BASF
BASF(ビーエーエスエフ、独: BASF SE)は、ドイツ南西部のルートヴィヒスハーフェン・アム・ラインに本社を置き、150年の歴史を持つ世界最大の総合化学メーカーである。フランクフルト証券取引所、ロンドン証券取引所上場企業(FWB: BAS、LSE: BFA)。スイス証券取引所にも上場しており、ニューヨーク証券取引所、東京証券取引所にもかつて上場していた。
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概要
カール・ボッシュがハーバー・ボッシュ法を発明した老舗である。第二次世界大戦前はバイエル、ヘキスト(現サノフィ・アベンティス)と共にIG・ファルベンを構成した事業体の一つであり、分割後もドイツ三大化学メーカーの一角を占めていた。主力製品は伝統的な化学品・農業関連製品にとどまらない。戦後、石油・ガス事業へも進出した。今ではプラスチック製品・高機能製品も生産する。BASFのレパートリーはドイツの化学会社でも特に多い。かつては医薬品部門(Knoll AG)も傘下に収めていたが、米国アボット・ラボラトリーズに売却し、現在は扱っていない。2011年度の売上高は735億ユーロ(約8.2兆円)で、85億ユーロ(約9,400億円)を超える特別項目控除前EBITを計上。従業員数11万1千人を超える、世界有数の巨大企業グループである。
「BASF」とは創業時の社名「Badische Anilin - & Soda -Fabrik」[1]の頭文字を取った略称である。創業者であるフリードリヒ・エンゲルホルンが事業立上げ当初にSoda(炭酸ナトリウム)を産し、「バーデンアニリン炭酸化工」と名乗った[2]。1973年以降はこの略称であるBASF(ベーアーエスエフ)を正式な社名としている。日本では一般に「バスフ」と読まれることも多く、傘下のレコードレーベル(後述)の日本国内盤(1970年代中期時点ではテイチクが発売)にも「バスフレコード」のカナ表記が見られたが、正式な読みは「ビーエーエスエフ」である。ただし、中国においては「巴斯夫(バスフ)」を現地での社名としている。
沿革
- 1865年 フリードリヒ・エンゲルホルンが、ドイツのマンハイムに旧バーディシェ・アニリン・ウント・ゾーダ・ファブリーク (BASF) として創立[3]。
- 1869年 ウィリアム・パーキンに先んじてハインリヒ・カロがBASFでアリザリンの商業生産法を開発した。
- 1880年 ルブラン法によるソーダ生産をソルベー法に切り替え。
- 1890年 鉛室法による硫酸生産を接触法に切り替え。
- 1906年 ハーバー・ボッシュ法を開発した。
- 1913年 オッパウ工場でアンモニア生産を開始[3]。
- 1925年 バイエルやヘキストなどの化学工業会社とともに合同し、IG・ファルベン (IG Farben) が成立する[3]。
- 1935年 IG・ファルベンとAEGがオープンリールを初めて開発した。
- 1952年 IG・ファルベンが解体され、新バーディシェ・アニリン・ウント・ゾーダ・ファブリーク(BASF)として再発足[3]。またロイヤル・ダッチ・シェルと提携し、合弁でライニッシェ・オレフィンを設立した。
- 1968年 ヘルボルを買収した。
- 1969年 ウィンターシャルとWyandotte Chemicals Co. を買収した[3]。
- 1975年 ドラッグストアのブーツと医薬品のKnoll AGを買収した[3]。
- 1990年 東ドイツ人民公社のSynthesewerk Schwarzheide を支配した[3]。
- 1999年 ヘルボルをアクゾノーベルへ売却した。
- 2001年 サプライチェーン・マネジメントにエレミカ(Elemica)というクラウドサービスを採用した[3][4]。
- 2008年1月14日 BASFはドイツの株式会社法に基づく株式会社(Aktiengesellschaft, AG)から欧州会社 (Societas Europaea, SE) に生まれ変わり、社名を BASF Aktiengesellschaft (BASF AG) から BASF SE に変更した。
- 同年9月15日 元チバガイギー社の一部事業を買収した。
- 2016 年10月18日に火災が発生し、配合飼料やサプリメント等の価格高騰を引き起こした。
ウィンターシャル買収
一昨年より相手方の総会屋に手を焼きながら、1969年にBASFはウィンターシャルを完全買収した。
ウィンターシャルは同族経営の鉱業コングロマリットであり、年総売上高は15億ドイツマルクにのぼった。その2/3は石油・天然ガスの採掘・精製に、また残り1/3は年採掘量100万トン(ドイツ産出量の半分)というカリウム肥料に由来した。ウィンターシャルの石油採掘量はドイツの年総採掘量120万トンの14%を占めた。また、保有する天然ガス田はドイツの確定埋蔵量の26%を占めた。石油精製能力はドイツ全体の7%以上であった。リンゲンではシェルやエッソと、マンハイムではマラソン・オイルと、共同生産していた。さらにアルザスでペック・リン(PEC-Rhin)[5]と合弁の肥料工場をつくったばかりだった。[6]
ウィンターシャルは資産として、給油チェーン アラル株の15%、グアノ・ワークス(Guano Works)株の90%、ゲヴェルクシャフト・ヴィクター株の50%などを保有していた。BASFにとり脅威であったが、BASFが経済力集中排除法の適用を事実上免れたのに対し、ウィンターシャルは国外金融市場から資金調達を制限されていた。ウィンターシャルには持株会社が二つあった。ゲヴェルクシャフト・ウィンターシャルと、ゲヴェルクシャフト・テア(Gewerkschaft Thea)が、CUXEというハンザ同盟時代の単位で保有していた。創業者アウグスト・ロスタークが孫は生まれないと思い、株式資本の50%強である無議決権株をウィンターシャルへ1975年までに譲るという法律行為をしてあった。しかし息子ハインツが再婚して後継者に恵まれたので、法律行為の無効を不毛にも会社と争わんとした。クヴァント家がテア株の1/3を保有する立場から、BASFによる買収を仲介し法律問題を回避したとみられている。ハインツは総株式の50%強を手放す代わりに、12CUXEと現金40万ポンドを得て議決権を留保した。[6]
日本での活動
かつては三菱化学、三井化学、武田薬品工業や日油との合弁事業も行っていた。 現在は日本法人BASFジャパンの他、出光興産、イノアックコーポレーション、住友金属鉱山や戸田工業との合弁会社も設立している。
1970年代からカセットテープを発売していたが、既に撤退した[7]。なお、磁気テープの初期開発段階において、ベースとなるアセテート樹脂の開発を主導したことから「磁気テープはBASF社が開発した」と言われることがある(テープレコーダ#歴史を参照)。カセットテープは同じドイツの同業者であるアグフア・ゲバルト (Agfa-Gevaert) にOEM供給された。 また、1980年頃までは音楽レコードの制作を行っていた時期もあり、日本ではテイチクのクラシック部門レーベルとしてルドルフ・ケンペ、ローベルト・シュトルツ、コレギウム・アウレウム合奏団などの録音が数多く発売された。
脚注
- ↑ ドイツ語: Badische Anilin- und Soda-Fabrik、英語: Baden Aniline and Soda Manufacturing
- ↑ http://www.chem-station.com/blog/2012/08/basf.html
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 3.6 3.7 International Directory of Company Histories, Vol. 50. St. James Press, 2003.
- ↑ エレミカは、ダウ・ケミカル・デュポン・バイエル・BASF・三菱化学・三井化学・住友化学工業など、世界の主要大手化学品メーカー22社が2000年8月にペンシルベニア州で設立した。日経BP ITpro 化学品BtoBの「エレミカ」が日本上陸 2002/04/09
- ↑ トタル傘下。2012年Borealis AG に買収された。
- ↑ 6.0 6.1 アンソニー・バイス著 佐々木広生訳 『テークオーバーの内幕』 日本経済新聞社 1972年 pp.249-257.
- ↑ 大創産業のカセットテープ「Zebra」で同社製の磁気テープが採用されていた。「Zebra」は後に、韓国製にマイナーチェンジされる