選抜高等学校野球大会
選抜高等学校野球大会 | |
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開催中の大会: 第90回記念選抜高等学校野球大会 | |
開始年 | 1924 |
主催 |
毎日新聞社 日本高等学校野球連盟 (後援・朝日新聞社 特別協力・阪神甲子園球場) |
参加チーム数 |
32 (記念大会を除く) |
加盟国 | 日本 |
前回優勝 |
大阪桐蔭高校 (2018年) |
最多優勝 |
中京大中京高校(4回) 東邦高校(4回) |
サイト | 高野連公式サイト |
備考 |
メイン球場 第1回(1924年)のみ名古屋市・山本球場 第2回(1925年)以後阪神甲子園球場 1942年-1946年は太平洋戦争のため開催取りやめ。 |
選抜高等学校野球大会(せんばつこうとうがっこうやきゅうたいかい)は、毎年3月下旬から4月にかけて兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で行われる日本の高校野球の大会である。略称はセンバツ。通称は「春の大会」「春の高校野球」「春の甲子園」ともいわれる。英文名称はNational High School Baseball Invitational Tournament[1]。主催は毎日新聞社、公益財団法人日本高等学校野球連盟(高野連)。大会旗および優勝旗の色は紫紺。5年に1度(下1桁が0と5の回)は記念大会として実施されている。歴代優勝校は、選抜高等学校野球大会歴代優勝校に記述。
Contents
出場校
夏大会は地方大会の優勝校が機械的に出場しているが、春大会については選考委員会によって出場校が決められる。高野連は出場校の選考基準を
- (1)大会開催年度高校野球大会参加者資格規定に適合したもの。
- (2)日本学生野球憲章の精神に違反しないもの。
- (3)校風、品位、技能とも高校野球にふさわしいもので、各都道府県高校野球連盟から推薦された候補校の中から地域的な面も加味して選出する。
- (4)技能についてはその年度全国高等学校野球選手権大会終了後より11月30日までの試合成績ならびに実力などを勘案するが、勝敗のみにこだわらずその試合内容などを参考とする。
- (5)本大会はあくまで予選をもたないことを特色する。従って秋の地区大会は一つの参考資料であって本大会の予選ではない。
としている[2]。また、出場校が最大32校、記念大会でも36校であるため、出場校が1校もない府県が毎回生じる(東京都と北海道は必ず1校以上の出場が保障されている)。逆に、好成績の府県からは2校以上選出される可能性もある(過去には最大4校選出されたことがある)。
現在では、以下の枠が与えられている。
一般選考
1947年、小倉中学(現小倉高校)(福岡)が春大会で準優勝、夏大会で九州勢で初優勝して九州地区の中学校の野球熱が高まったとき、朝日新聞西部本社運動部の芥田武夫部長は全国に先駆け、「全国中等学校野球連盟九州支部」を組織し、秋に第1回九州大会を鹿児島の鴨池球場で開催、大成功を収める。他の地域も九州大会を範にして翌秋から地区大会を行うようになり[3]、以後、新チームで臨む最初の公式大会(実質的な新人トーナメント戦)となる秋季各都道府県大会・地区大会(全国10地区)の成績が春大会出場校・並びに補欠校を決める際の重要な選考資料となっている。
基本的には秋季大会の成績に、地域性を考慮して決定[注釈 1]。ここで出場28校と補欠(代表校の出場辞退に備えるもので、各地区につき1~2チーム程度)を選出する。
- 関東・東京、中国・四国の括弧内は各地区の出場校数。残り1校は両地区を比較した上で選出する。
- 東京大会のみ関東の枠組みから外れて、単独開催となっている。2003年まではほぼ2枠で固定されており、それゆえ、1位校と2位校が揃って選出されるケースが多かった。背景には、毎日新聞東京本社の意向が反映しているともいわれる。21世紀枠への振り替えなどで出場枠が減枠され、関東との比較となった2004年以降は1枠となる年が多くなっている。
- 山梨県は関東に入る。
- かつては近畿地区の枠は7校であり、2府4県から1校ずつ選ばれてもさらにもう1校枠があった。そのため近畿のいずれかの府県からは必ず2校選出されていた。
- 第75回大会まで各地区の出場枠は明文化されておらず、選考委員会で決定していたが(ただし第63回大会(1991年)以降は事実上固定状態にあった)、第76回大会以降前年7月の運営委員会で出場枠が決定され、一般枠は各地区の枠が明文化されるようになった。
- 選考は地区別の小委員会で行われる。委員会の区分けは「北海道・関東・東京」「東北・近畿」「東海・北信越・九州」「中国・四国」。選考委員は地区ごとに異なるため、地区によって全く逆の基準により選考がなされる場合がある[注釈 2][4]。
明治神宮大会枠
第75回大会(2003年)から設けられる。明治神宮大会枠は11月の明治神宮大会優勝校が所属する地区に与えられ、その地区の一般選考枠が1つ増える形となる。第80回大会(2008年)は記念大会で1校増の2枠で、優勝校・準優勝校を出した地区に枠が与えられた。この枠ができ、一般枠の1道府県2校までが確定した。東京のみ神宮枠を獲得し、関東との比較により一般枠が2となった場合に3校出場の可能性がある[5]。
なお、大会で優勝した高校が自動的に「神宮枠」で出場できるわけではない。優勝した高校の地区で選考を最後に通過した高校が「神宮枠で選出」されたことにはなるが、高野連は「神宮枠」という扱いをしていない[6]。最後の枠が別地区同士の比較となる関東と東京、中国と四国は、その比較の前に該当地区から1校多く選出する[7]。
21世紀枠
2001年が21世紀最初の年であることに因み、同年開催の第73回大会から設けられた。
部員不足やグラウンドがない、豪雪地帯といった学校・地域の特性などの困難を克服した学校や、ボランティア活動といった野球以外の活動での地域貢献で他校の模範となる学校を選出。推薦は2012年までは基本的に各都道府県の秋季大会で参加校数が128校を上回る都道府県ではベスト16、それ以外の県ではベスト8以上のチーム、2013年以降は128校を上回る都道府県ではベスト32、それ以外の県ではベスト16以上[注釈 3]と改定された。選考は各都道府県の高野連が推薦校1校を選出し、そこから各地区(全国9地区)の代表推薦校となった高校の中から3校(東日本〜東海以東・西日本〜近畿以西各1校、その他1校)が出場校に選出される。選考基準について大会を主催する毎日新聞は
- 「勝敗にこだわらず多角的に出場校を選ぶセンバツ大会の特性を生かし、技能だけではなく高校野球の模範的な姿を実践している学校を以下の基準に沿って選ぶ。」
とした上で、
- 「少数部員、施設面のハンディ、自然災害など困難な環境の克服・学業と部活動の両立・近年の試合成績が良好ながら、強豪校に惜敗するなどして甲子園出場機会に恵まれていない・創意工夫した練習で成果を上げている・校内、地域での活動が他の生徒や他校、地域に好影響を与えている」
学校を選出すると公表している[8]。
選考委員会ではまず推薦理由説明会において候補校のある都道府県高野連の理事長がプレゼンテーションを行い、続く特別選考委員会において主催者と外部有識者からなる委員との質疑応答を経て決定される[9][10]。2001年から2007年までは東日本と西日本から1校ずつ。第80回大会(2008年)は記念大会による1校増の3校で「北海道、東北、関東・東京」(=東日本)、「東海、北信越、近畿」(=中日本)、「中国、四国、九州」(=西日本)から各1校が選出。第81回大会(2009年)からは東日本1校、西日本1校、その他1校の3校が選出されている。第85回大会(2013年)は東日本2校、西日本2校の4校が選出された。なお21世紀枠で選抜大会出場校に選出されなかった高校は一般選考枠で選出対象となる[注釈 4]。この21世紀枠は他競技にも影響を及ぼしており、近いものとして全国高等学校選抜ラグビーフットボール大会の「チャレンジ枠」、全国選抜高等学校テニス大会の「ドリーム枠」が後に設けられた。
“他校の模範であること”を根拠に名門の大学へ現役合格者多数、学校全体での「朝の読書」推進、「青少年赤十字部」の活動、生徒のボランティア活動、果ては災害被災地所在で頑張っている、など野球そのものとは直接関係のない事象により推薦されるケースがある。さらに、過去の選出校のほとんどが一般選考ライン一歩手前で敗れており、実質的には地区大会出場校の救済枠となっている。
過去に優勝経験のある学校や、県内では強豪といわれる学校が選考されている。2009年の利府高校、2010年の山形中央高校に至っては困難克服どころか、地元紙の特集において「恵まれた環境」[11]とされていた(普通科と別に専科が設置されているため、他の公立高校に比べ選手が集まりやすい傾向にある)。また、「他校の模範となるチーム」を選出する枠でありながら、2006年から2010年まで・2014年は都道府県推薦校が不祥事により推薦を取り消されたり辞退したりする事態[12]、果ては選出校がのちに部内暴力で連盟から処分される事態[13]までも発生している。2011年の第83回大会では見直しが行われるはずだったが、結局は地区大会の成績に「原則」が付記され、出場校選出の最終優先条件が「30年以上出場がない学校」から「出場から、より遠ざかっている学校」となったのみで、事実上の前例踏襲となった。2012年の第84回大会において洲本高校が30年以内に出場経験のある学校として初めて選出された。
なお、この枠で出場した高校は公立校が多く、私立校は2013年の土佐高校が初選出となった。
2018年現在、初戦の成績は13勝35敗。通算成績は19勝48敗。21世紀枠で出場後、同年夏の選手権大会に出場した学校は2001年の宜野座高校(第83回大会)、2010年の山形中央高校(第92回大会)の2校である。
年 | 出場校 | 主な選考理由 | 結果 |
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2001年 | 安積(福島) | 創立創部ともに県最古であり、質実剛健で考える野球を実践した。 | 初戦敗退 |
宜野座(沖縄) | 部員全員が地元中学出身で地域貢献を果たす。 | ベスト4 | |
2002年 | 鵡川(北海道) | 廃校の危機を乗り越え、希望の星となる。 | 2回戦敗退 |
松江北(島根) | 県内屈指の進学校。 | 初戦敗退 | |
2003年 | 柏崎(新潟) | 豪雪地のハンディを克服。 | 初戦敗退 |
隠岐(島根) | 離島の過酷な条件を克服。 | 初戦敗退 | |
2004年 | 一関一(岩手) | 県内屈指の進学校。 | 初戦敗退 |
八幡浜(愛媛) | 生徒数大幅減少の中で文武両道を徹底。 | 初戦敗退 | |
2005年 | 一迫商(宮城) | 地域密着の活動で過疎の町を勇気づけた。 | 2回戦敗退 |
高松(香川) | 県内屈指の進学校。 | 初戦敗退 | |
2006年 | 真岡工(栃木) | 地元密着の選手育成。 | 初戦敗退 |
金沢桜丘(石川) | 県内有数の進学校。 | 初戦敗退 | |
2007年 | 都留(山梨) | 部活時間確保のため、通常10分の休み時間を7分に短縮。三宅島噴火による避難生活中だった都立三宅高校と合同練習や試合を行った。 | 初戦敗退 |
都城泉ヶ丘(宮崎) | 県内有数の進学校。狭いグラウンドという悪条件を、工夫を凝らした練習で克服。 | 2回戦敗退 | |
2008年 | 安房(千葉) | 創立100年を超える文武両道の進学校。房総半島の南端に位置し、小規模校の多い地元の中学出身者だけでチームを構成。 | 2回戦敗退 |
成章(愛知) | 創部100年を誇る県立の進学校。試合会場まで長距離移動する地理的なハンディを乗り越え強豪私立高と接戦を演じた。 | 2回戦敗退 | |
華陵(山口) | 全校生徒が日本赤十字の会員で、青少年赤十字モデル校の指定を受けている。過去4年間で春秋合わせて中国大会に6回出場。 | 3回戦敗退 | |
2009年 | 利府(宮城) | 地域の清掃活動に積極的に参加。運動部員が小学校へ出前授業をしている。生徒が梨農家の手伝いをしている。 | ベスト4 |
彦根東(滋賀) | 右翼が左翼より30メートルも短い変形グラウンドという悪条件を、工夫を凝らした練習で克服。 | 初戦敗退 | |
大分上野丘(大分) | 県内随一の進学校。放課後の練習は2時間までと決められていながら、2008年秋季大会では九州大会出場を果たした文武両道。 | 初戦敗退 | |
2010年 | 山形中央(山形) | 野球ばかりでなくスキー、スケート、柔道なども全国トップレベルにある。率先して学校周辺の清掃活動に取り組み、また部の方針に「感謝」を掲げ地域交流にも取り組む。 | 初戦敗退 |
向陽(和歌山) | 旧制海草中学時代に嶋清一などの活躍で1939~40年に第25回、第26回と全国大会を連覇した名門校。清掃活動など地域とつながりも深く、副主将は生徒会長を務めて学校生活にも熱心に取り組む。 | 2回戦敗退 | |
川島(徳島) | 少人数部員(18人)、グラウンドが共用で使える広さがダイヤモンドとほぼ同じという悪条件を、工夫をこらした練習で克服。 | 初戦敗退 | |
2011年 | 大館鳳鳴(秋田) | 1898年創立の進学校。部員全員が地元出身で、冬はボランティアで除雪を行い地域に貢献。「ベースボール」を「野球」と訳した中馬庚が大正期に校長を務めていた。 | 初戦敗退 |
佐渡(新潟) | 本州まで2時間半かけて遠征し練習試合を行う離島のハンディを乗り越え、2010年秋の県大会で準優勝。60条からなる「野球部心得」を基に人間力向上に取り組む。 | 初戦敗退 | |
城南(徳島) | 創立・創部とも県内最古の歴史を持つ進学校。部員全員が近隣中学出身で、生徒会活動などに積極的に参加。 | 2回戦敗退 | |
2012年 | 女満別(北海道) | 全校生徒134人の小規模校で野球部員は19人。氷点下20度を下回る日が珍しくない寒冷地の中で、昨秋の北海道大会ベスト16と健闘した[14]。 | 初戦敗退 |
石巻工(宮城) | 前年の東日本大震災で部員の殆どや自校のグラウンドが被災したものの、その年の秋季大会で準優勝を果たした。 | 初戦敗退 | |
洲本(兵庫) | 1953年第25回選抜高等学校野球大会優勝校。阪神・淡路大震災当時に生まれた生徒が主力で、県内の強豪校と互角に戦い続けた[14]。 | 初戦敗退 | |
2013年 | 遠軽(北海道) | 町唯一の道立校で、生徒の8割は町民。堀達也・前道知事や安彦良和の母校。町内の催事に生徒や教職員が積極的に参加。 | 2回戦敗退[注釈 5] |
いわき海星(福島) | 東日本大震災とそれに伴う大津波や福島第一原子力発電所事故の渦中でも夢を諦めずに頑張る姿は風評被害に苦しむ県民に希望と元気を与えてくれる。 | 初戦敗退 | |
益田翔陽(島根) | 他校の模範たり得るマナー、統合により誕生した学校で部員確保の苦労を克服し、ボランティア活動にも積極的に取り組んでいる。 | 初戦敗退 | |
土佐(高知) | 学校は1920年、野球部は1947年創立と歴史を誇る。「文武両道」と共に掲げられるモットー「全力疾走」は全国的に有名。 | 初戦敗退 | |
2014年 | 小山台(東京) | 都立の進学校。限られた練習時間や狭いグラウンドなどの練習環境を克服し、秋の都大会で私立の強豪校を破り8強入り。 | 初戦敗退 |
海南(和歌山) | 旧制海南中学時代および統合した大成高校を含め春夏通算20回出場の伝統校。校舎改築工事の影響でグラウンドが使用できない厳しい練習環境の中、秋の県大会で準優勝。 | 初戦敗退 | |
大島(鹿児島) | 奄美大島の県立校でグラウンド周辺にはハブも生息。試合時には鹿児島市内までフェリーで11時間かけて遠征する離島のハンディを乗り越え秋の県大会で4強入り。 | 初戦敗退 | |
2015年 | 豊橋工(愛知) | 整備用トンボや防球ネットなど練習道具の多くを手作りし、工業高校らしい創意工夫で練習環境を整えている。また、毎朝学校周辺を清掃し地域に貢献。 | 初戦敗退 |
桐蔭(和歌山) | 和歌山中時代に1915年夏の第1回大会から出場し春夏計3度優勝した古豪。高校野球100年の節目の年であり、草創期からの貢献が重視され53年ぶりの出場。 | 初戦敗退 | |
松山東(愛媛) | 正岡子規らが学び夏目漱石も教壇に立った県内最古の伝統校。文部科学省指定「スーパーグローバルハイスクール」で文武両道を実践し、史上最長ブランクとなる82年(77大会)ぶりの出場。 | 2回戦敗退 | |
2016年 | 釜石(岩手) | 東日本大震災で部員24人中9人が自宅を失い、親を亡くした部員もいる。グラウンドを6つの運動部で共用する厳しい環境に負けず秋の県大会で準優勝。 | 2回戦敗退[注釈 6] |
長田(兵庫) | 阪神・淡路大震災で大きな被害を受けた神戸市長田区にある県内屈指の進学校。同じ敷地内に夜間定時制と通信制の高校が併設され、練習が制限される中で秋の県大会8強入り。 | 初戦敗退 | |
小豆島(香川) | 部員17人ながら自主性を持って練習に取り組み、秋の県大会決勝で(その後の四国大会と明治神宮大会を制する)高松商を破って初優勝。少子化の時代に生徒減に悩む学校の希望の星となった。 | 初戦敗退 | |
2017年 | 不来方(岩手) | 部員わずか10人[15]のため実戦形式の練習ができず、練習時間の9割を打撃に充て打ち勝つ野球を貫き秋の県大会で準優勝。 | 初戦敗退 |
多治見(岐阜) | 狭いグラウンドを他部と共用し、バドミントンのシャトルやテニスボールを使うなど工夫を凝らした練習を取り入れ秋の県大会で初優勝。小学生に野球教室を開くなどボランティア活動にも熱心。 | 初戦敗退 | |
中村(高知) | 過疎化が進む地域に位置するが、中学三年から高校の練習に参加できる中高一貫校の特例を生かした強化で困難な状況を克服し秋の県大会で優勝。部員12人で準優勝し「二十四の瞳」として注目された1977年春以来40年ぶりの出場。 | 初戦敗退 | |
2018年 | 由利工(秋田) | 「地域に愛される学校」を目標に掲げ、部員が率先して地域住民へあいさつ活動を行っている。工業高校の技術を生かし高齢者施設の車椅子を修理するなどボランティア活動にも励む。 | 初戦敗退 |
膳所(滋賀) | 全国屈指の進学校。セイバーメトリクスを取り入れ、野球経験のないデータ分析専門の部員が対戦相手の打球傾向を分析し守備位置を調整。秋の県大会での8強入りを陰で支えた。 | 初戦敗退 | |
伊万里(佐賀) | 公立の進学校で、平日は90分という短い練習時間ながら、分刻みのメニューを設定し効率的に練習。部員が地元の少年野球大会の審判をボランティアで務め地域に貢献。 | 初戦敗退 |
地区 | 選出回数 | 都道府県 |
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北海道 | 3回 | 北海道(17)[注釈 7] |
東北 | 3回 | 宮城(5)・岩手(3) |
2回 | 福島(3) | |
1回 | 秋田(3)・山形(2) | |
0回 | 青森(1) | |
関東・東京 | 1回 | 栃木(4)・千葉(3)・東京(2)・山梨(2) |
0回 | 茨城(3)・群馬(2)・埼玉(1)・神奈川(0) | |
東海 | 2回 | 愛知(6) |
1回 | 岐阜(3) | |
0回 | 三重(6)・静岡(2) | |
北信越 | 2回 | 新潟(5) |
1回 | 石川(6) | |
0回 | 長野(3)・富山(2)・福井(1) |
地区 | 選出回数 | 都道府県 |
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近畿 | 3回 | 和歌山(8) |
2回 | 兵庫(2) | |
1回 | 滋賀(3) | |
0回 | 奈良(2)・京都(2)・大阪(0) | |
中国 | 3回 | 島根(6) |
1回 | 山口(3) | |
0回 | 広島(4)・鳥取(4)・岡山(0) | |
四国 | 2回 | 香川(5)・徳島(4)・愛媛(4)・高知(4) |
九州 | 1回 | 宮崎(4)・沖縄(3)・鹿児島(2)・大分(1) |
0回 | 福岡(3)・長崎(3)・佐賀(1)・熊本(0) |
選出など
出場校の選考は21世紀枠→一般選考枠の順で行われ、各都道府県の高野連推薦校の中から秋季地区大会(東京都大会・北海道大会は地区大会に相当)と府県大会の実績と地域的なバランスを考えた選考を前提としている。ただし選考会では高野連役員の意思が反映されるため、秋季地区大会で初戦敗退ながらも選ばれる学校もある。出場校決定後に組み合わせ抽選会を行いトーナメント方式で頂点を決め、2校出場した都道府県代表校は決勝戦まで当たらない様に配置させる。そのため、同じ都道府県代表校の対戦の機会は非常に少ない。組み合わせ抽選会は毎年開会式1週間前の9:00から行い、各地区の出場校が多い学校から決定する。選手宣誓は出場校全校の主将によるくじ引きで決定する。ただし、第83回大会(2011年)のみ奥島孝康日本高等学校野球連盟会長が抽選で選んだ。
選手の学年は年度を跨ぐため、新年度の学年で紹介される。
過去の出場枠
前年優勝校枠(第2回~第9回)
第2回大会(1925年)から第9回大会(1932年)までは、前年優勝校は地方大会に出場しなくても無条件で全国大会に出場することができた。第10回大会(1933年)からこの制度は廃止されたが、優勝校は次年度全国大会に出場し続けていた。1942年の大会が戦争で中止になったのを除き、優勝校が次年度全国大会に出場できなかったのは第20回大会(1948年)で優勝した京都一商(京都)が最初である。
希望枠(第75回~第80回)
第75回大会(2003年)から、第80回大会(2008年)まで設けられた。
一般選考の補欠校にもセンバツへの「希望」を残す狙いで、第75回大会から導入された。神宮大会枠を得た地区を除く地区の補欠1位校が対象。投手を含めた守備力のデータに従って決める。項目は第75回が被塁打、与残塁+失点、失策、第76回以降が被塁打、与四死球、失点、失策。第75回大会では明治神宮大会を除く直近5試合で各項目の1試合9イニング平均値を計算し、最初に被塁打数の多い3校、次に与残塁+失点の多い3校を除外し、残った3校のうち最も失点の少ないチームを選出するという方法が採られていた。
第76回大会から選出方法が変更され、明治神宮大会を除く直近4試合で各項目の1試合9イニング平均値を計算し、順位を得点化、合計がもっとも多い学校が選出されるようになった。
合計ポイント(第75回大会では失点)が同じ場合は得失点差の大きいほうを選出する。得失点差も同じ場合は、第75回大会では出場経験がない、もしくは古い方を選出するとされていたが、第76回大会以降は明示されていなかった。
希望枠は、明治神宮枠以外の地区の補欠出場順位第1位の学校の中からデータを比較の上、守備力に長けているチームを1校選出。ただし東京枠は2枠選出する場合においては除かれる。理由は同一都道府県から出場枠を21世紀枠を除く、3校選出を避けるためである。
年 | 出場校 | 結果 |
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2003年 | 旭川実(北海道) | 初戦敗退 |
2004年 | 秋田商(秋田) | ベスト8 |
2005年 | 三本松(香川) | 初戦敗退 |
2006年 | 一関学院(岩手) | 初戦敗退 |
2007年 | 大垣日大(岐阜) | 準優勝 |
2008年 | 一関学院(岩手) | 初戦敗退 |
東北絆枠(第85回)
2013年の第85回記念大会は通常の東北代表枠や21世紀枠などとは別に「東北絆枠」と題した特別枠として、東日本大震災からの復興を目指す東北地方の学校の中から「一般選考の中に含めつつも、何かキラリと光るものを持っているチームを選抜する」として制定しており、内容としては21世紀枠とほぼ準じたものである。この「絆枠」からは山形中央高等学校が出場権を得ている[17]。
試合組み合わせ
準々決勝以降も再抽選を行う夏の甲子園大会と違い、現在(1983年から)は組み合わせ抽選会において全ての組み合わせ表が決まり再抽選を行わない。併せて選手宣誓者も決定される。かつては開会式の2日前に全選手を集め毎日ホールや兵庫県立総合体育館で行われていたが、1995年以降は毎日新聞大阪本社オーバルホールにおいて主将のみで行われている[18]。
1997年の第69回大会以降、組合せ抽選会では同地区および同県の高校同士が早い段階で試合を行わないような措置が施されている。
1. 同県の高校とは決勝(3校出場している場合は準決勝)まで対戦しない。
2. 同地区の高校は準々決勝まで対戦しない。
そのため、抽選会では出場校の多い地区からの抽選となる(北海道が1枠の場合は3枠の地域に含む。関東・東京は同一扱い、中国・四国は別枠、21世紀枠は各校の属する地域に含まれる)。出場枠が同じ地区場合は北から抽選。
上記の要件を満たすため、最大3段階で抽選を行う複雑な抽選方式が採用されている[18]。
会場
第1回大会(1924年)だけ名古屋市の山本球場で開いた理由として当時、夏の大会では関西近郊学校が8回中8回とも決勝に進出し優勝は8回中5回だったため主催者の毎日新聞社は「夏の大会(全国中等学校優勝野球大会)で関西近郊の学校が優勝確率の高いのは開催地の風土に関係するかを試すこと」と「東海地方の野球ファン拡大につなげるため」の2点を挙げていた。このうち、開催地の風土に関しては本大会では代表校8校中3校だった関西近郊の学校は2校(和歌山中、立命館中)が初戦敗退で1校(市岡中)が2回戦敗退、逆に東海エリアで唯一出場した愛知一中も2回戦敗退という結果になっている(決勝は香川県の高松商業と東京府(当時)の早実の対戦となり、高松商が優勝)。一方、東海地方の野球ファン拡大についての効果は大きく、特に1930年代に入り愛知県勢(中京商、東邦商、愛知商など)と岐阜商を中心に東海勢が中等野球で一時代を築き、1936年の職業野球(後のプロ野球)創設時に愛知県のチームが2チーム(名古屋軍、名古屋金鯱軍)できるほどに野球が盛んとなる下地を作ったと言える。
主催者の毎日新聞社は毎年開催地を変えて全国各地で開催する構想だったが翌年の第2回(1925年)以後は高校野球(当時は中学野球)の聖地として知られる阪神甲子園球場での開催に定着するようになり、近畿地域以外での全国大会開催は国体、明治神宮大会を除くと春・夏を通してこれが最初で最後となっている。夏の大会における甲子園以外の開催は豊中球場、鳴尾球場、阪急西宮球場があるが、いずれも近畿地域の開催である。
会期
第1回(1923年)は4月に5日間にわたって開催され、当初は1週間程度であった。第10回(1933年)では出場校が増えたため10日間にわたったが、その後再び記念大会を除いた平年は1週間前後の開催が続く。第33回(1961年)以後は学校の春休みの開始に合わせて3月26日前後の開幕が定着するようになった。
だが、第69回(1997年)などのように雨天中止による試合日程の度重なる順延が影響して新年度の始業式や入学式に差し支えが出たケースがあったことや、プロ野球の試合数が増加したこと[注釈 8]により阪神甲子園球場を専用球場としている阪神タイガースの試合日程にも影響を来たすようになったこと[注釈 9]から、第75回(2003年)からは春分の日(3月20日ないし21日)前後に開幕日が繰り上げられている。また、併せてこの年からは選手の健康管理を考慮して雨天中止による順延が頻発しない限り準々決勝を2日間に分けて開催するようになった(準々決勝進出チームはいずれか1日が休養日に充てられた)こと、1回戦・2回戦は雨天中止がない限り1日3試合としたため、12 - 13日間の日程が組まれている。
春分の日(3月21日)に開幕した第86回(2014年)では、前年(2013年)夏の第95回選手権大会と同様、準々決勝4試合を全て1日で開催した。この年は大会史上初めて、準々決勝の翌日を休養日と設定していた[注釈 10]が、実際には3月26日に予定していた第6日の全試合が雨天中止となり翌27日に順延しただけでなく、2回戦だった第8日(3月29日)の第2試合・広島新庄高校対桐生第一高校戦が延長15回引き分けとなり翌30日に急遽同カードの再試合(15:00開始)のみ組まれたため、第10日(3月31日)に準々決勝4試合を開催した上で、休養日を設けずそのまま4月2日の決勝戦まで日程を消化した。
第88回(2016年)では、3月20日に開幕して以降、順調に日程を消化。休養日を挟んで3月31日に決勝戦を開催した。3月中に大会が終了するのは、第18回(1941年)以来、75年(70大会)ぶりとなった。
開閉会式
司会
第69回大会(1997年)までは主催者の職員が司会を担当していたが、第70回記念大会(1998年)以後は、前年度の「NHK杯全国高校放送コンテスト」の全国コンクールにおいて、朗読・アナウンス部門で上位に入賞した放送部の生徒、または新卒生[注釈 11]が2-3名程度[注釈 12]出演する。
開会式
- 開式の前に阪神甲子園球場のウグイス嬢が開会式のアナウンスがされる。
- ファンファーレ、開式の辞
- 選手入場
- ライトスタンドと一塁側アルプスの間に設けられたセンバツゲート[注釈 13]から入場。大阪府警察音楽隊フレッシュウインズ、和歌山警察音楽隊カラーガード隊、近畿管区内警察音楽隊の順に入場し各校がそれに続く。選手入場は先ず前年優勝校が優勝旗と優勝杯を、続いて前年準優勝校が準優勝旗を持って入場(いずれも出場校に選ばれた場合は出場選手全員、選ばれなかった場合は優勝校は主将・副主将、準優勝校は主将のみが入場)。この後は下1桁が奇数回開催の時は南から北、下1桁が偶数回開催時は北から南の順に主将を先頭に2列で入場し、入場順にレフト寄りから外野側に各校が整列する。選手は白色の運動靴で入場する。選手入場ののち司会者は式典を担当する別の高校生に交代し(式典司会者は交代時に自己紹介する[注釈 14])、選手・役員は脱帽の上、掲揚台側を向く。
- 第34回大会(1962年)以降、入場行進曲においては前年の流行曲が使われることになった。1曲目は坂本九の『上を向いて歩こう』。
- 国旗、大会旗、校名プラカードを持つのは、かつて第79回大会(2007年)まではボーイスカウト日本連盟所属のベンチャースカウト(高校生)であったが、第80回大会(2008年)から校名プラカードは各出場校の生徒が持つことになった(連続出場できなかった前年優勝校・準優勝校は変わらず)。なお、甲子園球場の所在地は兵庫県だが、プラカードは大阪連盟所属のスカウトが持っている。校名プラカードは第80回大会から「国際高校生選抜書展」(毎日新聞主催)で団体の部地区優勝した学校が地域ごとに出場校の文字を書き入れるものに変更される[注釈 15]。なお、阪神淡路大震災直後に行われた第67回大会(1995年)と、東日本大震災直後に行われた第83回大会(2011年)では中止された(外野側に整列した状態で開始)。
- 国旗掲揚・国歌独唱
- 国歌の演奏に合わせて国旗を掲揚する。第71回大会(1999年)より、開会式の国旗掲揚時に「全日本学生音楽コンクール」(毎日新聞主催)声楽部門高校生の部の優勝者(司会者自己紹介同様、旧学年でアナウンスされる)による国歌独唱が行われている。
- 大会旗掲揚・大会歌演奏
- 大会歌「今ありて」は兵庫県西宮市高等学校吹奏楽連盟の演奏に合わせて大会旗を掲揚する。第83回大会(2011年)は大会旗掲揚と共に大会歌を1番のみ合唱した。
- 前年優勝校校旗掲揚・校歌演奏
- 前年優勝校の校歌の演奏に合わせてその学校の校旗を掲揚する。なお、東日本大震災の直後に行われた第83回大会(2011年)では国旗・大会旗・校旗はいずれも半旗として掲揚された。
- 選手前進
- 優勝旗・優勝杯返還
- 優勝旗と優勝杯が前年優勝校の主将・副主将から大会会長の毎日新聞社社長に返還され、そのレプリカが引き換えに進呈される。
- 準優勝旗返還
- 準優勝旗が前年準優勝校の主将から大会会長の毎日新聞社社長に返還され、そのレプリカが引き換えに進呈される。
- 大会会長の開会の挨拶
- 毎日新聞社社長による。
- 御祝の言葉
- 励ましの言葉
- 日本高等学校野球連盟会長による。
- 選手宣誓
- 出場各校は選抜旗をもって宣誓台に集まる。
- 大会歌合唱
- 閉会の辞、選手退場
- 選手達は一塁側から3校ずつ駆け足ですぐさま退場する。近畿管区内警察音楽隊、神戸山手女子高校、兵庫県西宮市高等学校吹奏楽連盟は三塁側アルプスから退場する。
閉会式
- 閉式の前に、公開共同インタビューとして、優勝校の監督にNHKの、優勝校の殊勲選手(若干名)に毎日放送のそれぞれのアナウンサーがインタビューを行う。閉会式の準備ができるまでの間、ベンチ周辺でインタビューが行われ、閉会式の準備が終わり次第、阪神甲子園球場のウグイス嬢が閉会式のアナウンスがされる。
- 選手入場
- 開式の辞
- 開式のことばとともに司会を務める高校生が自己紹介する(学年は新学年を言う[注釈 17])。
- 審判委員長講評
- 日本高等学校野球連盟会長による。
- 優勝旗授与
- 大会会長の毎日新聞社社長から主将に授与される。
- 優勝杯授与
- 大会会長の毎日新聞社社長から副主将に授与される。
- 準優勝旗授与
- 大会会長の毎日新聞社社長から主将に授与される。
- 優勝メダル・準優勝メダル授与
- 大会会長の毎日新聞社社長から授与される。
- 応援団賞表彰
- 最優秀賞に選ばれた学校には、毎日新聞大阪本社代表から盾が応援団長に授与される。
- 大会会長の閉会の挨拶
- 毎日新聞社社長による。
- 優勝校校旗降納
- 選手・役員は脱帽の上、掲揚台側を向き、優勝校校歌が流れる。
- 大会旗降納
- 大会歌を演奏。
- 国旗降納
- 国歌を演奏。第83回大会(2011年)のみ国歌の後に大会歌を合唱した。
- 優勝校・準優勝校選手場内一周
- 入場行進時と同じ曲。内野側から反時計回りに一周し、三塁側ベンチ使用校はピッチャーズマウンド付近で折り返して三塁側へ、一塁側ベンチ使用校はそのまま直進して一塁側へそれぞれ移動。NHKの放送は、この場内一周の途中で終了することが多い[注釈 18]。
- ファンファーレ、閉式の辞
- 演奏者(西宮市高等学校吹奏楽連盟の一部メンバー)がピッチャーズマウンド付近に整列し、開会式と同じファンファーレを演奏。閉式の辞の後に球場内にはオルゴールの今ありてが流れる。閉会式後は写真撮影やインタビューが行われる。
開閉会式の特記
開会式・閉会式の国歌・大会旗の掲揚・降納は、甲子園が全面改修される2007年以前は、開会式は出場校の主将、閉会式は決勝戦を戦った選手全員がバックスクリーンの回転広告版の上(三菱電機の広告看板前)に集まって行っていたが、改修以後は選手衆はバックスクリーンに移動することなく、所定位置からバックスクリーン方向の掲揚台を向いて見守る形になっている。
なお第46回大会(1974年)以降、返還・表彰の曲は大会オリジナルの「栄光」(永野慶作作曲)が返還・表彰の演奏曲として使われることになった。
大会歌
- 第8回大会(1931年)で初代大会歌(作詞・長谷川海太郎、作曲・陸軍戸山学校軍楽隊)が制定。しかし歌詞に英語が含まれていたため1年で廃止。
- 第11回大会(1934年)で2代目大会歌「陽は舞いおどる甲子園」(作詞・薄田泣菫、作曲・陸軍戸山学校軍楽隊)が制定され、第64回(1992年)まで使われた。
- 第65回大会(1993年)からの3代目大会歌は阿久悠の作詞、谷村新司が作曲した「今ありて」が採用されている。
試合日程の進行
打順
延長戦・再試合
試合は9回で同点の場合には延長戦。ただし延長15回でも同点で決着しない場合には引き分けのまま打ち切りとし、翌日か翌々日再試合が開催される。コールドゲームは得点差では認められておらず、雨天などの天災で7回以降の均等回を消化した場合のみに採用される。
春の大会では1959年の第31回選抜大会から延長18回引き分け再試合制度が導入されたが、1999年12月の高野連全国理事会において、2000年の第72回選抜大会から引き分け再試合を、延長18回制から延長15回制に短縮変更となった(詳しくは「延長引き分け再試合規定」を参照)。
2018年の第90回記念大会より延長戦におけるタイブレーク方式が導入、延長13回から試合が決着するまで延長回数無制限で行われる。同時に準決勝までは延長引き分け再試合が廃止となる。また決勝戦ではタイブレーク方式を採用せず延長15回で引き分けた場合は再試合とするが、再試合では準決勝までと同じ形で延長無制限でのタイブレーク方式を採用する。これにより選抜大会では59年ぶりに再試合を除く決勝戦以外では延長イニング数は無制限に戻る。
春夏通して初めての引き分け再試合は山本球場で開催された第1回大会(1924年)の1回戦、横浜商 - 市岡中の試合。当時の制度は引き分けという制度が無く、勝負がつくまで試合を続けるというものだった。しかし山本球場には照明設備が無かったため、延長14回終了後に日没による引き分けとなった。
審判員
審判員は球審、3人の塁審、予備審判2人と控え審判員1人の計7人。ただし、ナイター下では2人の予備審判員が外審として試合に加わる。
1日に割り当てる試合数
- 1日の試合数は以前は最大4試合で、第66回大会(1994年)までは1回戦の2日目-4日目と8日目の準々決勝開催日がその当該日だった。しかし阪神・淡路大震災による交通障害で応援団の来場スケジュール調整が必要なこと、また選手の健康管理面の問題などを考慮し第67回大会(1995年)から4試合日は9日目の準々決勝のみとし1・2回戦の全開催日の初日-8日目は1日3試合とするようになった。
- 更に第76回大会(2004年)から大会後半の選手の連戦による疲労を避けるという意味合いで夏の大会と同じように、準々決勝を1日2試合ずつ割り当てることにした。ただし雨天延期などによる日程の過密化で消化しきれない場合は4試合一括開催となる場合あり。よっては最大1日3試合まで開催されていることとなる[注釈 19]。ただ5年単位の記念大会となる西暦下一桁3年の年は34チーム[注釈 20]、10年単位の記念大会となる西暦下一桁8年の年は36チーム参加のため、一部予め4試合設定の日がある。
- 第1試合の基本的な開始時間
- 初日 - 開会式直後の10:30
- 3試合開催日 - 9:00(第79回大会(2007年)から、従来の9:30より30分繰り上げられた[19])
- 2試合開催日(主として準決勝) - 11:00
- 1試合開催日(主として決勝) - 12:30[注釈 21]
- 4試合開催日(日程編成の都合で4試合消化しなくてはいけない場合、準々決勝) - 8:30(第61回大会(1989年)まで8:00開始)
- 2試合以上開催する場合、新聞の組み合わせ発表では「試合時間2時間・練習とグラウンドの整備30分」と仮定して3試合日の場合「(1)9:00、(2)11:30、(3)14:00」とそれぞれ掲載されているがあくまでも目安であり、実際には次の試合はグラウンド整備や事前練習の関係もあり原則として前の試合終了から30分程度の時間を置いてから行う(早く終了した場合は新聞等発表の時刻より最大15分繰り上げられる場合もある)。なおかつては4試合開催日の場合で「(1)8:00、(2)10:20、(3)12:40、(4)15:00」を目安として、前の試合終了から20分後に次の試合を行っていた。
優勝旗・優勝パネル
優勝旗
- 選抜大会の優勝旗は「大紫紺旗」と称されている。これは紫に近い色の糸を使っているためで、赤い糸を使っている夏の全国大会の優勝旗は「大深紅旗」と称されている。の旗は2代目で、第35回大会(1963年)に初代に代わり新調されたもの。初代との旗との相違点は以下の3点。
- 大会名 - 初代は「全国選抜中等学校野球大会」に対し、は「全国選抜高等学校野球大会」。
- 主催新聞社名 - 初代は「大阪毎日新聞社」に対し、は「毎日新聞社」になっている。1943年に「東京日日新聞」と「大阪毎日新聞」が題号を「毎日新聞」に統一した事により、商号も毎日新聞社に変更したため。
- 「VICTORY」の文字 - 初代は染めぬきだがは金の糸を使って織られており、少し文字が大きくなっている。
- 初代の優勝旗は第18回大会(1941年)に東邦商(愛知)が手にしたまま戦争で大会が中断していたが、1945年の名古屋大空襲で同校の校舎が全焼。その際校長室に保管されていた優勝旗は燃え落ちる寸前に校庭に放り投げられ事なきを得た。
- 初代の優勝旗を最後に手にしたのは第34回大会(1962年)の作新学院(栃木)で、の優勝旗を最初に手にしたのは第35回大会(1963年)の下関商(山口)だった。
- 春の選抜大会には準優勝旗が存在する。夏の全国大会には存在しない(木内幸男が取手二高の監督を務めていた時、夏にも準優勝旗があると勘違いしていたのは有名)。色は夏の優勝旗と同じ深紅で3代目である。
- 後日、優勝校、準優勝校には校名ペナントが、毎日新聞社から贈られる。優勝校の校名ペナントは、過去のもの全て1校1枚となっていて、準優勝旗や選手権大会優勝旗、明治神宮野球大会優勝旗と異なり複数年の校名を1枚にまとめたものへの交換はない。
- 優勝旗は大会の閉会式にて優勝校に授与され、翌年の大会の開会式にて前年優勝校から大会会長に返還される。その返還の際、優勝旗のレプリカが代わりに授与される。このレプリカの意匠は優勝旗とほぼ同じだが模様・文字は全部染めぬきであり、“第○回”および校名が付加される。
歴代優勝校のパネル
1984年・第56回大会2日目(3月27日)までは、大会の歴代優勝校の校章が描かれた白いパネルボードが外野に掲げられていた。ところがこの大会2日目の第1試合、滋賀県立高島高等学校対佐賀県立佐賀商業高等学校戦で、佐賀商業高校の中原康博が放った打球がワンバウンドしてラッキーゾーンを越えた為、本来ならばエンタイトル2塁打となるところだったが、2塁塁審がこの打球を誤ってホームランと判定した。
これを受けて日本高校野球連盟はこの試合の本塁打判定を審判の誤審として謝罪した上、『打球と外野の白いパネルが被って審判が判定しづらい』ことを理由に歴代優勝校のパネル掲額についてこの日の全試合終了後直ちに廃止することを決めた為、それ以後は歴代優勝校パネルは掲示されていない。
また大会名が記されたパネル(左中間・右中間)も優勝校パネルと同様の白地・黒文字だったのを、翌1985年の第57回大会以後は通常のフェンス広告と同じように緑地・白文字と変更された。更に2010年の第82回大会から、外野フェンスの広告を解禁したため、これらはバックネット裏・回転看板スペースに掲示されている。
歴史
年譜
- 1924年(第1回大会) 夏季選手権大会の人気や中等野球の興隆に影響を受け、選手権大会とは異なる選出基準の全国大会の開催が求められ、春季の選抜中等学校野球大会が創設され[20]、山本球場(のちの八事球場)で開催。
- 1925年(第2回大会) 会場を夏の選手権大会と同じ甲子園に変更し、以降、甲子園で開催するようになる。
- 1926年(第3回大会) ラジオ中継開始。
- 1927年(第4回大会) 大正天皇崩御の関係で4月下旬から開催し、決勝戦は5月に開催。優勝校のアメリカ遠征制度が開始。
- 1929年(第6回大会) 勝利校の校歌演奏と校旗掲揚が開始される。
- 1930年(第7回大会) 開会式にて選手宣誓が初めて採り入れられる。
- 1932年(第9回大会) 優勝校のアメリカ遠征制度廃止。
- 1933年(第10回大会) 前年優勝校の無条件出場制度が廃止される。
- 1942年から1946年までは太平洋戦争と、その終戦の混乱により大会は中断。なお、夏の選手権大会と異なり中止になった大会はない。
- 1948年(第20回大会。なお開催当時は第1回大会) 学制改革に伴い、第1回選抜高等学校野球大会として開催される。この大会より警察音楽隊による入場行進曲の演奏が始まる。
- 1954年(第26回大会。なお開催当時は第7回大会) テレビ中継開始。
- 1955年(第27回大会) 大会回数を中等学校時代からの通算とし、以前の大会(第1 - 7回)も回数を変更する。これまで未選出であった東北地区から一関一が選出され、東北初代表として出場する。
- 1959年(第31回大会) 皇太子(2017年現在の天皇・明仁)の大婚によって、決勝戦のテレビ中継が中止になる。
- 1960年(第32回大会) この大会より打者ヘルメットの着用が義務化される。決勝戦の高松商対米子東戦が春夏の甲子園史上初めて優勝決定サヨナラ本塁打で決着。
- 1962年(第34回大会) 準々決勝の作新学院対八幡商の試合が春の甲子園としては初の延長18回引き分け再試合となった(春夏通じて2回目)。
- 1965年(第37回大会) この大会より走者にヘルメットの着用が義務化される。
- 1972年(第44回大会) この大会より片耳の打者ヘルメットの着用が義務化される。
- 1973年(第45回大会) 山形県勢(日大山形)が出場したのを最後に空白県が消える。また同校の勝利を最後に春夏通じての未勝利県も消える。
- 1975年(第47回大会) サンリオの月刊誌である『いちご新聞』に今大会に関するコラムを掲載した。
- 1978年(第50回大会) 前橋が春夏通じて初の完全試合達成。
- 1983年(第55回大会) 記念大会につき出場校数がこれまでより2校増の32校となる。
- 1984年(第56回大会) この大会より出場校数が正式に32校となる。また、大会会期途中より、歴代優勝校名入りの白いプレートを外野フェンスに掲示することを取り止めた。
- 1991年(第63回大会) この大会より開会式の先導が大阪府警察音楽隊フレッシュウインズになる。
- 1992年(第64回大会) ラッキーゾーンが撤去される。
- 1993年(第65回大会) 出場校発表日に偽電話事件が起きる。
- 1995年(第67回大会) 1月17日に阪神・淡路大震災が発生し、中止が検討されたが開催された。一日の割り当て試合数を原則最大3試合とし、会期を一日延長。これ以降9年間は原則として11日間の開催となった。この大会より両耳の打者ヘルメットの着用が義務化される。
- 1997年(第69回大会) 日高中津分校が分校として初めて出場。また、球審がボールカウントを従来と逆(大リーグ式)に「ボール→ストライク」の順で読み上げるように変更した(ただしこの時点から、甲子園球場のスコアボードが改修され、また放送でのアナウンス順が「ボール→ストライク」順に変更される2010年までは、一般向けにはSBO式で表示・アナウンスしていた)。
- 1998年(第70回大会) 史上最多の36校が出場。今大会から応援団コンクールを実施、初戦の全出場校の応援が評価対象となる。また同大会より、高校生による開会式・閉会式の司会進行が行われた。
- 1999年(第71回大会) 沖縄尚学が沖縄県勢として初優勝を果たす。
- 2000年(第72回大会) この大会より延長戦の規定を15回引き分け再試合制に短縮変更される[21]。
- 2001年(第73回大会) 21世紀枠が設けられる。
- 2003年(第75回大会) 神宮大会枠および希望枠が設けられる。準々決勝の東洋大姫路対花咲徳栄戦は、春・夏大会通じて初めての「引き分け再試合の延長戦」となった。
- 2004年(第76回大会) 準々決勝を選手の健康負担を理由に「1日2試合ずつ、2日間の日程」で開催することになり、これ以降原則として12日間の開催となる。決勝戦が雨天により夕方の16:45に試合開始、史上初のナイターとなった。
- 2005年(第77回大会) 天候を理由に、大会第0日目が設定された。高松が史上最高年ブランクで出場(72年ぶり)。
- 2006年(第78回大会) 新潟県の日本文理が勝利を挙げ、未勝利県が消える。
- 2007年(第79回大会) 本塁周辺にダートサークルのラインが追加された(高校野球の公式戦では初)。
- 2009年(第81回大会) この大会よりベースコーチにヘルメットの着用が義務化される。
- 2010年(第82回大会) 全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園大会)を主催する朝日新聞社が後援社として加わる。また、同年夏の第92回選手権大会から毎日新聞社が後援社として加わる。
- 2011年(第83回大会) 3月11日の東日本大震災の発生で開催自粛が検討されたが、開催に踏み切った。甲子園球場のスコアボードのボールカウント表示が、前年までの上から「S・B・O」から「B・S・O」に表示が変更される(球審のアナウンスは既述のように1997年に変更済)。
- 2012年(第84回大会) 地球環境(長野県)が通信制の高校としては全国で初めての甲子園出場を決める。
- 2013年(第85回大会) 「センバツ応援イメージキャラクター」を制定。同回は現役高校生女優の吉本実憂(第13回全日本国民的美少女コンテストグランプリ受賞者)を起用[22]。この大会より開会式に和歌山警察音楽隊カラーガード隊が加わる。
- 2014年(第86回大会) 本大会より準々決勝を1日4試合で実施。準々決勝と準決勝の間に休養日を設ける予定だったが、雨天順延に延長15回で決着が付かなかったカード(前述)の再試合の実施が重なったため、休養日の適用は見送られた。
- 2015年(第87回大会) 決勝戦が降雨により約1時間順延となった。敦賀気比が福井県勢、また北陸勢として初の甲子園優勝を果たした。敦賀気比の松本哲幣が準決勝の大阪桐蔭戦で大会史上初の2打席連続満塁ホームランを放つ。準優勝は東海大四。北海道勢の決勝進出は1963年、第35回大会の北海以来52年ぶり。
- 2016年(第88回大会) 高野連はバックネット裏前方の席に「ドリームシート」118席分を設定し、近畿地方の軟式野球チームの小・中学生を無料招待すると発表した[23]。
- 2017年(第89回大会) 3月26日に行われた福岡大大濠対滋賀学園戦、福井工大福井対健大高崎戦が共に引き分けとなり、春夏の大会を通じて史上初の2試合連続引き分け再試合となった[24]。
- 2018年(第90回大会) この大会の延長戦の13回からタイブレーク制度を新設した。
優勝校に関する記録
歴代優勝校
なお本大会においての連覇は2018年現在3例ある。詳しくは甲子園連覇を参照。
同一地区・同一都道府県・隣県による決勝戦
回 | 開催年 | タイプ | 優勝校 | 結果 | 準優勝校 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
2 | 1925年 | 同一地区かつ隣県 | 松山商(愛媛) | 3 - 2 | 高松商(香川) | この大会から阪神甲子園球場で開催 |
5 | 1928年 | 同一地区 | 関西学院中(兵庫) | 2 - 1 | 和歌山中(和歌山) | |
15 | 1938年 | 同一都道府県 | 中京商(愛知) | 1 - 0 | 東邦商(愛知) | 夏春連覇。選抜初の同一都道府県による決勝 |
16 | 1939年 | 同一地区かつ隣県 | 東邦商(愛知) | 7 - 2 | 岐阜商(岐阜) | 実況中継が解説付きに |
18 | 1941年 | 同一都道府県 | 東邦商(愛知) | 5 - 2 | 一宮中(愛知) | 3月決勝。翌1942年から5年間、第二次世界大戦で大会が中断 |
20 | 1948年 | 同一都道府県 | 京都一商(京都) | 1x - 0 | 京都二商(京都) | 延長11回。学制改革実施により、この大会から選抜高等学校野球大会に改称 |
21 | 1949年 | 同一地区かつ隣県 | 北野(大阪) | 6 - 4 | 芦屋(兵庫) | |
23 | 1951年 | 隣県[注釈 22] | 鳴門(徳島) | 3x - 2 | 鳴尾(兵庫) | |
25 | 1953年 | 同一地区かつ隣県 | 洲本(兵庫) | 4 - 0 | 浪華商(大阪) | |
28 | 1956年 | 同一地区かつ隣県 | 中京商(愛知) | 4 - 0 | 岐阜商(岐阜) | |
31 | 1959年 | 同一地区かつ隣県 | 中京商(愛知) | 3 - 2 | 岐阜商(岐阜) | 皇太子御成婚パレードのため決勝戦のTV中継中止 |
34 | 1962年 | 同一地区 | 作新学院(栃木) | 1 - 0 | 日大三(東京) | 優勝投手は八木沢荘六 作新学院はこの年の夏の甲子園で優勝し、史上初の春夏連覇を達成 |
42 | 1970年 | 同一地区かつ隣県 | 箕島(和歌山) | 5x - 4 | 北陽(大阪) | 優勝投手は島本講平 |
44 | 1972年 | 同一都道府県 | 日大桜丘(東京) | 5 - 0 | 日大三(東京) | 優勝投手は仲根正広 |
46 | 1974年 | 隣県[注釈 22] | 報徳学園(兵庫) | 3 - 1 | 池田(徳島) | 池田高校はチーム総員11名での準優勝 |
51 | 1979年 | 同一地区かつ隣県 | 箕島(和歌山) | 8 - 7 | 浪商(大阪) | 優勝投手は石井毅、準優勝投手は牛島和彦 |
64 | 1992年 | 同一地区かつ隣県 | 帝京(東京) | 3 - 2 | 東海大相模(神奈川) | ラッキーゾーン撤去。優勝投手は三澤興一 |
74 | 2002年 | 隣県[注釈 22] | 報徳学園(兵庫) | 8 - 2 | 鳴門工(徳島) | 優勝投手は大谷智久 |
79 | 2007年 | 同一地区 | 常葉菊川(静岡) | 6 - 5 | 大垣日大(岐阜) | 大垣日大は希望枠での出場。優勝投手は田中健二朗 |
86 | 2014年 | 同一地区かつ隣県 | 龍谷大平安(京都) | 6 - 2 | 履正社(大阪) | 初の京阪対決 |
89 | 2017年 | 同一都道府県 | 大阪桐蔭(大阪) | 8 - 3 | 履正社(大阪) | 初の大阪勢対決。履正社は2度目の準優勝。 |
90 | 2018年 | 同一地区かつ隣県 | 大阪桐蔭(大阪) | 5 - 2 | 智辯和歌山(和歌山) | 大阪桐蔭は史上3校目の大会連覇。 |
優勝校のアメリカ遠征(第4回~第8回)
第4回大会(1927年)から、主催の大阪毎日新聞社が野球の本場メジャーリーグの見学や日米親善という趣旨によりこの年から優勝校のアメリカ遠征が行われるようになった。この制度によってアメリカに遠征した優勝校は和歌山中(和歌山)、関西学院中(兵庫)、第一神港商(兵庫)、広島商(広島)の4校。
アメリカ遠征は夏休みを利用して行い7月中旬から9月中旬までの長期に渡り、メジャーリーグの試合見学や地元高校との親善試合も行った。夏の大会開催中に主力選手がアメリカ遠征に行っているため、春の優勝校は控え選手で夏の大会予選を戦うことになった。その中で第4回の優勝校だった和歌山中は控え選手で夏の大会の予選を制し、全国大会に出場した。
第9回大会(1932年)より、外国チームとの試合を禁止する野球統制令を政府が出したことにより、それ以降は優勝校のアメリカ遠征は中止になった。
なお、春の優勝校のアメリカ遠征に関しては春の大会を主催していた毎日新聞社が朝日新聞社が主催していた夏の大会の興味をそぐ目的があったという陰謀説も存在する。
応援団賞
第70回大会(1998年)より応援団賞が設けられた。21世紀枠導入以降は21世紀枠校には最低1校には必ず優秀賞以上を与えることが不文律となっており、最優秀賞を受賞することが多くなっている。最優秀賞受賞校は第73回大会の桐光学園を除き公立校が占めている。また21世紀枠以外の最優秀賞受賞校は第90回大会で彦根東が受賞するまでいずれも春夏を通じて初出場となっていた(同大会までの7校中3校は21世紀枠導入前)。
- 審査規定
- 出場校の初戦(原則1回戦。記念大会の場合は一部を除く2回戦も)を対象に審査を行い、閉会式に最優秀賞1チーム、優秀賞5チームが選出され表彰される。最優秀賞に選出された学校は、閉会式で毎日新聞社から盾が応援団長に授与される。第83回大会(2011年)は震災を理由に応援団賞の選考が行われなかった[25]。なお、同じ毎日新聞が主催する都市対抗野球大会における応援団賞は大会全試合が対象であり、さらに初戦を対象とした「ファーストステージ」(2011年までは試合日程の順番による「前期賞」「後期賞」)と、大会全試合を対象とした「期間賞」に細分されている。
年/回数 | 最優秀賞校 | 優秀賞校 |
---|---|---|
1998年 第70回 |
豊田西(愛知) | 新発田農(新潟)・創価(東京)・関大一(大阪)・郡山(奈良)・高鍋(宮崎) |
1999年 第71回 |
峰山(京都) | 高崎商(群馬)・駒大高(東京)・日大三(東京)・高田(奈良)・九産大九州(福岡) |
2000年 第72回 |
橿原(奈良) | 作新学院(栃木)・埼玉栄(埼玉)・国士舘(東京)・創価(東京)・丸亀(香川) |
2001年 第73回 |
桐光学園(神奈川) | 安積(福島)・関西創価(大阪)・智弁学園(奈良)・小松島(徳島)・宜野座(沖縄) |
2002年 第74回 |
三木(兵庫) | 前橋(群馬)・津田学園(三重)・金光大阪(大阪)・広陵(広島)・松江北(島根) |
2003年 第75回 |
隠岐(島根) | 花咲徳栄(埼玉)・浜名(静岡)・智弁和歌山(和歌山)・岡山城東(岡山)・秀岳館(熊本) |
2004年 第76回 |
八幡浜(愛媛) | 一関一(岩手)・常葉菊川(静岡)・八幡商(滋賀)・大阪桐蔭(大阪)・社(兵庫) |
2005年 第77回 |
高松(香川) | 慶応(神奈川)・愛工大名電(愛知)・如水館(広島)・西条(愛媛)・神村学園(鹿児島) |
2006年 第78回 |
金沢桜丘(石川) | 北海道栄(北海道)・早稲田実(東京)・高岡商(富山)・今治北(愛媛)・伊万里商(佐賀) |
2007年 第79回 |
室戸(高知) | 都留(山梨)・日大藤沢(神奈川)・市川(兵庫)・県和歌山商(和歌山)・鹿児島商(鹿児島) |
2008年 第80回 |
成章(愛知) | 安房(千葉)・長野日大(長野)・平安(京都)・興譲館(岡山)・下関商(山口) |
2009年 第81回 |
彦根東(滋賀) | 習志野(千葉)・掛川西(静岡)・PL学園(大阪)・今治西(愛媛)・大分上野丘(大分) |
2010年 第82回 |
川島(徳島) | 山形中央(山形)・東海大相模(神奈川)・向陽(和歌山)・自由ケ丘(福岡)・嘉手納(沖縄) |
2011年 第83回 |
東日本大震災の影響で応援団が甲子園に来られない学校があり 審査の公平性が保てないと判断したため選考無し[25]。 | |
2012年 第84回 |
宮崎西(宮崎) | 石巻工(宮城)・高崎(群馬)・愛工大名電(愛知)・三重(三重)・洲本(兵庫) |
2013年 第85回 |
土佐(高知) | 遠軽(北海道)・春江工(福井)・安田学園(東京)・済々黌(熊本)・尚志館(鹿児島) |
2014年 第86回 |
大島(鹿児島) | 佐野日大(栃木)・龍谷大平安(京都)・智弁学園(奈良)・広島新庄(広島)・池田(徳島) |
2015年 第87回 |
豊橋工(愛知) | 大曲工(秋田)・県岐阜商(岐阜)・大阪桐蔭(大阪)・今治西(愛媛)・糸満(沖縄) |
2016年 第88回 |
小豆島(香川) | 釜石(岩手)・常総学院(茨城)・木更津総合(千葉)・大阪桐蔭(大阪)・秀岳館(熊本) |
2017年 第89回 |
中村(高知) | 作新学院(栃木)・多治見(岐阜)・大阪桐蔭(大阪)・智弁学園(奈良)・創志学園(岡山) |
2018年 第90回 |
彦根東(滋賀) | 慶応(神奈川)・膳所(滋賀)・乙訓(京都)・おかやま山陽(岡山)・伊万里(佐賀) |
選抜校に関する記録
同一都道府県からの複数校の出場
- 4校出場
年度 | 大会 | 都道府県 | 出場校 |
---|---|---|---|
1933年 | 第10回 | 和歌山県 | 海草中・和歌山商・海南中・和歌山中 |
1937年 | 第14回 | 愛知県 | 中京商・東邦商・享栄商・愛知商 |
- 3校出場
年度 | 大会 | 都道府県 | 出場校 |
---|---|---|---|
1930年 | 第7回 | 兵庫県 | 第一神港商・甲陽中・明石中 |
1931年 | 第8回 | 兵庫県 | 第一神港商・甲陽中・明石中 |
1933年 | 第10回 | 愛知県 | 中京商・享栄商・一宮中 |
兵庫県 | 明石中・神戸一中・関西学院中 | ||
1934年 | 第11回 | 愛知県 | 東邦商・享栄商・中京商 |
大阪府 | 浪華商・日新商・堺中 | ||
1935年 | 第12回 | 愛知県 | 愛知商・東邦商・中京商 |
1936年 | 第13回 | 愛知県 | 愛知商・東邦商・享栄商 |
兵庫県 | 育英商・滝川中・姫路中 | ||
1938年 | 第15回 | 大阪府 | 浪華商・日新商・京阪商 |
兵庫県 | 甲陽中・明石中・滝川中 | ||
1940年 | 第17回 | 愛知県 | 東邦商・愛知商・中京商 |
1947年 | 第19回 | 京都府 | 京都一商・京都二商・京都二中 |
和歌山県 | 田辺中・海草中・和歌山中 | ||
1988年 | 第60回 | 大阪府 | 上宮・近大付・北陽 |
1995年 | 第67回 | 兵庫県 | 神港学園・報徳学園・育英 |
2001年 | 第73回 | 茨城県 | 常総学院・水戸商・藤代 |
2018年 | 第90回 | 滋賀県 | 近江・彦根東・◆膳所 |
- ◆は21世紀枠
第75回大会(2003年)以降、一般枠での同一道府県からの選出は2校までと内規で定められている。ただし、21世紀枠を含めての3校選出は可能であり、2018年の第90回記念大会における滋賀県勢が初のケースとなった。
選抜に関するエピソード
1969年の秋の東京大会において帝京商工高等学校(現・帝京大学高等学校)が準優勝し、東京都高野連も翌年の第42回大会(1970年)に推薦した。しかし、高野連の選出委員会は帝京商工の火事による資料の喪失から戦力分析が不可能との理由で帝京商工を選出しなかった。
帝京商工はこれを不満として1970年2月20日に高野連を相手取り代表決定の効力停止の仮処分を大阪地方裁判所に申し立てた。これに対して東京都高野連は同校の対外試合を禁止する制裁を決定。さらにこの制裁に対して同校は東京地方裁判所に仮処分を申請するなどの泥仕合となった。
この際に帝京商工側が「選抜落選や試合禁止は野球選手としての就職が不利になる」としたことから高校野球においてそのような考え方の是非について議論を巻き起こした。3月9日には対外試合禁止が撤回され、3月12日には大阪地方裁判所で申立てが却下され続いて東京地方裁判所に対する申立ても取り下げられ問題は決着した。なお第42回大会には、東京都からは東京大会優勝の日大三高と都大会4位の堀越高等学校が出場した。
外地からの出場
戦前の大会で外地から選抜された学校は2校ある。いずれも台湾の学校で第7回・10回大会に台北一中が、第12回大会に嘉義農林が選抜された。
その他の記録
テレビ・ラジオ中継
NHK
テレビは第26回大会(1954年)から放送されている。第38回大会(1966年)よりカラー放送。放送開始当初は、春夏とも総合テレビで放送できない時間(ニュースなど)は原則として放送が中断されており、1974年夏の第56回選手権大会準々決勝の東海大学附属相模高等学校対鹿児島実業高等学校戦の延長戦中継方式を巡って、視聴者から苦情が殺到した(全国高等学校野球選手権大会#NHKでの中継参照)。そのため翌1975年の第47回大会では一部の試合で総合テレビと教育テレビ(Eテレ)によるリレー中継を導入した。これが好評だったため同年の夏の大会以降この形でのリレー方式で完全生中継を行っている。地上デジタル放送開始以降は、イベントリレー機能を利用して放送終了約15秒前にリレー案内を実施している。
放送の形態は以下のとおり。
- テレビは2006年から5.1サラウンドを実施している。
- 初戦では学校紹介のVTRが流れる。(BGMはその年の入場行進曲のオルゴール版、VTRは主に学校の門や校内を中心に紹介)
- 第82回大会(2010年)までデジタル衛星ハイビジョン(全試合)・衛星第2(開会式、準々決勝、準決勝、決勝、閉会式のみ)でも中継していた。BS波を使ったハイビジョンの中継はBSアナログハイビジョン実用化試験放送の頃から続いており、第79回(2007年)まで大相撲開催期間中は16:00で中継を終了していた。衛星第2では東京都小笠原諸島、沖縄県大東島地方の地上波テレビの衛星再送信中継局ができるまでは東京代表と沖縄県代表出場校の試合も放送されていた。BSアナログハイビジョン実用化試験放送の頃は、毎日放送と共同制作となったこともある。
- 第49回大会(1977年)までは他の野球中継と同様、ラジオ第2で放送されていた。(近畿圏ではラジオ第1で放送したこともある)。それ以前は市況放送、講座放送の合間を縫っての放送だった。
- 海外でも準々決勝以降はNHKワールド・プレミアムでも放送。NHKワールド・ラジオ日本ではこれまで一切放送されていなかったが、2013年から国際放送独自の日本語ニュース・海外安全情報(11時台、13時台、土日祝16時台、平日18時台からそれぞれ5~15分間)が放送される時間帯を除き全編同時放送を行う。
- 総合テレビ、ラジオ第1で中継が出来ない場合はそれぞれ教育テレビ(Eテレ)、FM放送で振り替えて中継する[注釈 23]。大相撲期間中は幕内の取組が始まる時間帯に合わせて16時台までで総合テレビとラジオ第1での放送は終了する。
第83回大会(2011年)のテレビ中継は東日本大震災関連番組の優先や電力事情の考慮のため、次のような特別体勢がしかれた。
- 東北地方は総合テレビでの震災報道を優先するため、準々決勝まで教育テレビのみで放送(同時間帯の通常番組はサブチャンネルのデジタル教育3で放送)
- 東北・関東地方では当該地区の学校が出場する試合を除いて16時を以って中継を終了する。なお、16:55以後試合が続いている場合は教育テレビでリレー中継を行う。
- 海外向け「NHKワールド・プレミアム」も16:55で放送を打ち切る。
- 震災関係の情報・ニュース番組を優先するため、10時台と14時台-16時55分以外の放送を教育テレビで行う。
- 総合テレビの定時ニュースは決勝を除き試合展開にかかわらず毎時0分に挿入する。
- 各試合のダイジェスト動画を、ホームページ上で公開する。
- 1回戦での学校紹介VTRを行わない。
- 音声は5.1サラウンドを実施せず、ステレオ音声で放送。
第89回大会(2017年)は8Kスーパーハイビジョンで準決勝・決勝の試験放送を行う[26]。放送(地上波・8K試験放送)において、投手の投球数表示(球速表示と交互に)がされるようになった。第90回大会(2018年)は4Kで準決勝・決勝の試験放送を行う。
第91回大会(2019年)からは中継テーマソングとして福山雅治の「甲子園」が使われる予定(夏の全国高校野球選手権大会も同様)。
解説者については、高校野球解説者一覧を参照。
毎日放送(MBS)グループ
地上波放送では毎日放送(テレビ・ラジオのいずれも)、衛星放送ではGAORA(同名の連結子会社が運営するCATV・CS放送チャンネル)で試合を中継している。
地上波での中継では、ラジオ・テレビとも、長年にわたって大会歌(陽は舞いおどる甲子園→今ありて)のインストをオープニングとエンディングで放送。テレビ中継では第68回大会(1996年)より、ラジオ中継では第71回大会(1999年)から、入場行進曲を採用していた[注釈 24]。第77回大会(2005年)以降のテレビ中継では、独自のテーマソング[注釈 25]を設定している。
テレビ・ラジオ・GAORAとも、中継での実況やインタビュアーを、毎日放送に所属する現役のスポーツアナウンサー[注釈 26]が担当(MBSベースボールパークの当該項も参照)。第80回大会(2008年)までは毎日放送(ラジオのみ)、第81回大会(2009年)以降はGAORAで放送する大会序盤の試合中継が、毎日放送の新人・若手アナウンサーによる野球中継での実況デビューの場にもなっている。また、毎日放送公式サイト内の大会関連ページでは、同局のスポーツアナウンサー(主にGAORAでの中継の実況担当者)が試合ごとに戦評を記している。
ただし、2005年以降の全国高校野球選手権大会中継(毎日放送と同様の放送体制で朝日放送テレビが制作を担当)とは違って、地上波での系列局に所属するスポーツアナウンサーが、実況・インタビュー要員として大会期間中に派遣されることはない[注釈 27]。GAORAのプロ野球中継で実況・リポーターを務めるスポーツアナウンサーも、毎日放送からの出向者を含めて、当大会の中継には登場しない[注釈 28]。
毎日放送では毎年、大会期間中にハイライトのテレビ番組を制作。かつては、番販扱いで、他のJNN系列局の一部でも放送していた。第73回(2003年)以降の大会期間中に編成している『みんなの甲子園』では、地上波での放送を関西ローカルにとどめているほか、テレビ中継と同じテーマソングを使用。2014年までは、GAORAでも大会期間中に、前日(または当日の未明)の毎日放送放送分を当日の第1試合中継開始前に日本全国へ流していた。
地上波テレビ
毎日放送では、第31回大会(1959年)から第74回大会(2002年)までは1回戦から決勝戦まで生中継していた。なお、第29回大会(1957年)、第30回大会(1958年)は旧大阪テレビ放送(現・朝日放送テレビ)が中継していた。大阪テレビ放送は毎日新聞社、朝日新聞社、朝日放送(当時。ABC)、そして毎日放送の前身・新日本放送(NJB)との合弁企業だったためである。従って、この2回の高校野球の民放テレビ中継は大阪テレビの事実上独占放送だった。
テレビ中継のタイトルは、NHKと同じく「第○○回センバツ」である。かつて第66回大会(1994年)までは春も「第○○回選抜高等学校野球大会・中継」であった。ただしオープニングはグラウンドをバックにしたタイトル表示はあったが、最終試合以外の(例:第1〜3試合)エンディングは「第○日(若しくは準々決勝、準決勝) 第(一〜三)試合 終。」だけだった(ニュース等の中断明けの時間を案内することもあった)。はグラウンドをバックに「第○○回センバツ」とOP、ED、イニング間もタイトル出しが行われている。
初期は完全放送を実施していたが(試合の幕間にMBSニュース、お天気のお知らせ、『水道完備ガス見込』などの帯ドラマを放送)、第38回大会(1966年)以降昼間時には平日は東京局(1975年3月30日まではNET、同年3月31日以降はTBS、「ネットチェンジ」参照)発の全国ネット番組を、日曜は自社製作の演芸、バラエティー番組(後年は日曜もTBS発の全国ネット番組)を編成するようになった(土曜日と準決勝以降、後年は準々決勝以降を除く)。
しかし、朝日放送テレビのようなサンテレビなどの近畿圏独立局経由のリレー形式を取り入れる事は、すでに朝日放送テレビがこれら独立局と包括的な提携を結んでいたため、毎日放送にはそれができなかった。それに加え選抜高校野球大会の視聴率が1桁に低迷した事、TBSテレビ発の全国ネット番組を編成するのに障害が生じてきたことや、そして夕方ワイド番組(『ちちんぷいぷい』)を強化したい毎日放送の意向もあり、第75回大会(2003年)からは「センバツは別の形でお届けしたい」として準決勝の2試合と決勝戦の生中継だけとなり2015年以降は決勝のみとなった。なお第76回大会(2004年)の決勝戦は雨天により開始時間が大幅に遅れ、ナイターとなったため地上波の放映が中止となっている。
毎日放送制作の高校野球中継は東京地区では第32回大会(1960年)〜第34回大会(1962年)・第36回大会(1964年)・第41回大会(1969年)はNETで、第35回大会(1963年)はTBSで(スポンサード・ネット)、第37回大会(1965年)〜第40回大会(1968年)・第42回大会(1970年)〜第46回大会(1974年)は東京12チャンネル(現:テレビ東京)で多く放送され、特に当時放送番組に窮していた東京12チャンネルでは完全中継を実施したこともあった。ほかカードによりtvk、チバテレビで放送されたこともある。名古屋地区では当初東海テレビでのち名古屋テレビから中京テレビで放送され、名古屋テレビと中京テレビの変則クロスネット解消後は岐阜放送、「腸捻転解消」後は中部日本放送(現:CBCテレビ。但し決勝戦のみ)でも放送された。いずれも1975年のいわゆる「腸捻転解消」で、毎日放送がTBS系になったことに伴いほとんど放送されなくなった。TBSで放送されたのは今のところ第50回大会(1978年)の決勝戦が最後である。
、地方局へのネットは長野代表校登場の際に信越放送、沖縄代表校登場の際に琉球放送(放送時間はかつての毎日放送に準ずる。編成上の都合で放送されない時もある)が行なっている。また、決勝戦のネットは東北放送(第73回・2001年、仙台育英)、中部日本放送(第77回・2005年、愛工大名電/第79回・2007年、大垣日大)、長崎放送(第78回・2006年、清峰/第81回・2009年、清峰)、IBC岩手放送(第81回・2009年、花巻東)、青森テレビ(第84回・2012年、光星学院(現:八戸学院光星))、あいテレビ(第85回・2013年、済美)[注釈 29]、北海道放送(第87回・2015年、東海大四(現:東海大札幌))、山陽放送(第88回・2016年、高松商)[注釈 30]など、2000年代以降は決勝進出校が東京・関東地区以外であればネットされるケースが多い[注釈 31]。JNN系列局以外へのネットとしては、福井代表校登場の際に福井放送(NNN系)、第60回大会(1988年)で宇和島東が進出した決勝戦をネットした南海放送(NNN系、当時あいテレビは未開局)などの例がある。
第88回大会(2016年)からは、決勝戦の中継に赤星憲広が毎年ゲスト解説で出演している。学生野球資格を回復済みのプロ野球経験者が、高校野球全国大会のテレビ・ラジオ中継で解説陣に加わる事例は、前述の全国高等学校野球選手権大会中継を含めても初めてである[27][注釈 32]。
ラジオ
毎日放送では、「センバツ高校野球・実況中継」というタイトルで放送。新日本放送(NJB)時代の第24回大会(1952年)から、試合の生中継を開始した。ただし翌年からはもっぱら生中継は準決勝、決勝戦のみ行い、そのほかの試合は当日の12時、17時台(後年は22時台)にダイジェスト版を放送していた。また、この時期に開局した京都放送(当時KHK、現在のKBS京都)や四国放送(当時JR、現在のJRT)などの地方民間放送局へもネットしていた。決勝戦はNHKに対抗して「3元立体放送」(ステレオ放送とは別)と題して、アルプススタンドや出場校の地元にリポーターを配して放送していた。その後第31回(1959年)からは和歌山放送(当時WBC、現在のWBS)で1回戦から一部の試合を中継。第35回大会(1963年)以降は毎日放送で全試合完全生中継を行い(ただしWBCは準決勝、決勝戦の放送をしばらくの間毎日放送とのサイマルで続行)、第38回大会(1966年)以降はJRN・NRNを通して全国に配信している。これ以降東京地区でも放送されるようになった。ただし、「自社制作のローカル番組の編成を優先する」「スポンサーが付きにくい」「NHKでも放送されている[28]」などの理由から、地元校が準決勝あるいは決勝まで進まない限りネット受けを実施しない局が年々増加。JRN親局のTBSラジオでも、第71回大会(1999年)以降は中継を放送していない。NRN親局のニッポン放送や文化放送も、それ以前(1980年代)から中継放送を行わなくなっている。
毎日放送では、毎日放送の社長を河内一友が務めていた第81回大会(2009年)から、「民放には民放のやり方がある」という河内の方針で準決勝と決勝のみを中継[29]。準々決勝までの試合については、『春一番!センバツ甲子園』という速報を単独番組として放送したり、自社制作の生ワイド番組に内包させたりしていた。第88回(2016年)以降の大会では、中継の対象を決勝戦に限るとともに、『春一番!センバツ甲子園』を編成していない。ただし、近畿地方以外の出場校が登場する準決勝までの試合で、地元のラジオ局に向けて裏送り形式の中継を実施することがある。
衛星放送(GAORA)
GAORAでは、1990年のスペース・ビジョン・ネットワーク開局から1994年までは当日の夜からダイジェストで放送[30]、1995年より全試合完全中継している。生中継ができない場合はこの時間の試合分を録画中継(ニアライブ)する[注釈 33]。
GAORAでは、大会終了後に、「センバツプレイバック」(全試合の再放送や過去の大会からの名勝負の映像で構成された1時間番組)などを随時放送。第86回大会(2014年)までは、大会期間中に『みんなの甲子園』の遅れ放送も実施していた。毎日放送が『みんなの甲子園』の放送体制を大幅に改めた第87回大会(2015年)から第89回大会(2017年)までは、大会期間中の放送を取り止める代わりに、毎日放送での放送内容を前・後編の構成で編集したダイジェスト番組を大会終了後に放送していた。第90回大会(2018年)には、ダイジェスト番組の放送を続ける一方で、『みんなの甲子園』本編の遅れ放送を再開する。
なお、TBS系の衛星放送(BS-TBS、TBSニュースバード、TBSチャンネル)では、試合の中継や関連番組を一切放送していない。
2013年以降、中学時代にクラブチームに所属していた選手に関しては、打席時の選手紹介テロップにおいて出身中学名に代わり出身クラブチーム名を表示している。
インターネット配信
毎日放送の公式サイト内に設けられる本大会のページでは、第70回大会(1998年)より試合速報の配信を開始。第71回大会(1999年)[31]から第87回大会(2015年)までは、NTTスマートコネクト(NTT西日本の子会社)からの協力によって、リアルタイム中継を実施していた。また、インターネットテレビ向けに、中継の動画を積極的に配信している。
リアルタイム中継の開始当初は、ラジオ向けの実況音声と、毎日放送のテレビカメラで撮影した映像を組み合わせた動画を配信していた。しかし、試合終了後のダイジェスト版へのアクセス件数が多かったことから、第78回大会(2006年)以降の試合ではイニングが終了するたびにビデオ・オン・デマンド形式(画面アスペクト比16:9)で配信する方式に変更。ラジオ中継が縮小された第81回大会(2009年)以降は、ラジオに代わって、GAORA・毎日放送のテレビ中継向けの実況音声を使用していた。ただし、第80回大会(2008年)では、準決勝・決勝限定でリアルタイム中継を復活させている。
第82回大会(2010年)では、Twitter(ID:@senbatsu)で得点経過や試合経過を知らせるサービス[32]や、Ustreamによる準々決勝以降の試合動画のライブ配信を開始[33]。第83回大会(2011年)では、ライブ配信の対象が、開会式から決勝戦までの大半の試合にまで拡大された。第84回大会(2012年)では、Twitterでの情報提供サービスを中止。その一方で、第84回大会から第87回大会(2015年)までは、第83回大会と同じ内容のライブ配信を、毎日放送公式サイト内の特設ページから実施していた。
第88回大会(2016年)からは、毎日新聞社と毎日放送によるコラボレーション企画として、毎日新聞社の公式サイト内に「センバツLIVE」(ライブ動画の配信に関する公式総合サイト)を開設。前年までと同様に、NTTスマートコネクトからの協力によって[34]、GAORAの中継映像・実況音声を活用した大会全試合のリアルタイム配信を無料で実施するほか、「ワンプレー速報」(テキスト形式の1球速報)やスマートフォン向けの専用アプリなどを提供している[35]。
なお、以上のリアルタイム中継ではいずれも、各イニング間(以前は対象カードに登場する高校の校歌が流れるシーン(2回表終了後・2回裏終了後および試合終了後)、番組テーマソングが流れている時間帯(中継のオープニング、エンディング)も含む)に配信を一時中断。他のシーンでも、同様の措置を講じることがある。
その他放送局
1959年開局時は連日春の大会を中継し、その後は春・夏とも1回戦から地元校の試合をネット受けにより中継してきたラジオ局の和歌山放送が第81回大会(2009年)は開局記念番組として、代表である箕島の試合を1回戦から準々決勝(敗退)までアナウンサーとゲスト解説者(1、2回戦はOBでもある尾藤公が担当)を自局で派遣して中継した。以下はラジオでの事例を述べる。
第86回(2014年)は、琉球放送(RBCiラジオ)が沖縄尚学の試合(1回戦)をアナウンサーと解説者を自局で派遣し中継した。
第87回(2015年)は、南海放送が今治西、松山東の試合(1回戦)を中継した[36]。
第88回(2016年)は、西日本放送が小豆島、高松商の全試合を毎日放送からの裏送り[37]で中継した[38]。
第89回(2017年)は、栃木放送が作新学院の試合(1回戦)を毎日放送からの裏送り[39]で中継。
ニコニコ生放送
第86回大会(2014年)からニコニコ生放送が新規参入。NHKでの放送を見ながら実況する「テレビ実況生放送」として配信(メインMCに愛甲猛)。基本的に全試合で行われているが、第88回(2016年)は準々決勝から[40]に縮小されている。第90回大会(2018年)は出演者はなくユーザーがコメントする形のみに変更された。
センバツ応援イメージキャラクター
第85回大会(2013年)から、オスカープロモーションとのタイアップにより「センバツ応援イメージキャラクター」が制定された。イメキャラはGAORAの開会式中継にゲスト出演することが慣例となっている(NHKは、放送法第83条(広告放送禁止規定)に抵触する「個人広告」とみなされる為、出演が禁止されている)。
- 第85回(2013年度):吉本実憂
- 第86回(2014年度):小芝風花
- 第87回(2015年度):小澤奈々花
- 第88回(2016年度):井頭愛海
- 第89回(2017年度):岡田結実
- 第90回(2018年度):玉田志織
脚注
注釈
- ↑ 。たとえば、第62回の東北地区は、前年の選手権大会で東北勢が2校ベスト4(仙台育英が準優勝、秋田経法大付がベスト4)に残ったのを考慮して3校選ばれた。21世紀枠を除けば初となる。
- ↑ 第88回大会の選考では、関東・東京地区の5校目の選出過程において東京大会準優勝の二松学舎大付が「エースの大江竜聖投手に頼りすぎである」という理由で落選した一方、近畿地区においては準々決勝でコールド負けした市和歌山が延長14回の末0-1で敗れた報徳学園との比較において「コールド負けは1点を追う展開で勝負をかけてエースに代打を出し、代わった2番手投手が打ち込まれた結果でありマイナスにはならず、両校の実力は同等である」と判断され、選出されれば兵庫から21世紀枠を含め3校目となる報徳学園を地域性で上回り選出された
- ↑ これにより出場校が32を下回る県では理論上、県大会初戦敗退でも甲子園に出場できる可能性が生じている。
- ↑ 例として83回大会の総合技術(広島)、84回大会の高崎(群馬)は21世紀枠では選出されなかったが、一般選考枠で選出された。
- ↑ 初戦では同じ21世紀枠のいわき海星に勝利。21世紀枠同士の対戦は史上初であった。
- ↑ 初戦で同じ21世紀枠の小豆島に勝利
- ↑ ほかに構成する都道府県が無いため、21世紀枠が始まった2001年から毎年選出されている。
- ↑ 長らくは年間130試合制であったが、1990年代後半以降は増加していき、2018年時点では年間143試合制としている。
- ↑ セ・リーグの規定ではAクラス入賞を果たせば翌々年の本拠地での開幕カード主催権を得られる(2001年以降、現在まで。2000年以前は翌年)が、阪神は11年ぶりにAクラス入賞を果たした2003年の翌々年である2005年以降は、京セラドーム大阪にて開幕カードを迎えている(但し、2011年は震災の影響で開幕が順延したことによりイレギュラーで阪神甲子園球場にて開幕カードを迎え、また2017年は主催権を返上しビジターで開幕カードを迎えた)。
- ↑ それまで準々決勝を2日間に分けて実施してきたが、準々決勝が2日目のチームは決勝まで三連戦となるため不公平感が生じることから、全チームが平等となるよう準々決勝4試合全てを1日で消化するようにした。
- ↑ 大会の開幕時期はまだ学年としては前年度であるため。基本的に開会式入場行進司会者は新卒生が務める。唯一の例外は第77回大会(2005年)の八重樫葵(現・秋田放送アナウンサー、起用当時は旧1年生)。なお兵庫県の高校生は、県大会上位入賞者が選手権大会の司会を務める関係上、全国コンクール優勝者であっても起用されないのが慣例だったが、第89回大会(2017年)開会式では、第97回選手権大会(2015年)開会式で司会を務めた新卒生(2016年度アナウンス部門優勝)が入場行進司会を務めた。
- ↑ うち1名は第85回記念大会(2013年)まで基本的に開会式式典と閉会式を兼務。閉会式は基本的に年度をまたぐため旧2年生以下(ただし旧1年生の選出実績はない)の生徒に限る。第86回大会(2014年)以降は開会式式典も新卒生(入場行進とは別の生徒)が担当している。
- ↑ ゲートは「セン(ここに大会回数が入る)バツ」。
- ↑ 第87回大会(2015年)では開式の辞の時に入場行進司会者と共に自己紹介を行なった。
- ↑ 『関西845』2008年2月15日放送分より。
- ↑ 出席できない場合は副大臣、政務官が代理。第90回大会(2018年)は、文部科学省の外局であるスポーツ庁から、長官の鈴木大地が出席。
- ↑ 第88回大会(2016年)は3月31日で閉幕した(当初の予定通り)ため、旧学年を言った。
- ↑ 第88回大会(2016年)のNHKラジオ第1は、次のファンファーレと閉式の辞まで収まった。
- ↑ ただし、第82回大会(2010年)は、3月24日及び3月25日と2日間雨天順延、日程が過密化した事により準々決勝は3月31日に4試合一括で行われた。
- ↑ 2013年・85回記念大会は東北絆枠など震災復興支援のため特例で36チーム。
- ↑ そのため決勝が平日に行われる場合、NHKではEテレ→総合テレビのリレー放送を極力避ける方針から、総合テレビ正午の『NHKニュース』の放送時間を通常の20分から15分に縮小し『連続テレビ小説』再放送を通常より30分繰り上げて放送している。土曜の場合、12時台は平日と同じ(土日正午の『NHKニュース』は通常15分)だが、13時台に『大河ドラマ』再放送があるため、13:00 - 13:50(『NHKニュース』含む)のみEテレで放送(例:第89回=2017年)。日曜の場合、東日本大震災発生直後に開催の第83回=2011年は『NHKニュース』を12:30まで放送してから中継を開始し(『NHKのど自慢』は翌週より放送再開)、第71回=1999年は12:10から教育テレビで放送した後、『NHKのど自慢』(同日放送分は事前収録)終了後の13:00から総合テレビへ移行(ラジオ第1は12:15中継開始で『NHKのど自慢』を雨傘番組に設定しなかった)。
- ↑ 22.0 22.1 22.2 鳴門海峡を隔てて隣接。
- ↑ 特に国会中継における『予算委員会・決算委員会』の集中質疑に割り当てられる場合あり。生中継の都合上放送できなかった場合は深夜0時10分に緊急編成し、終了時間は不定である。
- ↑ ちなみにテレビはOPと当日の最終試合のEDが原曲、中継放送のEDはインストバージョン。ラジオはOPもEDもインストバージョン。中継のジングルや最終試合のEDは原曲。ただし第72回大会(2000年)、第73回大会(2001年)(ジングルは「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」)、第77回大会(2005年)はOP・EDのみ大会歌を使用。第74回大会(2002年)〜第76回大会(2004年)、第80回大会(2008年)以降はジングルもインストバージョン。
- ↑ OPは「侍プロ野球」とおなじ効果音によりタイトル出し(第81回大会(2009年)はTBS系のドラマ、東宝系の映画「ROOKIES」と同様のフォントによるタイトル)をするだけ。はNHKテレビもOP・EDのテーマを省略する。EDは第80回大会(2008年)が「一歩一歩〜終わりなき道しるべ〜」(ONE☆DRAFT)、第81回が「One」(Aqua Timez)、第82回大会(2010年)が「夢追いの地図をひろげて」(MASH)、第83回大会(2011年)が「春」(カラーボトル)、第85回大会(2013年)が「ありがとう」(FUNKY MONKEY BABYS)。
- ↑ 2017年の第89回大会からは、毎日放送の定年(前年9月)を前にプロ野球中継の担当を完全に退いた美藤啓文も、毎日放送の「シニアスタッフ」(スポーツ中継専任の嘱託アナウンサー)として大会中継の実況・インタビューを担当している。
- ↑ TBSテレビは、大相撲三月場所期間中にスポーツアナウンサー(一部を除きプロ野球実況も担当)を朝のワイド番組のスポーツコーナーおよびラジオの素材音源制作目的で大阪へ派遣しているが、三月場所終盤に概ね開幕する当大会には携わらない。なお技術や制作などのスタッフは、毎日放送を含むJNN基幹局の5局で派遣。派遣スタッフが携わる中継では、「FD●●●●●(氏名)○○○(局)」という形式の字幕をエンディングに表示する。
- ↑ 第88回大会現在、中継はほぼテレビのみで、1日の試合数も3試合がほとんどである。そのため、仙田和吉が毎日放送・ラジオ関西にて週末にラジオで放送される競馬中継への出演を優先するなど、スポーツアナウンサーの人員配置に余裕を持たせている。
- ↑ 同じく済美が決勝進出した2004年の第74回は、先述の通り雨天で試合開始が遅れたため編成の都合上、毎日放送・中部日本放送と同様に放送せず。
- ↑ 『ひるおび!』のネットを13:00で降りて放送。
- ↑ 2000年代以降、TBSテレビのエリア以外でネットしなかった例としては中国放送(第75回・2003年、広陵。1991年の第63回はネット)、RKB毎日放送(第83回・2011年、九州国際大付)がある。
- ↑ プロ野球経験者でないプロ野球解説者では、記者出身の有本義明がNET・東京12チャンネルとのネット時代に本番組の解説に出演した例がある。なお、赤星は毎日放送専属解説者ではないが、雨天順延等で他局のプロ野球解説と干渉した場合は本番組への出演を優先している(例:2017年。逆に『みんなの甲子園』は他局の仕事よりも優先順位が下)。
- ↑ 大会日程とGAORAプロ野球中継(阪神・日本ハム主管試合)の中継時間帯が重複した場合、プロ野球中継を優先し高校野球は途中で終了、重複分は録画中継となる。実例として2010年・第82回大会の決勝は雨天延期が相次いだため、4月3日に延期されたが、GAORAは当日はプロ野球「日本ハム対西武」の放送があらかじめ予定されていたため、当日の生放送ができず、4月5日の録画中継が初回放送となった。また2014年・第86回大会も3月29・30日(30日はもともと休養日だったが、雨天中止による延期で開催日となった)に予定されている試合が、プロ野球「日本ハム対オリックス」の中継と重複する日程となったため、プロ野球を優先し、高校野球は当日夜~翌朝のニアライブ録画となった。
出典
- ↑ The History of the Mainichi Shimbun 毎日新聞社英語版(1924年の項)
- ↑ 第89回選抜高等学校野球大会要項 - 日本高等学校野球連盟
- ↑ 大羽武『甲子園2連覇 -焼け野原から立ち上がった球児・福嶋一雄-』(朝日クリエ、2012年7月25日)
- ↑ 0-1とコールド負けはどっちが上? 近畿6校目の選考で波乱 産経WEST、2016年1月30日
- ↑ センバツ:各地区の選考経過 - 毎日jp(毎日新聞) - ウェイバックマシン(2011年2月3日アーカイブ分) - 毎日jp、2011年1月28日付
- ↑ 第87回選抜高等学校野球大会 出場校
- ↑ 難しい最後の1枠…「眼を重要視」16年センバツ出場32校の選考理由 - スポーツナビ掲載コラム、2016年1月29日掲載
- ↑ 選抜高校野球 21世紀枠の選考基準とは毎日新聞、2017年1月27日
- ↑ 第89回選抜高校野球 きょう出場校決定毎日新聞 2017年1月27日
- ↑ 21世紀枠、そしてセンバツの意義(上)スポーツニッポン、2017年2月7日
- ↑ 燃えろ公立魂 利府センバツ初出場(2)恵まれた環境/スポーツ科精鋭集うテンプレート:DL - 河北新報、2009年1月26日付
- ↑ 早稲田佐賀、21世紀枠推薦辞退 部員飲酒で来春の高校野球 朝日新聞2013年12月18日
- ↑ 【スポーツ異聞】「21世紀枠」離島の高校で「ネットいじめ」 美談に隠された闇 産経新聞2016年11月19日、全3ページ
- ↑ 14.0 14.1 “【センバツ】21世紀枠に女満別、石巻工、洲本”. スポーツナビ(元記事はデイリースポーツ). (2012年1月27日) . 2012閲覧.テンプレート:DL
- ↑ 全校生徒800人で、野球部は10人。不来方の快挙は危機の裏返しだ。
- ↑ 選抜高校野球大会[都道府県 21世紀枠 推薦校一覧]
- ↑ 朝日新聞デジタル:東北絆枠、地域活動も評価 選抜高校野球選考 - スポーツ - ウェイバックマシン(2013年5月24日アーカイブ分) - 朝日新聞デジタル、2013年1月25日、2013年1月26日閲覧
- ↑ 18.0 18.1 センバツ抽選会、究極の抽選方法(森本栄浩) - Yahoo!ニュース、2014年3月6日
- ↑ 第79回選抜高等学校野球大会について - 日本高等学校野球連盟
- ↑ 恒川直俊 記録で読む甲子園「なぜ誕生した選抜大会 出場校の選抜基準も時代とともに」 - asahi.com、2007年3月30日
- ↑ 山形県高野連-高野連通達平成12年変更分
- ↑ センバツ:吉本実憂さんが球児にエール ポスター発表会 - 毎日新聞 - ウェイバックマシン(2014年11月29日アーカイブ分) - 毎日jp、2013年2月28日
- ↑ 選抜、野球少年をネット裏に招待
- ↑ “大会史上初の2試合連続引き分け再試合 選抜高校野球”. 朝日新聞. (2017年3月26日)
- ↑ 25.0 25.1 センバツ:応援団賞選考せず - 毎日新聞、2011年3月23日
- ↑ 「センバツ高校野球」8Kスーパーハイビジョンで試験放送 2017年3月2日 NHK広報局
- ↑ 赤星氏 元プロ初!!決勝戦ゲスト解説 - デイリースポーツ、2016年3月20日
- ↑ ただしNHKラジオでは11:50から12:20までは天気予報および正午のニュースを放送するため、試合中継は中断。
- ↑ MBS センバツ高校野球 ラジオ中継縮小:産経関西(産経新聞大阪本社公式ニュースサイト) - ウェイバックマシン(2009年2月14日アーカイブ分) - 産経新聞、2009年1月8日付
- ↑ 1994年3月のタイムテーブル (PDF) - GAORA月間番組表一覧、1994年1月25日発行
- ↑ 毎日放送、センバツ高校野球大会をライブ中継 - BB Watch、2002年3月25日配信
- ↑ 毎日放送、高校野球・春のセンバツをTwitter見どころ通知&オンデマンド配信 - RBB TODAY、2010年3月21日配信
- ↑ センバツ甲子園、準々決勝から「Ustream」完全中継 - 毎日放送・TVバンク - マイナビニュース、2010年3月31日配信
- ↑ 「第88回選抜高等学校野球大会」インターネット中継の取組みについて NTTスマートコネクト 2016年3月22日
- ↑ 「センバツLIVE!2016」を開設 全試合をサイトで生中継 - 毎日新聞、2016年3月10日
- ↑ 2015年3月13日の投稿 - Facebook - 南海放送
- ↑ 2016年3月28日のツイート - 金山泉
- ↑ 2016年3月15日の投稿 - 西日本放送ラジオ
- ↑ 2017年3月22日のツイート - CRT栃木放送高校野球
- ↑ 2016年3月20日のツイート - 愛甲猛