X JAPAN

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X JAPAN
基本情報
別名 X
出身地 日本の旗 日本 千葉県館山市
ジャンル ロック[1][2]
ハードロック
オルタナティヴ・ロック[1]
グラムロック[1][2]
ヘヴィメタル[2]
パワーメタル[2]
プログレッシブ・メタル[2]
スタジアム・ロック
シンフォニックメタル
グラム・メタル
スピードメタル(初期)[1][2]
活動期間 1982年 - 1997年
2007年 -
レーベル Dada Records 1985
Extasy 1986-1988
CBS Sony / Siren Song 1989 - 1990
Sony / Siren Song 1991
Ki/oon 1992
MMG 1992 - 1993
Eastwest Japan 1994 - 1996
Polydor 1997 - 1998
Columbia Music Entertainment 2003
Extasy Records International 2007 - )
EMI 2011 - 2014
Warner Music Japan2013 - )
Legacy Recordings 2017 - )
事務所 Staff Room 3rd
1989 - 1992
Excess 24
1993 - 1998
MeGhee Entertainment Inc.
1993
William Morris Endeavor Entertainment
2010 - )
共同作業者 I.N.A
公式サイト www.xjapanmusic.com

X JAPAN(エックス・ジャパン)は、日本ヴィジュアル系ロックバンド[1][2]1989年X(エックス)としてメジャーデビューし、1992年X JAPANに改名。1997年9月22日に解散を発表し、同年12月31日にラストステージで活動を一旦終了。2007年10月22日に再結成。通称、X(エックス)

1982年千葉県館山市で当時高校生だったYOSHIKIToshlを中心に結成。派手なルックスで、後続のバンドにビジュアル、音楽の両面で大きな影響を与えた。

バンド名の由来

X結成当時、長い名前のバンド名が流行っていたため、あえて一文字にすることで、他のバンドと名前が並んだ際に目立つという理由から「X」と名付けた。その後、YOSHIKIがXという文字の意味を調べたところ、Xには「無限の可能性」という意味があることが分かり、後付けで「無限の可能性」とジャンルにとらわれないという意味であるとした。その後、世界進出にあたりアメリカに同名のバンドが存在することが分かり、1992年8月のHEATH加入発表と共にX JAPANに改名した。

来歴

1977-88年: 結成、インディーズ時代

幼稚園(すみれ組=Violet)の頃からの幼馴染だったYOSHIKIとToshlは、小学校高学年でアメリカのハードロックバンド「KISS」の話をする間柄であり、共にバンドを組む約束をしていた。

小学6年の時にDYNAMITE(ダイナマイト)(1977年 - 1978年)[3]、中学校に進学後NOISE(ノイズ)(1978年 - 1982年)を結成。主にレッド・ツェッペリンUFOレインボーなどのコピー曲を中心に演奏[4]、中学校の予餞会が初ライブだった。その後、通っていた中学校が生徒増加に伴う分割によりボーカルが別の中学に編入されたため、当初ギターだったToshlがボーカルに転向。地元の安房高校に進学した2人はその後もバンドを続けていたが、進学問題で他のメンバーが脱退。他校のメンバーを加えて1982年夏、高校2年生の時に始めたのがX[注 1]だった。高校時代の文化祭では「We are X」、当時は未完成だった「I'LL KILL YOU」などを演奏していた[5]

高校卒業後の進路として音楽大学の推薦入試を受験する予定だったYOSHIKIが、入試1週間前に進学を取り止めロックバンドとして成功する道を選び、1984年にToshlと結成時のメンバーのTERRYと共に活動拠点を東京に移した。又、ベース担当のATSUSHI、ギター担当のTOMOが加入した。

上京後の2人は、何のツテもない状態でメンバーやライブハウスを探し、1年後の1985年にはバンドとしての体裁を何とか整えられた。同年6月、1作目のシングル「I'LL KILL YOU」をDada Recordsからリリース。1986年にYOSHIKIが自身のレーベル「エクスタシーレコード」を設立し、2作目のシングル「オルガスム」をリリースする。この頃になるとファンもある程度定着したが、メンバーは常に流動的だった。

その後、一時期Xに加入していたTAIJIが1986年の年末に再び加入。1987年ビクターから発売されたオムニバス・アルバム『SKULL THRASH ZONE Vol.1』のレコーディングでPATAがヘルプで参加。その後、1987年初めには、SAVER TIGERを解散させ美容師になる決心をしたHIDEをYOSHIKIが説得し、Xに加入させた。交通事故を起こしたISAOの脱退後にPATAも正式にメンバーとなり、メジャーデビュー時のメンバーが揃った。

ライブ・ハウスでは、メンバーが暴れて火を吹いたりYOSHIKIがシンバルにガソリンを注いで燃やすなどのパフォーマンスを敢行し、数々のライブハウスから出入り禁止となった。打ち上げでも喧嘩が絶えず店がメチャメチャに壊れるなどトラブル続きだったため、ロックミュージシャンが居酒屋へ入る際にはYOSHIKIがいないか店にチェックされた程であり、当時のインディーズロック事情に詳しい漫画家の喜国雅彦によると当時の渋谷の居酒屋はミュージシャン同士の喧嘩が多かった事から「ギターお断り、ミュージシャンお断り、バンドマンお断り」極めつけは名指しで「Xお断り」と貼り出された店もあったという[6]。その特異な行動から、HIDE率いるSAVER TIGERTAIJIが在籍したディメンシアと共に「関東三大粗大ゴミバンド」とバッシングの対象になった。

「いくら良い曲を作っていても聴いてもらえなければ意味が無い」という考えから「知名度が必要」と判断し、日本テレビ天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の「ヘビメタコーナー」に出演していた[注 2]。「早朝シリーズ」(就寝中の芸能人の部屋に侵入してバズーカなどの爆音で起こす名物コーナー)の一つである「早朝ヘビメタ」や、ステージ衣装のままで競技を行う「ヘビメタ運動会」などで話題となる。狭い食堂で「オルガスム」を演奏する同番組の企画「やしろ食堂ライブ」は、HIDEのX加入後の初仕事となった。しかしその世界観を硬派なイメージで保とうとする当時の音楽業界、特にロック界の風潮の中で「(音楽番組以外の)テレビ出演」はタブー視されていたため、業界関係者や他のバンドから「ヘヴィメタルをお笑いネタにされた」として厄介者のレッテルを貼られていた。

テレビ出演をきっかけに知名度が全国区へと広まったXは、当時デモテープの配布すら滅多に無かった時代にミュージック・ビデオを客に配布した。この時、他にも配布するものとして、冷蔵庫電子レンジトラックなどのアイデアが出ていた。他のバンドよりプロモーションを積極的に行っていたため、他のバンドからは金持ちバンドとしてみられていた。

1988年4月、1作目のアルバム『Vanishing Vision』をリリース。発売1週間で、当時としては異例の初回プレス分1万枚を完売した。『Vanishing Vision』は、メジャー・レーベルから発売される可能性もあったが、YOSHIKIは「インディーズでまだ何も残していない」として、敢えてエクスタシーレコードからリリースした。並行して数社とのメジャーレーベルとの契約交渉を進め、Xを巡ってレコード会社の間で争奪戦となったが、最終的にCBSソニーと契約。XがCBSソニーと契約した理由は、交渉にあたったCBSソニーのディレクター達があまりに横柄な態度をとっていたためである。これにメンバーが怒りを覚えたため、交渉は冷静に対応できるYOSHIKIが担当したといわれる。契約金や契約期間などの条件が最も低かったことも、「絶対に売れてこいつらを見返してやる」という反骨心が生まれ、契約を決めた一因となった。

契約したCBSソニーも交渉当初は積極的ではなかったが、当時スカウト・育成部門所属だった津田直士が新規プロジェクトチームに配属となった事から、津田直士自らがディレクターとなりXと会社を説得。マネジメントまで引き受けることとなった。同時にX専用のプライベート・レーベル「SIREN SONG」が設立された。

1989-93年: メジャー・デビュー

1989年4月21日、CBSソニー / Siren Songから2作目のアルバム『BLUE BLOOD』でメジャー・デビュー。オリコンでは初登場6位を記録した。当時の音楽業界はミリオンヒットが珍しい時代であり、トップレベルのロックバンドですら10万枚の売上で大ヒットだった中、1989年だけで60万枚のセールスを記録した。また6月頃にメンバーが海外にVIDEO撮影や曲作りの為に滞在していた。同年9月に「」をシングル・カット。音楽番組出演などの積極的なメディア露出で、ヴィジュアル系バンドを見た事の無かった多くの人達に強烈なインパクトを与えた。この時も、Xのメディア露出過多について音楽業界から賛否両論が浴びせられるも順調に向かっている様子に見えたが、同年11月23日に渋谷公会堂のライブ中にYOSHIKIが倒れ、以降のライブは延期された。以降、YOSHIKIは常に首や腕に「爆弾」を抱えながらバンド活動を続ける事となる。そんな中も、Xは日本有線大賞新人賞・日本ゴールドディスク大賞など数々の賞を受賞した。

1990年2月、初の日本武道館ライブでツアーを再開し、5月の大阪城ホールライブをもってツアーを終えた。11月には次のアルバムのレコーディングのために渡米した。本人達が不在の間にも、フィルム・コンサート『X FILM GIGS 〜血と薔薇にまみれて〜』を行い、成功させた。

アメリカ・ロサンゼルスでレコーディング中に、YOSHIKIが高速ナンバー「Stab Me In The Back」のドラムレコーディング後に発症した頸椎椎間板ヘルニアで、以降のレコーディングのスケジュールが大幅に延期された。レコード会社からは1991年7月のリリースをリミットとされたため、他の高速ナンバーや「ART OF LIFE」などのレコーディングを断念し、同年6月帰国。翌7月1日、3作目のアルバム『Jealousy』をリリース。オリコンチャート1位を記録する。コンサート・ツアー『Violence In Jealousy Tour 1991 〜夢の中にだけ生きて〜』を行い、8月23日には初の東京ドーム公演を果たした。同時期、新宿の小田急ミロードに「X SHOP JEALOUSIX」を期間限定で出店、日清食品から「カップヌードルX味」が発売されるなど、この頃のXはメディア露出なども合わせて絶頂期を迎えた。12月8日にNHKホールで、『X with Orchestra』を開催した。12月20日のツアーファイナルの武道館でFILM GIGのダブルアンコールに本人たちが登場し、この頃に一部新聞で報道された解散説をYOSHIKI自ら否定。12月31日には『第42回NHK紅白歌合戦』に出場した。

1992年1月5、6、7日には、日本人アーティストとして初となる東京ドーム3日間連続公演『破滅に向かって』を開催し、延べ12万人を動員した。同年1月31日の『ミュージックステーション』でビデオメッセージを通じて、Toshlの口からTAIJIの脱退が正式に発表された。TAIJI脱退の理由について、当初「音楽性とファッション性の違いから」と説明されていたが、その後TAIJIは著書『伝説のバンド「X」の生と死―宇宙を翔ける友へ』の中で「YOSHIKIに直接脱退を迫られた」という内容を告白している。同じ著書の中では「ギャラのアップ要求などバンドの嫌われ役に徹していたことに、YOSHIKIが疲れ果てたのではないか」、「一部のスタッフがYOSHIKIに働きかけたのではないか」、「YOSHIKIのドラムプレイに対して平気でダメ出しをする様になって、YOSHIKIとの間に軋轢が生じたからではないか」と述べている。一方、YOSHIKIは自伝『YOSHIKI/佳樹』の中で「TAIJIのベースはXに必要だったが、YOSHIKIとTAIJIの間での約束をいとも簡単に破ったこと」を理由としている。

ファイル:X Japan logo.png
X JAPAN ロゴ(1992年-)
株式会社ジャパンミュージックエージェンシー商標4868300号として登録されている

ソニーとの契約が切れたXは、1992年8月24日にニューヨークのロックフェラー・センターで記者会見を開き、世界進出を果たすべくアメリカのタイム・ワーナーと契約したことと、新しいベーシストとしてHEATHが加入したことを発表した。海外ではアトランティックレーベル、日本ではMMGから作品をリリースすることとなった。しかし、アメリカ・ロサンゼルスに同名の「X」というバンドが存在したため、X JAPANに改名した(当初はX FROM JAPANと名乗っていたが、直ぐに変更した経緯がある)。日本でも1993年12月24日に東京ベイNKホールで行われた『ミュージックステーションスーパーライブ93』に出演するなどしていた。

1994-96年: 長期レコーディング

ワーナーミュージック・ジャパンとの契約後に最初に取り組んだのが、『Jealousy』に収録できなかった「ART OF LIFE」のレコーディングだった。デモテープは1990年夏には既に出来上がっていたが、Toshlのボーカル録りが難航。1993年8月に、ようやくリリースされる。

これと並行して各メンバーのソロ活動が活発になるが、次第にX JAPAN本体とのスケジュールの都合がつかなくなるなどしたために、X JAPANのレコーディングスケジュールも管理していたYOSHIKIが、他のメンバーに不信感を募らせていった。だが相変わらず、X JAPANのニューアルバムのレコーディングは遅々として進まなかった。

本来、『Jealousy』に続くアルバムは世界進出アルバムとしてリリースされる予定で、『日本向けと海外向けの2作品を同時に制作中』『過去の楽曲の英詞ヴァージョンをレコーディング中』だったが、Toshlの英語の発音の問題で海外進出を断念[8]

長期にわたるレコーディングはワーナーミュージック・ジャパンとの関係をも悪化させる。完成していないマスターテープを担保にした銀行融資も、ままならなくなり、YOSHIKIは愛車フェラーリを制作費捻出のために売却しレコーディングを続行。契約から4年ものアルバムレコーディングで経費がかかりすぎるとして、レコーディング作業を維持するために、苦肉の策として仕上った楽曲を次々とシングルとしてリリース。YOSHIKIは持病の頚椎椎間板ヘルニアのために数曲のハイスピードな楽曲のレコーディングを断念した[8]

ニューアルバムのレコーディングが終わらぬまま、1995年11月、全国ツアー『DAHLIA TOUR 1995-1996』が開始。YOSHIKIの体調を考慮して、基本的に1 - 2週間に1カ所で2日間という日程だったが、翌1996年3月13日、名古屋公演1日目にYOSHIKIがライブ中に椎間板ヘルニアを再発したことで、以後のツアー日程は全て中止され、事実上ツアー終了。福岡の延期を除く18公演中、7公演が中止となった。福岡ドームに至っては、延期公演の振替も中止となった。

長期のレコーディングの末、1996年11月4日に最後のオリジナルアルバム『DAHLIA』がリリース。しかし5年4か月もの歳月を掛けたにも関わらず、アルバム発売以前に全10曲中6曲までがシングルリリースされる(『DAHLIA』リリース後に「SCARS」もシングルカットされた)という、ベスト盤的アルバムとなった。この頃から、ToshlはX JAPANの存在と活動に息苦しさを感じるようになったと発言している。

1996年12月、『DAHLIA TOUR 1995-1996』のツアーファイナルとなる、『DAHLIA TOUR FINAL』を東京ドームで開催。

1997 - 2006年: 解散、HIDEの死と解散後のX JAPAN

1997年4月、音楽性・方向性の違いを理由にToshlが脱退する。後任のボーカルを見つけられなかったため、9月22日に記者会見を開き、当日をもってX JAPANの解散を発表。その後、ファンに対する「けじめ」としてライブをしよう、とHIDEがYOSHIKIを説得。Toshlも参加して、1997年12月31日に東京ドームで『THE LAST LIVE〜最後の夜〜』を行い、コンサート終了後に出演した『第48回NHK紅白歌合戦』のステージで幕引きとなった。

残ったメンバーは2000年に新たなボーカリストを加えた形で再結成することを予定し、それまでの間、各メンバーはソロ活動を展開する。中でもHIDEは、hide with Spread Beaver名義で精力的に活動を始めた。しかしその矢先、1998年5月2日にHIDEが急逝。その後『Art of life live』や『THE LAST LIVE〜最後の夜〜』などのライブ・アルバムやライブDVD、ファン投票によるベスト・アルバム『X JAPAN BEST 〜FAN'S SELECTION〜』のリリース、全国主要都市や韓国・ソウルで『FILM GIG』開催などが続いた。

HIDEと同郷であり、hide MUSEUMの建設にも関わった当時の小泉純一郎首相が「X JAPANのファン」と公言し話題を呼び、「Forever Love」が自民党の国政選挙の際にCMで使われた。しかし、その一方でToshlの洗脳疑惑騒動やYOSHIKIの迷走などかつてのファンを不安にさせるニュースも数多く報道されていた。特にYOSHIKIは日本で表立った音楽活動をほとんど行わなくなり、アメリカでViolet UKの活動を主体にプロジェクトを進めていた。これには、公私共に深い信頼関係にあったHIDEの死去が自身に与えた精神的なダメージが大きかったためであることを後に語っている。

2002年、YOSHIKIはゲスト出演したNHKの『わたしはあきらめない』で解散の直接的原因となったToshlについて、「Toshlの声を道具のように扱っていた」と、自身の行いに問題があったという内容の発言をしている。HIDE死後の転機となったのが、『天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典』で奉祝曲「Anniversary」を演奏した際に受けたファンの歓声であったとしている。この模様は後日、未放送部分が付け加えられ番組単行本に纏められている。しかし、当時のToshlは「自分はテレビを見ないので知らない」と受け入れることは無かった。

韓国では「Tears」が、映画『僕の彼女を紹介します』挿入歌として、日本文化解禁後の韓国映画で初の日本語楽曲使用となった。ヨーロッパではX JAPANの楽曲をカヴァーするバンドも現れた。後述の再結成発表の場でもアジア圏から東京に駆けつけたファンやリアルタイムでX JAPANを知らない若者たちの姿などが多く報道されていた。

2007年: 再結成

2007年2月10日にToshlが自身のホームページで、X JAPANのかつてのマネージメント事務所の社長がToshlのライヴ会場に何度も足を運び、「他のメンバーが再結成したがっているがToshlはどうだろうか」と頼んで来たと述べている。再結成に対して否定的であったToshlは、最初は頑なに断り続けていたが、あまりにも何度も来られたため、YOSHIKIにも確認し、共通の友人でもある小室哲哉にも応援と期待を頂いて話を進めていると明かした。同年3月21日にはToshlが自身のホームページで、ロサンゼルスのYOSHIKIのスタジオを訪ね、およそ10年ぶりに共に演奏したことを明らかにした。その際にセッションした楽曲はYOSHIKIがHIDEへの追悼曲として作曲し、2005年のYOSHIKIのクラシック・アルバム『ETERNAL MELODY II』に収録していた「Without You」であったことも明かし、YOSHIKIとのプロジェクトや新曲のリリースの動きが進行していることをほのめかした。その後、同年6月にYOSHIKIはスポニチの取材に対し、再結成に向けて話を進めていることを認めた[9]

同年10月18日、公式ホームページで活動再開が正式に発表された。東京都港区台場アクアシティお台場屋上で、新曲「I.V.」のプロモーション・ビデオの公開撮影を10月22日に行う旨が報道された[10]。当日の撮影ではYOSHIKIに抱きかかえられたHIDEの人形も揃い、10年ぶりにX JAPANの『5人』が台場に集まったファンの前に姿を見せた。このミュージック・ビデオでは『HIDEも世界に連れて行く』という意味を込めてHIDEのステージ・ポジションにマイク・スタンドとギターが設置されていた。撮影終了後には2008年春を目処に東京で再結成コンサートを計画していることなども明らかにされた。「I.V.」は亡きHIDEのギター音をデジタル加工して使用するなど、X JAPAN5人の楽曲として制作され、2008年1月23日にリリースされた。ハリウッド映画『SAW4』のメイン・テーマ・ソングとして採用された。撮影されたミュージック・ビデオは、2008年2月29日に発売された『X JAPAN RETURNS 完全版 DVD-BOX』に収録された。

後日、TVでインタビューでYOSHIKIは「X JAPANに終止符を打つための再結成で綺麗な形で終わらせるためであり、長期間の活動はしない」と語った。HIDEの後任のギタリストは、ゲストと言う形をとり、HIDEのポジションを空けておく、X JAPANは常にHIDEと一緒という発言から新たにHIDEのギターを収録することが不可能なことやToshlとの確執が完全に解消されたわけではないと述べた。Toshlは復活後のソロコンサートで「X JAPANもやりながら癒しの音楽もやっていきたい」と語っていた。

2008年: 世界進出

2008年1月20日に渋谷Apple Storeで記者会見が行われ、同年3月28日、30日に、東京ドームで2日間の再結成コンサートが行われることが発表された。同日の夕方にはタワーレコード渋谷店で、X JAPANメンバーと招待されたファン160人によるトーク・ライブが行われた。会見当日に先行予約が開始されたが、予想以上の反響があったため、当初の予定を変更しドームの後方席も開放し増席することと、夏以降の追加公演が発表された。X JAPANにとって初の海外公演となる欧米・アジアツアーが年内に発表されるとも語った[11]。再結成コンサートは『X JAPAN 攻撃再開 2008 I.V. 〜破滅に向かって〜』と銘打たれ、28日は「破壊の夜」、30日は「創造の夜」と命名された。後日、再結成コンサートはあまりにも反響が大きく2日間ではキャパシティを確保することができないと判断し、YOSHIKIを始めとするメンバーの休養のため空けられていた29日に追加公演を行うことを決定。29日はYOSHIKIも「命を張る覚悟」として「無謀な夜」と命名された。チケットの価格高騰を懸念して、プレミア席のオークション中止も発表された。立ち位置は「HIDEがいたときと同じ配置で行く」と改めて『5人のX JAPAN』によるコンサートであることが強調され[12]、再結成コンサート当日は、ステージやモニターに特殊映像(ホログラムなど)によって再現されたHIDEが映しだされた。この会見で「I.V.」のiTunes Storeなどにおける全世界23ヶ国同時発売が発表された。

2008年5月3-4日にHIDEの追悼ライブ『hide memorial summit』が開催され、LUNA SEAT.M.RevolutionDir en greyマキシマムザホルモンなどが出演し、X JAPANは2日目に出演して「Without You」やhideのソロ楽曲「ピンクスパイダー」などを演奏したほか、LUNA SEAのメンバーとLUNA SEAの楽曲「BELIEVE」を共演した。12月31日には赤坂BLITZでカウントダウン・ライブ『X JAPAN COUNTDOWN GIG 〜初心に帰って〜』を開催。この模様はCS放送、DMM.comによる独占生中継が行われたほか[13]、全国13館のTOHOシネマズにて中継上映も行われた。

後日YOSHIKIは雑誌のインタビューやMyspaceなどを通じて「I.V.」の日本語版のリリースや「Without You」をはじめとした新曲の制作をほのめかしていた。「もしかしたら当初の構想より長く活動できるかもしれない」と語った。

この年、パリやアメリカ等でツアーを予定していたが、YOSHIKIの体調不良により中止になった。日本でクリスマスライブも予定していたが中止になった。

2009年: ワールド・ツアー、SUGIZOの加入

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2009年1月17日香港公演
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2009年の台湾公演決定を記念して特別イルミネーションされた台北101

2009年1月16-17日に、香港のアジア・ワールド・エキスポで初めての海外公演となる『X JAPAN WORLD TOUR LIVE IN HONG KONG』を開催し、2日間で2万人を動員した[14]

香港公演後には一時期、HEATHに関するトラブルが発生したことで2-3月に予定されていた台北公演・ソウル公演は延期が決定され、最悪二度目のベース脱退という事態に陥ったが[注 3]、公演が翌日に迫った5月1日にHEATHから脱退が回避されたという旨とファンへの謝罪が公式サイトに掲載された。同時に再結成公演以来サポート・メンバーとしてステージで演奏していたSUGIZOが「6人目のメンバー」として正式に加入した[16] [17]。5月2-3日にワールド・ツアー東京ドーム公演『X JAPAN WORLD TOUR Live in TOKYO 〜攻撃続行中〜』を開催。「JADE」が初めて演奏されたほか、新たに加わったSUGIZOのヴァイオリンとYOSHIKIのピアノによる共演など、SUGIZOの加入による新しいコラボレーションも見られた。5月30日には台湾で『X JAPAN WORLD TOUR Live in TAIPEI』が開催された。

その後、ワールド・ツアーは10月10日のパリ公演がアナウンスされていたが、YOSHIKIの持病である頸椎椎間板ヘルニアの手術に伴い、三たびの延期。年内の開催を予定していた大阪公演も延期となった。

7月末のYOSHIKIの手術後、8月22日には6年ぶりとなるフィルム・コンサート『X JAPAN FILM GIG 〜鈴鹿の夜〜』が鈴鹿サーキットで開催された。これはYOSHIKIがプロデュースするレーシングチーム「TEAM YOSHIKI&童夢プロジェクト」が出場するSUPER GTレースの前夜祭に伴って行われたもので、X JAPANのフィルム・コンサートとしては初の野外公演となった。これには当初YOSHIKIの出演がアナウンスされていたものの、その後に手術が決まったこともあり、出演は取りやめとなっていたが、当日になりYOSHIKIとToshlがサプライズ出演。公の場にYOSHIKIが姿を現すのは手術後これが初めてとなった。

2010-11年: ワールド・ツアー、TAIJIの死

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サンパウロ公演で演奏するYOSHIKIToshl

2010年1月6日-14日にロサンゼルスにてミュージック・ビデオの撮影が行われた。6日にはロサンゼルス・センター・スタジオ、7-8日にはロサンゼルス・シアターへと場所を移し、9日にはハリウッド・コダック・シアターの屋上に設置された特設ステージの上でライブ形式の公開撮影が行われた。9日の公開撮影ではファン8000人を動員し、総制作費は5億円を計上した[18]。その後12 - 14日も場所を移して撮影が行われた。撮影は「I.V.」「JADE」といった再結成後の新曲に加えて「Rusty Nail」「」「ENDLESS RAIN」といったすでにミュージック・ビデオが存在している曲にも行われた。撮影された映像の一部はパチンコ台「CR FEVER X JAPAN」に使用されていた。DVD『X JAPAN Showcase in L.A.』に収録され、パチンコ店のみで限定リリースされた。

この9日の公開撮影がYOSHIKIにとっては手術後初、Toshlにとっては活動休止後初のパフォーマンスの披露となった。Toshlは2009年10月に肋間神経痛を患い、この撮影の直前まで全く声が出せない状態が続いていたが、この撮影をきっかけに声を取り戻したことを撮影直後の単独記者会見で明かした[19]。この記者会見でToshlは自己破産申請・離婚調停・ソロ活動でパートナーであったMASAYAとの決別などを告白と、2月24日にX JAPANメンバー全員参加の『Toshl LAST CONCERT"武士JAPAN"』の開催を発表した。

2010年の8月6日-8日にかけてアメリカ・シカゴで行われたロック・フェスティバル『ロラパルーザ』のメイン・ステージに出演した。

8月14-15日に、横浜国際総合競技場で『X JAPAN WORLD TOUR Live in YOKOHAMA 超強行突破 七転八起 〜世界に向かって〜』を開催。元メンバーのTAIJIが中盤でスペシャル・ゲストとして参加し、ステージではHeathとのダブルベースにより「X」を共に演奏。1992年の東京ドーム公演以来、18年ぶりに共演が実現した。終演後はステージ上でYOSHIKIをはじめとするメンバーと抱擁を交わした。TAIJIは翌2011年7月17日に急逝してしまったため、これが最後の共演となった。10月10日には、ワールド・ツアーの一環である北米ツアーを完遂した。

10月10日、ワールドツアーの一環である北米ツアーを完遂。ツアーを延期、中止せずに完遂したのは1989年の「BLUE BLOOD TOUR」以来となった。

2011年1月27日、北米における製造・流通を目的としてEMIと3年間の専属契約を結ぶ。3月6日には国立代々木体育館にて行われたYOSHIKIプロデュースのファッション・イベント『ASIA GIRLS EXPROSION』にX JAPANとして出演。5月27日には映画『手塚治虫のブッダ -赤い砂漠よ美しく-』の主題歌「Scarlet Love Song」が配信リリースされた。6月28日には東日本大震災の影響により延期となっていた「JADE」を配信リリース。その当日にヨーロッパ、日本、南米、東南アジアを廻る2011年ワールド・ツアーがロンドンからスタート。ヨーロッパ・ツアー『X JAPAN WORLD TOUR Live 2011 European Tour』では、2008年から延期を繰り返していたパリ公演を含む4都市で成功を収めた。

3月6日に代々木第1体育館で開催された世界最大級のファッションイベント「ASIA GIRLS EXPLOSION」参戦。SUGIZOが参加するViolet UKのパフォーマンス、マリリン・マンソンのモデルとしての登場。この参戦で今年南米(メキシコ、ブラジル、アルゼンチン、ペルー、チリ)から始まるワールドツアー2011、北米で3月15日にシングルリリースされる「JADE」や、5月28日から日本全国で公開される映画ブッダの主題歌「Scarlet Love Song」が披露された[20]

ワールド・ツアーの一環として、日本では8月13日の舞洲サマーソニック大阪特設会場、14日の千葉・QVCマリンフィールドで開催されたロック・フェスティバル『SUMMER SONIC 2011』に出演[21]。その2週間後の野外ライブ・ツアー『a-nation』の東京公演初日にもサプライズ・ゲストとして出演した。

9月18日、チリから始まった南米ツアー『X JAPAN WORLD TOUR Live 2011 South American Tour』をメキシコで完走。東南アジア・ツアー『X JAPAN WORLD TOUR Live 2011 Southeast Asian Tour』では、北京公演が中止になったものの、11月8日にタイでライブを終え、『X JAPAN WORLD TOUR Live 2011』の全公演が終了した。

2012年 -:世界への進撃

2012年4月11日(日本時間12日)、アメリカ最大のHR/HMの祭典『第4回ゴールデン・ゴッズ・アワード』にアジアのバンドとして初めてのノミネートされ、ベスト・インターナショナル・バンド賞を受賞した[22]。世界デビューアルバム制作の最終段階に入ったことと、近々2度目のワールド・ツアーも計画中であることも発表された。

2013年5月20日、東京・デックス東京ビーチ内の施設「マダム・タッソー東京」にてX JAPANの等身大フィギュアお披露目式で記者会見を開き、2014年に2度目のワールド・ツアーを開催する意気込みを表明した。21ヶ月ぶりの記者会見だった[23]。「世界への名刺代わりになる作品」としてアルバムをリリースする予定だとした。

2014年4月29日、YOSHIKIのソロワールドツアー「YOSHIKI CLASSICAL WORLD TOUR」コスタメサ公演にて10月11日にX JAPANとしては初のマディソン・スクエア・ガーデンで公演を行うこと[24]、6月17日に全世界ベストアルバムとして「THE WORLD〜X JAPAN 初の全世界ベスト〜」が発売されることを発表した[24]。このライブステージでは、YOSHIKIがピアノ演奏を中心に、Xの曲や"Anniversary"などを女性弦楽団と演奏し、Toshlもゲストとして参加して盛況となった。

2014年8月17日、国内で初めてゲリラライブを東京・新宿ステーションスクエアで敢行[25]。『聖闘士星矢 LEGEND of SANCTUARY』(同年6月21日公開)の主題歌「HERO」のX JAPANバージョンを披露し、ミュージックビデオの撮影も行った[25]。国内のMV撮影は2007年の「I.V.」以来約7年ぶりで、SUGIZOが加入してからは初である[25]

2014年9月30日、10月1日の2日間、2010年日産スタジアム公演以来4年ぶりとなる日本でワンマンライブを横浜アリーナでおこなった。2日間で2万2千枚用意されたプラチナ・チケットは1秒でソールドアウトした。X JAPANにとって横浜アリーナ公演は、1991年に実施された『Violence In Jealousy Tour』ツアー以来 23年振りということでも話題となった[26]

2014年10月12日、“世界で最も有名なアリーナ”としても知られる、米ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでコンサートを開催した。会場には1万5千人のファンが集まり、アジア単独アーティストとして最高記録になった[27]

2014年12月26日、テレビ朝日系列で放送された音楽番組『MUSIC STATION SUPER LIVE 2014』にて、X JAPANとしては約17年ぶりにテレビ出演を果たした。番組内でX JAPANのニューアルバムを2015年8月にリリース予定であることも発表された。

2015年2月25日にYOSHIKIがInstagramにX Japan Master Album Sequences 2.24.15と印字されたCD画像を投稿した。

2015年6月27日、幕張メッセにてLUNA SEA初の主宰ロックフェス『LUNATIC FEST. (通称ルナフェス)』に出演した[28]

2015年7月6日(現地時間5日)、フランスの『JAPAN EXPO』にて全曲新作となるアルバムの翌年3月11日のリリース、それに伴う日本ツアーとワールドツアー、3月12日に英・ウエンブリーアリーナでリリース記念ライブとドキュメンタリー映画の公開を行うことが発表された[29]

2015年11月26日、大晦日の音楽番組『NHK紅白歌合戦』へ出演することが発表された。X JAPANの出演は1997年12月31日以来、18年ぶりの出演となり、2007年の再結成以降では初出演となる。

2015年11月28日、宮城県石巻市ライブハウス石巻ブルーレジスタンス」にて、日本ツアーの初日公演を兼ねた、東日本大震災復興支援チャリティーコンサートを実施[30]。ライブハウスのライブは1991年12月31日目黒鹿鳴館以来24年ぶりとなる。このライブで用意されたチケット150人分のうち、半数の75人分は石巻市東松島市女川町の住民を対象にした無料招待枠で、残り半数は「ヤフオク!」でチャリティーオークションに出品、落札額は全額中央共同募金会を通じて被災地支援の寄付金となる。最高落札額は120万円を超える金額へと発展した。ライブの模様は石巻市総合体育館にてパブリックビューイングを開催した他、ニコニコ生放送でも配信された[31]

2015年12月25日、『MUSIC STATION SUPER LIVE 2015』出演。22年ぶりに「X」を披露した。

2015年12月31日、18年ぶりのNHK紅白歌合戦出演「紅白スペシャルメドレー 〜 We are X ! 〜」。

2016年、ドキュメンタリー映画『We Are X』(監督:スティーブン・キジャック)が、第32回サンダンス映画祭のワールドシネマドキュメンタリー部門にノミネートされ、最優秀編集賞を受賞した[32]。1月23日に米国ユタ州でワールドプレミア上演を開催[33]。3月18日、SXSW 2016で、EXCELLENCE IN TITLE DESIGN部門の観客賞を受賞[34]

同年2月3日、PATAが大腸憩室炎および門脈血栓症のため入院したことにより一時活動休止を発表[35]し、3月11日にリリース予定であった約20年ぶりのスタジオ・アルバムを延期、それに伴い3月12日に予定されていたイギリスのウェンブリー・アリーナの公演も2017年3月4日に延期。開催すれば同会場で「日本人初」となる公演だったが、その称号を、当初2番手となる予定だったBABYMETALに譲る事となった。

3月18日、SXSW 2016のYOSHIKIのスピーチにて、PATAが退院したことが明らかになった[34]

2016年10月14日~10月16日、『VISUAL JAPAN SUMMIT 2016』開催。

2016年12月23日、『MUSIC STATION SUPER LIVE 2016』出演。25年ぶりに「Silent Jealousy」を披露した。

2016年12月31日、NHK紅白歌合戦出演「紅」。

2017年3月3日、ドキュメンタリー映画『We Are X』日本公開。

2017年3月4日(日本時間3月5日)、イギリス:ロンドンのウェンブリー・アリーナ公演。XJAPANの海外の単独公演は2014年10月11日に行われた「X JAPAN LIVE AT MADISON SQUARE GARDEN」以来約2年半ぶりの海外公演。

2017年3月31日、ニコニコチャンネル「YOSHIKI CHANNEL」の特別番組にて、同年6月に21年ぶりのニューアルバム「X JAPAN」をリリースすることをYOSHIKIが発表[36]

2017年7月 「X JAPAN WORLD TOUR 2017 WE ARE X Acoustic Special Miracle〜奇跡の夜〜 6DAYS」を11日〜12日に大阪城ホールで公演、14日〜17日まで横浜アリーナで公演。

12月27日に放送された「めざましテレビ」でYOSHIKIが「hideの命日(5月2日)までに(アルバムが)出せるようにしたい。」とコメントした。

2017年12月31日 第68回NHK紅白歌合戦に出場。 曲は「ENDLESS RAIN」と「紅」。YOSHIKIは約半年振りにドラム演奏をした。

2018年 : YOSHIKIドラム復活

2018年4月10日、11日に「XJAPAN復活10周年記念 XJAPANLIVE2018 アメリカフェス出演直前 PREMIUM GIGS 〜YOSHIKI復活の夜〜」と称した単発ライブがZepp DiverCityで行われた。 このライブでYOSHIKIはニューアルバムは99.7%できていると発言した。正式にYOSHIKIがドラム復帰。又、Coachella 2018の4月14日の公演にSUGIZOの参加が危ぶまれていたが、無事参加することになった。

2018年4月14日、21日にアメリカカリフォルニア州インディオで開催された野外ロックフェスティバル「Coachella 2018」に出演し、両日トリを務めた。スペシャルゲストとしてガンズ・アンド・ローゼズリチャード・フォータスと、リンプ・ビズキットウェス・ボーランドが参加し、21日にはYOSHIKIの友人であるマリリン・マンソンとのスペシャルパフォーマンスが行われ、マリリン・マンソンの代表曲であるユーリズミックスのカバー『Sweet Dreams』をYOSHIKIのピアノ演奏と共に披露した。『X』の演奏時には、HIDETAIJIホログラムで登場するという演出もなされた。現地メディアはビヨンセと同じ時間に出演するX JAPANに当初より大きな関心を寄せており、『X JAPAN VS ビヨンセ』つまりは『ロック VS ポップス』と、ロックの勢いが振るわないアメリカでX JAPAN、そしてバンドを率いるリーダーのYOSHIKIがどのように切り込んでいくのかと多くの注目が集まっていた。唯一のハードロックバンド、そして日本人アーティストとして計り知れないほどのプレッシャーを抱え、前途多難かに思われたが、初日のコンサート後、米ヤフーニュースには「激しく、吹き飛ばされるかのような破壊力のショーは、まさに“偉大”」、米LAウィークリーには「ビヨンセではなくX JAPANを選んだ」、ローリング・ストーンには「“ハードロックの爆発あり、涙を誘うバラードあり…『JADE』はスピード感のあるメタルリフと間欠泉のような激しさで始まったかと思えば、エモーショナルで華やかなメロディーへと移っていく」と大絶賛され、数多くの大手海外メディアから高い評価が殺到するなど、コーチェラでみせたX JAPANのパフォーマンスはファンのみならず各所に大きな影響を与えた。また、YOSHIKIがコンサート中にMCで叫んだ「Thank you for supporting X JAPAN. Thank you for supporting Rock’n roll. Rock is here to stay.(和訳:X JAPANをサポートしてくれてありがとう。ロックをサポートしてくれてありがとう。ロックは死んでない。)」の言葉には、 観客から割れんばかりの歓声が鳴り響いた[37][38][39]

7月5日~8日にロサンゼルスで行われた「Anime Expo 2018」でTVアニメ『「進撃の巨人」Season 3 』のオープニング曲を担当することが発表され、更にL'Arc〜en〜Cielhydeとフィーチャリングとして参加することが発表された。「X JAPAN feat. HYDE」名義として「Red Swan」が2018年秋頃にポニーキャニオンからシングルリリース予定である。その後「YOSHIKI feat. HYDE」名義でリリースされることが正式に発表された。

7月17日に「テレビ朝日ドリームフェスティバル2018」の9月15日の公演に出演することが決定した。

盤権

X JAPANのメジャーデビュー以降の楽曲は、オリジナル楽曲が僅か34曲にもかかわらず数社のレコード会社からリリースされている。最初に契約した当時のCBSソニーでは、アーティスト契約と同時にマネジメント契約も交わしていたため、いわばCBSソニーの丸抱え状態であった。よって、CBSソニーとの契約期間中にリリースされた楽曲の盤権は今もソニー側が所有しており、キューンミュージック(旧:キューンレコード)を経て、現在はソニー・ミュージックダイレクト(いずれもソニーミュージックの子会社)が管理している。

ソニー・ミュージックダイレクトが盤権を管理する楽曲は、アルバム『BLUE BLOOD』の12曲、『Jealousy』の10曲、本来『Jealousy』に収録されるはずで新録された「Sadistic Desire」とシングル「Standing Sex」の計24曲である。ほかにソニーとの契約期間中に収録されたライブ音源も含まれる。

ソニーとの専属契約解除後、「自分達の楽曲を自由に使えない」という反省からX JAPANは「Excess 24」という専属マネジメント会社を設立。以降の楽曲盤権は全てX JAPAN側が保有し、後に楽曲をリリースするレコード会社とはリリース契約に限定された。X JAPAN解散後は、YOSHIKIのマネジメント会社「Japan Music Agency」に盤権が引き継がれている。現在でもYOSHIKIはこのソニーとの契約を「自分の子供を人質にとられたも同じ」と強く批判している。

1992年にリリース契約したMMGワーナーミュージックの子会社で、海外デビューの際はワーナーミュージックのレーベル、アトランティックからリリースされる予定だった。シングル「Tears」発売後にMMGイーストウエストジャパンと社名が変わるが、この「east west」もワーナーのレーベルである。現在ではワーナーミュージックに吸収合併されている。

X JAPANの末期にはワーナーと並行してポリドールからもリリースされている。ポリドールは後に親会社がMCAと合併してユニバーサルミュージックとなったため、日本でも1999年に社名が変わっている。

解散前後には、YOSHIKIが「ワーナーポリドールとの契約消化のため」に企画物のライブアルバム等を乱発している。PV集『DAHLIA THE VIDEO PART II』とライブビデオ『DAHLIA THE TOUR FINAL 1996 東京ドーム完全収録』の2本は、諸般の事情からVHS盤はキングレコードよりリリース、後のDVD化の際にはユニバーサルからリリースされている。

1997年12月にリリースされたバラードベスト『BALLAD COLLECTION』では、ポリドールからのリリースながら、「ENDLESS RAIN」「Say Anything」といった、ソニーが盤権所有する楽曲もすんなりオリジナル音源で収録されている。ソニーから追い出されたX JAPANだが、ソニーとの関係は険悪なものではなかった。事実、ソニーミュージックとの契約解除の数年後、親会社ソニーが発売するカセットテープ「X」のCMにはXの「X」が使われている。

しかし、1999年2月にワーナーからリリースされた『PERFECT BEST』では、ソニーが盤権保有する楽曲は何れもライブバージョンであり、それも全てソニーとの契約以前、もしくは契約解除以降に録音されたものである。これはレコード会社間の利害関係に巻き込まれた結果の苦肉の策である。

2001年12月にユニバーサルからリリースされた『X JAPAN BEST 〜FAN'S SELECTION〜』は、ソニーも含め全てオリジナル音源で製作されたベストアルバムとなっている。

各メンバーのマネジメントについては解散後は全メンバーが独立した事務所を開いており、これは再結成後もそのままの事務所に所属しての活動となる。よって、同一グループながらも所属事務所はバラバラな形態の活動となる見込みである。再結成後もX JAPANの公式ページと各メンバー個人のページとで情報に若干の差異があるのはこのためと考えられる。X JAPAN本体のページは主にYOSHIKIが全面的に管理を行っており、リンク先も真っ先にYOSHIKI mobileが表示されたり、YOSHIKI寄りの情報が多めに掲載される傾向がある。しかし、2010年8月16日に、ハリウッドの5大エージェンシーの一つである「William Morris Endeavor Entertainment」とバンド単体で契約をした影響か、それ以降各メンバー間の情報の差異はなくなってきている。

デジタル配信で長時間演奏の楽曲については10分を越えるものについてはアルバム購入のみとされており、1曲収録の『ART OF LIFE』「THE LAST SONG」はそれぞれ時間に合わせて1350円、750円とされている。それ以外の解散前、復活後の音源は200円で販売されている。2012年以降は、ソニーミュージックのiTunesへの参入に伴い、iTunesでもX時代(メジャーデビュー以降)の音源をダウンロードすることが可能となった。ラインナップは『BLUE BLOOD』『Jealousy』、ベストアルバムでは『X SINGLES』『B.O.X 〜Best of X〜』『STAR BOX』、ライブアルバムの『破滅に向かって (CD EDITION) 1992.1.7 TOKYO DOME LIVE』の6作品。『BLUE BLOOD』は89年発売のオリジナル盤、2007年のSPECIAL EDITION、2008年のREMASTERED EDITIONが配信されており、『Jealousy』は原盤の音源は配信されず、リマスター音源のみが配信されているほか、2017年からは『X SINGLES』のリマスター盤も配信された。ソニー在籍時代の音源は、曲単位では、いずれの作品も250円で販売されている。

メンバー

YOSHIKI 1965年11月20日 -) < Leader > [1982-1997/09/22, 2007/10/22-]
ヨシキ Drums & PianoKeyboard) & Chant DYNAMITE(Dr.Vo.) → NOISE → X → X JAPAN・Violet UK
Toshl 1965年10月10日 -) [1982-1997/04/20, 2007/10/22-]
トシ Vocal DYNAMITE(Gu.) → NOISE → X → X JAPAN
HIDE 1964年12月13日 - 1998年5月2日 [1987-1997/09/22, 2007/10/22-]
ヒデ Guitar (ステージ上手側、音源では基本的に右チャンネル) & Chorus SAVER TIGER ⇒ X → X JAPAN
PATA 1965年11月4日 -) [1987-1997/09/22, 2007/10/22-]
パタ Guitar (ステージ下手側、音源では基本的に左チャンネル) & Chorus ブラックローズ ⇒ ジュディ ⇒ X → X JAPAN
HEATH 1968年1月22日 -) [1992-1997/09/22, 2007/10/22-]
ヒース Bass & Chorus パラノイア ⇒ カオスモード ⇒ ビート・スィート(Vo.
⇒ スィート・デス ⇒ media youth ⇒ マジスティック・イザベル ⇒ X JAPAN
SUGIZO 1969年7月8日 -) [2009/5/1-]
スギゾー Guitar (ステージ上手側、主にリードギター) & Violin & Chorus ピノキオ ⇒ カシミール ⇒ LUNACY → LUNA SEA
THE FLARE ⇒ X JAPAN・LUNA SEA・Violet UK
TAIJI 1966年7月12日 - 2011年7月17日 [1985, 1986-1992/01/07, 2010/08/14,15-]
タイジ Bass & Chorus トラッシュ(Gu) ⇒ ディメンシア(:Ray) ⇒ プローラー ⇒ X ⇒ ファティマ ⇒ デッド・ワイヤー ⇒ X

主な経歴、単体の活動などは本人の項目を参照

旧メンバー

  • TERRY(テリー) - YUJI(ユウジ):泉沢裕二  :Guitar [1982-1985]:YOSHIKIとToshlの高校の同級生。TAIJIの加入条件で脱退。脱退後、再加入を勧められたが拒否している。2002年に交通事故により死去。
  • TOMO(トモ):オガタ トモユキ :Guitar [1984-1985]:1stシングル「I'LL KILL YOU」リリース後に脱退した。
  • ATSUSHI(アツシ)- TOKUO(トクオウ): 德應 淳 :Bass [1984-1985]:YOSHIKIとToshlの高校の先輩。
  • EDDIE(エディー):小出健一 :Guitar [1985]:ex.THE WRETCHED、ex.CRACKED BRAIN、現RITUAL CARNAGE。TOMOの後任として加入。TERRYと共に脱退。
  • HALLY(ハリー):吉田良文 :Guitar:[1985]:ex.DEMENTIA、現UNITED。TAIJIが最初に加入した時に連れてきたギタリスト。TERRYの後任。吉田によれば、Xには半月ほどしか在籍しておらず、ライブすらやっていなかったとの事[40]
  • JUN(ジュン)- SHU(シュウ):Guitar [1985,1986]:成毛滋の弟子筋で、HALLYの後任として加入。その後、脱退。ZENの後任として加入。
  • ZEN(ゼン)- Xenon:三田一光 :Guitar [1985-1986]
  • HIKARU(ヒカル):宇高光 :Bass [1985-1986]:ex.MEPHISTOPHELES、新宿歌舞伎町で北海道料理店North経営。TAIJIの後任として加入したが、JUNと共に脱退。その後、TAIJIが再加入。
  • SATORU(サトル):村上悟 :Guitar [1986]:X脱退後、Virusに加入。
  • ISAO(イサオ):堀功 :Guitar [1987]:バイク事故により脱退。後に臨時ギタリストであったPATAが正式加入。

サポートメンバー

  • KERRY(ケリー):高橋雅則 :Guitar (support)[1986] : 現.BADWILDE、ex.Mein Kampf、ex.Jail Bait (AIONに在籍歴はない。)
  • HIBARI (ヒバリ) :岡本浩明 :Drum (support)[1989] : PRESENCEのドラマー。1989年12月3日に行われた「ENFENT TERRIBLE~怖るべき子供達~」にYOSHIKIの代わりに参加。

大魔神五人組

大魔神五人組(だいまじんごにんぐみ)とはバンド名がXだったころに、主にライヴでファンサービスとして行われていたXのパートチェンジバンドである。 全員の担当パートが変わっている。最後の演奏となったライブ、『破滅に向かって』でもYOSHIKIはギター担当になっているが、ギターを抱えてステージを走り回っているだけで、実質的にこの時のギターはTAIJI一人だけであった。

  • Vocal:HIDE(ロボ)
  • Drums:TOSHI(おちゃるちゃん)
  • Guitar:TAIJI(ヒマラヤン五郎)
  • Guitar:YOSHIKI(ジョン)
  • Bass:PATA(ゴンザレス書記長)

時系列

ディスコグラフィ

シングル

スタジオ・アルバム

ライブ・コンサート

形態 タイトル 公演規模・会場
1982年 文化祭 千葉県立安房高校文化祭LIVE 千葉県立安房高校
1983年 文化祭 千葉県立安房高校文化祭LIVE 千葉県立安房高校
コンサート活動 LIVE 千葉県内
1984年 ライブイベント LIVE 東京都内
ライブイベント 5TH JAPAN HEAVY METAL FANTASY 5月27日 大阪野外音楽堂
1985年 ライブイベント LIVE
ライブイベント TERRY&EDDIE LAST GIG [注 6] 10月4日 神楽坂EXPLOSION
YOSHIKI BIRTHDAY GIG 11月20日 目黒鹿鳴館
LIVE [注 7] 12月3日 目黒鹿鳴館
1986年 ライブイベント LIVE
単発コンサート 「ORGASM」発売記念GIG
コンサートツアー 関西TOUR
単発コンサート LIVE 6月5日 渋谷LA-MAMA
対バンコンサート LIVE 6月8日 国分寺MORGANA[注 9]
単発コンサート LIVE 6月19日 目黒鹿鳴館
単発コンサート LIVE 6月20日 浦和NARCISS
ワンマンライブ ワンマンLIVE 7月25日 神楽坂EXPLOSION
対バンコンサート LIVE 7月30日 筑波29BAR
単発コンサート LIVE 8月2日 大阪布施CENSUS HALL
単発コンサート LIVE 8月10日 松戸STAGE V
ライブイベント LIVE 8月14日 目黒鹿鳴館
単発コンサート LIVE 8月16日 函館あうん堂
単発コンサート LIVE 8月18日 札幌STUDIO MESSE
単発コンサート LIVE 8月20日 旭川STUDIO 9
ライブイベント 北見夕焼け祭り 8月23日 夕焼けまつり
単発コンサート LIVE 9月5日 浦和NARCISS
単発コンサート LIVE 9月9日 渋谷LA-MAMA
ライブイベント BIG SHOT 2 9月20日 浦和市民会館
単発コンサート LIVE 10月6日 大阪布施CENCUS HALL
単発コンサート 「TOKYO THRUSH」GIG 10月8日 大阪CANDY HALL
単発コンサート SHU&HIKARU LAST GIG [注 10] 10月25日 目黒鹿鳴館
単発コンサート LIVE 11月6日 大阪SENCUS HALL
単発コンサート LIVE 11月12日 目黒LIVE STATION
ライブイベント 爆発寸前大暴れGIG [注 11] 11月16日 目黒鹿鳴館
単発コンサート METAL SHOP:HARD NIGHT 11月24日 大宮FREAKS
単発コンサート LIVE 12月29日 大阪CANDY HALL
ライブイベント ALL NIGHT GIG「SUPER-METAL REVOLUTION VOL.2-ROCK THROUGH THE NIGHT-」[注 12] 12月30日 大阪CANDY HALL
1987年 ライブイベント 爆発寸前撮影GIG[注 13] 4月10日 神楽坂EXPLOSION
ライブイベント 「SKULL THRASH ZONE」発売記念GIG
コンテスト INTERNATIONAL POPULAR MUSIC FESTIVAL BAND EXPLOSION '87 6月7日 館山商工会館
食堂ライブ やしろ食堂ライブ 7月19日 やしろ食堂
単発コンサート ONEMAN GIG 7月25日 目黒LIVE STATION
単発コンサート Xclamation無料配布GIG
ライブイベント ROCK MONSTER AUGUST 8月30日 スポーツバレー京都
コンサートツアー 1987 WINK TOUR
コンテスト CBS/SONY AUDITION '87 決戦大会 12月26日
ライブイベント HEAVY METAL DAYS EXTRA 12月23日 埼玉会館大ホール
ライブイベント DAYNAMITE YEAR END PARTY 12月29日 目黒LIVE STATION
ライブイベント ALL NIGHT METAL PARTY '87 to '88 12月31日 目黒鹿鳴館
1988年
ライブイベント METAL INDIES 2 1月10日 中野公会堂
コンサートツアー VANISHING TOUR '88 SPRING
コンサートツアー VANISHING TOUR SPECIAL
コンサートツアー VANISHING TOUR VOL.2
ライブイベント HEAVY METAL DAYS VOL.7 8月27日 埼玉会館
単発コンサート X at SPORTS VALLEY KYOTO 9月4日 スポーツバレー京都
ライブイベント 第1回 EXTASY SUMMIT 9月30日 大阪BOURBON HOUSE
コンサートツアー BURN OUT TOUR '88 OCT.
フィルムギグ VIDEO CONCERT
ライブイベント EXTASY SUMMIT 11月6日 目黒鹿鳴館
ライブイベント STREET FIGHTING MEN 11月12日 MZA有明
ライブイベント ALL NIGHT METAL PARTY '88 to '89 12月31日 目黒鹿鳴館
1989年 コンサートツアー BLUE BLOOD TOUR
ライブイベント MM CLUB 3月17日 渋谷公会堂
ライブイベント THE 4TH FLOWER FESTIVAL X COMIN HOME.帰って行くぜ!気合いを入れて待ってろよ! 3月25日 館山FAMILY PARK
ライブイベント CLUB WONDERLAND 3月29日 INK STICK芝浦Factory
ライブイベント 5時SAT ROCK WAVE '89 4月30日 ナガシマスパーランド
ジャンボ海水プール特設ステージ
ライブイベント EXTASY SUMMIT VOL.II 5月2日 目黒鹿鳴館
コンサートツアー BLUE BLOOD TOUR SPECIAL BIG GIG
ライブイベント HEAVY METAL DAYS VOL.8 7月22日 埼玉会館 (シークレットゲスト)
ライブイベント JR東日本 POP ROCKETS '89 7月30日 湯沢町中央公園野球場
ライブイベント Kirin Sound Together POP. HILL '89 8月12日 石川県森林公園
ライブイベント THE ROCK KIDS '89 8月19日 富士急ハイランド・コニファーフォレスト
ライブイベント Rock'n roll Olympic'89 8月20日 スポーツランドSUGO
シークレットライブ SECRET GIG 大魔神五人組 8月28日 大阪a.m.HALL
ライブイベント EXTASY SUMMIT in ClubHouse 8月29日 目黒鹿鳴館
単発コンサート ROCK MONSTER "X" SPECIAL 9月17日 スポーツバレー京都
ライブイベント EXTASY SUMMIT SPECIAL 〜場外乱闘篇〜 9月28日 渋谷公会堂
ライブイベント ENFENT TERRIBLE 〜怖るべき子供達〜[注 14] 12月3日 品川寺田倉庫F号
ライブイベント EXTASY SUMMIT 12月30日 目黒鹿鳴館
1989年
1990年
コンサートツアー Rose & Blood Tour
1990年 ライブイベント 5時SAT ROCK WAVE '90 4月29日 名古屋庄内緑地公園陸上競技場
単発コンサート LIVE TOMATO
フィルムギグ 1990 X FILM GIGS 〜血と薔薇にまみれて〜
1991年 フィルムギグツアー X FILM GIGS 〜血と薔薇にまみれて〜
ライブイベント JT SUPER SOUND '91 Have a Joyful Time 7月31日 鬼首高原 仙台リゾートパーク・オニコウベ
コンサートツアー CUP NOODLE 20th ANNIVERSARY HOT GIGS
Violence In Jealousy Tour 1991 〜夢の中にだけ生きて〜
単発コンサート X PRODUCE 〜何が起こるか分からない。Xがパワステを借り切った!
ライブイベント EXTASY SUMMIT 1991 “無敵と書いてエクスタシーと読む。無謀と書いてYOSHIKIと読む。” 10月29日 日本武道館
シークレットライブ SECRET GIG 11月17日 渋谷EGG-MAN
単発コンサート X, 遂にフル・オーケストラと共演 X with オーケストラ 12月8日 NHKホール
ツアーファイナル これで最後か!? Violence In Jealousy Tour 1991 Final FILM GIG SPECIAL 12月20日 日本武道館
ライブイベント ALL NIGHT METAL PARTY '91 to '92 12月31日 目黒鹿鳴館
1992年 単発コンサート 東京ドーム3DAYS 〜破滅に向かって〜
トークライブ Fool's MATE&Rockin On Japan Presents
YOSHIKI TALK LIVEat 日本武道館
7月30日 日本武道館
ライブイベント EXTASY FAN CLUB 無敵 PRESENTS EXTASY SUMMIT 1992
みんな無名だった、だけど…無敵だった
1993年 ゲスト参加 made in HEAVEN
フィルムギグツアー LAWSON PRESENTS X JAPAN FILM GIGS 1993 〜VISUAL SHOCK 攻撃再開〜
フィルムギグツアー LAWSON SPECIAL X JAPAN FILM GIGS 〜VISUAL SHOCK 攻撃再開〜
ライブイベント MUSIC STATION Special SUPER LIVE93 12月24日 東京ベイNKホール
単発コンサート 新型エックス第1弾 日本直撃カウントダウン X JAPAN RETURNS
1994年 ライブイベント GME '94 〜21世紀への音楽遺産をめざして〜 AONIYOSHI
ライブイベント Act Against AIDS '94 12月1日 恵比寿ザ・ガーデンホール
ライブイベント MUSIC STATION Special SUPER LIVE94(中継参加) 12月30日 東京ベイNKホール
単発コンサート SEGA SATURN PRESENTS

X JAPAN TOKYO DOME 2DAYS 青い夜/白い夜

1995年 単発コンサート X JAPAN PRESENTS KOBE RETURNS 12月24日 大阪城ホール
ライブイベント MUSIC STATION Special SUPER LIVE95 12月29日 東京ベイNKホール
1995年
1996年
コンサートツアー DAHLIA TOUR 1995-1996
1996年 記念イベント 「Forever Love」発売記念七夕イベント 7月7日 原宿
収録観覧 「HEY!HEY!HEY!」公開収録 12月14日 レモンスタジオ
ライブイベント Asia Live Super Concert Asian Dream 12月16日 NHKホール
ライブイベント MUSIC STATION Special SUPER LIVE96 12月27日 東京ベイNKホール
ツアーファイナル DAHLIA TOUR FINAL 1996 TOKYO DOME 2DAYS
1997年 ライブイベント MUSIC STATION Special SUPER LIVE97 12月26日 東京ベイNKホール
解散コンサート THE LAST LIVE〜最後の夜〜 12月31日 東京ドーム
1998年 レクレイム 故 hide儀 告別式 5月7日 築地本願寺
1999年 ライブイベント EXTASY RECORD新年会 2月4日 川崎CLUB CITTA'
2000年 ライブイベント EXTASY NIGHT VOL 1 11月16日 渋谷ON AIR EAST
2002年 ライブイベント EXTASY NIGHT VOL 2 1月28日 原宿ASTRO HALL
フィルムギグ X JAPAN FILM GIG 〜X JAPANの軌跡〜
フィルムギグ X JAPAN FILM GIG 〜X JAPANの軌跡〜 VERSION2
2003年 フィルムギグ X JAPAN FILM GIG '03 featuring ART OF LIFE 9月21日 日本武道館
2007年 公開撮影 「I.V.」PV撮影 10月22日 アクアシティお台場
2008年 トークライブ TALK LIVE 1月20日 タワーレコード渋谷店
単発コンサート X JAPAN 攻撃再開 2008 I.V. 〜破滅に向かって〜
ライブイベント hide memorial summit 5月4日 東京スタジアム(味の素スタジアム)
祭典 JAPAN EXPO 2008 7月5日 フランスの旗 フランス ノールヴィルパント展示会場
シークレット
パーティー
YOSHIKI Jewelry Secret Party 2008 12月26日 東京都内
単発コンサート X JAPAN COUNTDOWN GIG 〜初心に帰って〜 12月31日 赤坂BLITZ
2009年 単発コンサート X JAPAN WORLD TOUR LIVE IN HONG KONG
試写会 映画「レッド クリフⅡ」試写会 4月5日 東京ビッグサイト
単発コンサート X JAPAN WORLD TOUR Live in TOKYO 〜攻撃続行中〜
単発コンサート X JAPAN WORLD TOUR Live in TAIPEI 「本当にやる夜」 5月30日 中華民国の旗 中華民国 臺北縣立板橋體育場
フィルムギグ X JAPAN FILM GIG 〜鈴鹿の夜〜 8月22日 鈴鹿サーキット
ライブイベント ヘルプ・アズ・ワン 9月1日 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ロサンゼルス
2010年 公開撮影 X JAPAN MUSIC VIDEO SHOOTING in Hollywood
ゲスト参加 Toshl LAST CONCERT"武士JAPAN" 2月24日 赤坂BLITZ
ライブイベント Anime in Chicago 2010 5月15日 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 シカゴ
単発コンサート THE YOSHIKI FOUNDATION AMERICA KICKOFF PARTY 7月1日 テンプレート:US クラブノキア
総合博覧会 JAPAN EXPO 2010 7月4日 フランスの旗 フランス ノールヴィルパント展示会場
試写会 「FEVER X JAPAN」」プレミアム試打会 7月28日 東京ドームプリズムホール
ロックフェス ロラパルーザ 2010 8月8日 テンプレート:US グラント・パーク
単発コンサート X JAPAN WORLD TOUR Live in YOKOHAMA 超強行突破 七転八起 〜世界に向かって〜
コンサートツアー X JAPAN WORLD TOUR Live 2010 North American Tour
2011年 ライブイベント ASIA GIRLS EXPLOSION 3月6日 国立代々木競技場第一体育館
コンサートツアー X JAPAN WORLD TOUR Live 2011 European Tour
ロックフェス サマーソニック 2011
ライブイベント a-nation 10th Anniversary for Life Charge & Go! ウイダーinゼリー 8月27日 東京スタジアム(味の素スタジアム)
コンサートツアー X JAPAN WORLD TOUR Live 2011 South American Tour
コンサートツアー X JAPAN WORLD TOUR Live 2011 Southeast Asian Tour
2013年 トークライブ X JAPAN×ニコ生SP~24 時間攻撃続行中~
YOSHIKI がニコファーレに降臨!!!
9月27日 ニコファーレ
9月28日 ニコファーレ
2014年 ゲスト参加 YOSHIKI CLASSICAL WORLD TOUR 2014 PART1 4月28日 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 Davies Hall
祭典 Otakon 2014 8月10日 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ボルチモア
シークレットライブ ゲリラライブ 8月17日 新宿ステーションスクエア
単発コンサート X JAPAN LIVE AT YOKOHAMA ARENA
単発コンサート X JAPAN LIVE AT MADISON SQUARE GARDEN 10月11日 [[ファイル:テンプレート:Country flag alias US|border|25x20px|アメリカ合衆国の旗]] マディソン・スクエア・ガーデン
ライブイベント MUSIC STATION SUPER LIVE 2014 12月26日 幕張メッセ
2015年 ロックフェス LUNATIC FEST. 6月27日 幕張メッセ
博覧会 HYPER JAPAN Festival 2015 7月11日 イギリスの旗 イギリス Tobacco Dock
ライブイベント 30年目突入!史上初の10時間SP MUSIC STATION ウルトラFES 9月23日 テレビ朝日第1スタジオ
ライブイベント テレビ朝日ドリームフェスティバル2015 11月23日 国立代々木第一体育館
コンサートツアー X JAPAN JAPAN TOUR 2015
ライブイベント MUSIC STATION SUPER LIVE 2015 12月25日 幕張メッセ
2016年 ロックフェス VISUAL JAPAN SUMMIT 2016
公開収録 SONGS収録観覧 12月3日 NHK101スタジオ
ライブイベント MUSIC STATION SUPER LIVE 2016 12月23日 幕張メッセ
2017年 試写会 WE ARE X ジャパンプレミア 2月23日 TOHOシネマズ六本木ヒルズ
単発コンサート X JAPAN LIVE 2017 at the WEMBLEY Arena in LONDON 3月4日 イギリスの旗 イギリス ウェンブリーアリーナ
コンサートツアー X JAPAN WORLD TOUR 2017 WE ARE X Acoustic Special Miracle〜奇跡の夜〜 6DAYS
トークライブツアー 「WE ARE X」PREMIERE TOUR IN EUROPE 2017[注 16]
ライブイベント NHK WORLD presents SONGS OF TOKYO 11月26日 NHKホール
ライブイベント MUSIC STATION SUPER LIVE 2017 12月22日 幕張メッセ
トークライブ 一夜限りの『WE ARE X』’mas 上映会 12月25日 TOHO シネマズ 六本木ヒルズ
2018年 トークライブツアー 「WE ARE X」PREMIERE TOUR IN RUSSIA 2018
単発コンサート XJAPAN復活10周年記念 XJAPANLIVE2018 アメリカフェス出演直前 PREMIUM GIGS 〜YOSHIKI復活の夜〜
ロックフェス Coachella 2018
ライブイベント テレビ朝日ドリームフェスティバル2018

タイアップ一覧

楽曲 タイアップ
NTTドコモ『紅の空に』 篇 CMソング
ENDLESS RAIN 映画「ZIPANG」主題歌
Joker カネボウ「NFL」CF
Say Anything テレビ朝日系ドラマ「ララバイ刑事'91」主題歌
Tears TBS系ドラマ「憎しみに微笑んで」主題歌
韓国映画「僕の彼女を紹介します(原題:내 여자 친구를 소개합니다,Windstruck)」挿入歌
Rusty Nail 関西テレビ・フジテレビ系ドラマ「君が見えない」主題歌[41]
スズキスイフト」CMソング
X ソニーカセットテープ「X」CF
Longing 〜跡切れたmelody〜 MIZUNOスポーツ用品(イチロー出演編)CF
Forever Love アニメ映画「X」(CLAMP原作・角川書店)主題歌
自由民主党国政選挙CF(小泉純一郎総裁出演)
CRUCIFY MY LOVE 日本石油(現在のJXTGエネルギー)「ZOA」第1弾CF
テレビ朝日系列「トゥナイト2」エンディングテーマ
White Poem I 日本石油「ZOA」第2弾CF
SCARS TBS系「CDTV」96年11月期オープニングテーマ
THE LAST SONG 日本テレビ系「知ってるつもり?!」エンディングテーマ
I.V. 映画「SAW4」全世界主題歌
Scarlet Love Song アニメ映画「手塚治虫のブッダ -赤い砂漠よ!美しく-」主題歌
BORN TO BE FREE 映画「ラスト・ナイツ」CMソング[42]
SANKYO「FERVER X JAPAN」CMソング
Kiss the Sky 楽天モバイル CMソング
La Venus 映画WE ARE X テーマソング

NHK紅白歌合戦出場歴

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手
1991年(平成3年)/第42回 Silent Jealousy 11/28 原由子
1992年(平成4年)/第43回 2 16/28 DREAMS COME TRUE
1993年(平成5年)/第44回 3 Tears 01/26 久宝留理子
1994年(平成6年)/第45回 4 Rusty Nail 18/25 工藤静香
1997年(平成9年)/第48回 5 Forever Love 17/25 小林幸子
2015年(平成27年)/第66回 6 紅白スペシャルメドレー 〜 We are X ! 〜 (Forever Love / BORN TO BE FREE) 22/26 MISIA
2016年(平成28年)/第67回 7 20/23 松田聖子
2017年(平成29年)/第68回 8 ENDLESS RAIN 2017 紅白スペシャル (ENDLESS RAIN / 紅) 17/22 Perfume
注意点
  • 出演順は「出演順/出場者数」(いずれも白組)で表す。

「ミュージックステーション」出演歴

出演日 曲名 備考
1989年8月25日 1 紅~KURENAI~
1989年10月20日 2
1990年1月26日 3 ENDLESS RAIN
1990年4月27日 4 WEEK END
1990年5月25日 5 UNFINISHED
1991年6月7日 6 Silent Jealousy
1991年8月2日 7 Silent Jealousy
1991年9月6日 8 Silent Jealousy
1991年11月1日 9 Say Anything TAIJI脱退前、 最後の出演。
1992年1月10日 10 Say Anything TOSHIとYOSHIKIのみ
1993年10月15日 11 紅/Tears 「X」名義としてはこの時が最後。
1993年12月24日 12 Tears/X スーパーライブ(1)、改名後では初の出演。
1994年11月25日 13 Rusty Nail
1994年12月16日 14 Longing 〜跡切れたmelody〜 デモ・バージョンを披露。
1994年12月30日 15 Rusty Nail スーパーライブ(2)(中継参加)
1995年11月24日 16 Longing 〜跡切れたmelody〜
1995年12月29日 17 DAHLIA スーパーライブ(3)
1996年2月9日 18 DAHLIA
1996年10月4日 19 Forever Love 解散前ではレギュラー放送最後の出演。
1996年12月27日 20 SCARS スーパーライブ(4)
1997年12月26日 21 紅/Forever Love スーパーライブ(5)、解散前としては最後の出演。
2014年12月26日 22 紅/Forever Love/Rusty Nail/Hero スーパーライブ(6)、再結成後では初の出演。
2015年9月23日 23 紅/Forever Love ウルトラFES
2015年12月25日 24 BORN TO BE FREE/X スーパーライブ(7)
2016年12月23日 25 Silent Jealousy/La Venus スーパーライブ(8)(SUGIZO欠席)
2017年2月24日 26 La Venus レギュラー放送約21年振りの出演
2017年3月31日 27 La Venus/紅
2017年12月22日 28 スペシャルメドレー
(La Venus/Forever Love)
スーパーライブ(9)

その他出演歴

HEY HEY HEY

出演日 曲名 備考
1995年1月9日 1 Rusty Nail/紅/Longing〜跡切れたmelody〜 3曲目はデモバージョンを披露。
1996年1月8日 2 Rusty Nail/ENDLESS RAIN/Dahlia
1997年1月13日 3 SCARS/Dahlia

POP JAM

出演日 曲名 備考
1995年1月7日 1 Rusty Nail/
Longing〜途切れたmelody〜[43]
2曲目はデモバージョンをフルコーラスで披露。
1995年12月16日 2 Longing〜跡切れたmelody〜
1996年1月26日 3 DAHLIA
1996年10月26日 4 Forever Love

脚注

注釈

  1. 当時の表記は主にカタカナの「エックス」。1986年までX-RAYというバンドが存在していたため混同を防ぐ目的で、あえてカタカナ表記にしていた。
  2. 増田勇一によると、番組の担当者がBURRN!編集部に電話をかけ、電話に出た増田に「いちばん派手で過激な“ヘビメタ”バンドを紹介して欲しい」と伝えた為、XのYOSHIKIを勧めたとのことである[7]
  3. 2009年4月20日時点のニュースでは実際に脱退報道がなされている[15]
  4. VS TILT
  5. VS ABUSE
  6. TERRY、EDDIE脱退。TAIJI、HALLYが加入。しかし合宿中にHALLYが脱退。
  7. このLIVE後、TAIJI、JUNが脱退。ZEN、HIKARUが加入。
  8. ZEN脱退。JUN再加入。
  9. VS MEPHISTOPHELES etc
  10. JUN、HIKARU脱退。
  11. TAIJI再加入。KERRYがサポートメンバー。
  12. SATORU脱退。
  13. PATA正式加入。
  14. ドラムにサポートメンバー「X SPECIAL SESSION BAND」として参加。
  15. 24日の公演でYOSHIKIが途中で倒れて延期に。
  16. YOSHIKIのみ

出典

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 X Japan|Biography”. オールミュージック. All Media Guide. . 2015閲覧.
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 X Japan reviews, music, news - sputnikmusic・2015年3月16日閲覧。
  3. 小松成美『YOSHIKI / 佳樹』(角川書店、2009年)p. 87
  4. ロッキンf』2000年11月号 15p
  5. ロッキンf』2000年11月号 16p
  6. BURRN! 2014年1月号(シンコーミュージック・エンタテイメント)37p
  7. 『ヘドバン』(2013年 シンコーミュージック・エンタテイメント)p.96
  8. 8.0 8.1 『さよなら「ヴィジュアル系」〜紅に染まったSLAVEたちに捧ぐ〜』pp. 313-320]
  9. 「X JAPAN」復活 年内にライブ スポニチ 2007年06月04日付
  10. 「X JAPAN」10・17再始動 スポーツニッポン 2007年10月18日
  11. 「X JAPAN公演500席オークション 日刊スポーツ 2008年1月25日
  12. YOSHIKI、復活ライブは「危ないコンサートにしたい」と早くも戦闘態勢”. オリコン (2008年1月20日). . 2011閲覧.
  13. X JAPAN COUNTDOWN GIG 〜初心に帰って〜 2008年12月31日 独占配信
  14. YOSHIKI香港公演で「自殺式撃鼓」 日刊スポーツ 2009年1月18日
  15. 「X JAPAN」ベース脱退でライブ開催危機
  16. 公式ページ内「HEATH」および「SUGIZO」のコメント全文
  17. SUGIZO musicJAPANplus初登場インタビュー”. musicJAPANplus (2010年1月26日). . 2010閲覧.
  18. X JAPAN、ハリウッドのど真ん中で超破格なPV撮影敢行 ナタリー 2010年1月12日
  19. 「お金返して!」Toshlが12年間の本当の思いを激白 ナタリー 2010年1月18日
  20. “【動画特集】ASIA GIRLS EXPLOSION X JAPAN「Scarlet Love Song」”. WWSチャンネル. (2011年4月5日). オリジナル2013年11月10日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20131110025625/http://www.wws-channel.com/news/age/age.html . 2011閲覧. 
    “【写真特集】ASIA GIRLS EXPLOSION X JAPAN「Scarlet Love Song」”. WWSチャンネル. (2011年4月5日). オリジナル2015年4月2日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150402130300/http://www.wws-channel.com/news/age/age02.html . 2011閲覧. 
  21. “【写真レポート】X JAPAN サマーソニック2011 記者会見”. WWSチャンネル. (2011年8月15日). オリジナル2014年11月1日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20141101072353/http://www.wws-channel.com/news/summersonic2011_xjapan/ . 2011閲覧. 
  22. “X JAPAN、米音楽祭典で「ベスト海外バンド賞」受賞 アジア人バンド初”. オリコン. (2012年4月13日). http://rn.oricon.co.jp/news/rankingnews/2010147/full/ . 2012閲覧. 
  23. “【動画公開】X JAPANが21ヶ月ぶりの記者会見で近況報告”. WWSチャンネル. (2013年5月20日). オリジナル2013年12月8日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20131208145707/http://wws-channel.com/music/xjapan_20130520/index02.html . 2013閲覧. 
    “【動画公開】X JAPANが等身大フィギュアと対面してコメント”. WWSチャンネル. (2013年5月20日). オリジナル2015年4月2日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150402154449/http://www.wws-channel.com/music/xjapan_20130520/index03.html . 2013閲覧. 
    “【動画公開】X JAPANが2014年に2回目のワールドツアーを予定”. WWSチャンネル. (2013年5月23日). オリジナル2013年7月15日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130715232203/http://www.wws-channel.com/music/xjapan_20130520/index04.html . 2013閲覧. 
    “【写真レポート】【X JAPAN】21ヶ月ぶりの記者会見 等身大フィギュア完成でワールドツアーを来年に”. WWSチャンネル. (2013年5月20日). オリジナル2013年8月27日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130827165821/http://www.wws-channel.com/music/xjapan_20130520/index.html . 2013閲覧. 
  24. 24.0 24.1 “X JAPANが初のマジソンスクエア公演、全世界ベストも”. ナタリー(ナターシャ). (2014年4月30日). http://natalie.mu/music/news/115601 . 2014閲覧. 
  25. 25.0 25.1 25.2 “X JAPAN、国内初のゲリラライブ敢行! サプライズに新宿駅前騒然”. オリコン. (2014年8月17日). http://www.oricon.co.jp/news/2041068/full/ . 2014閲覧. 
  26. “【写真レポート】X JAPAN、4年ぶりの日本公演 大盛況! ファンに感謝 YOSHIKI感涙!”. WWSチャンネル. (2014年10月2日). オリジナル2015年4月2日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150402103202/http://www.wws-channel.com/music/xjapan_20141001/ . 2014閲覧. 
  27. “【写真レポート】X JAPAN 米NYマジソンスクエアーガーデン公演で1万5千人のファンが、Xジャンプで大熱狂!”. WWSチャンネル. (2014年10月14日). オリジナル2014年10月20日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20141020185424/http://www.wws-channel.com/music/Xjapan_20141011/ . 2014閲覧. 
  28. 【動画公開】X JAPAN Toshlがルナフェスに登場!会場入りから密着インタビュー! = WWSチャンネル”. 2015年7月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2015閲覧.
    【動画インタビュー】モデルの秋元梢がX JAPAN Toshl SUGIZOにルナフェスでインタビュー!= WWSチャンネル”. 2016年8月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2015閲覧.
    【写真レポート】無限の可能性を秘めた世界を股に掛けるモンスターバンド X JAPANがルナフェスに登場! = WWSチャンネル”. 2015年7月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2015閲覧.
    【写真レポート】6万人を動員・LUNA SEA主催『LUNATIC FEST.』でX JAPAN、BUCK-TICK、GLAYなど豪華共演!史上最狂のロックフェス閉幕!= WWSチャンネル”. 2015年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2015閲覧.
  29. 【写真レポート】X JAPANのYOSHIKIがJAPAN EXPOで3つの重大発表!ニューアルバムは3月11日発売決定!= WWSチャンネル”. 2015年7月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2015閲覧.
  30. X JAPANが約24年ぶりにライブハウスに、石巻を熱くさせたチャリティ公演 - 音楽ナタリー 2015年11月29日
  31. X JAPAN 石巻チャリティLIVE niconicoで独占生放送 - ニコニコ動画
  32. “X JAPANドキュメンタリー映画、米映画祭で最優秀編集賞!”. SANSPO.COM (株式会社 産経デジタル). (2016年2月1日). http://www.sanspo.com/geino/news/20160201/geo16020105010013-n1.html . 2016閲覧. 
  33. X JAPAN記録作品『We Are X』、米サンダンス映画祭で初公開 ノミネートも決定”. ORICON STYLE (2015年12月8日). . 2015閲覧.
  34. 34.0 34.1 “YOSHIKIがSXSWで演奏披露、映画「We Are X」はデザイン部門の観客賞受賞”. 映画ナタリー. (2016年3月20日). http://natalie.mu/eiga/news/180495 . 2016閲覧. 
  35. X JAPAN、PATA緊急入院……YOSHIKI「悲劇が起きないことを祈るばかり」 - RBB TODAY 2016年2月3日
  36. “X JAPANニューアルバム、6月30日リリースとYOSHIKIが発表”. 音楽ナタリー. (2017年4月1日). http://natalie.mu/music/news/227034 . 2017閲覧. 
  37. “X JAPANがホログラムHIDE & TAIJIと「コーチェラ」出演、次の土曜にサプライズあり”. 音楽ナタリー. (2018年4月16日). https://natalie.mu/music/news/278338 . 2018閲覧. 
  38. “X JAPAN、7人で挑んだ世界の舞台。「ロックは死んでない」”. BARKS. (2018年4月23日). https://www.barks.jp/news/?id=1000154246 . 2018閲覧. 
  39. “X JAPANのステージが米国で“偉大”と評価”. BARKS. (2018年4月16日). https://www.barks.jp/news/?id=1000154029 . 2018閲覧. 
  40. BURRN! JAPAN Vol.11(シンコーミュージック・エンタテイメント 2018年)pp108
  41. 5話まではデモ音源。
  42. X JAPAN「BORN TO BE FREE」が紀里谷監督映画「ラスト・ナイツ」CM曲に”. 音楽ナタリー (2015年11月5日). . 2015閲覧.
  43. 実際にテロップで表示されていた。

関連項目

外部リンク

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