釧路新聞
釧路新聞(くしろしんぶん)、釧路新聞社が発行している地方紙。釧路総合振興局管内と根室振興局管内を発刊エリアとする。通称釧新(せんしん)。
明治期の歌人石川啄木が勤務した「釧路新聞」は現在の北海道新聞の前身であり、現在の釧路新聞社とは関係はない。
歴史
1946年(昭和21年)に創刊された雑誌「月刊クシロ」が「東北海道」へ改題した後に新聞化され[1]、11月27日に「東北海道新聞」という題号で新聞を創刊した[2]。
北海タイムスと提携して1953年(昭和28年)2月16日まに「東北海道新聞」としての発行を停止し[1]、「東北海道新聞」という新聞は合併されて消滅した[2]。
北海道新聞が所有していた「釧路新聞 (2代目)」の題字を譲り受け[1]、「(3代目)釧路新聞」を1955年(昭和30年)12月11日に新たに創刊した[2]。
「東北海道新聞」と「(3代目)釧路新聞」の発行には直接的な連続性がないため、国立国会図書館の「東北海道新聞」と「(3代目)釧路新聞」の書誌詳細には前身紙や後身紙として記述されておらず[3][4]、釧路市地域史研究会の『釧路市統合年表:釧路市・阿寒町・音別町合併1周年記念』でも同様である[2]。
ただし、釧路市立釧路図書館は「東北海道新聞」と「(3代目)釧路新聞」を歴史的な連続性を持ったものとして扱っている[1]。
日本新聞協会、全国郷土紙連合加盟社。購読料は1ヵ月2,980円[5]、1部100円(朝刊のみ発行)。発刊部数は公称56,000部。「一戸に一部」を合い言葉に内容よりも部数増最優先の経営方針を貫いている。
以前は、十勝地方にも進出して帯広支局を設けて、初代題号だった「東北海道新聞」を発刊していたものの、他紙の十勝毎日新聞や北海道新聞の牙城を崩せずに撤退した経緯がある。また、最近は社内で3S運動と称する徹底した管理体制を敷くことで社員の資質向上に努めている。また、経営者は独創的な発想が持ち味で、社員のコミュニケーションを高めるための場所を設けようと、丸テーブルを設置した。その他に、2001年にCTS(電算写植システム)を導入した。
本社・支社・支局
- 初代:片山睦三(創設者)
- 2代:平川剛喜(1994年[7] - 2003年[7])
- 3代:春日井茂(2003年3月[8] - 2015年9月[8][9])
- 4代:片山裕子[6](2015年10月[10] - )
編集方針
「道東100万人の郷土紙」と謳い、地域に密着する姿勢を明確にしている。
番組表
テレビ番組表では2011年秋にテレビ北海道の中継局が設置されるまでは、既存局(NHK総合テレビジョン、NHK教育テレビジョン(Eテレ)北海道放送、札幌テレビ放送、北海道テレビ放送、北海道文化放送)のみ掲載されており、TVHは省略されていたが、中継局設置後はTVHも収録も開始した。なお北海道新聞ではケーブルテレビでの配信を踏まえて道央での開局時より掲載されている。
主催事業
- 毎年8月16日に新釧路川河畔公園沿いで「釧新花火大会」を開催している。
- くしろ氷まつりで釧新宝くじ付き餅まき大会を催している。
- 釧新あさ野球大会は釧路で一番参加チームが多い大会である。
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 引用エラー: 無効な
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タグです。 「kushiro-history-list-2006
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ “国立国会図書館サーチ 書誌詳細 東北海道新聞”. 国立国会図書館. . 2014-6-1閲覧.
- ↑ “国立国会図書館サーチ 書誌詳細 釧路新聞”. 国立国会図書館. . 2014-6-1閲覧.
- ↑ 釧路新聞社. “購読案内”. . 2014閲覧.
- ↑ 6.0 6.1 6.2 6.3 釧路新聞社. “会社案内”. . 2014閲覧.
- ↑ 7.0 7.1 “釧路新聞社前社長平川氏が死去”. 釧路新聞 (なまら北海道). (2013年9月26日) . 2016閲覧.
- ↑ 8.0 8.1 “春日井茂本社社長 急逝/宮古島に出張中”. 釧路新聞. (2015年9月19日) . 2016閲覧.
- ↑ “春日井茂さんが死亡 釧路新聞社長、遊泳中に”. 日本経済新聞. (2015年9月19日) . 2016閲覧.
- ↑ “釧路新聞 新社長に片山裕子氏を選任”. 釧路新聞. (2015年9月19日) . 2016閲覧.
外部リンク
- 釧路新聞(日本語)