]を行った。海の悪魔(Seeteufel)と称えられた。<br /> ; [[ホクレア]]([[1975年]]、ハワイ、[[航海カヌー]])<br /> : 伝統的航海技術研究の為に建造された双胴の航海カヌー。[[ナイノア・トンプソン]]はこの船を用いて独自のスター・ナヴィゲーション技術を編み出した。現在までにハワイからニュージーランド、イースター島、タヒチ等、ポリネシア・トライアングル内の主要な島々を全て訪問している。<br /> ; [[明治丸]]([[1875年]]、日本、[[スクーナー]])<br /> : 明治政府所管灯台視察船(兼ロイヤル・ヨット)。[[1876年]]、[[明治天皇]]が東北地方巡幸の際に乗船し7月20日に帰着。[[平成]]になってこれに因み[[海の記念日]]が制定された。[[1896年]]に東京商船学校の練習船として下付された。[[1978年]]に日本に現存する唯一の鉄船として[[重要文化財]]の指定を受け、[[東京海洋大学]]の越中島キャンパス内で保存されている。<br /> ; 初代[[大成丸]]([[1904年]]、日本、バーク)<br /> : 東京高等商船学校航海練習船。4本マストのバーク。1912-13年に掛けて初の世界一周遠洋航海に就く。[[1945年]]10月9日、神戸沖の瀬戸内海で触雷沈没。<br /> ; [[進徳丸]]([[1924年]]、日本、[[バーケンティン]])<br /> : 神戸高等商船学校航海練習船。4本マストのバーケンティン。[[1945年]]8月に空襲を受け大破着底、[[1946年]]に引き揚げられ修理されたが、帆装は復旧せず汽船練習船として用いられた。[[1962年]]に引退し神戸商船大学の敷地に保存されたが、[[1995年]]の[[阪神淡路大震災]]で被災し、解体された。<br /> ; [[日本丸 (初代)|日本丸]]([[1930年]]、日本、バーク)<br /> : 文部省航海練習船。4本マストのバーク。[[1984年]]に引退し、その役割を[[日本丸 (2代)|日本丸II世]]に引き継いだ。[[横浜みなとみらい21]]で展示・保存されている。<br /> ; [[海王丸 (初代)|海王丸]]([[1930年]]、日本、バーク)<br /> : 文部省航海練習船。4本マストのバーク。[[1989年]]に引退し、その役割を[[海王丸 (2代)|海王丸II世]]に引き継いだ。富山新港海王丸パークにて一般公開されている。<br /> ; [[新愛徳丸]]([[1980年]]、日本)<br /> : 世界初の省エネ帆走商船。<br /> ; 海星([[1987年]]、[[ポーランド]]、[[ブリガンティン]])<br /> : [[1990年]]に日本の民間のNPO団体が運営したトレーニングシップ。2本マストのブリガンティン。広く海事思想の普及に勤めたが、[[2003年]]に運航を停止し、アメリカに売却された。<br /> ; [[あこがれ (船舶)|みらいへ]]([[1992年]]、日本、スクーナー)<br /> : 大阪市が所有していたセイル・トレーニングシップ。旧船名は「あこがれ」。3本マストのトップスルスクーナー。日本の帆船として初めて世界一周航海(東回りヨーロッパ航路)を達成した。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> * {{Cite book |和書 |author = ブライアン・レイヴァリ |translator = 増田義郎、武井摩利 |title = 船の歴史文化図鑑:船と航海の世界史 |date = 2007 |publisher = 悠書館 |isbn = 9784903487021 |ref = harv }}<br /> * {{Cite book |和書 |author = ロモラ&R.C.アンダーソン |translator = 松田常美 |title = 帆船:6000年の歩み |date = 1999 |publisher = 成山堂書店 |isbn = 4425953215 |ref = harv }}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> {{Commons|Category:Sailing ships}}<br /> {{Commons|Category:Sailing ships of Japan|日本の帆船}}<br /> * [[和船]]<br /> * [[大航海時代]]<br /> * [[帆船時代の海戦戦術]]<br /> * [[アウトワード・バウンド]]<br /> * [[海洋冒険小説]]<br /> * [[ボトルシップ]]<br /> * [[帆船模型]]<br /> * [[セーリング]]<br /> * [[回航]]<br /> <br /> {{帆船}}<br /> {{Normdaten}}<br /> {{DEFAULTSORT:はんせん}}<br /> [[Category:船の種類]]<br /> [[Category:船舶の歴史]]<br /> [[Category:帆船|*]]</div> 131.147.248.38
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