金華山 (岐阜県)
金華山(きんかざん)は、岐阜県岐阜市にある標高329mの山。旧名稲葉山(いなばやま)。
概要
岐阜市のシンボル的存在で、市民のランドマークや憩いの場となっており、夜景が美しいことからデートスポットとして県外から訪れる客も多い。西側山麓には岐阜公園、岐阜県歴史資料館、岐阜市歴史博物館、名和昆虫博物館などの文化施設、伊奈波神社、岐阜護國神社、善光寺安乗院などの神社・寺院があり、山頂付近には岐阜城、隅櫓を模した岐阜城資料館の他、金華山リス村、売店や展望レストランなどがある。山頂へは金華山ロープウェーが通じ、南に連なる瑞龍寺山(通称:水道山)には金華山ドライブウェイも走り、南端には瑞龍寺がある。
自然
山全体は、ツブラジイ・アラカシを主とした照葉樹で覆われており、照葉樹林の最終的な姿と言われている極相林となっている。金華山の山名は、ツブラジイの花が咲くと山全体が黄色く見え、金色に輝いて見えることに由来する。岐阜城が使われていた時代は、古図などから元々は松の山であった様である。徐々にシイの木にとって代わっていった様である。
人口40万人を越える都市の中心市街地に接しながらこのような森林が残ったのは、江戸時代から「天領・お留め山」として入山や伐採が厳しく止められていたためである。それ以降も、明治から戦前までは御料林として、戦後は国有林・鳥獣保護区(金華山特別保護地区)として保護されている。
登山道ではヤマガラなどの鳥類や、タイワンリスをみかけることもある。最近の調査では金華山にはイノシシが暮らしている痕跡が見つかっている。
地質
地質的には古生代のペルム紀から中生代の三畳紀に堆積したチャートでできており、非常に固いことからあまり侵食されなかったために、標高10m程度の岐阜市の平野の中でそびえ立つ山となって残ったものと考えられる。
歴史
- 1201年(建仁元年) 二階堂行政が山上に砦を設ける。後に二階堂氏は稲葉氏と改姓し、当山は稲葉山と呼ばれるようになるが、その後廃城となる。
- 15世紀中頃 斎藤利永が遺構を利用して城を築き、以後斎藤氏の居城となる。
- 1567年(永禄10年) 織田信長の居城となり稲葉山城から岐阜城と改称された。天下統一の拠点として、山上には天守、山麓には壮麗な御殿(天主)が建設され、城下町には楽市楽座が設けられて繁栄した。
- 1575年(天正3年) 信長は新たに建設された安土城に移り、岐阜城は嫡男織田信忠に受継がれた。
- 1601年(慶長6年) 徳川家康により岐阜城は廃城とされた。代わって加納城が築城され、岐阜城から天守閣や櫓などが移築された。以後、当山への立ち入りは禁止された。
- 1869年(明治2年) 版籍奉還により尾張藩の藩有林から官林となる。
- 1887年(明治21年) 山麓に岐阜公園が開設。
- 1889年(明治23年) 皇室典範の制定に伴い帝室御料林となる。
- 1910年(明治43年) 山上に復興天守が建設されたが、1943年(昭和18年)に失火により焼失した。
- 1934年(昭和9年) 風致地区に指定される。
- 1944年(昭和19年) 権現山に防空監視哨が設けられる(民間人の立入は規制)。
- 1947年(昭和22年) 国有林に編入される。鶯谷トンネル開通。
- 1953年(昭和28年) 鳥獣保護区に指定される。
- 1955年(昭和30年) 金華山ロープウェー開業。
- 1956年(昭和31年) 山上に鉄筋コンクリート造りの復興天守が再建。
- 1958年(昭和33年) 水道山山上に岐阜プラネタリウム開設。
- 1959年(昭和34年) 水道山にロマンスリフトが開業。
- 1963年(昭和38年) 金華山ドライブウェイ開通。
- 1972年(昭和47年) 新鶯谷トンネル開通。
- 1984年(昭和59年) 岐阜プラネタリウム閉館。
- 1987年(昭和62年) 金華山トンネル開通。
- 2002年(平成14年) 金華山の岩盤をくり抜いて建設した鏡岩配水池が完成。
- 2004年(平成16年) 都市計画法の改正に伴い「金華山・長良川風致地区」として第1種風致地区、第2種風致地区に指定される[1]。
登山道
各方面から山頂へ向かう多くの登山道が整備されている。岐阜城当時の登山道を一部ルートを変更、整備された物で、途中砦跡や石垣などの遺構を見る事が出来る登山道もある。金華山ロープウェーを利用することもできる。
- 七曲り登山道
- 岐阜城への登城道(大手道)で、ロープウェー開通まで最も多く利用された登山道。よく整備されていて道幅も比較的広い。初心者でも安心して登れる。ちなみに、名前は「七曲り」だが実際は13曲りぐらいある。石段から外れて、昔の旧登山道も所々に残る。
- 瞑想の小径(こみち)
- 所々急斜面や、道沿いに崖もあるが、難所には看板や橋等もあり、比較的よく整備されている。小さな沢を横切ったり、長良川や岐阜市内の眺めもいたる所で楽しめる。頂上付近に鼻高登山道への分岐点がある。いくつかの沢を横切ることから「水手道」ともいわれる。
- 馬の背登山道
- 山頂までの最短コース。初心者向きではない急斜面の箇所がある。山頂と瞑想の小径との分岐点にある馬の背登山道のスタート地点の看板には「お年寄りや幼児には無理です。」と表記してある。
- 百曲り登山道
- 禅林寺の石段の南に登山道入り口があり、ロープウェー頂上駅付近にたどりつく登山道。馬の背に次いで短いコース。こちらも初心者には厳しい。
- 東坂登山道
- 岩戸公園からのコース。途中大参道、唐釜コースへと分岐する。
- 鼻高登山道
- 県道287号線沿いの長良川左岸から登るコース。健脚者向け。山頂付近で瞑想の小径とつながる。
- 達目(だちぼく)登山道
- 東坂登山道から分岐して日野へ降りる。
- 大釜登山道
- 達目洞から北上し、鼻高方面へ向かうコース。
- 大参道登山道
- なだらかな平地。森のトンネルをくぐっているような感じのコース。
- 唐釜登山道
- 七曲り登山道と東坂登山道を結ぶ。なだらかで所々道が細いコース。
その他の踏み跡も存在していたが、ロープや杭で道が塞がれ通行禁止となっている。
その他
金華山は南部にある瑞龍寺山(通称:水道山、標高156m)、南東部にある洞山(標高205m)、北東部にある西山(標高176m)が連なっている。金華山ドライブウェイがあるのは駿河山、稲荷山、権現山、水道山、岩戸山にかけての部分。また金華山には長良川に程近い北西部に金華山トンネル、南西部の水道山部分に鶯谷トンネル、南部に岩戸トンネル、東部に井ノ口トンネルが通っている。
岐阜城西側の上加納山に、岐阜放送テレビ及びNHK岐阜総合テレビの送信所(上加納山タワー)が設置されている。なおこれ以外の局の受信については瀬戸デジタルタワーの電波を受信する。
岐阜市は市内の上水道設備として、金華山内部に日本初の大規模地下空洞式配水池(鏡岩配水池)を造っている。
明治末期、金華山山頂にあった井戸跡の浚渫により鉱泉(冷泉)が発見され、これを利用し、山麓に明治43年(1910年)「金華鉱泉」が開業、温泉街ができた。ただこれも一時的なもので、間もなく源泉が枯渇し大正7年(1918年)には閉鎖となった。
金華山山麓には50数基の古墳があった(上加納山周辺が多い)。ただし大部分は残っていない。また金華山山頂部分にも古代遺跡があったようで、岐阜城が再建された際、須恵器の破片が見つかっている。
クロヒナスゲ(カレックス・ギフェンシス)、ムカシヤンマ(旧名:岐阜山蜻蛉)などは金華山で発見された種。
金華山は稲葉山以外に、金花山、一石山、破鏡山とも呼ばれた。
地理
周辺の山
長良川左岸の岐阜市の市街地にあり、対岸には岐阜市の最高峰の百々ヶ峰がある。山頂から西に伊吹山を望むことができる。
山容 | 名称 | 標高 (m) |
三角点等級 基準点名[2] |
金華山からの 方角と距離(km) |
備考 |
---|---|---|---|---|---|
100px | 池田山 | 923.85 | 二等 「池田山」 |
テンプレート:Direction西 24.0 | |
100px | 百々ヶ峰 | 417.85 | 三等 「百々峰」 |
テンプレート:Direction北北東 3.7 | 岐阜市の最高峰 |
100px | 金華山 | 328.86 | 二等 「金花山」 |
テンプレート:Direction 0 | 岐阜城 |
100px | 伊木山 | 173.06 | 三等 「伊木山」 |
テンプレート:Direction東南東 13.9 | 伊木山城 伊木の森 |
100px | 伊吹山 | 1,377.31 | 一等 「伊吹山」 |
テンプレート:Direction西 34.1 | 日本百名山 |
源流の河川
金華山を源とする以下の河川は、木曽川水系の支流で伊勢湾へ流れる。
脚注
- ↑ 金華山・長良川風致地区の風致保全方針、岐阜市役所都市計画課
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