Warning : Undefined variable $type in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php on line 3
Warning : "continue" targeting switch is equivalent to "break". Did you mean to use "continue 2"? in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/json/FormatJson.php on line 297
Warning : Trying to access array offset on value of type bool in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/Setup.php on line 660
Warning : session_name(): Session name cannot be changed after headers have already been sent in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/Setup.php on line 834
Warning : ini_set(): Session ini settings cannot be changed after headers have already been sent in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/session/PHPSessionHandler.php on line 126
Warning : ini_set(): Session ini settings cannot be changed after headers have already been sent in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/session/PHPSessionHandler.php on line 127
Warning : session_cache_limiter(): Session cache limiter cannot be changed after headers have already been sent in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/session/PHPSessionHandler.php on line 133
Warning : session_set_save_handler(): Session save handler cannot be changed after headers have already been sent in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/session/PHPSessionHandler.php on line 140
Warning : "continue" targeting switch is equivalent to "break". Did you mean to use "continue 2"? in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/languages/LanguageConverter.php on line 773
Warning : Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php:3) in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/Feed.php on line 294
Warning : Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php:3) in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/Feed.php on line 300
Warning : Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php:3) in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/WebResponse.php on line 46
Warning : Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php:3) in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/WebResponse.php on line 46
Warning : Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php:3) in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/WebResponse.php on line 46
https:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&feedformat=atom&user=121.102.38.114
miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja]
2025-01-15T02:02:50Z
利用者の投稿記録
MediaWiki 1.31.0
大川周明
2018-07-31T14:30:30Z
<p>121.102.38.114: /* 青年期 */</p>
<hr />
<div>{{Infobox 人物<br />
| 氏名 = 大川 周明<br />
| ふりがな = <br />
| 画像 = Okawa_Shumei.jpg<br />
| 画像サイズ = 200px<br />
| 画像説明 = <br />
| 出生名 = <br />
| 生年月日 = [[1886年]][[12月6日]]<br />
| 生誕地 = {{JPN}} [[山形県]][[酒田市]]<br />
| 没年月日 = {{死亡年月日と没年齢|1886|12|6|1957|12|24}}<br />
| 死没地 = {{JPN}} [[神奈川県]][[愛甲郡]][[中津村]]<br>(現・[[愛川町]])<br />
| 国籍 = {{JPN}}<br />
| 別名 = <br />
| 出身校 = [[東京大学|東京帝国大学]]文科大学<br />
| 職業 = [[思想家]]、大学教授<br />
| 著名な実績 = <br />
}}<br />
'''大川 周明'''(おおかわ しゅうめい、[[1886年]](明治19年)[[12月6日]] - [[1957年]](昭和32年)[[12月24日]])は、[[日本]]の[[思想家]]。<br />
[[1918年]]、[[東亜経済調査局]]・[[満鉄調査部]]に勤務し、[[1920年]]、[[拓殖大学]]教授を兼任する。[[1926年]]、「特許植民会社制度研究」で法学博士の学位を受け、[[1938年]]、[[法政大学]]教授大陸部([[専門部]])部長となる。その思想は、近代日本の西洋化に対決し、精神面では[[日本主義]]、内政面では[[社会主義]]もしくは[[統制経済]]、外交面では[[アジア主義]]を唱道した<ref>大塚健洋『大川周明』</ref>。<br />
<br />
なお、[[極東国際軍事裁判|東京裁判]]において民間人としては唯一[[A級戦犯]]の容疑で起訴されたことでも知られる。しかし、[[精神障害]]と診断され裁かれなかった。晩年は[[コーラン]]全文を翻訳するなど[[イスラーム]]研究でも知られる。<br />
<br />
== 経歴 ==<br />
=== 青年期 ===<br />
[[山形県]][[酒田市]]出身。祖先は代々「大川周賢」を襲名してきた医者の家系である。荘内中学(現[[山形県立鶴岡南高等学校]])、[[第五高等学校 (旧制)|第五高等学校]]を経て、[[東京大学|東京帝国大学]]文科大学卒(印度哲学専攻)。荘内中学時代は、庄内藩の儒者・[[角田俊次]]宅に下宿し、このときに漢学の素養を身につけた。また『南州翁遺訓』([[西郷隆盛]]が遺した言葉を庄内の人々が纏めたもの)を何度も読み、明治政府に批判する西郷の精神を学ぶ。五高時代には、[[栗野事件]](入学試験における学校当局の不正事件)で自ら先頭に立ち活躍した。大学時代は先賢古聖を思索する中で頓挫・懊悩し、救いをキリストに求めた。キリスト教系の新興宗教団体「[[道会]]」に加入。大正2年(1913)、道会創立者[[松村介石]]に依頼され、歴代天皇の業績を表した『列聖伝(れっせいでん)』の出版を試みたが、実現しなかった。やがてキリスト教会の物質を偏軽する道徳の虚偽に憤り、社会制度の根本的改造を必要とし「[[マルクス]]を仰いで吾師とした」<ref>大川周明『日本精神研究』序文</ref>。さらにプラトンの国家理想を知り、「キリストもマルクスも最早吾師に非ずと思った」。エマソン、ダンテ、ヘーゲル等等西洋古典哲学の遍歴からインド哲学に回帰没頭した。<br />
<br />
英、仏、独、サンスクリットの各言語に通暁し、シナ語、ギリシャ語、アラビア語でもこれを目指した。<br />
<br />
=== 思想家 ===<br />
[[File:OKAWA Shumei.jpg|thumb|200px|大川周明(1936年)]]<br />
大学卒業後、インドの独立運動を支援。[[ラース・ビハーリー・ボース]]や[[ヘーラムバ・グプタ]]を一時期自宅に匿うなど、インド独立運動に関わり、『印度に於ける國民的運動の現状及び其の由来』(1916年)を執筆。日本が日英同盟を重視して、イギリス側に立つことを批判し、インドの現状を日本人に伝えるべく尽力した。<br />
<br />
1918年(大正7年)には[[南満州鉄道]]に入社する。これは、初代満鉄総裁の[[後藤新平]]に、植民地インドに関する研究論文が評価されたことによる。のち、満鉄東亜経済調査局の編輯(へんしゅう)課長を務める<ref>大田尚樹『満州帝国史』93頁、新人物往来社</ref>。<br />
<br />
また、イスラム教に関心を示すなど、亜細亜主義の立場に立ち、研究や人的交流、人材育成につとめ、また、亜細亜の各地域に於ける独立運動や欧米列強の動向に関して『復興亜細亜の諸問題』(1922年)で欧米からのアジアの解放とともに、「日本改造」を訴えたり、[[アブドゥルアズィーズ・イブン=サウード]]、[[ケマル・アタチュルク]]、[[レザー・パフラヴィー]]らの評伝集である『亜細亜建設者』(1941年)を執筆した。[[ルドルフ・シュタイナー]]の[[社会三層化論]]を日本に紹介もしている(「三重国家論」として翻訳)。また、学生時代に[[参謀本部]]で[[ドイツ語]]の翻訳をしており、[[宇垣一成]]、[[荒木貞夫]]、[[杉山元]]、[[建川美次]]、[[東条英機]]、[[永田鉄山]]、[[岡村寧次]]らと知己があった<ref>松本清張『昭和史発掘 (4)』103頁、文春文庫</ref>。<br />
<br />
一方、日本精神復興を唱えて[[佐藤信淵]]、[[源頼朝]]、[[上杉謙信]]、[[横井小楠]]らの評伝をまとめ『日本精神研究』(1924年)を執筆。日本史を概観する書物として『[[日本二千六百年史]]』(1939年)を著す。同書は大ベストセラーとなるが、当時賊徒とみなされていた[[北条義時]]、[[北条泰時]]、[[足利尊氏]]・[[足利直義|直義]]兄弟を称賛するなどの内容があったため批判され、改訂を余儀なくされる。<br />
<br />
[[大正]]・[[昭和]]期に、[[北一輝]]、[[満川亀太郎]]らと親交があり、特に北一輝とは上海で2日間語り合い、北が計画している「日本改造」の原稿を託される。その際、北が、「君も命を狙われているだろうから」と仕込み槍を贈られたという逸話がある。日本で普通選挙運動が盛んだった頃、「日本改造」を実践する結社[[猶存社]]や、[[行地社]]、[[神武会]]を結成。[[貴族院 (日本)|貴族院]]議員の[[徳川義親]][[侯爵]]と親交が深く、徳川から金銭的援助を受けており、徳川は、大川やその他[[日本改造主義]]者たちの経済的[[パトロン]]であった。[[三月事件]]・[[十月事件]]・[[血盟団事件]]など殆どの[[昭和維新]]に関与し、[[五・一五事件]]でも禁錮5年の有罪判決を受けて服役。<br />
<br />
[[満州事変]]に際しては首謀者の一人[[板垣征四郎]]と親しく、大川の弟子が結成した[[大雄峯会]]が[[柳条湖事件]]や[[自治指導部]]などで関わった[[満州国]]の建国を支持して在満邦人と満州人民を政治的横暴から救うという視点から「新国家が成立し、その国家と日本との間に、国防同盟ならびに経済同盟が結ばれることによって、国家は満州を救うとともに日本を救い、かつ支那をも救うことによって、東洋平和の実現に甚大なる貢献をなすであろう」と主張した(文藝春秋昭和7年3月号『満州新国家の建設』)。北守南進を主張していたが、それはあくまでも「日中連携」を不可欠のものとしており、日中間の戦争を望むものではなかった。[[日中戦争]]が勃発時大川は獄中にあった。太平洋戦争については、「最後の瞬間までこの戦争を望まず、1940年に、日本がもっと準備を整える時まで、戦争を引き延ばそうと努力した<ref>『国際検察局尋問調書』第23巻</ref>」と記述があるとおり、[[肥田春充]]とともに日米戦回避のため開戦前夜まで奔走した。また、戦時中は[[大東亜省]]の[[大東亜共同宣言]]の作成にも携わった<ref>1943年10月5日大川日記</ref><ref>『新亜細亜』1943年2月号</ref>。<br />
<br />
=== 戦後 ===<br />
[[File:Okawa Shumei in court.jpg|thumb|240px|東條の頭を叩き両肩を抑えられる大川と苦笑する東條]]<br />
戦後、民間人としては唯一[[A級戦犯]]の容疑で起訴された。1946年3月21日に極東軍事裁判被告人選定委員会に提出された報告書によると、訴追の理由として「扇動的な書物を出版し、講演で変革を訴え、超国家主義的右翼団体を結成」「陸軍が合法的独立国家の中国から満州を奪取できるように、満州事変の陰謀をめぐらした計画」が挙げられている。<br />
<br />
[[極東国際軍事裁判|東京裁判]]には大川は水色の[[パジャマ]]を着用し、素足に[[下駄]]を履いて出廷した。開廷後、パジャマを脱ぎ始めたり、休廷中に前に座っている[[東條英機]]の頭を後ろから音がするほどの力で叩いたり(この場面を記録した映像が現存している。東條は最初は苦笑していたものの、何度も叩かれたため睨みつけたという)、「インダー・コメンジー!(「Inder kommen Sie!、ドイツ語で「インド人よ来たれ」の意。アメリカは[[アメリカ州の先住民族|インディアン]]を収奪したことを主張していたという説がある)」、または「イッツア・コメディ!(It's a comedy!、戦勝国による裁判に対する不公正を主張した説がある)」、「アイ、アイ・シンク(I, I think)」などと支離滅裂な言動を行ったため、法廷内で失笑を誘った。<br />
<br />
15分間の休廷中、[[オーストラリア]]の[[ウィリアム・ウェブ|ウェッブ]]裁判長は大川を精神異常と判断し、[[1947年]]4月9日、彼を正式に裁判から除外した。大川は米軍病院に入院させられ(のち東大病院、[[松沢病院]]に転院)、主治医の[[内村祐之]]により[[梅毒]]による精神障害と診断された。その後の精神鑑定で異常なしとされたが、裁判には戻されず、松沢病院での入院が続いた。入院中、以前より念願であった[[クルアーン]]全文の翻訳を完成する。なお東京裁判終了後まもなく退院。東京裁判で起訴された被告人の中では、裁判終了時に存命していて有罪にならなかった唯一の人物となった。この間、[[公職追放]]となる<ref>。({{citation<br />
| 和書<br />
| title = 公職追放に関する覚書該当者名簿<br />
| editor = 総理庁官房監査課<br />
| publisher = 日比谷政経会<br />
| year = 1949<br />
| id = {{NDLJP|1276156}}<br />
| page = [{{NDLDC|1276156/559}} 477]<br />
| ref = harv<br />
}} )</ref>。<br />
<br />
その後は、[[神奈川県]][[愛甲郡]][[中津村 (神奈川県)|中津村]]の自宅で過ごし、「[[瑞穂]]の国」を築く為の農村復興運動に取り組んだ。大川の墓銘は歴史学者[[平泉澄]]の揮毫<ref group="注釈">『大川周明関係文書』柳澤一二宛て書簡(昭和30年4月27日)に云う、「平泉澄博士は、当代の学者中、生(周明)が先生と敬ひて師事する唯一人」とあり、年下の国史学者平泉を評価していたという。<br />
</ref>。<br />
<br />
== 代表的著作 ==<br />
[[File:OkawaShumei20150207.jpg|thumb|200px|大川の墓]]<br />
*『復興亜細亜の諸問題』([[1922年]]、大鐙閣)<br />
** [[中公文庫]] 1993年、同・新編「付・新亜細亜小論」 2016年<br />
** 土曜社〈土曜文庫〉、上・下 2017年<br />
*『日本及日本人の道』([[1926年]]、行地社出版部)<br />
*『特許植民会社制度研究』([[1927年]]、東京寶文館)<br />
*『日本精神研究』(1930年、文録社)<br />
*『國史読本』([[1931年]]、先進社)<br />
*『日本二千六百年史』([[1939年]]、第一書房)<br />
** [[毎日ワンズ]] 2008年、新書版2017年<br />
*『米英東亜侵略史』([[1941年]]、[[第一書房]])。土曜社、2018年<br />
:* [[佐藤優 (外交官)|佐藤優]]による解説版([[小学館]]、のち小学館文庫)<br />
*『亜細亜建設者』(1941年、第一書房)<br />
*『回教概論』([[1942年]]、慶應書房)<br />
** 中公文庫、1991年<br />
** [[ちくま学芸文庫]]、2008年<br />
*『大東亜秩序建設』([[1943年]]、第一書房)<br />
*『古蘭』([[1950年]]、岩崎書店) <br />
*『安楽の門』([[1951年]]、出雲書房)。大川周明顕彰会、1988年 <br />
*『大川周明全集 (全7巻)』 同刊行会編・岩崎学術出版社([[1961年]]-[[1974年]])<br />
*『大川周明関係文書』 同刊行会編・芙蓉書房出版、[[1998年]]、ISBN 4829502037<br />
*『大川周明集 [[近代日本思想大系]]21』 [[筑摩書房]]、1975年、[[橋川文三]]編集解説<br />
*『日本的言行』 <叢書日本人論16>大空社、1996年<br />
<br />
=== 著作新版 === <br />
*『頭山満と近代日本』 春風社 2007年、[[中島岳志]]編集解説<br />
*『道 大川周明道徳哲学講話集「人格的生活の原則・中庸新註」』 [[書肆心水]]、2008年<br />
*『特許植民会社制度研究 大航海時代から二十世紀まで』 書肆心水、2008年<br />
*『アジア主義者たちの声 (下)』 (同上、2008年)<br />
*: 五・一五事件調書、「振興アジアの諸問題」序、北一輝君を憶う 他を収録。<br />
*『文語訳 古蘭 (上・下)』 (同上、2009年)<br />
*『敗戦後』(同上、2010年)<br />
*『マホメット伝』(同上、2011年)<br />
*『大川周明世界宗教思想史論集』(同上、2012年)<br />
*『安楽の門』 (同上、2015年)<br />
<br />
==大川周明が登場する作品==<br />
*[[やまむらはじめ]]『[[カムナガラ]]』([[少年画報社]])<br />
*[[荒俣宏]]『[[帝都物語]]』([[角川書店]])<br />
<br />
==大川周明を演じた俳優==<br />
* [[丹波哲郎]](陸海軍流血史)<br />
* [[庄司永建]]([[山河燃ゆ]])<br />
* [[石橋蓮司]]([[プライド・運命の瞬間]])<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
=== 注釈 ===<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
<references group="注釈" /><br />
=== 出典 ===<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
<div class = "references-small"><references/></div><br />
<br />
==文献==<br />
===伝記・研究===<br />
*[[松本健一]] 『大川周明』([[作品社]]、1986年)、[[岩波現代文庫]]、2004年 ISBN 4006030991<br />
*[[大塚健洋]] 『大川周明と近代日本』([[木鐸社]]、1990年 ISBN 4833221500)<br />
*大塚健洋 『大川周明 ある復古革新主義者の思想』 ([[中公新書]]、1995年)、[[講談社学術文庫]] [[2009年]]、ISBN 4062919362<br />
*刈田徹 『大川周明と国家改造運動』(人間の科学社、2001年、ISBN 482260201X)<br />
*[[佐藤優 (外交官)|佐藤優]] 『日米開戦の真実 大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』([[小学館]]、2006年、ISBN 409389731X)、[[小学館文庫]]、2011年<br />
*呉懐中 『大川周明と近代中国』(日本僑報社、2007年、ISBN 4861850606)<br />
*[[関岡英之]] 『大川周明の大アジア主義』([[講談社]]、2007年、ISBN 4062879220)<br />
*[[臼杵陽]] 『大川周明 イスラームと天皇のはざまで』([[青土社]]、[[2010年]] ISBN 4791765567)<br />
*大森美紀彦 『日本政治思想研究―権藤成卿と大川周明』(世織書房、2010年 ISBN 4902163500)<br />
*玉居子精宏 『大川周明 アジア独立の夢 志を継いだ青年たちの物語』([[平凡社新書]]、[[2012年]] ISBN 4582856519)<br />
*[[田々宮英太郎]]「大川周明、疑惑の狂気説」、『検索!二・二六事件 - 現代史の虚実に挑む』 [[雄山閣出版]] 1993年<br />
<br />
===資料===<br />
*『大川周明日記 明治36年~昭和24年』[[岩崎学術出版社]]、1986年<br />
*『大川周明旧蔵書目録 酒田市立光丘文庫所蔵』[[酒田市立図書館]]、1994年<br />
*『大川周明「獄中」日記 米英東亜侵略史の底流』[[毎日ワンズ]]、2009年 <br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
*[[猶存社|日の会]]<br />
*[[大東亜共同宣言]]<br />
*[[老壮会]]<br />
*[[頭山満]]<br />
*[[岸信介]]<br />
*[[押川方義]]<br />
*[[八代六郎]]<br />
*[[岡倉天心]]<br />
*[[前嶋信次]]<br />
*[[井筒俊彦]]<br />
*[[甘粕正彦]]<br />
*[[川島浪速]]<br />
*[[西本白川]]<br />
*[[安岡正篤]]<br />
*[[佐々木到一]]<br />
*[[大原信一]](東京裁判弁護人)<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
{{Commons&cat|Shumei Okawa|}}<br />
* [http://www.c20.jp/p/osyumei.html 大川 周明 / クリック 20世紀]<br />
* [http://shuchi.php.co.jp/article/717 「大川周明」 田原総一朗(ジャーナリスト) / PHP研究所 「PHPビジネスオンライン 衆知」]<br />
* [http://www.archives.gov/iwg/declassified-records/rg-263-cia-records/first-release-name-files.html Declassified Documents--RG 263: Name File]<br />
* [http://www.archives.gov/iwg/declassified-records/rg-263-cia-records/second-release-name-files.html CIA Records - Name Files]<br />
{{-}}<br />
{{A級戦犯}}<br />
{{Normdaten}}<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:おおかわ しゆうめい}}<br />
[[Category:中東イスラーム研究者]]<br />
[[Category:満州事変の人物]] <br />
[[Category:太平洋戦争の人物]]<br />
[[Category:A級戦犯被告]]<br />
[[Category:日本の政治運動家]]<br />
[[Category:戦前日本のアジア主義の人物]]<br />
[[Category:東京大学出身の人物]]<br />
[[Category:山形県出身の人物]]<br />
[[Category:満鉄調査部の人物]]<br />
[[Category:日本の思想家]]<br />
[[Category:昭和維新]]<br />
[[Category:クルアーン翻訳者]]<br />
[[Category:五・一五事件の人物]]<br />
[[Category:拓殖大学の教員]]<br />
[[Category:法政大学の教員]]<br />
[[Category:梅毒に罹患した人物]]<br />
[[Category:三月事件の人物]]<br />
[[Category:十月事件の人物]]<br />
[[Category:公職追放者]]<br />
[[Category:1886年生]]<br />
[[Category:1957年没]]</div>
121.102.38.114
Warning : Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php:3) in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/WebResponse.php on line 46