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https:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&feedformat=atom&user=110.134.204.150 miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja] 2025-01-15T02:31:53Z 利用者の投稿記録 MediaWiki 1.31.0 火垂るの墓 2018-08-01T17:57:45Z <p>110.134.204.150: /* アニメ映画 */誤字修正</p> <hr /> <div>{{基礎情報 書籍<br /> | title = 火垂るの墓<br /> | orig_title = Grave of the Fireflies<br /> | author = [[野坂昭如]]<br /> | published = [[1967年]]10月<br /> | publisher = [[文藝春秋]]<br /> | portal1 = 文学<br /> }}<br /> <br /> 『&#039;&#039;&#039;火垂るの墓&#039;&#039;&#039;』(ほたるのはか)は、[[野坂昭如]]の[[短編小説]]で、野坂自身の戦争原体験を題材した作品である。[[兵庫県]][[神戸市]]と[[西宮市]]近郊を舞台に、戦火の下、親を亡くした14歳の兄と4歳の妹が[[終戦]]前後の混乱の中を必死で生き抜こうとするが、その思いも叶わずに[[栄養失調]]で悲劇的な死を迎えていく姿を描いた物語。愛情と無情が交錯する中、[[蛍]]のように儚く消えた2つの命の悲しみと[[鎮魂]]を、独特の[[文体]]と世界観で表現している。<br /> <br /> 『火垂るの墓』を原作とした同名タイトルの映画([[アニメーション]]、実写)、漫画、テレビドラマ、[[合唱]][[組曲]]などの翻案作品も作られており、特にアニメーション映画は一般的にも人気の高い作品となっている。[[イギリス]]で実写映画化が予定され、撮影は2014年から行われる&lt;ref&gt;『シネマトゥデイ』(2012年11月24日付)[http://www.cinematoday.jp/page/N0048048]&lt;/ref&gt;はずだったが、結局、実現しなかった。<br /> <br /> == 発表経過 ==<br /> [[1967年]](昭和42年)、雑誌『[[オール讀物]]』10月号に掲載され、同時期発表の『[[アメリカひじき]]』と共に翌春に第58回(昭和42年度下半期)[[直木三十五賞|直木賞]]を受賞した。単行本は両作併せて1968年(昭和43年)3月25日に[[文藝春秋]]より刊行された。文庫版は[[新潮文庫]]より刊行されている。翻訳版はAlycia Davidson訳(英題: {{en|&#039;&#039;Grave of the Fireflies&#039;&#039;}})をはじめ、各国で行われている。<br /> <br /> == 作品構成・文体 ==<br /> [[文体]]は、[[近畿方言|関西弁]]の長所を生かした「饒舌体」の文体ながらも、無駄のない独特のものとなっている&lt;ref name=&quot;ozaki&quot;&gt;[[尾崎秀樹]]「解説」(文庫版『[[アメリカひじき]]・火垂るの墓』)([[新潮文庫]]、1972年。改版2003年)&lt;/ref&gt;&lt;ref name=&quot;senpyo&quot;/&gt;。<br /> <br /> 物語の構成は、冒頭にまず物語の結末部分が描かれ、駅構内で死んでいった主人公の少年の[[腹巻]]の中から発見された[[ドロップ]]缶を駅員が放り投げると、その拍子に蓋が開いて缶の中から小さい骨のかけらが転げ出し、[[蛍]]が点滅して飛び交う。そして、その骨が少年の妹の遺骨であることの説明から、[[カットバック]]で時間が[[神戸大空襲]]へ戻っていき、そこから駅構内の少年の死までの時間経過をたどる効果的な構成となっており、印象的で自然な流れとなっている&lt;ref name=&quot;ozaki&quot;/&gt;。<br /> <br /> == 作品背景 ==<br /> [[File:Kobe after the 1945 air raid.JPG|250px|thumb|right|神戸大空襲後の神戸市街]]<br /> <br /> 『火垂るの墓』のベースとなった戦時下での妹との死別という主題は、野坂昭如の実体験や情念が色濃く反映された半ば自伝的な要素を含んでおり、1945年(昭和20年)[[6月5日]]の[[神戸大空襲]]により自宅を失い、家族が大[[火傷]]で亡くなったことや、焼け跡から食料を掘り出して[[西宮市|西宮]]まで運んだこと、美しい[[蛍]]の思い出、1941年(昭和16年)[[12月8日]]の開戦の朝に学校の鉄棒で46回の前回り記録を作ったことなど、少年時代の野坂の経験に基づくものである。<br /> <br /> 野坂は幼児期に生母と死別したのち、神戸で貿易商を営んでいた叔母夫婦の養子となったが、前述の神戸大空襲で住んでいた家は全焼。当時14歳だった野坂は1歳の義妹とともに西宮市満池谷町の親類宅に身を寄せたり、あるいはその近くのニテコ池の南側に広がる谷間に10ヶ所ほどあった[[防空壕]]で過ごすなどの経験を実際にしている&lt;ref name=&quot;asahi&quot;&gt;[http://www.asahi.com/articles/ASJCZ6TSVJCZPLZU007.html 朝日新聞デジタル - 「火垂るの墓、原点の地 野坂昭如さん過ごした防空壕確認」 編集委員・永井靖二 2016年12月2日10時05分]&lt;/ref&gt;。&lt;ref name=&quot;nosaka&quot;&gt;野坂昭如「私の小説から 火垂るの墓」([[朝日新聞]] 1969年2月27日号に掲載)。のち『アドリブ自叙伝』([[筑摩書房]]、1980年。[[日本図書センター]]、1994年と2012年に復刊)に所収&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ただし、「空襲で父母をなくした」は詐称であり、養父は実際に空襲で行方不明となっていたが、養母は大怪我をしながら生きており、元から一緒に暮らしていた養祖母も健在だった&lt;REF name=&quot;nosaka&quot;&gt;野坂昭如「私の小説から 火垂るの墓」([[朝日新聞]] 1969年2月27日号に掲載)。のち『アドリブ自叙伝』([[筑摩書房]]、1980年。[[日本図書センター]]、1994年と2012年に復刊)に所収&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 野坂は戦中から戦後にかけて2人の妹(野坂自身も妹も養子であったため、血の繋がりはない)を相次いで亡くしており、死んだ妹を自ら[[荼毘]]に付したことがあるのも事実である。しかし西宮の親戚の家に滞在していた当時の野坂は、その家の2歳年上の美しい娘(三女・京子)に夢中であり、幼い妹・恵子(物語とは異なりまだ1歳6ヶ月で、8月22日に疎開先の[[福井県]]で亡くなった)のことなどあまり気にかけることなく、中学生らしい淡い初恋に心をときめかせていたという。食糧事情は悪かったものの、小説のようなひどい扱いは実際には受けておらず、家を出て[[防空壕]]で生活したという事実はない&lt;ref name=&quot;nosaka&quot;&gt;野坂昭如「私の小説から 火垂るの墓」([[朝日新聞]] 1969年2月27日号に掲載)。のち『アドリブ自叙伝』([[筑摩書房]]、1980年。[[日本図書センター]]、1994年と2012年に復刊)に所収&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 野坂は、まだ生活に余裕があった時期に病気で亡くなった上の妹には、兄としてそれなりの愛情を注いでいたものの、家や家族を失い、自分が面倒を見なくてはならなくなった下の妹のことはどちらかといえば疎ましく感じていたことを認めており、泣き止ませるために頭を叩いて[[脳震盪]]を起こさせたこともあったという&lt;ref&gt;野坂昭如「プレイボーイの子守唄」([[婦人公論]] 1967年3月号に掲載)&lt;/ref&gt;。西宮から福井に移り、さらに食糧事情が厳しくなってからはろくに食べ物も与えず、その結果として、やせ衰えて骨と皮だけになった妹は誰にも看取られることなく[[餓死]]している&lt;ref&gt;野坂昭如「五十歩の距離」(『野坂昭如エッセイ集1 日本土人の思想』)([[中央公論社]]、1969年)&lt;/ref&gt;。こうした事情から、かつては自分もそうであった妹思いのよき兄を主人公に設定し、平和だった時代の上の妹との思い出を交えながら、下の妹・恵子へのせめてもの[[贖罪]]と[[鎮魂]]の思いを込めて、野坂は『火垂るの墓』を書いた。「節子」という名は野坂の亡くなった養母の実名であり、小学校1年生の時に一目ぼれした初恋の同級生の女の子の名前でもあった&lt;ref name=&quot;adoribu&quot;&gt;野坂昭如『アドリブ自叙伝』([[筑摩書房]]、1980年。[[日本図書センター]]、1994年と2012年に復刊)&lt;/ref&gt;。「恵子」という名前を、『[[エロ事師たち]]』の主人公の義娘の名前に付けたのは、妹への思いがあったからだという&lt;ref name=&quot;adoribu&quot;/&gt;。<br /> <br /> 野坂は妹の恵子について次のように述べている。<br /> {{Quotation|一年四ヶ月の妹の、母となり父のかわりつとめることは、ぼくにはできず、それはたしかに、[[蚊帳]]の中に蛍をはなち、他に何も心まぎらわせるもののない妹に、せめてもの思いやりだったし、泣けば、深夜におぶって表を歩き、夜風に当て、[[汗疹]]と、[[虱]]で妹の肌はまだらに色どられ、海で水浴させたこともある。(中略)ぼくはせめて、小説「火垂るの墓」にでてくる兄ほどに、妹をかわいがってやればよかったと、今になって、その無残な骨と皮の死にざまを、くやむ気持が強く、小説中の清太に、その想いを託したのだ。ぼくはあんなにやさしくはなかった。|野坂昭如「私の小説から 火垂るの墓」&lt;ref name=&quot;nosaka&quot;/&gt;}}<br /> <br /> == あらすじ ==<br /> 1945年(昭和20年)[[9月21日]]、清太は[[日本国有鉄道|省線]](現在の[[西日本旅客鉄道|JR]][[東海道本線]](通称・[[JR神戸線]]))[[三ノ宮駅]]構内で[[衰弱死]]した。清太の所持品は錆びた[[サクマ式ドロップス|ドロップ缶]]。その中には妹・節子の小さな骨片が入っていた。駅員がドロップ缶を見つけ、無造作に草むらへ放り投げる。地面に落ちた缶からこぼれ落ちた遺骨のまわりに[[蛍]]がひとしきり飛び交い、やがて静まる。<br /> <br /> [[太平洋戦争]]末期、兵庫県[[武庫郡]][[御影町]](現在の神戸市東灘区&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;清太・節子一家が住んでいたとされるのは、武庫郡御影町大字[[御影 (神戸市)|御影]]字上中・字上西。現在の[[神戸市]][[東灘区]][[御影本町]]六丁目・八丁目あたりである。&lt;/ref&gt;)に住んでいた4歳の節子とその兄である14歳の清太は[[6月5日]]の[[神戸大空襲]]で母も家も失い、父の[[従兄弟]]の嫁で今は未亡人である兵庫県[[西宮市]]の親戚の家に身を寄せることになる。<br /> <br /> 最初のうちは順調だった共同生活も戦争が進むにつれて、2人を邪魔扱いする説教くさい叔母との諍いが絶えなくなっていった。居心地が悪くなった清太は節子を連れて家を出ることを決心し、近くの満池谷町の貯水池のほとりにある[[防空壕]]の中で暮らし始めるが&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;貯水池は、現在の[[夙川公園]]北東部付近にある貯水池(ニテコ池)がモデル。[[防空壕]]は、ニテコ池のほとりに実在した壕。野坂自身もたびたび避難したという。&lt;/ref&gt;、[[配給 (物資)|配給]]は途切れがちになり、情報や近所付き合いもないために思うように食料が得られず、節子は徐々に[[栄養失調]]で弱っていった。清太は[[窃盗|畑から野菜を盗んだり]]、空襲で無人となった人家から[[火事場泥棒]]し、時には見つかり殴られた上に[[交番|派出所]]に突き出されながらも飢えをしのいだ。<br /> <br /> ある日、川辺で倒れている節子を発見した清太は、病院に連れていくも医者に「滋養を付けるしかない」と言われたため、銀行から貯金を下ろして食料の調達に走る最中に[[終戦記念日|日本が降伏して戦争は終わった]]ことを知った。清太は日本が敗戦し、父の所属する[[連合艦隊]]も壊滅したと聞かされショックを受ける。節子に食べ物を食べさせるものの既に手遅れで、節子は終戦から7日後の8月22日に短い生涯を閉じた。節子を[[荼毘]]に付した後、清太は防空壕を去る。その清太もまた栄養失調に侵されており、身寄りも無いため三ノ宮駅に寝起きする[[戦災孤児]]の1人として野垂れ死んだ。清太は他の2、30体の死体と共に[[荼毘]]に付され、[[無縁仏]]として[[納骨堂]]へ収められた。その後物語の冒頭1945年(昭和20年)[[9月21日]]、鉄道構内で衰弱し霊的な存在となった清太は節子と再会し自分たちが生きていた頃を思い浮かべ見つめ続ける。それから2人は現代の時代まで成仏せずに迷い続けた。<br /> <br /> == 直木賞の選評 ==<br /> 『[[アメリカひじき]]』と一緒に受賞し、選考委員の評価は総じて高いもので、反対派はいなかった。<br /> <br /> [[海音寺潮五郎]]は、「[[大阪弁|大坂ことば]]の長所を利用しての冗舌は、縦横無尽のようでいながら、無駄なおしゃべりは少しもない。十分な計算がある。見事というほかはない」と評し&lt;ref name=&quot;senpyo&quot;&gt;「第58回[[直木三十五賞|直木賞]](昭和42年度下半期)選評」([[オール讀物]] 1968年4月号に掲載)&lt;/ref&gt;、「後者(火垂るの墓)の結末は明治調すぎて、古めかしすぎて乗って行けなかったが、自伝的なものがありそうだから、こうせざるを得なかったのであろう」と述べている&lt;ref name=&quot;senpyo&quot;/&gt;。<br /> <br /> [[水上勉]]は、「出来がよく、野坂氏の怨念も夢もふんだんに詰めこまれて、しかも好短篇の結構を踏み、完全である。感動させられた」と述べ&lt;ref name=&quot;senpyo&quot;/&gt;、[[松本清張]]は、「私の好みとしては『アメリカひじき』よりも『火垂るの墓』をとりたい。だが、野坂氏独特の粘こい、しかも無駄のない饒舌体の文章は現在を捉えるときに最も特徴を発揮するように思う」と評している&lt;ref name=&quot;senpyo&quot;/&gt;。<br /> <br /> [[川口松太郎]]は、「直木賞作家の本命とはいい難く、君の技量は逆手だ。文章のアヤの面白さに興味があって事件人物の描写説得は二の次になっている」とし&lt;ref name=&quot;senpyo&quot;/&gt;、「野坂君が独特の文体の上に、豊かな内容をもり込む作家になってくれたらそれこそ[[鬼に金棒]]だ」と助言をしている&lt;ref name=&quot;senpyo&quot;/&gt;。<br /> <br /> [[大佛次郎]]は、「この装飾の多い文体で、裸の現実を襞深くつつんで、むごたらしさや、いやらしいものから決して目を背向けていない」とし&lt;ref name=&quot;senpyo&quot;/&gt;、「作りごとでない力が、底に横たわって手強い」と評している&lt;ref name=&quot;senpyo&quot;/&gt;。[[柴田錬三郎]]は、「さまざまの話題をマスコミにまきちらし乍ら、とにもかくにも、[[文壇]]へふみ込んで来たその雑草的な強さは、敬服にあたいする。私は、『火垂るの墓』に感動した。[[劇作家|劇作者]]的文章が、悲惨な少年少女の最後を描いて、効果をあげたことは、われわれ実作者に深く考えさせるところがあった」と高い評価をしている&lt;ref name=&quot;senpyo&quot;/&gt;。<br /> <br /> == アニメ映画 ==<br /> {{Infobox Film<br /> | 作品名 = 火垂るの墓<br /> | 原題 = <br /> | 画像 = Hotaru no haka title.jpg<br /> | 画像サイズ = 240px<br /> | 画像解説 = <br /> | 監督 = [[高畑勲]]<br /> | 脚本 = 高畑勲<br /> | 原案 = <br /> | 原作 = [[野坂昭如]]<br /> | 製作 = [[原徹]]<br /> | 製作総指揮 = <br /> | ナレーター = <br /> | 出演者 = [[辰巳努]]&lt;br /&gt;[[白石綾乃]]<br /> | 音楽 = [[間宮芳生]]<br /> | 主題歌 = <br /> | 撮影 = <br /> | 編集 = [[瀬山武司]]<br /> | 制作会社 = [[スタジオジブリ]]<br /> | 製作会社 = [[新潮社]]<br /> | 配給 = [[東宝]]<br /> | 公開 = {{flagicon|JPN}} 1988年4月16日<br /> | 上映時間 = 88分<br /> | 製作国 = {{JPN}}<br /> | 言語 = [[日本語]]<br /> | 製作費 = <br /> | 興行収入 = <br /> | 配給収入 = 5億9000万円<br /> | 前作 = <br /> | 次作 = <br /> }}<br /> {{ウィキポータルリンク|映画}}<br /> [[File:Hotarunohaka3427.jpg|180px|thumb|火垂るの墓の碑&lt;br /&gt;[[石屋川]]にて]]<br /> <br /> 同名の[[アニメ]]映画『火垂るの墓』(英題:&#039;&#039;Grave of the Fireflies&#039;&#039;)が、[[新潮社]]の製作で[[1988年]](昭和63年)[[4月16日]]から[[東宝]]系で公開された。制作は[[スタジオジブリ]]、監督・脚本は[[高畑勲]]。挿入歌として[[アメリータ・ガリ=クルチ]]の「[[埴生の宿]](原題:Home, Sweet Home)」が使われた。<br /> <br /> 原作同様に清太の死が冒頭で描かれ、[[幽霊]]になった清太の「僕は死んだ」というナレーションから始まってカットバックしていき、神戸大空襲から清太が死地となる駅構内へ赴くまで原作の構成をほぼ忠実になぞっているが、後半部分の演出、特に節子の死のシーンの描写(原作では清太が池で泳いでいる間に死んでいる)や、ラストで清太が去って行った後の山から見える景色が現代の神戸の街のシルエットに繋がる構成などはアニメオリジナルである。<br /> <br /> 作中で画面が赤くなる時は、清太と節子の幽霊が登場し近くで見ており、記憶を何度も繰り返し見つめていることを意味し、[[阿修羅]]のように赤く演出されている&lt;ref&gt;1988年5月号『アニメージュ』の高畑勲監督の発言、ジブリレイアウト展の音声解説より&lt;/ref&gt;&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;冒頭に出てくる2人と、新しくなるドロップの缶は幽霊になったイメージ、幽霊の節子が三宮の駅で倒れる過去の清太の所に行こうとしたのをもう1人の清太が制止するのは「自分も(幽霊になり)ここにいるから心配しなくていい」という意味、電車に乗り叔母の家まで行くのは「過去を思い出しに行く」とも言えるシーンで、「死人に口なし」という事もことわざもあるように幽霊の清太は冒頭とラストを除き喋らない。&lt;/ref&gt;&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;宮崎駿は[[稲葉振一郎]]『ナウシカ読解』インタビューで「幽霊というのは死んだ時の姿で出てくるのでガリガリに痩せてお腹が減った状態で出てこないとおかしい」と幽霊の2人の衣服に[[矛盾]]を指摘している。&lt;/ref&gt;。ただしアニメ絵本ではこの部分は大幅に省略され、ラストで現代の神戸の街を見ている2人が赤い状態の幽霊であることを示唆する場面があるのみである。アニメ絵本は概ね映画本編を忠実になぞっているが、唐突に出てきた台詞・行動・場面等の説明がなされている。<br /> <br /> === キャスト ===<br /> 公開当時、清太の声を担当した辰巳努は16歳1ヶ月、節子の声を担当した白石綾乃は5歳11ヶ月で、共に作品舞台と同じ関西地区の出身者である。清太、節子の母の声を担当した志乃原良子も大阪出身であり、他にも、同じ関西が舞台である高畑勲の作品『[[じゃりン子チエ]]』に出演経験のある山口や表淳夫も含めた関西出身の俳優が多数出演しており、本職のアニメ声優はほとんど起用されていない。<br /> ; 清太<br /> : 声 - [[辰巳努]]<br /> : 本作の主人公。14歳(中学3年〔[[旧制中学校|旧制]]〕)。劇中で、通っていた神戸市立中〔旧制〕は空襲で全焼したことが清太により言及。家も焼け出され、母も死去し、幼い妹・節子と共に西宮の親戚の家に行くが、叔母と折り合いが悪くなり自由を求めて節子と共にその家を出る。衰弱する節子に食べ物を与えるため盗みをするなど必死になるが、栄養失調で節子を失い、1945年(昭和20年)9月21日夜、清太自身も三宮駅構内で栄養失調のため衰弱死した。同時に節子の遺骨が入ったドロップの缶は駅員に放り投げ出されていった。アニメ映画では死の直前、意識が朦朧としても節子のことを考えていた&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;節子と海に行った帰りにおんぶを要求された際にはうんざりした様子で[[ため息]]をついている。&lt;/ref&gt;。盗みを始めた理由についてアニメ絵本では節子が病気になりかかっているので「なんとかしなければならないと思ったため」という記述がある。<br /> ; 節子<br /> : 声 - [[白石綾乃]]<br /> : 本作のヒロイン。4歳。清太の妹。母の言葉や着物のことを覚えている&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;近藤喜文が書いたイメージボードでも家から持ってきた荷物を整理する清太の横で母のおべべ(着物)を大事そうに抱く節子が描かれている。&lt;/ref&gt;。清太から母が亡くなったことは聞かされず、病院に入院していると誤魔化されていたが、中盤で、実は叔母から母が既に亡くなったことを聞き、知っていたことが判明する。栄養失調から来る衰弱のため体に[[汗疹]]や[[疥癬]]ができ、髪には[[シラミ|虱]]がつき、何日も下痢が続いていた。その影響で徐々に目も虚ろになり焦点もあっておらず、死の直前は清太の言葉もほとんど通じていなかった。この際、おはじきをドロップと思って舐めたり、石を御飯だと勘違いするほど思考力が落ちていた。スイカを食べた後、目を覚ます事はなく息を引き取った。彼女の遺体は清太によって大事にしていた人形、財布等と共に[[荼毘]]に付され、遺骨はドロップの缶に納められた。<br /> : 死因については、栄養失調や弱による死亡説のほか、冒頭の空襲で軍需工場の出火により有毒物質を含む黒煙の雨粒を体内に取り込んだためとする説がある。劇中で何度か「左眼が痛い」と発言しているのもそれに起因している。幼く免疫力が低かったことや栄養失調が重なったため、清太よりも早く死に至ったとする説である&lt;ref&gt;[http://mangadojyo.doorblog.jp/archives/11190195.html 漫画道場 : 【短評】『火垂るの墓』~節子の死の真因を探る]&lt;/ref&gt;。ただしこの説は清太と節子の栄養状態が同一水準だった場合を前提としており、劇中には盗みに入った家で清太だけが盗み食いをする描写があるため、仮説の一つにとどまる。<br /> : ドロップが好きで、手持ちを全て食べつくし、衰弱し何を食べたいかを聞かれ最後に「またドロップ舐めたい」と語っていたが叶うことはなかった。アニメ絵本で清太は節子を荼毘に付す直前、「もう一度ドロップ舐めさせてあげたかった」と述壊している。モデルは、戦時中に栄養失調で亡くなった原作者の妹である。<br /> : なお節子役を演じた白石は「節子と同年輩で関西弁の子役」という監督の要望で起用され、マネージャーから口伝えにセリフの指導を受け[[プレスコ]]で収録を行った&lt;ref name=&quot;panf&quot;&gt;映画『火垂るの墓』パンフレット&lt;/ref&gt;。志乃原は白石について「本当にいい子でした」と述べている&lt;ref name=&quot;impress&quot;&gt;[http://av.watch.impress.co.jp/docs/news/20120718_547364.html 「トトロ」Blu-ray発売で、サツキとメイが当時を回想] AVウォッチ2012年7月18日&lt;/ref&gt;。また辰巳努は「あの子のおかげでだいぶやりやすかった。あの子の声やから、最後の節子が死にそうになるところで、思わず素直にセリフが出てしまったのかもしれません」と述べている&lt;ref name=&quot;panf&quot;/&gt;。<br /> ; 清太・節子の母<br /> : 声 - [[志乃原良子]]<br /> : 兄妹の母親。心臓が悪い(原作においては節子を出産した後に心臓病を患ったと説明されている)。気立ての良い、上品な美人。2人より先に[[防空壕]]に行こうとしていた際に空襲に被災、全身に大火傷を負い重篤となる。包帯も取れない状態で、腕の一部が焼け[[蛆虫]]がついており、清太が駆けつける直前に昏睡状態に陥り、そのまま死亡。清太は節子に真実を話すことができず、「西宮の回生病院に入院している」ことにしている。なお、アニメ映画では、清太は母の遺骨を納めた箱を叔母の家についた直後に庭に隠した。原作では棚の上の戸袋に隠し、中盤で母の死が節子に知れてからは、母の遺骨は[[布引町]]近くの春日野墓地に埋葬されていると節子に告げ、まだ防空壕の中にあるにもかかわらず清太はそういう希望を語っている。清太が持っていた7,000円の貯金{{要出典範囲|(現在{{いつ|date=2016年10月}}のレートで1328万円)|date=2016年10月}}は「母がもしもの時のために銀行に預けてくれていたものである」と劇中では言及。<br /> : なお、清太が泥棒で捕まり、殴られた際に節子が清太にかけた言葉は、原作では「母の口調」とあり、アニメ絵本では「母が昔、節子が泣く度に言った台詞」と書かれている。母親の登場シーンは事実上、冒頭のみで後は回想シーンなどで登場する。清太が回想した母と節子と海に行った場面は劇中では特に説明がないが、アニメ絵本や原作の記述によると1年前の出来事とされている。<br /> ; 清太・節子の父<br /> : 兄妹の父親で[[海軍大尉]]。戦争に出征しているため、劇中では写真と回想シーンでのみ登場する。モデルは野坂の実父とされる。清太は昔、父の[[観艦式]]を見たと言及しており、節子が生まれる前から、海軍にいたことが示唆されている。この観艦式は原作では1935年(昭和10年)10月となっている。戦争に出征してからは清太が手紙を出しても連絡が着かなくなっていたが戦争終了後、父の乗った連合艦隊は全滅していたことが判明する。なお、父が乗り込んだとされる高雄型重巡洋艦[[摩耶 (重巡洋艦)|摩耶]]は1944年(昭和19年)10月の[[レイテ沖海戦]]で[[フィリピン]]のパラワン水道において米潜水艦の魚雷攻撃を受け沈没している。ただし769名(士官47名、下士官兵722名)が救助されていることから、本当の生死は不明である。また、特にネットでは彼が摩耶の艦長であるとする言説が散見されるが、劇中でそのことを裏付ける内容は一切示されていない。<br /> ; 親戚の叔母さん<br /> : 声 - [[山口朱美]]<br /> : 西宮在住。清太と節子を一時的に引き取る。当初はうまくいっていたが、次第に諍いが絶えなくなる&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;実際の野坂が疎開した先の叔母は映画のように態度が悪くなっていない。&lt;/ref&gt;。原作では「未亡人」「小母さん」と表記され、清太の父親の従弟が夫だった。清太と節子を預かることは清太の言及によると約束になっていたようであり、叔母の言動から母も叔母の家に疎開する予定だった模様。原作ではお互い空襲で家が焼けたら身を寄せ合う約束だったと記され、アニメ絵本でも、状況によっては叔母が清太達の家に疎開する可能性も示唆されている。勝手に出て行ったのは清太達で叔母は直接的に追い出す言動は取っていないが、引き止めもせずにせいせいし、原作では、2人を疫病神と呼び、「横穴へ住んどったらええ」と言っている。<br /> ; 叔母さんの娘<br /> : 女学生。三つ編みの清楚な風貌の少女。節子に下駄をプレゼントする、母が自分達の食器にだけ米を盛り清太と節子には雑炊しか与えなかった際は居心地の悪そうな素振りを見せる描写がある。<br /> ; 叔母宅の下宿人<br /> : 学生。眼鏡をかけた、真面目そうな青年。劇中で名前は呼ばれておらず絵コンテ集で確認できる。叔母に愛想を尽かされ庭で煮炊きする清太と節子を見て、気の毒がる素振りをするが、下宿人という立場からか積極的な擁護まではしなかった。叔母の台詞では勤労奉仕に熱心に参加している模様。原作では、家には娘と、[[商船学校]]&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;史実において、当時神戸に所在していたのは商船学校ではなく、[[高等商船学校]](高等商船学校神戸分校。[[神戸商船大学]]の実質的な前身)である。&lt;/ref&gt;在学中の息子・幸彦と、[[神戸税関]]に勤めている下宿人がおり、下宿人は闇の食料ルートに詳しく缶詰などを持ってきて、叔母の娘の気をひこうとしている。<br /> ; 役名表記無し<br /> : 端田宏三、酒井雅代、野崎佳積、松岡与志雄、金竹雅浩、柳川清、真木一、[[表淳夫]]、はりた照久、[[田中弘史]]、伝法三千雄、[[玉生司朗]]、[[中村正 (声優)|中村正]]、関田美香、宮本毬子、松本淳、松田春子、上田恵子、竹岡和彦、鰺坂貴代美、上野真紀夫、平松豊和、森脇京子、嶋谷隆司、真田隆次、邦保、加治春雄、安満敏子、小林誠、沢田憲一、隈本晃俊、国分郁男、横山祐介、房本佳長、谷本幸士郎、守屋真人、中山鉄朗、藤田尚樹、城野正富美、伴鉄、木下真喜子、行原千酷、黒川裕子、川口真由美<br /> <br /> === スタッフ ===<br /> * [[原作]] - [[野坂昭如]]([[新潮文庫]]版)<br /> * [[エグゼクティブプロデューサー|製作]]・[[映画プロデューサー|企画]] - [[佐藤亮一 (実業家)|佐藤亮一]]<br /> * [[映画音楽|音楽]] - [[間宮芳生]]<br /> * 挿入歌 - 「[[埴生の宿]]」(原題「Home Sweet Home」)<br /> ** 歌 - [[アメリータ・ガリ=クルチ]](日本盤発売元 [[BMG JAPAN|BMGビクター株式会社]])<br /> * [[キャラクターデザイン]]・[[作画監督]] - [[近藤喜文]]<br /> * [[レイアウト]]・作監補佐 - [[百瀬義行]]<br /> * [[美術監督]] - [[山本二三]]<br /> * [[撮影監督]] - 小山信夫<br /> * [[音響監督]]・音響演出 - [[浦上靖夫]]<br /> * 作監助手 - 保田夏代<br /> * [[原画]] - 石井邦幸、[[羽根章悦]]、森友典子、大谷敦子、[[河内日出夫]]、[[小田部羊一|奥山玲子]]、[[山内昇寿郎]]、高野登、[[木上益治]]、[[高坂希太郎]]、岡田敏靖、桜井美知代、酒井明雄、石黒育、[[小川博司 (アニメーター)|小川博司]]、[[賀川愛]]、[[梅津泰臣]]、[[庵野秀明]]、[[才田俊次]]、大関紀子、<br /> * 動画チェック - [[尾沢直志]]、矢吹英子<br /> * 動画 - 吉野高夫、[[堀内博之]]、神原よし美、原佳寿美、平田英一郎、金子昌司、[[辻繁人]]、鍵山仁志、柴田志朗、成田達司、栗田務、稲田浩、高野亜子、小須田ひろみ、川橋良江、西戸スミエ、片山雄一、鈴木まゆみ、河内由美、入江篤、山田みどり、牧孝雄、太田世彦、佐藤伸子、本橋明美、藤本真弓、小川祐子、佐久間敬子、反田誠二、飯沼卓也、大内正彦、斉藤百合子、西山映一郎、[[田辺修 (アニメーター)|田辺修]]、木田葉子、井坂純子、長岡みどり、武井智子、塩原智恵子、江野沢柚美、米山幸子、福土多鶴子、古沢英明、嘉村弘之、佐藤文 [[動画工房]]、[[オープロダクション]]、ドラゴンプロダクション、グループライナス、スタジオぽっけ<br /> * 美術助手 - [[久村佳津]]<br /> * [[背景]] - 小関睦夫、[[平田秀一]]、菱山徹、樋口法子、[[田村せいき|田村盛揮]]、金箱良成、中座洋次、橋爪ふきこ、須藤栄子、平川栄治、伊奈淳子<br /> * 特殊効果 - 谷藤薫児<br /> * [[色彩設定|キャラクター色彩設計]] - [[保田道世]]<br /> * 仕上検査 - 小川典子、柏倉由里子<br /> * 仕上 - 古谷由実、松下友紀子、大武恭子、岩切紀親、西牧道子、高橋直美、波部真由美、渡辺信子、町井春美、久保田滝子、田原とし子、浅井美穂子、高木夕紀、七海礼子、石田君江、設楽久子、原田徳子、山口やす子、大野恵津子、佐久間芳美、中田信子、市川由美子、佐久間多恵子、米井ふじの、宮川はれみ、青木利栄、堀井まつ子、吉川孝男、平井静子、佐野信子、五十嵐信子、志岐和恵、町田千恵子、伊勢田美千代、青沼麗子、柴田美知子、佐藤英子、平沼和枝、中山伊久江、豊永真一、別部真奈美、服部由美、完甘幸隆、小菅勉、五十嵐淳子、細谷明美、安井理絵、斉藤冨美子、高砂芳子、吉川潤子、阿部穂美 スタジオキリー、[[スタジオディーン]]、龍プロダクション、IMスタジオ、トレーススタジオM、ボビー企画、スタジオ古留美、スタジオOZ、[[スタジオ九魔]]、童夢舎、[[シャフト (アニメ制作会社)|スタジオシャフト]]、スタジオエンジェル、スタジオトムキャット、セルアーツスタジオ<br /> * 撮影 - [[アニメフィルム|ラッキーモア]] 岡崎英夫、小沢次雄、影山篤志、伊藤真司、谷口直之、阿部雅司、[[大地丙太郎]]<br /> * [[映像編集|編集]] - [[瀬山武司]]<br /> * 編集助手 - 足立浩<br /> * [[舞台音響|音響効果]] - 大平紀義、[[伊藤道廣|伊藤道広]]([[E&amp;Mプランニングセンター]])<br /> * 整音 - [[大城久典]]<br /> * 制作担当 - 上田真一郎<br /> * 制作デスク - 押切直之<br /> * 演出助手 - [[須藤典彦]]<br /> * 録音制作 - [[AUDIO PLANNING U|オーディオ・プランニング・ユー]]<br /> * [[録音スタジオ]] - [[APU MEGURO STUDIO|A.P.Uスタジオ]]<br /> * [[現像]] - [[東京現像所]]<br /> * [[アニメ制作会社|制作]] - [[スタジオジブリ]]<br /> * [[プロデューサー]] - [[原徹]]<br /> * [[脚本]]・[[映画監督|監督]] - [[高畑勲]]<br /> <br /> === キャッチコピー ===<br /> * 「4歳と14歳で、生きようと思った」([[糸井重里]])。<br /> * 「忘れものを、届けにきました」([[となりのトトロ]]との共通キャッチコピー)<br /> <br /> === 賞歴 ===<br /> * 日本カトリック映画大賞<br /> * [[ブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン]]特別賞<br /> * [[文化庁]]優秀映画<br /> * 国際児童青少年映画センター賞<br /> * シカゴ国際児童映画祭・最優秀アニメーション映画賞を受賞。同映画祭の子供の権利部門第1位に選出。<br /> * 第1回モスクワ児童青少年国際映画祭・グランプリを受賞。<br /> * [[イギリス|英]]「Time Out」誌と[[クエンティン・タランティーノ]]が選ぶ[[第二次世界大戦]]映画ベスト50の第10位を獲得&lt;ref&gt;{{cite news|url=http://eiga.com/news/20141208/9/|title=英誌&タランティーノ監督が選んだ「第2次世界大戦映画ベスト50」|publisher=映画.com|date=2014-12-08|accessdate=2014-12-08}}&lt;/ref&gt;。<br /> * [[ハリウッド・リポーター]]選出の大人向けアニメ映画のベスト10において7位にランクインした&lt;ref&gt;[http://eiga.com/news/20160817/10/ 米誌選出「大人向けアニメ映画ベスト10」 日本映画最上位は「AKIRA」の4位][[映画.com]]、2017年6月18日閲覧。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 製作の経緯 ===<br /> 映画『火垂るの墓』は、1988年(昭和63年)の公開時、[[宮崎駿]]監督作品『[[となりのトトロ]]』と同時上映されているが、先に企画された『となりのトトロ』は、当初、60分程度の中編映画として企画されており、単独での全国公開は難しかった&lt;ref&gt;叶精二『宮崎駿全書』フィルムアート社、2006年、p113&lt;/ref&gt;。そこで同時上映作品として[[高畑勲]]監督作品『火垂るの墓』の企画が決定したという経緯が伝えられている。<br /> <br /> 最終的に、両作とも上映時間は90分近くなり、長編2本体制で公開された。アニメ映画界の二大巨頭の代表作、しかも作風も物語も印象も全く相反する内容の作品を一緒に観ることができたが、当時としてみれば地味な素材であった上、東宝宣伝部が消極的だったことや&lt;ref&gt;叶精二『宮崎駿全書』フィルムアート社、2006年、p123&lt;/ref&gt;、高畑・宮崎両監督の一般的な知名度も現在ほどではなく、公開日が春休み後の中途半端な時期でもあったため、配給収入は5.9億円と伸び悩んだ。評論家からは好評で『[[キネマ旬報]]』誌の日本映画ベストテンでは6位に食い込んでいる。<br /> <br /> 両映画の制作は[[スタジオジブリ]]で同時に進行した。[[東映アニメーション|東映動画]]でも長編作品を2本同時進行したことはなかったといい、高畑・宮崎の信頼に耐える主要スタッフ(アニメーター)は限られており、人員のやりくりに制作側は苦慮することになった&lt;ref&gt;鈴木敏夫『映画道楽』ぴあ、2005年、p101-p102&lt;/ref&gt;。特に揉めたのが作画監督の[[近藤喜文]]の処遇であった。結果として宮崎側が新しく参入したスタッフを中心に制作したのに対し、高畑側は近藤や美術監督の[[山本二三]]など旧知のベテランを集めた。高畑は後年の回想で、近藤を獲得することが(人材面での)「最優先、いや絶対的な課題」であったと述べ、それ以外のメンバーについては自ら勧誘には動かなかったとしている&lt;ref name=&quot;24nen&quot;&gt;高畑勲「『火垂るの墓』から、はや二十四年」『アニメーション、折にふれて』岩波書店、2013年、pp.122 - 126(初出は『百瀬義行 スタジオジブリワークス』一迅社、2011年)&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 当初は両作とも60分であったが、高畑の『火垂るの墓』の時間が長くなると、対抗するように宮崎の『となりのトトロ』の時間も延び&lt;ref&gt;鈴木敏夫『映画道楽』ぴあ、2005年、p107-p108&lt;/ref&gt;、結果的に長編2本の同時進行となった。しかし、彩色の作業がどうしても公開までに完了しないことが判明する&lt;ref name=&quot;24nen&quot;/&gt;。高畑は、大幅なカットで破綻させることなく観客の鑑賞に堪える方法を[[百瀬義行]]とともに検討し、「『演出意図』としての必然性が感じられれば、見る人に受け入れてもらえるのではないか」という「苦肉の策」で、1988年(昭和63年)4月の公開時点では清太が野菜泥棒をして捕まる場面などを色の付かない白味&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;本来映画用語では&quot;[[アフレコ]]に際して絵も全くなく担当する部分を色の線の長さや形状等で示した状態での収録&quot;を指す。なお画像を全く持たない状態からの収録をする[[プレスコ]]では極普通の手法である。&lt;/ref&gt;・線撮り&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;アニメ用語では本来&quot;彩色のない原動画を絵コンテ等に合わせて完成アニメと同じタイミングで撮影したもの&quot;を指す。&lt;/ref&gt;の状態で上映することとなった&lt;ref name=&quot;24nen&quot;/&gt;。これらの箇所は公開後も制作を続け、後に差し替えられている。[[鈴木敏夫]]によると、公開が間に合わないという話になった際、高畑は同様に未完成版を公開した[[ポール・グリモー]]の『[[王と鳥]]』(『やぶにらみの暴君』)のように未完成になった経緯の説明を冒頭に付けて公開する提案をして、鈴木がそれを断ると、2箇所彩色が抜けることを明かし、鈴木はその状態での公開を承諾したという&lt;ref&gt;鈴木敏夫「出会ってから40年。高畑さんとは本当に不思議な関係だったと思います」『[[キネマ旬報]]』2018年6月上旬特別号、キネマ旬報社、pp.14 - 17(取材・構成:金澤誠)&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> わずかながらも未完成のままでの劇場公開という不祥事に、高畑勲はいったんアニメ演出家廃業を決意したが、後に[[宮崎駿]]の後押しを受けて1991年(平成3年)に『[[おもひでぽろぽろ]]』で監督に復帰することになる(おもひでぽろぽろも本作と同じように過去の思い出しである)&lt;ref&gt;『[[魔女の宅急便 (1989年の映画)|魔女の宅急便]]』TV初公開時の宮崎駿の発言&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[徳間書店]]社長・[[徳間康快]]の要請を受け、野坂の原作小説を文庫として販売している[[新潮社]]が『火垂るの墓』の出資・製作となっている。新潮社が[[メディアミックス]]で映像製作に携わる初めてのケースとなった。こうした経緯もあって、ビデオや[[レーザーディスク|LD]]は徳間系列ではない[[NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン|パイオニアLDC]]から発売され、その後リリースされた[[DVD]]も、ジブリ作品としては例外的に[[ワーナー・ブラザース|ワーナー]]の扱いとなっていた(新潮社との契約が満了した2008年(平成20年)8月以降は[[ウォルト・ディズニー・カンパニー|ブエナビスタ]]から再発されている)。2012年(平成24年)4月には[[Blu-ray Disc]]版が発売された。<br /> <br /> === 監督の意図 ===<br /> 高畑勲は、本作品について「反戦アニメなどでは全くない、そのようなメッセージは一切含まれていない」と繰り返し述べたが(「決して単なる反戦映画ではなく、お涙頂戴のかわいそうな戦争の犠牲者の物語でもなく、戦争の時代に生きた、ごく普通の子供がたどった悲劇の物語を描いた」とも&lt;ref&gt;『スタジオジブリ作品関連資料集II』スタジオジブリ&lt;/ref&gt;)、反戦アニメと受け取られたことについてはやむを得ないだろうとしている。高畑は、兄妹が2人だけの閉じた家庭生活を築くことには成功するものの、周囲の人々との共生を拒絶して社会生活に失敗していく姿は現代を生きる人々にも通じるものであると解説し、特に高校生から20代の若い世代に共感してもらいたいと語っている&lt;ref&gt;『[[アニメージュ]]』1988年5月号に掲載インタビュー&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;高畑勲『映画を作りながら考えたこと』(徳間書店、1991年)471頁&lt;/ref&gt;。また、「当時は非常に抑圧的な、社会生活の中でも最低最悪の『全体主義』が是とされた時代。清太はそんな全体主義の時代に抗い、節子と2人きりの『純粋な家族』を築こうとするが、そんなことが可能か、可能でないから清太は節子を死なせてしまう。しかし私たちにそれを批判できるでしょうか。我々現代人が心情的に清太に共感しやすいのは時代が逆転したせいなんです。いつかまた時代が再逆転したら、あの未亡人(親戚の叔母さん)以上に清太を糾弾する意見が大勢を占める時代が来るかもしれず、ぼくはおそろしい気がします」と述べている&lt;ref name=&quot;animeju8805&quot;&gt;{{Cite book|和書<br /> |title=アニメージュ1988年5月号<br /> |date=1988-05-10<br /> |publisher=[[徳間書店]]<br /> }}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 時代描写 ===<br /> 高畑勲の[[リアリズム]]志向により、1945年(昭和20年)当時の風景が忠実に再現された&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;ただし、空襲時の警防団員の描き分けや警察官の制服の生地色や正肩章の装着、佩剣が乗馬勤務者用のものであり釣環の数も多い、略帽を着用していないなど、資料が偏る傾向もみられる。&lt;/ref&gt;。作画に参加した[[庵野秀明]]が、[[神戸港]]での[[観艦式]](清太の回想)の場面の軍艦([[高雄型重巡洋艦]]「[[摩耶 (重巡洋艦)|摩耶]]」)を出来るだけ史実に則って描写することを求められ、[[舷窓]]の数や[[ラッタル]]の段数まで正確に描いたという逸話が残されている。もっとも完成した映画ではすべて影として塗り潰され、庵野の努力は徒労に終わった&lt;ref&gt;[[竹熊健太郎]]編『庵野秀明 パラノエヴァンゲリオン』太田出版、1997年、p69-p70&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 登場人物の会話は関西出身の俳優や声優を起用した[[ネイティヴ]]な[[近畿方言|関西弁]]である。「キイキ悪い(体調が悪い、病気の意)」、「(二本松の)ねき(脇、近くという意味)」などといった現在ではほとんど使われることがなくなった古い表現も、原作小説のままに使用されている。ただし、いわゆる[[神戸弁]]ではなく、[[大阪弁]]に近い言い回しに統一されている点が異なる。<br /> <br /> === テレビ放映 ===<br /> [[日本テレビネットワーク協議会|日本テレビ系列]](一部の局を除く)で放送の『[[金曜ロードSHOW!]]』(前身の『金曜ロードショー』を含む)で1989年と1990年に2年連続で放送した後、1993年以降は2年に1度(奇数年)&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;[[1996年]][[8月23日]]にも放送予定であったが、[[渥美清]]の逝去による放映作品変更の影響で翌年に延期となった(8月23日には[[8月9日]]に放映予定であった『[[スタンド・バイ・ミー]]』に差し替え)。&lt;/ref&gt;、8月の[[終戦の日]]前後&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;終戦記念日である[[8月15日]]に放送した事例はない(4回目の放送は8月15日が金曜日になる年であったが、1週間早い8月8日に前倒しで放送されている)。&lt;/ref&gt;にこの作品を放映していた。2009年に放送された後、2013年11月22日に[[高畑勲]]監督作品『[[かぐや姫の物語]]』公開記念で約4年ぶりに放送された&lt;ref&gt;{{Cite news |title= 高畑勲監督 : 日テレで『火垂るの墓』「おもひでぽろぽろ」2週連続放送 新作「かぐや姫〜」特別映像も |newspaper=毎日新聞デジタル |date=2013-11-01 |url=http://mantan-web.jp/2013/11/01/20131101dog00m200061000c.html |acce<br /> ssdate=2013-11-01}}&lt;/ref&gt;。本作はジブリ唯一の戦争作品&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;軍隊や戦闘が演出される作品は他にもあるが、太平洋戦争など、史実に伴う戦争を取り扱った作品は当作のみ。&lt;/ref&gt;であるため、基本的には8月中に放送されるが、9・11・13回目は8月以外に放送された&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;9回目は清太の命日にあたる9月21日に放送されている。&lt;/ref&gt;。このうち、11回目の放送は11月であり、特別の理由もなく夏以外の時期に放送された唯一の例外である&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;13回目は高畑の死去に伴う緊急追悼放送のため、例外的なケースである。&lt;/ref&gt;。戦後70年にあたる2015年には、終戦の日前後としては6年ぶりとなる8月14日に放送された&lt;ref&gt;[http://www.oricon.co.jp/news/2056873/full/ 『金曜ロードSHOW!』 “夏はジブリ”で高畑勲監督3作品を放送 ] - オリコンニュース2015年7月31日&lt;/ref&gt;。3年ぶり13回目の放送である2018年は、4月5日に逝去した高畑の追悼として同月13日&lt;ref&gt;{{Twitter status2|kinro_ntv|982211456878895105|2018年4月6日|accessdate=2018-04-23}}&lt;/ref&gt;&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;この日放送予定だった『[[名探偵コナン から紅の恋歌]]』は4月20日に、20日に放送予定だった『[[パシフィック・リム (映画)|パシフィック・リム]]』は5月11日に、それぞれ延期となった。&lt;/ref&gt;に放映された。<br /> <br /> ==== 視聴率 ====<br /> *数値はビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム。<br /> {| class=&quot;sortable wikitable&quot; style=&quot;line-height:1.4em; font-size:95%;&quot;<br /> |-<br /> ! class=&quot;unsortable&quot; |回数!!放送日!!視聴率!! class=&quot;unsortable&quot; |備考<br /> |-<br /> |1<br /> |1989年{{0}}8月11日<br /> |20.9%<br /> |<br /> |- style=&quot;white-space:nowrap;&quot;<br /> |2<br /> |1990年{{0}}8月17日<br /> |10.7%<br /> |<br /> |- style=&quot;white-space:nowrap;&quot;<br /> |3<br /> |1993年{{0}}8月13日<br /> |14.5%<br /> |<br /> |- style=&quot;white-space:nowrap;&quot;<br /> |4<br /> |1997年{{0}}8月{{0}}8日<br /> |19.1%<br /> |<br /> |- style=&quot;white-space:nowrap;&quot;<br /> |5<br /> |1999年{{0}}8月{{0}}6日<br /> |18.8%<br /> |<br /> |- style=&quot;white-space:nowrap;&quot;<br /> |6<br /> |2001年{{0}}8月10日<br /> |&lt;span style=&quot;color:Red&quot;&gt;21.5%<br /> |<br /> |- style=&quot;white-space:nowrap;&quot;<br /> |7<br /> |2003年{{0}}8月22日<br /> |15.1%<br /> |<br /> |- style=&quot;white-space:nowrap;&quot;<br /> |8<br /> |2005年{{0}}8月{{0}}5日<br /> |13.2%<br /> |<br /> |- style=&quot;white-space:nowrap;&quot;<br /> |9<br /> |2007年{{0}}9月21日<br /> |{{0}}7.7%<br /> |<br /> |- style=&quot;white-space:nowrap;&quot;<br /> |10<br /> |2009年{{0}}8月14日<br /> |{{0}}9.4%<br /> |<br /> |- style=&quot;white-space:nowrap;&quot;<br /> |11<br /> |2013年11月22日<br /> |{{0}}9.5%<br /> |『かぐや姫の物語』公開記念放送<br /> |- style=&quot;white-space:nowrap;&quot;<br /> |12<br /> |2015年{{0}}8月14日<br /> |{{0}}9.4%<br /> |<br /> |- style=&quot;white-space:nowrap;&quot;<br /> |13<br /> |2018年{{0}}4月13日<br /> |&lt;span style=&quot;color:Blue&quot;&gt;{{0}}6.7%<br /> |高畑の追悼放送&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;原作者の野坂の没後としても初放送。&lt;/ref&gt;<br /> |}<br /> <br /> === 反響・評価など ===<br /> [[File:Mikage Public Hall, Kobe, Japan.JPG|180px|thumb|作中に登場する[[神戸市立御影公会堂]](現存)]]<br /> <br /> 原作者の野坂は、映画公開前年に発表した文章「アニメ恐るべし」の中で、「いわゆるアニメの手法で飢えた子供の表情を描き得るものかと、危惧していたのだが、これはまったくぼくの無知のしるし、スケッチをみて、本当におどろいた。(中略)ぼくの舌ったらずな説明を、描き手、監督の想像力が正しく補って、ただ呆然とするばかりであった」とその緻密さに驚き、場所も含めたその描写によって自分が「眼をそむけつづけてきた」過去と「今は、少し正直に向き合っている」と記している&lt;ref name=&quot;anime2&quot;&gt;野坂昭如「アニメ恐るべし」(初出は『[[小説新潮]]』1987年9月号、アニメ映画版パンフレットに再録。『火垂るの墓』(文春ジブリ文庫・ジブリの教科書4、2013年)のpp.78 - 81にも掲載。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 『となりのトトロ』のような楽しいアニメを見ようと映画館を訪れ、楽しいトトロを見た後に『火垂るの墓』を見て、衝撃を受ける、涙が止まらない、茫然自失で席から立ち上がれない観客が続出したという&lt;ref&gt;[[竹熊健太郎]]編『庵野秀明 パラノエヴァンゲリオン』太田出版、1997年、p72&lt;/ref&gt;&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;[[綿矢りさ]]の『かわいそうだね?』に『火垂るの墓』への言及があり、この映画を小さい時に観てトラウマになっているという。&lt;/ref&gt;。そのため、「上映の順番を逆にしてくれればよかったのに」という声も少なくなかった{{要出典範囲|date=2012年5月|(一部映画館では、順番を入れ替えて上映されている館もあった)}}。<br /> <br /> 舞台となった西宮市の西宮回生病院、[[香櫨園]]浜・[[夙川駅]]・[[夙川公園]]、ニテコ池(貯水池)、神戸市の[[神戸市立御影公会堂|御影公会堂]]や[[神戸市立御影小学校|御影小学校]]、石屋川などを、[[巡礼 (通俗)|モデルとなった場所を訪ねる]]人は絶えず、地域史研究の一環として地元の[[教育委員会]]が見学会を催すこともある&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;ニテコ池へは[[阪神電鉄]]西宮駅より[[阪神バス]]の山手線もしくは鷲林寺線で「満池谷(まんぢだに)」下車すぐである(ここには巨大な墓地と火葬場がある)。舞台の1つである阪急[[三宮駅]]([[神戸阪急ビル]])は[[阪神・淡路大震災]]により建物が全壊し、別設計の駅舎が再建されている。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 日本で「ジブリがいっぱいCOLLECTION」シリーズとして発売されたセルビデオは、40万本を出荷した&lt;ref&gt;日経BP社技術研究部 『進化するアニメ・ビジネス―世界に羽ばたく日本のアニメとキャラクター』日経BP社、2000年、47頁。ISBN 4822225542&lt;/ref&gt;。海外でも多く視聴されており、英国の映画雑誌『エンパイア』誌が発表した「落ち込む映画ベスト10」の第6位にランクインされた。<br /> <br /> [[黒澤明]]は『火垂るの墓』を見て感動するが、[[宮崎駿]]監督の作品と勘違いしてしまい、宮崎に賞賛の手紙を送っている。受け取った宮崎は複雑な顔をしたという&lt;ref&gt;ラジオ「[[鈴木敏夫のジブリ汗まみれ|ジブリ汗まみれ]]」の[[鈴木敏夫]]の発言。&lt;/ref&gt;。ただ、一番好きだというわけではなく、最近の作品の中ではよかったということで褒めていたのだと、娘である[[黒澤和子]]が語っている。<br /> <br /> 日本国外ではベネット・ザ・セージのオンラインレビュー&lt;ref&gt;{{Cite news |title= Anime Abandon: Grave of the Fireflies |publisher=Channel Awesome |date=2012-06-27 |url=http://channelawesome.com/anime-abandon-grave-of-the-fireflies/}}&lt;/ref&gt;を元に高畑勲の悪評も様々なサイトで事実として広められている&lt;ref&gt;{{Cite news |title= 英語版ウィキペディア:『火垂るの墓』 |publisher=wikipedia.org |date=2014-03-28 |url=http://en.wikipedia.org/wiki/Grave_of_the_Fireflies#Themes_and_analysis}}&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;{{Cite news |title= cracked.com:『もっとも理解されてない20作の映画』 |publisher=cracked.com |date=2014-11-03 |url=http://www.cracked.com/photoplasty_1152_the-20-most-misunderstood-movies-all-time/}}&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;{{Cite news |title= tvtropes.org:『火垂るの墓』(アニメ映画版) |publisher=tvtropes.org |date=2012-07-11 |url=http://tvtropes.org/pmwiki/pmwiki.php/Anime/GraveOfTheFireflies}}&lt;/ref&gt;。その内容は、高畑が[[バブル景気]]でゆたかに暮らしてる若者を憎み、反抗行為を罪悪感で捻じ伏せ年長者の言いなりにさせようと戦争時代の苦しみを見せ、全ての責任を若い主人公に被せるよう被害者の野坂昭如を唆しその物語を書換えたなど、[[ネガティブ・キャンペーン]]も含んだ個人仮説である。この他、DVDコラムニストのジョシュア・クラインは、本作を子供だけのものと思われがちなアニメを高度な芸術に仕上げた作品であると評しており、また、アニメが生身の俳優を凌ぐ場合もあることを、本作が証明しているのも述べている&lt;ref&gt;Steven Jay Schneider 総編集、野間 けい子 翻訳 『改訂新版 死ぬまでに観たい映画1001本』 p.762、p.944 ネコ・パブリッシング 2011年8月31日発行 ISBN 978-4-7770-5308-7&lt;/ref&gt;&lt;!--上記の書籍『改訂新版 死ぬまでに観たい映画1001本』のp.763~p.943までは無関係なので、勝手にp.762 - 944などとせぬこと。--&gt;。<br /> <br /> 韓国では、他の多くのジブリ作品が上映済みの中、「日本は戦争加害国なのに、戦争被害者を装うための映画だ」として、反日感情と高まりとともに当初2005年の上映予定が無期限延期となり、2014年になってようやく上映された&lt;ref&gt;[http://www.focus-asia.com/socioeconomy/photonews/426902/ ワシントンでの日本アニメ上映は「韓国の努力に冷や水] - Focus-Asia 2015年8月23日&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 関連商品 ===<br /> ==== 作品本編に関するもの ====<br /> ; 映像ソフト<br /> :* 火垂るの墓 ([[VHS]])[[バンダイビジュアル]]<br /> :* 火垂るの墓 (VHS)[[ウォルト・ディズニー・スタジオ・ホーム・エンターテイメント|ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント]](1998年8月7日)<br /> :* 火垂るの墓 DVD [[ワーナー・ホーム・ビデオ]](2005年7月29日)<br /> :** 火垂るの墓 完全保存版 DVD ウォルト・ディズニー・スタジオ・ホーム・エンターテイメント(2008年8月6日)<br /> :* 火垂るの墓 Blu-ray ウォルト・ディズニー・スタジオ・ホーム・エンターテイメント(2012年7月18日)<br /> :** 『となりのトトロ』&『火垂るの墓』2本立てブルーレイ特別セット ウォルト・ディズニー・スタジオ・ホーム・エンターテイメント(2012年7月18日)<br /> :&lt;!-- リスト分断防止 --&gt;<br /> ; 出版<br /> :* 節子―「火垂るの墓」メモリアルアルバム([[新潮社]]、1988年8月10日)ISBN 4-10-369603-6<br /> :* 火垂るの墓(徳間アニメ絵本)([[徳間書店]]、1988年8月31日)ISBN 4-19-703729-5<br /> :* スタジオジブリ作品関連資料集 型録Ⅱ(スタジオジブリ・徳間書店、1996年8月31日)ISBN 4-19-860560-2<br /> :* 火垂るの墓(スタジオジブリ絵コンテ全集4)(スタジオジブリ・徳間書店、2001年6月30日)ISBN 4-19-861379-6<br /> :* ジブリの教科書4 火垂るの墓([[文春文庫|文春ジブリ文庫]])(スタジオジブリ編、[[文藝春秋]]、2013年10月10日)ISBN 978-4-16-812003-9<br /> :* シネマコミック4 火垂るの墓(文春ジブリ文庫)(スタジオジブリ編、文芸春秋、2013年11月10日)ISBN 978-4-16-812103-6<br /> :&lt;!-- リスト分断防止 --&gt;<br /> ; 音楽<br /> :* 火垂るの墓 イメージアルバム[[徳間ジャパンコミュニケーションズ]](1997年4月5日)TKCA-71115<br /> :* 火垂るの墓 サウンドトラック 徳間ジャパンコミュニケーションズ(1997年4月5日)TKCA-71116<br /> <br /> == テレビドラマ ==<br /> {{基礎情報 テレビ番組<br /> | 番組名 = 火垂るの墓<br /> | 画像 = <br /> | 画像説明 = <br /> | ジャンル = [[テレビドラマ]]<br /> | 放送時間 = 火曜21:00 - 23:54<br /> | 放送分 = 174<br /> | 放送枠 = DRAMA COMPLEX<br /> | 放送期間 = [[2005年]][[11月1日]]<br /> | 放送回数 = 1<br /> | 放送国 = {{JPN}}<br /> | 制作局 = [[日本テレビ放送網|日本テレビ]]<br /> | 企画 = <br /> | 製作総指揮 = <br /> | 監督 = <br /> | 演出 = [[佐藤東弥]]<br /> | 原作 = [[野坂昭如]]<br /> | 脚本 = [[井上由美子 (脚本家)|井上由美子]]<br /> | プロデューサー = [[村瀬健]]&lt;br /&gt;難波利昭&lt;br /&gt;小泉守<br /> | 出演者 = [[石田法嗣]]&lt;br /&gt;[[佐々木麻緒]]&lt;br /&gt;[[松嶋菜々子]]<br /> | ナレーター = <br /> | 音声 = <br /> | 字幕 = <br /> | データ放送 = <br /> | OPテーマ = <br /> | EDテーマ = [[Bank Band]]「[[to U|生まれ来る子供たちのために]]」<br /> | 時代設定 = <br /> | 外部リンク = http://www.ntv.co.jp/hotaru/<br /> | 外部リンク名 = 公式サイト<br /> | 特記事項 = <br /> }}<br /> 終戦60年スペシャルドラマ『&#039;&#039;&#039;火垂るの墓―ほたるのはか―&#039;&#039;&#039;』として[[2005年]](平成17年)[[11月1日]]の火曜日21:00 - 23:54に[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系で放送された。<br /> <br /> 「[[DRAMA COMPLEX|ドラマ・コンプレックス]]」第一弾番組でもある。<br /> <br /> 撮影は当時の風景を可能な限り再現するために、神戸周辺のみならず日本各地をロケして行われた。視聴率は21.2%を記録した。アニメでは描写されなかった部分(清太達の名字、父親がいかにして戦争に出掛けたか、叔母が清太達を引き取ることになった経緯、清太が通う学校描写)が描かれた。本編のDVDは2006年(平成18年)2月22日発売された。<br /> <br /> ドラマ版の製作に当たって、野坂昭如は「ドラマは、原作を離れて自由である。ぼくの小説が戦後60年経った現在、違う形となり、今を生きる人たちに、戦争の惨たらしさを少しでも伝えられれば、原作者として有難いこと」とのメッセージを寄せている。<br /> <br /> 番組終了後、「&#039;&#039;&#039;このドラマはフィクションですが、世界中には今も清太や節子のように戦火の中に暮らしている子供たちが数多くいます。&#039;&#039;&#039;」と視聴者にメッセージを寄せている。<br /> <br /> === キャスト(ドラマ) ===<br /> ; 横川家<br /> :* 横川 清太 - [[石田法嗣]]<br /> :: 原作では設定のなかった学校が、エリート進学校である[[兵庫県立神戸高等学校|神戸一中]](野坂昭如が当時在学していた[[神戸市立葺合高等学校|神戸市立中]]とは異なる)に設定された。アニメ映画と同様駅員に節子の遺骨が入ったドロップの缶は放り投げ出されるが、久子に拾われた。<br /> :* 横川 節子 - [[佐々木麻緒]]<br /> :: アニメ映画とは違い、人形や財布等はなく、そのまま遺体は清太によって[[荼毘]]に付された。<br /> :* 横川 清 - [[沢村一樹]]<br /> :: 清太・節子の父、海軍大佐。1943年夏、出征の際、息子の清太に自分の代わりに大黒柱として母の京子と妹の節子を守り抜くよう言い聞かせた。戦争終了後、実は既に死亡していたことが判明する。<br /> :* 横川 京子 - [[夏川結衣]]<br /> :: 清太・節子の母。<br /> :<br /> ; 澤野家<br /> :* 澤野 久子 - [[松嶋菜々子]]<br /> :: 親戚の叔母。半年前に嫁ぎ先の源蔵の実家を空襲で失い疎開してきた。京子に頼まれ清太と節子を預かり当初は好意的に接していたが、帰りを待っていた源造が戦死し清太達が持ってきた食料を自分の子供たちに与える為諍いが絶えなくなっていき、なつには「鬼」と比喩された。冒頭の2005年(現代)では95歳で大往生を迎え死去し、遺骨を拾われた。<br /> :* 澤野 源造 - [[伊原剛志]]<br /> :: 久子の夫、大工。疎開先で[[赤紙]]が届き、1943年夏、「必ず生きて帰ってくる」と家族に伝え出征。その後、1945年に[[ソルモン諸島]]の[[ルバング島]]で[[玉砕]]し、吉岡 利之により戦死通告が届く。<br /> :* 澤野 なつ - [[井上真央]](二役)<br /> :: 久子の長女。清太と節子死後、形見であるドロップの缶は60年後まで所持する事になる。<br /> :* 澤野 善衛 - [[要潤]]<br /> :: 源造の末弟で足が悪く杖を使用している。戦争終了後、老人に絡まれている清太を助けた後、久子に貯金を取り上げられそのまま家を後にする。<br /> :* 澤野 はな - [[福田麻由子]]<br /> :: 久子の次女。<br /> :* 澤野 ゆき - [[飯原成美]](老年期:[[喜多道枝]])<br /> :: 久子の三女。<br /> :* 澤野 貞造 - [[堀江晶太]](老年期:[[久保晶]])<br /> :: 久子の長男。<br /> :<br /> ; 町の人々<br /> :* 吉岡 利之 - [[生瀬勝久]]<br /> :: 町の[[日本の警察官|駐在]]。澤野源蔵の出征の際の行事に参加した他、戦死通告を久子に届けた。よろず屋の主人に殴られ警察に連れて行かれた清太を久子に引き渡した。清太達が2人で生活していると聞くと「戦争中に子供2人だけで生きていくなんて無理やで」と驚いていた。<br /> :* 大林町会長 - [[織本順吉]]<br /> :: 避難先の小学校で、清太を重傷を負った母親の元に案内し、指輪を渡した。<br /> :* 米屋の親父 - [[高松英郎]]<br /> :: 配給された米を1人1人配っているが久子は澤野家では6人(清太、節子を預かってからは8人)分必要なためこれだけでは足りないと言うため度々口論になり、そんなに欲しいのなら闇米を買うしかないと勧めている。<br /> :* 農夫 - [[不破万作 (俳優)|不破万作]]<br /> :: 清太と節子に食べ物を分けるのを拒否したため、清太に食べ物を奪われた。<br /> :* 松井 栄作 - [[段田安則]]<br /> :: よろず屋の主人。澤野源蔵の出征の際には本編の1943年夏以前に海軍で戦死した息子を思い出し泣いていた。<br /> :: 自分で飯を作ることになった清太に金額を負け、「何があったか知らんけど意地をはったらあかんで」と励ました。上記のように戦死した息子が海軍であったため、海軍大佐を父に持つ清太が自分の店に盗みに入った時には、情けなさのあまり自分の手も怪我をするほど殴りつけた。戦争終了後、現れた清太に素子とともに呆れるも、節子に食べ物を食べさせるため土下座され、卵と米を渡している。<br /> :* 松井 素子 - [[岡本麗]]<br /> :: 栄作の妻。源蔵の出征の席で泣き出した栄作を叱責し、「あの子は[[昭和天皇|天皇陛下]]のために死んだんや」と息子の死を受け入れていた。久子に清太が中学生なのに勤労動員や隣組の消火活動にも参加しないことに疑問を投げかけた。<br /> :<br /> ; 60年後の現代<br /> :* 光村 なつ - [[岸惠子]]<br /> :: 60年後のなつ。清太と節子の形見であるドロップの缶を持っている。<br /> :* 光村 恵子 - 井上真央(二役)<br /> :: なつの孫。60年前のなつと瓜二つ。<br /> :<br /> ; その他<br /> :* [[小倉一郎]]、[[松澤一之]]、[[山西惇]]、[[春海四方]]、[[ト字たかお]]、[[本多晋]]、[[西尾由佳理]](当時・日本テレビアナウンサー)<br /> <br /> === スタッフ(ドラマ) ===<br /> * 原作 - [[野坂昭如]](『アメリカひじき・火垂るの墓』 [[新潮文庫]]刊)<br /> * 脚本 - [[井上由美子 (脚本家)|井上由美子]]<br /> * 演出 - [[佐藤東弥]]<br /> * 音楽 - [[沢田完]]<br /> * エンディングテーマ - [[Bank Band]]「[[to U|生まれ来る子供たちのために]]」<br /> * サウンドプロデューサー - [[志田博英]]<br /> * 特殊メイク - [[百武朋]]<br /> * VFXスーパーバイザー - [[小田一生]]<br /> * VFX・CG - [[ナイス・デー (企業)|ナイス・デー]]、[[フレームワークス・エンターテインメント]]、あとりえTETO、[[日本映像クリエイティブ]]、NTTメディアラボ<br /> * 火炎効果 - 太平特殊効果<br /> * タイトルバック演出 - [[丹下紘希]](イエローブレイン)<br /> * 編集・MA - [[映広]]<br /> * 広報 - 神山喜久子<br /> * 音楽協力 - [[日本テレビ音楽]]<br /> * 美術協力 - [[日本テレビアート]]<br /> * プロデューサー - [[村瀬健]]、難波利昭、小泉守<br /> * 制作協力 - [[NTV映像センター|日テレ映像センター]]・[[トータルメディアコミュニケーション]]<br /> * 製作・著作 - [[日本テレビ放送網|日本テレビ]]<br /> <br /> === 撮影協力 ===<br /> * [[兵庫県]][[神戸市]]<br /> ** [[兵庫県立神戸高等学校]](神戸市[[灘区]])<br /> ** 神戸上高丸団地(神戸市[[垂水区]])<br /> * [[岡山県]][[備前市]]<br /> * 岡山県[[高梁市]][[成羽町]]<br /> * [[広島県]][[福山市]][[鞆町]]([[鞆の浦]])<br /> * 広島県[[竹原市]]<br /> * [[長野県]][[諏訪郡]][[原村]]<br /> * [[山梨県]][[西八代郡]][[上九一色村]]<br /> * [[栃木県]]<br /> * 岡山県[[真庭郡]][[久世町]](現・[[真庭市]])<br /> ** [[真庭市立遷喬小学校|旧遷喬尋常小学校]](国[[重要文化財]]指定)<br /> * [[大井川鐵道]]株式会社<br /> * 兵庫県[[西宮市]] ほか<br /> <br /> == 実写映画 ==<br /> {{Infobox Film<br /> | 作品名 = 火垂るの墓<br /> | 原題 = <br /> | 画像 = <br /> | 画像サイズ = <br /> | 画像解説 = <br /> | 監督 = [[日向寺太郎]]<br /> | 脚本 = [[西岡琢也]]<br /> | 原案 = <br /> | 原作 = [[野坂昭如]]<br /> | 製作 = <br /> | 製作総指揮 = <br /> | ナレーター = <br /> | 出演者 = [[吉武怜朗]]&lt;br /&gt;[[畠山彩奈]]<br /> | 音楽 = <br /> | 主題歌 = <br /> | 撮影 = [[川上皓市]]<br /> | 編集 = [[川島章正]]<br /> | 制作会社 = <br /> | 製作会社 = <br /> | 配給 = [[パル企画]]<br /> | 公開 = {{flagicon|JPN}} 2008年7月5日<br /> | 上映時間 = 100分<br /> | 製作国 = {{JPN}}<br /> | 言語 = [[日本語]]<br /> | 製作費 = <br /> | 興行収入 = <br /> | 前作 = <br /> | 次作 = <br /> }}<br /> 原作者の野坂によると、アニメ映画製作の段階までに何度か実写映画化の企画は存在した&lt;ref name=&quot;anime&quot;&gt;野坂昭如「アニメ恐るべし」(アニメ映画版パンフレットに収録)&lt;/ref&gt;。もっとも具体的だったのは、[[KKベストセラーズ]]創業者の[[岩瀬順三]]によるものだった&lt;ref name=&quot;anime&quot;/&gt;。岩瀬は、アメリカ・[[アリゾナ州]]に戦災を受ける前の神戸の街を再現し、アメリカで保存されている飛行可能な[[B-29 (航空機)|B-29]]から実際に焼夷弾を投下、出演者には[[断食]]をさせて栄養失調を再現するといった壮大なプランを描き、野坂自身も取材をかねてB-29に乗りに行ったりしたが、実現することなく岩瀬は亡くなった&lt;ref name=&quot;anime&quot;/&gt;。<br /> <br /> その後、2000年代になって改めて実写企画が発足し、[[2008年]](平成20年)[[7月5日]]に公開された。[[黒木和雄]]監督により企画が進行していたが、黒木の死去により、黒木を師と仰ぐ[[日向寺太郎]]が監督となった。叔母役の[[松坂慶子]]は事実上の悪役ということから一度はオファーを断ったと告白している。<br /> [[File:Akitani Pond Grave of the Fireflies 秋谷池(兵庫県西脇市黒田庄町喜多字秋谷口) 火垂るの墓 DSCF3656.jpg|230px|thumb|right|ロケ地に選ばれた秋谷池(西脇市黒田庄町)]]<br /> 全ての撮影が舞台となる[[兵庫県]]内で行われた。池の土手を歩くシーンや池辺で飛び交う[[蛍]]をとる印象的なシーンは、[[西脇市]][[黒田庄町]]喜多字秋谷口の[[秋谷池]][http://maps.google.co.jp/maps?q=%E8%A5%BF%E8%84%87%E5%B8%82%E9%BB%92%E7%94%B0%E5%BA%84%E7%94%BA%E5%96%9C%E5%A4%9A%E5%AD%97%E7%A7%8B%E8%B0%B7%E5%8F%A3&amp;rls=com.microsoft:ja:IE-SearchBox&amp;oe=UTF-8&amp;redir_esc=&amp;um=1&amp;ie=UTF-8&amp;sa=N&amp;hl=ja&amp;tab=wl]で撮られた。メイキングのDVDは公開同年の8月8日、本編DVDは翌2009年(平成21年)3月27日発売。<br /> <br /> === 特徴 ===<br /> アニメ映画とは異なり、登場人物による回想を廃止し、現在進行形のストーリーに変更している。一部原作でのみ描かれた部分、本作オリジナルの部分も多い&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;これは原作においても過去を思い出す人物がいないとは言え、清太が亡くなるところから始まるので、現在進行形での展開はその意味でも初めてでもある。&lt;/ref&gt;。清太は[[喘息]]を持病に持ち、[[剣道]]が得意という設定が追加された。原作では駅で亡くなっていたが、実写映画では1人で生きようと雨の中歩き、倒れるもその後再び立ち上がり去っていった。<br /> <br /> 原作やアニメ映画などでは、当初はうまく行っていた叔母の家での共同生活が次第に悪くなる展開だったが、実写映画は最初から最後まで叔母の態度が悪い。「家に置くのを追い返そうとするも食料を持っていたことから態度を変えて置く」流れで共同生活が始まっている&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;家に預かるということを、原作やアニメ映画版とテレビドラマ版では最初から承知していたが、実写映画版はなぜか知らなかった様子である。&lt;/ref&gt;。叔母の夫は直接登場しないもの「半年前に亡くなった」と言及されている。<br /> <br /> 清太の父の消息(生死)については特に触れられていない。日向寺監督は、「姓名は亡くなった人物にだけ付ければいい」との考えで、作中で亡くなった人物にしか姓名は設定されていない。清太の父は姓名が設定されていないため、生きているのではないかとも言える。<br /> <br /> 原作、アニメ映画などでは空襲の被災により意識不明のまま亡くなった母を、実写映画では一瞬だけ意識を取り戻し、その後亡くなると言う形へ変更している。これに伴い叔母の家に向かう場面をやや変更し、到着するまでの道順が初めて描写された。今までは最初しか出番がなかった清太の地元の町内会長や西宮に住む原作の登場人物などがクローズアップされオリジナル化されて、あまり描かれなかった清太と他者との交流シーンが大幅に追加されている。同じ野坂の小説『[[アメリカひじき]]』では、主人公の回想部で終戦直後の町内会の人々の様子が少し描かれている。<br /> <br /> アニメ版、ドラマ版では節子が死んだ際は火葬シーンがあるが、映画では火葬せずに土葬のみとなっている。<br /> <br /> [[File:Akitani Pond Grave of the Fireflies 秋谷池(兵庫県西脇市黒田庄町喜多字秋谷口) 火垂るの墓 実写映画版 ロケ地 DSCF8825.jpg|thumb|240px|right|夕暮れの秋谷池]]<br /> === キャスト(映画) ===<br /> * 清太 - [[吉武怜朗]]<br /> * 節子 - [[畠山彩奈]]<br /> * 雪子(清太の母) - [[松田聖子]]<br /> * 本城 雅夫 - [[江藤潤]]<br /> * 清太の父 - [[高橋克明]]<br /> * 高山 道彦 - [[山中聡]]<br /> * 本城 君枝 - [[千野弘美]]<br /> * 本城 昭子 - [[谷内里早]]<br /> * 本城 和子 - [[鈴木米香]]<br /> * 農夫 - [[飯島大介]]<br /> * 未亡人の息子 - [[萩原一樹]]<br /> * 未亡人の娘 - [[矢部裕貴子]]<br /> * 若い未亡人 - [[池脇千鶴]]<br /> * 町会長(西宮) - [[原田芳雄]]<br /> * 町会長(御影) - [[長門裕之]]<br /> * 未亡人(清太の親戚) - [[松坂慶子]]<br /> <br /> === スタッフ ===<br /> * 監督 - 日向寺太郎<br /> * 脚本 - 西岡琢也<br /> * 音楽 - Castle In The Air(谷川公子+[[渡辺香津美]])<br /> * 撮影 - [[川上皓市]]<br /> * 照明 - 水野研一<br /> * 録音 - 久保田幸雄<br /> * 美術監修 - [[木村威夫]]<br /> * 美術 - 中川理仁<br /> * 編集 - [[川島章正]]<br /> * ヘアメイク - 小堺なな<br /> * 助監督 - 酒井長生<br /> * 音響効果 - 瀬谷満<br /> * 特殊メイク - [[松井祐一]]<br /> * VFXスーパーバイザー - 落合信人<br /> * ロケ協力 - [[兵庫県]]、[[姫路市]]、[[南あわじ市]]、[[加古川市]]、[[西脇市]]、[[西宮市]]、[[宝塚市]]、[[加西市]]、[[加東市]]、[[三木市]]、ひょうごロケ支援net、神戸フィルムオフィス、[[日本毛織]] ほか<br /> * 現像 - [[東京現像所]]<br /> * 製作者 - 石川博/[[川城和実]]/桐畑敏春/久松猛朗/横倉信夫/鈴木ワタル<br /> * プロデューサー - 伊藤成人/河野聡/南條昭夫/磯田修一<br /> * 企画 - [[大橋孝史]]<br /> * 製作 - 『火垂るの墓』パートナーズ<br /> ** [[テレビ東京]]/[[バンダイビジュアル]]/[[ポニーキャニオン]]/[[松竹ブロードキャスティング|衛星劇場]]/[[佐久間製菓]]/トルネード・フィルム/[[ジョリー・ロジャー (企業)|ジョリー・ロジャー]]/[[パル企画]]<br /> * 配給 - パル企画(2008/カラー/35mm/100分/ビスタサイズ)<br /> <br /> {{Gallery|File:Akitani Pond Grave of the Fireflies 秋谷池(兵庫県西脇市黒田庄町喜多字秋谷口) 火垂るの墓 DSCF3641.jpg|蛍の飛ぶ印象的なシーンの撮影を行った秋谷池([[西脇市]][[黒田庄町]]) |File:Akitani Pond Grave of the Fireflies 秋谷池(兵庫県西脇市黒田庄町喜多字秋谷口) 火垂るの墓 DSCF3652.jpg|火垂るの墓撮影地の石碑が立つ秋谷池畔||}}<br /> <br /> == 漫画化 ==<br /> 『火垂るの墓』は[[吉森みき男|吉森みきを]]、[[滝田ゆう]]などにより漫画化されている。<br /> * [[ほるぷ平和漫画シリーズ]]20『焼跡のうた』([[ほるぷ出版]]、1984年11月、{{全国書誌番号|85004871}}、ISBN 978-4593531226)<br /> ** 絵:吉森みきを。原作:野坂昭如。<br /> ** ※ 月刊少女漫画雑誌[[りぼん]] ([[集英社]]、1969年7月、{{全国書誌番号|00024245}})付録に掲載された『ほたるの墓』ほか2編を収録。<br /> * 『怨歌劇場』([[ぱる出版]]、1993年10月20日)<br /> ** 絵:滝田ゆう。原作:野坂昭如。<br /> ** ※ 『火垂るの墓』をはじめ、野坂の12編の短編が漫画化されている。<br /> * 宙コミック文庫 漢文庫シリーズ『怨歌劇場』([[宙出版]]、2007年1月25日)<br /> ** 絵:滝田ゆう。原作:野坂昭如。<br /> * ホーム社 MANGA BUNGOシリーズ『火垂るの墓』([[ホーム社]]、2010年7月10日)<br /> ** 画:[[三堂司]]。原作:野坂昭如。<br /> <br /> == 合唱組曲 ==<br /> 2010年(平成22年)に、[[新実徳英]]により混声合唱組曲が作られている&lt;ref&gt;[http://center-choir.jp/images/hotaru_no_haka_a4_1.pdf 混声合唱組曲『火垂るの墓』初演リーフレット表紙]&lt;/ref&gt;。<br /> * 混声合唱組曲『火垂るの墓』 第33回演奏会 [[神戸市役所]]センター合唱団<br /> ** 2010年(平成22年)11月19日 [[神戸文化ホール]]中ホール<br /> ** 作曲:新実徳英。作詞:[[車木蓉子]]。<br /> ** 構成は、「1.駅」、「2.火垂る」、「3.飢え」、「4.悔」、「5.愛―蛍」、「6.臨―声」の、6から成る。<br /> ** ※ 被爆・終戦65周年記念特別企画。<br /> <br /> == おもな刊行本 ==<br /> * 『[[アメリカひじき]]・火垂るの墓』([[文藝春秋]]、1968年3月25日)<br /> ** 装幀:[[永田力]]。帯文:[[大佛次郎]]。<br /> * 文庫版『アメリカひじき・火垂るの墓』([[新潮文庫]]、1972年1月30日。改版2003年)<br /> ** カバー装画:[[近藤喜文]]、[[山本二三]]、[[保田道世]]。付録・解説:[[尾崎秀樹]]。<br /> * 限定豪華版『火垂るの墓』([[成瀬書房]]、1978年6月21日)<br /> ** あとがき:野坂昭如。<br /> ** 収録作品:アメリカひじき、火垂るの墓<br /> ** 限定200部。[[毛筆]]署名落款<br /> * アニメ絵本『火垂るの墓』([[新潮社]]、1988年5月)<br /> ** 絵:近藤喜文、[[百瀬義行]]。詩:[[田村隆一]]。<br /> * 大型アニメ絵本『火垂るの墓』([[徳間書店]]、1988年8月)<br /> ** 監督:[[高畑勲]]。<br /> * 朗読CD『火垂るの墓』(新潮社、2001年7月25日)<br /> ** 朗読:[[橋爪功]]。CD1枚。76分。<br /> ** 収録内容:火垂るの墓、野坂昭如談話<br /> * 英文版『The Grave of the Fireflies』(Tate Pub &amp; Enterprises Llc、2009年)<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> === 注釈 ===<br /> {{Reflist|group=&quot;注釈&quot;}}<br /> === 出典 ===<br /> {{Reflist|2}}<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> * 文庫版『[[アメリカひじき]]・火垂るの墓』(付録・解説 [[尾崎秀樹]])([[新潮文庫]]、1972年。改版2003年)<br /> * 『人間の記録 第188巻―野坂昭如: アドリブ自叙伝』([[日本図書センター]]、2012年)<br /> <br /> == 関連項目 ==&lt;!--項目の50音順--&gt;<br /> * [[カルピス]]<br /> * [[神戸大空襲]]<br /> * [[神戸阪急ビル]]<br /> * [[サクマ式ドロップス]]<br /> * [[夙川公園]]<br /> * [[少年H]]<br /> * [[新京阪鉄道P-6形電車]]<br /> * [[戦災孤児]]<br /> * [[ドラマ・コンプレックス]]<br /> * [[西宮市]]<br /> * [[日本本土空襲]]<br /> * [[はだしのゲン]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://web.archive.org/web/20080225211506/http://www.hyogonet.com/drama/hotaru/ 火垂るの墓の舞台を訪ねる] - 2008年2月25日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]<br /> * [http://www.geocities.jp/seppa06/0204_nosaka/nosakaron2.htm 野坂昭如と自伝小説]<br /> * アニメ映画<br /> ** [http://www.ntv.co.jp/kinro/before200805/before200602/lineup/2005/0805/index.html 火垂るの墓] - [[金曜ロードSHOW!|金曜ロードショー]](2005年8月5日放送分)<br /> ** [http://www.ntv.co.jp/kinro/before200805/20070921/top.html 火垂るの墓] - 金曜ロードショー(2007年9月21日放送分)<br /> ** [http://www.ntv.co.jp/kinro/lineup/20090814/ 火垂るの墓] - 金曜ロードショー(2009年8月14日放送分)<br /> ** [http://www.ntv.co.jp/kinro/lineup/20131122/index.html 火垂るの墓] - 金曜ロードSHOW!(2013年11月22日放送分)<br /> ** [https://kinro.jointv.jp/lineup/150814 火垂るの墓] - 金曜ロードSHOW!(2015年8月14日放送分)<br /> ** [https://kinro.jointv.jp/lineup/20180413 火垂るの墓] - 金曜ロードSHOW!【高畑勲監督追悼】(2018年4月13日放送分)<br /> ** [https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12168-04168242/ 火垂るの墓] - 「火垂るの墓」視聴率は6.7%<br /> ** {{Allcinema title|150436|火垂るの墓}}<br /> ** {{Kinejun title|17956|火垂るの墓}}<br /> ** {{Movie Walker|mv17777|火垂るの墓}}<br /> ** {{Eigacom title|39423|火垂るの墓}}<br /> ** {{Amg movie|20532|Grave of the Fireflies}}<br /> ** {{IMDb title|0095327|Grave of the Fireflies}}<br /> * テレビドラマ<br /> ** [http://www.ntv.co.jp/hotaru/ 終戦60年スペシャルドラマ「火垂るの墓 -ほたるのはか-」 - 日本テレビ]<br /> * 実写映画<br /> ** [http://web.archive.org/web/20081216020323/http://hotarunohaka.jp/ 実写 映画『火垂るの墓 -ほたるのはか- 』公式ホームページ] - 2008年12月16日時点のアーカイブ<br /> ** {{Allcinema title|330066|火垂るの墓}}<br /> ** {{Kinejun title|39051|火垂るの墓}}<br /> ** {{Movie Walker|mv37185|火垂るの墓}}<br /> ** {{Eigacom title|53562|火垂るの墓}}<br /> <br /> {{スタジオジブリ}}<br /> {{高畑勲}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:ほたるのはか}}<br /> [[Category:野坂昭如の小説]]<br /> [[Category:日本の短編小説]]<br /> [[Category:日本本土空襲を扱った作品]]<br /> [[Category:第二次世界大戦を題材とした小説]]<br /> [[Category:直木三十五賞]]<br /> [[Category:オール讀物]]<br /> [[Category:神戸市を舞台とした小説]]<br /> [[Category:神戸市を舞台とした映画作品]]<br /> [[Category:戦時中・終戦直後の日本を舞台とした作品]]<br /> [[Category:西宮市を舞台とした作品]]<br /> [[Category:兵庫県を舞台とした映画作品]]<br /> [[Category:1988年のアニメ映画]]<br /> [[Category:日本の戦争映画]]<br /> [[Category:スタジオジブリのアニメ映画]]<br /> [[Category:東宝製作のアニメ映画]]<br /> [[Category:新潮社のアニメ作品]]<br /> [[Category:高畑勲の監督映画]]<br /> [[Category:太平洋戦争の映画]]<br /> [[Category:小説を原作とするアニメ映画]]<br /> [[Category:2005年のテレビドラマ]]<br /> [[Category:DRAMA COMPLEX]]<br /> [[Category:日テレアックスオンのテレビドラマ]]<br /> [[Category:井上由美子脚本のテレビドラマ]]<br /> [[Category:文学を原作とするテレビドラマ]]<br /> [[Category:2008年の映画]]<br /> [[Category:テレビ東京製作の映画]]<br /> [[Category:バンダイビジュアルの映画作品]]<br /> [[Category:ポニーキャニオンの映画作品]]<br /> [[Category:小説を原作とする映画]]<br /> [[Category:文部科学省選定]]</div> 110.134.204.150
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