1958年の野球
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競技結果
日本プロ野球
ペナントレース
セントラル・リーグ | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 |
優勝 | 読売ジャイアンツ | 77 | 52 | 1 | .596 | - |
2位 | 大阪タイガース | 72 | 58 | 0 | .554 | 5.5 |
3位 | 中日ドラゴンズ | 66 | 59 | 5 | .527 | 9.0 |
4位 | 国鉄スワローズ | 58 | 68 | 4 | .462 | 17.5 |
5位 | 広島カープ | 54 | 68 | 8 | .446 | 19.5 |
6位 | 大洋ホエールズ | 51 | 73 | 6 | .415 | 23.5 |
パシフィック・リーグ | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 |
優勝 | 西鉄ライオンズ | 78 | 47 | 5 | .619 | - |
2位 | 南海ホークス | 77 | 48 | 5 | .612 | 1.0 |
3位 | 阪急ブレーブス | 73 | 51 | 6 | .585 | 4.5 |
4位 | 毎日大映オリオンズ | 62 | 63 | 5 | .496 | 16.0 |
5位 | 東映フライヤーズ | 57 | 70 | 3 | .450 | 22.0 |
6位 | 近鉄パールス | 29 | 97 | 4 | .238 | 49.5 |
日本シリーズ
個人タイトル
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
タイトル | 選手 | 球団 | 成績 | 選手 | 球団 | 成績 |
最優秀選手 | 藤田元司 | 巨人 | 稲尾和久 | 西鉄 | ||
最優秀新人 | 長嶋茂雄 | 巨人 | 杉浦忠 | 南海 | ||
首位打者 | 田宮謙次郎 | 大阪 | .320 | 中西太 | 西鉄 | .314 |
本塁打王 | 長嶋茂雄 | 巨人 | 29本 | 中西太 | 西鉄 | 23本 |
打点王 | 長嶋茂雄 | 巨人 | 92点 | 葛城隆雄 | 大毎 | 85点 |
最多安打 | 長嶋茂雄 | 巨人 | 153本 | 葛城隆雄 | 大毎 | 147本 |
盗塁王 | 岡嶋博治 | 中日 | 47個 | R.バルボン | 阪急 | 38個 |
最優秀防御率 | 金田正一 | 国鉄 | 1.30 | 稲尾和久 | 西鉄 | 1.42 |
最多勝利 | 金田正一 | 国鉄 | 31勝 | 稲尾和久 | 西鉄 | 33勝 |
最多奪三振 | 金田正一 | 国鉄 | 311個 | 稲尾和久 | 西鉄 | 334個 |
最高勝率 | 藤田元司 | 巨人 | .690 | 秋本祐作 | 阪急 | .778 |
ベストナイン
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
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守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 金田正一 | 国鉄 | 稲尾和久 | 西鉄 |
捕手 | 藤尾茂 | 巨人 | 野村克也 | 南海 |
一塁手 | 川上哲治 | 巨人 | スタンレー橋本 | 東映 |
二塁手 | 井上登 | 中日 | R.バルボン | 阪急 |
三塁手 | 長嶋茂雄 | 巨人 | 中西太 | 西鉄 |
遊撃手 | 吉田義男 | 大阪 | 葛城隆雄 | 大毎 |
外野手 | 田宮謙次郎 | 大阪 | 杉山光平 | 南海 |
森徹 | 中日 | 関口清治 | 西鉄 | |
与那嶺要 | 巨人 | 毒島章一 | 東映 |
オールスターゲーム
"「1958年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」"
高校野球
- 第30回選抜高等学校野球大会優勝:済々黌(熊本県)
- 第40回全国高等学校野球選手権大会優勝:柳井(山口県)
大学野球
- 第7回全日本大学野球選手権大会優勝:立教大
社会人野球
メジャーリーグ
"「1958年のメジャーリーグベースボール」"
- ワールドシリーズ
- ニューヨーク・ヤンキース(ア・リーグ) (4勝3敗) ミルウォーキー・ブレーブス(ナ・リーグ)
できごと
4月
- 4月5日 - プロ野球のセントラル・リーグ、パシフィック・リーグの公式戦が同時に開幕[1]。
- 4月6日 - 駒沢球場で行われた東映対南海ダブルヘッダー第二試合の3回戦が、日没のため七回でコールドゲームとなり4-2で南海が勝利となったが、これに不満のファンが約100名がグランドに流れ込む騒ぎとなる。東映の球団代表の石原春夫が場内アナウンスで観客を説得して午後7時半に収拾する[2]。
- 4月10日 - 第三十回選抜高校野球大会の決勝戦が午後1時1分から甲子園球場で行われ、済々黌高校が中京商業を7-1で破り、初優勝[3]。
- 4月23日 - 駒沢で行われた東映対大毎2回戦で東映がパ・リーグ史上初の出場打者全員三振(9人、10三振)。試合は3対1で東映が勝利[4]。
5月
- 5月7日 - 日本プロ野球はこの日6試合が行われ[5]、無本塁打に終わる。6試合以上行われての無本塁打はNPB史上2度目[6]。
- 5月10日 - 東映の山本八郎が駒沢球場での対南海4回戦で、六回裏に遊撃へのゴロがアウトと判定されたことに怒り、審判の角田隆良を殴打し、退場処分となった後にも再度殴打[7]。東映のオーナーの大川博は山本と監督の岩本義行に対し謹慎を命じる[8]。
- 5月18日 - 東映の布施勝巳が大阪球場での対南海6回戦に先発し延長10回無死まで無安打無得点を続けていたものの、10回先頭打者の増田卓に初安打を許す[9]。
- 5月20日 - 日生球場でのナイター初公式戦の近鉄対大毎戦5回戦が行われ、5対1で大毎が勝利[10]。
- 5月27日 - 国鉄の金田正一が広島で対広島5回戦に先発し、3回まで無失点に抑え藤本英雄の持つ62回連続無失点の記録を更新、6回裏二死から藤井弘に本塁打を打たれ、連続無失点記録は64回1/3でストップ[11]。
- 5月31日 - 東映フライヤーズの土橋正幸が駒沢球場での対西鉄ライオンズ6回戦に先発し1試合16奪三振のプロ野球新記録、また1回の大下弘から4回の中西太までの9者連続三振[12]。
6月
- 6月4日 - 西鉄の日比野武が後楽園球場での対大毎9回戦に出場し、プロ通算1500試合出場を達成[13]。
- 6月6日 - 国鉄の金田正一が後楽園球場での対阪神10回戦の五回一死二塁の場面から救援登板して勝利投手となり18勝目を挙げ、プロ通算200勝を達成[14]。
- 6月13日 - 中日の杉山悟が甲子園球場で行われた対阪神8回戦の八回表に6号本塁打を放ち、プロ通算200号本塁打を達成[15]。
7月
- 7月5日 - 西鉄の関口清治が平和台球場での対大毎13回戦の延長十一回裏にサヨナラ適時打を打ち、プロ通算1000本安打を達成[16]。
- 7月9日 - 阪急の梶本隆夫が駒沢球場での対東映16回戦に先発して勝利投手となり、プロ通算100勝を達成[17]。
- 7月19日 - 西鉄の西村貞朗が駒澤球場での対東映16回戦に先発して完全試合を達成[18]。
8月
- 8月4日 - 第二十九回都市対抗野球大会が後楽園球場にて午後7時1分より行われ、横浜市代表の日本石油が二瀬町の日鉄二瀬を4-0で破り、二度目の優勝[19]。
- 8月16日 - 大洋対中日戦(川崎)は3回表に停電のため、ノーゲーム[20]
- 8月19日 - 西鉄の若生忠男がパ・リーグ新記録の8打席連続三振[21]。
- 8月31日 - 早稲田実業の王貞治の巨人入団が決定[22]。
- 8月31日 - 南海は対阪急戦でパ・リーグ史上初の野村克也の「本塁打による1安打勝利」(スコアは1対0)。
9月
- 9月19日 - 巨人の長嶋茂雄が対広島戦(後楽園球場)5回裏、広島先発の鵜狩好応から左中間に本塁打を放つが、走塁の際一塁ベースを踏まなかったため、本塁打が取り消され、記録はピッチャーゴロとなった[23]。
10月
11月
- 11月19日 - 大洋は球団社長の森茂雄が兼任で監督に就任すると発表[27]。
- 11月25日 - 中日の西沢道夫が球団に対し現役引退を申し入れる[28]。
- 11月26日 - 近鉄の球団社長の佐伯勇が東京・西銀座の巨人の球団事務所を訪れ「巨人の二軍監督の千葉茂を近鉄パールズの監督に迎え入れたい」と申し入れ、巨人も了承[29]。
- 11月30日 - 大阪の藤村富美男が現役引退を表明。
12月
- 12月15日 - 阪神は田宮謙次郎が大阪市内の阪神電鉄本社で記者会見し、退団の意向を明らかにした。A級10年選手の権利を持つ田宮は球団と4度残留交渉を行っていたが、ボーナスと参稼報酬を巡って決裂したため。
誕生
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
- 10月3日 - 山田勉
- 10月9日 - 市川和正
- 10月16日 - 津末英明
- 10月17日 - 山口忠良
- 10月20日 - 大石大二郎
- 10月22日 - 高木豊
- 10月24日 - 辻発彦
- 10月27日 - 立花義家
11月
12月
死去
脚注
- ↑ 毎日新聞1958年4月6日夕刊3面「プロ野球一斉に開幕 絶好の日和、ファンの出足上々」毎日新聞縮刷版1958年4月p73
- ↑ 毎日新聞1958年4月7日4面「"続行しろ"と観衆騒ぐ 東映好機に日没の三回戦」毎日新聞縮刷版1958年4月p92
- ↑ 毎日新聞1958年4月11日7面「優勝旗、初めて九州へ 済々黌,、打ちまくる 城戸、中京商を4安打に 」毎日新聞縮刷版1958年4月p149
- ↑ 毎日新聞1958年4月24日7面「大毎、貧打に敗る」毎日新聞縮刷版1958年4月p339
- ↑ ダブルヘッダー1試合含む。東映と大毎は試合無し。
- ↑ 『週刊ベースボール』、ベースボール・マガジン社、2012年9月24日、 107頁。
- ↑ 毎日新聞1958年5月11日9面「山本、塁審を投飛ばす 出場停止五日 また荒れた南海・東映」毎日新聞縮刷版1958年5月p149
- ↑ 毎日新聞1958年5月11日9面「岩本監督にも謹慎を命ず 大川社長」毎日新聞縮刷版1958年5月p149
- ↑ 毎日新聞1958年5月11日9面「布施、十回に涙のむ 九回までは無安打無得点」毎日新聞縮刷版1958年5月p261
- ↑ 毎日新聞1958年5月21日7面「森ノ宮球場ナイターびらき 大毎4位へ」毎日新聞縮刷版1958年5月p291
- ↑ 毎日新聞1958年5月28日8面「金田ついに新記録 15年ぶり 藤本(巨人)の62回破る 64回3分の1を連続無失点」毎日新聞縮刷版1958年5月p406
- ↑ 毎日新聞1958年6月1日9面「土橋16三振を奪う 西鉄キリキリ舞い プロ野球の新記録」毎日新聞縮刷版1958年6月p9
- ↑ 毎日新聞1958年6月5日「日比野は千五百試合に出場」毎日新聞縮刷版1958年6月p65
- ↑ 毎日新聞1958年6月7日7面「金田ついに二百勝 プロ野球八人目の記録」毎日新聞縮刷版1958年6月p95
- ↑ 毎日新聞1958年6月14日7面「杉山(中日)二百号 戦後派初めて」毎日新聞縮刷版1958年6月p199
- ↑ 毎日新聞1958年7月6日7面「小野の力投及ばず 関口"千本安打"の幕切れ」毎日新聞縮刷版1958年7月p87
- ↑ 毎日新聞1958年7月10日9面「梶本プロ入り百勝」毎日新聞縮刷版1958年7月p151
- ↑ 毎日新聞1958年7月20日7面「西村(西鉄)が完全試合 対東映戦 プロ球史で五人目」毎日新聞縮刷版1958年7月p307
- ↑ 毎日新聞1958年8月5日1面「横浜(日本石油)二度目の優勝 第二十九回 都市対抗野球終る」毎日新聞縮刷版1958年8月p89
- ↑ 『ホエールズ&ベイスターズ60年の軌跡』 ベースボール・マガジン社〈B.B.MOOK スポーツシリーズ〉、2009年。ISBN 9784583616179。
- ↑ “個人打撃連続記録(3)”. パシフィック野球連盟公式サイト. . 2015閲覧.
- ↑ 『巨人軍歴史新聞 1934-2000栄光の球団史を発掘スクープ 2000年優勝記念号』 巨人軍歴史新聞編纂委員会 編、日本文芸社、2000年。ISBN 453725016X。
- ↑ “【9月19日】1958年(昭33)ミスター、幻の28号本塁打でトリプルスリーを逃す”. スポーツニッポン. . 2015閲覧.
- ↑ 24.0 24.1 読売新聞1958年10月3日5面「日本シリーズ三たび巨人・西鉄 ともに優勝決まる 巨人4年連続 西鉄3年連続優勝 阪神と南海破れ」読売新聞縮刷版1958年10月p35
- ↑ 読売新聞1958年10月8日4面「パ・リーグ全日程を終る 中西"三冠王"逃す 対近鉄戦 葛城(大毎)20号を放ち」読売新聞縮刷版1958年10月p126
- ↑ 読売新聞1958年10月21日夕刊1面「西鉄、三年連続優勝 日本シリーズ三敗後に四連勝」読売新聞縮刷版1958年10月p321
- ↑ 読売新聞1958年11月19日4面「森大洋社長監督に就任」読売新聞縮刷版1958年11月p298
- ↑ 読売新聞1958年11月26日5面「西沢(中日)が引退」読売新聞縮刷版1958年11月p397
- ↑ 読売新聞1958年11月26日5面「千葉(巨人)近鉄監督に」読売新聞縮刷版1958年11月p413