高橋伴明
高橋 伴明(たかはし ばんめい、1949年5月10日 - )は、日本の映画監督。脚本家として剣山象、高橋伴の名義で活動したこともある。
株式会社ブロウアップ代表取締役、京都造形芸術大学教授・映画学科長(2012年度より)[1]。日本映画監督協会専務理事。
女優の高橋惠子は妻。
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経歴
奈良県奈良市出身[2]。華道の家に生まれる。東大寺学園高校卒業、早稲田大学第二文学部中退。大学時代には映画研究会に所属し、学生時代からピンク映画の現場でアルバイト生活を送る。同時に学生運動にも身を入れ、第二次早稲田大学闘争に参加したことで、大学を除籍されて中退。
1972年にピンク映画『婦女暴行脱走犯』で監督デビューする[2]が、しばらくブランクが続く。
1975年、若松プロに参加して間もなく監督復帰。1980年までは主としてピンク映画で活躍し、ピンク映画界では若手監督として中村幻児と並び称される存在だった。今日でもいくつかの作品が代表作としてDVDや再上映で親しまれている。
1982年、自身初となる一般映画『TATTOO<刺青>あり』を監督。1979年の三菱銀行人質事件の犯人に材を取り、キネマ旬報ベストテンの6位、ヨコハマ映画祭監督賞を受賞。同作でヒロインを演じた関根恵子と同年2月から交際し6月に結婚。大島渚と小山明子夫妻が仲人を務めた[3]。
1982年には1979年から主宰していた高橋プロを解散して、監督集団「ディレクターズ・カンパニー」に参加。1984年に小林よしのりが原案・脚本を担当した石井聰亙監督作品『逆噴射家族』のプロデューサーを務めた。
1990年に東映Vシネマで『ネオチンピラ・鉄砲玉ぴゅ〜』を監督。同作で東映上層部の反対を押し切り、当時はまだ無名だった後の「Vシネの帝王」こと哀川翔を主演に抜擢した[4][5]。
1990年代以降は一般映画、任侠系などを中心に活躍する。
2015年、『赤い玉、』が第39回モントリオール世界映画祭(8月27日から9月7日まで開催)のワールド・グレイツ部門に出品される[6]。
作品
映画
- 1982年
- 1983年 『ザ・力道山』
- 1988年 『DOOR』
- 1989年 『危ない話』
- 1991年 『獅子王たちの夏』
- 1993年
- 1994年
- 1996年
- 1998年 『大いなる完 ぼんの』
- 2001年 『光の雨』
- 2004年 『火火』
- 2008年
- 2010年 『BOX 袴田事件 命とは』
- 2011年 『MADE IN JAPAN 〜こらッ!〜』
- 2012年 『道〜白磁の人〜』(日韓共同制作)
- 2015年 『赤い玉、』[7]
- 2016年 『塀の中の神様』[8]
テレビドラマ
1984年『探偵物語』(TBS・日曜ファミリードラマ)
オリジナルビデオ
ビデオ作品
- 1985年 『ANDREE MARLRAU LIVE/萩原健一』(Laser Disc/VHS。のちにDVD)
出演
脚注
- ↑ 高橋伴明学科長からのメッセージ、京都造形大学映画学科、2013年10月26日閲覧。
- ↑ 2.0 2.1 高橋伴明プロフィール ブロウアップ
- ↑ 「関根恵子さん結婚」『中日新聞』1982年6月9日付
- ↑ 谷岡雅樹『アニキの時代 Vシネマに見るアニキ考』角川SSC新書、2008年、p.49
- ↑ 哀川翔『俺、不良品。』東邦出版、2001年、pp.96-97
- ↑ “奥田瑛二主演「赤い玉、」モントリオール世界映画祭に出品”. スポーツ報知 (2015年7月14日). . 2015閲覧.
- ↑ “高橋伴明監督、20年ぶりエロス作…奥田瑛二&柄本佑“義理親子”が共演”. シネマトゥデイ (2015年4月30日). . 2015閲覧.
- ↑ “「法の華三法行」元代表・福永法源氏、波乱の半生描く「塀の中の神様」で俳優デビュー”. 映画.com (2015年9月18日). . 2015閲覧.
外部リンク
- 株式会社ブロウアップ
- 高橋伴明 - allcinema
- | sub | s=0000000847109 | -7 }}/ Banmei Takahashi - インターネット・ムービー・データベース(英語)