高浜町
高浜町(たかはまちょう)は、福井県の南西部にある町。嶺南地方にあり、大飯郡に属している。
Contents
地理
高浜町は福井県の最西端に位置し、青葉山(別名・若狭富士)を境にして京都府舞鶴市などと接している。また、北陸地方の最西端の市町村でもある。
高浜町の属する大飯郡は若狭(若狭地方)の西部に位置することから若西(じゃくせい)とよばれる地域である。
日本海(若狭湾)に面し、大島半島と音海半島の間には、日本の夕陽百選にも選定されている若狭和田海水浴場および快水浴場百選にも選定されている白浜海水浴場などがあり、夏期には多くの海水浴客が訪れる。また音海半島と大浦半島では若狭湾のリアス式海岸が楽しめる。
- 山:青葉山、三国岳 (若狭国・近江国・丹波国) 616m - 福井県高浜町・京都府舞鶴市・綾部市に跨る。
- 河川:関屋川、子生川
- 半島:大島半島、音海半島、大浦半島
- 湾:青戸入江、内浦湾、高浜湾(音海半島と大島半島の若狭湾の通称)
歴史
古代
高浜町は大飯郡の西部地域でしかないため、以下大飯郡全域の歴史を記載する。 古代および大和政権下においては、大飯郡の名が示すように大炊寮という役所が管轄する地域であった。安倍氏や高橋氏など天皇家の食材を司る豪族が、拠点の一つを岡津地区や青郷に構え、塩や魚といった海産物を朝廷に納めていた。
中世・近世
南北朝時代には足利尊氏が戦賞として青郷を宛がわれ足利基氏に相続されたという(のちに将軍家にもどった)。室町時代初期は一色氏が守護を務め、中期・後期は若狭武田氏が替って守護に任命された。若狭武田氏は足利将軍家とも縁戚であり都の公卿や高僧も若狭武田氏の威勢を頼み多数若狭へ下向していた。しかし戦国時代に、代々武田家の家臣の家柄の身でありながら隣国である丹波の丹波守護代内藤氏(松永氏)の後ろ盾を得て若狭守護武田氏に謀反を起こし従わなくなった逸見昌径が勢力を得る。
青郷は足利将軍家の直割料である御料所の一つであったが、室町幕府内で奉公衆(将軍親衛隊)の地位にあり、青郷の将軍家料代官でもあった大草氏を、逸見氏は攻めた。同じく足利将軍家の直属の家臣であったおおい町の本郷氏領・佐分氏領をも攻め、若狭に於ける三好政権下の武将の一人となる。しかし、三好氏に代わり織田信長の勢力が大飯郡に及ぶと、逸見氏は織田氏にあっさりと臣従した(織田氏により後に逸見氏は断絶させられることになるが)。
青郷を追われた大草氏の当主である大草公重は、足利義昭の側近として常に傍に仕え、同じく奉公衆である三淵氏・大舘氏らとともに朝倉義景・織田信長と交渉を重ね足利義昭を15代将軍として擁立するため奔走。越前一乗谷にも随行し、さらに義昭が将軍に就任するため上洛するときも警備するなど、誠実な室町幕府の忠臣として史上大活躍した(江戸時代は徳川家康に認められ、江戸幕府から上級旗本に列せられた)。
ところで、逸見氏は、若狭武田家初代武田信栄の菩提寺である長福寺を移転させ、その地に高浜城を築いた。その後織田信長に高浜領を改易された(逸見家からの領地召し上げ・逸見家臣団の解散)ことから、その他多くの国人と同じく織田信長に一時利用されただけの存在といえる。
逸見家の領地の約半分は、その後、逸見家の本来の主である旧若狭守護である武田家に返された。残りの高浜城を含む主要部分は尾張以来の織田家忠臣である溝口家のものとなる。
豊臣期の領主は、変遷したが、関ヶ原後、徳川家康の論功行賞により、京極氏の兄弟が、それぞれ若狭、丹後の国持大名となった。この時期に小浜城主京極高次の弟、宮津城主京極高知の娘婿、八条 皇子が丹後・若狭を遊覧し青葉山にちなむ和歌を詠んだ。「はちじょう の みこ」とは八条宮智仁親王のことで、京都八条通りに有名な、桂離宮を造営した人物である。歌人であった親王は、親族の領国であった丹後・若狭の名所をめぐり多数の歌を残した(嫁の実家の宮津にある天橋立の歌が中でも多い)。 江戸時代中期以降は小浜藩の一部となり、一国一城令により、高浜城は廃城。和田に代官所が置かれた。
若狭高浜藩
最後の高浜城主木下利房は江戸の徳川家康から大飯郡全域の領有を許され高浜藩2万石が成立した。利房は関ヶ原の戦いにおいて西軍に属したため戦後領地を没収されたが、あらたに備中足守において25000石を領することを認められ足守藩主となった。
沿革
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、中津海村・鐘寄村・畑村・立石村・高浜村(高浜塩土町・高浜若宮町・高浜三明町・高浜事代町・高浜宮崎町)・薗部村・岩神村・笠原村・子生村・坂田村の区域をもって高浜村が発足。
- 1912年(明治45年)4月1日 - 高浜村が町制施行して高浜町となる。
- 1955年(昭和30年)2月11日 - 高浜町・青郷村・和田村・内浦村が合併し、改めて高浜町が発足。
人口
高浜町(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
行政
- 政策推進室
- 総務課
- 財政課
- まちづくり課
- 建設整備課
- 保健課
- 福祉課
- 上下水道課
- 出納室
町長
- 町長:野瀬豊
- 歴代町長
- 湯浅銀次郎
- 松岡謹吾
- 浜田倫三
- 田中通
- 今井理一
経済
人口は1990年(平成2年)をピークに減少しているが、その減少幅は小さく、同じ若狭地方でも過疎化に悩む他の市町村とは状況を異とする。その一番の要因は町内の内浦地区にある関西電力の原子力発電所の存在で、町の大きな財源でもある。また関西電力の資金協力の下、2003年(平成15年)には町内を横断する小浜線が電化された。敦賀市と共に地方交付税(普通交付税)の不交付団体である。産業面では他地域に後れを取るものの、2006年(平成18年)には町内の工業団地を完売した。
経済的な繋がりとして、舞鶴都市圏に属し、隣接する舞鶴市と日常的な交流が深い。また、若狭地方の中心都市である小浜市とも交流がある。
- 産業人口(2005年国勢調査)
- 第一次産業:520人
- 第二次産業:1,615人
- 第三次産業:3,665人
漁業
- 高浜漁港
- 小黒飯漁港
- 音海漁港
- 上瀬漁港
- 内浦漁港
立地企業
金融機関
交通
鉄道路線
- 中心となる駅:若狭高浜駅
- 隣接市町村への連絡
- 都道府県庁への連絡
- 広範囲な連絡
バス路線等
道路
- 都道府県道
- 福井県道16号坂本高浜線
- 京都府道・福井県道21号舞鶴野原港高浜線
- 福井県道149号音海中津海線
- 福井県道150号青郷停車場線
- 福井県道236号高浜港高浜停車場線
- 福井県道237号畑若狭和田停車場線
- 福井県道241号赤礁崎公園線
- 福井県道266号犬見崎和田線
- 福井県道・京都府道772号高浜舞鶴線
- 福井県道802号小浜大飯高浜自転車道線
姉妹都市
海外
日本国内
- 友好都市
- その他
医療
教育
- 保育所
- 高浜町立高浜保育所
- 高浜町立和田保育所
- 高浜町立青郷保育所
- 高浜町立内浦保育所
- 小学校
- 中学校
名所・旧跡
寺社
- 中山寺 - 聖武天皇の勅願寺と伝える。本堂および本尊・馬頭観音坐像は国の重要文化財に指定。(北陸観音霊場・北陸白寿観音霊場の第1番札所。若狭観音霊場の第33番札所)
- 馬居寺 - 聖徳太子創建と伝える。本尊馬頭観音坐像は国の重要文化財に指定。北陸観音霊場の第2番礼所、若狭観音霊場の第30番礼所
- 長福寺 - 若狭武田氏 初代武田信栄の菩提寺 若宮地区
- 大成寺 - 初代鎌倉公方である足利基氏(瑞泉寺殿)が父足利尊氏の菩提を弔うために建立し当初は瑞泉寺と称した。青郷は足利将軍家の領地であり室町幕府内で奉公衆だった大草氏の庇護のもと栄え末寺塔頭計八ヶ寺を有した。若狭観音霊場の第31番礼所
- 正楽寺 - 若狭観音霊場の第32番礼所
- 青葉山東峰の山頂には青葉神社、西峰の山頂には青葉神社西権現が祀られている。
自然 ・ 景観
- 青葉山 -若狭富士とも呼ばれる名山。
- 三国岳 - その名が示す通り、若狭国・丹後国・丹波国の交わる場所に位置する山
- 音海半島 -音海大断崖等の大岸壁
- 風島 - 音海半島高浜湾側にある無人島
- 八穴の奇勝 - 明鏡洞など
- 城山公園 - 日本の夕陽百選(NPO・日本列島夕陽と朝日の郷づくり協会選定)
- 日引の棚田 - 日本の棚田百選(農林水産省選定)
- 日本二十五勝の海岸景勝地として「若狭高浜・屋島・鞆の浦」が、1927年に選定された。
施設・公園
- 若狭たかはまエルどらんど - 体験型自然科学学習館。
- 城山公園 - 岬にある城山一帯の公園。城山展望台、トイレ完備(駐車場完備、夏場のみ有料)。
- 五色山公園 - 桜、牡丹、ツツジの名所
海水浴場
- 若狭和田海水浴場 - 環境省の『快水浴場百選』に選定されている美しい遠浅の海岸。
- 難波江海水浴場
- えびす浜パーク(西三松海水浴場)
- はまなすパーク(東三松海水浴場)
- 若宮海水浴場
- 城山海水浴場
- 鳥居浜海水浴場
- 白浜海水浴場
主な有名人
- 朽木英次(元ラグビー日本代表)
- 高橋聡文(プロ野球選手、阪神タイガース)
- 神谷宗幣(吹田市議会議員)
- 阪口源太(インターネット赤ちゃんポスト創設者)
- 釈宗演(明治・大正期の臨済宗の僧)
脚注
関連項目
外部リンク