高松港
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高松港 | |
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所在地 | |
国 | 日本 |
所在地 | 香川県高松市 |
座標 | 東経134度3分北緯34.367度 東経134.05度 |
詳細 | |
開港 | 11世紀頃 |
管理者 | 香川県 |
種類 | 重要港湾、特定港 |
泊地面積 | 274万6700m2 |
陸地面積 | 217万2000m2 |
面積 | 31km2 |
フェリー取扱量 | 11px4888万3205トン(全国第2位) |
主要輸出品 | 再利用資材、化学薬品 |
主要輸入品 | 木製品、原木、衣類 |
公式サイト | 香川県高松港湾管理事務所 |
高松港(たかまつこう)は、香川県高松市にある港湾。港湾管理者は香川県。港湾法上の重要港湾、港則法上の特定港に指定されている。
Contents
概要
備讃瀬戸東部の中央部に位置しており、本州や小豆島、直島諸島などの離島と四国を結ぶ海上交通の要衝で、入港船舶隻数、フェリー旅客数およびフェリー貨物トン数が全国第2位(2004年度)という日本屈指の旅客港である。特に宇高航路の旅客及びトラック輸送が利用客の大部分を占める。
港湾区域は高松市屋島西町の長崎の鼻から女木島の帆槌の鼻、生島町紅峰東北端までに至る地域(高松漁港及び浦生漁港を除く)[1]で、東から屋島、朝日、玉藻、西浜、弦打、香西、神在、生島の各地区から構成されている。
フェリー乗り場は高松駅から徒歩5分ほどでアクセスできる。
レストハウス近くにある高松港・玉藻地区5万トン級岸壁には長さ310m(うち85mはドルフィン形式)までの船舶が停泊でき、大型客船や海自、海保などの船舶が寄港する。
歴史
- 高松港がある場所はかつて野原郷と呼ばれていた。11世紀ごろまでにこの地に港町が開かれ、交易によって繁栄していた。
- 1588年(天正16年)、豊臣政権下で讃岐一国の領主に封じられた生駒親正が、野原郷を高松と改称して高松城(玉藻城)の築城と城下町の整備をするとともに、内町港を築造する。1642年(寛政19年)、生駒騒動後に水戸徳川家から讃岐高松に入封した松平頼重は、矢野部伝六を起用し西浜港(現瀬戸内町、高松漁港)、堀川港(現浜ノ町)、東浜港(現城東町)等の港を改修。御用船、商船、漁船、金毘羅船などが入港して賑わった。
- 1897年(明治30年)から1908年(明治41年)にかけて高松市の近代港湾整備計画により、第一次から第四次に渡る築港建設工事が行われ、近代港湾として整備された。(この時の事業で高松城周辺の玉藻浦、堀川などが埋め立てられている。)また、山陽鉄道において鉄道の丸亀より高松港までの延伸と高松駅の整備などが行われた(現在の予讃線)。その後1910年(明治43年)、岡山県で国鉄岡山駅-宇野駅が開通したのに伴い、宇野 - 高松間に連絡船が就航した。
- 1923年(大正11年)、高松市から香川県に移管され、1927年(昭和2年)に県営桟橋事務所が完成。1928年(昭和3年)、内務省直轄施工による拡張修築工事が完成し、市主催の築港完成記念全国産業博覧会が開催された。
- 1951年(昭和26年)重要港湾の指定を受ける。工業用地、貨物置場の埋立、中央埠頭の整備などが続けられる。
- 1963年(昭和38年)には港湾区域が変更され、弦打、神在、香西、生島の各港が高松港に含まれる。
- 1998年(平成10年)より再開発事業が開始される。詳細はサンポート高松を参照。
サンポート高松
玉藻地区東部は、瀬戸大橋が開通するまでは高松駅と一体となり国鉄・JR四国の宇高連絡船が就航し、四国の玄関口として賑わった。現在もウォーターフロント再開発により誕生したサンポート高松を中心に旅客と観光客とで賑わう。
小豆島航路
- フェリー
- 高速船
- 四国フェリーグループ:高松港 ~ 土庄港 (スーパーマリン)
- 内海フェリー:高松港 ~ 草壁港 (サンオリーブシー)
直島諸島航路
宇高航路
※宇高航路も参照。乗り場はサンポートから東側に離れて会社別に設置。
高松東港
関西航路
イベント
関連項目
- 高松港旅客ターミナルビル
- 北浜alley
- せとシーパレット
- さぬき高松まつり 花火大会会場となっている。
- 瀬戸内国際芸術祭 会場の一つになっている。
- 西日本放送 かつて、放送スケジュールが終了した際のクロージング(1980年頃から1987年頃まで放映された、現在放映されている物から5世代前の仕様)の背景に夜の赤灯台の映像を使用していた。
参考文献
外部リンク
- 高松港湾管理事務所 - 香川県
- 高松港湾・空港整備事務所 - 国土交通省四国地方整備局
- サンポート高松 on the Web - 高松観光コンベンション・ビューロー