遠山奬志
遠山 奬志(とおやま しょうじ、1967年7月21日 - )は、熊本県葦北郡田浦町(現:芦北町)出身の元プロ野球選手(投手・外野手、左投左打)、コーチ。
本名は「遠山 昭治」(読み同じ)。愛称は「遠山の金さん」「遠山親方」、「遠山桜」。
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来歴・人物
八代第一高等学校時代は、通算69勝3敗。ノーヒットノーラン11回。打者として打率.440、35本塁打を記録した。1985年プロ野球ドラフト会議で阪神タイガースから1位指名を受け入団。このドラフトでは巨人や広島からも熱心に誘われたが、「阪神以外なら社会人(本田技研熊本)にいきます」と11球団に伝えて入団に漕ぎ着けた[1]。1年目の1986年から一軍ローテーション入りして8勝を挙げる。翌1987年に故障して以降、低迷する。
1990年オフ、高橋慶彦との交換トレードが成立し、ロッテオリオンズに移籍。投手として結果を残せず、1995年より打者(外野手)に転向。1995年は1A・バイセイリア・オークスへ野球留学した。1996年にイースタン・リーグ(二軍)で最多安打を記録するなど非凡さを見せるが、1997年は一軍出場が無くシーズン終了後に自由契約となる。同年シーズンオフに野手として古巣・阪神の入団テストを受けたが、翌日のテストで首脳陣のピッチングを見たいという意向で投球を披露し、投手として合格し再入団。
阪神復帰1年目の1998年は、投手への再起のためシーズンの大半を二軍での練習などに費やした。1999年は登録名を遠山 奬志に変更。新監督野村克也のもとでサイドスローへの転向、シュートを習得して復活し、主に左打者へのワンポイントリリーフとして活躍。野村阪神の左の中継ぎエースとなった。同年5月22日の対巨人戦(阪神甲子園球場)で、10年のブランクを経て勝利投手となり、当時史上最長ブランクでの勝利を記録した(2010年に大家友和が日本球界で16年振りの勝利を記録、大幅に更新された)。同年は当時巨人の松井秀喜を13打数無安打に抑え込み、6月13日の対巨人13回戦(甲子園)ではピンチで石井浩郎を敬遠してまで松井に勝負を挑み、三振に打ち取るなど「松井・高橋キラー」と呼ばれた(ちなみに松井はこの時期「(遠山の)顔も見たくない」と憂鬱そうに語ったり、ヤンキース移籍後も「打ち取られる夢を見た」と話している)。
絶対的な抑えのいないチーム事情と野手経験もある事から、継投の際に一塁を守る事もあった。2000年には右横手投げの中継ぎ投手・葛西稔(高校時代に一塁手経験あり)とともに、相手の打者の左右によって交互に「遠山・葛西・遠山・葛西」と一塁と投手とを交代しあって登板するワンポイント継投がしばしば行われた。これは後に「遠山・葛西スペシャル」と呼ばれ野村監督の必殺技とも言われた[2]。ただし遠山本人は「あれは実際辛かった。投手にしてみれば、情けないと言いますか、やっぱり嫌ですよね。“右打者相手でも抑えられる”という信頼が無かったって事ですから。(中略)同じグラウンドにいるから気持ちは切れないんですけど、一塁守った後に前の打席と同じ球を投げられるかどうかは疑問」と後年語っており[3]、あまり乗り気ではなかったようである。
2001年あたりから腰の具合が芳しくなく、星野仙一監督時代の2002年には投球すら満足にできないような状態だったという。そしてシーズン終了を待たずに世代交代を理由に戦力外通告が行われ、そのまま引退を表明した。シーズン最終戦、9回裏2死無走者の場面で登板。最後の打者を空振り三振に仕留め、星野に肩を抱かれ、涙の中マウンドを降りた。
引退後は、2003年から2004年までの2年間、毎日放送(MBS)・GAORA・サンケイスポーツ(大阪)で野球解説者を阪神戦中心に務めた。また、その傍らプロ野球マスターズリーグの大阪ロマンズで投手として登板する。2005年から二軍投手コーチとして阪神に復帰し、その後育成コーチとなった。
2011年11月1日付でコーチを退任[4]。2012年からは再び、MBSの野球解説者として活動している。
2014年11月16日、「東日本大震災復興支援 巨人―阪神OB戦」に出場[5][6]。2回、二死一、三塁の場面で、かつて「松井キラー」として一時代を築いた遠山が松井秀喜と対戦すると球場のボルテージは最高潮に達した。結果は右翼への二塁打[5]。
詳細情報
年度別投手成績
1986 | 阪神 | 27 | 24 | 3 | 2 | 0 | 8 | 5 | 0 | -- | .615 | 549 | 128.0 | 135 | 14 | 34 | 3 | 3 | 73 | 0 | 1 | 64 | 60 | 4.22 | 1.32 |
1987 | 9 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | -- | .000 | 100 | 22.2 | 30 | 6 | 5 | 0 | 0 | 9 | 0 | 0 | 17 | 15 | 5.96 | 1.54 | |
1988 | 42 | 8 | 0 | 0 | 0 | 2 | 9 | 0 | -- | .182 | 339 | 79.2 | 81 | 6 | 34 | 3 | 0 | 48 | 2 | 0 | 36 | 34 | 3.84 | 1.44 | |
1989 | 10 | 3 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | -- | .667 | 125 | 28.1 | 37 | 2 | 7 | 1 | 0 | 16 | 1 | 0 | 15 | 14 | 4.45 | 1.55 | |
1990 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 46 | 9.0 | 12 | 1 | 8 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 10 | 9 | 9.00 | 2.22 | |
1991 | ロッテ | 10 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 91 | 16.2 | 27 | 8 | 14 | 0 | 1 | 11 | 1 | 0 | 18 | 17 | 9.18 | 2.46 |
1992 | 29 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 77 | 17.1 | 17 | 1 | 7 | 0 | 1 | 14 | 1 | 0 | 9 | 6 | 3.12 | 1.38 | |
1993 | 25 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 66 | 15.2 | 22 | 4 | 2 | 0 | 1 | 7 | 0 | 0 | 10 | 9 | 5.17 | 1.53 | |
1994 | 31 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 108 | 25.1 | 26 | 5 | 6 | 1 | 3 | 13 | 0 | 0 | 14 | 11 | 3.91 | 1.26 | |
1998 | 阪神 | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 51 | 10.2 | 19 | 1 | 4 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 9 | 9 | 7.59 | 2.16 |
1999 | 63 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 1 | -- | .667 | 204 | 51.2 | 39 | 4 | 14 | 3 | 2 | 35 | 0 | 0 | 15 | 12 | 2.09 | 1.03 | |
2000 | 54 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 3 | -- | 1.000 | 145 | 35.1 | 29 | 2 | 11 | 2 | 1 | 20 | 0 | 0 | 10 | 10 | 2.55 | 1.13 | |
2001 | 52 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | -- | .000 | 133 | 27.2 | 33 | 3 | 17 | 2 | 2 | 17 | 1 | 0 | 17 | 15 | 4.88 | 1.81 | |
2002 | 23 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 63 | 12.1 | 21 | 2 | 4 | 0 | 1 | 8 | 1 | 1 | 13 | 13 | 9.49 | 2.03 | |
通算:14年 | 393 | 41 | 3 | 2 | 0 | 16 | 22 | 5 | -- | .421 | 2097 | 480.1 | 528 | 59 | 167 | 15 | 15 | 283 | 7 | 2 | 257 | 234 | 4.38 | 1.45 |
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年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1986 | 阪神 | 27 | 45 | 40 | 4 | 7 | 0 | 0 | 0 | 7 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 12 | 0 | .175 | .195 | .175 | .370 |
1987 | 9 | 6 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
1988 | 43 | 17 | 15 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | .067 | .067 | .067 | .133 | |
1989 | 10 | 9 | 8 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .250 | .250 | .375 | .625 | |
1990 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- | |
1991 | ロッテ | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- |
1992 | 29 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- | |
1993 | 25 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- | |
1994 | 31 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- | |
1995 | 9 | 14 | 12 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | .167 | .286 | .167 | .452 | |
1996 | 3 | 4 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | .250 | .250 | .250 | .500 | |
1998 | 阪神 | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- |
1999 | 63 | 3 | 3 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .333 | .333 | .333 | .667 | |
2000 | 54 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
2001 | 52 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- | |
2002 | 23 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- | |
通算:16年 | 408 | 101 | 90 | 4 | 14 | 1 | 0 | 0 | 15 | 1 | 0 | 0 | 8 | 0 | 3 | 0 | 0 | 25 | 0 | .156 | .183 | .167 | .349 |
表彰
記録
- 投手記録
- 初登板:1986年4月27日、対中日ドラゴンズ6回戦(阪神甲子園球場)、9回表に6番手として救援登板・完了、1回無失点
- 初奪三振:同上、9回表に豊田誠佑から
- 初先発登板:1986年5月1日、対ヤクルトスワローズ6回戦(阪神甲子園球場)、4回1/3を2失点(自責点1)
- 初勝利・初先発勝利・初完投勝利:1986年5月14日、対広島東洋カープ6回戦(広島市民球場)、9回2失点
- 初完封勝利:1986年6月20日、対中日ドラゴンズ13回戦(阪神甲子園球場)
- 初セーブ:1999年4月20日、対横浜ベイスターズ4回戦(長崎県営野球場)、7回裏に3番手として救援登板・完了、3回無失点
- その他の記録
- オールスターゲーム出場:1回 (2000年)
背番号
- 21 (1986年 - 1990年)
- 16 (1991年 - 1994年)
- 49 (1995年 - 1997年)
- 52 (1998年 - 2002年)
- 75 (2005年 - 2009年)
- 95 (2010年 - 2011年)
登録名
- 遠山 昭治 (とおやま しょうじ、1986年 - 1998年)
- 遠山 奬志 (とおやま しょうじ、1999年 - )
登場曲
- 『希望の鐘が鳴る朝に』 / THE ALFEE - 自身の愛称「遠山の金さん」の「きんさん」→「きんちゃん」という愛称をもつ主人公の、選曲した当時に放送されていたテレビドラマ『サラリーマン金太郎』(主演:高橋克典)→このドラマの主題歌という連想での選曲。[9]
関連情報
出演番組
※特記ない限り、解説者として出演するプロ野球中継。
- 放送上のキャッチフレーズは、「トラの桜吹雪」。中継タイトルが『MBSタイガースナイター』だった2003年・2004年にも、「トラ番ゲスト」(本数契約のゲスト解説者)として出演していた。
- 2015年度以降のナイターオフ期間には、『with Tigers MBSベースボールパーク みんなでホームイン!』の金曜日にレギュラーで出演。現役時代からの愛称にちなんだ「野球奉行☆遠山の金さん」というレギュラーコーナーを持つ。
- 侍プロ野球 - MBSテレビ・TBS(JNN)系列
- 檄! 阪神タイガース中継 - GAORA
- ちちんぷいぷい - MBSテレビ
- MBS解説者に復帰した2012年度に、水曜日にレギュラーコメンテーターとして出演。同年から番組内で結成された「ちちんぷいぷい運動部」のメンバー(野球担当)でもある。2013年度に不定期で出演した後に、2014年度から月曜日・木曜日でレギュラー出演を再開。2015年から不定期での出演に戻ったが、「遠山親方」という肩書で、野球関連以外の中継・ロケ企画に登場することもある。
- 2016年のリオ・デ・ジャネイロオリンピック期間中には、山中真(MBSアナウンサー)・廣田遥(元トランポリン選手、いずれも番組レギュラー)と共に、リポーターとして現地に派遣。周辺取材や、生中継・VTRによるリポートを担当した。
- 体重が99kgにまで達していた2017年1月からは、現役時代のベスト体重(85kg)へ戻すべく、ライザップとの共同企画でダイエットに挑戦。同年4月までの3ヶ月間に体重を14kg、体脂肪率を9%減らした[10]。同年5月6日の阪神対広島戦「ファーストピッチセレモニー」では、番組略称の英字ロゴ(Puipui)を入れた赤い縦縞のユニフォーム姿で、現役引退から14年振りに甲子園球場の公式戦でピッチングを披露している[11]。
- 2015年4月25日(土曜日)、MBSテレビと同系列の中国放送(RCC)制作の地上波中継『RCCカープデーゲーム中継』との同時放送(MBSテレビでも一部時間帯で同時ネット)[12]に出演(解説:山崎隆造・遠山、実況:一柳信行〔RCC〕)。
脚注
- ↑ 【昭和野球列伝】阪神・遠山、昭和61年虎のアンチGルーキー
- ↑ 大阪ニッカンスポーツ[1]2000年5月
- ↑ 「日本プロ野球トレード大鑑2004」(ベースボールマガジン社)p72~73 本人へのインタビューより引用。
- ↑ “来季のコーチ契約について”. 阪神タイガース (2011年11月1日). . 2011閲覧.
- ↑ 5.0 5.1 “ゴジラ健在!松井氏が巨人―阪神OB戦で4安打1打点”. 東京スポーツ. (2014年11月16日) . 2014年12月7日閲覧.
- ↑ “松井氏 12年ぶり巨人「55」で4の4!“大嫌い”遠山打ちで打点も”. スポーツニッポン. (2014年11月16日) . 2014年12月7日閲覧.
- ↑ 東京スポーツ 2015年3月7日付20面参照
- ↑ “【ファン交歓会一問一答】原口、関西弁の女性「いいと思います」(画像6)歴代サンスポMVP大賞、新人賞の受賞者”. SANSPO.COM (産業経済新聞社). (2016年11月23日) . 2017閲覧.
- ↑ 月刊タイガース2000年5月号p45
- ↑ 挑戦の前後にピッチングの球速やベースランニングのタイムを計測したところ、ピッチングでは最速85km/hから94km/h、ベースランニングではタイムが20秒25から18秒02まで向上。
- ↑ 松井キラー”遠山奨志氏が甲子園で始球式「気持ちよかった」(『東京スポーツ』2017年5月6日付記事)
- ↑ 通常この対戦はMBSとRCCでメイン映像を共有しての別制作となることが多いが(広島主催時はMBSが乗り込み、阪神主催時はRCCが自社のスタジオからオフチューブで実況)、この時は諸事情によりMBSが別制作せず遠山とリポーター(金山泉)をRCCに派遣の上同時ネットとする形となった。
関連項目
外部リンク