長居

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長居スタジアム
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大阪市立長居小学校
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JR阪和線 長居駅

長居(ながい)は、大阪府大阪市住吉区東部および同市東住吉区西部の地名である。

本項では同地域にかつて所在した住吉郡東成郡長居村(ながいむら)についても述べる。

概要

現在の住居表示としては、住吉区長居1-4丁目・長居西1-3丁目・長居東1-4丁目、および東住吉区長居公園がある。住吉区側は住宅地となっていて、一戸建て住宅と団地・マンションが混在している。東住吉区側についてはほぼ全域が長居公園の敷地となり、公園内に各種施設が設置されている。2005年度の国勢調査によると、地域の人口は24,279人となっている。

鉄道は阪和線大阪市高速電気軌道御堂筋線が通り、長居駅が設けられている。阪和線はかつて地平を走っていたため、踏切は開かずの踏切となっていて交通に支障をきたし、それに伴う交通渋滞などが問題となっていた。阪和線の高架化工事が2006年に完成したことに伴って踏切問題は解消された。

道路は南北方向にあびこ筋が通り、東西方向には長居公園通が通っている。また地域の東端には長居公園東筋が通っている。長居公園通・長居公園東筋にはそれぞれ大阪シティバスのバス路線が開設されている。

長居の地名は、地域内にあった大御池が「長居池」の通称で呼ばれていたことに由来する。なお、大御池(長居池)は現存しない。

「長居」や「長居陸上競技場」などを、マスコミ報道では「がい」と「な」にアクセントを置いて発音されるが、正しくは、「ながい」とアクセント無しか、「ない」と「が」にアクセントを置く。マスコミ報道でも、「長居公園」や「長居スタジアム」というときは「長居」が正しいアクセントで発音されているので、それに合わせるのが適当である。

歴史

ながいむら
長居村
廃止日 1925年4月1日
廃止理由 編入合併
天王寺村平野郷町喜連村北百済村南百済村田辺町依羅村長居村墨江村住吉村安立町敷津村 → 大阪市住吉区
現在の自治体 大阪市
廃止時点のデータ
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
東成郡
総人口 2,400
国勢調査1920年
隣接自治体 東成郡田辺町、依羅村、住吉村、南百済村
中河内郡矢田村
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現在の長居地域は、江戸時代には摂津国住吉郡寺岡村・堀村・前堀村の3つの村に分かれていた。農村地帯として、蔬菜などの栽培がおこなわれていた。寺岡村・前堀村は相模小田原藩領、堀村は下総古河藩領となっていた。

明治時代に入り、1889年の町村制の実施に伴い、寺岡村・堀村・前堀村は周囲の村と合併し、住吉郡依羅(よさみ)村が成立した。

その後1894年には、依羅村から旧寺岡村・堀村・前堀村の地域が分離して、住吉郡(のち東成郡)長居村として独立した。

長居村は1925年大阪市に編入され、住吉区に属した。旧長居村の地域は、かつての寺岡村の地域(長居村大字寺岡)が「住吉区西長居町」、かつての堀村の地域(長居村大字堀)が「住吉区東長居町」、かつての前堀村の地域(長居村大字前堀)が「住吉区南長居町」となった。また1943年には当時の住吉区から阿倍野区東住吉区を分離したことに伴い、長居公園の予定地は東住吉区の所属となった。何度かの町名改正を経て、1981年の住吉区全域での住居表示実施により現在の町名となっている。なお、旧長居村の範囲と、現在「長居」の住居表示となっている地域との間には、若干の範囲の違いがある。

1928年から地域内に長居公園の整備計画が始まった。大阪市が公園予定地の買収などをおこなったが、第二次世界大戦の激化に伴って公園整備計画は一時中断され、防空陣地や農場などに転用された。公園は終戦後競馬場競輪場として一時使用されたのち、1959年から公園整備が再開された。

一帯は第二次世界大戦終戦直後までは農村地帯だったが、1950年代初期頃から宅地開発が進められ、団地や住宅が建ち並ぶ住宅地へと変化した。

沿革

主要施設

関連項目