1955年の野球
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競技結果
日本プロ野球
ペナントレース
セントラル・リーグ | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 |
優勝 | 読売ジャイアンツ | 92 | 37 | 1 | .713 | - |
2位 | 中日ドラゴンズ | 77 | 52 | 1 | .597 | 15.0 |
3位 | 大阪タイガース | 71 | 57 | 2 | .555 | 20.5 |
4位 | 広島カープ | 58 | 70 | 2 | .453 | 33.5 |
5位 | 国鉄スワローズ | 57 | 71 | 2 | .445 | 34.5 |
6位 | 大洋ホエールズ | 31 | 99[1] | 0 | .238 | 61.5 |
パシフィック・リーグ | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 |
優勝 | 南海ホークス | 99[2] | 41 | 3 | .707 | - |
2位 | 西鉄ライオンズ | 90 | 50 | 4 | .643 | 9.0 |
3位 | 毎日オリオンズ | 85 | 55 | 2 | .607 | 14.0 |
4位 | 阪急ブレーブス | 80 | 60 | 2 | .571 | 19.0 |
5位 | 近鉄パールス | 60 | 80 | 2 | .429 | 39.0 |
6位 | 大映スターズ | 53 | 87 | 1 | .379 | 46.0 |
7位 | 東映フライヤーズ | 51 | 89 | 3 | .364 | 48.0 |
8位 | トンボユニオンズ | 42 | 98 | 1 | .300 | 57.0 |
日本シリーズ
個人タイトル
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
タイトル | 選手 | 球団 | 成績 | 選手 | 球団 | 成績 |
最優秀選手 | 川上哲治 | 巨人 | 飯田徳治 | 南海 | ||
最優秀新人 | 西村一孔 | 大阪 | 榎本喜八 | 毎日 | ||
首位打者 | 川上哲治 | 巨人 | .338 | 中西太 | 西鉄 | .332 |
本塁打王 | 町田行彦 | 国鉄 | 31本 | 中西太 | 西鉄 | 35本 |
打点王 | 川上哲治 | 巨人 | 79点 | 山内和弘 | 毎日 | 99点 |
最多安打 | 川上哲治 吉田義男 |
巨人 大阪 |
147本 | 飯田徳治 C.バルボン |
南海 阪急 |
163本 |
盗塁王 | 本多逸郎 | 中日 | 42個 | 森下正夫 | 南海 | 59個 |
最優秀防御率 | 別所毅彦 | 巨人 | 1.33 | 中川隆 | 毎日 | 2.08 |
最多勝利 | 大友工 長谷川良平 |
巨人 広島 |
30勝 | 宅和本司 | 南海 | 24勝 |
最多奪三振 | 金田正一 | 国鉄 | 350個 | 河村久文 | 西鉄 | 225個 |
最高勝率 | 大友工 | 巨人 | .833 | 中村大成 | 南海 | .852 |
ベストナイン
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
---|---|---|---|---|
守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 別所毅彦 | 巨人 | 中村大成 | 南海 |
捕手 | 広田順 | 巨人 | C.ルイス | 毎日 |
一塁手 | 川上哲治 | 巨人 | 杉山光平 | 南海 |
二塁手 | 井上登 | 中日 | 岡本伊三美 | 南海 |
三塁手 | 児玉利一 | 中日 | 中西太 | 西鉄 |
遊撃手 | 吉田義男 | 大阪 | 木塚忠助 | 南海 |
外野手 | 渡辺博之 | 大阪 | 山内和弘 | 毎日 |
与那嶺要 | 巨人 | 飯田徳治 | 南海 | |
町田行彦 | 国鉄 | 戸倉勝城 | 阪急 |
オールスターゲーム
"「1955年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」"
高校野球
- 第27回選抜高等学校野球大会優勝:浪華商業(大阪府)
- 第37回全国高等学校野球選手権大会優勝:四日市(三重県)
大学野球
- 第4回全日本大学野球選手権大会優勝:明治大
社会人野球
- 第26回都市対抗野球大会優勝:全鐘紡
メジャーリーグ
"「1955年のメジャーリーグベースボール」"
- ワールドシリーズ
- ブルックリン・ドジャース(ナ・リーグ) (4勝3敗) ニューヨーク・ヤンキース(ア・リーグ)
できごと
1月
2月
3月
4月
- 4月 - 第27回選抜高等学校野球大会1回戦、浪華商対立教戦において、浪華商の谷本隆路と広島尚保の継投によるノーヒットノーランが達成[5]、選抜では唯一の継投による達成となっている、スコアは6対0。準々決勝、桐生対明星戦においては桐生の今泉喜一郎が ノーヒットノーラン達成、スコアは12対0。
- 4月8日 - 選抜高校野球の決勝戦が行われ、浪華商が桐生を延長11回にサヨナラ勝利で18年ぶり2度目の優勝を達成。
5月
- 5月10日 - 中日の杉下茂が対国鉄スワローズ戦(川崎球場)でノーヒットノーラン達成、スコアは1対0[6]
- 5月11日 - 南海ホークスの飯田徳治が対阪急戦(西宮)で日本プロ野球通算1000試合出場[7]。
- 5月12日 - 【MLB】シカゴ・カブスのトゥースピック・サム・ジョーンズが対ピッツバーグ・パイレーツ戦においてノーヒットノーラン達成、スコアは4対0。
- 5月21日 - 阪急は対近鉄パールス戦(多治見)で2回に河野旭輝、原田孝一、ロベルト・バルボンの3者連続三塁打の日本プロ野球新記録[8]。
- 5月21日 - 大阪タイガースの監督の岸一郎が病気休養で、助監督の藤村富美男が以降の指揮を執る[9]
- 5月24日 - 毎日オリオンズの荒巻淳が対大映スターズ(後楽園球場)戦において延長10回1死まで無安打無得点に抑えていたものの、増田卓に初安打を打たれ、ノーヒットノーラン達成ならず。9回を終えて無安打無得点で延長で初安打を打たれたのはパ・リーグ史上2度目。試合は4対0で毎日が勝利[10]。
6月
- 6月4日 - 西鉄ライオンズの大津守が対近鉄戦(平和台野球場)でノーヒットノーラン達成、スコアは8対0[6]。
- 6月5日 - 駒沢球場でのナイターでの初公式戦となる、トンボ対東映戦が行われ、トンボが1対0で勝利[11]。
- 6月11日 - 読売巨人軍多摩川球場が大田区の多摩川に完成[12](のちに、多摩川流域には日本ハム、大洋も、川崎市側に球場が設置される)。
- 6月19日 - 近鉄の武智文雄が対大映戦(大阪スタヂアム)でパ・リーグ史上初の完全試合を達成、スコアは1対0[6]。
- 6月22日 - 大洋対阪神戦(川崎)が5回表に停電でノーゲームに[13]
- 6月22日 - 国鉄の金田正一が対中日戦の2回に日本プロ野球史上2度目の「3者連続3球三振」[14]。
- 6月28日 - 西鉄の太田正男と坂上淳が大映に移籍[15]。
7月
- 7月6日 - 大洋の青田昇が日本プロ野球通算200本塁打、史上2人目[13]
- 7月13日 - 国鉄は対広島カープ戦(川崎)で球団初の20得点以上となる22対4で勝利[16]。
- 7月23日 - 大洋が対読売ジャイアンツ戦(後楽園球場)でセ・リーグ記録を更新する14連敗[13]
- 7月27日 - 大洋が本拠地の川崎球場で12連敗で、本拠地連敗記録の日本プロ野球記録を更新[17]。
- 7月30日 - トンボユニオンズのヴィクトル・スタルヒンが対近鉄戦(川崎球場)において日本プロ野球史上初の通算300勝を達成。ただし、当時は1939年の勝利数を2つ少なくする記録の修正がされていたため、9月4日の大映戦での勝利が300勝目とされた。
8月
- 8月10日 - 第26回都市対抗野球大会の決勝戦が行われ、全鐘紡が鐘淵化学を5対1で破り、3年ぶり4度目の優勝を達成する。
- 8月17日 - 第37回全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が行われ、四日市が坂出商を4対1で破り、初出場で初優勝を達成する。
- 8月24日 - 南海の飯田徳治が対トンボ戦(川崎)においてサイクル安打を達成。
9月
- 9月3日 - 国鉄の金田正一が対大洋戦で毎回奪三振11を記録、通算3度目は日本プロ野球史上初[18]。
- 9月13日 - この日、セ・リーグで3試合[19]、パ・リーグで4試合行われたが無本塁打に終わり、6試合以上開催での無本塁打は日本プロ野球史上初の事例となった[20]。
10月
- 10月6日 -南海が対西鉄戦(平和台)に勝利して、南海が2年ぶり4度目のパ・リーグ優勝達成。
- 10月7日 - この日、セ・リーグ2位の中日が敗れたため、巨人が2年ぶり4度目のセ・リーグ優勝達成。
- 10月11日
- 10月13日 - パ・リーグの全日程が終了。南海は日本プロ野球最多のシーズン99勝をあげる[23]。トンボは勝率.350を切ったため、制裁金500万円が科せられる[24]
- 10月19日 - 国鉄の金田正一が対大阪戦でシーズン350奪三振のセ・リーグ新記録[25]。
- 10月22日 - 日米野球で来日したニューヨーク・ヤンキースが、第1戦として毎日オリオンズと対戦。試合会場の後楽園球場は、日本シリーズ(巨人 - 南海)の日程が順延されたため、ナイターでのヤンキース戦の前に、デーゲームで日本シリーズ第5戦が実施された[26]。
- 10月23日 - ウエスタン・リーグは阪神ジャガーズ[27]が優勝[9]。
- 10月24日 - 日本シリーズの巨人対南海の第7戦が行われ、巨人が南海を4-0で下して4勝3敗とし、2年ぶり4度目の日本一達成[28]。
- 10月26日 - 大洋の監督に迫畑正巳が就任[13]。
11月
誕生
1月
2月
3月
4月
- 4月4日 - 高橋俊春
- 4月11日 - 山村善則
- 4月16日 - ブルース・ボウチー
- 4月18日 - 河埜敬幸
- 4月18日 - ボビー・カスティーヨ
- 4月19日 - 遠藤一彦
- 4月26日 - 佃正樹(+ 2007年)
- 4月29日 - 秋田秀幸
5月
- 5月3日 - 三浦道男
- 5月9日 - 掛布雅之
- 5月9日 - 藤田学
- 5月11日 - 山村善則
- 5月12日 - 坂巻明
- 5月20日 - 植上健治(+ 1995年)
- 5月25日 - 江川卓
- 5月29日 - 花増幸二
- 5月30日 - 深沢恵雄
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
死去
脚注
- ↑ セ・リーグ記録
- ↑ 日本プロ野球記録
- ↑ 『中日ドラゴンズ70年史』 中日ドラゴンズ 編、中日新聞社、2006年。ISBN 4806205141。
- ↑ 4.0 4.1 宇佐美徹也 『日本プロ野球記録大鑑』 講談社、1993年。ISBN 4062061082。
- ↑ ただし継投による達成は参考記録。
- ↑ 6.0 6.1 6.2 “無安打無得点試合 (ノーヒットノーラン)”. 日本野球機構公式サイト. . 2015閲覧.
- ↑ 『南海ホークス四十年史』 南海ホークス 編、南海ホークス、1978年。
- ↑ 宇佐美徹也 1993, p. 353.
- ↑ 9.0 9.1 “タイガースHistory1955-1959”. 阪神タイガース公式サイト. . 2015閲覧.
- ↑ “記録メモ(個人投手編)”. パシフィック野球連盟公式サイト. . 2015閲覧.
- ↑ 宇佐美徹也 1993, p. 190.
- ↑ “巨人軍年表”. 読売巨人軍公式サイト. . 2015閲覧.
- ↑ 13.0 13.1 13.2 13.3 『ホエールズ&ベイスターズ60年の軌跡』 ベースボール・マガジン社〈B.B.MOOK スポーツシリーズ〉、2009年。ISBN 9784583616179。
- ↑ 宇佐美徹也 1993, p. 688.
- ↑ 日付は公示日。『ライオンズ60年史―獅子の記憶―「西鉄」から「埼玉西武」まで』 ベースボール・マガジン社〈B.B.MOOK スポーツシリーズ〉、2010年。ISBN 9784583616858。
- ↑ 宇佐美徹也 1993, pp. 560 - 561.
- ↑ 宇佐美徹也 1993, p. 162.
- ↑ 宇佐美徹也 1993, p. 692.
- ↑ ダブルヘッダー1試合含む、巨人と広島は試合無し。
- ↑ 『週刊ベースボール』、ベースボール・マガジン社、2012年9月24日、 107頁。
- ↑ 読売新聞1955年10月12日5面「プロ野球個人賞 川上と飯田 最高殊勲 沢村賞に別所(巨人)、パ(最優秀投手)は中村 新人王は西村一、榎本」
- ↑ 読売新聞1955年10月12日5面「藤本(巨人)二百勝あぐ 大友、今季両リーグ初の30勝」
- ↑ ホークス四十年史 1978, p. 150.
- ↑ “パシフィック・リーグ略史(1949年~2000年)”. パシフィック野球連盟公式サイト. . 2015閲覧.
- ↑ “球団のあゆみ 1950年代”. 東京ヤクルトスワローズ公式サイト. . 2015閲覧.
- ↑ 26.0 26.1 “【10月23日】1955年(昭30)ヤンキース名将認めた「打者ではヤマウチ」”. . 2015閲覧.上記ページでは「23日」となっているが、「22日」が正しい(参考 : “ベースボール博物館 収蔵品紹介”. . 2015閲覧.)
- ↑ 大阪タイガースの二軍チーム。
- ↑ 読売新聞1956年10月25日4面「巨人 4たび日本選手権を獲得 別所、南海を完封 決勝戦 9回止めの3点」