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miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja]
2024-12-03T02:41:53Z
利用者の投稿記録
MediaWiki 1.31.0
川崎フロンターレ
2018-07-25T11:00:58Z
<p>121.92.166.42: /* コラボレーション */</p>
<hr />
<div>{{サッカークラブ<br />
|font-color= #000<br />
|background-color= #00BFFF<br />
|原語表記=川崎フロンターレ<br />
|愛称=川崎、川崎F、フロンターレ<br />
|カラー={{colorbox|#00BFFF}} サックスブルー<ref name="jleague" /><br />{{colorbox|#000}} ブラック<ref name="jleague" /><br />{{colorbox|#FFF}} ホワイト<ref name="jleague" /><br />
|創設=1955<br />
|リーグ=[[日本プロサッカーリーグ]]<br />
|ディビジョン=[[J1リーグ]]<br />
|クラブライセンス=J1<br />
|ホームタウン=[[神奈川県]][[川崎市]]<ref name="jleague">{{Cite web|url=http://www.j-league.or.jp/club/kawasakif/|title=クラブガイド:川崎フロンターレ|publisher=[[日本プロサッカーリーグ]]|accessdate=2014-07-23}}</ref><br />
|スタジアム=[[ファイル:Kawasaki Frontale 2008.11.23.JPG|216px]]<br/>[[等々力陸上競技場]]<ref name="jleague" /><br />
|キャパ=27,495<ref name="jleague" /><br />
|法人名=株式会社川崎フロンターレ<ref name="jleague" /><br />
|代表=藁科 義弘<ref name="jleague" /><br />
|監督={{flagicon|JPN}} [[鬼木達]]<br />
|HP=http://www.frontale.co.jp/<br />
}}<br />
{{基礎情報 会社<br />
|社名=株式会社川崎フロンターレ<ref name="jleague" /><br />
|英文社名=Kawasaki Frontale Co., Ltd.<br />
|ロゴ=<br />
|画像=[[File:Kawasaki Frontale Headquarter.jpg|200px|本社(2012年10月31日)]]<br />
|画像説明=本社(2012年10月31日)<br />
|種類=[[株式会社]]<br />
|市場情報=<br />
|略称=<br />
|本社所在地=[[神奈川県]][[川崎市]][[高津区]][[末長 (川崎市)|末長]]四丁目8-52<ref>{{PDFlink|[http://www.city.kawasaki.jp/250/cmsfiles/contents/0000060/60920/KYUSIN_SUENAGA_3_4.pdf 住居表示旧新対照表 末長3・4丁目]}} 平成26年度の住居表示実施地区、川崎市ホームページ 2014年10月19日閲覧</ref> 富士通末長分室<br />
|国籍=<br />
|設立=[[1996年]][[11月21日]]<br />
|業種=9050<br />
|統一金融機関コード=<br />
|SWIFTコード=<br />
|事業内容=サッカークラブの運営他<br />
|代表者= 藁科 義弘<ref name="jleague" /><br />
|資本金=3億4937万5000円<br />
|発行済株式総数=<br />
|売上高= 39億7700万円 (2016年1月期)<ref name="jl2015">{{cite web|url=http://www.jleague.jp/aboutj/management/club-h27kaiji.html|title=2015年度(平成27年度)Jクラブ個別情報開示資料|work=日本プロサッカーリーグ|accessdate=2016-08-20}}</ref><br />
|営業利益=1億円 (2016年1月期)<ref name="jl2015"/><br />
|経常利益=1億0200万円 (2016年1月期)<ref name="jl2015"/><br />
|純利益= 6100万円 (2016年1月期)<ref name="jl2015"/><br />
|純資産= 7億3900万円 (2016年1月期)<ref name="jl2015"/><br />
|総資産= 22億7800万円 (2016年1月期)<ref name="jl2015"/><br />
|従業員数=<br />
|決算期= 1月期<br />
|主要株主=[[富士通]]・[[川崎市]]他36法人・団体<br />
|主要子会社=<br />
|関係する人物=<br />
|外部リンク= {{Official|www.frontale.co.jp}}<br />
|特記事項=<br />
|郵便番号=213-0013<br />
}}<br />
'''川崎フロンターレ'''(かわさきフロンターレ、Kawasaki Frontale)は、[[日本]]の[[神奈川県]][[川崎市]]をホームタウンとする<ref name="jleague" />、[[日本プロサッカーリーグ]](Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。<br />
<br />
== 概要 ==<br />
[[1955年]]に[[富士通サッカー部]]として創部<ref name="jleague" />。[[1997年]]に[[Jリーグ準会員制度|Jリーグ準会員]]に承認され、[[1999年]]にJリーグへ加盟した<ref name="jleague" />。ホームスタジアムは[[中原区]]の[[等々力陸上競技場]]<ref name="jleague" />、練習場は[[麻生区]]の[[川崎フロンターレ麻生グラウンド]]である<ref name="jleague" />。<br />
<br />
チーム名の「フロンターレ (Frontale) 」はイタリア語で「正面の、前飾り」を意味し、常に最前線で挑戦し続けるフロンティアスピリッツ、すなわち正面から正々堂々と戦う姿勢を表している<ref name="jleague" />。ちなみに富士通には[[アメリカンフットボール]]チームの[[富士通フロンティアーズ]]([[Xリーグ]]所属。1985年創設・チーム名制定)、女子[[バスケットボール]]の[[富士通レッドウェーブ]]([[バスケットボール女子日本リーグ機構|Wリーグ]]・1985年創部)、[[富士通カワサキレッドスピリッツ]]([[チャレンジリーグ (バレーボール)|V・チャレンジリーグ]]男子)があり、すべて川崎市を本拠地としており、バレーボールを除き[[川崎市ホームタウンスポーツ推進パートナー]]に参加している。<br />
<br />
== 歴史 ==<br />
=== 前史 ===<br />
{{main|富士通サッカー部}}<br />
1955年に創部された「[[富士通サッカー部]]」が前身であり<ref name="jleague" />、[[1972年]]に[[日本サッカーリーグ]]へ昇格、1992年から[[ジャパンフットボールリーグ]](旧JFL)へ参加<ref name="jleague" />。[[1996年]]に「'''富士通川崎フットボールクラブ'''」(ふじつうかわさきフットボールクラブ)へ改称し、11月21日に運営会社となる「'''富士通川崎スポーツマネジメント株式会社'''」(ふじつうかわさきスポーツマネジメント)を設立。1997年に[[Jリーグ準加盟クラブ|Jリーグ準会員]]となり<ref name="jleague" />、名称が公募によって'''川崎フロンターレ'''と決定された。<br />
<br />
=== 1997年 - 1998年 (JFL) ===<br />
====1997年====<br />
[[ファイル:Todoroki Athletics Stadium.jpg|thumb|right|300px|川崎フロンターレ試合風景 (2006年11月26日)]]<br />
前年の旧JFL10位からJリーグ昇格条件の2位以内を目指すため、富士通サッカー部がJSL1部に昇格した時の主将だった小浜誠二が事実上の責任者となる常務に就任。富士通からの豊富な資金力を利用して、監督を富士通社員の[[城福浩]]からプロ契約の[[斉藤和夫]]へと交代し<ref>城福は監督続投を希望したが容れられず、社業専念となった。1998年、FC東京設立準備室に招かれた城福は富士通を退社してプロ指導者へ転身、2008年-2010年途中にはFC東京のトップチーム監督に就任してフロンターレと「多摩川クラシコ」で対戦した。</ref>、選手では[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]の[[中西哲生]]、[[湘南ベルマーレ|平塚]]の[[ジウベルト・カルロス・ナシメント|ベッチーニョ]]、[[横浜フリューゲルス|横浜F]]の[[桂秀樹]]、[[清水エスパルス|清水]]の[[向島建]]、[[横浜F・マリノス|横浜M]]の[[小泉淳嗣]]等を獲得。富士通川崎時代のレギュラーだった[[伊藤彰 (サッカー選手)|伊藤彰]]・[[小松崎保]]・[[源平貴久]]などの富士通社員選手は控えに回し、元Jリーガーを重用した布陣で1年でのJリーグ昇格を目指した。この他、ブラジルの[[グレミオFBPA|グレミオ]]との業務提携も発表した。ちなみに、現在のチームカラーが水色と黒なのは、グレミオのチームカラーを模した名残である。<br />
<br />
フロンターレは優勝争いに加わり、前半戦終了の第15節終了時点では昇格圏内の2位に付けていた<ref>ただし、この第15節では開幕戦から14連敗中だった[[水戸ホーリーホック]]にJFL昇格後の初勝利を許していた。</ref>。後半戦には平塚から[[野口幸司]]、[[東京ヴェルディ1969|V川崎]]から[[長谷部茂利]]を追加補強したが、同9月の第20-22節に上位の直接対決となった[[北海道コンサドーレ札幌|コンサドーレ札幌]]、[[東京ガスサッカー部|東京ガス]]、[[本田技研工業フットボールクラブ|本田技研]]に3連敗して昇格圏外となる3位に後退した後に斉藤が監督を辞任。最終成績は札幌・東京ガスに次ぐ3位となり、勝ち点1差でJリーグ昇格を逃した。シーズン後には野口や長谷部は元の所属チームに戻り、小泉も退団した。<br />
<br />
==== 1998年 ====<br />
前シーズン終盤の監督不在を解消するため、グレミオからあっせんされた[[ロベルト・デ・アルメイダ|ベット]]監督が就任。[[鹿島アントラーズ|鹿島]]から[[鬼木達]]が加わり、シーズン序盤にゴールを量産した[[ヴァルディネイ・フレイタス・ダ・マッタ|ヴァルディネイ]]や途中退団のベッチーニョに代わって入団した[[リボニール・ルッシェル|ツゥット]]などの[[ブラジル人]][[フォワード (サッカー)|FW]]が活躍した。前年は[[桐光学園中学校・高等学校|桐光学園高校]]からの新入団直後にグレミオにサッカー留学していた[[佐原秀樹]]も試合に出場し、社員選手でも[[川元正英]]や[[久野智昭]]がレギュラーを獲得して、チームの総合力向上に成功した。最終節の[[ソニー仙台FC]]戦で敗れてJFL優勝は東京ガスにさらわれたが、準優勝となった。しかし、[[J1参入決定戦1回戦]]の[[アビスパ福岡|福岡]]戦で[[ゴールデンゴール|Vゴール]]負けを喫し、[[J2リーグ|Jリーグ ディビジョン2]] (J2) への参入が決まった。{{Main|J1参入決定戦1回戦}}<br />
<br />
=== 1999年 (J2) ===<br />
ベット体制2年目。元日本代表の[[岩本輝雄]]を獲得して同時に主将に据えた。リーグ戦は開幕3連敗でスタートし、第5節の[[ヴァンフォーレ甲府]]戦に勝利した後、ベットを監督から解任。[[Jリーグカップ]](ナビスコ杯)1回戦の[[ガンバ大阪|G大阪]]戦<ref>2試合で1勝1敗、合計得点数の差で敗退した。</ref> を挟み、第6節、4月18日の札幌戦から[[松本育夫]]に監督が交代した<ref>2000年3月に出版された松本の著書『尽くしてみないか、全力を-サッカーがくれた熱血意識革命』の中で、この監督就任は[[メキシコシティオリンピック]]でのチームメイト(主将)だった元富士通監督の[[八重樫茂生]]からの要請だった事を明かしている。</ref>。久々のクラブチーム監督となった松本に対して反発した岩本はやがてチーム構想から外されたが<ref>岩本はこのシーズン限りで退団し、その後もフロンターレへのわだかまりを口にしていたが、2006年に岩本がNHK衛星放送の『東海道五十三次完全踏破 [[街道てくてく旅]]』で旧[[東海道]]の約500kmを徒歩で歩いた際には、[[川崎宿]](川崎市川崎区)通過時にフロンターレスタッフ・ふろん太・サポーター有志が応援のため集まった。</ref>、岩本に代わって主将に就任した中西の起用や[[柏レイソル|柏]]から途中加入した[[ディフェンダー (サッカー)|DF]][[森川拓巳]]などが守備を安定させ、攻撃面ではブラジル人の[[パウロ・セザール・フォンセカ・ド・ナシメント|ティンガ]]が活躍した。松本就任後のチームは順調に勝ち点を伸ばし、7月30日・第19節の[[大宮アルディージャ|大宮]]戦に勝利して首位に立ち、[[11月5日]]の[[サガン鳥栖|鳥栖]]戦(等々力)に勝利し、J1昇格条件のJ2の2位以内が確定。[[11月8日]]にJ2優勝も決めた<ref>2位のFC東京が大宮に敗れたため。</ref>。<br />
<br />
前年のJ1参入戦に続くこの年の戦いは中西が自身のホームページで日記として書き続け、シーズン終了後に『魂の叫び J2聖戦記』として出版された<ref>サッカーライターの[[金子達仁]]・[[戸塚啓]]との共著。</ref>、これは後に中西がマスメディアで活躍する素地となった。また、この年の開幕戦にチーム初のマスコットとして[[ふろん太]]を発表<ref>ふろん太の公式プロフィールでは、生年月日をこの開幕戦が行われた1999年3月14日としている。出典:フロンターレ公式サイト、選手・スタッフプロフィール内「マスコット ふろん太」</ref>。5月には練習場が東京都[[稲城市]]の富士通南多摩工場敷地内の「富士通南多摩グラウンド」<ref>2005年に同工場が閉鎖された後は稲城市に移管され、「稲城市営南多摩スポーツ広場」に改称された。</ref> から、川崎市[[麻生区]]片平にある[[川崎フロンターレ麻生グラウンド|麻生グラウンド]](旧・[[大東学園高等学校]]グラウンド)に移転。さらに市内全体での広報活動を強化し、川崎市も市民後援会を発足させた。<br />
<br />
=== 2000年 (J1) ===<br />
松本が監督を退いて社長となり、後任としてヘッドコーチの[[ゼッカ]]が監督に就任。初のJ1挑戦に備えて積極的な補強を進め、特に[[鹿島アントラーズ|鹿島]]からは同シーズンの主将に指名された[[奥野僚右]]、[[鈴木隆行]]、[[バルデマール・アウレリアーノ・デ・オリベイラ・フィリョ|マジーニョ]]、[[鬼木達]](再移籍)などを相次いで獲得。他にも[[サッカーパラグアイ代表|パラグアイ代表]][[ミッドフィールダー|MF]][[ギド・ビルギリオ・アルバレンガ|アルバレンガ]]、元[[サッカー日本代表|日本代表]]FW[[森山泰行]]等が加入したが、これらの選手と従来の選手との融合が全く図れず、実権のない社長に棚上げされた松本と副社長兼強化責任者の小浜の対立も表面化し、富士通出身の杉本聰ゼネラルアドバイザー(前社長)により小浜中心の体制で運営を進めることが確認されるなど、チーム内での不協和音が増加した。外国人を入れ替える方針により[[FC東京]]へ[[期限付き移籍|レンタル移籍]]させたFW[[リボニール・ルッシェル|ツゥット]]が大活躍し、FC東京がJ1で躍進した事も新体制への批判に拍車をかけた。<br />
<br />
チーム成績は低迷し、V川崎とリーグ戦で初対戦<ref>1999年の第79回天皇杯では対戦している。</ref> となった4月22日・1stステージ第8節の「[[川崎ダービー]]」にも敗れ、5月3日・第10節の[[ジュビロ磐田|磐田]]戦では[[藤田俊哉]]に[[ペナルティーキック]]だけで3得点の[[ハットトリック]]を許す空前絶後の記録を許して1 - 5と大敗した後にゼッカを解任し、ヘッドコーチの[[今井敏明]]が後任の監督に就任。5月27日・第15節(最終節)の[[セレッソ大阪|C大阪]]戦([[長居陸上競技場|長居]])ではシーズン後に同年のJリーグ優秀新人賞を獲得した[[我那覇和樹]]の得点に続いて[[浦田尚希]]が延長Vゴールを決め、2 - 1で勝利してC大阪の優勝を阻止した<ref>1stステージの優勝は横浜M。この試合は「長居の悲劇」と呼ばれるようになった。</ref> が、1stステージは16チーム中15位で終え、2ndステージでも苦戦が続いた。8月19日・第10節の[[ジェフユナイテッド市原・千葉|市原]]戦に敗れてJ1残留の可能性が低くなると、その後のナビスコ杯準々決勝でV川崎に勝利してベスト4に進んだ後にクラブはシーズン2度目の監督交代に踏み切り、育成部から移動させた[[小林寛 (サッカー選手)|小林寛]]を監督とした。この時期までに外国人選手は全員入れ替わり、出番が減った鈴木隆行も鹿島に戻るなど、チームは開幕前から大きく様変わりしていた。新体制で臨んだナビスコ杯準決勝では[[京都サンガF.C.|京都]]を下して決勝に進出したが、決勝では鹿島に敗れてタイトルを逃し、リーグ戦でも11月18日・第13節([[日立柏サッカー場|日立柏]])の柏戦を戦う前に残留争いの対象チームが勝利を飾ったためJ2降格が決定した。<br />
<br />
シーズン後には再びチーム改革が行われ、シーズン終了まで指揮を執った小林監督の他、杉本ゼネラルアドバイザー・松本社長・小浜副社長のクラブ首脳陣、[[奥野僚右]]主将、JFL時代からチームの顔だった中西など、多くの選手やスタッフがクラブを退団した。<br />
<br />
=== 2001年 - 2004年 (J2) ===<br />
==== 2001年 ====<br />
再びJ2でのシーズンとなったこの年は[[堀井美晴]]が監督、[[サンパウロFC]]の元監督で現役時代に名古屋でもプレーした[[エジヴァウド・オリヴェイラ・シャヴェス|ピッタ]]をコーチに迎え、前年にサンパウロFCから[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]へレンタル移籍していたブラジル人FW[[マルシオ・パッソス・ジ・アルブケルケ|エメルソン]]を完全移籍により獲得した。エメルソンはハイペースでゴールを重ねたが、チーム自体は守備戦術の整備が進まずに低迷し<ref>最終的な失点数はリーグで7位(6番目に多い)。</ref>、7月14日の第20節・甲府戦に引き分けた時点で8位となっていた。この後、堀井監督は解任、大分を解任されたばかりの[[石崎信弘]]を新監督に迎えた。クラブは長期的視点に立ったチーム整備に方針を転換し、新人DFの[[伊藤宏樹]]は出場停止の最終節を除く43試合に出場した。一方、ピッタコーチとエメルソンは揃って[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]へ移籍した。結果としてシーズンは7位に終わったが、最終節の[[モンテディオ山形|山形]]戦([[山形県総合運動公園陸上競技場|山形県陸]])では[[浦上壮史]]の好セーブ連発と[[我那覇和樹]]の延長Vゴールにより1 - 0で勝利し、山形のJ1昇格を阻止した<ref>正確には、0 - 0のまま延長戦に突入した時点で山形のJ1昇格失敗と仙台の逆転昇格が決定していた。石崎は1999年に「[[1999年J2最終節|秋天の陽炎]]」と呼ばれる試合で大分でのJ1昇格を山形に阻まれた経験があり、奇しくも逆の構図となった。</ref>。続く[[第81回天皇杯全日本サッカー選手権大会|第81回天皇杯]]では戦力外通告を受けた[[阿部良則]]や伊藤彰などの選手が活躍してベスト4の成績を収めた<ref>これは「[[リストラ]]選手の活躍」(参照:[[ノート:リストラ選手の活躍|ノート]])として話題となり、2006年に出版された『クラブ創設10周年メモリアルブック』(兼2006年イヤーブック)でもこの表現で紹介された。</ref>。<br />
<br />
なお、クラブ体制自体も前年までの混乱から一新され、富士通サッカー部のマネージャーや[[日本サッカーリーグ]]の運営委員、富士通本社の部長などを務めてきた<ref>川崎市立大師小学校でのPTA講演会の「[http://www.tomuraya.co.jp/syougakkou-68.htm 後援者紹介]」、2003年作成、2013年9月29日閲覧。</ref>[[武田信平]]が前年12月から社長に、強化本部長(GM)に元富士通サッカー部監督の[[福家三男]]、強化部長に同サッカー部の元選手である[[庄子春男]]が就任し、福家と庄子が強化責任者となった。運営面では地域社会との関係強化が図られ、運営会社の商号が「富士通川崎スポーツマネジメント」から「株式会社川崎フロンターレ」へ変更され、川崎市や他企業、およびサポーター持株会などからの資本を受け入れた。また、クラブによる従来のファンクラブと、川崎市が組織していた川崎市民後援会が統合された。同シーズンからV川崎が[[東京都]][[調布市]]の[[東京スタジアム (多目的スタジアム)|東京スタジアム]](現:味の素スタジアム)へ本拠地を移転したため、等々力でのJリーグ公式戦はフロンターレ主催試合のみ行われる事になった。<br />
<br />
==== 2002年 ====<br />
石崎体制2年目。[[アントニオ・ベント・ドス・サントス|ベンチーニョ]]、[[マルコス・ボニファシオ・ダ・ローシャ|マルキーニョ]]や途中加入の[[マーロン・デ・ソウザ・ロペス|マーロン]]、[[アレックス・アントニオ・デ・メロ・サントス|アレックス]]などのブラジル人選手が攻撃を担い、中盤には[[ヴィッセル神戸|神戸]]からレンタル移籍した[[茂原岳人]]が加わった。さらに、DF[[岡山一成]]を獲得し守備力を強化。石崎のプレス戦術も浸透し、勝ち点を多く積み上げたが、前半戦の出遅れが最後まで挽回できず、4位に終わった。[[第82回天皇杯全日本サッカー選手権大会|第82回天皇杯]]はベスト8に入った。<br />
<br />
新加入の岡山はファンサービスに熱心で、試合後にバックスタンドの前でサポーターから[[メガホン]]を借り、ビールケースの上に乗って観客に対する「マイクパフォーマンス」を度々行った。これは「岡山劇場」と呼ばれ、クラブ・チームとファン・サポーターの一体化に大きく貢献し、岡山の退団後もクラブの伝統として他選手や来賓・ゲストなどに引き継がれた<ref>岡山自身もこのパフォーマンスで注目され、その後も移籍先のチームで「岡山劇場」を続けて、サポーターから根強い人気を得るようになった。</ref>。<br />
<br />
==== 2003年 ====<br />
石崎体制3年目。ブラジルの[[SEパルメイラス]]から獲得したFW[[カルロス・アルベルト・カルヴァリョ・ドス・アンジョス・ジュニオル|ジュニーニョ]]が[[我那覇和樹]]とともに前線で活躍、また[[鹿島アントラーズ|鹿島]]から移籍したDF[[アウグスト・ペドロ・デ・ソウザ|アウグスト]]も攻守にわたりチームをまとめ上げた。また、[[大宮アルディージャ|大宮]]からFW[[ホルヘ・ルイス・デリー・バルデス|バルデス]]を獲得したが<ref>バルデスは札幌時代の1997年にフロンターレとの2試合ともにVゴールを決め、札幌のJFL優勝に貢献していた。</ref>、年齢の影響やケガにより3得点に止まりシーズン途中に退団した。日本人の新加入選手では、前年J1に昇格した大分から石崎監督と一緒のJ1昇格を実現するために移籍したMF[[山根巌]]、テスト生から採用された新人ながら開幕の[[サンフレッチェ広島F.C|広島]]戦でデビューし、主に交代要員として全試合でベンチ入りしたMF[[中村憲剛]]などが加わった。しかし、リーグ最多の88得点、リーグ最少の7敗ながらリーグ最多タイの13引き分けと「勝ちきれない」試合が多く、最終的には2位と勝ち点1差の3位に終わり、J1昇格に失敗した。シーズン終了後に石崎が監督を辞任した。[[第83回天皇杯全日本サッカー選手権大会|第83回天皇杯]]ではベスト16に進出し、2回戦の[[長崎県立国見高等学校|国見高校]]戦(等々力)の後には選手やサポーターによる石崎監督の胴上げが行われた。<br />
<br />
==== 2004年 ====<br />
:チームスローガン:「'''Mind-1 勝点1への執念―こころ1つにJ1へ。'''」<br />
鹿島でコーチを務めていた[[関塚隆]]が監督に就任。また、鹿島からDF[[相馬直樹]]、[[アルビレックス新潟|新潟]]から2年連続でJ2リーグ得点王の[[マルクス・ビニシウス・デ・モライス|マルクス]]を補強した。リーグ戦では開幕直後から首位を独走し、[[9月26日]]・第36節の[[水戸ホーリーホック|水戸]]戦([[笠松運動公園陸上競技場|笠松]])でマルクスの2ゴールにより2 - 1で勝利してJ2の2位以内によるJ1昇格が「内定」<ref>Jリーグ理事会での決定が必要なため、この表現を用いた。</ref>、続く[[10月2日]]・第37節の[[横浜FC]]戦(等々力)にも勝利して5年ぶり2度目のJ2優勝が確定。シーズン最終成績も勝ち点105、得点104と、昇格後に設定した「ダブル・トリプル」の目標を達成した。また、ジュニーニョは37得点を挙げてJ2得点王を獲得した。[[第84回天皇杯全日本サッカー選手権大会|第84回天皇杯]]ではベスト16に入った。なお、この年のスローガン「Mind-1」は、2011年からの[[東日本大震災]]復興支援活動で再び利用される事になった。<br />
<br />
=== 2005年 - (J1) ===<br />
==== 2005年 ====<br />
:チームスローガン:「'''FRONTALE FORTISSIMO -強く激しく!!-'''」<br />
関塚体制2年目。J1昇格を機に、地域密着に更に力を入れるため、エンブレムから「FUJITSU」という企業名を外し、5年ぶりのJ1シーズンを迎えた。<br />
<br />
現有戦力をベースにし、若干名の補強選手を加えて臨んだが、序盤戦は試合終了間際に失点を喫する試合が続き、中盤戦は攻撃陣に怪我人が相次いだ影響もあり勝ちきれない試合が多かった。しかし、8月の中断期間中に行ったキャンプで戦術を熟成した結果チーム状態が好転、終盤戦ではチーム新記録となる6連勝を記録した。また、[[川崎市]]出身のDF[[箕輪義信]]が日本代表に選出された。シーズン成績は8位となり、最低条件の「J1残留」を果たした。天皇杯は2年ぶりにベスト8へ進出した。<br />
<br />
==== 2006年 ====<br />
:チームスローガン:「'''Challenge the Future'''」<br />
関塚体制3年目。アウグストが退団、相馬・久野が現役を引退。一方で左サイドに新外国人[[マルコス・アルベルト・スカビンスキ|マルコン]]を獲得。開幕戦の新潟戦で[[我那覇和樹]]のハットトリックなどにより6 - 0、第2節の[[京都サンガF.C.|京都]]戦でもジュニーニョのハットトリックを含む7 - 2で下し、開幕2試合で13得点のJリーグ新記録を打ち立てて好スタートを切り、[[2006 FIFAワールドカップ]]前の中断期間を暫定ながら首位で折り返した。中断期間中にマルクスが[[東京ヴェルディ1969|東京V]]に移籍した一方、MF[[マギヌン・ラファエル・ファリアス・タバレス|マギヌン]]を獲得した。<br />
<br />
W杯終了後に日本代表に我那覇、続いて[[中村憲剛]]が招集され、それぞれ代表デビューを果たした。終盤[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]や[[ガンバ大阪|G大阪]]との直接対決で一時調子を落とすも、最終節でG大阪を抜いて2位で終了。ジュニーニョ、我那覇、中村、[[谷口博之]]の4選手がリーグ戦で2桁得点を挙げ、チーム合計84得点(リーグ1位)となった。中村と谷口はJベストイレブンに選出。また、シーズン18得点の我那覇が日本人得点王(タイ記録)となった。<br />
<br />
前年の天皇杯で優勝し、既に[[AFCチャンピオンズリーグ]] (ACL) 出場権を得ている浦和がリーグ戦で優勝したため、規定により[[AFCチャンピオンズリーグ2007]]への出場権を獲得した。<br />
<br />
==== 2007年 ====<br />
[[画像:Nabisco Final 2007 Kawasaki.JPG|thumb|right|300px|ナビスコカップ決勝時のコレオグラフィー]]<br />
:チームスローガン:「'''One for Goal, Goal for One'''」<br />
関塚体制4年目。シーズン前最初の練習試合で新加入の[[フランシスマール・カリオカ・デ・オリベイラ|フランシスマール]]が左膝[[靭帯損傷|靱帯断裂]]の重傷を負ったが、3月3日のJ1開幕戦(等々力)で[[鹿島アントラーズ|鹿島]]を下し、4月15日の第6節(等々力)にはチーム史上初めて[[清水エスパルス|清水]]に勝利、4月21日に[[埼玉スタジアム2002]]で行われた第7節では、浦和のホーム連続不敗のJリーグ記録を25試合で止めた。<br />
<br />
4月23日、[[我那覇和樹]]が試合後に受けた疲労回復の静脈注射(点滴)がJリーグの[[ドーピング]](禁止薬物使用)規定違反と認定され、自粛期間を含めて公式戦6試合の出場停止、チームにも1000万円の罰金となった。我那覇は5月19日の[[大分トリニータ|大分]]戦から復帰したが、以後は精彩を欠き、年間を通じて1ゴールのみに終わった。この問題はその後も尾を引き、結局は2008年に[[スポーツ仲裁裁判所]]で審理される事になったが、仲裁の結果は我那覇にドーピングの事実が認められないとされ、かつ、Jリーグ側に仲裁費用の負担を求める異例の裁定となった。<br />
<br />
[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]から獲得したGK[[川島永嗣]]は全34試合フル出場を果たし、我那覇に代わり先発で起用されたプロ2年目の[[鄭大世]]は12得点と飛躍、22得点のジュニーニョは2004年のJ2に続きJ1でも得点王に輝き、リーグ2位の計66得点を挙げた一方、失点はリーグ11位の48失点に上り、前年を下回る5位でシーズンを終了した。<br />
<br />
[[AFCチャンピオンズリーグ2007]]は、グループリーグF組を1位で通過したが、準々決勝で[[フーラッド・モバラケ・セパハンFC|セパハン]]にPK戦で敗退した。<br />
<br />
また、9月23日のJ1第26節・[[柏レイソル|柏]]戦(柏)で、セパハンとの第1戦から先発選手8人を入れ替えて臨み、0 - 4と大敗した。Jリーグ専務理事(当時)の[[犬飼基昭]]<ref>ACLプロジェクトチームを主宰。イランからの帰国時に[[アラブ首長国連邦|UAE]]のドバイまでのチャーター便費用を補助していた。</ref> は「ベストメンバーの出場を求めた自分達への背信行為であってサポーターへの裏切り行為だ」と怒りを顕わにしたが、川崎側は当該試合の前にJリーグ事務局へ予め[[ベストメンバー規定]]に抵触していない旨を事前確認していた。また、川崎は勝ち残っていた浦和に情報を提供し<ref>特に、時差の関係で川崎の敗北が決まった後も、[[サウジアラビア]]の[[リヤド]]にいた川崎のスカウトは準々決勝の[[アル・ヒラル]]vs[[アル・ワフダ・アブダビ|アル・ワフダ]]戦を観戦し、勝ち上がったアル・ワフダのデータを浦和に提供した。アル・ワフダは準決勝でセパハンに敗れたが、JリーグチームのACL優勝を目指すための美談として伝えられた。</ref>、浦和は決勝でセパハンを下して優勝した。優勝後、浦和は川崎の協力について感謝すると述べた。<br />
<br />
ナビスコ杯は決勝で[[ガンバ大阪|G大阪]]に敗れて準優勝。天皇杯はベスト4で鹿島に敗れた。<br />
<br />
[[AFCアジアカップ2007]]に[[中村憲剛]]およびGK川島が日本代表に選出。中村は決勝まで5試合連続で先発起用された。また、代表候補合宿には[[森勇介]]と[[黒津勝]]も初招集された(正式メンバー登録はならず)。FW[[鄭大世]]も[[サッカー朝鮮民主主義人民共和国代表|北朝鮮代表]]に初選出され、[[東アジアサッカー選手権2008]]予選大会で3試合8得点で得点王となり、翌年2月の本大会進出に貢献した。<br />
<br />
==== 2008年 ====<br />
:チームスローガン:「'''With 12 (supporters) '''」<br />
関塚体制5年目。MFマギヌンが名古屋へ移籍。一方で[[東京ヴェルディ1969|東京V]]へ期限付き移籍していた[[吉原慎也]]、[[ジヴァニウド・ヴィエイラ・ジ・ソウザ|フッキ]]らがチームに復帰し、[[ジェフユナイテッド市原・千葉|千葉]]より[[山岸智]]を獲得した。また、[[青山学院大学]]からMF[[田坂祐介]]、[[駒澤大学]]からMF[[菊地光将]]、[[早稲田大学ア式蹴球部|早稲田大学]]からDF[[横山知伸]]、下部組織よりトップチームへ昇格のDF[[吉田勇樹]](後にU-19日本代表に選出)らが加入。<br />
<br />
開幕戦の東京V戦で試合終盤に追いつかれドローに終わると、続く[[ヴィッセル神戸|神戸]]戦に1-4で大敗。更に神戸戦での起用法を不満としたフッキが4月2日に退団、東京Vへ完全移籍した。その後は安定感を欠いた戦いを強いられ、フッキによる一連の騒動による心労、かねてから罹患していた持病の[[不整脈]]の悪化もあり、関塚が検査入院のため離脱。入院こそ免れたものの、ドクターストップがかかり、同月24日に監督を辞任。ヘッドコーチの[[高畠勉]]が監督に昇格した。<br />
<br />
一方、5月27日には[[我那覇和樹]]が、[[スポーツ仲裁裁判所]] (CAS) にJリーグが科した処分(ドーピング禁止規定違反)の取り消しを求めた問題で、スポーツ仲裁裁判所は我那覇の訴えを認める裁定を下した(ただし、Jリーグ側は誤訳を盾に我那覇本人、及び当時のチームドクターへの正式な謝罪は未だ行われていない)。<br />
<br />
6月21日には[[箕輪義信]]を[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]へ期限付きで放出し、7月8日には[[サントスFC]]のMF[[ヴィトール・シルバ・アシス・デ・オリベイラ・ジュニオール|ヴィトール・ジュニオール]]を期限付移籍で獲得。7月29日にはFW[[都倉賢]]を[[ザスパクサツ群馬|草津]]に期限付きで放出するも、8月5日にはサントスのFW[[レナト・カルロス・マルティンス・ジュニオール|レナチーニョ]]を期限付き移籍で獲得した。<br />
<br />
8月に川崎フロンターレ後援会の会員数が初の2万人を突破。また、この頃から[[等々力陸上競技場]]の老朽化及び混雑に対し、競技場の全面改修を求める請願書の提出の一環として、シーズン終盤に10万筆目標の署名活動を行った(最終的に15万4020筆を集め、2月18日に川崎市へ提出)。<br />
<br />
シーズン成績は、首位争いに加わり、リーグ最終節まで優勝の可能性を残し、2006年以来の準優勝でシーズンを終え、[[AFCチャンピオンズリーグ2009]]の出場権を獲得した。<br />
<br />
==== 2009年 ====<br />
{| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #99B3FF solid 1px"<br />
|-<br />
|<div style="position: relative;"><br />
[[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]]<br />
<br />
{{Image label|x=0.65|y=1.21|scale=220|text=[[関塚隆|<span style="font-size: 10pt; color: navy;">監督 '''関塚'''</span>]]}}<br />
<br />
{{Image label|x=0.43|y=1.07|scale=220|text=[[川島永嗣|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''川島'''</span>]]}}<br />
{{Image label|x=0.75|y=0.83|scale=220|text=[[森勇介|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''森'''</span>]]}}<br />
{{Image label|x=0.59|y=0.92|scale=220|text=[[菊地光将|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''菊地'''</span>]]}}<br />
{{Image label|x=0.26|y=0.92|scale=220|text=[[伊藤宏樹|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''伊藤'''</span>]]}}<br />
{{Image label|x=0.13|y=0.83|scale=220|text=[[村上和弘|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''村上'''</span>]]}}<br />
<br />
{{Image label|x=0.58|y=0.42|scale=220|text=[[レナト・カルロス・マルティンス・ジュニオール|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''レナチーニョ'''</span>]]}}<br />
{{Image label|x=0.59|y=0.66|scale=220|text=[[横山知伸|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''横山'''</span>]]}}<br />
{{Image label|x=0.26.5|y=0.66|scale=220|text=[[谷口博之|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''谷口'''</span>]]}}<br />
{{Image label|x=0.20|y=0.42|scale=220|text=[[中村憲剛|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''中村'''</span>]]}}<br />
<br />
{{Image label|x=0.62|y=0.25|scale=220|text=[[鄭大世|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''鄭'''</span>]]}}<br />
{{Image label|x=0.22|y=0.25|scale=220|text=[[カルロス・アルベルト・カルヴァリョ・ドス・アンジョス・ジュニオル|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''ジュニーニョ'''</span>]]}}<br />
</div><br />
|-<br />
|{{smaller|2009年シーズン基本フォーメーション}}<br />
|}<br />
:チームスローガン:「'''ONE STEP'''」<br />
体調が回復した関塚が再び監督に就任、前年途中から指揮を執った高畠は再びヘッドコーチに就任した。<br />
<br />
我那覇と箕輪がそれぞれ[[ヴィッセル神戸|神戸]]、[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]に完全移籍し、[[原田拓]]が[[ロアッソ熊本|熊本]]へ、[[大橋正博]]が[[Kリーグクラシック|Kリーグ]][[江原FC|江原]]へ、レンタル移籍だった[[都倉賢]]([[ザスパクサツ群馬|草津]])、[[西山貴永]]([[ベガルタ仙台|仙台]])が完全移籍するなど7選手が退団。また、[[FC東京]]にレンタル移籍していた[[佐原秀樹]]のレンタル期間が1年延長された。<br />
<br />
主な補強は[[セレッソ大阪|C大阪]]へ期限付き移籍していた[[相澤貴志]]の復帰、新戦力として、[[特別指定選手]]として[[2004年]]・[[2005年]]に所属していた[[清水エスパルス|清水]]の[[矢島卓郎]]を完全移籍で獲得(事実上の古巣復帰)、レンタル移籍だったヴィトール・ジュニオールを完全移籍で獲得、ジュニーニョも契約期間延長するなど攻撃陣を中心に選手を獲得した(なお、前年に[[東京ヴェルディ1969|東京V]]のレンタル移籍から復帰した吉原慎也が[[ジュビロ磐田|磐田]]へ再度レンタル移籍)。<br />
<br />
[[2009年のJリーグカップ|ナビスコカップ]]は決勝まで進んだが、2000年、2007年に続き、準優勝に終わった。この決勝戦後の表彰式において、協会名誉総裁の[[憲仁親王妃久子|高円宮妃久子]]はじめ協会幹部やスポンサー関係者の前で、川崎の一部選手が「首にかけて頂いた準優勝メダルを外す行為」、「握手を拒む行為」、「壁に寄り掛かかんだり、しゃがみ込む行為」、「ガムを噛みながらの表彰式参加」といった行動<ref name=f20091104>[http://www.frontale.co.jp/info/2009/1104_1.html 弊クラブ所属選手の行為について (お詫び)]、川崎フロンターレ公式サイト、2009年11月4日</ref> をとったことが問題となった<ref>[http://www.nikkansports.com/soccer/news/p-sc-tp0-20091104-562613.html 鬼武チェアマン川崎Fに激怒]、nikkansports.com、2009年11月4日</ref>。これを受けて、クラブ側の川崎は謝罪<ref name=f20091104/>、準優勝賞金5000万円の自主返還、社長ら役員3人の減俸、[[森勇介]]の最低1試合の出場停止などの処分を発表した<ref>[http://www.frontale.co.jp/info/2009/1105_5.html 弊クラブ所属選手の行為について (対応・処分)]、川崎フロンターレリリース、2009年11月5日</ref>。しかしJリーグ側は賞金返還を受け付けず、代わりにホームタウン活動への使用を提案。サッカーボールや図書、少年サッカーチームへのビブスなどの物品の他、残額は全て川崎市への寄付とされた<ref>天野春果「僕がバナナを売って算数ドリルを作るワケ」37頁(2011年・小学館)</ref>。{{Main|2009年のJリーグカップ#表彰式での川崎フロンターレの行為について}}<br />
<br />
リーグ戦では終盤に首位に立つが第32節に[[大分トリニータ|大分]]に敗戦、[[鹿島アントラーズ|鹿島]]に再度首位を明け渡した。優勝は最終節までもつれ込み、「川崎が勝ち、なおかつ鹿島が引き分け以下でなければ川崎の優勝はない」という状況で、12月5日の最終節で[[柏レイソル|柏]]に3 - 2で勝利したが、鹿島が浦和に勝ったため鹿島の優勝が決まり、川崎は2年連続で優勝を逃した。天皇杯でも仙台に敗れた。関塚がこのシーズン限りで監督を辞任した。<br />
<br />
[[12月26日]]に『公益のため多額の私財を寄附した』功に対して、[[日本国政府|日本政府]]より褒状を受けた<ref>『[[官報]]』 [[2010年]](平成22年)1月8日付 第10頁 褒賞に告知されている。</ref>。<br />
<br />
==== 2010年 ====<br />
:チームスローガン:「'''+α -Plus ALFA-'''」<br />
後任監督にヘッドコーチの[[高畠勉]]が就任。コーチ陣ではフィジカルコーチの[[里内猛]]がクラブを離れたが、U-18で指導に当たっていたクラブOBの[[鬼木達]]がトップチームコーチに就任。<br />
<br />
横浜FMから[[小宮山尊信]]が完全移籍、[[スタッド・レンヌ]]から9年ぶりのJリーグ復帰となる[[稲本潤一]]を獲得。[[佐原秀樹]]が[[FC東京]]への期限付き移籍から2年ぶりに復帰した。一方、[[村上和弘]]が大宮へ移籍。[[吉原慎也]]が退団(のち[[柏レイソル|柏]]に加入)、[[山岸智]]や、[[養父雄仁]]、[[久木野聡]]・[[杉浦恭平]]などがそれぞれ期限付き移籍した。<br />
<br />
[[AFCチャンピオンズリーグ2010|2010年のACL]]は、開幕がJリーグ開幕前の2月下旬にずれ込んだのに対応できなかったのと、アウェー全敗がたたって予選敗退。<br />
<br />
[[2010 FIFAワールドカップ日本代表]]に[[川島永嗣]]、[[稲本潤一]]、[[中村憲剛]]の3人が選出され、川島は日本の全4試合にフル出場し、ベスト16進出に貢献した。また稲本が終盤での出場で2試合、中村が1試合出場した。[[サッカー朝鮮民主主義人民共和国代表|北朝鮮代表]]には[[鄭大世]]が選出された。<br />
<br />
W杯終了後の7月、川島が[[ベルギー]][[ジュピラー・プロ・リーグ|1部]]の[[リールセSK]]へ、鄭が[[ドイツ]][[2. ブンデスリーガ (ドイツサッカー)|2部]]の[[VfLボーフム]]へ移籍。また、先発メンバーから外されたレナチーニョが高畠の采配に不満を訴え、練習ボイコットからブラジルへ無断帰国し、8月末に[[ポルトガル]][[プリメイラ・リーガ|1部]]の[[ポルティモネンセSC|ポルティモネンセ]]へ期限付き移籍した。<br />
<br />
中断期までは[[鹿島アントラーズ|鹿島]]や[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]を射程圏内に入れていたが、川島の穴を[[相澤貴志]]が埋めた一方、鄭の穴を埋めるには至らず、中断期間以降はこれまでの攻撃力に陰りが見えた上、守備でも脆さが露呈するなど先制しても逃げ切れない試合が目立つようになった。その後、次第に上位争いから脱落し5位でシーズンを終了、ACLの出場権も逃した。高畠はシーズン終了後に監督を退任した。<br />
<br />
==== 2011年 ====<br />
:チームスローガン:「'''挑 -いどむ-'''」<br />
[[FC町田ゼルビア|町田]]元監督の[[相馬直樹]]が監督に就任。DF[[森勇介]]が[[東京ヴェルディ1969|東京V]]、[[稲本潤一]]の加入などで出場機会を減らした[[谷口博之]]がユース時代に所属した[[横浜F・マリノス|横浜FM]]、[[植草裕樹]]がレンタル移籍先の[[モンテディオ山形|山形]]、[[木村祐志]]が[[ギラヴァンツ北九州|北九州]]へそれぞれ移籍した。<br />
<br />
一方で横浜FMから[[山瀬功治]]、[[田中裕介]]、東京Vから[[柴崎晃誠]]を獲得。U-21代表で活躍した[[實藤友紀]]をはじめとした6人の新人選手が加入した。<br />
<br />
また、強化本部長の福家が退任し、庄子が強化本部長に就任した。<br />
<br />
リーグ前半戦、勝ち切れない試合が続く中、第11-18節まで8戦負けなしで一時は3位まで浮上した。しかし、中盤戦(夏場の連戦)以降失速し、7月23日(第6節)の[[アルビレックス新潟|新潟]]戦から9月11日(第25節)の[[ヴィッセル神戸|神戸]]戦までリーグ8連敗を喫した<ref>{{cite web|url=http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00125214.html|title=【J1:第25節 川崎F vs 神戸】|work=J's Goal|date=2011-09-12|accessdate=2012-12-04}}</ref>。9月17日(第26節)の[[モンテディオ山形|山形]]戦に勝利して、連敗を「8」で止めた<ref>{{cite web|url=http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00125542.html|title=【J1:第26節 山形 vs 川崎F】|work=J's Goal|date=2011-09-18|accessdate=2012-12-04}}</ref> が、連敗脱出後も残留争いに加わり、J1残留は果たしたが、J1復帰以降最低の11位に終わった。<br />
<br />
なお、同年3月11日に発生した[[東日本大震災]]に対する復興支援活動として、フロンターレは「Mind-1」キャンペーンとしての支援活動を開始し、津波で甚大な被害を受けた[[岩手県]][[陸前高田市]]などへの物資提供などを開始し、翌年以降も継続した(地域密着の項目を参照)。<br />
<br />
==== 2012年 ====<br />
:チームスローガン:「'''一体感'''」<br />
相馬体制2年目。川崎のエースストライカーとして活躍してきたジュニーニョが[[鹿島アントラーズ|鹿島]]へ完全移籍したほか、通算11年在籍していた[[相澤貴志]]<ref>2000年-2007年、2009年-2011年まで在籍(2008年は[[セレッソ大阪]]にレンタル移籍。)</ref> が[[FC町田ゼルビア|町田]]に、[[横山知伸]]が[[セレッソ大阪|C大阪]]に、[[菊地光将]]が[[大宮アルディージャ|大宮]]に、[[久木野聡]]が[[栃木SC]]に完全移籍、[[棗佑喜]]が栃木SCに、[[薗田淳]]が町田にレンタル移籍、[[松本拓也 (サッカー選手)|松本拓也]]がレンタル移籍期間満了につき[[湘南ベルマーレ|湘南]]に復帰、昨シーズン[[ヴァンフォーレ甲府|甲府]]にレンタル移籍していた[[養父雄仁]]が[[ロアッソ熊本|熊本]]へ完全移籍、[[吉田勇樹]]が現役を引退し、スクール・普及コーチに就任した。<br />
<br />
補強は、湘南から[[西部洋平]]、C大阪から[[小松塁]]、京都から[[森下俊]]を完全移籍で、[[コリチーバFC]]から[[レナト・リベイロ・カリスト|レナト]]、[[ジェシマウロ・ジョゼ・ボルゲス|ジェシ]]。[[グレミオFBPA|グレミオ]]から[[レネ・フェレイラ・ドス・サントス|レネ・サントス]]をレンタル移籍で獲得、2年間[[愛媛FC|愛媛]]にレンタル移籍していた[[杉浦恭平]]が復帰した。<br />
<br />
開幕2連勝と順調なスタートを切ったが、その後は公式戦5戦勝ちなしと低迷。その後3月31日の浦和戦、4月8日のFC東京戦で数的有利でありながら勝てないなど攻撃面での行き詰まりを見せたことや、開幕前後から選手との関係が疎遠になっていた事<ref>{{cite web|url=http://blogola.jp/p/26039|title=【川崎F】相馬直樹監督との契約解除に関する庄子春男GMコメント|work=|publisher=BLOGOLA|accessdate=2012-04-11}}</ref> などを理由に4月11日に相馬を解任した。その後、後任監督決定までの3試合(ナビスコ杯の1試合を含む)をコーチの[[望月達也]]が監督代行としての指揮を経て、同月23日、筑波大監督の[[風間八宏]]が監督に就任した。中盤こそ故障者が多発したことや決定力不足により苦戦した時期もあったが、11月7日の浦和戦で4対2で勝利した試合から、シーズン終了まで3勝1分と負け無しでシーズンを終える。最終的には前年を上回る8位でフィニッシュした。なお、7月1日に風間監督の長男である[[風間宏希]]と[[風間宏矢]]が入団し、Jリーグ史上初めて同時に父が監督、息子が選手として所属する「親子鷹」が実現した<ref>[[ゲキサカ]]記事、「[http://web.gekisaka.jp/news/detail/?101505-103021-fl J初の親子鷹誕生!!川崎Fが風間兄弟の加入を正式発表]」、2012年7月1日付、2017年4月23日閲覧。</ref>。<br />
<br />
レナトがシーズン終盤になってチームにフィットして大車輪の活躍を見せたり、[[大島僚太]]や[[楠神順平]]などの成長があったなど攻撃面では収穫があったが、天皇杯4回戦の大宮戦で前半だけで3点をリードしながらも後半だけで4失点して敗退するなど、守備面で課題を残すシーズンとなった。また本拠の等々力が大型改築に入った。<br />
<br />
==== 2013年 ====<br />
:チームスローガン:「'''Wing -勝利に向かって進み続ける-'''」<br />
風間体制2年目。12シーズン在籍してきた[[黒津勝]]が[[横浜FC]]へ移籍。前年に主力として活躍した[[山瀬功治]]が京都、[[楠神順平]]がC大阪、[[小松塁]]が大分に、昨シーズン途中から古巣の東京Vに期限付き移籍していた[[柴崎晃誠]]が[[徳島ヴォルティス|徳島]]へそれぞれ完全移籍。同じくシーズン途中から栃木SCへ期限付き移籍していた[[田中雄大 (1988年生のサッカー選手)|田中雄大]]が[[ガイナーレ鳥取|鳥取]]に、[[杉浦恭平]]が[[ヴィッセル神戸|神戸]]へ、[[安藤駿介]]が湘南へ、[[森下俊]]が横浜FCへ期限付き移籍した。<br />
<br />
補強では横浜FMから[[森谷賢太郎]]、札幌から[[山本真希]]、[[ガンバ大阪|G大阪]]から[[中澤聡太]]、神戸から[[大久保嘉人]]、東京Vから[[新井章太]]を、新外国人としてパトリックを獲得。棗佑喜と薗田淳が期限付き移籍から復帰した。更には風間の強い要望でトレーニングコーチとして[[西本直]]が入閣した(しかし、5月に一身上の都合で退団)。<br />
<br />
2005年以来となるアウェイでの開幕戦となった柏戦は3-1で敗戦、その後の大分戦は大久保のゴールのみに留まって1-1の引き分けになるなど、6節を終えて勝ち無し(3敗3分)で第3節までは降格圏に低迷する。しかし7節の仙台戦で4-2でリーグ戦初勝利を挙げると、8節の東京戦で敗れた以降は[[FIFAコンフェデレーションズカップ2013|コンフェデレーションズカップ]]によるリーグ戦中断まで5月は5試合負け無しで8位と持ち直した。<br />
<br />
[[2013年のJリーグカップ|ナビスコカップ]]では、[[2010年のJリーグカップ|2010年]]以来3シーズンぶりに決勝トーナメント進出を果たした。しかも'''「ACL出場チーム以外のJ1チームでグループリーグ→グループリーグ上位+ACL出場チームで決勝トーナメント」'''というレギュレーションになった2005年以降では、初めて自力で決勝トーナメントに進出<ref>[[2007年のJリーグカップ|2007年]]、[[2009年のJリーグカップ|2009年]]、[[2010年のJリーグカップ|2010年]]はいずれも[[AFCチャンピオンズリーグ]] (ACL) に出場していたため、予選グループを免除されていた。</ref> した。しかし決勝トーナメントで準々決勝の[[ベガルタ仙台|仙台]]こそ危なげなく勝ち進んだものの、準決勝の浦和戦ではホーム・等々力での2失点が祟り、2戦合計3-3(アウェーゴール数だけなら0-2)で敗退した。<br />
<br />
リーグ戦前半戦終了時には首位広島と勝点差8の7位だったが、後半戦に入り8月9月と9試合連続で連勝が出来ない状態が続き、順位も6位と10位の間を推移する。しかし、第27節名古屋戦から最終節までの8試合を3連勝4連勝各1回の7勝1敗。しかも8試合の中で唯一敗れた鹿島戦こそ4失点だったもののそれ以外の7試合を1失点以内に抑え、最終節にはホーム・等々力で[[横浜F・マリノス|横浜FM]]との神奈川ダービーを制し、3位に浮上<ref>横浜FMは首位でこの試合を迎え、勝てば自力でのJ1優勝を決められたが、川崎に敗れ、さらに2位の広島が鹿島に勝ったために順位を逆転され、優勝を逃した。</ref>。スコアレスドローも含めての無失点試合は僅か6と2005年の再昇格以降2番目に少ない数字だったが、その失点数を上回る程の得点力(リーグ2位の65得点)を武器に[[AFCチャンピオンズリーグ2014]]出場権を獲得した。<br />
<br />
天皇杯では[[高知大学]]、[[東京ヴェルディ1969|東京V]]、[[モンテディオ山形|山形]]と格下相手ながら順調に勝ち進み、4年ぶりにベスト8に入る。初のJ1勢との対決となった[[サガン鳥栖|鳥栖]]に延長戦の末敗れた。<br />
<br />
==== 2014年 ====<br />
{| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #99B3FF solid 1px"<br />
|-<br />
|<div style="position: relative;"><br />
[[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]]<br />
<br />
{{Image label|x=0.65|y=1.21|scale=220|text=[[風間八宏|<span style="font-size: 10pt; color: navy;">監督 '''風間'''</span>]]}}<br />
<br />
{{Image label|x=0.43|y=1.07|scale=220|text=[[西部洋平|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''西部'''</span>]]}}<br />
{{Image label|x=0.75|y=0.83|scale=220|text=[[武岡優斗|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''武岡'''</span>]]}}<br />
{{Image label|x=0.59|y=0.92|scale=220|text=[[實藤友紀|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''實藤'''</span>]]}}<br />
{{Image label|x=0.26|y=0.92|scale=220|text=[[谷口彰悟|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''谷口'''</span>]]}}<br />
{{Image label|x=0.13|y=0.83|scale=220|text=[[登里享平|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''登里'''</span>]]}}<br />
<br />
{{Image label|x=0.62|y=0.45|scale=220|text=[[森谷賢太郎|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''森谷'''</span>]]}}<br />
{{Image label|x=0.59|y=0.66|scale=220|text=[[中村憲剛|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''中村'''</span>]]}}<br />
{{Image label|x=0.26.5|y=0.66|scale=220|text=[[大島僚太|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''大島'''</span>]]}}<br />
{{Image label|x=0.20|y=0.45|scale=220|text=[[レナト・リベイロ・カリスト|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''レナト'''</span>]]}}<br />
<br />
{{Image label|x=0.58|y=0.25|scale=220|text=[[大久保嘉人|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''大久保'''</span>]]}}<br />
{{Image label|x=0.28|y=0.25|scale=220|text=[[小林悠 (サッカー選手)|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''小林'''</span>]]}}<br />
</div><br />
|-<br />
|{{smaller|2014年シーズン基本フォーメーション}}<br />
|}<br />
<br />
:チームスローガン:「'''OURS'''」<br />
風間体制3年目。J2時代の2001年からチームを支えてきた[[伊藤宏樹]]が現役を引退、[[風間宏矢]]が[[大分トリニータ|大分]]、[[矢島卓郎]]が横浜FM、[[棗佑喜]]が[[松本山雅FC|松本]]、[[風間宏希]]が[[ギラヴァンツ北九州|北九州]]へ、[[薗田淳]]が札幌、鳥取へ期限付き移籍していた[[田中雄大 (1988年生のサッカー選手)|田中雄大]]が[[水戸ホーリーホック|水戸]]へ完全移籍、[[高木駿]]が千葉へ期限付き移籍、[[アラン・ロペス・ピニェイロ|アラン・ピニェイロ]]、[[ロブソン・ジャヌアリオ・デ・パウラ|ロブソン]]が期限付き移籍期間満了、[[谷尾昂也]](鳥取)[[杉浦恭平]](神戸)が期限付き移籍先に完全移籍、昨年横浜FCに期限付き移籍していた[[森下俊]]は[[ジュビロ磐田|磐田]]に期限付き移籍した。<br />
<br />
補強は、大分から[[森島康仁]]、横浜FCから[[武岡優斗]]を完全移籍で、栃木から[[パウロ・ロベルト・ゴンサガ|パウリーニョ]]、[[大宮アルディージャ|大宮]]から[[金久保順]]を期限付き移籍で獲得、[[安藤駿介]]が期限付き移籍から復帰、昨年途中に[[特別指定選手]]として登録された[[筑波大学蹴球部|筑波大学]]のMF[[谷口彰悟]]、[[阪南大学サッカー部|阪南大学]]のMF[[可児壮隆]]が入団した。<br />
<br />
[[AFCチャンピオンズリーグ2014|2014年のACL]]では、最初のアウェー2戦([[蔚山現代FC|蔚山現代ホランイ]]、[[ウェスタン・シドニー・ワンダラーズFC]])こそ落としたものの、Jリーグの日程を調整したり<ref>第5節の名古屋戦と、第7節の柏戦はその翌週にあるACLの試合がいずれも火曜日に開催されるので、そのまま土曜開催になると中2日で臨まなければならなかった為。</ref>、ホームで負けなかったのに加え、[[広州恒大淘宝足球倶楽部|広州恒大]]の3冠を阻止した[[中国FAカップ]]王者・[[北京人和足球倶楽部|貴州人和]]にアウェーで勝った事がものを言い、2009年以来5年ぶり3回目の決勝トーナメント進出を決めた。決勝トーナメントでは前年のファイナリストである[[FCソウル]]と対戦。等々力での第1戦で2-3で敗れた事で、第2戦こそ2-1で勝利しトータルスコア4-4だったものの、アウェーゴール数で下回り(川崎の2に対しFCソウルは3)ベスト16で姿を消した。天皇杯は3回戦で[[愛媛FC]]に敗れ、ACL出場に伴い決勝トーナメント準々決勝からの出場となったナビスコカップはC大阪にこそ2戦合計5-4で勝ちあがったものの、小林を代表招集で失った準決勝のG大阪に2戦合計4-5で敗れ、準々決勝からの不安材料だった守備の脆さが露呈された形で2年連続準決勝敗退となった。リーグ戦では15節から26節までは僅か2敗とACL出場権争いの4位以内はキープできていたが、終盤は不安定だった。当時首位だった浦和や鳥栖を破ったかと思えば、鬼門である[[新潟スタジアム|デンカビッグスワンスタジアム]]で2012年以外勝ちの無い新潟にあっさり負けたり、J1残留争いを演じる甲府と清水とのゲームに先制しながらも2試合続けて逆転負けする有様。おまけに主将の中村が左足関節骨棘障害で離脱したのが祟り、中村が先発から外れた最後の6試合で1分け3敗と急失速し、得点王を2年連続で獲得した大久保の頑張りも報われず、ACL出場圏も逃し6位に終わった。<br />
<br />
==== 2015年 ====<br />
:チームスローガン:「'''ATTRACTIVE'''」<br />
風間体制4年目。[[田中裕介]]が[[オーストラリア]]の[[ウェスタン・シドニー・ワンダラーズFC|ウエスタン・シドニー]]へ、[[稲本潤一]]が札幌へ、[[杉山力裕]]が[[清水エスパルス|清水]]へ完全移籍、[[福森晃斗]]が札幌へ、[[可児壮隆]]が[[湘南ベルマーレ|湘南]]へ、[[森島康仁]]が磐田へ、[[中澤聡太]]が[[セレッソ大阪|C大阪]]へ期限付き移籍、[[パウロ・ロベルト・ゴンサガ|パウリーニョ]]、[[ジェシマウロ・ジョゼ・ボルゲス|ジェシ]]、[[金久保順]]が期限付き移籍期間満了につき退団した。また[[高木駿]]、[[森下俊]]の期限付き移籍期間が延長した。<br />
<br />
補強は、[[ベガルタ仙台|仙台]]から[[角田誠]]、大宮から[[橋本晃司]]、松本から[[船山貴之]]、C大阪から[[杉本健勇]]、[[徳島ヴォルティス|徳島]]から[[松井謙弥]]を完全移籍で、[[アメリカFC (ミナスジェライス州)|アメリカFC]]から[[エルソン・フェレイラ・デ・ソウザ|エウシーニョ]]を期限付き移籍で獲得。ユースから[[板倉滉]]、[[三好康児]]が昇格し、昨年途中に[[特別指定選手]]として登録された[[筑波大学蹴球部|筑波大学]]の[[車屋紳太郎]]、同じく筑波大学の[[中野嘉大]]が入団した。<br />
[[4月25日]]のJ1リーグ1st7節[[ヴァンフォーレ甲府]]戦において[[2000年]]の[[J1リーグ]]初参入から11シーズン余りで、ホーム[[等々力陸上競技場]]でのJ1リーグ戦通算100勝目を達成。<br />
<br />
2000年から社長を務めていた武田信平が会長に就任。後任の社長には藁科義弘が就任した。<br />
<br />
6月には、2007年から6シーズン在籍し、ドイツ・ブンデスリーガ2部[[VfLボーフム]]に所属していた[[田坂祐介]]が3年ぶりに復帰した。<br />
<br />
1stステージ開幕戦、アウェイ横浜FM戦は3-1で勝利した。ホーム開幕神戸戦は引き分け第3節の山形戦で敗戦を喫するものの4月に入り、2勝1分1敗と調子を取り戻した。9節のFC東京戦では大久保嘉人がJ1の通算得点で横浜FCの三浦知良と肩を並べた。14節にはアウェイ清水戦で2-5と大敗を喫したが1stステージ終盤に3連勝を飾り1stステージは5位で終えた。<br />
<br />
7月にはホーム等々力に香川真司擁するドイツブンデスリーガの強豪ドルトムントを迎えての親善試合を行ったが、試合は香川の得点を含む6 - 0で敗戦、ドイツの強豪を相手に一点も取れずに大敗した。<br />
<br />
ナビスコカップでは予選リーグ6節までに2勝1敗2分で終え予選リーグ最終節仙台戦に予選突破の望みを繋いだが仙台に引き分けナビスコカップは予選リーグ敗退となった。<br />
<br />
2ndステージに入り開幕戦はFC東京に勝利したものの開幕戦直後に攻撃の主力レナトが中国・広州富力へ電撃移籍し、その後6節の山形戦で引き分けると3連敗を喫し4試合で2得点と失速した。9月に入り4連勝で16得点を重ね、CS出場への可能性を残したが14節で広島に敗れCS出場の可能性が消滅した。リーグ終盤戦に再び失速し1分2敗したものの最終節は仙台相手に勝利を収め、リーグ戦は2ndステージ7位、年間順位は6位で終えた。また大久保がシーズン23得点を挙げ史上初となる3年連続J1単独得点王に輝き、通算156得点となり[[中山雅史]]の通算得点記録157得点まであと1点に迫ったが惜しくも今シーズンの達成はならなかった。<br />
<br />
天皇杯では2回戦で中国リーグ所属の[[松江シティフットボールクラブ|松江シティFC]]<ref>松江には谷尾昂也が所属していて、この試合にフル出場し、川崎所属時には実現しなかった等々力での公式戦出場を果たした。出典:ゲキサカ「[http://web.gekisaka.jp/news/detail/?171254-171254-fl 念願の等々力でプレーした松江シティFC FW谷尾「こんな形でできるとは」]」、2015年9月6日付、2017年4月23日閲覧。</ref>に、3回戦でJ2の京都にそれぞれ勝利、4回戦では前年チャンピオンのG大阪と対戦、唯一残されたタイトルだったが0-2と完敗し天皇杯は4回戦で姿を消すこととなった。<br />
<br />
また、等々力陸上競技場のメインスタンド改修工事も完成し、3月のJ1開幕から供用された。これに合わせてチームは新スタンドのグラフィックや断面図をデザインした特別ユニフォームを試合で着用した<ref>川崎フロンターレ、「[http://www.frontale.co.jp/info/2015/0622_16.html 「新メインスタンド完成記念ユニフォーム」着用と販売のお知らせ]」、2015年6月22日付、2017年4月23日閲覧。</ref>。<br />
<br />
==== 2016年 ====<br />
:チームスローガン:「'''CHALLENGE THE FUTURE'''」<br />
風間体制5年目。[[西部洋平]]が清水、[[船山貴之]]、[[山本真希]]が千葉、[[杉本健勇]]がC大阪、[[山越享太郎]]が栃木、[[實藤友紀]]が[[アビスパ福岡|福岡]]、[[松井謙弥]]が大宮へ完全移籍、湘南に期限付き移籍していた[[可児壮隆]]、千葉に期限付き移籍していた[[安柄俊]]が[[ツエーゲン金沢|金沢]]へ期限付き移籍、[[角田誠]](清水)、[[中澤聡太]](C大阪)、[[森島康仁]]、[[森下俊]](磐田)はそれぞれ期限付き移籍先へ完全移籍、[[福森晃斗]]は札幌への期限付き移籍期間が延長、[[アルトゥール・ブラジリアーノ・マイア|アルトゥール・マイア]]が期限付き移籍期間満了により退団した。<br />
<br />
補強は、[[ギラヴァンツ北九州|北九州]]から[[大塚翔平]]、千葉から[[森本貴幸]]、柏から[[狩野健太]]、京都から[[原川力]]、札幌から昨シーズンFC東京に期限付き移籍していた[[奈良竜樹]]という大島と共に参戦した[[AFC U-23選手権2016]]を制した[[U-23サッカー日本代表]]コンビに加え、[[水原三星ブルーウィングス]]から[[鄭成龍|鄭成龍(チョン・ソンリョン)]]、[[アヴァイFC]]から[[エドゥアルド・ダ・シルヴァ・ナシメント・ネット|エドゥアルド・ネット]]を完全移籍で獲得、[[高木駿]]が期限付き移籍先から復帰、[[順天堂大学]]から[[長谷川竜也]]が入団した。また、昨シーズンまで背番号16をつけていた大島僚太が今シーズンから背番号10をつけることとなり、クラブで初めて日本人選手が10番を付ける事になった。この他、シーズン中に柏から[[カルロス・エドゥアルド・ベンディニ・ジュスティ|エドゥアルド]]を期限付き移籍で獲得した。<br />
<br />
1stステージ開幕戦で昨年のリーグ王者広島に勝利すると、ここから7節まで5勝2分と良い出だしを切った、8節は浦和との上位直接対決に敗れたものの、ここから更に5勝2分と好調を維持し1stステージ残り2試合で首位に立ち自力優勝の可能性を残し2位鹿島と勝ち点1差で迎えた16節アウェイでの福岡戦、中村憲剛を怪我で欠く厳しい状況。試合は前半15分までに[[金森健志]]一人に2点を奪われ、最下位福岡相手に2点を追う厳しい展開に、その後2点を返し試合は2-2の引き分けに終わったが鹿島が勝利した為2位となり自力優勝の可能性は消滅した、最終節は大宮に2-0で勝利したものの1stステージ優勝は僅かに届かずステージ順位2位で終えた。<br />
<br />
気を取り直して挑んだ2ndステージは小林が好調をキープし、開幕節となる[[仙台スタジアム|ユアテックスタジアム仙台]]での[[ベガルタ仙台|仙台]]戦から[[東京スタジアム (多目的スタジアム)|味の素スタジアム]]で行われたFC東京との多摩川クラシコまで全てゴールを挙げて、迎えた[[平塚競技場|Shonan BMW スタジアム平塚]]で行われた[[湘南ベルマーレ|湘南]]との[[神奈川ダービー]]で2-0とリードして迎えた後半15分、橋本のコーナーキックに頭で合わせ、それまで並び、自身も師匠と敬うジュニーニョのクラブ記録を更新する6試合連続ゴールを挙げた。またその神奈川ダービーも3-2で競り勝ち、クラブ史上新記録となる15戦無敗も記録、最終的には8月13日に[[鳥栖スタジアム|ベストアメニティスタジアム]]で行われた鳥栖戦で敗れ、8試合連続ゴールのかかった小林もノーゴールに終わるが無敗を16に伸ばした。<br />
<br />
9月25日の横浜FM戦はアディショナルタイムで小林が決勝点を決め劇的勝利。年間勝ち点では13節まで首位を守るものの、終盤戦は不安定な成績となり、勝ち点年間1位の可能性を残していた最終戦のG大阪戦でも逆転負けし<ref>結果として、この試合に勝てば浦和を逆転して年間1位となっていた。</ref>、浦和に次ぐ年間2位でクラブ史上初の[[Jリーグチャンピオンシップ]]出場となった。チャンピオンシップ準決勝はホーム開催となったが、[[金崎夢生]]の一発に沈み鹿島に0-1で敗れ、決勝進出とはならず、総合順位としては年間3位<ref>年間勝ち点では3位だった鹿島がチャンピオンシップで優勝し、川崎の順位が繰り下がった。</ref>でシーズンを終える事となった。一方、[[第96回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]では順調に勝ち進み、準決勝では大宮を下して翌2017年シーズンの[[AFCチャンピオンズリーグ2017|ACL]]本戦出場権獲得を果たした<ref>決勝で対戦する鹿島は既にJ1優勝による本戦出場権を得ていたため、仮に決勝で敗れても天皇杯優勝チームに与えられる本戦出場権が繰り上げで与えられる事になっていた。</ref>。2017年1月1日に行われた天皇杯決勝(クラブ史上初の元日決戦)では、鹿島に先制されるもののその後小林のゴールで追いついて同点とし、延長戦へと持ち込んだものの、この試合を最後に鹿島を退団する[[ファブリシオ・ドス・サントス・メシアス|ファブリシオ]]の一発に沈み1-2で準優勝。2000年の[[Jリーグカップ|ナビスコカップ(今のルヴァンカップ)]]に続いてまたも初タイトルを鹿島に阻まれる事になった。<br />
<br />
なお、J1終盤戦が続いていた10月14日に風間監督の契約満了に伴う退任、11月7日に[[鬼木達]]コーチの来季新監督就任と、Jリーグクラブでは異例となる早期での翌シーズン体制発表が行なわれていた<ref>11月上旬には大久保のFC東京移籍が公然となり、本人も来季からの移籍を認めていた。なお、公式発表は天皇杯決勝終了後の2017年1月になった。出典:スポニチアネックス、大西純一「[http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2016/11/23/kiji/K20161123013772700.html なぜ川崎F大久保のFC東京移籍がこんなに早く決まったのか]」、2016年11月23日付、2017年4月23日閲覧。</ref>。<br />
<br />
==== 2017年 ====<br />
{| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #99B3FF solid 1px"<br />
|-<br />
|<div style="position: relative;"><br />
[[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]]<br />
<br />
{{Image label|x=0.65|y=1.21|scale=220|text=[[鬼木達|<span style="font-size: 10pt; color: navy;">監督 '''鬼木'''</span>]]}}<br />
<br />
{{Image label|x=0.39|y=1.07|scale=220|text=[[鄭成龍|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''鄭成龍'''</span>]]}}<br />
{{Image label|x=0.57|y=0.83|scale=220|text=[[エウシーニョ|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''エウシーニョ'''</span>]]}}<br />
{{Image label|x=0.59|y=0.92|scale=220|text=[[奈良竜樹|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''奈良'''</span>]]}}<br />
{{Image label|x=0.26|y=0.92|scale=220|text=[[谷口彰悟|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''谷口'''</span>]]}}<br />
{{Image label|x=0.13|y=0.83|scale=220|text=[[車屋紳太郎|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''車屋'''</span>]]}}<br />
<br />
{{Image label|x=0.72|y=0.45|scale=220|text=[[家長昭博|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''家長'''</span>]]}}<br />
{{Image label|x=0.59|y=0.66|scale=220|text=[[大島僚太|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''大島'''</span>]]}}<br />
{{Image label|x=0.23|y=0.66|scale=220|text=[[エドゥアルド・ネット|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''ネット'''</span>]]}}<br />
{{Image label|x=0.42.5|y=0.45|scale=220|text=[[中村憲剛|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''中村'''</span>]]}}<br />
<br />
{{Image label|x=0.13|y=0.45|scale=220|text=[[阿部浩之|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''阿部'''</span>]]}}<br />
{{Image label|x=0.42.5|y=0.25|scale=220|text=[[小林悠 (サッカー選手)|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''小林'''</span>]]}}<br />
</div><br />
|-<br />
|{{smaller|2017年シーズン基本フォーメーション}}<br />
|}<br />
<br />
:チームスローガン:'''Paint it Blue'''<br />
<br />
前年の発表通り、風間前監督<ref>同年からJ2・名古屋の監督に就任した。</ref>に代わり[[鬼木達]]新監督が指揮を執った。[[大久保嘉人]]がFC東京、[[高木駿]]が[[大分トリニータ|大分]]、金沢へ期限付き移籍していた[[安柄俊]]が[[ロアッソ熊本|熊本]]に移籍。[[原川力]]が鳥栖、[[中野嘉大]]が仙台に期限付き移籍、[[福森晃斗]]が期限付き移籍先の札幌へ完全移籍した。<br />
<br />
補強は大宮から[[家長昭博]]、G大阪から[[阿部浩之]]、[[アルビレックス新潟|新潟]]から[[フィッツジェラルド舞行龍ジェームズ|舞行龍ジェームズ]]を完全移籍で獲得、[[エドゥアルド・ダ・シルヴァ・ナシメント・ネット|エドゥアルド・ネット]]、[[カルロス・エドゥアルド・ベンディニ・ジュスティ|エドゥアルド]]が完全移籍に移行、ユースから[[田中碧]]、[[桐光学園中学校・高等学校|桐光学園高校]]から[[タビナス・ジェファーソン]]、[[愛知学院大学]]から[[知念慶]]が入団した。<br />
<br />
3シーズンぶりの出場となったACLは[[水原三星ブルーウィングス]]、2度のACL制覇を誇る[[広州恒大淘宝足球倶楽部|広州恒大]]、[[香港プレミアリーグ|香港]]の[[東方足球隊|イースタンSC]]と同組に。ホームでの初戦は小林のゴールで先制するも、オウンゴールでドロー決着。鬼木新体制は1-1で発進することとなった。次節のイースタンSC戦ではPKを献上した奈良が退場するなどして苦しめられるが、板倉のプロ初ゴールによりかろうじて引き分けに持ち込んでいる。ACLに関しては、このあともアウェイ、ホームの2連戦となった広州恒大戦が連続ドローと結果が出ず、グループステージ4戦連続引き分けという珍しい戦績となった。後がない状態で迎えた敵地でのACL第5節水原三星戦は奈良のゴールを守り切り1-0で勝利。自力でのグループステージ突破の可能性が復活すると、最終戦のホームでのイースタンSC戦を4-0で快勝しグループステージを首位で通過した。決勝トーナメント1回戦は[[ムアントン・ユナイテッドFC|ムアントン・ユナイテッド]]との対戦となる。アウェイでの第1戦はタイ特有の蒸し暑さに苦しみ先制点を奪われるものの、中村、小林という新旧キャプテンのゴールで逆転するとセンターフォワードに固定されてブレイクした阿部が追加点を奪い3-1で逆転勝ち。第2戦も小林、長谷川、エドゥアルド・ネット、ハイネルのゴールで4-1と連勝し、3回目の準々決勝進出を果たす。準々決勝では浦和との'''日本決戦'''。等々力での第1戦は小林の2ゴールとエウシーニョのACL初ゴールで3-1と快勝。圧倒的有利な状況で迎えた埼玉スタジアムでの第2戦もエウシーニョの先制点が決まり、2戦合計4-1と圧倒的に有利な状況に持ち込む。ところが[[興梠慎三]]に同点ゴールを許すと、その興梠に対する車屋のチャレンジが危険なプレーとして認定され一発退場に。試合はここから暗転した。[[ズラタン・リュビヤンキッチ|ズラタン]]、[[ラファエル・ダ・シルバ|ラファエル・シルバ]]と立て続けにゴールを奪われ2戦合計4-4と同点に追いつかれると、更に後半41分に[[高木俊幸]]にループシュートを沈められ2戦合計で逆転を許した。試合はそのまま1−4で敗戦となり、2006年11月11日のJリーグ・多摩川クラシコ(味の素スタジアム)を彷彿とさせるまさかの大逆転負け。試合時間は残すところ6分+アディショナルタイムだったが、初の準決勝進出を逃す結果となった。<br />
<br />
[[Jリーグカップ|ルヴァンカップ]]ではACL出場に伴って決勝トーナメントからの出場となる。初戦のFC東京には2戦合計7-1と大勝して3年ぶりに準決勝に進出する。<br />
準決勝の相手はクラブ史上初のベスト4に勝ち進んだ仙台だった。ユアスタでの第1戦では前半は0-3と大量リードをゆるすも、後半アディショナルタイムにルーキーの知念が貴重なプロ初ゴールを奪うなど2-3としてアウェイゴールをホームに持ち帰った。勝利が最低条件となる等々力での第2戦では三好が今シーズン初ゴールを決めたが、後半に奈良が退場し一時は2戦合計4-4となる苦しい展開となるもACLの敗退の反省を生かして逃げ切りを図り、途中出場の長谷川の追加点で試合を決定づけた。苦しみながらも若手の活躍もあり、結局2戦合計5-4とし、前身のヤマザキナビスコカップを含めて8年ぶり4度目の決勝進出を果たした。<br />
決勝戦は2017年シーズンに限っていえば、リーグ戦では1勝1敗のイーブンの成績ながらも鳥栖時代から通算成績で3勝5敗と相性の良くない[[尹晶煥]]監督率いるC大阪だった。<br />
試合は奈良を出場停止で欠く最終ラインに開始1分でミスが発生。エドゥアルドがクリアを焦って空振りしこれを杉本に決められて先制を奪われる。2015年シーズンにプレーしながら1年で放出した杉本の手痛いしっぺ返し弾が重くのしかかった。シュート数で言えば6本だったC大阪の倍近い11本を放つが、最後まで得点を挙げられず。逆に同点ゴールを狙う後半アディショナルタイムにカウンターを受け、[[エリアス・バルボサ・デ・ソウザ|ソウザ]]に決定的な追加点を奪われた。川崎は0−2で敗れ2000年、2007年、2009年に続きまたしても決勝で無得点のまま敗戦し、準優勝となった。<ref>なお川崎は、ヤマザキナビスコカップ時代も含めてYBCルヴァンカップ決勝進出経験のあるチームの中では、1度しか決勝進出がなく120分間でスコアレスながらPK戦での優勝となった横浜Fマリノスを除き、まだ得点を奪った事が無い。またこの試合も含めて2000年のナビスコカップを除く直近4回の決勝戦では2007年のナビスコカップ決勝と2016年の天皇杯決勝ではマギヌンとエドゥアルド・ネットが累積警告で、2009年のナビスコカップ決勝と2017年のYBCルヴァンカップ決勝では井川と奈良が準決勝第2戦で退場処分を受けて主力が出場停止で欠場している。</ref>。<br />
<br />
[[2017年のJ1リーグ|2017年のJ1]]は、チームの得点源だった大久保がFC東京に移籍した事により、その大久保の穴埋めが懸念されていたが、チームキャプテンの小林が大久保に代わり、チームの得点源として活躍。開幕戦のアウェー・大宮戦に2-0で勝利する。前半戦こそはエドゥアルドが右肩関節反復性脱臼で手術を行い4か月ほど離脱したり、エウシーニョが2月に脛骨骨折、舞行龍ジェームスが右膝外側半月板損傷で離脱し、その後国内の公式戦をほぼ全休する等野戦病院と化すほどの故障者が続出して最低順位9位になる等、一時は苦しい展開があったものの、シーズン通じて連敗がなかった。また、課題だった守備もシーズンが進むにつれ改善された。怪我人が戻り序盤は故障で出遅れた一人である家長がフィットしだしたJ1第19節での敗戦以降は、リーグ戦では15試合負けなかった。また連勝は最長でも3止まりだったものの、チャンスをものにして大量得点を奪っての完封勝ちの多さでカバーした。<br />
J1第21節終了時点では、首位だった鹿島との勝ち点の差は最大7点差だったが鹿島が勝ちきれない試合が多くなるにつれ、鹿島との勝ち点の差はどんどん小さくなっていった。第29節のホーム等々力での仙台戦では、チームは退場者を出しながらも後半37分以降の5分間で3得点を決め、0-2のビハインドからの逆転勝利を飾り、第32節のホーム等々力でのG大阪戦ではシュートを25本近く放つもゴールを奪えずにいたが、後半37分にコーナーキックからエウシーニョが25本目のシュートで点をとり、1-0で勝ち点3を取り切り勝負強さを発揮したシーズンでもあった。第33節では、ACLで歴史的逆転負けを喫したアウェーでの浦和戦([[11月29日]])に1-0で勝利し、鹿島がホームでの柏戦([[11月26日]])では引き分けに終わった為、首位・鹿島との勝ち点の差が2に縮まった。<br />
<br />
そして迎えたJ1最終節ではホーム等々力での大宮戦では開始早々前半1分に阿部が先制点を記録、さらに小林がハットトリックを決め最後は長谷川が締めのゴールを挙げ川崎が5-0と大勝した。一方の鹿島はアウェー・磐田と対戦し、0-0のスコアレスドローに終わった。この結果、川崎は鹿島とは[[勝ち点]]72で並んだものの、得失点差では鹿島の+22を上回る+39だったため、順位が逆転、1999年のJ2発足初年度に所属していたクラブとして史上初のJ1リーグ優勝<ref>{{Cite web|url=http://number.bunshun.jp/articles/-/829422?page=4 |title=川崎優勝を象徴する最後の5点目。<br />
「甘い」と言われても貫いた攻撃姿勢。 |publisher=Number Web |date=2017-12-04 |accessdate=2017-12-06}}</ref>と磐田、柏に続き[[オリジナル10|1993年のJリーグ開幕時に所属していたクラブ]]以外で3クラブ目のJ1リーグ優勝、クラブ創設21年目にして初めての主要タイトル獲得を達成した。リーグ優勝が得失点差で決まった(優勝と2位の勝ち点が等しかった)のはJリーグ史上初である<ref>{{Cite web |url=http://www.sanspo.com/soccer/news/20171203/jle17120303090007-n1.html |title=川崎逆転Vは史上初の得失点差決着!2チームならんだ勝ち点72 |publisher=SANSPO.COM |date=2017-12-03 |accessdate=2017-12-06}}</ref>。また得失点差の+39はチーム史上最多、総失点32はチーム史上最少<ref>{{Cite web |url=http://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20171203/678223.html |title=【コラム】昨季と異なる“強さ”を示した川崎…転換点となった夜、指揮官が発したある一言とは |publisher=サッカーキング<br />
|date=2017-12-03 |accessdate=2017-12-06}}</ref>、年間4敗はリーグ史上最少であった。シーズン中一度も首位に立つことなく最終節で首位になり逆転優勝を果たした。これは07年シーズンの鹿島以来10年ぶり2回目のことであった。<br />
<br />
個人では、鬼木達監督が優勝監督賞を受賞したほか<ref>{{Cite web |url=http://www.nikkansports.com/soccer/news/201712050000599.html |title=川崎F鬼木監督が優勝監督賞を受賞「うれしく思う」 |publisher=日刊スポーツ |date=2017-12-05 |accessdate=2017-12-06}}</ref>、最終節前は杉本に2ゴール差をつけられながらハットトリックを達成し23得点を記録し得点ランキングトップに立った小林が、Jリーグ史上6人目となる最優秀選手賞と得点王とのダブル受賞を達成した<ref>{{Cite web |url=http://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=33365 |title=【Jアウォーズ】川崎の小林悠がMVP!! 得点王とダブル受賞は史上6人目の快挙 |publisher=サッカーダイジェストWeb |date=2017-12-05 |accessdate=2017-12-06}}</ref>。また小林に加え、エウシーニョ、車屋、中村がベストイレブンに<ref>{{Cite web |url=http://www.nikkansports.com/soccer/news/201712050000647.html |title=小林悠ら川崎Fから最多4人/ベストイレブン一覧 |publisher=日刊スポーツ |date=2017-12-06 |accessdate=2017-12-06}}</ref>、さらにこの4人に加え、谷口、阿部、大島の7選手が優秀選手賞に<ref>{{Cite web |url=http://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20171203/678457.html |title=JリーグがJ1優秀選手賞33名を発表! 鹿島から最多8名選出 |publisher=サッカーキング |date=2017-12-03 |accessdate=2017-12-06}}</ref>それぞれ選出された。<br />
<br />
==== 2018年 ====<br />
:チームスローガン:'''GO Sensational !'''<br />
<br />
鬼木体制2年目。[[狩野健太]]、[[大塚翔平]]が契約満了、中村に次いで2番目に長く在籍した井川が[[香港プレミアリーグ|香港]]のイースタンSC、[[森本貴幸]]が[[アビスパ福岡|福岡]]、[[日本フットボールリーグ|JFL]]・[[FC今治|今治]]へ期限付き移籍していた[[可児壮隆]]が[[ガイナーレ鳥取|鳥取]]へ完全移籍、[[板倉滉]]が仙台、[[三好康児]]が札幌に期限付き移籍、[[中野嘉大]](仙台)、原川が期限付き移籍先の鳥栖へ完全移籍、[[ハイネル・サントス・ナシメント|ハイネル]]が期限付き移籍期間満了で退団した。<br />
<br />
補強はFC東京から2シーズンぶりに加入する大久保をはじめ、鹿島<ref>昨シーズンはG大阪へ期限付き移籍</ref>から[[赤崎秀平|赤﨑秀平]]、[[モンテディオ山形|山形]]から[[鈴木雄斗]]、いずれも神奈川ダービーのライバルで[[湘南ベルマーレ|湘南]]から[[下田北斗]]、横浜FMから[[齋藤学]]を完全移籍で獲得。[[ポープ・ウィリアム]]が完全移籍に移行し、[[阪南大学]]から[[脇坂泰斗]]、[[流通経済大学]]から[[守田英正]]が入団した。<br />
<br />
初出場した[[FUJI XEROX SUPER CUP]]では、昨年のYBCルヴァンカップ決勝でも戦ったC大阪と対戦。[[山口蛍]]、[[清武弘嗣]]の生え抜き2人に決められ2点を先行され、1点を返すも昨年のACL準々決勝第2戦で決勝点(2戦合計4-5とするゴール)を決められた高木に今年も決められて、小林、1年で復帰した大久保という新旧得点王のゴールも実らず2-3で敗れ準優勝。2009年のFUJI XEROX SUPER CUPから続くJリーグ王者の連勝を9で止めてしまったばかりか、1994年と1995年に優勝した[[東京ヴェルディ1969|ヴェルディ]]が1997年に敗れたのも含めて神奈川県にあるクラブの連敗を6としてしまった<ref>特にヴェルディ以外のクラブ(1994年の[[横浜フリューゲルス]]、1995年のベルマーレ平塚(今の湘南ベルマーレ)はヴェルディとの神奈川ダービーで敗れたのに加え、横浜Fマリノスに至ってはマリノス時代の1996年、Fマリノス時代の2004年、2005年、2014年と4回出場しながら1度も勝てていない。)は全て敗れ、そのヴェルディも1997年に敗れている。</ref>。<br />
<br />
リーグ戦では、代表活動による中断明け最初の上位決戦に当たる第5節の広島戦で初黒星を喫したが、[[2017年のJ1リーグ|昨年]]の第20節のFC東京戦から[[2018年のJ1リーグ|今年]]の第4節の[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]戦までクラブ新記録となる19試合連続無敗となった。だがその反面、優勝を争った鹿島と共に2年連続で出場した[[AFCチャンピオンズリーグ2018]]では、[[Aリーグ|ヒュンダイ・A・リーグ]]2位だった[[メルボルン・ビクトリーFC|メルボルン・ビクトリー]]、[[中国サッカー・スーパーリーグ|中国スーパーリーグ]]2位の[[上海上港集団足球倶楽部|上海上港]]、[[韓国FAカップ]]優勝の[[蔚山現代FC|蔚山現代]]と同組。FUJI XEROXからの悪い流れを断ち切れず、車屋が出場停止だった初戦の上海上港戦はその左サイドから攻められた結果、[[エウケソン・ジ・オリヴェイラ・カルドーゾ|エウケソン]]のゴールに沈み、続く敵地の蔚山現代戦ではポゼッションこそ優位に立つものの、中村を欠いてか自慢のパスワークを封じられ自陣でショートカウンターを喰らって2失点を喫し連敗。第3戦のメルボルン戦はエウシーニョのゴールでこの大会初めて先制点を挙げるも、8分後車屋のオウンゴールで追いつかれ前半を折り返すと、10分見事なパスワークから小林のラストパスに登里が合わせ勝ち越し。その後決定機を作り出そうとするも追加点を奪えないでいるとロスタイムに奈良がPKを献上しドロー。勝ちゲームを引き分けにしてしまうと続く敵地でもロスタイムにゴールを奪われて勝ちどころか引き分けに持っていく事すら出来ずに自力での決勝トーナメント進出が潰え、[[上海体育場]]での上海上港戦の試合前にグループステージ敗退が決定。その後も上海上港戦は先制点を奪われて知念のゴールで引き分けに持っていくのがやっと。最終戦の蔚山現代戦は怪我からの復帰を果たした武岡や舞行龍ジェームス、新戦力の鈴木と下田と斎藤を先発させ、その鈴木、既存戦力の長谷川のゴールで2点リードで前半を折り返すも、後半は一転して蔚山現代にペースを奪われ、後半10分も持たずに2失点とリードを吐いてしまいそのままタイムオーバー。2013年の広島、2016年のG大阪に続いて日本サッカー史上3チーム目の'''ACLグループステージ勝利なしで敗退する'''不名誉な記録を残した。<br />
<br />
ACLの敗退後、最後までJリーグの優勝を争った鹿島、敵地での鳥栖、神戸と連勝したものの、準々決勝までACLの優勝を争った浦和には興梠に2点を奪われ、多摩川クラシコのFC東京に当時リーグ2位の9失点と堅守は健在ながらそのうちの4点と4割を占めるセットプレーの弱さを[[太田宏介]]に突かれ、[[橋本拳人]]、[[森重真人]]に奪われ当時5年連続で多摩川クラシコでゴールを挙げた大久保も含めてノーゴール。6年ぶりに等々力でFC東京に敗れ、鬼木体制初の連敗を喫した。<br />
<br />
== 成績 ==<br />
{{Main|川崎フロンターレの年度別成績一覧}}<br />
<br />
== タイトル・表彰 ==<br />
=== 国内タイトル ===<br />
* '''[[J1リーグ]]:1回'''<br />
** [[2017年のJリーグ|2017年]]<br />
* '''[[J2リーグ]]:2回'''<br />
** [[1999年のJリーグ|1999年]], [[2004年のJリーグ|2004年]]<br />
<br />
=== 表彰 ===<br />
<br />
; [[Jリーグアウォーズ#最優秀選手賞(MVP)|最優秀選手(MVP)]]<br />
*[[2016年]]:[[中村憲剛]]<br />
*[[2017年]]:[[小林悠 (サッカー選手)|小林悠]]<br />
; [[Jリーグベストイレブン|ベストイレブン]]<br />
* [[2006年]]:[[中村憲剛]]、[[谷口博之]]<br />
* [[2007年]]:中村憲剛、[[カルロス・アルベルト・カルヴァリョ・ドス・アンジョス・ジュニオル|ジュニーニョ]]<br />
* [[2008年]]:中村憲剛<br />
* [[2009年]]:中村憲剛、[[川島永嗣]]<br />
* [[2010年]]:中村憲剛<br />
* [[2013年]]:[[大久保嘉人]]<br />
* [[2014年]]:大久保嘉人<br />
* [[2015年]]:大久保嘉人<br />
* [[2016年]]:中村憲剛、[[小林悠 (サッカー選手)|小林悠]]<br />
* [[2017年]]:中村憲剛、小林悠、[[車屋紳太郎]]、[[エウシーニョ]]<br />
<br />
; [[Jリーグアウォーズ#得点王|得点王]]<br />
* 2007年:ジュニーニョ<br />
* 2013年:大久保嘉人<br />
* 2014年:大久保嘉人<br />
* 2015年:大久保嘉人<br />
* 2017年:小林悠<br />
<br />
; フェアプレー個人賞<br />
* 2015年:[[谷口彰悟]]<br />
<br />
; 優勝監督賞<br />
* 2017年:[[鬼木達]]<br />
<br />
; Jリーグカップ<br />
* 2006年:[[谷口博之]] [[Jリーグカップ#ニューヒーロー賞|ニューヒーロー賞]]<br />
<br />
=== その他 ===<br />
*[[Jリーグアウォーズ#フェアプレー賞(高円宮杯)|J1フェアプレー賞]]:4回<br />
** 2012年、2015年、2016年、2017年<br />
<br />
== ユニフォーム ==<br />
{{ユニフォームの色2<br />
| F正シャツ= 水色<ref name="jleague" />|F正パンツ=黒<ref name="jleague" />|F正ストッキング=黒<ref name="jleague" /><br />
| F副シャツ=白<ref name="jleague" />|F副パンツ=白<ref name="jleague" />|F副ストッキング=白<ref name="jleague" /><br />
| G正シャツ=緑|G正パンツ=緑|G正ストッキング=緑<br />
| G副シャツ=黄|G副パンツ=黄|G副ストッキング=黄<br />
| G第3シャツ=赤|G第3パンツ=赤|G第3ストッキング=赤<br />
| pattern_la1= _frontale18h<br />
|pattern_b1= _frontale18h<br />
|pattern_ra1= _frontale18h<br />
|pattern_sh1=_frontale18h<br />
|pattern_so1= _frontale18h<br />
| leftarm1=FFFFFF<br />
|body1=FFFFFF<br />
|rightarm1=FFFFFF<br />
|shorts1=FFFFFF<br />
|socks1=000000<br />
| pattern_la2= _frontale18a<br />
|pattern_b2= _frontale18a<br />
|pattern_ra2= _frontale18a<br />
|pattern_sh2= _frontale18a<br />
|pattern_so2= _frontale18a<br />
| leftarm2=FFFFFF<br />
|body2=FFFFFF<br />
|rightarm2=FFFFFF<br />
|shorts2=FFFFFF<br />
|socks2=FFFFFF<br />
| pattern_la3= _kawasaki frontale 2018 HOME GK<br />
|pattern_b3= _kawasaki frontale 2018 HOME GK<br />
|pattern_ra3= _kawasaki frontale 2018 HOME GK<br />
|pattern_sh3= _kawasaki frontale 2018 HOME GK<br />
|pattern_so3= _kawasaki frontale 2018 HOME GK<br />
| leftarm3=008800<br />
|body3=008800<br />
|rightarm3=008800<br />
|shorts3=008800<br />
|socks3=008800<br />
| pattern_la4=_blackshoulders<br />
|pattern_b4=_blackshoulders<br />
|pattern_ra4=_blackshoulders<br />
|pattern_sh4=_blacksides<br />
|pattern_so4=_blacktop<br />
| leftarm4=FFFF11<br />
|body4=FFFF11<br />
|rightarm4=FFFF11<br />
|shorts4=FFFF11<br />
|socks4=FFFF11<br />
| pattern_la5=_blackshoulders<br />
|pattern_b5=_blackshoulders<br />
|pattern_ra5=_blackshoulders<br />
|pattern_sh5=_blacksides<br />
|pattern_so5=_blacktop<br />
| leftarm5=F00<br />
|body5=F00<br />
|rightarm5=F00<br />
|shorts5=F00<br />
|socks5=F00<br />
}}<br />
<br />
=== チームカラー ===<br />
*{{color box|#00BFFF}} サックスブルー<ref name="jleague" />、{{colorbox|black}} ブラック<ref name="jleague" /><br />
<br />
=== ユニフォームデザイン ===<br />
* 2004年から右袖に「KAWASAKI」の文字が書かれたワッペン、選手やスタッフ用には「市の花」である[[ツツジ]]の[[刺繍]]が付けられている。<br />
* 2011年のユニホーム右脇部には川崎市高津区出身の[[岡本太郎]]デザインによる「挑」の文字が付けられていた。<br />
* 2014年の1stユニフォームは川崎市の市制90周年を記念して川崎市の全7区のシンボルマークをモチーフとした市松模様となっている。また、背番号の下にふろん太のシルエットが隠れている。ただし、ACL仕様の1stユニフォームは2ndユニフォームの色違いである。<br />
* 2016年の1stユニフォームは「原点回帰」をコンセプトに20周年記念として創立当時のストライプ柄を採用<ref name=2016uni>[http://www.frontale.co.jp/info/2016/0117_3.html お知らせ:KAWASAKI FRONTALE:2016シーズン 「1st/2nd/GK/カップ戦ユニフォーム」先行販売のお知らせ] 2016年1月17日</ref>。ただしサプライヤーはペナルティではなくプーマである。<br />
* 2016年はクラブとしては初となるカップ戦限定デザインユニフォームを採用(1stユニフォームのみ)。2009-2010シーズンのデザインの復刻版となっている<ref name=2016uni></ref>。こちらもサプライヤーはアシックスではなくプーマである。<br />
* [[AFCチャンピオンズリーグ]]については規定によりスポンサーは1社に限られているため、FUJITSUの胸ロゴのみ<ref>ただし、Jリーグとは違いFUJITSUの公式ロゴではなく角ゴシック体表記。これは胸ロゴの規格がJリーグより小さいという都合によるものと思われる(特に「JI」の上に「∞」があるため、ACLの規格に合わせるとロゴが小さくなり過ぎる)。ちなみに2013年出場時の[[ベガルタ仙台|仙台]]は、[[アイリスオーヤマ]]の胸ロゴデザイン小変更(IRIS OHYAMAの文字列を2段に)で対応した。</ref> 表記され、左袖に大会のロゴ、背番号上には選手名([[アルファベット]]表記)を入れている。<br />
<br />
{{-}}<br />
{{ Football kit box<br />
|pattern_la = _frontale18a<br />
|pattern_b = _frontale18afca<br />
|pattern_ra = _frontale18a<br />
|pattern_sh = _frontale18a<br />
|pattern_so = _frontale18a<br />
|leftarm = <br />
|body = <br />
|rightarm = <br />
|shorts =<br />
|socks = <br />
| title = ACL2018用ユニフォームFP 2nd<br />
}}<br />
{{ Football kit box<br />
|pattern_la = _frontale18h<br />
|pattern_b = _frontale18afch<br />
|pattern_ra = _frontale18h<br />
|pattern_sh = _frontale18h<br />
|pattern_so = _frontale18h<br />
|leftarm = 8000FF<br />
|body = FFFFFF<br />
|rightarm = 8000FF<br />
|shorts = 8000FF<br />
|socks = 000000<br />
| title = ACL2018用ユニフォームFP 1st<br />
}}<br />
<br />
=== ユニフォームスポンサー ===<br />
{| class="wikitable" style="font-size:smaller; <br />
!掲出箇所!!スポンサー名!!表記!!掲出年!!備考<br />
|-<br />
!胸<br />
|[[富士通]]||align=center|FUJITSU||1997年 - ||2013年 - 2017年の2ndユニフォームは「[[arrows (携帯電話)|arrows]]」表記<br />(2015年までは旧ロゴの「ARROWS」表記、ACLでは1st、2nd共に「FUJITSU」表記)<br />
|-<br />
!鎖骨<br />
|[http://www.fujitsu.com/jp/group/bsc/ 富士通ビー・エス・シー]||align=center|富士通<br>ビー・エス・シー ||2018年4月 -<ref>{{Cite press release|url=http://www.frontale.co.jp/info/2018/0327_1.html |title=|publisher=公式サイト|date=2018-3-27|accessdate=2018-4-7}}</ref><br />
||<br />
|-<br />
!背中上部<br />
|[[SMBC日興証券]]||align=center|SMBC日興証券||2011年4月 - ||2005年 - 2007年途中は商品名の[[ピーカブー]]<br />(2007年途中 - 2011年3月は「日興コーディアル証券」表記)<br />
|-<br />
!背中下部<br />
|[[富士通エフサス]]||align=center|富士通エフサス||2018年 - ||1998年 - 2004年は背中上部(「Fsas」表記)<br />
|-<br />
!袖<br />
|[[富士通マーケティング|富士通<br />マーケティング]]||align=center|富士通<br />マーケティング||2011年 - ||<br />
|-<br />
!パンツ<br />
|[[PFU]]||align=center|PFU||2003年 - 2005年<br />2009年 - ||<br />
|}<br />
<br />
=== ユニフォームサプライの遍歴 ===<br />
* 1997年 - 1998年:[[ペナルティ (スポーツ用品)|ペナルティ]]<br />
* 1999年 - 2010年:[[アシックス]]<br />
* 2011年 - 現在:[[プーマ]]<br />
<br />
=== 歴代ユニフォーム ===<br />
{| class="wikitable collapsible collapsed" style="width:65%; border:double #000; {{box-shadow|4px|4px|4px|#00BFFF}}"<br />
!colspan=5|FP 1st<br />
|-<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la=_Kawasaki Frontale 1999 - 2000 HOME FP|pattern_b=_Kawasaki Frontale 1999 - 2000 HOME FP|pattern_ra=_Kawasaki Frontale 1999 - 2000 HOME FP|pattern_sh=_Kawasaki Frontale 1999 - 2000 HOME FP|pattern_so=_Kawasaki Frontale 1999 - 2000 HOME FP<br />
|leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=|title={{Center|1999-2000}}}}<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la=_Kawasaki Frontale 2001 - 2003 HOME FP|pattern_b=_Kawasaki Frontale 2001 - 2003 HOME FP|pattern_ra=_Kawasaki Frontale 2001 - 2003 HOME FP|pattern_sh=_Kawasaki Frontale 2001 - 2003 HOME FP|pattern_so=_Kawasaki Frontale 2001 - 2003 HOME FP<br />
|leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=f00|title={{Center|2001-2003}}}}<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la=_Kawasaki Frontale 2004 - 2005 HOME FP|pattern_b=_Kawasaki Frontale 2004 - 2005 HOME FP|pattern_ra=_Kawasaki Frontale 2004 - 2005 HOME FP|pattern_sh=_Kawasaki Frontale 2004 - 2005 HOME FP|pattern_so=_Kawasaki Frontale 2004 - 2005 HOME FP<br />
|leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=|title={{Center|2004-2005}}}}<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la=_Kawasaki Frontale 2006 HOME FP|pattern_b=_Kawasaki Frontale 2006 HOME FP|pattern_ra=_Kawasaki Frontale 2006 HOME FP|pattern_sh=_Kawasaki Frontale 2004 - 2005 HOME FP|pattern_so=_Kawasaki Frontale 2004 - 2005 HOME FP<br />
|leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=|title={{Center|2006}}}}<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la=_kawasaki frontale 2007 HOME FP|pattern_b=_kawasaki frontale 2007 HOME FP|pattern_ra=_kawasaki frontale 2007 HOME FP|pattern_sh=_kawasaki frontale 2007 HOME FP|pattern_so=_kawasaki frontale 2007 HOME FP<br />
|leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=|title={{Center|2007}}}}<br />
|-<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la= _Kawasaki Frontale 2008 HOME FP|pattern_b= _Kawasaki Frontale 2008 HOME FP|pattern_ra= _Kawasaki Frontale 2008 HOME FP|pattern_sh= _Kawasaki Frontale 2008 HOME FP|pattern_so= _Kawasaki Frontale 2008 HOME FP<br />
|leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=|title={{Center|2008}}}}<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la=_Kawasaki Frontale 2009 - 2010 HOME FP|pattern_b=_Kawasaki Frontale 2009 - 2010 HOME FP|pattern_ra=_Kawasaki Frontale 2009 - 2010 HOME FP|pattern_sh=_Kawasaki Frontale 2009 - 2010 HOME FP|pattern_so=_Kawasaki Frontale 2009 - 2010 HOME FP<br />
|leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=|title={{Center|2009-2010}}}}<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la=_kawasaki frontale 2011 HOME FP|pattern_b=_kawasaki frontale 2011 HOME FP|pattern_ra=_kawasaki frontale 2011 HOME FP|pattern_sh=_frontale11h|pattern_so=_frontale11h<br />
|leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=000|title={{Center|2011}}}}<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la=_frontale12h|pattern_b=_frontale12h|pattern_ra=_frontale12h|pattern_sh=_lightblue_stripes|pattern_so=<br />
|leftarm=|body=|rightarm=|shorts=000|socks=000|title={{Center|2012}}}}<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la=_frontale1314h|pattern_b=_kawasaki frontale 2013 HOME FP|pattern_ra=_frontale1314h|pattern_sh=_kawasaki frontale 2013 HOME FP|pattern_so=_kawasaki frontale 2013 HOME FP<br />
|leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=|title={{Center|2013}}}}<br />
|-<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la= _kawasaki frontale 2014 HOME FP|pattern_b= _kawasaki frontale 2014 HOME FP|pattern_ra= _kawasaki frontale 2014 HOME FP|pattern_sh= _kawasaki frontale 2014 HOME FP|pattern_so= _kawasaki frontale 2014 HOME FP<br />
|leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=|title={{Center|2014}}}}<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la=_frontale15h|pattern_b=_Kawasaki Frontale 2015 HOME FP|pattern_ra=_frontale15h|pattern_sh=_Kawasaki Frontale 2015 HOME FP|pattern_so=_kawasaki frontale 2015 HOME FP<br />
|leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=|title={{Center|2015}}}}<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la=_kawasaki16h|pattern_b=_Kawasaki Frontale 2016 HOME FP|pattern_ra=_kawasaki16h|pattern_sh=_Kawasaki Frontale 2016 HOME FP|pattern_so=_Kawasaki Frontale 2016 HOME FP<br />
|leftarm=|body=|rightarm=|shorts=fff|socks=f00|title={{Center|2016}}}}<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la=_frontale17h|pattern_b=_frontale17h|pattern_ra=_frontale17h|pattern_sh=_frontale17h|pattern_so=_kawasaki frontale 2017 HOME FP<br />
|leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=|title={{Center|2017}}}}<br />
|-<br />
||||||||||<br />
|}<br />
<br />
{| class="wikitable collapsible collapsed" style="width:65%; border:double #000; {{box-shadow|4px|4px|4px|#00BFFF}}"<br />
!colspan=5|FP 2nd<br />
|-<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la= _Kawasaki Frontale 1999 AWAY FP|pattern_b= _Kawasaki Frontale 1999 AWAY FP|pattern_ra= _Kawasaki Frontale 1999 AWAY FP|pattern_sh= _Kawasaki Frontale 1999 AWAY FP|pattern_so= _Kawasaki Frontale 1999 AWAY FP<br />
|leftarm=fff|body=|rightarm=fff|shorts=|socks=fff|title={{Center|1999-2003}}}}<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la= _Kawasaki Frontale 2004 AWAY FP|pattern_b= _Kawasaki Frontale 2004 AWAY FP|pattern_ra= _Kawasaki Frontale 2004 AWAY FP|pattern_sh= _Kawasaki Frontale 2004 AWAY FP|pattern_so= _Kawasaki Frontale 2004 AWAY FP<br />
|leftarm=fff|body=|rightarm=fff|shorts=|socks=fff|title={{Center|2004}}}}<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
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|{{Football kit|filetype=png<br />
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|-<br />
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|-<br />
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|leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=fff|title={{Center|2017}}}}<br />
|-<br />
||||||||||<br />
|}<br />
<br />
{| class="wikitable collapsible collapsed" style="width:65%; border:double #000; {{box-shadow|4px|4px|4px|#00BFFF}}"<br />
!colspan=5|FP Other<br />
|-<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
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|pattern_la= _kawasaki frontale 2014 kawasaki city 90th Anniversary FP|pattern_b= _kawasaki frontale 2014 kawasaki city 90th Anniversary FP|pattern_ra= _kawasaki frontale 2014 kawasaki city 90th Anniversary FP|pattern_sh= _kawasaki frontale 2014 kawasaki city 90th Anniversary FP|pattern_so= _kawasaki frontale 2014 kawasaki city 90th Anniversary FP<br />
|leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=|title={{Center|2014<br/>川崎市制<br/>90周年記念}}}}<br />
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|pattern_la= _kawasaki frontale 2015 Kawasaki Todotoki Stadium Anniversary FP|pattern_b= _kawasaki frontale 2015 Kawasaki Todotoki Stadium Anniversary FP|pattern_ra= _kawasaki frontale 2015 Kawasaki Todotoki Stadium Anniversary FP|pattern_sh=_Kawasaki Frontale 2015 HOME FP|pattern_so= _kawasaki frontale 2015 Kawasaki Todotoki Stadium Anniversary FP<br />
|leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=|title={{Center|2015<br/>新スタンド<br/>完成記念}}}}<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la= _Kawasaki Frontale 2016 CUP FP|pattern_b= _Kawasaki Frontale 2016 CUP FP|pattern_ra= _Kawasaki Frontale 2016 CUP FP|pattern_sh=_Kawasaki Frontale 2016 HOME FP|pattern_so=_Kawasaki Frontale 2016 HOME FP<br />
|leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=|title={{Center|2016<br/>カップ戦}}}}<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la=_frontale17c|pattern_b=_frontale17c|pattern_ra=_frontale17c|pattern_sh=_frontale17c|pattern_so=_kawasaki frontale 2017 HOME FP<br />
|leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=66ccff|title={{Center|2017<br/>ACL 1st}}}}<br />
|-<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la=_frontale17a|pattern_b=_frontale17f|pattern_ra=_frontale17a|pattern_sh=_frontale17a|pattern_so=_frontale17a<br />
|leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=fff|title={{Center|2017<br/>ACL 2nd}}}}<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la= _kawasaki frontale 2017 SUMMER FP|pattern_b= _kawasaki frontale 2017 SUMMER FP|pattern_ra= _kawasaki frontale 2017 SUMMER FP|pattern_sh= _kawasaki frontale 2017 SUMMER FP|pattern_so= _kawasaki frontale 2017 SUMMER FP<br />
|leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=|title={{Center|2017<br/>SUMMER}}}}<br />
|-<br />
||||||||||<br />
|}<br />
<br />
=== 歴代ユニフォームスポンサー年表 ===<br />
{| class="wikitable" style="text-align:center; {{box-shadow|4px|4px|4px|#00BFFF}}"<br />
|- style="background-color:#00BFFF; color:black; font-weight:bold;"<br />
|年度||胸||鎖骨||背中上部||背中下部||袖||パンツ||サプライヤー<br />
|-<br />
|1997||rowspan="16"|[[富士通|FUJITSU]]||rowspan="21"|解禁前||[[ニフティ|NIFTY]]||rowspan="19"|解禁前||[[富士通ゼネラル]]||rowspan="6"|-||rowspan="2"|[[ペナルティ (スポーツ用品)|PENALTY]]<br />
|- <br />
|1998||rowspan="7"|[[富士通エフサス|Fsas]]||[[富士通ゼネラル|FUJITSU GENERAL]]<br />
|-<br />
|1999||rowspan="5"|[[富士通ゼネラル]]||rowspan="12"|[[アシックス|asics]]<br />
|-<br />
|2000<br />
|-<br />
|2001<br />
|-<br />
|2002<br />
|-<br />
|2003||rowspan="3"|[[PFU]]<br />
|-<br />
|2004||rowspan="5"|[[ノエル (企業)|NOEL]]<br />
|-<br />
|2005||rowspan="2"|[[ピーカブー]]<br />
|-<br />
|2006||rowspan="3"|[[農業協同組合|ふくしまの米]]<br />
|-<br />
|2007||[[ピーカブー]] / <br>[[SMBC日興証券|日興コーディアル証券]]<br />
|-<br />
|2008||rowspan="3"|[[SMBC日興証券|日興コーディアル証券]]<br />
|-<br />
|2009||rowspan="2"|[[富士通ゼネラル|富士通ゼネラル<br>エアコン]]||rowspan="10"|[[PFU]]<br />
|-<br />
|2010<br />
|-<br />
|2011||[[SMBC日興証券|日興コーディアル証券]] / <br>[[SMBC日興証券]]||rowspan="8"|[[富士通マーケティング|富士通<br />マーケティング]]||rowspan="8"|[[プーマ|PUMA]]<br />
|-<br />
|2012||rowspan="7"|[[SMBC日興証券]]<br />
|-<br />
|2013||[[富士通|FUJITSU]] (1st)<br />[[arrows (携帯電話)|ARROWS]] (2nd)<br />
|-<br />
|2014||[[富士通|FUJITSU]] (Jリーグ仕様1st・ACL用)<br />[[arrows (携帯電話)|ARROWS]] (Jリーグ仕様2nd)<br />
|-<br />
|2015||[[富士通|FUJITSU]] (1st)<br />[[arrows (携帯電話)|ARROWS]] (2nd)<br />
|-<br />
|2016||[[富士通|FUJITSU]] (1st・カップ戦)<br />[[arrows (携帯電話)|arrows]] (2nd)||rowspan="2"|[[ニフティ|@nifty]]<br />
|-<br />
|2017||[[富士通|FUJITSU]] (Jリーグ仕様1st・ACL用)<br />[[arrows (携帯電話)|arrows]] (Jリーグ仕様2nd)<br />
|-<br />
|2018||[[富士通|FUJITSU]]||-/<br>[http://www.fujitsu.com/jp/group/bsc/ 富士通<br>ビー・エス・シー]||[[富士通エフサス]]<br />
|}<br />
<br />
* この他、1997 - 98年は旧JFL、1999年以降はJリーグのロゴが右袖に付く。<br />
* 1998年 - 2004年の背中スポンサー、富士通エフサス (Fsas) の会社名は「富士通サポートアンドサービス」。<br />
* [[ノエル (企業)|ノエル]] (NOEL) は、2005年途中にCIの変更によりロゴが変更されたが、2005年シーズンは旧ロゴのままで、2006年シーズンより新ロゴに変更された。<br />
* 2007年9月30日の[[金融商品取引法]]施行に伴い、日興コーディアル証券(当時)はユニフォームでの掲示名を商品名の「ピーカブー」から自社名に変更。ちなみに、このマスコットはホームゲームでたびたび登場し、川崎のマスコットである[[ふろん太]]とは大の仲良しである。なおピーカブーは2014年5月末まで応援マスコットとして活動した後、同年6月にキャラの使用権利が日興からクラブへ「完全移籍」することになったため頭の部分を青色にした上で公募で「'''カブレラ'''」と改名された。<br />
* 2013年 - 2017年の2ndユニフォーム胸スポンサーのARROWSは富士通の[[スマートフォン]]、[[タブレット (コンピュータ)|タブレット端末]]のブランド名。ただし、2014年及び2017年のACL仕様の2ndユニフォームはロゴが赤色のFUJITSUとなっている。<br />
* ARROWSのロゴは2015年途中に従来の大文字から小文字のarrowsに変更されたが、2015年シーズンは旧ロゴのまま、2016年より変更された。<br />
<br />
== スポンサー ==<br />
{{Main2|スポンサーについては、[http://www.frontale.co.jp/sponsors/sponsors_list.html スポンサーズリスト]を}}<br />
{{main2|株主については[http://www.frontale.co.jp/about/stock_folders.html 株主の一覧]}}<br />
<br />
== アカデミー ==<br />
* 川崎フロンターレU-18<br />
* 川崎フロンターレU-15<br />
* 川崎フロンターレU-13<br />
* 川崎フロンターレU-12<br />
* 川崎フロンターレU-10<br />
<br />
== 新聞などによるチーム略称の表記 ==<br />
[[ファイル:AZZURRO NERO.JPG|thumb|250px|right|川崎フロンターレオフィシャルショップAZZURRO NERO (アズーロ・ネロ)]]<br />
*[[2000年]]まで<ref>[[1998年]]までは[[Jリーグ準加盟クラブ|Jリーグ準会員]]としてJFLとナビスコ杯に参加</ref> は川崎市に本拠地を置くJリーグチームが[[東京ヴェルディ1969|ヴェルディ川崎(V川崎)]]を含め2つあったので、区別の意味合いで'''川崎F'''と表示していた。<br />
*[[2001年]]以後、ヴェルディが[[東京都]]にホームタウンを移してからも、Jリーグ公式サイトや[[J's GOAL]]では'''川崎F'''と表記されているが、'''川崎'''と記載されるケースもある([[ウィキペディア日本語版]]も後者で表記)。なお、スポーツ新聞では日刊スポーツとスポーツニッポンは'''川崎F'''と表記しているが他は'''川崎'''表記である。<br />
*本拠地[[等々力陸上競技場]]アウェーゴール裏2階席上部に2014年まであった電光スコアボード(スタジアム改装に伴い2015年以降は大型ビジョン化)のチーム表記は[[2010年]]までは'''川崎F'''と表記されていたが[[2011年]]からは'''川崎'''と表記されていた。<br />
<br />
== 運営会社 ==<br />
* [[1997年]] - [[2001年]]: 富士通川崎スポーツマネージメント株式会社<br />
* [[2002年]] - 現 在: 株式会社川崎フロンターレ<br />
<br />
== 地域密着 ==<br />
[[富士通サッカー部]]は[[1996年]]にプロ化を推進するにあたり、Jリーグの理念に沿った地域社会との共生を目指すことをテーマに掲げた。地元川崎市の各行政区でのサッカースクール(学校巡回スクール含む)の実施といったサッカーに関わることだけでなく、地域の市民・区民まつりへの参加、市内各商店街等の行事への選手らの派遣(お年始など)、また地元商店街加盟店舗などの協賛によるマン・オブ・ザ・マッチの表彰制度'''「あんたが大賞」'''、週末のホームゲームでのサイン会等を積極的に行うように務めた。特に、[[クリスマス]]シーズンに行われる入院児への訪問活動'''「青い[[サンタクロース]]」'''は毎年恒例の奉仕活動として定着している。<br />
<br />
一方、ホームタウンである川崎市も[[2004年]]9月に「'''[[川崎市ホームタウンスポーツ推進パートナー]]'''」を制定。フロンターレはこの創設メンバーとして認定を受け、これに基づく活動を推進していくことになった。また、その中で、川崎市は他の地元企業・団体、またサポーター持株会と共に、運営会社(当時の富士通川崎スポーツマネジメント)の株式の一部を取得した。現在は[[富士電機]]・[[富士通]]グループ各社のほか、川崎市に本社や事業所を持つ企業・[[公益法人]]など36の団体が出資している。特に富士通系のスポーツクラブではフロンターレのほか、[[富士通レッドウェーブ|女子バスケット「レッドウェーブ」]]、[[富士通フロンティアーズ|アメリカンフットボール「フロンティアーズ」]]もこのパートナーに参加しているが、[[富士通カワサキレッドスピリッツ|男子バレーボール「川崎レッドスピリッツ」]]は、富士通系で唯一まだこのパートナーに加盟していない。2016年からは男子バスケットボールの[[ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ]](Bリーグ)でとどろきアリーナをホームとする「[[東芝川崎ブレイブサンダース]]」とのコラボレーション企画を発表し、ホームゲーム同日開催時のチケット割引サービスなどを実施している<ref>川崎フロンターレ、[http://www.frontale.co.jp/info/2016/1017_13.html 「かわさきスポーツパートナーpresents 10/22「川崎ブレイブサンダース×川崎フロンターレ」コラボ企画実施のお知らせ」]、2016年10月17日付、2017年4月23日閲覧。</ref>。<br />
<br />
2006年はクラブ創立10周年に当たり、川崎市商店街連合会を通じ、市内の全商店街の街灯にチームの応援[[タペストリー]](ふろん太のデザイン)を配布。2006年1月の時点では、タペストリー掲示を了解したのが加盟全139団体(商店街以外を含む)中68団体と紹介されている。両者の良好な関係はその後も続き、2014年には同連合会に加盟する市内全域の11地区の商店街連合会<ref>川崎区は4団体、幸区は2団体、他の5区は1団体が加盟。</ref> 全てと市連合会の青年部が「あんたが大賞」として、フロンターレの主催試合で最も印象に残る活躍をした同チームの選手 ([[MIP]]) に各地区の名産品などの商品を贈り<ref>川崎市商店街連合会公式サイト、「[http://k-shouren.jp/?page_id=32 川崎市商店街連合会は、川崎フロンターレを応援しています!]」</ref>、持株会の理事長には川崎市商店街連合会の相談役(元会長)である和田義盛が就任している<ref>川崎フロンターレ持株会オフィシャルサイト、「[http://www.frontalemochikabukai.com/overview.html 概要]」、2015年5月11日閲覧。</ref>。<br />
<br />
また広報担当者のインタビュー記事には、後援会員の75%が等々力陸上競技場と富士通本店・川崎工場のある中原区、クラブ事務所のある[[高津区]]、そして市が整備しフロンターレが[[指定管理者]]となって2006年4月に開業した「[[フロンタウン・さぎぬま]]」([[フットサル]]場)のある[[宮前区]]の3区在住者で占められるとあり、クラブ方針としても特にこの3区での営業活動を先行して重視するとしている。<br />
<br />
[[川崎競馬場]]で[[2006年]][[11月2日]]に[[JBCスプリント|JBCマイル]]競走の前座として「祝10周年・フロンターレ特別」が行われた<ref>[http://www.keiba.go.jp/topics/2006/1005.html 地方競馬全国協会ニュースリリース]、[http://www.nankankeiba.com/dirt4.kawasaki/ns_2006092821_4.html 川崎競馬場ニュースリリース]</ref>。<br />
<br />
またトップチームの麻生練習場がある麻生区では[[2009年]]に「麻生アシストクラブ」が発足した。「しんゆり・芸術のまちづくりフォーラム」内に事務所が置かれ、商店街や各種団体などが構成する同クラブを川崎市役所(麻生区役所)やフロンターレが後援する形を取って、同区内での広報・支援活動を展開する事になった<ref>[http://kpress.weblogs.jp/news/2009/08/post-9d54-1.html 川崎市麻生区で川崎麻生アシストクラブが発足] k-press 2009年8月23日付</ref>。同クラブでは[[小田急電鉄]]の協力も受け、麻生練習場の最寄り駅である[[小田急多摩線]][[栗平駅]]のホーム脇陸橋に告知看板を出すなどの活動をしている<ref>[http://www.frontale.co.jp/diary/2010/0519.html 新ランドマーク誕生!] 川崎公式サイト内「フロンターレ日記」2010年5月19日</ref>。<br />
<br />
スポーツ交流パートナー事業以外の異競技交流では[[大相撲]]・[[春日山部屋]]が川崎市川崎区にある<ref>同部屋の前師匠(20代)、[[春日山 (相撲)|春日山]]由晃(現役時代の四股名は[[春日富士晃大]])は川崎市で育ち、同市立桜本中学校卒業後に角界入りしていた。なお、春日山部屋は2012年に現師匠(21代、現役時代の四股粉は[[濱錦竜郎]]、[[熊本市]]出身)に引き継がれ、その後20代と21代の間には民事訴訟も起こったが、所在地は変わらず、フロンターレとの協力関係も維持されている。</ref> という縁で、フロンターレのファン感謝デーに春日山部屋の力士をゲスト出演として招き、フロンターレの主催試合では春日山部屋の所属力士が同部屋のちゃんこを販売する屋台が競技場外の広場に毎回出店されている。また、毎年1度は同部屋の力士が等々力陸上競技場を訪れ、相撲にちなんだイベントを行う「イッツァスモウワールド」<ref>[[東京ディズニーランド]]などの[[ディズニーパーク]]にある[[イッツ・ア・スモールワールド]]をもじった名称。</ref> を実施している。2014年は開催が途切れたが、2015年4月29日のJ1・1stステージ第8節、[[柏レイソル]]戦では2年ぶりに開催され、同部屋力士によるアトラクション、特製ちゃんこなどの飲食販売、等々力陸上競技場での[[枡席]]の設置、選手入場前の[[呼出]]による両チーム名の読み上げなどが行われた。なお、この時の開催は[[日本相撲協会]]も後援し、[[本場所]](五月場所)のチケット販売、特製焼き鳥の販売、マスコット「ひよの山」の来場<ref>焼き鳥やひよの山が[[両国国技館]]以外で披露されるのは稀だとされている。</ref>、始球式では人気の高い[[振分]]親方(現役時代は[[高見盛精彦]])の参加などで協力した<ref>フロンターレ日記、2015年5月9日付、「[http://www.frontale.co.jp/diary/2015/0509.html 柏戦 イッツァ スモウワールド報告!]」</ref>。一方、2009年からは毎年1回、[[両国国技館]]での本場所でフロンターレが告知してサポーターが集まる春日山部屋応援ツアーが実施され、同部屋所属の[[春日王克昌]]などの応援に駆けつけ([[2010年]][[9月13日]] [[NHK総合テレビジョン]]「[[Bizスポ]]」より)、2011年も九月場所(秋場所)9日目の9月19日に実施された<ref>[http://www.frontale.co.jp/info/2011/0822_5.html JTBアウェイツアー「春日山部屋応援ツアー2011」参加者募集のお知らせ]</ref>。春日王は[[大相撲八百長問題]]によって2011年4月に引退したが、同年の「イッツ・ア・スモウワールド」開催日となった5月3日のジュビロ磐田戦では春日王が試合前にグラウンドに登場して引退報告と今までの支援への感謝を述べ、5月28日に行われた春日王の[[断髪式]]には武田社長が参加した<ref>[http://www.frontale.co.jp/diary/2011/0607.html] フロンターレ日記2011年6月7日</ref>。<br />
<br />
元[[プロボクサー]]の[[新田渉世]]が川崎市多摩区に開いている川崎新田ボクシングジムとも協力関係にあり、2011年8月16日にとどろきアリーナで行われた同ジム主催の興行ではふろん太が登場し、「日本マスコット級タイトル決定戦(非公認)」として[[一平くん]]([[愛媛FC]]応援マスコット)と対戦して勝利した後、メインイベントだった[[黒田雅之]]の日本[[ライトフライ級]]タイトルマッチでのラウンドボーイを務めた<ref>[http://www.frontale.co.jp/diary/2011/0816.html] フロンターレ日記2011年8月16日</ref>。<br />
<br />
2009年からは地元密着のための事業の一つとして、小学6年生用のオリジナル[[算数]][[問題集|ドリル]]を作成し市内の小学校に配布している<ref>[http://web.archive.org/web/20090413214815/http://www.jsgoal.jp:80/official/00080000/00080508.html 「フロンターレ算数ドリル」完成のお知らせ] [[J's GOAL]]、2009年4月8日</ref>。これは[[プレミアリーグ]]の[[アーセナルFC|アーセナル]]がロンドン市と共同で毎年製作している外国語学習教材にヒントを得たもので<ref>[http://www.j-league.or.jp/100year/report/_/?c=&n=kawasaki&code=00000533 「川崎フロンターレ算数ドリル」完成] Jリーグ公式サイト・2009年4月28日</ref>、初年度は市内の1校のみに配布されたが、2010年は前年のナビスコ杯準優勝の賞金を原資に市内の全小学校及び特別支援学校に配布先を拡大<ref name=jsgoal101007>[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00108033.html 川崎F:2010算数ドリル・ゲストティーチャー(稲本潤一選手、伊藤宏樹選手)レポート] [[J's GOAL]]、2010年10月7日</ref>。2011年からは川崎市からも補助金が出るようになった<ref>[http://www.frontale.co.jp/info/2011/0411_2.html 2011年度「川崎フロンターレ算数ドリル(上巻)」完成のお知らせ] 川崎フロンターレ・2011年4月11日</ref>。このドリルを題材とした小学生と選手の交流授業「算数ドリル・ゲストティーチャー」も行われている他<ref name=jsgoal101007 />、2011年には[[東日本大震災]]で被害を受けた[[岩手県]][[陸前高田市]]の小学校にも同ドリルが寄付された<ref>[http://www.frontale.co.jp/info/2011/0419_1.html 「川崎フロンターレ算数ドリル」の寄付について] 川崎フロンターレ・2011年4月19日</ref>。<br />
<br />
これらの活動を広くまとめた書籍として、2011年6月17日にフロンターレプロモーション部部長の天野春果が『僕がバナナを売って算数ドリルを作るワケ』を[[小学館]]から出版し、テレビ東京系のサッカー番組「[[FOOT×BRAIN]]」などでも紹介された<ref>2011年11月12日放送、天野が中西哲生や中村憲剛と共に出演。</ref>。天野は2016年11月2日に同社から2冊目の著書『スタジアムの宙にしあわせの歌が響く街』を出版してマスメディア各社から取り上げられ、2017年2月からは[[2020年夏季オリンピック|2020年東京五輪]]・[[東京パラリンピック (2020年)|パラリンピック]]組織委員会へ出向した<ref>東京新聞、[http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201612/CK2016120702000177.html 「名物企画仕掛け人が五輪組織委へ フロンターレ部長・天野春果さん」]、2016年12月7日付、2017年4月23日閲覧。</ref>。<br />
<br />
2016年3月現在、Jリーグが実施しているスタジアム観戦者調査において、2010年シーズンから5年連続で地域貢献度1位の評価を得ている。<br />
<br />
毎試合、先発メンバー発表後にサポーターが市民の歌『好きです かわさき 愛の街』の1番を歌うことが慣例となっている。<br />
<br />
ロスタイム終盤にチームがリードしている時は『アバンテ川崎』(もとは[[TRF]]8枚目のシングルである[[CRAZY GONNA CRAZY]]のサビを取ったもの)を歌う事になっている。<br />
<br />
== 応援番組 ==<br />
* [[ファイト!川崎フロンターレ]] ([[テレビ神奈川|tvk]])<br />
* [[SUKI!SUKI!フロンターレ]] ([[イッツ・コミュニケーションズ|iTSCOM]])<br />
* [[かわさき市民放送#VAMOS!川崎フロンターレ|VAMOS!川崎フロンターレ]] ([[かわさき市民放送|FM K-City]])<br />
<br />
== 後援会 ==<br />
1997年のクラブ発足当初から存在していたファンクラブと、1999年に川崎市が設立した市民後援会が合流し、2001年から現在の川崎フロンターレ後援会の形となった。愛称は「ブルーフレンズ<ref>この愛称を用いて、かわさきFMで放送されるホームゲームの実況放送の名前は「BLUE FRIENDS STADIUM○○○○」(○○○○部分には西暦年が入る)ともされている。</ref>」。後援会長は事実上川崎市長の[[充て職]]で、初代は[[高橋清 (川崎市長)|高橋清]]、その後は長く[[阿部孝夫]]が務めた後、2013年11月からは[[福田紀彦]]が就任している。毎年7月1日の市制記念日<ref>[[1924年]]7月1日、川崎市が現在の川崎区の範囲で市制を施行。後の中原区となる[[中原町 (神奈川県)|中原町]]が川崎市に編入されたのは[[1933年]]8月1日。</ref> 付近で行われる「市制記念試合」では、後援会長を兼任する市長が試合前に挨拶をするのが恒例となっている。<br />
<br />
後援会員には個人・ファミリー(同一住所の2-4名)・ジュニア(小中学生)<ref>2014年度では、個人会員が10,347人、ファミリー会員が12,450人、ジュニア会員が4,254人。</ref> の3種別があり、特典として、「ホームAゾーン招待チケット」<ref>ジュニア会員にはなく、代わりにシーズンチケットを格安で販売する。</ref>、「会員限定イベント参加権」、「シーズンチケット購入権」、会報誌「デルフィーノ」送付等がある。また、富士通が後援会員限定で自社パソコン「FMV」の特別価格商品やフロンターレ限定モデルを販売する事がある<ref><br />
川崎フロンターレ、「お知らせ」2013年10月2日付、「[http://www.frontale.co.jp/info/2013/1002_1.html 後援会員限定「Frontale×FMVコラボ企画 第10弾 川崎フロンターレ特別モデル販売キャンペーン」開催のお知らせ]」</ref>。2015年には招待チケットの配布枚数が1会員あたり2枚から1枚へと減少し、代わりに多様な席種での割引サービスが受けられる「えらべるクーポン」制度が導入された。<br />
後援会員の数は年々増加し、J1復帰の2005年には12,406人だったのが、2008年には20,189人と初めて2万人台となり、2011年には24,588人に達した。その後は減少傾向にあったが、2014年には27,051人で、初めて2万5千人を超えた。2018年は優勝効果もあり4万人を超えた。<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|-<br />
! rowspan="1" |年度<br />
! rowspan="1" |後援会員数<br />
|-<br />
|2005年<br />
|style="text-align:right;"|12,406<br />
|-<br />
|2006年<br />
|style="text-align:right;"|12,681<br />
|-<br />
|2007年<br />
|style="text-align:right;"|16,686<br />
|-<br />
|2008年<br />
|style="text-align:right;"|20,189<br />
|-<br />
|2009年<br />
|style="text-align:right;"|21,522<br />
|-<br />
|2010年<br />
|style="text-align:right;"|24,004<br />
|-<br />
|2011年<br />
|style="text-align:right;"|24,588<br />
|-<br />
|2012年<br />
|style="text-align:right;"|23,778<br />
|-<br />
|2013年<br />
|style="text-align:right;"|23,187<br />
|-<br />
|2014年<br />
|style="text-align:right;"|27,051<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
後援会のページでは、前年度での会員内訳が詳細に発表されている。その年代と性別は、以下の通りである。<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|-<br />
! rowspan="1" |年代<br />
! rowspan="1" |後援会員数<br />
! rowspan="1" |百分比<br />
|-<br />
|0-9歳<br />
|style="text-align:right;"|3,480<br />
|style="text-align:right;"|13%<br />
|-<br />
|10-19歳<br />
|style="text-align:right;"|4,835<br />
|style="text-align:right;"|18%<br />
|-<br />
|20-29歳<br />
|style="text-align:right;"|2,693<br />
|style="text-align:right;"|10%<br />
|-<br />
|30-39歳<br />
|style="text-align:right;"|4,826<br />
|style="text-align:right;"|18%<br />
|-<br />
|40-49歳<br />
|style="text-align:right;"|6,464<br />
|style="text-align:right;"|24%<br />
|-<br />
|50-59歳<br />
|style="text-align:right;"|3,004<br />
|style="text-align:right;"|11%<br />
|-<br />
|60歳以上<br />
|style="text-align:right;"|1,645<br />
|style="text-align:right;"|6%<br />
|-<br />
|年齢不明<br />
|style="text-align:right;"|104<br />
|style="text-align:right;"|0%<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|-<br />
! rowspan="1" |性別<br />
! rowspan="1" |後援会員数<br />
! rowspan="1" |百分比<br />
|-<br />
|男性<br />
|style="text-align:right;"|17,358<br />
|style="text-align:right;"|65%<br />
|-<br />
|女性<br />
|style="text-align:right;"|9,140<br />
|style="text-align:right;"|34%<br />
|-<br />
|性別不明<br />
|style="text-align:right;"|373<br />
|style="text-align:right;"|1%<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
また、地域別では川崎市在住者が18,062人で全体の67%を占め、川崎市民(1,460,171人)全体に対しては1.24%、81人に一人と紹介されている。川崎市内の7区別では等々力陸上競技場のある中原区が6,383人で、会員数と区民全体(244,120人)に対する会員数比(2.61%、38人に一人)の双方で最高となっている。一方、最も南にある川崎区(1,224人、0.56%、180人に一人)は会員数と区民人口比の双方で最も低く、次いで市北部の多摩区と麻生区で区民人口比が1%を下回っている。川崎市外の会員数では[[横浜市]]が2,175人で最も多く、次いで中原区に隣接する[[東京都]][[大田区]]、[[世田谷区]]などとなっている<ref>東京特別区を一つの市と考えると、会員数ベスト10の地域として挙げられている[[品川区]]・[[目黒区]]・[[杉並区]]との5区合計で横浜市を上回る。</ref>。<br />
<br />
== コラボレーション・パロディー ==<br />
=== コラボレーション ===<br />
*[[2005年]]〜 [[ガンプラ]](ガンダムプラモ)とコラボ。<br />
<br />
*[[2008年]]、漫画『[[GIANT KILLING]]』(作:[[綱本将也]]・[[ツジトモ]]、[[モーニング (漫画雑誌)|週刊モーニング]]連載)とコラボ。<br />
**9月20日開催の[[多摩川クラシコ]](対[[FC東京]])のポスターイラスト、およびトレーディングカードにツジトモ書き下ろしで同作の登場人物『達海猛』のイラストが使われた。{{Main2|これにまつわるエピソード|ツジトモ}}<br />
<br />
*[[2009年]]、TVアニメ『[[天体戦士サンレッド]](作:[[くぼたまこと]]、[[ヤングガンガン]]連載)』とコラボ。<br />
**中村、井川、谷口の3選手、武田社長、マスコットキャラクター・[[ふろん太]]とその家族との共演アニメ(全4話)が制作され、『[[ファイト!川崎フロンターレ]]』内で放送された [http://www.frontale.co.jp/info/2008/1218_2.html]。『サンレッド』のDVD2〜5巻に映像特典として収録されている。また、そのコラボレーション企画の一環として、タレントの[[髭男爵]]の2人(山田ルイ53世、ひぐち君)が開幕戦の始球式に登場した(両者とも、同作のアニメに声優として出演)。<br />
<br />
*[[2009年]]、[[モンテディオ山形|山形]]戦にて、新たにスポンサーになったDoleより、アウェー応援サポーターを含む来場者全員にバナナ1房をプレゼント。<br />
<br />
*[[2010年]]、麻生グランド近くに住んでいるということで[[平泉成]]が開幕キャンペーンに出演。[[開幕戦]]には[[始球式]]も務める<br />
<br />
*[[2010年]]、ファン感謝デーにおいて[[ピラメキーノ]]とコラボ。スタジアムにピラメキパンダが登場し選手と一緒にピラメキたいそうを踊ったほかレギュラー<ref>スタジオからの中継</ref> が聞いた質問に選手が答えた。<br />
<br />
*[[2012年]]、漫画・映画『[[テルマエ・ロマエ]]』(作:[[ヤマザキマリ]]、[[コミックビーム]]連載)とコラボ<ref>[http://number.bunshun.jp/articles/-/198777 川崎フロンターレ名物部長が企てた、漫画『テルマエ・ロマエ』と川崎市『銭湯』とのコラボ。『一緒におフロんたーれ] - Number Web(更新日: 2012年2月17日)</ref>。<br />
<br />
*2012年6月30日、[[フォーミュラ・ニッポン]]とコラボ、等々力の陸上トラックをフォーミュラカーが走った<ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/jleague/2012/text/201207130002-spnavi_1.html 川崎とF・ニッポンのありえないコラボ 等々力のトラックを疾走したフォーミュラカー] - スポーツナビ(更新日: 2012年7月13日)</ref>。これが縁となり、同年11月に[[富士スピードウェイ]]で開催された[[JAFグランプリ#富士スプリントカップ|JAFグランプリ]]では、フォーミュラ・ニッポン予選での最高速度上位3名を『フォーミュラ・ニッポン 川崎フロンターレ賞』として表彰した。<br />
<br />
*[[2014年]]5月3日、[[ヴァンフォーレ甲府|甲府]]戦で国民的人気演芸番組「[[笑点]]」([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])とコラボ。黒と共にチームカラーが水色である為笑点で水色の着物で大喜利に出演している落語家の[[三遊亭小遊三]]([[山梨県]][[大月市]]出身)が来場し、始球式も務める。<br />
<br />
*[[2016年]]、漫画『[[宇宙兄弟]]』(作:[[小山宙哉]]、週刊モーニング連載)及び[[宇宙航空研究開発機構|JAXA]](宇宙航空研究開発機構)とコラボ<ref>[http://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20160117/392282.html サポから天体望遠鏡を贈られた大久保「星からパワーをもらって4年連続得点王!」 | サッカーキング]2016年1月17日</ref>。毎年恒例の算数ドリルも宇宙兄弟及びJAXAとのコラボレーション仕様として製作される。<br />
<br />
=== パロディー ===<br />
*[[2007年]]のホームゲーム開催時(等々力陸上競技場)に様々な[[パロディ|パロディー]]やコラボレーションを実施。<br />
**[[エースをねらえ!]]/[[4月15日]]の[[清水エスパルス|清水]]戦。Jリーグ加盟以来勝利を挙げていなかった清水を相手に「エース」ならぬ「エス(パルス)をねらえ!」と題して初勝利を目指そうという企画を行った。この時はアニメの「エースをねらえ!」で岡ひろみ役を演じた[[高坂真琴]]が「このゲームは絶対に負けられない!! 打倒オレンジ、ついに完結よ!!」といったフレーズの宣伝を行った。<br />
**[[川崎麻世]](タレント)/[[6月30日]]の[[ヴィッセル神戸|神戸]]戦で、川崎市のスポンサードマッチ([[7月1日]]の市制施行記念日に合わせた記念試合)を実施。その試合で川崎麻世が「[[YOUNG MAN (Y.M.C.A.)]]」をハーフタイムショーとして熱唱。<br />
**[[ABCテレビ|朝日放送テレビ]]・[[パネルクイズ アタック25|パネルクイズアタック25]]/[[8月25日]]の[[ガンバ大阪]]戦の試合において、同番組とのコラボレーション「アタック25日」を開催。[[博多華丸]]が[[児玉清]]の物まねで「フロンターレ!! 大事なアタックチャーンス!!」とPRした他、同番組の特徴である回答者のカラーの入れ替わり(ガンバの青からフロンターレの水色)のパフォーマンスをバックスタンドのフロンターレ応戦席で行った。<br />
**[[あいのり]]/[[5月11日]]のAFCチャンピオンズリーグ・アレマ・マラン(インドネシア)戦で、同大会初出場・初の決勝ラウンド進出決定の時にサポーターがそれをパロディー化した「はつのり」のTシャツを着用し祝福。<br />
**[[プロジェクトX〜挑戦者たち〜]]/[[9月]]に行われるアウェーでの[[鹿島アントラーズ|鹿島]]([[9月1日]])、[[柏レイソル|柏]]([[9月22日]])の試合を、ホームタウンの頭文字が全て「K」(川崎=Kawasaki、鹿島=Kashima、柏=Kashiwa)で始まるということ、更に「決戦の9月」という意味合いも込めて、大応援団を川崎から繰り出そうという**「プロジェクトK(打倒!! 鹿島&柏)」なる試みを行った。なお、2006年のホーム鹿島戦では[[スキージャンプ]]競技の極限点になぞらえた「[[K点]]越え」キャンペーンを実行した。<br />
<br />
また、こういったコラボレーションで、スポンサーの一つである[[和幸商事|とんかつ和幸]]協賛の下、パロディー弁当が発売された。<br />
*清水戦/「カツのよ!!フロンターレ弁当」(オレンジデザート入りのとんかつ弁当)<br />
*神戸戦/「マヨわずカツ弁当」(とんかつにタルタルマヨネーズソースが添付されている)<br />
*G大阪戦/「アカッツ!! チャンス!!弁当」(当日発売されたカツ弁当の半数に幸運をもたらすといわれる「ラッキーメンチカツ」が挿入されている)<br />
<br />
※このパロディー弁当が発売されると必ずチームは勝利を挙げている(2008年8月25日現在)。<br />
<br />
なお、上記の川崎市制記念試合では川崎市により市民が集団招待されているが、2004年(市制施行70周年)から2006年までは当時川崎市内在住で、「YOUNG MAN」を日本語カバーでヒットさせた[[西城秀樹]]が毎年招聘され、ハーフタイムショーに出演するのが常だった。2008年からは川崎麻世に代わって西城が再び出演するようになった。西城は2003年に[[脳梗塞]]を発症しており、2011年には同病を再発し、川崎市外への転出も行った。2012年以降の市制記念試合にも引き続いて出演していたが、2018年5月16日に西城が死去したため、死去前年の2017年が最後の出演となった。<br />
<br />
== アウェイゲーム観戦ツアー ==<br />
{{wikinewshas|川崎フロンターレ|<br />
* [[n:サッカー・鹿島対川崎F戦が豪雨のため途中で取りやめ|サッカー・鹿島対川崎F戦が豪雨のため途中で取りやめ]]<br />
* [[n:サッカー・Jリーグ、史上初の「再開試合」は川崎Fが逃げ切る|サッカー・Jリーグ、史上初の「再開試合」は川崎Fが逃げ切る]]<br />
}}<br />
川崎フロンターレはサポーターのアウェイゲーム観戦ツアーに、他チームとは一風変わった企画を行うことが多い。特にJ2時代も含めて新潟との[[新潟スタジアム|東北電力ビッグスワンスタジアム]]において行われた試合において勝利がなく(2012年に初めて勝利した)、新潟戦を対象としたアウェイゲームでは大々的な企画を実施している。<br />
<br />
* [[2007年]][[10月28日]]のFC東京ホームゲームの多摩川クラシコで、多摩川の「[[丸子橋#沿革|丸子の渡し]]」を約70年ぶりに復活させて船で東京へ乗り込むアウェイツアーを実施<ref>[http://www.jsgoal.jp/official/kawasaki/00055565.html オフィシャルニュース|多摩川クラシコ「アウェイ舟ツアー」参加者募集のお知らせ] [[J's GOAL]]</ref>。<br />
* 2009年4月12日の対清水エスパルス戦は、「何もしない」プロモーションを実施した。これはJ参入以降清水にアウェーで勝利したことがなく、それを打破するために2006年から3年続けて大々的なアウェーツアーをしたものの勝利できないことから、あえて「何もしない」こととした。なお、当日の試合は敗れ、清水戦アウェー未勝利は2011年まで続いた<ref>[http://www.frontale.co.jp/info/2009/0323_3.html お知らせ:KAWASAKI FRONTALE:4/12 清水「何もしない」プロモーション実施のお知らせ:]</ref>。<br />
* [[2009年]][[5月24日]]のアウェイの多摩川クラシコで、試合前日の23日の夜に横浜から[[伊豆大島]]へ[[フェリー]]で行き、試合当日の24日に[[大島空港]]から飛行機で[[東京スタジアム (多目的スタジアム)|味の素スタジアム]]の隣にある[[調布飛行場]]へ行くという「多摩川クラシコエアーツアー」を実施<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00083110.html 【無事に味スタヘ到着!】多摩川クラシコ:川崎F「エアーツアー」レポート (2009年5月24日)] [[J's GOAL]]</ref>。<br />
* [[2009年]][[7月11日]]のアルビレックス新潟ホームゲームのアウェイツアーではそれまで新潟に10連敗していたため、「新潟戦11連敗阻止キャンペーン『11回目のプロポーズ』」と題し、全員そろいの川崎のチームカラー[[パジャマ]]を着て貸切列車で移動するというツアーを実施。帰りの貸切夜行列車では、新潟まで来たふろん太らが見送っていた<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00085772.html 川崎フロンターレ新潟戦アウェイツアー「11回目のプロポーズ」写真レポート] [[J's GOAL]]、2009年7月12日</ref>。<br />
* [[2009年]][[10月7日]]の鹿島アントラーズとの16分間の再試合では、1,000円のバスツアーを実施。平日にもかかわらず応募が集まり、最終的にバス25台の規模となった。なお、この際には鹿島サポーターと思われる客は排除するという徹底ぶりだった<ref>[http://sankei.jp.msn.com/sports/soccer/090929/scr0909291536001-n1.htm 「16分間」観戦ツアーにサポ殺到 豪雨中断の鹿島-川崎戦]([[MSN産経]] [[2009年]][[9月29日]])</ref>。<br />
<br />
== 決算 ==<br />
川崎フロンターレの決算は、つぎのとおり。<br />
<br />
=== 損益 ===<br />
{| class="wikitable"<br />
|-<br />
!年度 !!{{abbr|収入|営業収入}} !!広告料 !!入場料 !!{{abbr|配分|Jリーグ配分金}} !!その他 !!{{abbr|費用|営業費用}} !!事業費 !!{{abbr|人件費|選手・チームスタッフ人件費}} !!{{abbr|管理費|一般管理費}} !!{{abbr|利益|営業利益}} !!{{abbr|純利益|当期純利益}}<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2005 ||style="background-color:wheat" |1913 ||1262 ||277 ||231 ||143 ||style="background-color:wheat" |1816 ||1533 ||N.A. ||283 ||style="background-color:wheat" |97 ||style="background-color:wheat" |39<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2006 ||style="background-color:wheat" |2780 ||1630 ||391 ||368 ||391 ||style="background-color:wheat" |2765 ||2319 ||1535 ||446 ||style="background-color:wheat" |15 ||style="background-color:wheat" |2<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2007 ||style="background-color:wheat" |3105 ||1683 ||524 ||385 ||513 ||style="background-color:wheat" |3096 ||2600 ||1639 ||496 ||style="background-color:wheat" |9 ||style="background-color:wheat" |24<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2008 ||style="background-color:wheat" |3320 ||1857 ||484 ||354 ||625 ||style="background-color:wheat" |3250 ||2721 ||1743 ||529 ||style="background-color:wheat" |70 ||style="background-color:wheat" |9<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2009 ||style="background-color:wheat" |3604 ||1829 ||626 ||393 ||756 ||style="background-color:wheat" |3543 ||3029 ||1951 ||514 ||style="background-color:wheat" |61 ||style="background-color:wheat" |6<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2010 ||style="background-color:wheat" |3540 ||1856 ||603 ||298 ||783 ||style="background-color:wheat" |3493 ||2831 ||1743 ||662 ||style="background-color:wheat" |47 ||style="background-color:wheat" |7<br />
|}<br />
<div style="font-size:small"><br />
出典: 各年度のJクラブ決算一覧。<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h17kaiji.pdf 2005]、<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h18kaiji.pdf 2006]、<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h19kaiji.pdf 2007]、<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h20kaiji.pdf 2008]、<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h21kaiji.pdf 2009]、<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h22kaiji.pdf 2010]<br />
<br />
金額の単位: 百万円<br />
<br />
人件費は事業費に含まれる。<br />
</div><br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|-<br />
!年度 !!{{abbr|収益|営業収益}} !!広告料 !!入場料 !!{{abbr|配分|Jリーグ配分金}} !!{{abbr|育成|アカデミー}} !!その他 !!{{abbr|費用|営業費用}} !!{{abbr|人件費|選手・チームスタッフ人件費}} !!{{abbr|試合|試合関連経費}} !!{{abbr|トップ|トップチーム運営経費}} !!{{abbr|育成|アカデミー運営経費}} !!{{abbr|女子|女子チーム運営経費}} !!{{abbr|販売|販売費および一般管理費}} !!{{abbr|利益|営業利益}} !!{{abbr|純利益|当期純利益}}<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2011 ||style="background-color:wheat" |3275 ||1738 ||554 ||213 ||157 ||613 ||style="background-color:wheat" |3212 ||1587 ||165 ||239 ||95 ||0 ||1126 ||style="background-color:wheat" |63 ||style="background-color:wheat" |42<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2012 ||style="background-color:wheat" |3073 ||1373 ||558 ||214 ||158 ||770 ||style="background-color:wheat" |3005 ||1428 ||179 ||235 ||73 ||0 ||1090 ||style="background-color:wheat" |68 ||style="background-color:wheat" |33<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2013 ||style="background-color:wheat" |3214 ||1702 ||540 ||218 ||164 ||590 ||style="background-color:wheat" |3170 ||1557 ||174 ||262 ||75 ||0 ||1102 ||style="background-color:wheat" |44 ||style="background-color:wheat" |21<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2014 ||style="background-color:wheat" |3359 ||1794 ||571 ||228 ||171 ||595 ||style="background-color:wheat" |3288 ||1546 ||185 ||269 ||74 ||0 ||1214 ||style="background-color:wheat" |71 ||style="background-color:wheat" |44<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2015 ||style="background-color:wheat" |4077 ||1569 ||777 ||197 ||179 ||1355 ||style="background-color:wheat" |3977 ||1685 ||190 ||430 ||50 ||0 ||1622 ||style="background-color:wheat" |100 ||style="background-color:wheat" |61<br />
|}<br />
<div style="font-size:small"><br />
出典: 各年度のJクラブ決算一覧。<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h23kaiji.pdf 2011]、<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h24kaiji.pdf 2012]、<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h25kaiji.pdf 2013]、<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h26kaiji.pdf 2014]、<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h27kaiji.pdf 2015]<br />
<br />
金額の単位: 百万円<br />
</div><br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|-<br />
!年度 !!{{abbr|収益|営業収益}} !!広告料 !!入場料 !!{{abbr|配分|Jリーグ配分金}} !!{{abbr|育成|アカデミー}} !!物販 !!その他 !!{{abbr|費用|営業費用}} !!{{abbr|人件費|選手・チームスタッフ人件費}} !!{{abbr|試合|試合関連経費}} !!{{abbr|トップ|トップチーム運営経費}} !!{{abbr|育成|アカデミー運営経費}} !!{{abbr|女子|女子チーム運営経費}} !!物販 !!{{abbr|販売|販売費および一般管理費}} !!{{abbr|利益|営業利益}} !!{{abbr|純利益|当期純利益}}<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2016 ||style="background-color:wheat" |4254 ||1809 ||907 ||222 ||168 ||476 ||672 ||style="background-color:wheat" |3923 ||1643 ||195 ||279 ||44 ||0 ||378 ||1384 ||style="background-color:wheat" |331 ||style="background-color:wheat" |217<br />
|}<br />
<div style="font-size:small"><br />
出典: 各年度のJクラブ決算一覧。<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h28kaiji.pdf 2016]<br />
<br />
金額の単位: 百万円<br />
</div><br />
<br />
{{Graph:Chart<br />
|width=400<br />
|height=300<br />
|xAxisTitle=年度<br />
|yAxisTitle=金額(百万円)<br />
|legend=凡例<br />
|type=line<br />
|showSymbols=yes<br />
|colors=#0000aa, #00aa00, #ff8000<br />
|y1Title=営業収益<br />
|y2Title=営業費用<br />
|y3Title=選手・チームスタッフ人件費<br />
|x=2005, 2006, 2007, 2008, 2009, 2010, 2011, 2012, 2013, 2014, 2015, 2016<br />
|y1=1913, 2780, 3105, 3320, 3604, 3540, 3275, 3073, 3214, 3359, 4077<br />
|y2=1816, 2765, 3096, 3250, 3543, 3493, 3212, 3005, 3170, 3288, 3977<br />
|y3= , 1535, 1639, 1743, 1951, 1743, 1587, 1428, 1557, 1546, 1685<br />
|yAxisMin=0<br />
}}<br />
<br />
=== 資産 ===<br />
{| class="wikitable"<br />
|-<br />
!年度 !!総資産 !!総負債 !!純資産 !!資本金<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2005 ||786 ||296 ||489 ||349<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2006 ||996 ||504 ||491 ||349<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2007 ||1104 ||588 ||515 ||349<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2008 ||1075 ||549 ||525 ||349<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2009 ||1097 ||566 ||531 ||349<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2010 ||1039 ||501 ||538 ||349<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2011 ||962 ||381 ||581 ||349<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2012 ||988 ||374 ||614 ||349<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2013 ||1241 ||607 ||635 ||349<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2014 ||1195 ||516 ||679 ||349<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2015 ||2278 ||1539 ||739 ||349<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2016 ||1958 ||1001 ||957 ||349<br />
|}<br />
<div style="font-size:small"><br />
出典: 各年度のJクラブ決算一覧。<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h17kaiji.pdf 2005]、<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h18kaiji.pdf 2006]、<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h19kaiji.pdf 2007]、<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h20kaiji.pdf 2008]、<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h21kaiji.pdf 2009]、<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h22kaiji.pdf 2010]、<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h23kaiji.pdf 2011]、<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h24kaiji.pdf 2012]、<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h25kaiji.pdf 2013]、<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h26kaiji.pdf 2014]、<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h27kaiji.pdf 2015]、<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h28kaiji.pdf 2016]<br />
<br />
金額の単位: 百万円<br />
</div><br />
<br />
{{Graph:Chart<br />
|width=400<br />
|height=300<br />
|xAxisTitle=年度<br />
|yAxisTitle=金額(百万円)|legend=凡例<br />
|type=area<br />
|colors=#0000aa,#ff8000<br />
|y1Title=総資産<br />
|y2Title=純資産<br />
|x=2005, 2006, 2007, 2008, 2009, 2010, 2011, 2012, 2013, 2014, 2015, 2016<br />
|y1=786, 996, 1104, 1075, 1097, 1039, 962, 988, 1241, 1195, 2278, 1958<br />
|y2=489, 491, 515, 525, 531, 538, 581, 614, 635, 679, 739, 957<br />
|showSymbols=yes<br />
}}<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
{{Reflist|2}}<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[川崎フロンターレの選手一覧]]<br />
* [[神奈川ダービー]]<br />
* [[多摩川クラシコ]]<br />
* [[J1参入決定戦1回戦]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* {{Official|www.frontale.co.jp|mobile=http://www.frontale.info}}<br />
* {{Twitter|kawasaki_f|ふろん太}}<br />
* {{Twitter|frontale_kabu|カブレラ}}<br />
* {{Twitter|frontale_staff|川崎フロンターレ スタッフ}}<br />
* {{Twitter|frontale_kids|川崎フロンターレ スクール・普及コーチ}}<br />
* [http://www.frontown.com/ フロンタウン・さぎぬま]<br />
<br />
{{Navboxes|title =川崎フロンターレ 関連テンプレート|titlestyle=background-color:#00BFFF; color:black;<br />
|list1= <br />
{{川崎フロンターレのメンバー}}<br />
{{川崎フロンターレ及びその前身チーム歴代監督}}<br />
}}<br />
{{AFCチャンピオンズリーグ}}<br />
{{日本プロサッカーリーグ}}{{Jリーグ優勝チーム}}{{J2優勝チーム}}<br />
{{川崎市ホームタウンスポーツ推進パートナー}}<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:かわさきふろんたれ}}<br />
[[Category:川崎フロンターレ|*]]<br />
[[Category:1955年設立]]<br />
[[Category:1996年設立の企業]]<br />
[[Category:高津区の企業]]<br />
[[Category:富士通の関連企業]]<br />
[[Category:川崎市のスポーツ史]]</div>
121.92.166.42
鹿島アントラーズ
2018-07-25T10:47:21Z
<p>121.92.166.42: /* 2012年 - */</p>
<hr />
<div>{{サッカークラブ<br />
| font-color = #ddd<br />
| background-color = #b9193f<br />
| 原語表記 = 鹿島アントラーズ<br />
| 呼称 = 鹿島アントラーズ<br />
| 愛称 = アントラーズ<br />
| カラー = {{color box|#b9193f}} ディープレッド<ref name="jleague">{{cite web|url=http://www.j-league.or.jp/club/kashima|title=クラブガイド:鹿島アントラーズ|work=日本プロサッカーリーグ|accessdate=2014-07-23}}</ref><br />
| 創設 = 1947<br />
| リーグ = [[日本プロサッカーリーグ]]<br />
| ディビジョン = [[J1リーグ]]<br />
| クラブライセンス = J1<br />
| ホームタウン = [[茨城県]][[鹿嶋市]]<ref name="jleague" />、[[神栖市]]<ref name="jleague" />、<br />[[潮来市]]<ref name="jleague" />、[[行方市]]<ref name="jleague" />、[[鉾田市]]<ref name="jleague" /><br />
| スタジアム = [[File:Kashima Stadium 1.JPG|center|216px]][[茨城県立カシマサッカースタジアム|県立カシマサッカースタジアム]]<ref name="jleague" /><br />
| キャパ = 40,728<ref name="jleague" /><br />
| 法人名 = {{small|株式会社鹿島アントラーズ・エフ・シー}}<ref name="jleague" /><br />
| 代表 = 庄野洋<br />
| 監督 = {{Flagicon|JPN}} [[大岩剛]]<br />
| HP = http://www.so-net.ne.jp/antlers/<br />
| current = 2017年の鹿島アントラーズ<br />
|pattern_la1= _antlers18h<br />
|pattern_b1= _antlers18h<br />
|pattern_ra1= _antlers18h<br />
|pattern_sh1= _antlers18h<br />
|pattern_so1= _antlers18h<br />
|leftarm1=000040<br />
|body1=FFFFFF<br />
|rightarm1=000040<br />
|shorts1=000040<br />
|socks1= 000040<br />
|pattern_la2= _antlers18a<br />
|pattern_b2= _antlers18a<br />
|pattern_ra2= _antlers18a<br />
|pattern_sh2= _antlers18a<br />
|pattern_so2= _antlers18a<br />
|leftarm2=FFFFFF<br />
|body2=FFFFFF<br />
|rightarm2=FFFFFF<br />
|shorts2=FF80C0<br />
|socks2 = FF0000<br />
}}<br />
{{基礎情報 会社<br />
| 社名 = 株式会社鹿島アントラーズ・エフ・シー<br />
| 英文社名 = Kashima Antlers F.C. Co., Ltd.<br />
| ロゴ = <br />
| 画像 = <br />
| 画像説明 = <br />
| 種類 = [[株式会社]]<br />
| 市場情報 = 非上場<br />
| 略称 = <br />
| 本社所在地 = [[茨城県]][[鹿嶋市]]粟生東山2887<ref name="jleague" /><br />
| 国籍 = {{JPN}}<br />
| 本社郵便番号 = 314-0021<br />
| 設立 = [[1991年]][[10月1日]]<br />
| 業種 = 9050<br />
| 統一金融機関コード = <br />
| SWIFTコード = <br />
| 事業内容 = サッカークラブの運営、スタジアムの管理運営<br />
| 代表者 = 庄野洋([[代表取締役]][[社長]])<br />
| 資本金 =<br />
| 発行済株式総数 =<br />
| 売上高 =<br />
| 営業利益 =<br />
| 経常利益 =<br />
| 純利益 =<br />
| 純資産 =<br />
| 総資産 =<br />
| 従業員数 = <br />
| 決算期 = 1月期<br />
| 主要株主 = [[新日鐵住金]] 他地元企業38社 92.4%<br />ホームタウン5市(鹿嶋、神栖、潮来、行方、鉾田)7.6%<ref>{{cite web |url=http://www.so-net.ne.jp/antlers/clubs/club.html |title=プロフィール>>クラブ概要 |publisher=鹿島アントラーズ |accessdate=2017-10-04}}</ref><br />
| 主要子会社 = <br />
| 関係する人物 = [[鈴木昌 (経営者)|鈴木昌]]<br />[[大東和美]]<br />[[下妻博]]<br />
| 外部リンク = {{Official|www.so-net.ne.jp/antlers}}<br />
| 特記事項 =<br />
}}<br />
'''鹿島アントラーズ'''(かしまアントラーズ、Kashima Antlers)は、[[日本]]の[[茨城県]][[鹿嶋市]]、[[神栖市]]、[[潮来市]]、[[行方市]]、[[鉾田市]]をホームタウンとする<ref name="jleague" />、[[日本プロサッカーリーグ]](Jリーグ)に加盟するプロ[[サッカー]]クラブ。<br />
<br />
== 概要 ==<br />
[[1947年]]に創設された[[住友金属工業蹴球団]]が前身。Jリーグ加盟時の[[1991年]]10月に、地元5自治体([[茨城県]][[鹿島郡 (茨城県)|鹿島郡]][[鹿嶋市|鹿島町]]・[[神栖市|神栖町]]・[[波崎町]]・[[大野村 (茨城県鹿島郡)|大野村]]、[[行方郡 (茨城県)|行方郡]][[潮来市|潮来町]])と43企業の出資により運営法人「(株)鹿島アントラーズ・エフ・シー」が設立され、現クラブ名に改称した。Jリーグ創設時からの加盟チーム([[オリジナル10]])の一つである。[[ホームタウン]]は設立当時の5町が合併して設立した[[鹿嶋市]](旧・鹿島町、大野村)・[[神栖市]](旧・神栖町、波崎町)・[[潮来市]](旧・潮来町、[[牛堀町]])に加え、[[2006年]]からは[[行方市]]、[[鉾田市]]が追加された。なお、当時ホームタウンは原則として1チーム1[[市区町村]]だったが、鹿島に限り特例で周辺市町村との広域ホームタウンが認められた(現在は広域ホームタウンに関する制限はなく、複数の市町村ないし都道府県全域としたチームが複数ある)。<br />
<br />
ホームスタジアムは[[茨城県立カシマサッカースタジアム|県立カシマサッカースタジアム]]、練習場は[[鹿島アントラーズクラブハウスグラウンド]]である。<br />
<br />
チーム名の「アントラー (antler)」は[[英語]]で[[シカ|鹿]]の枝角を意味し、[[鹿島神宮]]の神鹿にちなみ、枝角は茨城県の茨をイメージしている。その鋭い枝角で勇猛果敢に立ち向かい勝利を目指すという意味も込められている。チーム発足時からクラブのアイデンティティとして「FOOTBALL DREAM」を常に掲げている。クラブマスコットは鹿をモチーフにした「[[しかお]]」と、[[1997年]][[3月2日]]に「しかお」と結婚したという設定の「しかこ」、[[1999年]][[8月1日]]にしかおとしかこの間に誕生したという設定の「アントン」である。<br />
<br />
国内にある三大タイトル〔リーグ、天皇杯、ルヴァン杯〕の全てにおいて最多優勝を誇り、国内最多19冠を誇る。<br />
<br />
2016年開催のクラブワールドカップにおいて、決勝進出を果たした。これは、アジアのクラブでは鹿島アントラーズのみの快挙である。<br />
<br />
1993年のリーグ発足から一度も降格経験がないクラブでもある。これは鹿島アントラーズと横浜F・マリノスだけである。<br />
<br />
== 歴史 ==<br />
=== 住友金属時代 ===<br />
{{main|住友金属工業蹴球団#鹿島アントラーズ設立の経緯|オリジナル10#選定の経緯}}<br />
[[1947年]]創部の住友金属蹴球同好会([[1956年]]に[[住友金属工業蹴球団]]へ改称)が前身となり、[[1973年]]に[[日本サッカーリーグ]](JSL)2部、[[1985年]]にJSL1部へ昇格した。なお、[[1975年]]に[[大阪市]]から[[新日鐵住金鹿島製鐵所|鹿島製鐵所]]のある[[茨城県]]鹿島町(現・[[鹿嶋市]])に本拠地を移転した。<br />
<br />
[[1989年]]にプロサッカーリーグ設立が具体化したのを受けて、[[1990年]]に[[住友金属工業]](現・[[新日鐵住金]])の「2000年ビジョン」の指針が発端となって、鹿島町長を含めた7名が当時JSL2部に所属していた住友金属工業蹴球団のプロリーグ参加を協会に要望した。これを受けて住友金属はプロリーグへの参加を申請するが、当時の住金蹴球団は[[日本サッカーリーグ]] (JSL) 2部所属であり、設立準備メンバーの一人であった[[川淵三郎]]が「住友金属さんが加盟できる確率はほとんどゼロなのです。99.9999%無理ですよ」と述べるほど参入の可能性は低かった<ref name="ITmedia20100202">{{Cite web|url=http://mag.executive.itmedia.co.jp/executive/articles/1002/02/news014_2.html|author=河原潤|title=「走りながら考えて、幾多の障壁を乗り越えていく」――川淵三郎氏が語る、日本サッカー変革の軌跡|work=[[ITmedia]]エグゼクティブ|date=2010-02-02|accessdate=2015-05-24}}</ref>。しかし、川淵の(住金の参加を諦めさせる最後の手段であった)「観客席に屋根の付いた1万5000人収容のサッカー専用競技場を建設できるなら考えましょう」の発言<ref name="ITmedia20100202"/> を受けて茨城県が[[茨城県立カシマサッカースタジアム]]の建設を決定。これが逆転打となって[[オリジナル10|初年度からのJリーグ加盟]]が承認された。<br />
<br />
[[ファイル:Zico6.jpg|thumb|200px|[[ジーコ]]]]<br />
[[1991年]]、[[サッカーブラジル代表|ブラジル代表]]で[[主将]]を務めた[[ジーコ]]が加入([[川淵三郎]]によると、「当初、紹介した[[古河電気工業サッカー部|古河電工]](現:[[ジェフユナイテッド市原・千葉]])にそのまま加入してもらおうと思っていたが、当の古河電工はジーコ入団に難色を示し、その後断りをいれた。そのため、新たに住友金属を紹介したところ、住友金属のアピールもあって、ジーコの入団が実現した」と話している)。<br />
<br />
Jリーグ発足に伴い、クラブ名を「鹿島アントラーズ」に変更。Jリーグ最初の公式戦、[[1992年のJリーグカップ]]ではカシマスタジアム建設中であったため、鹿島主管試合を[[笠松運動公園陸上競技場]]を主として[[国立霞ヶ丘陸上競技場]]、[[京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場|西京極スタジアム]](西京極での試合は[[ガンバ大阪]]が相手であった)で行った。<br />
<br />
=== 1993年 - 1995年 ===<br />
; 1993年<br />
: 初代監督に[[本田技研工業フットボールクラブ|本田技研]]前監督の[[宮本征勝]]が就任。[[長谷川祥之]]や[[本田泰人]]など本田技研の選手、ジーコ、[[アルシンド・サルトーリ|アルシンド]]など[[ブラジル人]]選手を中心に補強。<br />
: 1993年5月16日の[[1993年Jリーグ開幕節|開幕戦]]はカシマサッカースタジアムに[[名古屋グランパスエイト|名古屋グランパス]]を迎えたホームゲームで「ジーコと[[ゲーリー・リネカー]]の対決」が注目されたが、ジーコのハットトリックとアルシンドの2得点で5-0で圧勝<ref>「鹿島爆勝・ジーコ ハットトリック」J.LEAGUE『[[茨城新聞]]』、1993年5月17日付日刊、6面、スポーツ。</ref>。旧本田勢に加えて大卒新人の[[秋田豊]]がレギュラーを獲得した。開幕シリーズである1993年1stステージを制覇したが、[[1994年]]1月に[[国立霞ヶ丘陸上競技場]]で行われた[[Jリーグチャンピオンシップ]]で[[東京ヴェルディ1969|ヴェルディ川崎]]に1分1敗と通算成績で敗れ、初代年間王者は獲得できなかった。第2戦ではジーコが[[三浦知良]]のPKの際にボールへつばを吐く非紳士的行為でこの日2枚目の警告で退場となった。それでも、JSL2部のチームを母体に参戦した唯一のJリーグクラブながら、開幕戦の圧勝から1stステージ優勝に至る快進撃によって、鹿島町は「サッカーの町」として全国的に認知され、周辺人口の少なさから低調な観客動員が危惧されていたカシマサッカースタジアムは毎試合超満員となり、チケット入手が非常に困難なスタジアムとして知られるようになった。<br />
; 1994年<br />
[[ファイル:Leonardo Nascimento de Araujo 2011.jpg|thumb|200px|[[レオナルド・ナシメント・ジ・アラウージョ|レオナルド]]]]<br />
: 宮本体制2年目。[[1994年のJリーグ|リーグ戦]]のサントリーシリーズ(1stステージ)終了後にジーコが現役を引退したが、その後もテクニカル・アドバイザーとしてチームに関わり、また実兄の[[エドゥアルド・アントゥネス・コインブラ|エドゥー]]がヘッドコーチとして加入し、2ndステージからゼネラルマネージャーに転出した宮本の後任監督として指揮を執った。また、[[1994 FIFAワールドカップ]]に[[サッカーブラジル代表|ブラジル代表]]として出場した[[レオナルド・ナシメント・ジ・アラウージョ|レオナルド]]が加入。この年のリーグ戦でアルシンドが、鹿島でシーズン最多の28得点を記録。[[第74回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]は1回戦で[[日本フットボールリーグ|JFL]]の[[東京ガスサッカー部|東京ガス]]に敗れ、初戦敗退を喫している。<br />
; 1995年<br />
: エドゥー体制2年目。[[ジョルジェ・デ・アモリン・カンポス|ジョルジーニョ]]が加入。前年加入のレオナルドなど彼らの活躍で鹿島は強豪としての地位を築いていった。これ以後も鹿島にはジーコの人脈を生かした優秀なブラジル人選手が加入した。[[1995年のJリーグ|リーグ戦]]は年間順位が7位、[[第75回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]はベスト4で終え、監督のエドゥーが退任した。<br />
<br />
=== 1996年 - 1999年 ===<br />
; 1996年<br />
: [[ジョアン・カルロス・ダ・シウバ・コスタ|ジョアン・カルロス]]が監督に就任。1シーズン制で行われた[[1996年のJリーグ|リーグ戦]]で初優勝に輝くが、[[Jリーグチャンピオンシップ#サントリーカップ・96Jリーグチャンピオン・ファイナル|サントリーカップ]]決勝では名古屋に敗れた。<br />
; 1997年<br />
: カルロス体制2年目。V川崎から[[ビスマルク・バレット・ファリア|ビスマルク]]、[[湘南ベルマーレ|平塚]]から[[名良橋晃]]を獲得。[[FUJI XEROX SUPER CUP|ゼロックス・スーパーカップ]]で初優勝を果たした。[[1997年のJリーグ|リーグ戦]]は1stステージで優勝し、年間勝点一位。サントリー・チャンピオンシップは2ndステージ優勝の[[ジュビロ磐田]]に2連敗でタイトルはならなかった。しかし、[[1997年のJリーグカップ|ナビスコカップ]]と[[第77回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]をいずれも初制覇した。[[J1リーグ|J1]]の年間勝点一位、リーグカップ優勝、天皇杯優勝をリーグ史上初めて同年達成した。<br />
; 1998年<br />
:チームスローガン:'''CHALLENGE'''<br />
: カルロス体制3年目。スーパーカップで2年連続優勝果たす。1stステージ中断中にジョアン・カルロスとジョルジーニョが意見の食い違いで衝突、ジョアン・カルロスが辞任し、残り試合を[[関塚隆]]が監督代行を務めた。<br />
: 2ndステージ開始前に[[ジョゼ・マリオ・ジ・アウメイダ・バロス|ゼ・マリオ]]が監督に就任。9月23日に長谷川が清水戦で、クラブ初の在籍通算100得点目を達成。チャンピオンシップは磐田を下して、2度目のリーグ年間優勝を果たした。この年のリーグ戦で[[柳沢敦]]が、クラブでの日本人シーズン最多の22得点を記録。2ndステージ第5節の[[アビスパ福岡|福岡]]戦から翌1999年第3節[[サンフレッチェ広島F.C|広島]]戦まで16連勝した。また、同年の[[1998 FIFAワールドカップ|フランスW杯]][[1998 FIFAワールドカップ日本代表|日本代表]]に鹿島から秋田豊、名良橋晃、[[相馬直樹]]の3人が選出された。<br />
; 1999年<br />
:チームスローガン:'''NEXT'''<br />
: マリオ体制2年目。[[2002 FIFAワールドカップ]]開催へ向けたカシマサッカースタジアムの改修工事が始まり、[[1999年のJリーグ|リーグ戦]]1stステージの主催試合は[[国立霞ヶ丘陸上競技場]]で開催。1998-99年シーズンの[[アジアカップウィナーズカップ]]で3位に入賞。ただし、この年はゼロックス・スーパーカップで3連覇を達成したに留まった。シーズン途中で監督のゼ・マリオを解任し、2ndステージ途中からジーコが総監督として指揮を執った。なお、9月23日の[[ジェフユナイテッド市原・千葉|市原]]戦で、Jリーグクラブ最速のリーグ戦通算500得点を達成した。<br />
<br />
=== 2000年 - 2006年 ===<br />
; 2000年<br />
:チームスローガン:'''Glory Again - 原点からの挑戦 -'''<br />
: ジーコと共に「[[黄金のカルテット]]」をブラジル代表で構成した[[トニーニョ・セレーゾ]]が監督に就任。この年に[[2000年のJリーグ|Jリーグ]]、[[Jリーグカップ|ナビスコカップ]]、[[第80回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]を制覇し、Jリーグ発足以来初の三冠を達成した。<br />
; 2001年<br />
:チームスローガン:'''- 勝利主義 Antlersism - FOR NEXT 10 YEARS'''<br />
: セレーゾ体制2年目。2000年シーズンの三冠達成を称えて茨城県から県民栄誉賞を受賞。[[2001年のJリーグ|リーグ戦]]の1stステージは11位と低迷したが、2ndステージは[[アウグスト・ペドロ・デ・ソウザ|アウグスト]]などの活躍で優勝。チャンピオンシップで磐田を破り、リーグ連覇を果たす。<br />
; 2002年<br />
:チームスローガン:'''- 進化 Antlersism - STAIRWAY TO THE WORLD'''<br />
: セレーゾ体制3年目。[[2002年のJリーグ|リーグ戦]]は絶好調の磐田を止められず3連覇を逃したが、[[2002年のJリーグカップ|ナビスコカップ]]は決勝で[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]を下し優勝。なお、[[2002 FIFAワールドカップ]]で[[2002 FIFAワールドカップ日本代表|日本代表]]に秋田豊、[[鈴木隆行]]、[[柳沢敦]]、[[中田浩二 (サッカー選手)|中田浩二]]、[[小笠原満男]]、[[曽ヶ端準]]の6人(クラブ別では最多)が選出された。鈴木は初戦のベルギー戦でゴールを決め、鹿島所属として初のW杯得点者となった。大会終了後にはジーコが[[サッカー日本代表|日本代表]]監督に就任し、テクニカルディレクターを辞任した。また、鈴木は[[ジュピラーリーグ|ベルギー]]の[[KRCヘンク]]へ移籍した。<br />
: 5月7日、初代監督を務めていた宮本が逝去。<br />
; 2003年<br />
:チームスローガン:'''OVER'03 - カシマからアジア、そして世界へ -'''<br />
: セレーゾ体制4年目。[[A3チャンピオンズカップ]]初代王者となった。柳沢が[[セリエA (サッカー)|イタリア]]の[[サンプドリア]]へ期限付きで移籍(2005年に[[ACRメッシーナ|FCメッシーナ]]へ完全移籍)した。[[2003年のJリーグカップ|ナビスコカップ]]は2年連続で決勝に進出するも浦和に敗れ、連覇はならなかった。<br />
; 2004年<br />
:チームスローガン:'''FOOTBALL DREAM 2004 - 奪冠10 -'''<br />
: セレーゾ体制5年目。[[2004年のJリーグ|リーグ戦]]は1stステージ5位、2ndステージ4位に終わった。[[2004年のJリーグカップ|ナビスコカップ]]と[[第83回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]ともにベスト8で敗退し、タイトルを獲得できずにシーズンを終える。<br />
; 2005年<br />
:チームスローガン:'''FOOTBALL DREAM 2005 - 反撃宣言 -'''<br />
: セレーゾ体制6年目。J1が9年ぶりに1ステージ制に移行した[[2005年のJリーグ|リーグ戦]]は開幕ダッシュに成功。一時は2位に勝点差10以上をつけたが、中盤に入ると[[ガンバ大阪|G大阪]]や浦和、[[ジェフユナイテッド市原・千葉|千葉]]、[[セレッソ大阪|C大阪]]に追いつかれ、優勝の可能性が残っていた[[2005年J1最終節|最終節]]では勝利したものの、結局3位でシーズンを終えた。中田がフランス・[[リーグ・アン]]の[[オリンピック・マルセイユ]]に移籍。シーズンの終了後、6年に渡り監督を務めたトニーニョ・セレーゾが勇退した。<br />
<br />
=== 2006年 - 2011年 ===<br />
; 2006年<br />
:チームスローガン:'''FOOTBALL DREAM 2006 - 一新制覇 -'''<br />
: [[サンパウロFC]]元監督の[[パウロ・アウトゥオリ]]が監督に就任。[[2006年のJリーグ|リーグ戦]]は[[柳沢敦]]の復帰、高卒新人のサイドバック[[内田篤人]]の活躍などがあったが、シーズン途中に大黒柱だった[[小笠原満男]]が[[ACRメッシーナ|FCメッシーナ]]([[セリエA (サッカー)|イタリア]])へ翌年6月までの期限付きで移籍などにより成績は6位。一方で[[2006年のJリーグカップ|ナビスコカップ]]では3年ぶりに決勝に進出したが、千葉に敗れた。[[第86回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]は準決勝で浦和に敗れた。結局、パウロ・アウトゥオリは1年で監督を退任した。なお、[[2006 FIFAワールドカップ]]の[[2006 FIFAワールドカップ参加チーム#日本|日本代表]]には小笠原満男と柳沢敦が選出された。<br />
; 2007年<br />
:チームスローガン:'''FOOTBALL DREAM'07 - 魂 Spirits -'''<br />
: [[SCコリンチャンス・パウリスタ|コリンチャンス]]やサンパウロFCなどで監督を歴任した[[オズワルド・オリヴェイラ]]が監督に就任。清水エスパルスから[[マルコス・ゴメス・デ・アラウージョ|マルキーニョス]]、[[塩釜NTFCヴィーゼ|塩釜FCユース]]から[[遠藤康]]を獲得。[[2007年のJリーグ|リーグ戦]]では、小笠原に代わり司令塔に指名された[[野沢拓也]]が開幕直前のプレシーズンマッチで負傷。開幕から5試合勝ち星がなかったが、野沢が復帰後は徐々に成績が上昇。リーグ中断からの後半戦はレンタル移籍から小笠原が復帰し、終盤の9連勝など14勝2敗の快進撃で6年ぶり5回目のリーグ優勝を果たし、同時にクラブの悲願だった「10冠」を達成した。最終節まで1度も首位に立たなかったチームが最終節で逆転優勝したのはJリーグ史上初めてである。また、アウェイの[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]戦でリーグ史上最速となるリーグ通算300勝を達成。<br />
: なお、[[FIFAクラブワールドカップ2007]]に本来であれば「開催国枠」として出場する予定であったが、[[AFCチャンピオンズリーグ2007]]で浦和が優勝し、大会規定「1カ国2チーム以上出場できない」によりこの大会への出場は出来なかった。<br />
: [[2007年のJリーグカップ|ナビスコカップ]]は、準決勝でG大阪に1勝1敗ながら[[アウェーゴール]]数の差で敗退。<br />
: [[第87回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]は、J2降格が決まっている[[サンフレッチェ広島F.C|広島]]との決勝で勝利し、2度目となるリーグ戦との2冠を達成した<ref name="2冠" group="注"/>。<br />
: 1月9日、鹿嶋市から11冠達成を称え特別功労賞が贈られ、2月1日には茨城県から県民栄誉賞(2000年度以来2度目)を授与された。<br />
: 7月29日には前年に引退した[[本田泰人]]の引退試合が、1993年の[[Jリーグチャンピオンシップ]]の出場メンバーを中心にした「鹿島アントラーズ1993対[[東京ヴェルディ1969|ヴェルディ1993]]」としてカシマサッカースタジアムで開催された。<br />
; 2008年<br />
:チームスローガン:'''FOOTBALL DREAM 2008 - DESAFIO 挑戦 -'''<br />
: オリヴェイラ体制2年目。[[FUJI XEROX SUPER CUP|富士ゼロックス・スーパーカップ]]は広島と対戦し、2点をリードするも終了間際に追いつかれ、PK戦の末に敗れた。[[2008年のJリーグ|リーグ戦]]は、1シーズン制導入後初めてとなるJリーグ2連覇を達成。この年のリーグ戦でマルキーニョスが、21得点で鹿島初のJリーグ得点王を獲得。<br />
: [[AFCチャンピオンズリーグ2008]]では、日本のクラブチームでACLグループリーグ最多得点となる6戦合計28得点をあげてクラブ初の決勝トーナメント進出を決め、ベスト8。<br />
: なおリーグ戦で2連覇を果たすが、ACLにおいてG大阪が優勝したため、不運にも2007年と同様に大会規定の関係で[[FIFAクラブワールドカップ2008]]出場は出来なかった。<br />
; 2009年<br />
:チームスローガン:'''FOOTBALL DREAM 2009 - PROGRESSO 飛躍 -'''<br />
: オリヴェイラ体制3年目。[[鹿児島城西高等学校|鹿児島城西高校]]から[[大迫勇也]]、外国籍選手枠のほかに導入されたアジア枠で、韓国人の[[朴柱昊|パク・チュホ]]を[[水戸ホーリーホック|水戸]]から獲得した。<br />
: 2月1日には、クラブへ貢献した選手などに対する殿堂として第1回アントラーズ功労賞が発表され、功労賞受賞者の1人でもある[[秋田豊]]の引退試合が行われた。同月28日に富士ゼロックス・スーパーカップでG大阪に勝利し、10年ぶり4回目の優勝を果たした。<br />
: [[2009年のJリーグ|リーグ戦]]では3連覇への好スタートを切り、夏場から秋口にかけて5連敗を喫するも、Jリーグ史上初の3連覇を達成した。<br />
: [[AFCチャンピオンズリーグ2009]]は2年連続決勝トーナメント進出を決めたが、ラウンド16で韓国の[[FCソウル]]にPK戦の末敗れ、ベスト16で敗退。<br />
: [[ファイル:Kashima Soccer Stadium 5.jpg|thumb|220px|2010年5月1日 J1第9節 G大阪戦]]<br />
; 2010年<br />
:チームスローガン:'''FOOTBALL DREAM 2010 - Evolucao 新化 -'''<br />
: オリヴェイラ体制4年目。広島から[[佐藤昭大]]、元[[アルビレックス新潟|新潟]]の[[ジウトン・ヒベイロ|ジウトン]]を[[ポルト・アレグレ]]からレンタル移籍で、[[京都サンガF.C.|京都]]から[[李正秀|イ・ジョンス]]、[[カンピオナート・ブラジレイロ|ブラジル2部リーグ]]の[[アソシアソン・ポルトゥゲーザ・ジ・デスポルトス|ポルトゥゲーザ]]から[[フェリペ・ガブリエル・デ・メロ・エ・シウバ|フェリペ・ガブリエル]]を完全移籍で獲得。ユースから[[八木直生]]が昇格、レンタル移籍で移籍していた[[鈴木修人]]([[湘南ベルマーレ|湘南]])、[[船山祐二]]([[セレッソ大阪|C大阪]])が復帰した。<br />
: 2月27日、富士ゼロックス・スーパーカップは2年連続でG大阪と対戦し、PK戦による勝利で5度目の優勝と、同大会史上初の同一クラブ2度目の連覇を果たした。<br />
: [[2010年のJリーグ|リーグ戦]]は、失点数や敗戦はリーグで最少だったものの、引き分けが12と後半戦は勝ち切れない試合の多さが響きリーグ4連覇を逃し、4位で終了した。<br />
:6月に行われた[[2010 FIFAワールドカップ]]の日本代表に[[内田篤人]]と[[岩政大樹]]、[[サッカー大韓民国代表|韓国代表]]にイ・ジョンスが選出され、イ・ジョンスは本大会で2得点を記録。7月には、内田篤人が[[サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)|ドイツ]]の[[シャルケ04]]、イが[[カタール・スターズリーグ|カタール]]の[[アル・サッド]]に移籍した。<br />
: [[AFCチャンピオンズリーグ2010]]は3年連続の決勝トーナメント進出を日本サッカー界史上初の全勝でのグループステージ突破を果たすも、ラウンド16で前回王者の[[浦項スティーラース]]に敗れ、2年連続ベスト16での敗退となった<ref group="注">因みにシャルケで活躍する内田は、この試合が移籍前の国内最後となった。</ref>。<br />
: [[第90回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]は決勝で[[清水エスパルス|清水]]を破り、3大会ぶり4度目の優勝。これによりACL出場権を獲得した。<br />
: またこのシーズンをもって[[大岩剛]]が現役を引退した。さらに、[[笠井健太]]、ジウトンと契約を結ばず、マルキーニョスが[[ベガルタ仙台|仙台]]、[[船山祐二]]が山形、[[大道広幸]]が[[ファジアーノ岡山FC|岡山]]へ完全移籍、[[川俣慎一郎]]が仙台、[[川島大地]]が山形、[[宮崎智彦]]が[[横浜FC]]、[[鈴木修人]]が[[栃木SC]]、[[佐々木竜太]]が湘南へレンタル移籍となった。<br />
; 2011年<br />
:チームスローガン:'''FOOTBALL DREAM NEXT'''<br />
: クラブは創立20周年を迎えた。オリヴェイラ体制5年目。[[青森山田中学高等学校|青森山田高校]]から[[柴崎岳]]、[[米子北高等学校|米子北高校]]から[[昌子源]]、[[関西大学第一高等学校|関西大第一高校]]から[[梅鉢貴秀]]を獲得。鹿島ユースから[[土居聖真]]が昇格。[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]から[[西大伍]]、[[UDレイリア|ウニオン・レイリア]]から[[カルロス・アレシャンドレ・デ・ソウザ・シウヴァ|カルロン]]、千葉から[[アレックス・アントニオ・デ・メロ・サントス|アレックス]]、清水から[[本田拓也]]を完全移籍で、[[モンテディオ山形|山形]]にレンタル移籍していた[[田代有三]]、[[増田誓志]]が復帰、レンタル移籍だった佐藤昭大が完全移籍、クラブ初となるアマチュアからの選手でブラジルの[[CFZ|CFZ・ド・リオ]]から父親がチームOBの[[アルシンド・サルトーリ|アルシンド]]である[[イゴール・トーレス・サルトーリ|イゴール]]をC契約で獲得した。<br />
: 2月26日の[[FUJI XEROX SUPER CUP|富士ゼロックス・スーパーカップ]]で[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]と対戦。PK戦の末敗れ、同大会2度目の3連覇とはならなかった。<br />
: [[2011年のJリーグ|リーグ戦]]は序盤で苦戦し、その後は8月を無敗で乗り切るなど5位へ浮上したが、6位に終わる。<br />
: また3月11日に発生した[[東日本大震災]]により被災し、スタジアムやクラブハウスなどの施設が大きく損壊したため<ref>{{Cite web |date=2011-03-16 |url=http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2011/03/16/kiji/K20110316000437520.html |title=3カ月程度かかる鹿島 メド立たないスタジアム修復 |publisher=[[スポーツニッポン]] |accessdate=2011-03-16}}</ref>、3月15日から27日までチームの活動を休止していた<ref>{{Cite web |date=2011-03-15 |url=http://www.so-net.ne.jp/antlers/news/release/10120 |title=トップチームの活動休止に関して |publisher=鹿島アントラーズオフィシャルサイト |accessdate=2011-03-15}}</ref>。その後、東日本大震災復興支援として[[水戸ホーリーホック]]や茨城県サッカー協会と共同で「WITH HOPEプロジェクト」を立ち上げ、茨城県の復興支援活動を開始。6月4日にはカシマサッカースタジアムで「[[震災復興チャリティーイベント SMILE AGAIN〜YELL FROM KASHIMA〜]]」が開催された。<br />
: 7月には[[伊野波雅彦]]が[[プルヴァHNL|クロアチア]]の[[ハイドゥク・スプリト]]に完全移籍、カルロンが[[ヌーシャテル・ザマックス]]にレンタル移籍(その後[[SCブラガ|ブラガ]]へレンタル移籍)したが、[[フルミネンセFC]]から[[ヴィニシウス・シルバ・ソアレス|タルタ]]をレンタル移籍で獲得した。<br />
: 4年連続で出場となった[[AFCチャンピオンズリーグ2011]]は、グループリーグ無敗で3年連続ラウンド16進出をするも、またもソウルに敗れ、3年連続ベスト16での敗退となった。<br />
: [[2011年のJリーグカップ|ナビスコカップ]]では7度目の決勝進出。浦和に延長で勝利し、9年ぶり4度目の優勝。<br />
: [[第91回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]は4回戦でJ2の[[京都サンガF.C.|京都]]に敗れ、ベスト16での敗退となった。<br />
: オズワルド・オリヴェイラが監督を退任、コーチの[[奥野僚右]]も退団した(後に山形の監督に就任)。[[杉山哲]]が札幌、タルタが[[アソシアソン・ポルトゥゲーザ・ジ・デスポルトス|ポルトゥゲーザ]]、[[當間建文]]、[[鈴木修人]]が栃木SC、[[小谷野顕治]]が[[アルビレックス新潟|新潟]]、[[田代有三]]、[[野沢拓也]]が[[ヴィッセル神戸|神戸]]、[[フェリペ・ガブリエル・デ・メロ・エ・シウバ|フェリペ・ガブリエル]]がボタフォゴへ完全移籍、[[横浜FC]]にレンタル移籍していた[[宮崎智彦]]が[[ジュビロ磐田|磐田]]へレンタル移籍、イゴールが退団した。<br />
<br />
=== 2012年 - ===<br />
; 2012年<br />
: [[ファイル:Kashima Stadium 3.JPG|thumb|220px|2012年4月7日 J1第5節 浦和戦]]<br />
:チームスローガン:'''SMILE AGAIN with PRIDE'''<br />
: [[ジョルジェ・デ・アモリン・カンポス|ジョルジーニョ]]が就任。補強として[[川崎フロンターレ|川崎]]から[[カルロス・アルベルト・カルヴァリョ・ドス・アンジョス・ジュニオル|ジュニーニョ]]、[[アビスパ福岡|福岡]]から[[岡本英也]]を完全移籍で、さらに[[流通経済大学サッカー部|流通経済大学]]から[[山村和也]]、[[静岡学園高等学校|静岡学園高校]]から[[伊東幸敏]]を獲得。レンタル移籍していた[[川俣慎一郎]](仙台)、[[佐々木竜太]](湘南)が復帰し、鹿島ユースからは[[鈴木隆雅]]、[[中川義貴]]、[[宮内龍汰]]が昇格した。シーズン途中には京都から[[セルジオ・ドゥトラ・ジュニオール|ドゥトラ]]が完全移籍で、[[中国サッカー・スーパーリーグ|中国]]の[[広州恒大淘宝足球倶楽部|広州恒大]]から[[レナト・アドリアーノ・ジャコ・モラエス|レナト]]がレンタル移籍で加入。7月にはアレックスが[[徳島ヴォルティス|徳島]]、佐々木竜太が栃木へレンタル移籍した。<br />
: [[曽ヶ端準]]が3月31日のJ1第4節・[[横浜F・マリノス|横浜FM]]戦で、クラブ通算最多出場となる475試合、クラブ史上初の同通算500試合を8月25日のリーグ・[[アルビレックス新潟|新潟]]戦で達成。<br />
: [[スルガ銀行チャンピオンシップ2012|スルガ銀行チャンピオンシップ]]では、[[プリメーラ・ディビシオン (チリ)|チリ]]の[[CFウニベルシダ・デ・チレ|ウニベルシダ・デ・チリ]]をPK戦で下し、初優勝を飾った。<br />
: ナビスコカップでは、8度目の決勝で清水を延長戦で下し、クラブ史上初の同大会連覇を達成。<br />
: [[2012年のJリーグ|リーグ戦]]は、開幕から5試合で1分4敗と未勝利のままで、第2節から第5節までは最下位となるなどスタートダッシュに失敗。この時開幕3試合連続完封負けを喫し第4節まで無得点であった。その後も第13節終了後に10位となったのが最高順位と、一度も一桁順位に浮上しないままJリーグ発足後史上初の二桁順位となる最終順位11位でシーズンを終える。<br />
: [[第92回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]は準決勝でJ2降格が決まっているG大阪に敗れ、ベスト4で敗退となった。<br />
: ジョルジーニョが監督を退任し<ref>{{Cite web |date=2012-11-29 |url=http://www.so-net.ne.jp/antlers/news/release/33796 |title=ジョルジーニョ監督の退任について |publisher=鹿島アントラーズ オフィシャルサイト |accessdate=2012-11-30}}</ref>、[[新井場徹]]がC大阪、[[興梠慎三]]が浦和、岡本英也が新潟、増田誓志が[[Kリーグクラシック|Kリーグ]]の[[蔚山現代FC|蔚山現代]]、ドゥトラが[[ジュピラーリーグ|ベルギー]]の[[スポルティング・ロケレン]]へ完全移籍し、磐田にレンタル移籍していた宮崎智彦、徳島にレンタル移籍していたアレックスもそれぞれ完全移籍した。さらに広州恒大からレンタル移籍で加入したレナト、栃木へレンタル移籍していた佐々木竜太とは契約を更新しなかった。<br />
; 2013年<br />
:チームスローガン:'''RENASCIMENTO - 誇りを胸に -'''<br />
: 監督には2000年から2005年まで指揮を執ったトニーニョ・セレーゾが再び就任。補強として[[愛媛FC|愛媛]]から[[前野貴徳]]、京都から[[中村充孝]]、[[カタール・スターズリーグ|カタール]]の[[ウム・サラルSC|ウム・サラル]]から[[ダヴィ・ジョゼ・シルバ・ド・ナシメント|ダヴィ]]を完全移籍で、さらに[[熊本県立大津高等学校|大津高校]]から[[植田直通]]、[[豊川雄太]]を獲得。山形にレンタル移籍していた川島大地、神戸に完全移籍していた野沢拓也が復帰した。また、4月には[[筑波大学蹴球部|筑波大学]]の[[赤崎秀平|赤﨑秀平]]をクラブ初となる[[特別指定選手]]で登録した。なお、7月には[[鈴木隆雅]]が[[ジェフユナイテッド市原・千葉|千葉]]へ期限付き移籍、本田拓也が[[清水エスパルス|清水]]へ完全移籍、8月末で八木直生が現役引退した。<br />
: リーグ戦は、シーズンでの連敗はなかったものの、序盤から夏場にかけてアウェイ戦7連敗を喫し、DF陣のテコ入れを行ったが、失点が続き、5位で終える。なお、4月6日の第5節・[[セレッソ大阪|C大阪]]戦で、セレーゾがJリーグ発足後1クラブのみでの達成は史上初のリーグ戦通算100勝を達成。また、5月6日の第10節・[[湘南ベルマーレ|湘南]]戦で、歴代監督体制初の公式戦通算150勝を達成した。<br />
: [[2013年のJリーグカップ|ヤマザキナビスコカップ]]は準々決勝で[[横浜F・マリノス|横浜FM]]に敗れ、3連覇を逃した。<br />
: [[第93回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]は4回戦で[[サンフレッチェ広島F.C|広島]]に敗れ、ベスト16で敗退した。また、9月7日の2回戦での[[ソニー仙台FC|ソニー仙台]]戦で、歴代監督体制初の公式戦通算500得点を達成。<br />
: [[スルガ銀行チャンピオンシップ2013|スルガ銀行チャンピオンシップ]]では、2006年に鹿島の監督を務めた[[パウロ・アウトゥオリ]]率いる[[カンピオナート・ブラジレイロ|ブラジル]]の[[サンパウロFC]]を下し、同大会と日本クラブチーム史上初の国際大会で連覇を達成した。<br />
: この年をもって、ジュニーニョが契約満了、岩政大樹が[[タイ・プレミアリーグ|タイ]]の[[BECテロ・サーサナFC|テロ・サーサナ]]、大迫勇也が[[2. ブンデスリーガ (ドイツサッカー)|ドイツ2部]]の[[TSV1860ミュンヘン|1860ミュンヘン]]、川島大地が[[ギラヴァンツ北九州|北九州]]へ完全移籍、千葉にレンタル移籍していた鈴木隆雅が栃木へレンタル移籍した。<br />
; 2014年<br />
:チームスローガン:'''SPECTACLE - 戦 -'''<br />
: セレーゾ体制2年目。[[ジュビロ磐田|磐田]]から[[山本脩斗]]、[[SCブラガ|ブラガ]]から[[ルイス・アルベルト・サントス・ドス・サントス|ルイス・アルベルト]]が完全移籍で、筑波大学から赤崎秀平、[[帝京大学可児高等学校中学校|帝京大学可児高校]]から[[杉本太郎]]、[[千葉国際中学校・高等学校|千葉国際高校]]からC契約で[[カイオ・ルーカス・フェルナンデス|カイオ]]が加入した。鹿島ユースからは小泉勇人が昇格した。また、千葉から[[ジャイール・エドワルド・ブリト・ダ・シルバ|ジャイール]]を3月から7月までの期限付き移籍<ref>{{Cite web |date=2014-07-02 |url=http://www.so-net.ne.jp/antlers/news/release/44000 |title=ジャイール選手との契約が満了 |publisher=鹿島アントラーズオフィシャルサイト |accessdate=2014-07-02}}</ref> で獲得し、8月には[[ボタフォゴFR]]から元[[柏レイソル|柏]]の[[ジョルジ・ワグネル]]を完全移籍で獲得した。なお、1月末に中川義貴<ref><br />
[http://www.so-net.ne.jp/antlers/news/release/41583 中川選手の現役引退について - 鹿島公式サイト] 2014年1月31日 参考</ref> が現役引退、8月に野沢拓也が[[ベガルタ仙台|仙台]]へ完全移籍した。<br />
: 4月15日、カシマスタジアムの開場以来スタジアムDJを務めてきた[[ダニー石尾]]が逝去<ref>{{Cite web |date=2014-04-17 |url=http://www.so-net.ne.jp/antlers/news/release/42801 |title=ダニー石尾さんのご逝去と神戸戦での追悼セレモニーについて |publisher= 鹿島アントラーズオフィシャルサイト |accessdate=2014-04-26}}</ref>。4月19日に追悼セレモニー<ref>{{Cite web |date=2014-04-22 |url=http://www.so-net.ne.jp/antlers/fanzone/reports/club/42881 |title=ダニー石尾さん追悼セレモニー |publisher= 鹿島アントラーズオフィシャルサイト |accessdate=2014-04-26}}</ref> を、さらに6月1日にはお別れの会<ref>{{Cite web |date=2014-5-16 |url=http://www.so-net.ne.jp/antlers/news/club_info/43283 |title=ダニー石尾さんお別れ会について |publisher= 鹿島アントラーズオフィシャルサイト |accessdate=2014-05-16}}</ref> が両日とも同スタジアムで行われた。また、6月1日に、アントラーズ功労賞の贈呈<ref>{{Cite web |date=2014-6-3 |url=http://www.so-net.ne.jp/antlers/fanzone/reports/club/43588 |title=ダニー石尾さんお別れ会 |publisher= 鹿島アントラーズオフィシャルサイト |accessdate=2014-06-05}}</ref> も行った。<br />
: リーグ戦は、スタートダッシュに成功したものの、序盤のホーム3連敗以降は調子を落としたが、それでも3位で終え、4年ぶり6回目のACL出場を決めた。なお、本山雅志が7月27日のJ1第17節・[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]戦で、クラブ通算500試合を在籍最長の17シーズン目で達成。また、8月9日のJ1第19節・[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]戦での山本脩斗の得点で、クラブ公式戦通算100人目を達成。さらに、9月27日のJ1第26節・[[徳島ヴォルティス|徳島]]戦でカイオが、クラブの高卒初年度リーグ戦最多得点となる6得点、赤崎秀平が11月29日のJ1第33節・C大阪戦で、クラブの大卒初年度リーグ戦最多得点となる5得点を更新した。<br />
: [[2014年のJリーグカップ|ヤマザキナビスコカップ]]は9年ぶりに予選リーグで敗退、[[第94回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]はソニー仙台にPK戦で敗れ、1994年大会以来の初戦敗退となった。<br />
: なお、このシーズンをもって[[中田浩二 (サッカー選手)|中田浩二]]が現役引退、ルイス・アルベルト、[[宮内龍汰]]が契約満了、ジョルジ・ワグネルが[[ECヴィトーリア]]、前野貴徳が[[アルビレックス新潟|新潟]]に完全移籍となった。<br />
; 2015年<br />
:チームスローガン:'''RISE TO THE CHALLENGE - 覚悟 -'''<br />
: セレーゾ体制3年目。補強として徳島から[[高崎寛之]]、[[サンフレッチェ広島F.C|広島]]から[[黄錫鎬|ファン・ソッコ]]を完全移籍で、[[ポルティモネンセSC]]から[[金崎夢生]]を期限付き移籍で、[[大阪桐蔭中学校・高等学校|大阪桐蔭高校]]から[[久保田和音]]を獲得。また、鹿島ユースから[[大橋尚志]]、[[鈴木優磨]]が昇格。栃木に育成型期限付き移籍していた鈴木隆雅が復帰した。<br />
: 4年ぶりの出場となった[[AFCチャンピオンズリーグ2015]]では、[[AFCチャンピオンズリーグ2013|2013年]]王者の[[広州恒大淘宝足球倶楽部|広州恒大]]([[中国サッカー・スーパーリーグ|中国]])と準優勝の[[FCソウル]] ([[Kリーグクラシック|韓国]])、そして、[[AFCチャンピオンズリーグ2014|2014年]]王者の[[ウェスタン・シドニー・ワンダラーズFC|ウェスタン・シドニー]]([[Aリーグ|オーストラリア]])とグループリーグで同組に入ったが、開幕後チームの成績は低迷。初年度大会以来2度目となる最下位での1次リーグ敗退。<br />
: 11年ぶりに2ステージ制が復活したリーグ戦では、1stステージを負け越して8位、2ndステージは開幕後下位チーム<ref group="注">1stステージ17位の新潟(勝利)、18位の清水(引き分け)、15位の松本山雅(敗戦)</ref> 相手に1勝1敗1分けとなり、セレーゾ監督を解任、後任に[[石井正忠]]コーチが就任。鹿島にとっては、監督代行を2度務めた[[関塚隆]]を除くと、1992年から1994年6月まで務めた初代監督の宮本以来21年ぶり2人目の日本人監督となった。監督交代後、広島と優勝を争い2ndステージ2位で終えたが、年間順位は5位に終わった。天皇杯も3回戦でPK戦の末敗退した。<br />
: ナビスコカップでは、[[FC東京]]と[[ヴィッセル神戸|神戸]]を下して3年ぶりに決勝に進出。決勝では、2連覇を目指した[[ガンバ大阪|G大阪]]を3-0で下し、3年ぶりの優勝と、国内3大タイトル17個目を獲得した。<br />
: なお、このシーズンをもって[[ダヴィ・ジョゼ・シルバ・ド・ナシメント|ダヴィ]]が契約満了、18年間在籍していた[[本山雅志]]が北九州、鈴木隆雅が愛媛、[[佐藤昭大]]が[[ロアッソ熊本|熊本]]に完全移籍、[[梅鉢貴秀]]が山形、豊川雄太が[[ファジアーノ岡山FC|岡山]]に期限付き移籍した。<br />
; 2016年<br />
:チームスローガン:'''Football Dream - ともに -'''<br />
: 石井体制2期目。東京Vから[[三竿健斗]]、湘南から[[永木亮太]]、清水から[[ウェリントン・ダニエル・ブエノ|ブエノ]]を完全移籍で、清水から[[櫛引政敏]]をレンタル移籍で獲得した。ユースからは[[町田浩樹]]、[[田中稔也]]、[[平戸太貴]]、[[垣田裕暉]]が昇格した。前年期限付き移籍で加入していた金崎は一旦ポルティモネンセに復帰したが、開幕前に完全移籍で獲得した。また、山形から高崎寛之が復帰(4月から[[松本山雅FC]]へ期限付き移籍)。<br />
: シーズン中には、4月から7月まで[[流通経済大学サッカー部|流通経済大学]]から[[小池裕太]]が[[特別指定選手]]としてチームに加入、ポルティモネンセから[[ファブリシオ・ドス・サントス・メシアス|ファブリシオ]]を期限付き移籍で獲得した。一方でジネイが6月末で契約満了(その後、湘南へ完全移籍)、7月には15年半在籍した青木が[[サガン鳥栖|鳥栖]]、カイオが[[UAE]]の[[アル・アインFC]]へ完全移籍した。<br />
: [[2016年のJリーグ|リーグ戦]]1stステージではリーグ最少失点の10失点に抑え、15年ぶり通算6回目<ref group="注">1stステージは19年ぶり3回目。</ref> のステージ優勝を飾ったが、2ndステージでは守備が崩壊し、カイオの移籍や石井監督と金崎との衝突、主力に故障者が続出するなど終盤は4連敗を喫してしまい、最後まで歯車がかみ合わぬまま11位に沈んだ。しかし、1st王者と年間勝点3位で挑んだ[[2016年のJリーグチャンピオンシップ|チャンピオンシップ]]の準決勝では年間勝点2位の川崎に勝利し、年間勝点1位の浦和との決勝も2戦合計勝利により7年ぶり8回目のJ1リーグ優勝を飾った。これにより、ACL出場権を獲得した。<br />
: ナビスコカップでは昨年王者として2連覇に挑戦したが、1勝しかあげられずに予選敗退をしてしまった。敗退が決まった後は育成路線に切り替え、ユース出身の町田、田中、平戸、垣田ら若いメンバーで挑んだ。<br />
: 3年ぶり3回目の出場となった[[スルガ銀行チャンピオンシップ2016|スルガ銀行チャンピオンシップ]]は、[[コロンビア・プロサッカーリーグ|コロンビア]]の[[インデペンディエンテ・サンタフェ|サンタフェ]]に敗れ、3度目の優勝はならなかった。<br />
: J1優勝に伴い、開催国枠で[[FIFAクラブワールドカップ2016|FIFAクラブワールドカップ]]に初出場した。初戦の[[オークランド・シティFC]]([[ニュージーランド・フットボールチャンピオンシップ|ニュージーランド]])戦では2-1の逆転勝利、準々決勝の[[マメロディ・サンダウンズFC]] ([[プレミアサッカーリーグ|南アフリカ]])には、2-0の勝利を決めた。準決勝では[[アトレティコ・ナシオナル]] (コロンビア)を3-0で撃破し、アジア勢初となる決勝進出を決めた。決勝では[[レアル・マドリード]] ([[リーガ・エスパニョーラ|スペイン]])を相手に一時は逆転し、2-2で延長戦までもつれる接戦を演じたが、最後は[[クリスティアーノ・ロナウド]]にハットトリックを許し2-4で敗れ、準優勝となった。<br />
: [[第96回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]は決勝で川崎を破り、6大会ぶり5度目の優勝。また、9年ぶり3回目<ref>(2000年の三冠を含めると4回目)</ref> の二冠を果たした。<br />
: なお、このシーズンをもって大橋尚志が完全移籍で、垣田裕暉が期限付き移籍で共に[[ツエーゲン金沢|金沢]]へ、平戸太貴が[[FC町田ゼルビア|町田]]へ、杉本太郎が[[徳島ヴォルティス|徳島]]へ期限付き移籍、高崎寛之は期限付き移籍先の松本に完全移籍、清水から期限付き移籍の櫛引政敏、ポルティモネンセから期限付き移籍のファブリシオが契約満了、ファン・ソッコが契約満了で退団。柴崎岳が[[セグンダ・ディビシオン|スペイン2部]]の[[CDテネリフェ]]へ完全移籍した。<br />
; 2017年<br />
:チームスローガン:'''Football Dream - つなぐ -'''<br />
:石井体制3年目。新潟から[[ウーゴ・レオナルド・シルバ・セレージョ|レオ・シルバ]]、[[ヴィッセル神戸|神戸]]から[[ペドロ・ビスポ・モレイラ・ジュニオール|ペドロ・ジュニオール]]、[[アビスパ福岡|福岡]]から[[金森健志]]、湘南から三竿健斗の実兄[[三竿雄斗]]、[[全北現代モータース|全北現代]]から[[權純泰|クォン・スンテ]]が完全移籍で、[[SEパルメイラス]]から[[ウェベルソン・レアンドロ・オリベイラ・モウラ|レアンドロ]]が期限付き移籍で加入した。山形に期限付き移籍していた梅鉢貴秀が復帰した。なお三竿雄斗の加入により鹿島では[[手倉森誠]]・[[手倉森浩]]以来の兄弟選手となった。 3月11日に赤﨑がG大阪<ref>鹿島戦には出場しない条件付き</ref>、5月29日に小泉が水戸へ期限付き移籍した。<br />
:2月18日に行われた[[FUJI XEROX SUPER CUP]]は前年ルヴァンカップ王者の浦和と対戦、3-2で勝利し7年ぶり6回目の優勝を飾った。<br />
:2年ぶり7回目の出場となった[[AFCチャンピオンズリーグ2017]]、グループステージでは韓国の[[蔚山現代FC]]、タイの[[ムアントン・ユナイテッドFC]]、オーストラリアの[[ブリスベン・ロアーFC]]と対戦し、首位で決勝トーナメントに進出。決勝トーナメント1回戦で前年の[[中国サッカー・スーパーリーグ|中国超級]]王者・[[広州恒大淘宝足球倶楽部|広州恒大]]との対戦となったが、5月14日の神戸戦で遠藤とシルバが、5月19日の川崎戦では負傷離脱していた植田の代役である町田もこの試合で右膝前十字靭帯損傷の為それぞれ離脱。これらの選手を欠いて挑まなければならない第1戦を0-1で落とし、植田が復帰したホームでの第2戦はジュニオールのゴールで2戦合計スコアを1-1とする。後半10分に第1戦でゴールを挙げた[[ジョゼ・パウロ・ベセーラ・マシエル・ジュニオール|パウリーニョ]]に2試合連続ゴールとなるアウェーゴールを奪われ、アディショナルタイムの金崎 (鹿島のACL通算100得点目)のゴールで勝ち越し弾も実らず第2戦は2-1で勝利。しかし、2戦合計スコアこそ2-2だったものの、アウェイゴール差1で上回られた上、苦手としていたアウェイゲームを克服出来ず、また怪我人の対応に後手を踏んだ事もあり<ref>[http://ibarakinews.jp/mobile/list.php?elem=sports&genre=kashima#/mobile/news.php?f_jun=14963270436418 鹿島、ACL振り返る 敵地戦、克服できず] - 茨城新聞クロスアイ 2017年6月2日</ref> ベスト16で敗退。5月の時点で[[FIFAクラブワールドカップ]]への2年連続出場の可能性が早くも消滅。この結果を受けて5月31日、ACL決勝トーナメント1回戦敗退と当日時点で5敗全てホームで喫し、リーグ戦7位である事を理由に石井を解任し、後任に[[大岩剛]]コーチが昇格した<ref>[http://www.nikkansports.com/soccer/news/1832655.html 鹿島の石井監督が解任 後任は大岩コーチが昇格] - 日刊スポーツ 2017年5月31日</ref>。<br />
: 2015年以来2年ぶりの王座奪還を目指した[[2017年のJリーグカップ|YBCルヴァンカップ]]は、ACL出場のためノックアウトステージから出場<ref>{{Cite web |url=https://www.jleague.jp/release/post-47361/ |title=2017JリーグYBCルヴァンカップ 大会方式および試合方式について |publisher=Jリーグ |accessdate=2017-12-13 }}</ref>、準々決勝は仙台と対戦した<ref>{{Cite web |url=http://www.sanspo.com/soccer/news/20170731/jle17073114480009-n1.html |title=ルヴァン杯決勝トーナメント組み合わせ決定!浦和-C大阪、多摩川クラシコも |publisher=サンケイスポーツ |date=2017-07-31 |accessdate=2017-12-13 }}</ref>。準々決勝第1戦は、昌子と植田の両センターバックを代表招集で欠いた。試合は元鹿島の[[野沢拓也]]に[[コーナーキック]]でアシストされ先制を許し、さらに[[奥埜博亮]]に2ゴールを奪われ3失点。その後土居が1点返すも、1-3で敗れた<ref>{{Cite web |url=http://www.hochi.co.jp/soccer/national/20170830-OHT1T50265.html |title=【鹿島】2人退場で敗戦も…大岩監督、第2戦へ「次で絶対勝ち抜ける」 |publisher=スポーツ報知 |date=2017-08-30 |accessdate=2017-12-13 }}</ref>。第2戦は、初戦で退場したブエノと代表招集の昌子・植田に加え、川崎戦で負傷した町田も欠き、センターバックを本職とする4人が全員離脱する状態になった。これが響き、後半3分までに[[フリーキック (サッカー)|直接フリーキック]]と[[ペナルティーキック|PK]]で2失点を喫してしまう。アウェイゴール数の関係上準決勝進出には5得点が必要となる中、後半13分から鈴木と安部の2人が反撃のゴールラッシュ、鈴木の2ゴールを挙げ鹿島の下部組織出身選手最多のシーズン公式戦通算14得点としたのに加え安部がプロ初ゴール。後半だけで3得点を挙げて90分間では3-2と逆転したものの、2戦合計では4-5と仙台を上回ることができず、4年ぶりの準々決勝敗退となった<ref>{{Cite web |url=https://www.daily.co.jp/soccer/2017/09/04/0010522340.shtml |title=鹿島 4強逃す “本職”不在で自慢の堅守にほころび…J1、天皇杯で借り返す |publisher=デイリースポーツ |date=2017-09-04 |accessdate=2017-12-14 }}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/soccer/news/1882451.html |title=仙台が初4強、鹿島に敗戦も2戦合計で上回る |publisher=日刊スポーツ |date=2017-09-03 |accessdate=2017-12-14 }}</ref>。<br />
:リーグ戦では6月4日の広島戦から指揮を執った大岩が指揮を執ると、チームは7月8日のFC東京戦の引き分けを挟んで5連勝と3連勝で勝ち点を25も荒稼ぎ。一時は7位に沈んだチームを首位に導き優勝争いにもつれ込む。8月13日の川崎戦に敗れるもその後は2度目の5連勝、2位に8の勝ち点差をつけて優勝へ突き進む筈だった。しかし9月30日に行われた鳥栖戦で敗れると、次の広島戦以降は2得点以内に抑えられ、徐々に3点差以上つけて勝った回数の多い川崎の猛追を受ける。勝ち点差4で迎えた残り2節、少なくともあとひとつ勝てば川崎の結果に関係なく優勝が決まる状況だったにも関わらずACL出場権争いの渦中にいた柏、リーグ最少30失点を誇る磐田に対して共にスコアレスドローで終えると、川崎がこの年2度目のアジア王者に輝いた浦和と、大岩の前に指揮を執っていた石井が就任した大宮に連勝した為勝ち点では並んだものの川崎が3点以上取った試合が多かった事もあって得失点39だったのに対しチームはチャンピオンシップで浦和を破って優勝した昨シーズンと同じ53得点止まりとなり得失点22どまりだった為、史上初の得失点勝負の末リーグ連覇を逃した。更に磐田戦では右サイドバックの西が右膝内側側副靭帯を断裂する大怪我を負うという踏んだり蹴ったりの結末になってしまった。<br />
:なお、7月2日のJ1第17節の柏戦で得点した永木が、鹿島のリーグ戦通算100人目の得点者となった。<br />
; 2018年<br />
:チームスローガン:'''Football Dream - こえる -'''<br />
:大岩体制2年目。MF[[梅鉢貴秀]]が[[ツエーゲン金沢|金沢]]に、前年[[ガンバ大阪|G大阪]]に期限付き移籍していたFW[[赤崎秀平|赤﨑秀平]]が川崎に完全移籍、DFブエノが[[徳島ヴォルティス|徳島]]に期限付き移籍したほか、[[水戸ホーリーホック|水戸]]に期限付き移籍していたGK[[小泉勇人]]が水戸に完全移籍、徳島に期限付き移籍していたMF[[杉本太郎]]、[[FC町田ゼルビア|町田]]に期限付き移籍していたMF[[平戸太貴]]、金沢に期限付き移籍していたFW[[垣田裕暉]]の移籍期間をそれぞれ延長した。<br />
:一方、[[SEパルメイラス]]から期限付き移籍加入していたFWレアンドロが完全移籍加入。[[1.FCウニオン・ベルリン]]からDF[[内田篤人]]が8年ぶりに復帰したほか、[[清水エスパルス|清水]]からDF[[犬飼智也]]、[[東京ヴェルディ1969|東京V]]からDF[[安西幸輝]]を完全移籍で獲得。[[阪南大学]]からMF[[山口一真]]が新加入。ユースからGK[[沖悠哉]]が昇格した。また、この年から金崎が背番号10を背負うことになり、ジーコ、ビスマルク、柴崎や本山といった生え抜きの選手がつけていた10番を移籍組の日本人選手がつけるのは史上初である。<br />
<br />
== 所属選手 ==<br />
<div style="position:relative; float:right;"><br />
<center>'''[[2018年のJ1リーグ|2018 明治安田生命J1リーグ]] 第1節<br />スターティングメンバー'''</center><br />
[[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|300px]]<br />
{{Image label|x=0.46|y=0.28|scale=300|text=[[クォン・スンテ|<span style="font-size: smaller; color: black;">'''クォンスンテ'''<br /># 1</span>]]}}<br />
{{Image label|x=0.16|y=0.54|scale=300|text=[[内田篤人|<span style="font-size: smaller; color: maroon;">'''内田'''<br /># 2</span>]]}}<br />
{{Image label|x=0.34|y=0.45|scale=300|text=[[植田直通|<span style="font-size: smaller; color: maroon;">'''植田'''<br /># 5</span>]]}}<br />
{{Image label|x=0.62|y=0.45|scale=300|text=[[昌子源|<span style="font-size: smaller; color: maroon;">'''昌子'''<br /># 3</span>]]}}<br />
{{Image label|x=0.80|y=0.54|scale=300|text=[[安西幸輝|<span style="font-size: smaller; color: maroon;">'''安西'''<br /># 32</span>]]}}<br />
{{Image label|x=0.34|y=0.72|scale=300|text=[[三竿健斗|<span style="font-size: smaller; color: navy;">'''三竿(健)'''<br /># 20</span>]]}}<br />
{{Image label|x=0.60|y=0.72|scale=300|text=[[レオ・シルバ|<span style="font-size: smaller; color: navy;">'''レオ・シルバ'''<br /># 4</span>]]}}<br />
{{Image label|x=0.16|y=0.95|scale=300|text=[[遠藤康|<span style="font-size: smaller; color: navy;">'''遠藤'''<br /># 25</span>]]}}<br />
{{Image label|x=0.80|y=0.95|scale=300|text=[[安部裕葵|<span style="font-size: smaller; color: navy;">'''安部'''<br /># 30</span>]]}}<br />
{{Image label|x=0.34|y=1.16|scale=300|text=[[鈴木優磨|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''鈴木'''<br /># 9</span>]]}}<br />
{{Image label|x=0.62|y=1.16|scale=300|text=[[金崎夢生|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''金崎'''<br /># 10</span>]]}}<br />
</div><br />
{{Main|鹿島アントラーズの選手一覧}}<br />
[[ジーコ]]が所属していたこともあり、[[ブラジル]]のサッカー界とも強いパイプを持つ。Jリーグが開幕した[[1993年]]以降、所属した外国籍選手は「[[外国人枠 (サッカー)|アジア人枠]]」を利用して獲得した[[大韓民国|韓国]]人選手以外は全員ブラジル人選手である。[[ジョルジェ・デ・アモリン・カンポス|ジョルジーニョ]]や[[レオナルド・ナシメント・ジ・アラウージョ|レオナルド]]、[[ジョゼ・ロベルト・ガマ・デ・オリベイラ|ベベット]]など、サッカー王国ブラジルでも代表として活躍するなど一線級に値する選手たちが過去に鹿島でプレーした。<br />
<br />
=== 代表選手 ===<br />
これまで数多くの[[サッカー日本代表|日本代表]]選手を輩出している。<br />
<!-- トップチームおよびアカデミーチーム在籍時、主な国際大会に出場した選手のみを記述しています。 --><br />
{| class="wikitable collapsible collapsed" style="width:60%; font-size:smaller;"<br />
!colspan="3"|主な国際大会に出場した代表選手<br />
|-<br />
!colspan="3"|[[FIFAワールドカップ]]<br />
|-<br />
!大会!!代表チーム!!選手<br />
|-<br />
|align=center|{{Flagicon|FRA}} [[1998 FIFAワールドカップ|1998]]<br />
|{{Flagicon|JPN}} [[1998 FIFAワールドカップ日本代表|日本代表]]<br />
|[[秋田豊]]、[[相馬直樹]]、[[名良橋晃]]<br />
|-<br />
|align=center|{{Flagicon|JPN}}{{Flagicon|KOR}} [[2002 FIFAワールドカップ|2002]]<br />
|{{Flagicon|JPN}} [[2002 FIFAワールドカップ日本代表|日本代表]]<br />
|秋田豊、[[小笠原満男]]、[[鈴木隆行]]、[[曽ヶ端準]]、[[中田浩二 (サッカー選手)|中田浩二]]、[[柳沢敦]]<br />
|-<br />
|align=center|{{Flagicon|GER}} [[2006 FIFAワールドカップ|2006]]<br />
|{{Flagicon|JPN}} [[2006 FIFAワールドカップ日本代表|日本代表]]<br />
|小笠原満男、柳沢敦<br />
|-<br />
|align=center rowspan="2"|{{Flagicon|ZAF}} [[2010 FIFAワールドカップ|2010]]<br />
|{{Flagicon|JPN}} [[2010 FIFAワールドカップ日本代表|日本代表]]<br />
|[[岩政大樹]]、[[内田篤人]]<br />
|-<br />
|{{Flagicon|KOR}} [[サッカー韓国代表|韓国代表]]<br />
|[[李正秀]]<br />
|-<br />
|align=center|{{Flagicon|RUS}} [[2018 FIFAワールドカップ|2018]]<br />
|{{Flagicon|JPN}} [[2018 FIFAワールドカップ日本代表|日本代表]]<br />
|[[昌子源]]、[[植田直通]]<br />
|-<br />
!colspan="3"|[[FIFAコンフェデレーションズカップ]]<br />
|-<br />
!大会!!代表チーム!!選手<br />
|-<br />
|align=center|{{Flagicon|JPN}}{{Flagicon|KOR}} [[FIFAコンフェデレーションズカップ2001|2001]]<br />
|rowspan="3"|{{Flagicon|JPN}} [[サッカー日本代表|日本代表]]<br />
|鈴木隆行、中田浩二<br />
|-<br />
|align=center|{{Flagicon|FRA}} [[FIFAコンフェデレーションズカップ2003|2003]]<br />
|秋田豊、小笠原満男、中田浩二、名良橋晃<br />
|-<br />
|align=center|{{Flagicon|GER}} [[FIFAコンフェデレーションズカップ2005|2005]]<br />
|小笠原満男、鈴木隆行、中田浩二、[[本山雅志]]、柳沢敦<br />
|-<br />
!colspan="3"|[[FIFA U-20ワールドカップ]]<br />
|-<br />
!大会!!代表チーム!!選手<br />
|-<br />
|align=center|{{Flagicon|QAT}} [[1995 FIFAワールドユース選手権|1995]]<br />
|rowspan="5"|{{Flagicon|JPN}} [[U-20サッカー日本代表|U-20日本代表]]<br />
|[[熊谷浩二]]、[[森岡隆三]]<br />
|-<br />
|align=center|{{Flagicon|MAS}} [[1997 FIFAワールドユース選手権|1997]]<br />
|柳沢敦<br />
|-<br />
|align=center|{{Flagicon|NGA}} [[1999 FIFAワールドユース選手権|1999]]<br />
|小笠原満男、中田浩二、本山雅志<br />
|-<br />
|align=center|{{Flagicon|ARG}} [[2001 FIFAワールドユース選手権|2001]]<br />
|青木剛、[[羽田憲司]]<br />
|-<br />
|align=center|{{Flagicon|CAN}} [[2007 FIFA U-20ワールドカップ|2007]]<br />
|内田篤人<br />
|-<br />
!colspan="3"|[[FIFA U-17ワールドカップ]]<br />
|-<br />
!大会!!代表チーム!!選手<br />
|-<br />
|align=center|{{Flagicon|NGA}} [[2009 FIFA U-17ワールドカップ|2009]]<br />
|rowspan="2"|{{Flagicon|JPN}} [[U-17サッカー日本代表|U-17日本代表]]<br />
|神田圭介(ユース)<br />
|-<br />
|align=center|{{Flagicon|MEX}} [[2011 FIFA U-17ワールドカップ|2011]]<br />
|[[鈴木隆雅]](ユース)<br />
|-<br />
!colspan="3"|[[オリンピックサッカー競技|オリンピック]]<br />
|-<br />
!大会!!代表チーム!!選手<br />
|-<br />
|align=center|{{Flagicon|AUS}} [[シドニーオリンピックにおけるサッカー競技|2000]]<br />
|rowspan="5"|{{Flagicon|JPN}} [[オリンピックサッカー日本代表選手|五輪日本代表]]<br />
|中田浩二、[[平瀬智行]]、本山雅志、柳沢敦<br />
|-<br />
|align=center|{{Flagicon|GRE}} [[アテネオリンピック (2004年) におけるサッカー競技|2004]]<br />
|曽ヶ端準 ([[オーバーエイジ#夏季オリンピック男子サッカーの日本代表オーバーエイジ枠|OA]])<br />
|-<br />
|align=center|{{Flagicon|CHN}} [[北京オリンピックにおけるサッカー競技|2008]]<br />
|内田篤人<br />
|-<br />
|align=center|{{Flagicon|GBR}} [[ロンドンオリンピック (2012年) におけるサッカー競技|2012]]<br />
|[[山村和也]]<br />
|-<br />
|align=center|{{Flagicon|BRA}} [[リオデジャネイロオリンピックにおけるサッカー競技|2016]]<br />
|植田直通、[[櫛引政敏]]<br />
|-<br />
!colspan="3"|[[AFCアジアカップ]]<br />
|-<br />
!大会!!代表チーム!!選手<br />
|-<br />
|align=center|{{Flagicon|UAE}} [[AFCアジアカップ1996|1996]]<br />
|rowspan="5"|{{Flagicon|JPN}} [[サッカー日本代表|日本代表]]<br />
|秋田豊、相馬直樹、[[本田泰人]]<br />
|-<br />
|align=center|{{Flagicon|LBN}} [[AFCアジアカップ2000|2000]]<br />
|[[高桑大二朗]]、柳沢敦<br />
|-<br />
|align=center|{{Flagicon|CHN}} [[AFCアジアカップ2004|2004]]<br />
|小笠原満男、鈴木隆行、中田浩二、本山雅志<br />
|-<br />
|align=center|{{Flagicon|QAT}} [[AFCアジアカップ2011|2011]]<br />
|[[伊野波雅彦]]、岩政大樹<br />
|-<br />
|align=center|{{Flagicon|AUS}} [[AFCアジアカップ2015|2015]]<br />
|植田直通、[[柴崎岳]]、昌子源<br />
|-<br />
!colspan="3"|[[コパ・アメリカ]]<br />
|-<br />
!大会!!代表チーム!!選手<br />
|-<br />
|align=center|{{Flagicon|URU}} [[コパ・アメリカ1995|1995]]<br />
|{{Flagicon|BRA}} [[サッカーブラジル代表|ブラジル代表]]<br />
|[[ジョルジェ・デ・アモリン・カンポス|ジョルジーニョ]]、[[レオナルド・ナシメント・ジ・アラウージョ|レオナルド]]<br />
|-<br />
|align=center|{{Flagicon|PAR}} [[コパ・アメリカ1999|1999]]<br />
|{{Flagicon|JPN}} [[サッカー日本代表|日本代表]]<br />
|秋田豊、相馬直樹<br />
|-<br />
!colspan="3"|[[アジア競技大会サッカー競技|アジア競技大会]]<br />
|-<br />
!大会!!代表チーム!!選手<br />
|-<br />
|align=center|{{Flagicon|JPN}} [[1994年アジア競技大会におけるサッカー競技|1994]]<br />
|{{Flagicon|JPN}} [[サッカー日本代表|日本代表]]<br />
|秋田豊<br />
|-<br />
|align=center|{{Flagicon|KOR}} [[2002年アジア競技大会におけるサッカー競技|2002]]<br />
|rowspan="4"|{{Flagicon|JPN}} [[オリンピックサッカー日本代表選手|五輪日本代表]]<br />
|[[青木剛]]、[[野沢拓也]]<br />
|-<br />
|align=center|{{Flagicon|QAT}} [[2006年アジア競技大会におけるサッカー競技|2006]]<br />
|[[増田誓志]]<br />
|-<br />
|align=center|{{Flagicon|CHN}} [[2010年アジア競技大会におけるサッカー競技|2010]]<br />
|[[當間建文]]<br />
|-<br />
|align=center|{{Flagicon|KOR}} [[2014年アジア競技大会におけるサッカー競技|2014]]<br />
|植田直通<br />
|-<br />
!colspan="3"|[[東アジアカップ|EAFF E-1フットボールチャンピオンシップ]]<br />
|-<br />
!大会!!代表チーム!!選手<br />
|-<br />
|align=center|{{Flagicon|JPN}} [[東アジアサッカー選手権2003|2003]]<br />
|rowspan="7"|{{Flagicon|JPN}} [[サッカー日本代表|日本代表]]<br />
|小笠原満男、本山雅志<br />
|-<br />
|align=center|{{Flagicon|KOR}} [[東アジアサッカー選手権2005|2005]]<br />
|小笠原満男、本山雅志<br />
|-<br />
|align=center|{{Flagicon|CHN}} [[東アジアサッカー選手権2008|2008]]<br />
|岩政大樹、内田篤人、[[田代有三]]<br />
|-<br />
|align=center|{{Flagicon|JPN}} [[東アジアサッカー選手権2010|2010]]<br />
|岩政大樹、内田篤人、小笠原満男<br />
|-<br />
|align=center|{{Flagicon|KOR}} [[東アジアカップ2013|2013]]<br />
|[[大迫勇也]]<br />
|-<br />
|align=center|{{Flagicon|CHN}} [[東アジアカップ2015|2015]]<br />
|柴崎岳<br />
|-<br />
|align=center|{{Flagicon|JPN}} [[EAFF E-1フットボールチャンピオンシップ2017|2017]]<br />
|[[山本脩斗]]、昌子源、植田直通、[[三竿健斗]]、[[金崎夢生]]、[[土居聖真]]<br />
|}<br />
<br />
=== アントラーズ功労賞 ===<br />
クラブの発展に貢献した人物を顕彰するために設けられた賞である。[[カシマサッカーミュージアム]]の中にある「THE HALL OF LEGEND」にて記念される。現役選手および鹿島で在任中のスタッフは選考から外される。<br />
{| class="wikitable" style="font-size:smaller;"<br />
!受賞年!!受賞者<br />
|-<br />
!2009年<br />
|[[秋田豊]]、[[黒崎久志]]、[[ジーコ]]、[[ジョルジェ・デ・アモリン・カンポス|ジョルジーニョ]]、[[相馬直樹]]、[[トニーニョ・セレーゾ]]<br />[[名良橋晃]]、[[長谷川祥之]]、[[ビスマルク・バレット・ファリア|ビスマルク]]、[[本田泰人]]、[[宮本征勝]]<br />
|-<br />
!2011年<br />
|[[オズワルド・オリヴェイラ]]<br />
|-<br />
!2013年<br />
|[[アルシンド・サルトーリ|アルシンド]]<br />
|-<br />
!2014年<br />
|[[ダニー石尾]]<br />
|-<br />
!2015年<br />
|[[新井場徹]]、[[中田浩二 (サッカー選手)|中田浩二]]、[[柳沢敦]]<br />
|}<br />
<br />
== 成績と歴代監督 ==<br />
=== 国内試合 ===<br />
{{main|鹿島アントラーズの年度別成績一覧}}<br />
[[トレブル (サッカー)|国内3大タイトル]]([[J1リーグ]]、[[Jリーグカップ]]、[[天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会|天皇杯]])の優勝回数は全て最多である。<br />
<br />
=== 国際試合 ===<br />
{{main|鹿島アントラーズの年度別成績一覧#国際試合}}<br />
国際大会で獲得したタイトルは、[[A3チャンピオンズカップ]](2003年)と[[スルガ銀行チャンピオンシップ]](2012年、2013年)の2大会である。<br />
<br />
=== 監督 ===<br />
前述の外国籍選手と同様、外国籍監督も全員ブラジル人であり、ジーコの兄である[[エドゥアルド・アントゥネス・コインブラ|エドゥー]]や、ジーコと共に[[ブラジル代表]]の「黄金の中盤([[黄金のカルテット]])」として活躍した一人である[[トニーニョ・セレーゾ]]などがこのチームを指揮を執っている。なお、2017年現在までの日本人正監督は初代の監督である[[宮本征勝]]と2015年途中に就任した[[石井正忠]]、2017年途中に就任した[[大岩剛]]の三人のみで、その他の正監督は全員ブラジル人である。<br />
{| class="sortable wikitable" style="font-size:smaller; text-align:right"<br />
!colspan="14"|鹿島アントラーズ歴代監督<br />
|-<br />
!class="unsortable"|監督<br />
!class="unsortable"|期間<br />
![[J1リーグ|J<br />/<br />J1]]<br />
![[Jリーグカップ|ル<br />ヴ<br />ァ<br />ン<br />杯]]<br />
![[天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会|天<br />皇<br />杯]]<br />
![[FUJI XEROX SUPER CUP|F<br />X<br />S<br />C]]<br />
!国<br>内<br />
![[FIFAクラブワールドカップ|C<br />W<br />C]]<br />
![[AFCチャンピオンズリーグ|A<br />C<br />L]]<br />
![[スルガ銀行チャンピオンシップ|S<br />B<br />C<br />S]]<br />
![[A3チャンピオンズカップ|A<br />3<br />C]]<br />
!国<br>際<br />
!合<br>計<br />
!class="unsortable"|備考<br />
|-<br />
|style="text-align: left;"|{{Flagicon|JPN}} [[宮本征勝]]||style="text-align: left;"|1992年 - 1994年6月||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||<br />
|-<br />
|style="text-align: left;"|{{Flagicon|BRA}} [[エドゥアルド・アントゥネス・コインブラ|エドゥー]]||style="text-align: left;"|1994年6月 - 1995年||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||<br />
|-<br />
|style="text-align: left;"|{{Flagicon|BRA}} [[ジョアン・カルロス・ダ・シウバ・コスタ|ジョアン・カルロス]]||style="text-align: left;"|1996年 - 1998年7月||1||1||1||'''2'''||5||0||0||0||0||0||5||<br />
|-<br />
|style="text-align: left;"|{{Flagicon|JPN}} [[関塚隆]]||style="text-align: left;"|1998年7月、1999年8月||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||監督代行<br />
|-<br />
|style="text-align: left;"|{{Flagicon|BRA}} [[ジョゼ・マリオ・ジ・アウメイダ・バロス|ゼ・マリオ]]||style="text-align: left;"|1998年8月 - 1999年8月||1||0||0||1||2||0||0||0||0||0||2||<br />
|-<br />
|style="text-align: left;"|{{Flagicon|BRA}} [[ジーコ]]||style="text-align: left;"|1999年8月 - 12月||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||監督代行<br />
|-<br />
|style="text-align: left;"|{{Flagicon|BRA}} [[トニーニョ・セレーゾ]]||style="text-align: left;"|2000年 - 2005年、2013年 - 2015年7月||2||'''2'''||1||0||5||0||0||'''1'''||'''1'''||'''2'''||7||<br />
|-<br />
|style="text-align: left;"|{{Flagicon|BRA}} [[パウロ・アウトゥオリ]]||style="text-align: left;"|2006年||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||<br />
|-<br />
|style="text-align: left;"|{{Flagicon|BRA}} [[オズワルド・オリヴェイラ]]||style="text-align: left;"|2007年 - 2011年||'''3'''||1||'''2'''||'''2'''||'''8'''||0||0||0||0||0||'''8'''||<br />
|-<br />
|style="text-align: left;"|{{Flagicon|BRA}} [[ジョルジェ・デ・アモリン・カンポス|ジョルジーニョ]]||style="text-align: left;"|2012年||0||1||0||0||1||0||0||'''1'''||0||1||2||<br />
|-<br />
|style="text-align: left;"|{{Flagicon|JPN}} [[石井正忠]]||style="text-align: left;"|2015年7月 - 2017年5月||1||1||1||1||4||0||0||0||0||0||4||<br />
|-<br />
|style="text-align: left;"|{{Flagicon|JPN}} [[大岩剛]]||style="text-align: left;"|2017年5月 - ||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||<br />
|}<br />
<br />
== ダービーマッチ ==<br />
* '''[[茨城ダービー]]'''<br />
** vs[[水戸ホーリーホック]]<br />
*** [[茨城県]]のJリーグクラブ同士の対戦。初の公式戦は2004年11月13日(茨城県民の日)の天皇杯4回戦で、水戸のホームである[[笠松運動公園陸上競技場]]で対戦し、13,393人が来場した。また、2005年に提携を結び、[[いばらきサッカーフェスティバル]]([[プレシーズンマッチ]])としてシーズン開幕前に対戦している。<br />
<br />
== タイトル ==<br />
=== 国内タイトル ===<br />
* '''[[J1リーグ]]:8回'''<br />
** [[1996年のJリーグ|1996]], [[1998年のJリーグ|1998]], [[2000年のJリーグ ディビジョン1|2000]], [[2001年のJリーグ ディビジョン1|2001]], [[2007年のJリーグ ディビジョン1|2007]], [[2008年のJリーグ ディビジョン1|2008]], [[2009年のJリーグ ディビジョン1|2009]], [[2016年のJ1リーグ|2016]]<br />
::* '''[[J1リーグ#開催方式|1stステージ]]:3回'''<br />
:::* [[1993年のJリーグ|1993]], [[1997年のJリーグ|1997]], [[2016年のJ1リーグ|2016]]<br />
::* '''[[J1リーグ#開催方式|2ndステージ]]:3回'''<br />
:::* [[1998年のJリーグ|1998]], [[2000年のJリーグ ディビジョン1|2000]], [[2001年のJリーグ ディビジョン1|2001]]<br />
* '''[[Jリーグカップ]]:6回'''<br />
** [[1997年のJリーグカップ|1997]], [[2000年のJリーグカップ|2000]], [[2002年のJリーグカップ|2002]], [[2011年のJリーグカップ|2011]], [[2012年のJリーグカップ|2012]], [[2015年のJリーグカップ|2015]]<br />
* '''[[天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会|天皇杯全日本サッカー選手権大会]]:5回'''<br />
** [[第77回天皇杯全日本サッカー選手権大会|1997]], [[第80回天皇杯全日本サッカー選手権大会|2000]], [[第87回天皇杯全日本サッカー選手権大会|2007]], [[第90回天皇杯全日本サッカー選手権大会|2010]], [[第96回天皇杯全日本サッカー選手権大会|2016]]<br />
* '''[[FUJI XEROX SUPER CUP]]:6回'''<br />
** 1997, 1998, 1999, 2009, 2010, [[FUJI XEROX SUPER CUP2017|2017]]<br />
<br />
=== 国際タイトル ===<br />
<br />
* '''[[A3チャンピオンズカップ]]:1回'''<br />
** [[A3チャンピオンズカップ2003|2003]]<br />
* '''[[スルガ銀行チャンピオンシップ]]:2回'''<br />
** [[スルガ銀行チャンピオンシップ2012|2012]], [[スルガ銀行チャンピオンシップ2013|2013]]<br />
<br />
=== 表彰 ===<br />
; [[Jリーグアウォーズ|Jリーグ]]<br />
* '''[[Jリーグアウォーズ#最優秀選手賞|最優秀選手賞]]'''<br />
** 1996年 {{Flagicon|BRA}} [[ジョルジェ・デ・アモリン・カンポス|ジョルジーニョ]]<br />
** 2008年 {{Flagicon|BRA}} [[マルコス・ゴメス・デ・アラウージョ|マルキーニョス]]<br />
** 2009年 {{Flagicon|JPN}} [[小笠原満男]]<br />
* '''[[Jリーグベストイレブン|ベストイレブン]]'''<br />
** 1993年 {{Flagicon|JPN}} [[大野俊三 (サッカー選手)|大野俊三]]、{{Flagicon|BRA}} [[カルロス・アルベルト・ソーザ・ドス・サントス|サントス]]、{{Flagicon|JPN}} [[本田泰人]]<br />
** 1995年 {{Flagicon|JPN}} [[相馬直樹]]<br />
** 1996年 {{Flagicon|JPN}} 相馬直樹、{{Flagicon|BRA}} ジョルジーニョ<br />
** 1997年 {{Flagicon|JPN}} 相馬直樹、{{Flagicon|JPN}} [[秋田豊]]、{{Flagicon|BRA}} [[ビスマルク・バレット・ファリア|ビスマルク]]<br />
** 1998年 {{Flagicon|JPN}} 相馬直樹、{{Flagicon|JPN}} 秋田豊、{{Flagicon|JPN}} [[柳沢敦]]<br />
** 2000年 {{Flagicon|JPN}} [[高桑大二朗]]、{{Flagicon|JPN}} 秋田豊<br />
** 2001年 {{Flagicon|JPN}} 秋田豊、{{Flagicon|JPN}} [[名良橋晃]]、{{Flagicon|JPN}} 小笠原満男、{{Flagicon|JPN}} [[中田浩二 (サッカー選手)|中田浩二]]、{{Flagicon|JPN}} 柳沢敦<br />
** 2002年 {{Flagicon|JPN}} [[曽ヶ端準]]、{{Flagicon|JPN}} 小笠原満男<br />
** 2003年 {{Flagicon|JPN}} 小笠原満男<br />
** 2004年 {{Flagicon|JPN}} 小笠原満男<br />
** 2005年 {{Flagicon|JPN}} 小笠原満男<br />
** 2007年 {{Flagicon|JPN}} [[岩政大樹]]<br />
** 2008年 {{Flagicon|JPN}} [[内田篤人]]、{{Flagicon|JPN}} 岩政大樹、{{Flagicon|BRA}} マルキーニョス<br />
** 2009年 {{Flagicon|JPN}} 岩政大樹、{{Flagicon|JPN}} 内田篤人、{{Flagicon|JPN}} 小笠原満男<br />
** 2013年 {{Flagicon|JPN}} [[大迫勇也]]<br />
** 2014年 {{Flagicon|JPN}} [[柴崎岳]]<br />
** 2015年 {{Flagicon|JPN}} [[金崎夢生]]<br />
** 2016年 {{Flagicon|JPN}} [[昌子源]]<br />
** 2017年 {{Flagicon|JPN}} 昌子源、[[西大伍]]<br />
* '''[[Jリーグアウォーズ#得点王|得点王]]'''<br />
** 2008年 {{Flagicon|BRA}} マルキーニョス<br />
* '''[[Jリーグアウォーズ#最優秀ゴール賞|最優秀ゴール賞]]'''<br />
** 2014年 {{Flagicon|JPN}} [[西大伍]]<br />
* '''[[Jリーグアウォーズ#ベストヤングプレーヤー賞|ベストヤングプレーヤー賞]]'''<br />
** 1997年 {{Flagicon|JPN}} 柳沢敦<br />
** 2012年 {{Flagicon|JPN}} 柴崎岳<br />
** 2014年 {{Flagicon|BRA}} [[カイオ・ルーカス・フェルナンデス|カイオ]]<br />
* '''[[Jリーグアウォーズ#最優秀監督賞|最優秀監督賞]]'''<br />
** 1997年 {{Flagicon|BRA}} [[ジョアン・カルロス・ダ・シウバ・コスタ|ジョアン・カルロス]]<br />
** 2007年 {{Flagicon|BRA}} [[オズワルド・オリヴェイラ]]<br />
** 2008年 {{Flagicon|BRA}} オズワルド・オリヴェイラ<br />
** 2009年 {{Flagicon|BRA}} オズワルド・オリヴェイラ<br />
** 2016年 {{Flagicon|JPN}} [[石井正忠]]<br />
* '''[[Jリーグアウォーズ#フェアプレー賞 (J1)|フェアプレー賞 (J1)]]'''<br />
** 2016年<br />
* '''[[Jリーグアウォーズ#フェアプレー個人賞|フェアプレー個人賞]]'''<br />
** 1998年 {{Flagicon|JPN}} 相馬直樹<br />
** 2003年 {{Flagicon|JPN}} 曽ヶ端準<br />
* '''[[Jリーグアウォーズ#功労選手賞|功労選手賞]]'''<br />
** 2002年 {{Flagicon|BRA}} サントス<br />
** 2005年 {{Flagicon|BRA}} ビスマルク<br />
** 2006年 {{Flagicon|JPN}} 相馬直樹<br />
** 2007年 {{Flagicon|JPN}} 本田泰人<br />
** 2008年 {{Flagicon|JPN}} 秋田豊、{{Flagicon|JPN}} 名良橋晃、{{Flagicon|JPN}} 黒崎久志<br />
** 2009年 {{Flagicon|JPN}} [[森岡隆三]]<br />
** 2014年 {{Flagicon|BRA}} [[カルロス・アルベルト・カルヴァリョ・ドス・アンジョス・ジュニオル|ジュニーニョ]]<br />
** 2015年 {{Flagicon|JPN}} 柳沢敦、{{Flagicon|JPN}} 中田浩二、{{Flagicon|JPN}} [[新井場徹]]<br />
* '''[[Jリーグアウォーズ#ベストピッチ賞|ベストピッチ賞]]'''<br />
** 2003年 カシマサッカースタジアム<br />
* '''優勝監督賞(1995-2003)'''<br />
** 1996年 {{Flagicon|BRA}} [[ジョアン・カルロス・ダ・シウバ・コスタ|ジョアン・カルロス]]<br />
** 1998年 {{Flagicon|BRA}} [[ジョゼ・マリオ・ジ・アウメイダ・バロス|ゼ・マリオ]]<br />
** 2000年 {{Flagicon|BRA}} [[トニーニョ・セレーゾ]]<br />
** 2001年 {{Flagicon|BRA}} [[トニーニョ・セレーゾ]]<br />
* '''チェアマン感謝状(1994-1995)'''<br />
** 1994年 {{Flagicon|BRA}} [[ジーコ]]<br />
; [[Jリーグカップ]]<br />
* '''[[Jリーグカップ#最優秀選手賞|最優秀選手賞]]'''<br />
** 1997年 {{Flagicon|BRA}} ジョルジーニョ<br />
** 2000年 {{Flagicon|JPN}} 中田浩二<br />
** 2002年 {{Flagicon|JPN}} 小笠原満男<br />
** 2011年 {{Flagicon|JPN}} 大迫勇也<br />
** 2012年 {{Flagicon|JPN}} 柴崎岳<br />
** 2015年 {{Flagicon|JPN}} 小笠原満男<br />
* '''[[Jリーグカップ#ニューヒーロー賞|ニューヒーロー賞]]'''<br />
** 2000年 {{Flagicon|JPN}} [[鈴木隆行]]<br />
** 2001年 {{Flagicon|JPN}} 曽ヶ端準<br />
** 2015年 {{Flagicon|JPN}} [[赤崎秀平]]<br />
<br />
=== その他受賞 ===<br />
* '''[[内閣総理大臣顕彰]]'''<br />
** 1994年 {{Flagicon|BRA}} ジーコ<br />
* '''[[日本年間最優秀選手賞]]'''<br />
** 2001年 {{Flagicon|JPN}} 柳沢敦<br />
** 2009年 {{Flagicon|JPN}} 小笠原満男<br />
* '''茨城県県民栄誉賞'''<br />
** 2001年<br />
** 2008年<br />
* '''茨城県特別功労賞'''<br />
** 1994年<br />
** 1997年 {{Flagicon|JPN}} [[鈴木昌 (経営者)|鈴木昌]]<br />
** 2002年 {{Flagicon|JPN}} 曽ケ端準、{{Flagicon|JPN}} 秋田豊、{{Flagicon|JPN}} 中田浩二、{{Flagicon|JPN}} 小笠原満男、{{Flagicon|JPN}} 鈴木隆行、{{Flagicon|JPN}} 柳沢敦<br />
** 2010年 {{Flagicon|JPN}} [[大東和美]]<br />
* '''[[いばらきイメージアップ大賞]]'''<br />
** 2009年<br />
** 2017年<br />
* '''鹿嶋市特別功労賞'''<br />
** 2008年<br />
** 2017年<br />
* '''[[クールビズ]]・オブ・ザ・イヤー'''<br />
** 2009年<br />
* '''[[日本プロスポーツ大賞]]特別賞'''<br />
** 2009年<br />
* '''[[FIFAクラブワールドカップ]]フェアプレー賞'''<br />
** 2016年<br />
* '''[[報知プロスポーツ大賞]]'''<br />
** 1999年 {{Flagicon|JPN}} [[平瀬智行]]<br />
** 2001年 {{Flagicon|JPN}} 柳沢敦<br />
<br />
== クラブ記録 ==<br />
{|class="wikitable" style="font-size:smaller;"<br />
!colspan="2"|記録名!!記録!!試合!!備考<br />
|-<br />
!連続無敗記録!!J1<br />
|align=center|17試合|||2009年 第3節 広島戦(カシマ)- 2009年 第19節 柏戦(カシマ)||<br />
|-<br />
!連勝記録!!J1<br />
|align=center|16連勝||1998年 2nd第5節 福岡戦(博多球)- 1999年 1st第3節 広島戦(国立)||リーグ最高記録(2013年時点)<br />
|-<br />
!連敗記録!!J1<br />
|align=center|8連敗||1999年 1st第13節 浦和戦(国立)- 1999年 2nd第4節 C大阪戦(カシマ)||<br />
|-<br />
!rowspan="7"|最多得点試合!!rowspan="3"|J1<br />
|align=center|7 - 0||1997年8月9日 2nd第4節 名古屋戦(カシマ)||<br />
|-<br />
|align=center|7 - 2||2005年8月24日 第20節 新潟戦(カシマ)||<br />
|-<br />
|align=center|7 - 0||2012年5月19日 第12節 札幌戦(カシマ)||<br />
|-<br />
!rowspan="2"|Jリーグ杯<br />
|align=center|7 - 1||1992年10月3日 GL第7節 名古屋戦(瑞穂球)||<br />
|-<br />
|align=center|7 - 0||1997年10月18日 準々決勝第2戦 札幌戦(カシマ)||<br />
|-<br />
!天皇杯<br />
|align=center|8 - 1||1992年12月5日 1回戦 新日鐵八幡戦(愛媛)||<br />
|-<br />
!国際大会<br />
|align=center|16 - 0||1999年10月23日 ACC 2回戦 バレンシア戦(ひたちなか)||クラブ最多得点記録<br />
|-<br />
!rowspan="13"|最多失点試合!!J1<br />
|align=center|0 - 7||1995年5月3日 1st第13節 平塚戦(平塚)||クラブ最多失点記録<br />
|-<br />
!rowspan="6"|Jリーグ杯<br />
|align=center|3 - 4||1992年9月23日 GL第5節 横浜M戦(国立)||<br />
|-<br />
|align=center|1 - 4||1992年9月26日 GL第6節 清水戦(笠松)||<br />
|-<br />
|align=center|2 - 4||1997年3月8日 GL第1節 C大阪戦(カシマ)||<br />
|-<br />
|align=center|0 - 4||2003年11月3日 決勝 浦和戦(国立)|| <br />
|-<br />
|align=center|2 - 4||2013年3月23日 GL第2節 対F東京戦(カシマ)||<br />
|-<br />
|align=center|1 - 4||2016年3月27日 GS第2節 対神戸戦 (ノエスタ) ||<br />
|-<br />
!天皇杯<br />
|align=center|2 - 6||1994年1月1日 決勝 横浜F戦(国立)||<br />
|-<br />
!rowspan="5"|国際大会<br />
|align=center|1 - 4||1999年4月16日 ACWC 準決勝 全南戦(国立)||<br />
|-<br />
|align=center|3 - 4||2003年3月12日 ACL GL第2節 上海申花戦(スパチャラサイ)||<br />
|-<br />
|align=center|1 - 4||2009年3月11日 ACL GL第1節 水原三星戦(水原)||<br />
|-<br />
|align=center|3 - 4||2015年3月18日 ACL GL第3節 広州恒大戦 (天河) ||<br />
|-<br />
|align=center|2 - 4||2016年12月18日 FCWC 決勝 レアル・マドリード (横浜国際) ||<br />
|-<br />
!最少被シュート数!!J1<br />
|align=center|0本||2009年11月8日 第31節 山形戦(カシマ)||リーグ初記録<br />
|}<br />
<br />
=== 通算勝利数 ===<br />
{|class="wikitable" style="font-size:smaller;"<br />
|-<br />
!colspan="3"|J1リーグ戦通算勝利数<br />
|-<br />
!通算勝利!!試合!!備考<br />
|-<br />
!初勝利<br />
|1993年5月16日 サントリー第1節 名古屋戦(カシマ)||<br />
|-<br />
!100勝<br />
|1997年4月12日 1st第1節 神戸戦(カシマ)||<br />
|-<br />
!200勝<br />
|2001年11月17日 1st第14節 東京V戦(カシマ)||リーグ最速達成<br />
|-<br />
!300勝<br />
|2007年11月24日 第33節 浦和戦(埼玉)||リーグ最速達成<br />
|-<br />
!400勝<br />
|2014年3月8日 第2節 仙台戦(カシマ)||リーグ最速達成<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
=== 通算得点 ===<br />
{|class="wikitable" style="font-size:smaller;"<br />
|-<br />
!colspan="5"|公式戦通算得点<br />
|-<br />
!通算得点!!試合!!選手名!!備考<br />
|-<br />
!初得点<br />
|1992年9月5日 ナビスコ杯 GL第1節 横浜F戦(笠松)||{{Flagicon|JPN}} [[入井和久]]||<br />
|-<br />
!500得点<br />
|1997年9月27日 J 2nd第15節 横浜M戦(カシマ)||{{Flagicon|JPN}} [[室井市衛]]||<br />
|-<br />
!1000得点<br />
|2002年12月15日 天皇杯 3回戦 東京学芸大戦(カシマ)||{{Flagicon|BRA}} [[アウグスト・ペドロ・デ・ソウザ|アウグスト]]||<br />
|-<br />
!1500得点<br />
|2009年4月22日 ACL GL第4戦 SAFFC戦(カシマ)||{{Flagicon|JPN}} [[野沢拓也]]||<br />
|-<br />
!2000得点<br />
|2015年7月25日 J1 2nd第4節 F東京戦 (カシマ) ||{{Flagicon|JPN}} [[昌子源]]||<br />
|-<br />
!colspan="4"|J1リーグ戦通算得点<br />
|-<br />
!通算得点!!試合!!選手名!!備考<br />
|-<br />
!初得点<br />
|1993年5月16日 サントリー第1節 名古屋戦(カシマ)||{{Flagicon|BRA}} [[ジーコ]]||<br />
|-<br />
!100得点<br />
|1994年5月18日 サントリー第17節 名古屋戦(カシマ)||{{Flagicon|BRA}} [[カルロス・アルベルト・ソーザ・ドス・サントス|サントス]]||<br />
|-<br />
!200得点<br />
|1995年8月16日 ニコス第2節 磐田戦(磐田)||{{Flagicon|JPN}} [[黒崎久志|黒崎比差支]]||<br />
|-<br />
!300得点<br />
|1996年10月30日 第27節 磐田戦(カシマ)||{{Flagicon|BRA}} [[バルデマール・アウレリアーノ・デ・オリベイラ・フィリョ|マジーニョ]]||<br />
|-<br />
!400得点<br />
|1998年4月11日 1st第5節 柏戦(国立)||{{Flagicon|JPN}} [[眞中靖夫]]||<br />
|-<br />
!500得点<br />
|1999年9月23日 2nd第10節 市原戦(国立)||{{Flagicon|JPN}} [[長谷川祥之]]||リーグ最速達成<br />
|-<br />
!600得点<br />
|2001年9月29日 2nd第7節 名古屋戦(カシマ)||{{Flagicon|JPN}} [[中田浩二 (サッカー選手)|中田浩二]]||リーグ最速達成<br />
|-<br />
!700得点<br />
|2003年10月18日 2nd第10節 清水戦(カシマ)||{{Flagicon|JPN}} [[相馬直樹]]||リーグ最速達成<br />
|-<br />
!800得点<br />
|2005年10月1日 第26節 千葉戦(カシマ)||{{Flagicon|BRA}} [[アレシャンデル・ペレイラ・カルドーゾ|アレックス・ミネイロ]]||リーグ最速達成<br />
|-<br />
!900得点<br />
|2007年8月12日 第19節 甲府戦(小瀬)||{{Flagicon|JPN}} 野沢拓也||リーグ最速達成<br />
|-<br />
!1000得点<br />
|2009年4月29日 第8節 神戸戦(カシマ)||{{Flagicon|JPN}} [[岩政大樹]]||リーグ最速達成<br />
|-<br />
!1100得点<br />
|2011年5月21日 第12節 浦和戦(埼玉)||{{Flagicon|JPN}} [[増田誓志]]||リーグ最速達成<br />
|-<br />
!1200得点<br />
|2013年4月6日 第5節 C大阪戦(カシマ)||{{Flagicon|JPN}} [[遠藤康]]||<br />
|-<br />
!1300得点<br />
|2014年9月23日 第25節 仙台戦(ユアスタ)||{{Flagicon|JPN}} [[土居聖真]]||リーグ最速達成<br />
|-<br />
!1400得点<br />
|2016年6月11日 1st第15節 浦和戦(埼玉)||{{Flagicon|JPN}} [[鈴木優磨]]||リーグ最速達成<br />
|-<br />
!1500得点<br />
|2018年7月22日 第17節 柏戦 (カシマ) ||{{Flagicon|JPN}} 土居聖真||リーグ最速達成<br />
|-<br />
!colspan="4"|Jリーグ杯通算得点<br />
|-<br />
!通算得点!!試合!!選手名!!備考<br />
|-<br />
!初得点<br />
|1992年9月5日 GL第1節 横浜F戦(笠松)||{{Flagicon|JPN}} 入井和久||<br />
|-<br />
!100得点<br />
|1999年6月19日 2回戦第2戦 G大阪戦(秋田陸)||{{Flagicon|JPN}} 長谷川祥之||<br />
|-<br />
!200得点<br />
|2007年10月13日 準決勝第2戦 G大阪戦(カシマ)||{{Flagicon|JPN}} [[本山雅志]]||<br />
|-<br />
!colspan="4"|天皇杯通算得点<br />
|-<br />
!通算得点!!試合!!選手名!!備考<br />
|-<br />
!初得点<br />
|1992年12月5日 1回戦 新日鐵八幡(愛媛陸)||{{Flagicon|JPN}} 長谷川祥之||<br />
|-<br />
!100得点<br />
|2002年12月28日 準決勝 市原戦(長居)||{{Flagicon|BRA}} [[エウレル・エリアス・デ・カルバーリョ|エウレル]]||<br />
|-<br />
!200得点<br />
|2015年9月9日 2回戦 琉球戦 (カシマ) ||{{Flagicon|JPN}} [[杉本太郎]]||<br />
|}<br />
<br />
== 個人記録 ==<br />
{|class="wikitable" style="font-size:smaller;"<br />
!colspan="2"|記録名!!選手名!!記録!!試合!!備考<br />
|-<br />
!最年少出場!!J1<br />
|{{Flagicon|JPN}} [[野沢拓也]]||align=center|17歳7ヶ月29日||1999年4月10日 1st第6節 京都戦||<br />
|-<br />
!最年長出場!!J1<br />
|{{Flagicon|BRA}} [[ジーコ]]||align=center|41歳3ヶ月12日||1994年6月15日 サントリー第22節 磐田戦||<br />
|-<br />
!最年少得点!!J1<br />
|{{Flagicon|JPN}} [[内田篤人]]||align=center|17歳11ヶ月22日||2006年3月21日 第4節 甲府戦||<br />
|-<br />
!最年長得点!!J1<br />
|{{Flagicon|BRA}} ジーコ||align=center|41歳3ヶ月12日||1994年6月15日 サントリー第22節 磐田戦||<br />
|-<br />
!連続試合得点!!J1<br />
|{{Flagicon|BRA}} [[マルコス・ゴメス・デ・アラウージョ|マルキーニョス]]||align=center|7試合||2008年8月16日 第21節 東京V戦 - 10月1日 第26節 大宮戦||<br />
|-<br />
!シーズン連続得点!!J1<br />
|{{Flagicon|JPN}} [[小笠原満男]]||align=center|17シーズン||1999年 - 2015年||<br />
|-<br />
!シーズン最多得点!!J1<br />
|{{Flagicon|BRA}} [[アルシンド・サルトーリ|アルシンド]]||align=center|28得点||1994年||<br />
|-<br />
!リーグ得点王!!J1<br />
|{{Flagicon|BRA}} マルキーニョス||align=center|21得点||2008年||<br />
|}<br />
<br />
=== ハットトリック ===<br />
{|class="wikitable" style="font-size:smaller;"<br />
!colspan="2"|記録名!!選手名!!試合!!備考<br />
|-<br />
!rowspan="15"|J1!!4得点<br />
|{{Flagicon|JPN}} [[柳沢敦]]||1998年4月4日 1st第4節 京都戦||<br />
|-<br />
!rowspan="14"|3得点<br />
|{{Flagicon|BRA}} ジーコ||1993年5月16日 サントリー第1節 名古屋戦(Jリーグ開幕戦)||リーグ初記録<br />
|-<br />
|{{Flagicon|BRA}} アルシンド||1993年6月19日 サントリー第11節 名古屋戦||<br />
|-<br />
|{{Flagicon|JPN}} [[長谷川祥之]]||1995年8月26日 NICOS第5節 G大阪戦||<br />
|-<br />
|{{Flagicon|BRA}} [[バルデマール・アウレリアーノ・デ・オリベイラ・フィリョ|マジーニョ]]||1997年4月12日 1st第1節 神戸戦||<br />
|-<br />
|{{Flagicon|JPN}} 長谷川祥之||1997年9月20日 2nd第13節 平塚戦||<br />
|-<br />
|{{Flagicon|JPN}} 柳沢敦||1998年5月5日 1st第11節 磐田戦||<br />
|-<br />
|{{Flagicon|JPN}} [[平瀬智行]]||2000年4月29日 1st第9節 神戸戦||<br />
|-<br />
|{{Flagicon|JPN}} [[鈴木隆行]]||2004年9月18日 2nd第5節 磐田戦||<br />
|-<br />
|{{Flagicon|JPN}} 柳沢敦||2006年3月5日 第1節 広島戦||<br />
|-<br />
|{{Flagicon|BRA}} [[フェルナンド・アルメイダ・デ・オリベイラ|フェルナンド]]||2006年9月24日 第24節 FC東京戦||<br />
|-<br />
|{{Flagicon|JPN}} 野沢拓也||2006年12月2日 第34節 磐田戦||<br />
|-<br />
|{{Flagicon|BRA}} マルキーニョス||2010年9月18日 第23節 大宮戦||<br />
|-<br />
|{{Flagicon|BRA}} [[セルジオ・ドゥトラ・ジュニオール|ドゥトラ]]||2012年10月6日 第28節 F東京戦||<br />
|-<br />
|{{Flagicon|BRA}} [[ウェベルソン・レアンドロ・オリベイラ・モウラ|レアンドロ]]||2017年9月16日 第26節 新潟戦||<br />
|-<br />
!rowspan="3"|Jリーグ杯!!rowspan="3"|3得点<br />
|{{Flagicon|JPN}} 長谷川祥之||1992年10月3日 第7節 名古屋戦||<br />
|-<br />
|{{Flagicon|BRA}} ジーコ||1992年10月11日 第9節 広島戦||<br />
|-<br />
|{{Flagicon|JPN}} [[黒崎久志|黒崎比差支]]||1997年10月18日 準々決勝第2戦 札幌戦||<br />
|-<br />
!rowspan="3"|天皇杯!!rowspan="3"|3得点<br />
|{{Flagicon|JPN}} 黒崎比差支||1992年12月5日 1回戦 新日鐵八幡戦||<br />
|-<br />
|{{Flagicon|JPN}} [[増田誓志]]||2005年11月3日 4回戦 ホンダロック戦||<br />
|-<br />
|{{Flagicon|JPN}} [[遠藤康]]||2012年9月8日 2回戦 筑波大戦||<br />
|-<br />
!rowspan="6"|国際大会!!4得点<br />
|{{Flagicon|JPN}} 平瀬智行||1999年3月3日 [[アジアカップウィナーズカップ|ACWC]] 3回戦第2戦 サラワク戦||<br />
|-<br />
!rowspan="5"|3得点<br />
|{{Flagicon|JPN}} 長谷川祥之||1999年3月3日 ACWC 3回戦第2戦 サラワク戦||<br />
|-<br />
|{{Flagicon|JPN}} 柳沢敦||1999年10月23日 [[AFCチャンピオンズリーグ|ACC]] 2回戦第1戦 バレンシア戦||<br />
|-<br />
|{{Flagicon|JPN}} 鈴木隆行||1999年10月23日 ACC 2回戦第1戦 バレンシア戦||<br />
|-<br />
|{{Flagicon|BRA}} マルキーニョス||2008年3月12日 [[AFCチャンピオンズリーグ|ACL]] GL第1戦 クルン・タイ・バンク戦||<br />
|-<br />
|{{Flagicon|JPN|}} [[大迫勇也]]||2013年8月7日 [[スルガ銀行チャンピオンシップ|SBCS]] サンパウロ戦||<br />
|}<br />
<br />
== 観客 ==<br />
=== 年度別観客数 ===<br />
<br />
{|class="sortable wikitable" style="font-size:smaller; text-align:center;"<br />
|-<br />
!年度 ||試合 ||総観客 ||平均観客<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |1993 ||18 ||252,291 ||14,016<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |1994 ||22 ||369,862 ||16,812<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |1995 ||26 ||497,665 ||19,141<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |1996 ||15 ||230,789 ||15,386<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |1997 ||16 ||271,765 ||16,985<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |1998 ||17 ||260,866 ||15,345<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |1999 ||15 ||255,741 ||17,049<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2000 ||15 ||262,603 ||17,507<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2001 ||15 ||336,377 ||22,425<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2002 ||15 ||323,855 ||21,590<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2003 ||15 ||318,064 ||21,204<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2004 ||15 ||263,777 ||17,585<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2005 ||17 ||316,897 ||18,641<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2006 ||17 ||262,365 ||15,433<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2007 ||17 ||276,058 ||16,239<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2008 ||17 ||335,140 ||19,714<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2009 ||17 ||367,486 ||21,617<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2010 ||17 ||356,430 ||20,966<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2011 ||17 ||274,655 ||16,156<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2012 ||17 ||261,484 ||15,381<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2013 ||17 ||279,115 ||16,419<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2014 ||17 ||300,310 ||17,665<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2015 ||17 ||279,185 ||16,423<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2016 ||17 ||324,759 ||19,103<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2017 ||17 ||347,942 ||20,467<br />
|}<br />
<div style="font-size:small"><br />
* 観客の単位: 人<br />
出典: {{cite web |url=https://data.j-league.or.jp/SFTD12/ |title=通算データ 年度別入場者数推移 |publisher=J.LEAGUE Data Site |accessdate=2017-09-28}}<br />
</div><br />
<br />
{{Graph:Chart<br />
|width=400<br />
|height=300<br />
|type=line<br />
|colors=#0000aa,#ff8000<br />
|showSymbols=yes<br />
|legend=凡例<br />
|xAxisTitle=年度<br />
|yAxisTitle=人<br />
|yAxisMin=0<br />
|y1Title=平均観客<br />
|x=1993, 1994, 1995, 1996, 1997, 1998, 1999, 2000, 2001, 2002, 2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008, 2009, 2010, 2011, 2012, 2013, 2014, 2015, 2016, 2017<br />
|y1=14016, 16812, 19141, 15386, 16985, 15345, 17049, 17507, 22425, 21590, 21204, 17585, 18641, 15433, 16239, 19714, 21617, 20966, 16156, 15381, 16419, 17665, 16423, 19103, 20467<br />
}}<br />
<br />
=== 観客動員記録 ===<br />
; ホームゲーム最多観客動員試合<br />
{|class="wikitable" style="font-size:smaller; text-align:center;"<br />
|-<br />
!colspan="5"|[[茨城県立カシマサッカースタジアム]]<br />
|-<br />
!大会!!入場者数!!colspan="3"|試合<br />
|-<br />
!J1<br />
|39,684人||2003年7月5日||1st第11節||磐田<br />
|-<br />
!Jリーグ杯<br />
|16,279人||2007年10月13日||準決勝第2戦||G大阪<br />
|-<br />
![[Jリーグチャンピオンシップ|CS]]<br />
|40,115人||2001年12月8日||第2戦||磐田<br />
|-<br />
!ACL<br />
|19,500人||2009年5月5日||GL第5戦||水原三星<br />
|-<br />
!colspan="5"|[[国立霞ヶ丘陸上競技場]]<br />
|-<br />
!大会!!入場者数!!colspan="3"|試合<br />
|-<br />
!J1<br />
|51,575人||1999年5月5日||1st第11節||磐田<br />
|-<br />
!Jリーグ杯<br />
|18,009人||1992年9月9日||GL第2節||V川崎<br />
|-<br />
!CS<br />
|53,553人||1994年1月16日||第1戦||V川崎<br />
|-<br />
!ACL<br />
|11,951人||2011年5月3日||GL第5戦||上海申花<br />
|}<br />
* ホーム扱いの決勝戦は除く。なお年度別の観客動員・試合会場内訳については「[[鹿島アントラーズの年度別成績一覧]]」にまとめて記述する。<br />
<br />
== ユニフォーム ==<br />
{{ユニフォームの色<br />
| F正シャツ=ディープレッド |F正パンツ=ディープレッド |F正ストッキング=紺<br />
| F副シャツ=白 |F副パンツ=白 |F副ストッキング=ディープレッド<br />
| G正シャツ=青 |G正パンツ=青 |G正ストッキング=青<br />
| G副シャツ=緑 |G副パンツ=緑 |G副ストッキング=緑<br />
|pattern_la1= _antlers18h<br />
|pattern_b1= _antlers18h<br />
|pattern_ra1= _antlers18h<br />
|pattern_sh1= _antlers18h<br />
|pattern_so1= _antlers18h<br />
|leftarm1=000040<br />
|body1=FFFFFF<br />
|rightarm1=000040<br />
|shorts1=000040<br />
|socks1= 000040<br />
|pattern_la2= _antlers18a<br />
|pattern_b2= _antlers18a<br />
|pattern_ra2= _antlers18a<br />
|pattern_sh2= _antlers18a<br />
|pattern_so2= _antlers18a<br />
|leftarm2=FFFFFF<br />
|body2=FFFFFF<br />
|rightarm2=FFFFFF<br />
|shorts2=FF80C0<br />
|socks2 = E1001E<br />
| pattern_la3= _J LEAGUE nike 18GK _BLUE2<br />
|pattern_b3= _J LEAGUE nike 18GK _BLUE2<br />
|pattern_ra3= _J LEAGUE nike 18GK _BLUE2<br />
|pattern_sh3= _J LEAGUE nike 18GK _BLUE2<br />
|pattern_so3= _J LEAGUE nike 18GK _BLUE2<br />
| leftarm3=0099FF<br />
|body3=0099FF<br />
|rightarm3=0099FF<br />
|shorts3=0099FF<br />
|socks3=0099FF<br />
| pattern_la4= _J LEAGUE nike 18gk_green<br />
|pattern_b4= _J LEAGUE nike 18gk_green<br />
|pattern_ra4= _J LEAGUE nike 18gk_green<br />
|pattern_sh4= _J LEAGUE nike 18gk_green<br />
|pattern_so4= _J LEAGUE nike 18gk_green<br />
| leftarm4=00b16b<br />
|body4=00b16b<br />
|rightarm4=00b16b<br />
|shorts4=00b16b<br />
|socks4=00b16b<br />
}}<br />
<br />
=== ユニフォームカラー ===<br />
* {{color box|#b9193f}} ディープレッド<br />
* {{color box|#001a33}} 紺<br />
* {{color box|#ff80c0}} ピンク<br />
<br />
=== ユニフォームデザイン ===<br />
ユニフォームデザインは基本的に2年に1回変更していたが、2010年シーズン以降は毎年デザイン変更をしている。ユニフォームの右袖には、ホームタウン5市をあしらったホームタウンマークをつけ、背番号の下に名前が入る。2007シーズンに10冠(国内3大大会のタイトル数)を達成し、2008年シーズンより、左胸のエンブレム上に大きな星1つ(10タイトル分)がついた。11冠目以降の星は、従来の左袖につく。胸のスポンサーロゴの上部には、クラブスローガンである「FOOTBALL DREAM」が一貫して入れられている(1998年 - 、1997年のみ裾部分に入れられた)。<br />
<!-- 歴代ユニフォームのデザイン詳細ではなく、これまでの大きな変更点(使用例)を記述しています --><br />
* 1995年のリーグ戦用2ndモデルには、シャツ・シルバー、パンツ・紺、ストッキング・シルバーを採用したが、諸事情により数戦使用しただけで、シャツ・パンツ・ストッキングをすべて白に変更している(変更後しばらくは、1993年・1994年に使用した2ndモデルを使用していた)。<br />
* 2006年から2007年は、2ndモデルはグレーを使用していた。<br />
* 2008年から2009年は、リーグ初となった横縞(ディープレッドと紺)を使用した。<br />
* 2009年はゴールド色の3rdモデルを採用、一部の試合で使用した。<br />
* 2012年はベースカラーを紺にした2ndモデルを使用した。<br />
* 2013年の2ndモデルのベースカラーを白に戻した。<br />
* 2017年の1stモデルは、胸はダークネイビーとディープレッドの横縞に、ディープレッドの細い線、袖と背中はダークネイビー。2ndモデルはピンク、脇はダークネイビー。3rdモデルは2016年に2ndとして使用した白を使用。<br />
<br />
=== チャンピオンエンブレム ===<br />
; リーグチャンピオンエンブレム<br />
* 前年度のリーグチャンピオンチームには、日本サッカー協会のシンボルである[[ヤタガラス]]にJのマークがついたエンブレムを右袖につける。<br />
* 2009シーズンからヤタガラスのエンブレムに代わり、金色のJマークをつけている(初着用は鹿島)。<br />
; 天皇杯チャンピオンエンブレム<br />
* 天皇杯を制したチームにはEのマークがついたエンブレムをつける。<br />
* 2009年大会からリーグチャンピオン同様ヤタガラスのエンブレムをやめ、天皇杯エンブレムをつけている。<br />
; 2冠チャンピオンエンブレム<br />
* リーグと天皇杯の2冠を制したチーム<ref name="2冠" group="注">現在、リーグと天皇杯の2冠を達成したのは鹿島(2000年、2007年、2016年)と浦和(2006年)、G大阪(2014年)のみ。</ref> には、☆マークがついたエンブレムをつける(Jリーグ発足後初は2000年度に達成した鹿島)。<br />
* 2015年からは☆マークをやめ、リーグチャンピオンエンブレムのみをつけている。<br />
<br />
=== ユニフォームスポンサー ===<br />
{| class="wikitable" style="{{box-shadow|4px|4px|4px|#b9193f}}"<br />
!掲出箇所!!スポンサー名!!表記!!掲出年!!備考<br />
|-<br />
!胸<br />
|[[LIXIL]]||align=center|LIXIL||2011年 - ||2010年までは[[トステム]]<br/>(表記は「TOSTEM」)<br />
2012年 - 2015年は本来の企業ロゴとは異なるデザインのものを掲出。<br />
|-<br />
!鎖骨<br />
|[[メルカリ]]||align=center|mercari||2018年 - ||左右とも掲出<br />
|-<br />
!背中上部<br />
|[[イエローハット]]||align=center|(帽子マーク)||1999年 - ||1995年 - 1998年は袖、<br/>2011年まで「Yellow Hat」表記<br />
|-<br />
!背中下部<br />
|[[理想科学工業]]||align=center|RISO||2016年 - ||<br />
|-<br />
!袖<br />
|[[新日鐵住金]]||align=center|NIPPON STEEL & <br/>SUMITOMO METAL||2012年10月 - ||1992年 - 1994年、2000年 - 2012年9月までは<br/>[[住友金属工業]](表記は「SUMITOMO METALS」)<br />
|-<br />
!パンツ<br />
|[[LIXIL住宅研究所|アイフルホーム]]||align=center|アイフルホーム||2013年 - ||<br />
|}<br />
<br />
=== ユニフォームサプライの遍歴 ===<br />
* 1992年 - 1996年:[[ミズノ]](リーグ戦)、[http://www.ennerre.com エネーレ](カップ戦)<br />
* 1997年:[[アンブロ]](リーグ戦)、エネーレ(カップ戦)<br />
* 1998年 - 2001年:エネーレ<br />
* 2002年 - 現在:[[ナイキ]]<br />
** 2016年にはナイキと新たにサプライヤー契約を更新。2017年から推定10年の大型契約となる<ref>{{Cite press release|url=http://www.hochi.co.jp/soccer/national/20161225-OHT1T50061.html |title=鹿島がバルサ化?来季新ユニホームは「挑戦」のピンク!|publisher=スポーツ報知|date=2016-12-25|accessdate=2017-12-16}}</ref>。<br />
<br />
=== 歴代ユニフォーム ===<br />
{| class="wikitable collapsible collapsed" style="width:65%; border:double #001a33; {{box-shadow|4px|4px|4px|#b9193f}}"<br />
!colspan=5|1st<br />
|-<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la=_Kashima Antlers 2000 - 2001 HOME FP|pattern_b=_Kashima Antlers 2000 - 2001 HOME FP|pattern_ra=_Kashima Antlers 2000 - 2001 HOME FP|pattern_sh=_Kashima Antlers 2000 - 2001 HOME FP|pattern_so=_Kashima Antlers 2000 - 2001 HOME FP<br />
|leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=|title={{Center|2000-2001}}}}<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la=_Kashima Antlers 2002 - 2003 HOME FP|pattern_b=_Kashima Antlers 2002 - 2003 HOME FP|pattern_ra=_Kashima Antlers 2002 - 2003 HOME FP|pattern_sh=_Kashima Antlers 2002 - 2003 HOME FP|pattern_so=_Kashima Antlers 2002 - 2003 HOME FP<br />
|leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=|title={{Center|2002-2003}}}}<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la=_Kashima Antlers 2004 - 2005 HOME FP|pattern_b=_Kashima Antlers 2004 - 2005 HOME FP|pattern_ra=_Kashima Antlers 2004 - 2005 HOME FP|pattern_sh=_Kashima Antlers 2004 - 2005 HOME FP|pattern_so=_Kashima Antlers 2004 - 2005 HOME FP<br />
|leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=|title={{Center|2004-2005}}}}<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la=_Kashima Antlers 2006 - 2007 HOME FP|pattern_b=_Kashima Antlers 2006 - 2007 HOME FP|pattern_ra=_Kashima Antlers 2006 - 2007 HOME FP|pattern_sh=_Kashima Antlers 2006 - 2007 HOME FP|pattern_so=_Kashima Antlers 2006 - 2007 HOME FP<br />
|leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=|title={{Center|2006-2007}}}}<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la=_kashima0809h|pattern_b=_kashima0809h|pattern_ra=_kashima0809h|pattern_sh=_blackreddown|pattern_so=_blacktop<br />
|leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=f00|title={{Center|2008-2009}}}}<br />
|-<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la= _Kashima Antlers 2010 HOME FP|pattern_b= _Kashima Antlers 2010 HOME FP|pattern_ra= _Kashima Antlers 2010 HOME FP|pattern_sh= _Kashima Antlers 2010 HOME FP|pattern_so= _Kashima Antlers 2010 HOME FP<br />
|leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=f00|title={{Center|2010}}}}<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la=_nike 2010 black|pattern_b=_kashima11h|pattern_ra=_nike 2010 black|pattern_sh=_kashima11h|pattern_so=_nikefootballblacklogo<br />
|leftarm=f00|body=|rightarm=f00|shorts=|socks=f00|title={{Center|2011}}}}<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la=_navy cuff|pattern_b=_kashima12h|pattern_ra=_navy cuff|pattern_sh=|pattern_so=_band navy<br />
|leftarm=f00|body=|rightarm=f00|shorts=000040|socks=f00|title={{Center|2012}}}}<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la=_kashima13h|pattern_b=_kashima13h|pattern_ra=_kashima13h|pattern_sh=_red flash|pattern_so=__blacktop<br />
|leftarm=|body=|rightarm=|shorts=000|socks=f00|title={{Center|2013}}}}<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la=_antlers14h|pattern_b=_antlers14h|pattern_ra=_antlers14h|pattern_sh=_antlers14h|pattern_so=_antlers14h<br />
|leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=000040|title={{Center|2014}}}}<br />
|-<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la=_antlers15h|pattern_b=_antlers15h|pattern_ra=_antlers15h|pattern_sh=|pattern_so=_nikefootballwhitelogo<br />
|leftarm=|body=|rightarm=|shorts=000040|socks=000040|title={{Center|2015}}}}<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la=_antlers16h|pattern_b=_antlers16h|pattern_ra=_antlers16h|pattern_sh=_antlers16h|pattern_so=_nikefootballyellowlogo<br />
|leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=070014|title={{Center|2016}}}}<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la=|pattern_b=_antlers17H|pattern_ra=|pattern_sh=|pattern_so=_antlers17h<br />
|leftarm=00003E|body=|rightarm=00003E|shorts=00003E|socks=E1001E|title={{Center|2017}}}}<br />
|}<br />
<br />
{| class="wikitable collapsible collapsed" style="width:65%; border:double #001a33; {{box-shadow|4px|4px|4px|#b9193f}}"<br />
!colspan=5|2nd<br />
|-<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la= _Kashima Antlers 2002 - 2003 AWAY FP|pattern_b= _Kashima Antlers 2002 - 2003 AWAY FP|pattern_ra= _Kashima Antlers 2002 - 2003 AWAY FP|pattern_sh= _Kashima Antlers 2002 - 2003 AWAY FP|pattern_so= _Kashima Antlers 2002 - 2003 AWAY FP<br />
|leftarm=9F9F9F|body=|rightarm=9F9F9F|shorts=9F9F9F|socks=9F9F9F|title={{Center|2002-2003}}}}<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la= _Kashima Antlers 2004 - 2005 AWAY FP |pattern_b= _Kashima Antlers 2004 - 2005 AWAY FP|pattern_ra= _Kashima Antlers 2004 - 2005 AWAY FP|pattern_sh= _Kashima Antlers 2004 - 2005 AWAY FP|pattern_so= _Kashima Antlers 2004 - 2005 AWAY FP<br />
|leftarm=9F9F9F|body=|rightarm=9F9F9F|shorts=9F9F9F|socks=9F9F9F|title={{Center|2004-2005}}}}<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la=|pattern_b=_kashima0506a|pattern_ra=|pattern_sh=|pattern_so=_nikefootballblacklogo<br />
|leftarm=9F9F9F|body=|rightarm=9F9F9F|shorts=9F9F9F|socks=9F9F9F|title={{Center|2006-2007}}}}<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la=|pattern_b=_kashima0809a|pattern_ra=|pattern_sh=|pattern_so=_nikefootballblacklogo<br />
|leftarm=fff|body=|rightarm=fff|shorts=fff|socks=fff|title={{Center|2008-2009}}}}<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la=|pattern_b=_kashima0809t|pattern_ra=|pattern_sh=|pattern_so=_nikefootballblacklogo<br />
|leftarm=FFCF40|body=|rightarm=FFCF40|shorts=fff|socks=fff|title={{Center|2009 3rd}}}}<br />
|-<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la= _Kashima Antlers 2010 AWAY FP|pattern_b= _Kashima Antlers 2010 AWAY FP|pattern_ra= _Kashima Antlers 2010 AWAY FP|pattern_sh= _Kashima Antlers 2010 AWAY FP|pattern_so= _Kashima Antlers 2010 AWAY FP<br />
|leftarm=9F9F9F|body=|rightarm=9F9F9F|shorts=9F9F9F|socks=9F9F9F|title={{Center|2010}}}}<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la=_nike 2010 black|pattern_b=_kashima11a|pattern_ra=_nike 2010 black|pattern_sh=|pattern_so=_nikefootballblacklogo<br />
|leftarm=fff|body=|rightarm=fff|shorts=fff|socks=fff|title={{Center|2011}}}}<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la=_blueborder|pattern_b=_kashima12a|pattern_ra=_blueborder|pattern_sh=|pattern_so=_blue band<br />
|leftarm=000|body=|rightarm=000|shorts=000|socks=000|title={{Center|2012}}}}<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la=_blueborder|pattern_b=_kashima12t|pattern_ra=_blueborder|pattern_sh=|pattern_so=_blue band<br />
|leftarm=fff|body=|rightarm=fff|shorts=fff|socks=fff|title={{Center|2012 3rd}}}}<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la=_kashima13a|pattern_b=_kashima13a|pattern_ra=_kashima13a|pattern_sh=|pattern_so=<br />
|leftarm=|body=|rightarm=|shorts=fff|socks=fff|title={{Center|2013}}}}<br />
|-<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la=_antlers14a|pattern_b=_antlers14a|pattern_ra=_antlers14a|pattern_sh=|pattern_so=_Red & white stripes<br />
|leftarm=|body=|rightarm=|shorts=fff|socks=fff|title={{Center|2014}}}}<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la=_kashima15a|pattern_b=_kashima15A|pattern_ra=_kashima15a|pattern_sh=|pattern_so=_nikefootballredlogo<br />
|leftarm=|body=|rightarm=|shorts=fff|socks=fff|title={{Center|2015}}}}<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la=_antlers16a|pattern_b=_antlers16a|pattern_ra=_antlers16a|pattern_sh=_bluesides|pattern_so=_nikefootballyellowlogo<br />
|leftarm=|body=|rightarm=|shorts=fff|socks=fff|title={{Center|2016<br/>2017 3rd}}}}<br />
|{{Football kit|filetype=png<br />
|pattern_la=_antlers17a|pattern_b=_antlers17A|pattern_ra=_antlers17a|pattern_sh=_antlers17a|pattern_so=_nikefootballbpinklogo<br />
|leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=00003E|title={{Center|2017}}}}<br />
|}{{-}}<br />
<br />
=== 歴代ユニフォームスポンサー年表 ===<br />
{| class="wikitable" style="text-align:center; {{box-shadow|4px|4px|4px|#b9193f}}"<br />
|- style="background-color:#b9193f; color:#ddd; font-weight:bold;"<br />
|年度||胸||鎖骨||背中上部||背中下部||袖||パンツ||サプライヤー<br />
|-<br />
|1992||rowspan="4"|-||rowspan="26"|解禁前||rowspan="2"|-||rowspan="24"|解禁前||rowspan="3"|[[住友金属工業|SUMITOMO<br />METALS]]||rowspan="13"|-||[http://www.ennerre.com ennerre]<br />
|-<br />
|1993||rowspan="4"|[[ミズノ|Mizuno]] / <br/>[http://www.ennerre.com ennerre]<br />
|-<br />
|1994||rowspan="2"|[[トステム|TOSTEM]]<br />
|-<br />
|1995||rowspan="4"|[[イエローハット|Yellow Hat]]<br />
|-<br />
|1996||rowspan="15"|[[トステム|TOSTEM]]||rowspan="3"|-<br />
|-<br />
|1997||[[アンブロ|UMBRO]] / <br/>[http://www.ennerre.com ennerre]<br />
|-<br />
|1998||rowspan="4"|[http://www.ennerre.com ennerre]<br />
|-<br />
|1999||rowspan="13"|[[イエローハット|Yellow Hat]]||-<br />
|-<br />
|2000||rowspan="12"|[[住友金属工業|SUMITOMO<br />METALS]]<br />
|-<br />
|2001<br />
|-<br />
|2002||rowspan="17"|[[ナイキ|NIKE]]<br />
|-<br />
|2003<br />
|-<br />
|2004<br />
|-<br />
|2005||rowspan="3"|[[SMBCコンシューマーファイナンス|プロミス]]<br />
|-<br />
|2006<br />
|-<br />
|2007<br />
|-<br />
|2008||-<br />
|-<br />
|2009||rowspan="4"|[[商船三井]]<br />
|-<br />
|2010<br />
|-<br />
|2011||rowspan="8"|[[LIXIL]]<br />
|-<br />
|2012||rowspan="7"|[[イエローハット|(帽子マーク)]]||[[住友金属工業|SUMITOMO<br/>METALS]] / <br />[[新日鐵住金|NIPPON STEEL &<br />SUMITOMO METAL]]<br />
|-<br />
|2013||rowspan="6"|[[新日鐵住金|NIPPON STEEL &<br />SUMITOMO METAL]]||- / <br/>[[LIXIL住宅研究所|アイフルホーム]]<br />
|-<br />
|2014||rowspan="5"|[[LIXIL住宅研究所|アイフルホーム]]<br />
|-<br />
|2015<br />
|-<br />
|2016||rowspan="3"|[[理想科学工業|RISO]]<br />
|-<br />
|2017<br />
|-<br />
|2018||[[メルカリ|mercari]]<br />
|}<br />
* [[AFCチャンピオンズリーグ]]及び[[FIFAクラブワールドカップ]]ではスポンサーが1社のみという規定により、2010年までは胸スポンサーの「TOSTEM」、2011年以降は「LIXIL」のみになる。<br />
* 1992年から1995年まで、胸にはスポンサーの代わりに「Antlers」のロゴが入る。<br />
* 2012年の袖スポンサーは9月まで経営統合前の「住友金属工業」、10月より経営統合後の新社名「新日鐵住金」。<br />
<br />
== スタジアム ==<br />
[[ファイル:Kashima Soccer Stadium 3.jpg|thumb|250px|カシマサッカースタジアム]]<br />
{{Main|茨城県立カシマサッカースタジアム}}<br />
=== スタジアムDJ・選手入場曲 ===<br />
* [[スタジアムDJ]]<br />
** 松本浩之<br />
* 選手入場曲<br />
** SUCESSEO -OBRIGADO!! ZICO-(作曲:BHB [[米米CLUB]])<br />
:: SUCESSO(スセッソ)はポルトガル語で「成功」。米米CLUBのシングル「[[俺色にそまれ]]」のカップリング曲。<br />
<br />
=== 広告看板 ===<br />
* ホームゲームにおける広告看板(ゴール裏)は[[1995年]]以後、部分的に回転ロール盤を使用している。当初はゴール裏の内側部分だけだったが、[[1999年]]以後は外側(スタンドとピッチの中間。カシマサッカースタジアム開催分は客席の最前列)の部分にも使用している。試合時間帯に応じてアントラーズのスポンサーの広告を切り替えて表示している。<br />
<br />
=== LED帯状映像装置 ===<br />
* 日本のサッカースタジアムでは初となる、アジアでは最長(全長500m)の[[発光ダイオード|LED]]帯状映像装置が2階スタンド最前部の壁面にほぼ1周設置されている<ref>{{Cite web |url=http://www.so-net.ne.jp/antlers/clubs/stadium.html |title=スタジアム概要 LED帯状映像装置 |publisher=鹿島アントラーズオフィシャルサイト |accessdate=2008-10-20}}</ref><ref>{{Cite web |date=2008-09-13 |url=http://www.j-league.or.jp/100year/report/_/?c=&n=kashima&code=00000473 |title=アジア初の約500メートル帯状映像装置お披露目 |publisher=Jリーグ公式サイト |accessdate=2008-10-18}}</ref>。<br />
* カラー広告の表示や選手紹介、他会場の途中経過、緊急時の避難誘導などに使用される。<br />
<br />
== アカデミー ==<br />
鹿島アントラーズが創設された1992年から、トップチームでの活躍を目指す選手たちの年代別選抜チームとして、第2種(U-18、高校生年代)の「ユース」、第3種(U-15、中学生年代)の「ジュニアユース」、第4種(U-12、小学生年代)の「ジュニア」が活動している。鹿島アントラーズのアカデミー出身の選手には、曽ヶ端準、野沢拓也、土居聖真、鈴木優磨らがいる。また、育成とサッカーの普及を目的に、幼稚園生以上を対象にした「スクールコース」が茨城県内を中心に17ヶ所で開催されている。<br />
<br />
{{Main2|[[鹿島アントラーズのアカデミー]]を}}<br />
<br />
== 地域貢献活動 ==<br />
=== ノンフットボールビジネス ===<br />
運営会社である株式会社鹿島アントラーズ・エフ・シーは、[[2006年]]からカシマサッカースタジアムの[[指定管理者]]になり、健康事業を目的としたスポーツプラザ「[[茨城県立カシマサッカースタジアム#カシマウェルネスプラザ|カシマウェルネスプラザ]]」の運営や[[茨城大学]]との提携によるスタジアムの利活用推進にも取り組んでいる。<br />
<br />
=== フレンドリータウン ===<br />
[[ホームタウン]]の5市([[鹿嶋市|鹿嶋]]、[[神栖市|神栖]]、[[潮来市|潮来]]、[[鉾田市|鉾田]]、[[行方市|行方]])のほかに、クラブ独自でフレンドリータウンとしてホームタウン周辺の10市町村と協定を結んでいる。サッカーを通じた地域連携を目的とし、ホームタウン周辺の市町村を対象に年1回ホームゲームへの市民招待やスタジアムでの観光PRイベントの開催、アカデミーのスクール校を開校するなど活動を展開している。<br />
* '''茨城県''':[[日立市]]、[[かすみがうら市]]、[[つくば市]]、[[稲敷市]]、[[阿見町]]、[[美浦村]]<br />
* '''千葉県''':[[成田市]]、[[香取市]]、[[銚子市]]、[[東庄町]]<br />
<br />
=== 地域交流 ===<br />
* ホームタウンの5市(鹿嶋、神栖、潮来、鉾田、行方)にある小学校全校を選手が訪問している。<br />
* 毎年10月に鹿嶋市で開催される「鹿嶋まつり」や[[鹿島神宮]]での節分祭など、地域イベントに選手やチームスタッフらが参加している。<br />
<br />
=== 環境活動 ===<br />
* 2006年12月2日の[[ジュビロ磐田]]戦では、カシマサッカースタジアムで使用する電力にグリーン電力([[風力発電]]、[[太陽光発電]])を利用して開催された<ref>{{Cite web |date=2006-11-30 |url=http://www.so-net.ne.jp/antlers/news/detail/20061130_19_443.html |title=日本初グリーン電力100%で開催されるJ1マッチのお知らせ |publisher=鹿島アントラーズオフィシャルサイト |accessdate=2010-10-16}}</ref>。<br />
* 2009年5月10日の[[清水エスパルス]]戦で、来場客から回収した食用油を精製し、チームトラックの燃料に活用する取り組みが行われた。また、この取り組みが第3回クールビズ・オブ・ザ・イヤーで「クールビズ・アース2009」を受賞した<ref>{{Cite web |date=2009-11-25 |url=http://www.so-net.ne.jp/antlers/news/release/2353 |title=アントラーズ・エコプログラムがクールビズ・アース2009を受賞 |publisher=鹿島アントラーズオフィシャルサイト |accessdate=2010-10-16}}</ref>。<br />
<br />
== メディア ==<br />
=== 試合中継 ===<br />
; テレビ中継<br />
* '''[[NHK水戸放送局]]'''<br />
** [[茨城Jリーグアワー]]<br />
* '''[[スカパー! (東経110度BS・CSデジタル放送)|スカパー!]]'''(-2016)→'''[[DAZN]]'''(2017- ネットテレビ)<br />
** [[2009年]]までは[[NHKグローバルメディアサービス]]に委託していたが、2010年からリーグ戦のホームゲームを鹿島が自主制作で配信(協力:[[ソニービジネスソリューション]])。また2013年より新中継設備をカシマスタジアムに導入し、[[中継車]]なしでの中継やスタジアムのビジョンを含めた映像の一括管理が可能となっている<ref>{{Cite web |date=2013-02-15 |url=http://www.so-net.ne.jp/antlers/news/release/34731 |title=スタジアムへの中継設備の導入について |publisher=鹿島アントラーズオフィシャルサイト |accessdate=2013-03-11}}</ref>。<br />
; ラジオ中継<br />
* '''[[エフエムかしま市民放送|エフエムかしま]]'''<br />
** FM KASHIMA EXCITING SPORTS(試合開始30分前 - 試合終了後)<br />
* '''[[茨城放送]]'''<br />
** [[IBSスーパーサッカー]]<br />
* '''鹿島アントラーズオフィシャルサイト'''<br />
** LIVEアントラーズ - カシマサッカースタジアムで開催されるホームゲームの音声実況中継をインターネット配信<br />
<br />
=== 公式番組 ===<br />
; テレビ<br />
* '''[[スカパー!プレミアムサービス|スカパー!]]'''<br />
** [[LIXIL presents ANTLERS REPORT]]<br />
<br />
; インターネットテレビ<br />
* '''[[いばキラTV]]'''<br />
** ANTLERS REPORT Plus<br />
<br />
=== 応援番組 ===<br />
; テレビ<br />
* '''[[NHK水戸放送局]]'''<br />
** いばっチャオ!、茨城ニュース いば6、[[茨城ニュース845]]などの番組内で随時放送される。<br />
<br />
; ラジオ<br />
* '''エフエムかしま'''<br />
** アントラーズスピリッツ #アンスピ<br />
** アントラーズラウンジ #アンラウ<br />
** アントラーズ便り<br />
<br />
=== その他 ===<br />
; 新聞・情報誌<br />
* [[茨城新聞]]<br />
* [[月刊アントラーズフリークス]](オフィシャルショップ、オンラインショップ、茨城県内の[[ココストア]]にて販売)<br />
* [[ヴァモス Antlers]]([[マッチデープログラム]]。試合日にスタジアムで配布)<br />
<br />
== その他 ==<br />
=== キャンプ地 ===<br />
春季キャンプは[[1998年]]より[[宮崎県]][[宮崎市]]の[[宮崎県総合運動公園陸上競技場]]で行われている。また、1993年は[[イタリア]]、1994年は[[沖縄県]]、[[1995年]]から[[1997年]]までは[[ブラジル]]で行われた。<br />
<br />
=== クラブショップ ===<br />
* クラブハウス店([[茨城県]][[鹿嶋市]]・[[鹿島アントラーズクラブハウスグラウンド|アントラーズクラブハウス]]1階)<br />
* 水戸店(茨城県[[水戸市]]・[[丸井|水戸丸井]]1階)<br />
* スタジアム店(茨城県鹿嶋市・[[茨城県立カシマサッカースタジアム|カシマサッカースタジアム]]コンコース売店 試合開催日のみ営業)<br />
<br />
=== クラブマスコット ===<br />
* [[しかお]]<br />
* しかこ<br />
* アントン<br />
<br />
== サポーター・ファンクラブ ==<br />
=== ファンクラブ ===<br />
「SOCIOメンバー」、「MEGAメンバー」、「フリークスメンバー」、「ファミリーメンバー」の4種類がある。その中でも「フリークスメンバー」が一般的な会員カテゴリで、会員数が最も多い。特典として[[月刊アントラーズフリークス]]の送付やホームゲームチケットの先行割引販売、グッズの割引販売、グッズ・チケットの購入時やホームゲーム来場時などに付与されるポイントシステムなどがある。<br />
<br />
=== サポーター ===<br />
サポーター集団「IN.FIGHT」が、[[1991年]]の鹿島アントラーズ創設時から鹿島サポーターの中心として活動を続けている。<br />
<br />
{{main|IN.FIGHT}}<br />
<br />
== 決算 ==<br />
鹿島アントラーズの決算は、つぎのとおり。<br />
<br />
=== 損益 ===<br />
{| class="wikitable"<br />
|-<br />
!年度 !!{{abbr|収入|営業収入}} !!広告料 !!入場料 !!{{abbr|配分|Jリーグ配分金}} !!その他 !!{{abbr|費用|営業費用}} !!事業費 !!{{abbr|人件費|選手・チームスタッフ人件費}} !!{{abbr|管理費|一般管理費}} !!{{abbr|利益|営業利益}} !!{{abbr|純利益|当期純利益}}<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2005 ||style="background-color:wheat" |3156 ||1045 ||690 ||401 ||1020 ||style="background-color:wheat" |3155 ||2342 ||1368 ||723 ||style="background-color:wheat" |1 ||style="background-color:wheat" |-17<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2006 ||style="background-color:wheat" |3381 ||1262 ||597 ||346 ||1176 ||style="background-color:wheat" |3536 ||2585 ||1564 ||951 ||style="background-color:wheat" |-155 ||style="background-color:wheat" |-251<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2007 ||style="background-color:wheat" |3983 ||1667 ||636 ||503 ||1177 ||style="background-color:wheat" |3805 ||2850 ||1736 ||955 ||style="background-color:wheat" |178 ||style="background-color:wheat" |162<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2008 ||style="background-color:wheat" |4180 ||1664 ||675 ||509 ||1332 ||style="background-color:wheat" |4063 ||3118 ||1850 ||945 ||style="background-color:wheat" |117 ||style="background-color:wheat" |52<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2009 ||style="background-color:wheat" |4408 ||1655 ||774 ||507 ||1472 ||style="background-color:wheat" |4303 ||3253 ||1913 ||1050 ||style="background-color:wheat" |105 ||style="background-color:wheat" |32<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2010 ||style="background-color:wheat" |4466 ||1561 ||747 ||480 ||1678 ||style="background-color:wheat" |4449 ||3816 ||2004 ||633 ||style="background-color:wheat" |17 ||style="background-color:wheat" |14<br />
|}<br />
<div style="font-size:small"><br />
* 金額の単位: 百万円<br />
* 人件費は事業費に含まれる。<br />
<br />
出典: 各年度のJ1 クラブ決算一覧。<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h17kaiji.pdf 2005]、<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h18kaiji.pdf 2006]、<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h19kaiji.pdf 2007]、<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h20kaiji.pdf 2008]、<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h21kaiji.pdf 2009]、<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h22kaiji.pdf 2010]<br />
</div><br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|-<br />
!年度 !!{{abbr|収益|営業収益}} !!広告料 !!入場料 !!{{abbr|配分|Jリーグ配分金}} !!{{abbr|育成|アカデミー}} !!その他 !!{{abbr|費用|営業費用}} !!{{abbr|人件費|選手・チームスタッフ人件費}} !!{{abbr|試合|試合関連経費}} !!{{abbr|トップ|トップチーム運営経費}} !!{{abbr|育成|アカデミー運営経費}} !!{{abbr|女子|女子チーム運営経費}} !!{{abbr|販売|販売費および一般管理費}} !!{{abbr|利益|営業利益}} !!{{abbr|純利益|当期純利益}}<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2011 ||style="background-color:wheat" |4165 ||1839 ||754 ||252 ||233 ||1087 ||style="background-color:wheat" |4378 ||2066 ||360 ||351 ||144 ||0 ||1457 ||style="background-color:wheat" |-213 ||style="background-color:wheat" |-220<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2012 ||style="background-color:wheat" |4160 ||1935 ||720 ||247 ||270 ||988 ||style="background-color:wheat" |4238 ||1888 ||358 ||302 ||173 ||0 ||1517 ||style="background-color:wheat" |-78 ||style="background-color:wheat" |-68<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2013 ||style="background-color:wheat" |4122 ||1864 ||748 ||235 ||269 ||1006 ||style="background-color:wheat" |4081 ||1701 ||384 ||310 ||166 ||0 ||1520 ||style="background-color:wheat" |41 ||style="background-color:wheat" |78<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2014 ||style="background-color:wheat" |4003 ||1831 ||788 ||222 ||266 ||896 ||style="background-color:wheat" |3975 ||1562 ||314 ||295 ||159 ||0 ||1645 ||style="background-color:wheat" |28 ||style="background-color:wheat" |21<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2015 ||style="background-color:wheat" |4311 ||1861 ||788 ||222 ||285 ||1155 ||style="background-color:wheat" |4652 ||2023 ||338 ||300 ||166 ||0 ||1825 ||style="background-color:wheat" |-341 ||style="background-color:wheat" |-344<br />
|}<br />
<div style="font-size:small"><br />
* 金額の単位: 百万円<br />
<br />
出典: 各年度のJ1 クラブ決算一覧。<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h23kaiji.pdf 2011]、<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h24kaiji.pdf 2012]、<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h25kaiji.pdf 2013]、<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h26kaiji.pdf 2014]、<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h27kaiji.pdf 2015]<br />
</div><br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|-<br />
!年度 !!{{abbr|収益|営業収益}} !!広告料 !!入場料 !!{{abbr|配分|Jリーグ配分金}} !!{{abbr|育成|アカデミー}} !!物販 !!その他 !!{{abbr|費用|営業費用}} !!{{abbr|人件費|選手・チームスタッフ人件費}} !!{{abbr|試合|試合関連経費}} !!{{abbr|トップ|トップチーム運営経費}} !!{{abbr|育成|アカデミー運営経費}} !!{{abbr|女子|女子チーム運営経費}} !!物販 !!{{abbr|販売|販売費および一般管理費}} !!{{abbr|利益|営業利益}} !!{{abbr|純利益|当期純利益}}<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2016 ||style="background-color:wheat" |5582 ||1958 ||869 ||232 ||283 ||540 ||1700 ||style="background-color:wheat" |4825 ||1929 ||372 ||444 ||149 ||0 ||428 ||1503 ||style="background-color:wheat" |757 ||style="background-color:wheat" |610<br />
|}<br />
<div style="font-size:small"><br />
* 金額の単位: 百万円<br />
<br />
出典: 各年度のJ1 クラブ決算一覧。<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h28kaiji.pdf 2016]<br />
</div><br />
<br />
{{Graph:Chart<br />
|width=400<br />
|height=300<br />
|type=line<br />
|showSymbols=yes<br />
|legend=凡例<br />
|yAxisMin=0<br />
|xAxisTitle=年度<br />
|yAxisTitle=金額(百万円)<br />
|colors=#0000aa,#00aa00,#ff8000<br />
|y1Title=営業収益<br />
|y2Title=営業費用<br />
|y3Title=選手・チームスタッフ人件費<br />
|x=2005, 2006, 2007, 2008, 2009, 2010, 2011, 2012, 2013, 2014, 2015, 2016<br />
|y1=3156, 3381, 3983, 4180, 4408, 4466, 4165, 4160, 4122, 4003, 4311, 5582<br />
|y2=3155, 3536, 3805, 4063, 4303, 4449, 4378, 4238, 4081, 3875, 4652, 4825<br />
|y3=1368, 1564, 1736, 1850, 1913, 2004, 2066, 1888, 1701, 1562, 2023, 1929<br />
}}<br />
<br />
=== 資産 ===<br />
鹿島アントラーズは2002年に累積損失を一掃するため増資をした。それ以来、資本金は15億7千万円となっている<ref>{{cite journal |和書 |author=福井盛太 |title=マネジメント優等生の次なる一手、「中期経営計画」の正体 |year=2009 |volume=12 |publisher=データスタジアム |journal=Sports Management Review |pages=24-26}}</ref>。<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|-<br />
!年度 !!総資産 !!総負債 !!純資産 !!資本金<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2005 ||2113 ||320 ||1792 ||1570<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2006 ||1885 ||344 ||1540 ||1570<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2007 ||2337 ||635 ||1702 ||1570<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2008 ||2387 ||632 ||1754 ||1570<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2009 ||2471 ||684 ||1787 ||1570<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2010 ||2561 ||760 ||1801 ||1570<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2011 ||2142 ||562 ||1580 ||1570<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2012 ||2085 ||573 ||1512 ||1570<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2013 ||2139 ||549 ||1590 ||1570<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2014 ||2186 ||575 ||1611 ||1570<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2015 ||1921 ||654 ||1267 ||1570<br />
|-<br />
|style="font-weight:bold;" |2016 ||3021 ||1143 ||1878 ||1570<br />
|}<br />
<div style="font-size:small"><br />
* 金額の単位: 百万円<br />
<br />
出典: 各年度のJ1 クラブ決算一覧。<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h17kaiji.pdf 2005]、<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h18kaiji.pdf 2006]、<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h19kaiji.pdf 2007]、<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h20kaiji.pdf 2008]、<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h21kaiji.pdf 2009]、<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h22kaiji.pdf 2010]、<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h23kaiji.pdf 2011]、<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h24kaiji.pdf 2012]、<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h25kaiji.pdf 2013]、<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h26kaiji.pdf 2014]、<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h27kaiji.pdf 2015]、<br />
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h28kaiji.pdf 2016]<br />
</div><br />
<br />
{{Graph:Chart<br />
|width=400<br />
|height=300<br />
|type=area<br />
|colors=#0000aa,#ff8000<br />
|showSymbols=yes<br />
|legend=凡例<br />
|yAxisMin=0<br />
|xAxisTitle=年度<br />
|yAxisTitle=金額(百万円)<br />
|y1Title=総資産<br />
|y2Title=純資産<br />
|x=2005, 2006, 2007, 2008, 2009, 2010, 2011, 2012, 2013, 2014, 2015, 2016<br />
|y1=2113, 1885, 2337, 2387, 2471, 2561, 2142, 2085, 2139, 2186, 1921, 3021<br />
|y2=1792, 1540, 1702, 1754, 1787, 1801, 1580, 1512, 1590, 1611, 1267, 1878<br />
}}<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
<br />
=== 注釈 ===<br />
{{Reflist|group="注"}}<br />
<br />
=== 出典 ===<br />
{{Reflist}}<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[鹿島アントラーズの選手一覧]]<br />
* [[鹿島アントラーズの年度別成績一覧]]<br />
* [[鹿島アントラーズのアカデミー]]<br />
* [[鹿島アントラーズクラブハウスグラウンド]]<br />
* [[鹿島アントラーズつくばアカデミーセンター]]<br />
* [[カシマサッカーミュージアム]]<br />
* [[茨城ダービー]]<br />
* [[いばらきサッカーフェスティバル]]<br />
;[[新日鐵住金]](旧[[新日本製鐵]]<[[八幡製鉄]]、[[富士製鉄]]>、[[住友金属工業]]を含む)が母体となっている他のサッカークラブ<br />
*[[新日鐵住金室蘭サッカー部]]<br />
*[[新日鐵住金釜石サッカー部]]<br />
*[[新日鐵住金大分サッカー部]]<br />
*[[八幡製鉄サッカー部]](廃部)<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* {{Official|www.so-net.ne.jp/antlers}}<br />
* {{Facebook|official.KashimaAntlersFC|鹿島アントラーズ}}<br />
* {{Facebook|official.KashimaAntlersFC.global|Kashima Antlers}}{{en icon}}<br />
* {{Twitter|atlrs_official|鹿島アントラーズ}}<br />
* {{Twitter|atlrs_english|Kashima Antlers}}{{en icon}}<br />
* {{instagram|kashima.antlers}}<br />
* {{YouTube|user = kashimaantlers12fd|アントラーズチャンネル}}<br />
<br />
{{Navboxes|title =鹿島アントラーズ 関連テンプレート|titlestyle=background-color:#b9193f; color:#ddd;<br />
|list1= <br />
{{鹿島アントラーズのメンバー}}<br />
{{鹿島アントラーズ及びその前身チーム歴代監督}}<br />
}}<br />
{{AFCチャンピオンズリーグ}}<br />
{{日本プロサッカーリーグ}}<br />
{{Jリーグオリジナル10}}<br />
{{Navboxes|title=獲得タイトル|titlestyle=background-color:gold;<br />
|list1=<br />
{{Jリーグ優勝チーム}}<br />
{{Jリーグカップ優勝チーム}}<br />
{{天皇杯全日本サッカー選手権大会 優勝チーム}}<br />
}}<br />
{{新日鐵住金}}<br />
<br />
{{リダイレクトの所属カテゴリ<br />
|redirect1=鹿島アントラーズ・エフ・シー<br />
|1-1=鹿嶋市の企業<br />
|1-2=1991年設立の企業<br />
|1-3=鹿島アントラーズ<br />
|}}<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:かしまあんとらす}}<br />
[[Category:鹿島アントラーズ|*]]<br />
[[Category:1991年設立]]</div>
121.92.166.42
Warning : Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php:3) in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/WebResponse.php on line 46