1951年の野球
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競技結果
日本プロ野球
ペナントレース
セントラル・リーグ | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 |
優勝 | 読売ジャイアンツ | 79 | 29 | 6 | .731 | - |
2位 | 名古屋ドラゴンズ | 62 | 48 | 3 | .564 | 18.0 |
3位 | 大阪タイガース | 61 | 52 | 3 | .540 | 20.5 |
4位 | 松竹ロビンス | 53 | 57 | 5 | .482 | 27.0 |
5位 | 国鉄スワローズ | 46 | 59 | 2 | .438 | 31.5 |
6位 | 大洋ホエールズ | 40 | 64 | 4 | .385 | 37.0 |
7位 | 広島カープ | 32 | 64 | 3 | .333 | 41.0 |
パシフィック・リーグ | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 |
優勝 | 南海ホークス | 72 | 24 | 8 | .750 | - |
2位 | 西鉄ライオンズ | 53 | 42 | 10 | .558 | 18.5 |
3位 | 毎日オリオンズ | 54 | 51 | 5 | .514 | 22.5 |
4位 | 大映スターズ | 41 | 52 | 8 | .441 | 29.5 |
5位 | 阪急ブレーブス | 37 | 51 | 8 | .420 | 31.0 |
6位 | 東急フライヤーズ | 38 | 56 | 8 | .404 | 33.0 |
7位 | 近鉄パールス | 37 | 56 | 5 | .398 | 33.5 |
日本シリーズ
個人タイトル
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
タイトル | 選手 | 球団 | 成績 | 選手 | 球団 | 成績 |
最優秀選手 | 川上哲治 | 巨人 | 山本一人 | 南海 | ||
最優秀新人 | 松田清 | 巨人 | 蔭山和夫 | 南海 | ||
首位打者 | 川上哲治 | 巨人 | .377 | 大下弘 | 東急 | .383 |
本塁打王 | 青田昇 | 巨人 | 32本 | 大下弘 | 東急 | 26本 |
打点王 | 青田昇 | 巨人 | 105点 | 飯田徳治 | 南海 | 87点 |
最多安打 | 後藤次男 | 大阪 | 155本 | 木塚忠助 | 南海 | 130本 |
盗塁王 | 土屋五郎 | 国鉄 | 52個 | 木塚忠助 | 南海 | 55個 |
最優秀防御率 | 松田清 | 巨人 | 2.01 | 柚木進 | 南海 | 2.03 |
最多勝利 | 杉下茂 | 名古屋 | 28勝 | 江藤正 | 南海 | 24勝 |
最多奪三振 | 金田正一 | 国鉄 | 233個 | 阿部八郎 | 阪急 | 150個 |
最高勝率 | 松田清 | 巨人 | .885 | 中谷信夫 | 南海 | .875 |
ベストナイン
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
---|---|---|---|---|
守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 別所毅彦 | 巨人 | 江藤正 | 南海 |
捕手 | 野口明 | 名古屋 | 土井垣武 | 毎日 |
一塁手 | 川上哲治 | 巨人 | 飯田徳治 | 南海 |
二塁手 | 千葉茂 | 巨人 | 山本一人 | 南海 |
三塁手 | 藤村富美男 | 大阪 | 蔭山和夫 | 南海 |
遊撃手 | 平井三郎 | 巨人 | 木塚忠助 | 南海 |
外野手 | 金田正泰 | 大阪 | 大下弘 | 東急 |
青田昇 | 巨人 | 別当薫 | 毎日 | |
岩本義行 | 松竹 | 飯島滋弥 | 大映 |
オールスターゲーム
"「1951年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」"
高校野球
- 第23回選抜高等学校野球大会優勝:鳴門(徳島県)
- 第33回全国高等学校野球選手権大会優勝:平安(京都府)
大学野球
社会人野球
- 第22回都市対抗野球大会優勝:全鐘紡
メジャーリーグ
"「1951年のメジャーリーグベースボール」"
- ワールドシリーズ
- ニューヨーク・ヤンキース(ア・リーグ) (4勝2敗) ニューヨーク・ジャイアンツ(ナ・リーグ)
できごと
1月
- 1月26日 - セントラル・リーグ会長の安田庄司が辞任し、後任の会長に松島鹿夫が就任[1]。
- 1月30日 - 西日本パイレーツが「セ・リーグの圧迫には耐えられない」としてセ・リーグを脱退、パ・リーグの西鉄クリッパースに吸収合併され「西鉄ライオンズ」としてパ・リーグに参入。これにより両リーグとも7球団ずつの参加となる[2]。
2月
- 2月6日 - 中日ドラゴンズが名称を「名古屋ドラゴンズ」に改称。これは中部日本新聞社に加え、名古屋鉄道も資本参加することに伴うもので、西暦奇数年は名鉄、偶数年は中日新聞が主導して経営に当たるというものだった[1]。
- 2月19日 - セ、パ両リーグ間での選手引き抜きの泥仕合を理由にセ・リーグ理事長の中村三五郎がオープン戦を中止することを決定[3]。
- 2月24日 - GHQが日本プロ野球に対し、「プロ野球機構の確立」「コミッショナー制の樹立」を勧告[3]。
3月
- 3月1日 - 西鉄クリッパースが名称を「西鉄ライオンズ」に改称[4]。
- 3月14日 - 広島カープはこの日行われた役員会において、経営状態の悪化から球団解散を決定するが、その後監督の白石勝巳らの説得で同月23日に存続が決定[5]。
- 3月18日 - 「パ・リーグ第1回トーナメント」が阪急西宮球場、大阪球場で開催される[4]。
- 3月29日 - セ・リーグシーズン開幕戦が行われる[3]。なお広島は経営悪化の事情から開幕が4月7日に延期。
- 3月31日 - パ・リーグシーズン開幕戦が行われる[3]。
4月
- 4月5日 - 日本野球機構初代コミッショナーに元検事総長の福井盛太が就任。
- 4月5日 - 名古屋の三富恒雄が対阪神戦でNPB史上39人目の通算1000投球回を達成[6]。
- 4月7日 - 広島の公式戦の開幕戦対大阪タイガース戦が他球団より9日遅れで広島市民球場で開催[7]。
- 4月10日 - 巨人の藤本英雄が対大洋戦でNPB史上7人目の通算2000投球回を達成[6]。
- 4月18日 - 大洋の大沢伸夫が対広島戦でNPB史上5人目の通算1000試合出場を達成[6]。
- 4月26日 - 国鉄の高橋輝が対大洋戦でセ・リーグ史上初の毎回奪三振10を記録[8]。
5月
- 5月6日 - 【MLB】ピッツバーグ・パイレーツのクリフ・チャンバーズが対ボストン・ブレーブス戦において、ノーヒットノーランを達成。スコアは3対0。
- 5月10日 - 巨人の別所毅彦が対阪神戦でNPB史上8人目の通算2000投球回を達成[6]。
- 5月10日 - 大洋の大沢伸夫が対国鉄戦でNPB史上6人目の通算1000安打を達成[6]。
- 5月12日 - 巨人の中尾碩志が対大洋戦でNPB史上5人目の通算150勝を達成[6]。
- 5月15日 - 阪急の天保義夫が対東急戦でNPB史上9人目の通算2000投球回を達成[6]。
- 5月15日 - 毎日の別当薫が対南海戦でNPB史上7人目の通算100本塁打を達成[6]。
- 5月19日 - 大洋ホエールズが対松竹戦(大分)で2回から6回にかけて、日本プロ野球新記録の5イニング連続本塁打[9]。
6月
- 6月1日 -【MLB】クリーブランド・インディアンスのボブ・フェラーが対デトロイト・タイガースにおいて3度目のノーヒットノーランを達成。スコアは2対1。
- 6月3日 - 毎日の呉昌征が対東急戦でNPB史上7人目の通算1000安打を達成[6]。
- 6月4日 -【MLB】ピッツバーグ・パイレーツのガス・ベルがサイクル安打を達成。
- 6月16日 - 阪神の藤村隆男が対巨人戦でNPB史上40人目の通算1000投球回を達成[6]。
- 6月21日 - 全国プロフェッショナル野球協約が発効[4]。
- 6月23日 - 西鉄対東急戦(弘前市営)が6回表に降雨でパ・リーグ史上最長を更新する1時間57分の中断[10]。西鉄の川崎徳次がパ・リーグ史上2人目の毎回奪三振15[11]。
7月
- 7月4日 - セ・パ両リーグによる対戦としては初のオールスターゲームの第1戦が阪神甲子園球場において開催され、全セが2対1で勝利する。MVPは巨人の川上哲治。
- 7月12日 -【MLB】ニューヨーク・ヤンキースのアリー・レイノルイズが対クリーブランド・インディアンス戦において3度目のノーヒットノーランを達成。スコアは1対0。
- 7月18日 - 東京[12]以外では初のナイター試合となる大阪球場での初ナイターゲームの南海対毎日戦が行われ、南海が1対0で勝利している[13]。
- 7月26日 - 毎日の別当薫が対近鉄戦の1回に、二盗、三盗、本盗の1イニング3盗塁を記録。日本プロ野球史上8度目[14]。
- 7月28日 - 巨人の千葉茂が対大洋戦でNPB史上6人目の通算1000試合出場を達成[6]。
- 7月29日 - 広島後援会発足式が広島総合グラウンドにおいて行われる[7]。
8月
- 8月1日 - 松竹ロビンス対大阪タイガース戦で、松竹の岩本義行が1試合4本塁打18塁打のプロ野球新記録、松竹は同新記録の1試合9本塁打。試合は松竹が17対12で勝利したが、先発の小林恒夫が完投で12失点ながら勝利投手となったが、12失点での勝利投手は2リーグ制以降の最多記録[15][16]。
- 8月2日 - 国鉄の金田正一が対阪神戦でセ・リーグ史上2人目の毎回奪三振13[11]。
- 8月5日 - 大洋の藤井勇が対広島戦(仙台)でNPB史上2人目、セ・リーグ史上初の1試合4二塁打[17]。
- 8月8日 - 巨人は対広島戦(小樽)の7回に球団タイ記録の1イニング10安打。両チーム合わせて1試合12二塁打(巨人8、広島4)はセ・リーグ新記録。試合は20対4で巨人が勝利[18]。
- 8月11日 - 甲子園の大銀傘が8年ぶりに復活[19]。
- 8月14日 - 西鉄対南海戦(平和台)でパ・リーグ新記録の両チーム合わせて1試合12二塁打(西鉄7、南海5)[20]。
- 8月18日 - 名古屋の野口明が対巨人戦(豊橋)で球団初の通算1000試合出場を達成[21]。
- 8月19日 - 全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が甲子園において行われ、京都府の平安が埼玉県の熊谷に7対4で勝利して、12年ぶり2度目の優勝。
- 8月19日 - 中日スタジアムが全焼[1]。
9月
- 9月1日 - 阪急の野口二郎が対近鉄戦でNPB史上8人目の通算1000試合出場を達成[6]。
- 9月4日 - 巨人の藤本英雄が対大洋戦でNPB史上5人目の通算1000奪三振を達成[6]。
- 9月5日 - 国鉄の金田正一が対大阪戦(大阪球場)でノーヒットノーランを達成、日本プロ野球史上23人目、球団史上初[22]。
- 9月7日 - 阪急の野口二郎が対東急戦でNPB史上2人目の通算500試合登板を達成[6]。
- 9月23日 - この年シーズン後に行われる日米野球のため、ペナントレースはセ・パ共にこの日、セ・リーグは10月9日、パ・リーグは10月7日に開催される試合をもってシーズン打ち切りを発表し、この段階で首位に立っていたセ・リーグは読売ジャイアンツが18試合を残し、パ・リーグは南海ホークスが21試合を残してそれぞれリーグ優勝を達成[23]。
- 9月27日 - 巨人の青田昇が対松竹戦でNPB史上8人目の通算1000安打を達成[6]。
- 9月28日 - 南海の蔭山和夫が対近鉄戦(大阪)で5打数で5安打2本塁打3三塁打で、パ・リーグ新記録の1試合17塁打[24]。
- 9月28日 - 【MLB】ニューヨーク・ヤンキースのアリー・レイノルイズが対ボストン・レッドソックス戦において7月に続く、シーズン2度目のノーヒットノーランを達成。スコアは8対0。
- 9月30日 - 阪神の藤村富美男が対国鉄戦でNPB史上9人目の通算1000試合出場を達成[6]。
10月
- 10月5日 - 大映の飯島滋弥が対阪急戦(西宮)で7回無死一・二塁の場面で3ラン、二死満塁で満塁本塁打の1イニング2本塁打。日本プロ野球史上3人目で、パ・リーグでは史上初[25]。
- 10月10日 - 【MLB】ワールドシリーズ第6戦がヤンキー・スタジアムにおいて行われ、アメリカンリーグのニューヨーク・ヤンキースがナショナルリーグのニューヨーク・ジャイアンツに4対3で勝利し、4勝2敗で3年連続14度目の優勝達成。
- 10月17日 - 日本シリーズ第5戦が後楽園で行われ、巨人が南海に8対2で勝利し、4勝1敗で初の日本シリーズ優勝達成[26]。
- 10月17日 - メジャーリーグ選抜チームが日米野球で来日。
11月
12月
- 12月1日 - 野球選手統一契約書が発効[4]。
- 12月25日 - 広島の長谷川良平が同月15日までに契約手続きを行わなかったとして、自由選手として移籍を表明。翌年3月にコミッショナー裁定で広島残留が決まる[7]。
誕生
1月
- 1月2日 - ビル・マドロック
- 1月11日 - ジャック・ズレンシック
2月
3月
4月
- 4月6日 - バート・ブライレブン
- 4月26日 - 藤波行雄
5月
6月
7月
8月
9月
10月
- 10月3日 - デーブ・ウィンフィールド
- 10月9日 - 加藤博一(+2008年)
- 10月26日 - スティーブ・オンティベロス
11月
12月
死去
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 セリーグHistory セ・リーグ公式サイト
- ↑ 『中日ドラゴンズ70年史』 中日ドラゴンズ 編、中日新聞社、2006年。ISBN 4806205141。
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 ドラゴンズ70年史 2006, p. 50.
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 “パシフィック・リーグ略史(1949年〜2000年)”. パシフィック野球連盟公式サイト. . 2015閲覧.
- ↑ 『広島東洋カープ60年史 HISTORY 1950-2009』 ベースボール・マガジン社〈B.B.MOOK スポーツシリーズ〉、2009年。ISBN 9784583616001。
- ↑ 6.00 6.01 6.02 6.03 6.04 6.05 6.06 6.07 6.08 6.09 6.10 6.11 6.12 6.13 6.14 6.15 18 達成記録一覧 セ・リーグ公式サイト
- ↑ 7.0 7.1 7.2 カープ60年史 2009, p. 35.
- ↑ 宇佐美徹也 『日本プロ野球記録大鑑』 講談社、1993年。ISBN 4062061082。
- ↑ 宇佐美徹也 1993, p. 435.
- ↑ “中断試合”. パシフィック野球連盟公式サイト. . 2015閲覧.
- ↑ 11.0 11.1 宇佐美徹也 1993, p. 692.
- ↑ これまでのナイター開催は神宮、後楽園の2球場。
- ↑ 宇佐美徹也 1993, p. 190.
- ↑ 宇佐美徹也 1993, p. 711.
- ↑ 1リーグ時代の1949年に川崎徳次が13失点で勝利投手。
- ↑ 宇佐美徹也 1993, pp. 407, 893.
- ↑ 宇佐美徹也 1993, p. 339.
- ↑ 宇佐美徹也 1993, pp. 304, 340.
- ↑ “阪神タイガースヒストリー1950-1954”. 阪神タイガース公式サイト. . 2015閲覧.
- ↑ 宇佐美徹也 1993, p. 340.
- ↑ ドラゴンズ70年史 2006, p. 284.
- ↑ “無安打無得点試合 (ノーヒットノーラン)”. 日本野球機構公式サイト. . 2015閲覧.
- ↑ 宇佐美徹也 1993, p. 135.
- ↑ 宇佐美徹也 1993, p. 514.
- ↑ 宇佐美徹也 1993, p. 410.
- ↑ “■ 1951年度日本シリーズ 試合結果(第5戦)”. 日本野球機構公式サイト. . 2015閲覧.