長幡忠夫

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長幡 忠夫(ながはた ただお、1942年8月18日 - )は兵庫県西宮市出身の元プロ野球選手外野手)。

来歴・人物

兵庫県立尼崎高等学校では1959年、2年生の時に春の甲子園に出場。大会第2号となる本塁打を打ち、チームは準決勝に進むが、優勝した中京商に敗退[1]。翌1960年春季近畿大会でも決勝で宮津高を降し優勝するが、夏は県予選準々決勝で土井正三のいた育英高に敗れ、甲子園には出場できなかった。高校同期に合田栄蔵、高校1年上に児玉禎彦がいる。

1960年11月7日阪神タイガースに入団。しかし一軍公式戦出場がないまま、1962年限りで引退した。

詳細情報

年度別打撃成績

  • 一軍公式戦出場なし

背番号

  • 57 (1961年 - 1962年)

脚注

  1. 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年

関連項目