1896年アテネオリンピック
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1896年アテネオリンピックは、1896年4月6日から4月15日まで(当時のギリシャのユリウス暦では3月25日から4月3日まで)、ギリシャのアテネで行われた夏季オリンピック[1]。近代五輪最初の大会として開催された[1]。
Contents
ハイライト
- 古代オリンピックに感銘したピエール・ド・クーベルタン男爵により提唱。
- 大会参加者は男子のみであった。女子の参加は第2回オリンピック以降になる[2]。
- 近代オリンピック最初の競技は、陸上競技100mの予選で、全てのレースでアメリカ選手が1位になった。クラウチングスタートをしていたためだといわれている。競技の決勝では、アメリカのジェームズ・コノリーが古代オリンピック終結後、1500年ぶりに栄冠を得た[2]。
- マラソンでは、ギリシャのスピリドン・ルイスが優勝[1]。
- 財政事情により、第1回オリンピックでは金メダルは無く、優勝者には銀メダル、第2位の選手には銅メダルが贈られ、第3位の選手には賞状が授与された[2]。
- 当時は国家単位ではなく個人名義による自由出場だったため、国混合チームが出場していた[2]。
- 記録:トーマス・バーク(アメリカ、陸上競技男子100m)12秒0
- フェンシングで銅メダル、射撃競技でも銀銅2つのメダルを獲得したホルガー・ニールセン は、後にオリンピック競技になるハンドボールのルールを策定している。
- 雨天のため、閉会式はマラソンの翌日の4月15日に実施された[2]。
実施競技
各国の獲得メダル
- 前述の通り1位には銀メダル、2位には銅メダルが授与され、3位にメダルは授与されなかったが現在ではメダリスト名簿に登録されており、以上の理由より第2回以降と同様の色を用いる。
1 | テンプレート:FlagIOC | 11 | 7 | 2 | 20 |
2 | テンプレート:FlagIOC(開催国) | 10 | 17 | 19 | 46 |
3 | テンプレート:FlagIOC | 6 | 5 | 2 | 13 |
4 | テンプレート:FlagIOC | 5 | 4 | 2 | 11 |
5 | テンプレート:FlagIOC | 2 | 3 | 2 | 7 |
6 | テンプレート:FlagIOC | 2 | 1 | 3 | 6 |
7 | テンプレート:FlagIOC | 2 | 1 | 2 | 5 |
8 | テンプレート:FlagIOC | 2 | 0 | 0 | 2 |
9 | テンプレート:FlagIOC | 1 | 2 | 3 | 6 |
10 | テンプレート:FlagIOC | 1 | 2 | 0 | 3 |
11 | テンプレート:FlagIOC | 1 | 1 | 1 | 3 |
主なメダリスト
- 優勝(銀メダル)
- ジェームズ・コノリー(アメリカ、陸上競技男子三段跳) - 近代オリンピック優勝者第1号
- トーマス・バーク(アメリカ、陸上競技男子100m)
- スピルドン・ルイス(ギリシャ、陸上競技男子マラソン)
- ハヨシュ・アルフレッド(ハンガリー、競泳男子100m自由形)
- ハヨシュ・アルフレッド(ハンガリー、競泳男子1200m自由形)
- ジョン・ピウス・ボーランド(イギリス、テニス男子シングルス)
- ジョン・ピウス・ボーランド(イギリス)、フリードリヒ・トラウン(ドイツ) (テニス男子ダブルス)
- カール・シューマン(ドイツ、体操男子跳馬)
- ドイツ(体操男子鉄棒団体)
- ドイツ(体操男子平行棒団体)
- カール・シューマン(ドイツ、レスリンググレコローマンスタイル男子無差別級)
- ポール・マッソン(フランス、自転車男子スプリント)
- ポール・マッソン(フランス、自転車男子1kmタイムトライアル)
- ポール・マッソン(フランス、自転車男子10km)
- 第2位(銅メダル)
- ジェームズ・コノリー(アメリカ、陸上競技男子走高跳)
- 第3位
- ジェームズ・コノリー(アメリカ、陸上競技男子走幅跳)
オリンピック賛歌
"「オリンピック賛歌」"
オリンピック賛歌(Olympic Anthem)とは、詞コスティス・パラマス(Kostis Palamas)、曲スピロ・サマラス(Spyros Samaras)によって作られ、この第1回アテネオリンピックにおいて演奏されたものである。