長谷川四郎 (政治家)

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長谷川 四郎(はせがわ しろう、1905年1月7日 - 1986年8月7日)は、日本政治家衆議院議員自由民主党所属)。魚屋(自称)から衆議院副議長にまで上り詰めた立志伝中の人物として知られる。また、親しみやすい人柄で「シローさん」の愛称で誰からも親しまれた。

来歴・人物

群馬県山田郡出身。高等小学校卒。貧困の中で苦学しながら政治を志す。魚乾物商を営みながら政界への進出を伺い、桐生商工会議所副会頭、群馬県議を経て、1949年第24回衆議院議員総選挙群馬2区で、民主党(その後改進党から保守合同で自民党になる)から衆議院議員に当選(当選同期に池田勇人佐藤栄作岡崎勝男前尾繁三郎橋本龍伍麻生太賀吉小渕光平西村英一橋本登美三郎福永健司塚原俊郎藤枝泉介木村俊夫稲葉修河本敏夫森山欽司床次徳二有田喜一など)。

通産政務次官、衆院商工委員長、同農水委員長、自民党国会対策委員長第2次佐藤内閣農林大臣などを歴任。自民党では岸信介川島正次郎椎名悦三郎派(交友クラブ)に所属。1972年荒舩清十郎衆議院副議長が日本社会党日本共産党に対し中傷的な発言をしたとして辞任し、後任として副議長に就任(在任1972年1月29日 - 1972年11月13日)。1976年福田赳夫内閣建設大臣に就任した。

副議長退任後も椎名悦三郎の側近として椎名裁定などで奔走し、党内で重きをなした。また党内有数の繊維族議員としても活躍した。1979年中川派結成に最長老として参加、同派座長に就任し中川一郎を名実共に総理総裁候補に推すべく苦心した。中川死去の翌1984年福田赳夫率いる福田派に合流。1986年に政界引退を表明(地盤は谷津義男が引き継いだ)。当選回数14回。同年8月7日死去。享年81。

1978年4月29日勲一等旭日大綬章を受章。群馬県政界の実力者として知られ、死後、第一号の群馬県名誉県民になった。

関連項目


議会
先代:
荒船清十郎
日本の旗 衆議院副議長
第50代:1972年
次代:
秋田大助
先代:
野原正勝
日本の旗 衆議院農林水産委員長
1962年 - 1963年
次代:
松本一郎
先代:
小平久雄
日本の旗 衆議院商工委員長
1958年 - 1959年
次代:
中村幸八
公職
先代:
中馬辰猪
日本の旗 建設大臣
第40代:1976年 - 1977年
次代:
櫻内義雄
先代:
西村直己
日本の旗 農林大臣
第40代:1968年 - 1970年
次代:
倉石忠雄
党職
先代:
佐々木秀世
自由民主党国会対策委員長
第13代:1967年 - 1968年
次代:
園田直

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