雑穀
雑穀(ざっこく)(英: millet )とは、主穀ではない穀類の総称[1][2]。生物学的分類ではなく農学的分類である。日本では「主穀」は基本的に米を指すが麦を含めることも多いとされ[1]、一般に米・小麦・大麦を除く穀類及び擬似穀類を「雑穀」とするが[3]、一方で「雑穀」に豆類を含めるかどうかについて分かれるなど曖昧さをもつ概念である[1]。ただ、いずれも小規模に作付けされ、世界中で食糧や飼料として広く栽培されている作物である。それらの本質的な類似点は、生産性が低い環境に育つ小規模に作付けされた草本ということである。中国の新石器時代や韓国の無文土器時代など、原始的な社会の食生活においては、米よりもむしろ雑穀が重要部分を構成していた。
雑穀の種類
雑穀は、狭義ではイネ科の草本のキビ亜科に含まれる穀類を指すが、日本ではもっと広い意味を持ち、キビ亜科以外のイネ科穀物では、モロコシ属のソルガム、ハトムギも含まれ、大豆、小豆、菜豆の豆類、ソバ、キヌア等の擬似穀類、ナタネ、ゴマ、ヒマワリ等の油糧作物他を含む。
- イネ科雑穀類
- キビ亜科
- トウジンビエ(Pennisetum glaucum) - 「クロキビ」の別名がある。
- アワ(Setaria italica)
- キビ(Panicum miliaceum)
- シコクビエ(Eleusine coracana)
- ヒエ(Echinochloa spp.)
- スズメノコビエ(Paspalum scrobiculatum)
- スマトラキビ(Panicum sumatrense)
- ブラキアリア・デフレクサ (Brachiaria deflexa = Urochloa deflexa)
- ケニクキビ(Urochloa ramosa = Brachiaria ramosa = Panicum ramosum)
- テフ(Eragrostis tef)
- フォニオ (Digitaria exilis)
- その他のイネ科雑穀
- キビ亜科
- 豆類
- 擬似穀類
- 油糧穀類
生産の歴史
中尾佐助は『栽培植物と農耕の起源』で、バビロフやマードックらの研究を元に、紀元前5000年から4000年頃に西アフリカのニジェール川流域でマンデ族( (Mandé) )が行い、後東アフリカから東アジアへ伝播した農耕文化体系とし、栽培法が似ていることと、シコクビエと呼ばれる雑穀が、いわゆる稲作文化圏で栽培されていることから、「『稲作文化』という独立した農耕文化は存在しない」と主張している。また植物考古学者と呼ばれる専門的な考古学者も、遺跡から見つかった炭化した穀物の相対的な豊富さなどのデータによって、雑穀栽培は原始時代、特に中国北部と朝鮮半島ではコメよりも広く普及していたという仮説を立てている。
キビとアワは、中国の新石器時代初期には重要な作物であった。例えば、中国における雑穀栽培の最古の痕跡は磁山(北部)と河姆渡(南部)において発見されている。磁山時代は紀元前7000年から5000年と推測され、竪穴式住居、貯蔵用の穴、土器、農耕に用いられたと考えられる石器および炭化したアワを含んでいる。4000年前の、アワとキビから作られた麺が入っている保存状態の良好なボウルが、中国の喇家遺跡で見つかった。なお、収穫したキビを基準に重さの単位が作られ、やがてこれが通貨の単位ともなった(「両」を参照)。
植物考古学者は、朝鮮半島において、中期櫛文土器時代(紀元前3500から2000年頃)と推定される雑穀農耕の痕跡を発見している(Crawford 1992; Crawford and Lee 2003)。雑穀は、無文土器時代(紀元前1500から300年頃)の集約的で複合的な農業においても引き続き重要な要素であった。キビやヒエなどの雑穀及びその原種は日本でも紀元前4000年以降の縄文時代に栽培されていた(Crawford 1983, 1992)。デンマークのユトランド半島で見つかったHaraldskar Womanの分析に基づくと、少なくとも鉄器時代にはヨーロッパ北部でも雑穀が利用されていたようである。
雑穀に関する主要な研究は国際半乾燥熱帯作物研究所 および米国農務省農業研究局によって行われている。
現代における雑穀の利用
雑穀は、世界中の乾燥地及び半乾燥地における主要な食物資源である。西インドでは、その地域の主食である平らなパン(「ロティ」と呼ばれる)を作るために、何百年間もの間、よく雑穀の粉(グジャラート語とマラッタ語で「バジャン」)をジョワル(ソルガムをマラッタ語でジュワンと呼ぶ)と一緒に用いてきた。 例えば蘭嶼のタオ族や東アフリカの様々な民族などいくつかの文化において雑穀は、ソルガムと共に伝統的に雑穀酒を醸造するのに重要な作物であった。
雑穀は、バルカン半島の国々においてボザという発酵性の飲み物を作るのに使われている。
雑穀粥は伝統的なロシア料理である。甘くして食されたり(調理過程の最後に牛乳と砂糖を加える)、塩味にして肉や野菜のシチューと共に食べられたりする。
セリアック病の患者は、その食生活において、朝食シリアルを含む様々な形態である種の穀物を雑穀利用で置き換えることがある。雑穀はソバ、コメ、キヌアの代替としてもレシピの中でしばしば用いられる。
日本ではかつて重要な主食穀物であったが、昭和期に米が増産されるとともに消費と栽培が廃れた。現代の日本では、家畜、家禽、ペット(ハムスター、小鳥など)の餌など飼料用としての利用が多いが、最近になり優れた栄養価をもち、また食物繊維も豊富なことから健康食品として見直されつつあり、五穀米や十穀米など食用として利用されつつある。需要が増えてきたが生産量は少ないため、米よりも高価格帯で取引されている。増加しつつある米や小麦に対する食物アレルギーの患者のための主食穀物としての需要も期待されている。
栄養
雑穀のタンパク質含有はコムギと非常に似ている。どちらも重量の約11%のタンパク質を含有している。
雑穀はビタミンB群、特にナイアシン、B17、B6や、葉酸、カルシウム、鉄分、カリウム、マグネシウム、亜鉛が豊富である。雑穀はグルテンを含まないため、酵母で膨らませるパンには向かない。しかしコムギやキサンタンガムと混ぜれば(セリアック病の患者のために)、酵母で膨らませるパンに使うことができる。平らなパンに向いている。
どの雑穀も麦と近縁種ではないので、セリアック病や他の小麦に対するアレルギーや過敏症のある人に適する食べ物となっている。しかし、甲状腺ペロキシダーゼを抑制するので、甲状腺の病気がある人は大量に摂取するべきではないだろう。
調理
基本的な準備は、雑穀を洗って、特徴的な匂いがするまで動かしながらから煎りすることである。そして2カップの雑穀に対して砂糖か塩と共に5カップの湯を加え、ふたをして弱火で30分から35分間煮ると粥が出来る。
西アフリカから日本に至るサバンナ農耕文化圏では、製粉し、湯取り(沸騰した鍋に入れる)の後、団子や餅にする調理法が一般的である。中尾佐助『料理の起源』によれば、日本の稗栽培圏に「湯を沸かし 沸騰したところでヒエの実を入れ、ゴロギヤという棒でかき回し、蒸す」という方法があったという。そのような食文化圏の人が米の飯を振舞われた際「蛆を食っているようで、あんまり旨くない」と言ったそうである。
また、西アフリカの代表的料理フフのような、穀物を煮て、臼とタテギネで搗いて荒く製粉し、固めに煮て餅状にする調理法もある。
関連項目
出典
脚注
参考文献
- Crawford, Gary W. Paleoethnobotany of the Kameda Peninsula. Museum of Anthropology, University of Michigan, Ann Arbor, 1983.
- Crawford, Gary W. Prehistoric Plant Domestication in East Asia. In The Origins of Agriculture: An International Perspective, edited by C.W. Cowan and P.J. Watson, pp. 117-132. Smithsonian Institution Press, Washington, 1992.
- Crawford, Gary W. and Gyoung-Ah Lee. Agricultural Origins in the Korean Peninsula. Antiquity 77(295):87-95, 2003.