車輪
車輪(しゃりん) とは、軸にとりつけた円形(の外周)の部品のこと。
小さな力で物を移動させるために用いられる。
車輪が無いと、1. 物を持ち上げつつ移動させるか、2. あるいは物を地面・床面に接触した状態で押したり引いたりしなければならない。1の場合、持ち上げる(持ち上げ続ける)のに大きな力を要する。2.の場合、すべり摩擦よりも大きな力で押したり引いたりしなければならなくなる。車にはたらく摩擦は「転がり摩擦」で、これはすべり摩擦よりも遥かに小さく、遥かに小さな力で押す(引く)だけで移動させることができる。
たとえば、普通自動車(おおむね1トン超)でも、車輪が付いていてブレーキさえ解除していれば、男性が独りで押しているとゆっくりと動き出すほどに転がり抵抗は小さい。もしも車輪がついていなかったら、男性1人で1トンのものは持ち上げることができず移動させられない。また通常の地面に車輪無しの1トンの鉄の箱が接触した状態では、1人の男性では押したり引いたりして移動させることは不可能である。車輪の ある/なし でそれほどの差がある。
また、中型ジェット旅客機のように重いものですら、車輪が出ていてブレーキが解除してあれば男性一人が引いて、数メートルほどなら移動させることができるほどに、転がり摩擦というのは小さい(そもそもそれほどに小さいからこそ、ときどきテレビなどで男性がジェット機を引いて、さも「怪力」であるかのようなフリをする、というパフォーマンスができるのであり、実は、少し力が強い、という程度の人でも移動させられる。)。
ピラミッドの石材運搬時に、丸い材木(ころ)を下に敷いて運搬を効率化したような例は、古くから行われていたと想像できるが、円盤状の板材の車輪に車軸を通して回転可能にした構造は、人類の発明の中でも偉大なものの一つであるといわれることもある。
一般的に言う「車輪」「ホイール」「ウィール」は接地しているタイヤ(ゴムや軟質の鉄などで出来ている)やチューブまで回転部分全てを指す。が分野によっては区分される場合がある。自動車の分野では硬質の部分だけでも「wheel ホイール」と言う。(この記事中で、一部、硬質の部分だけを指している箇所がある。)
Wheelのカタカナ表記は業界によって異なる、自動車やオートバイなどでは「ホイール」と呼ばれ、スケートボードやローラースケート、あるいはHotWheels(ミニカーの商標)などは「ウィール」と記述される。
Contents
歴史
車輪は最古の最重要な発明とされており、その起源は古代メソポタミアで紀元前5千年紀(ウバイド期)にさかのぼり、元々は轆轤(ろくろ)として使われていた。その北方のカフカースでは洞窟がいくつか発見されており、そこに紀元前3700年ごろから荷車などが使われていた痕跡が見つかっている。これはクラ・アラクセス文化(紀元前3400-2000ごろ)の草創期にあたる。車輪のある乗り物(ここでは四輪で軸が2つあるもの)と思われる最古の絵は、ポーランド南部で出土した紀元前3500年ごろのものと思われる Bronocice pot に描かれたものである[1]。
車輪は紀元前4千年紀にはヨーロッパや西南アジアに広まり、紀元前3千年紀にはインダス文明にまで到達した。中国では紀元前1200年ごろには車輪を使った戦車が存在していたことがわかっている[2]。ただし Barbieri-Low (2000) によれば、紀元前2000年ごろには中国に車輪つきの乗り物があったという。東アジアで独自に車輪を発明したのか、ヒマラヤという障壁を越えて車輪が伝わったのかについては、まだ結論が出ていない。
オルメカや他の西半球文化では、インカ文明まで含めて車輪を発明しなかったが、紀元前1500年ごろの子供用の玩具と思われる岩石製の車輪状の物体が出土しており、車輪の発明に近づいていたと見られている[3]。これはマヤ文明においても同じで、車輪付きの動物土偶が出土したように車輪そのものは知られていたが、それが実用化されることはなかった[4]。ヌビアの古代遺跡では轆轤や水車が使われていた[5][6]。ヌビアの水車は水汲み水車であり、牛を使って回していたと見られている[7]。またヌビアではエジプトから馬に引かせる戦車も輸入していたことがわかっている[8]。
車輪の発明は新石器時代末のことであり、青銅器時代初期の他の技術の進歩と連携して語られることもある。これは、農耕の発明後も車輪のない時代がしばらく続いたことを意味している。さらに言えば、古人類学では解剖学的に現代人と変わらない人類が生まれた時期を15万年前としており、車輪のない時代は14万3千年も続いたことになる。車輪を発明するずっと以前から、我々と能力に差がない人類が地球上を歩き回っていたが、その時代の人口は非常に少なく、車輪を構成する車軸や軸受けは見た目ほど単純な装置ではない。また、車輪付きの乗り物は家畜に引かせて初めて威力を発揮する。牛が家畜化されたのは紀元前8000年ごろ、馬が家畜化されたのは紀元前4000年ごろだった。ユーラシア大陸では、馬が家畜化されて初めて車輪が真価を発揮するようになった。また車輪を製造し釣り合わせるには車大工の技量を必要とし、車大工が職業として成立するには社会の成熟が必要だった。
車輪が広く使われるようになるには、平坦な道路が必要だった[9]。でこぼこ道では、人間が荷物を背負って運ぶほうがたやすい。そのため、平坦な道路がない未開発地域では、20世紀に入るまで車輪を輸送手段に使うことはなかった。
初期の車輪は木製の円盤であり、中心に車軸を通すための穴があった。木材の性質上、木の幹を水平に輪切りにしたものは強度がなく、縦方向に切り出した板を丸くしたものが必要だった。もし車輪を作れるだけの材が一本の木からとれなかった場合、三枚の半月形の板を作り、それを組み合わせて一枚の車輪とした[10]。
地面からの衝撃を和らげるスポークのある車輪の発明はもっと最近で、それによって軽量で高速な乗り物を作れるようになった。現在知られている最古の例はアンドロノヴォ文化のもので、紀元前2000年ごろである。そのすぐ後に、カフカース地方の騎馬民族が3世紀に渡ってスポークを使った車輪のチャリオットを馬に引かせるようになった。彼らはギリシア半島にも進出し、地中海の民族と交流した。ケルト人は紀元前1千年紀に戦車の車輪の外側に鉄を巻きつけることを始めた。それ以降、車輪は大きく変化することなく使われ続けたが、19世紀に入ると変化が訪れた。まず、蒸気機関車の発明とともにその重さを支えるための鉄の車輪が発明され、鉄道などに用いられるようになった。ついで1870年ごろに空気入りのタイヤと針金スポークの車輪が発明された[11]。これは最初、そのころ発展しはじめた自転車に使用されたのち、19世紀末より普及し始めた自動車に使用されるようになり、これにより車輪の性能は大幅に向上した。
車輪の発明は輸送手段以外のテクノロジー一般にとっても重要だった。例えば、水車、歯車(アンティキティラ島の機械参照)、糸車、アストロラーベ、トルクエタムなどが車輪と関係が深い。さらに最近では、プロペラ、ジェットエンジン、フライホイール(ジャイロスコープ)、タービンなどが車輪を基本要素として発展していった。
構造と機能
車輪は物体を地表に押し付ける力があるとき、その物体を地表に沿って効率的に動かすことを可能にする機械(機構)である。
車輪と軸は常に組み合わせて使われ、軸に対して車輪が回転するか、本体内で軸が(車輪と共に)回転する。どちらにしても機構的には同じである。
車輪と軸を使う際の抵抗力が単に物体を引きずった場合よりも小さくなるのは次のように説明できる(摩擦を参照):
- 摩擦を生じる接触部分にかかる垂直力は同じである。
- 軸が一回転することで車輪が一回転すると、軸の外周のぶんだけの摩擦距離で、車輪の外周のぶんだけ進むことになり、摩擦の生じる距離が大幅に小さくなる。
- 摩擦の生じる接触面が全て機構の中にあるため、地面との摩擦よりも摩擦係数をかなり低くできる。
摩擦面の摩擦を低減するのに軸受が使われる。最も単純な最古の軸受は単なる丸い穴で、そこに軸を通した(すべり軸受)。
例:
- 100 kg の物体を 10 m 引っ張るとする。摩擦係数 μ = 0.5 で、垂直力は 981 N とすると、なされる仕事(必要とされるエネルギー)は「仕事 = 力 × 距離」なので、981 × 0.5 × 10 = 4905 ジュールである。
- ここで同じ物体に4つの車輪をつける。4輪と軸の間の垂直力は以前と(合計では)同じで 981 N である。車輪と軸が木製だとして、その摩擦係数を μ = 0.25 と仮定する。車輪の径を 1000 mm、軸の径を 50 mm とする。これを 10 m 移動させるとすると、摩擦面がこすられる距離は 0.5 m となる。したがってなされる仕事は 981 × 0.25 × 0.5 = 123 ジュールである。したがって、物体を直接ひきずる場合の 1/25 で済む。
追加のエネルギーが車輪と地面の接触で失われる。これは主に変形損失であり、転がり抵抗と呼ばれる。
地面の凸凹に対して車輪の径が十分大きければ、不規則な地面の上を楽に移動出来るという利点もある。
車輪単体は機械とは言えないが、軸や軸受と組み合わせることで、輪軸という単純機械になる。車両の車輪も輪軸の一例である。
車輪の素材
車輪の要素
自動車用ホイール
形状
意匠分類上は以下のような形状に分類される[12]。
- 放射状 - ホイールのリム内側ディッシュ部分が放射状[12]
- うず巻き状 - ホイールのリム内側ディッシュ部分がうず巻き状[12]
- ディスク状 - ホイールのリム内側ディッシュ部分が平らかな板状[12]
- メッシュ状 - ホイールのリム内側ディッシュ部分がメッシュ状[12]
サイズ表記・規格
例えば「16×7J 5H PCD100 +38」と表記されていた場合
- 「16」外径…16インチ
- ビード当たり面の直径をインチで表す。
- 「7」リム幅…7インチ
- 「J」フランジ形状。リム面からフランジ頂部までの高さ、フランジの厚さ、フランジのビード当たり面の半径で分類。
- 「5H」ボルト取付穴…5個
- 「PCD」取付穴間径…100 mm
- 「PCD」とは「Pitch Circle Diameter」の略。(日本の乗用車では100 mm、110 mm、114.3 mmが一般的で、外国車には101.6 mm(4インチ)などもある。複数の径に対応したマルチPCDホイールもある。)
- 「+」インセット(日本国内での旧称はプラスオフセット)。ハブ面からリム(タイヤ幅)中心までの距離…プラス方向(車両内側)に38 mmの意味。
- リム中心がハブ面の内側に入ることをインセット、逆にリム中心がハブ面より外側に出ることをアウトセット(日本国内の旧称はマイナスオフセット)という。
車輪が得意とする場所、苦手とする場所
車輪はものを移動させる方法として広く使われている。ただし、向く場所(得意とする場所)、向かない場所(苦手とする場所)がある。
舗装された面、鉄道の上面、硬い地面、平らでなめらかな床面などはよく転がり、車輪に適している。
車輪の向かない場所というのは、雪原(積雪地)・湿地・泥道・砂漠・不整地・障害物がころがっている道、などである。
車輪の代わりに次のようなものが使われている。
- 雪原 : ソリ (手押しの橇、犬ぞりなど)。スノーモビル(ただしゴムの無限軌道が使われていて、車輪も組み込まれている。)
- 不整地 : 徒歩、駕籠やストレッチャーで運んでもらう、ウマ(馬術)、無限軌道(ただし実際には機構の一部として車輪が使われている)
また、車輪の代わりに使われるものには次のようなものもある。
象徴としての車輪
車輪には文化的な意味もあり、チャクラ、転生、陰陽などといった周期や規則的繰り返しの神秘的暗喩という側面もある。そのため、地形が険しくて不向きということもあり、チベットではかつて車輪つきの乗り物が禁じられていた。
翼付きの車輪は進歩の象徴であり、パナマの国章や Ohio State Highway Patrol のロゴなど、様々な場面で見られる。
スポークのある車輪(チャリオット)は青銅器時代中期に登場し、一種の権威を象徴するようになった。太陽十字は原始宗教によく見られるが、これは太陽神がチャリオットに乗るようになったという技術革新を表したものと言われている。
インドの国旗に見られる車輪は糸車と言われているが、法(ダルマ)を表しているとも言われる。ロマの人々の旗にも車輪が使われているが、これは彼らがインドを起源とすることと、流浪の歴史を現しているという。
脚注・出典
- ↑ Waza z Bronocic (in Polish)
- ↑ Dyer, Gwynne, War: the new edition, p. 159: Vintage Canada Edition, Randomhouse of Canada, Toronto, ON
- ↑ Ekholm, Gordon F (1945). “Wheeled Toys in Mexico”. American Antiquity 11.
- ↑ 「マヤ文明を知る事典」p46 青山和夫 東京堂出版 2015年11月10日初版発行
- ↑ CRAFTS; Uncovering Treasures of Ancient Nubia; New York Times
- ↑ Ancient Sudan: (aka Kush & Nubia) City of Meroe (4th B.C. to 325 A.D.)
- ↑ What the Nubians Ate
- ↑ The Cambridge History of Africa
- ↑ How The Wheel Developed
- ↑ 「図説 人類の歴史 別巻 古代の科学と技術 世界を創った70の大発明」p135 ブライアン・M・フェイガン編 西秋良宏監訳 朝倉書店 2012年5月30日初版第1刷
- ↑ bookrags.com - Wheel and axle
- ↑ 12.0 12.1 12.2 12.3 12.4 意匠分類定義カード(G2) 特許庁
- ↑ ウィズチューブホイール - トピー工業(更新日不明)2018年1月26日閲覧
- ↑ 取扱商品 - 中丸ゴム工業(更新日不明)2018年1月26日閲覧