1541年
提供: miniwiki
千年紀: | 2千年紀 |
---|---|
世紀: | 15世紀 - 16世紀 - 17世紀 |
十年紀: | 1520年代 1530年代 1540年代 1550年代 1560年代 |
年: | 1538年 1539年 1540年 1541年 1542年 1543年 1544年 |
他の紀年法
カレンダー
できごと
- 2月12日 - サンティアゴ建都。
- 4月7日 - フランシスコ・ザビエル、ポルトガル国王の援助を得てリスボンを出帆し東洋へ向かう旅に出る。
- 5月8日 - スペイン人探検家エルナンド・デ・ソトがヨーロッパ人で初めてミシシッピ川に到達。
- 6月26日 - フランシスコ・ピサロが暗殺される。
- イングランド王ヘンリー8世がアイルランド王を自称し、これをもってアイルランド王国成立。
- タルタリアが、三次方程式の解法を発見。
- 聖女ディンプナ教会の塔が着工。
- ゲラルドゥス・メルカトルが地球儀を作る。
- システィーナ礼拝堂の壁画「最後の審判」が完成。
- カルヴァンがジュネーヴで宗教改革に着手。
- イエズス会初代総長にイグナチオ・ロヨラを選出。
- チリがスペインの植民地となる。
- ジャック・カルティエ第3回探検行。
日本
- 7月7日(天文10年6月14日) - 武田晴信、父信虎を駿河に追放し家督を相続。
- 武田八幡宮竣工。
- ポルトガル船が豊後国に漂着し、領主の大友宗麟にカボチャの種が贈られる[1]。
- 吉田郡山城の戦いで尼子軍が敗北し安芸から撤退。
- 大内氏が厳島神主家藤原氏を滅ぼす。
- 佐東銀山城の戦いにより安芸武田氏が滅亡。
誕生
- 2月10日(天文10年1月15日) - 長谷川角行、富士講の開祖 (+ 1646年)
- 2月10日(天文10年1月15日) - 足利義氏、古河公方(+ 1583年)
- 7月20日 - ピエール・ド・ラリヴェ、劇作家、翻訳家(+ 1619年)
- 10月4日(天文10年9月15日) - 千葉親胤、戦国大名(+ 1557年)
- 吉良親貞、長宗我部元親の弟(+ 1576年)
- 植村家存、徳川氏家臣(+ 1577年)
- 吉弘鎮信、大友氏家臣(+ 1578年)
- 波多野秀治、戦国武将(+ 1579年)
- 穴山信君、戦国武将(+ 1582年)
- 海野信親、戦国武将(+ 1582年)
- 足利義助、2代目平島公方(+ 1592年)
- 小幡信貞、戦国武将(+ 1592年)
- 毛利秀頼、戦国武将 (+ 1593年)
- 北条氏邦、戦国武将(+ 1597年)
- 伊集院忠棟、島津氏家臣(+ 1599年)
- 水野忠重、戦国武将(+ 1600年)
- 佐竹義久、戦国武将(+ 1601年)
- 細野藤敦、伊勢国の豪族(+ 1603年)
- ジャン・ボーアン、本草学者(+ 1612年)
- エル・グレコ、画家(+ 1614年)
- 奥村永福、前田氏家臣(+ 1624年)
- 小峰義親、戦国武将(+ 1626年)
- 陽泰院、鍋島直茂正室(+ 1629年)
死去
- 2月8日(天文10年1月13日) - 尼子久幸、戦国武将(* 生年不詳)
- 3月9日(天文10年2月12日)? - 小山田信有、小山田氏当主(* 1488年)
- 4月11日 - ドナト・ブラマンテ、建築家・画家 (* 1444年)
- 6月26日 - フランシスコ・ピサロ、コンキスタドール(* 1471年あるいは1478年)
- 7月2日(天文10年6月9日) - 大浦政信、戦国武将 (* 1497年)
- 7月4日 - ペドロ・デ・アルバラード、コンキスタドール(* 1485年)
- 8月10日(天文10年7月19日) - 北條氏綱、戦国大名(1486年)
- 9月24日 - パラケルスス、錬金術師、医師、自然哲学者(* 1493年)
- 10月24日(天文10年10月6日) - 芳賀高経、戦国武将 (* 1497年)
- 11月23日(天文10年11月6日) - 一条房冬、戦国大名(* 1498年)
- 11月30日(天文10年11月13日) - 尼子経久、戦国大名(* 1458年)
- 天野興定、戦国武将 (* 1475年)
- 王艮、思想家(* 1483年)
- 浪岡具永、浪岡北畠家当主 (* 1487年)
- 南部安信、戦国大名(* 1493年)
- 大宝寺晴時、大宝寺氏当主(* 1512年)
脚注
注釈
出典
- ↑ “大友宗麟とカボチャ渡来について。”. 2007年7月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2017閲覧.