1183年
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千年紀: | 2千年紀 |
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世紀: | 11世紀 - 12世紀 - 13世紀 |
十年紀: | 1160年代 1170年代 1180年代 1190年代 1200年代 |
年: | 1180年 1181年 1182年 1183年 1184年 1185年 1186年 |
他の紀年法
カレンダー
できごと
- 5月、源義仲、倶利伽羅峠に平維盛率いる平氏の大軍を破り、京都へ入る。(倶利伽羅峠の戦い)
- 平氏一門安徳天皇を奉じて西海に逃れる。
- 平氏屋島に行宮を築き行政をはじめようとする。
- 寿永二年十月宣旨が出されて源頼朝の東国支配が認められ、平治の乱の際に奪われていた官位に復帰する。
- 源義経の兄・頼朝の命を受け源義仲追討のため鎌倉を立つ。
- このころ、東大寺再建のため、伊勢国が水銀2万両を提供。
- 源義仲、白山宮へ横江荘などを寄進。
- 鎌倉幕府が成立する[1]。
誕生
- 源智、鎌倉時代の浄土宗の僧(+ 1239年)
- 畠山重秀、鎌倉時代の武将、御家人(+ 1205年)
- 北条泰時、鎌倉時代の武将、鎌倉幕府第3代執権(+ 1242年)
- 和田胤長、鎌倉時代の武将、御家人(+ 1213年)
死去
- 3月19日(寿永2年2月24日) - 頼源、平安時代の絵仏師(* 生年未詳)
- 3月23日(寿永2年2月28日) - 藤原光能、平安時代の公卿(* 1132年)
- 4月4日(寿永2年3月10日) - 平清経、平安時代の武将(* 1163年)
- 6月2日(寿永2年5月11日) - 平知度、平安時代の武将(* 生年未詳)
- 6月3日(寿永2年5月12日)? - 平為盛、平安時代の武将(* 生年未詳)
- 6月11日(寿永2年5月20日) - 佐竹隆義、平安時代の武将、佐竹氏の第2代当主(* 1118年)
- 6月11日 - 若ヘンリー王、イングランド王(* 1155年)
- 6月22日(寿永2年6月1日) - 斎藤実盛、平安時代の武将(* 1111年)
- 7月11日 - オットー1世、ヴィッテルスバッハ家のバイエルン公(* 1117年)
- 10月6日(寿永2年9月18日) - 桐生六郎、平安時代の武将(* 生年未詳)
- 11月17日(寿永2年閏10月1日) - 源義清、平安時代の武将(* 生年未詳)
- 11月28日(寿永2年閏10月12日) - 妹尾兼康、平安時代の武将(* 1123年)
- アレクシオス2世コムネノス、東ローマ帝国コムネノス王朝の第4代皇帝(* 1169年)
- 伊東祐清、平安時代の豪族(* 生年未詳)
- 高梨高信、平安時代の武将(* 生年未詳)
- 俣野景久、平安時代の武将(* 生年未詳)
- マルゲリータ・ディ・ナヴァッラ、シチリア王グリエルモ1世の王妃(* 1128年)
脚注
注釈
出典