Kiroro
Kiroro | |
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別名 | キロロ |
出身地 | 日本 沖縄県中頭郡読谷村 |
ジャンル | J-POP |
活動期間 | 1996年 - |
レーベル |
ビクターエンタテインメント (1998年 - 2016年) Colourful Records(ビクターエンタテインメント) (2018年 - ) |
事務所 | JVCエンタテインメント |
公式サイト | Kiroro official web site |
Kiroro(キロロ)は、日本の女性二人組音楽グループ。所属事務所はJVCエンタテインメント。公式ファンクラブは「キロロ・ココロ・クラブ」である。
Contents
メンバー
- 玉城千春(たましろ ちはる、1977年4月17日(47歳) - 、A型)ボーカル担当。タレントの玉城ちはる(たまき ちはる)とは別人。
- 金城綾乃(きんじょう あやの、1977年8月15日(47歳) - 、AB型)ピアノ・キーボード担当。
来歴
2人は沖縄県立読谷高等学校の同級生。その後、玉城が長崎ウエスレヤン短期大学、金城が医療事務の専門学校に進学し、在学中の1996年にインディーズデビュー。沖縄限定で発売されたインディーズデビュー曲「長い間」は、地元沖縄のローカルCM(「安信輸送サービス」の引越しCM)にも使われ、県内で1万枚を売り上げる[1]。
楽曲制作を手掛けているのは主にボーカルの玉城である。玉城は作詞・作曲の才能はあるものの、ピアノはあまり弾けず、書く音符も暗号のような状態である。それを、ピアノが弾ける金城が玉城の「暗号」を解読するような形で活動を始めた。ただし活動が進むに連れ、金城の作詞・作曲のものや玉城が作詞、金城が作曲というものも登場するようになった。
Kiroroという名の由来は、玉城が小学生の時、地域交流で北海道池田町に行った際、なんとなく耳に残ったアイヌ語に由来する[2][3]。公式サイトによると、元になったアイヌ語はKiroru(人間が踏み固めた広い路)とKiroro-an(強い・健やか・盛ん・大きい・かたくな)である[3]。
1998年1月にシングル「長い間」でメジャーデビュー。1998年・1999年・2001年にはNHK紅白歌合戦に出場した。
2004年10月からコミュニティーFMラジオ放送に向けたレギュラー番組「hot pot Kiroro」をスタートさせた。
2005年1月17日に公式サイト上で玉城が沖縄県出身の男性との婚約を発表、同年4月17日に結婚した。さらに同年5月24日には金城がレストランプロデューサーの男性と結婚。
2人共に子沢山であることでも知られ、金城が2005年11月に長女を出産したのを皮切りに、2006年2月には玉城も長男を出産、さらには2007年3月に玉城がウェブページ上にて第2子を妊娠したことを報告、同年9月に長女を出産。2008年8月、今度は金城がウェブページ上にて第2子を妊娠したことを報告。2009年3月に長男を出産。この金城の第2子出産と時を同じくして、玉城がウェブページ上にて第3子を妊娠したことを報告。2009年9月に次女を出産。2010年10月には金城がウェブページ上にて第3子を妊娠したことを報告。2011年3月に次男を出産。互いに出産を繰り返し、音楽活動も定期的に休止するこのスタイルは、収入にあまり困っておらずハードな仕事を避けたい2人の考えとの向きもある[4]。
2011年8月7日、玉城が浜離宮朝日ホールで初のソロコンサートを行う。
2011年10月19日に玉城のソロデビューシングル「神様」を、同11月23日にファーストアルバム『Brand New Days』をリリース。
2015年、HYの仲宗根泉と合同の新ユニット「さんご」を結成。デビュー作「いのちのリレー」はNHK沖縄放送局の終戦70年キャンペーンのテーマソングとなった[5]
デビュー20周年の2018年、1月24日に13年ぶりとなる7枚目のオリジナルアルバム『アイハベル』を発売。5月から5都市を回るツアーをおこない、本格再始動[6]。
ディスコグラフィ
シングル
枚 | 発売日 | タイトル |
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インディーズ | 1996年11月21日 | 長い間/青のじゅもん |
インディーズ | 1997年4月21日 | 未来へ/逃がさないで |
インディーズ | 1997年7月10日 | すてきだね/恋に恋して |
1st | 1998年1月21日 | 長い間 |
2nd | 1998年6月24日 | 未来へ |
3rd | 1998年11月21日 | 冬のうた |
4th | 1999年2月24日 2002年2月21日に再リリース |
青のじゅもん |
5th | 1999年6月23日 2002年2月21日に再リリース |
最後のKiss |
6th | 1999年11月10日 2002年2月21日に再リリース |
好きな人 |
7th | 2000年3月23日 | ひまわり |
8th | 2000年7月26日 | 涙にさよなら |
9th | 2000年12月6日 | 逢いたい |
10th | 2001年6月6日 | Best Friend |
11th | 2002年8月21日 | 愛さない |
12th | 2002年12月4日 | ひとつぶの涙 |
13th | 2003年11月21日 | 僕らのメッセージ |
14th | 2004年1月21日 | もう少し |
15th | 2005年7月6日 | 生きてこそ |
16th | 2005年10月21日 | 忘れないで〜Live at OKINAWA '05〜 |
配信限定シングル | 2006年4月26日 | 未来へ〜2006MIX〜 |
17th | 2008年12月3日 | 幸せの種 〜Winter version〜 |
18th | 2009年3月4日 | みんなあなたを愛してる |
アルバム
オリジナルアルバム
枚 | 発売日 | タイトル |
---|---|---|
1st | 1998年10月1日 | 長い間 〜キロロの森〜 |
2nd | 1999年12月8日 | 好きな人〜キロロの空〜 |
3rd | 2001年1月24日 | TREE OF LIFE |
4th | 2002年12月18日 | Four Leaves Clover |
5th | 2004年3月3日 | Diary |
6th | 2005年11月23日 | Wonderful Days |
7th | 2018年1月24日 | アイハベル |
ミニアルバム
枚 | 発売日 | タイトル |
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1st | 2000年7月26日 | 七色 |
2nd | 2005年1月21日 沖縄限定盤 2005年6月23日 全国盤 |
帰る場所 |
ベストアルバム
枚 | 発売日 | タイトル |
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1st | 2002年2月21日 | Kiroroのうた① |
2nd | 2006年3月29日 | キロロのいちばんイイ歌あつめました |
リマスター盤 | 2018年1月24日 | |
配信限定アルバム | 2006年6月7日 | キロロのちょっとコアな歌あつめました |
企画アルバム | 2016年3月9日 | 子供といっしょにききたいキロロのうた |
その他
- 僕らはヒーロー(1996.6.26リリースのオムニバスアルバム『KID'S MUSIC BOX Vol.4』の4曲目に収録)
NHK紅白歌合戦出場歴
年度/放送回 | 回 | 曲目 | 出演順 | 対戦相手 |
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1998年(平成10年)/第49回 | 初 | 未来へ | 16/25 | 武田鉄矢(海援隊) |
1999年(平成11年)/第50回 | 2 | 長い間 | 09/27 | 堀内孝雄 |
2001年(平成13年)/第52回 | 3 | Best Friend | 16/27 | ウルフルズ・Re:Japan |
- 注意点
- 出演順は「出演順/出場者数」で表す。
脚注
- ↑ 「『ご当地デュオ』今が旬『産直』で全国ヒット(報!)」『朝日新聞』2000年11月11日付夕刊、1頁(西部)。
- ↑ 外務省経済協力局"国際協力プラザ vol.126 PEOPLE Kiroro"国際協力プラザ2005年2月号.(2010年11月14日閲覧。)
- ↑ 3.0 3.1 ビクターミュージックアーツ"Kiroro official web site/Profile"(2010年11月14日閲覧。)
- ↑ 『サイゾーウーマン』2013年1月1日付
- ↑ いのちのリレー
- ↑ “Kiroro本格再始動 来年1月に13年ぶりアルバム発売!ツアーも”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2017年12月7日) . 2017閲覧.
関連項目
- JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント
- 夏川りみ (出身県及び所属レコード会社が同じということもあってかメンバーと親しい)
- 天才てれびくんMAX(2003年度のEDテーマ(good day)をメンバーの玉城千春(ちはる名義)が作詞作曲)
外部リンク
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