超五十連勝力士碑
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312px 写真左端に超五十連勝力士碑 |
超五十連勝力士碑(ちょうごじゅうれんしょうりきしひ)は、富岡八幡宮に建つ相撲関連の石碑である。
Contents
摘要
小島貞二の提案によって1988年の9月場所中に建立された。同年の千代の富士の53連勝がきっかけと誤解されるが建立の時点では24連勝(7月場所終了時点)であり偶然である。横綱力士碑の傍らに建っており、大相撲の本場所で50連勝以上を記録した力士を顕彰している。11角柱の日本の石碑としては珍しい形状を持ち、正面に碑銘、以下左回りで超50連勝力士の名が年代順に刻まれている。現在5名の名が入り、残る5面が余白になっている。
50連勝以上を1回でも達成すれば名を刻まれる権利を得るが、各力士の最高記録のみを刻み込む為、当該力士の引退を待ってから刻名されることになる。そのため、50連勝以上を複数回達成したとしても重複して刻まれることはない。2010年に横綱白鵬が63連勝を達成したが、引退するまでに新たに64連勝以上を達成すれば、そちらの記録が刻み込まれる。
一覧
力士 | 連勝数 |
連勝開始 |
連勝終了 (連勝の最終勝ち星) |
連勝を止めた 対戦相手 |
備考/補足 |
---|---|---|---|---|---|
谷風梶之助 | 63連勝 | 1778年(安永7年) 10月場所8日目[1] 西小結 |
1782年(天明2年) 2月場所6日目 西大関 |
小野川喜三郎 東二段目3枚目 |
この63連勝は江戸本場所のみの連勝記録であり、京都本場所、大坂本場所での成績も含めると98連勝となる。2分2預16休含む。 |
梅ヶ谷藤太郎 | 58連勝 | 1876年(明治9年) 1月場所8日目[2] 西前頭4枚目 |
1881年(明治14年) 1月場所8日目 西大関 |
若嶌久三郎 東大関 |
12分2預28休含む。 |
太刀山峯右エ門 | 56連勝 | 1912年(明治45年) 1月場所9日目 東横綱 |
1916年(大正5年) 5月場所7日目 西横綱 |
栃木山守也 東小結 |
1分1預31休を含む。 |
双葉山定次 | 69連勝 | 1936年(昭和11年) 1月場所7日目 東前頭3枚目 |
1939年(昭和14年) 1月場所3日目 東横綱 |
安藝ノ海節男 西前頭3枚目 |
関脇から横綱にかけて5場所連続全勝優勝 |
千代の富士貢 | 53連勝 | 1988年(昭和63年) 5月場所7日目 東張出横綱 |
1988年(昭和63年) 11月場所14日目 東横綱 |
大乃国康 西横綱 |
大乃国に敗れた一番が昭和最後の一番となった。 |
白鵬翔(予定) | 63連勝 | 2010年(平成22年) 1月場所14日目 東横綱 |
2010年(平成22年) 11月場所初日 東横綱 |
稀勢の里寛 東前頭筆頭 |
2010年(平成22年)1月場所からの連勝が同年9月場所3日目で50連勝に到達し、新たに名が刻まれる権利を得た。 |
超六十連勝力士碑
双葉山の生地である大分県宇佐市の双葉山記念館「双葉の里」には60連勝以上を記録した力士を顕彰する「超六十連勝力士碑」がある。双葉山生誕100年を記念して建立されたもので、2011年12月の除幕式には、前年63連勝を記録したばかりの白鵬も出席した。高さ2.5メートルの八角形の碑で、双葉山、谷風、白鵬の四股名と手形が入り、あと3名刻銘できる空欄がある[3][4]
関連項目
脚注
- ↑ 1777年(安永6年)10月場所8日目の谷風は同じ小結の天津風を相手に引分を記録しており、実際に連勝が始まったのは翌1778年(安永7年)3月場所初日からであるが、刻銘には「安永6年10月場所8日目」とある。
- ↑ 1876年(明治9年)1月場所8日目の梅ヶ谷は前頭5枚目の手柄山を相手に引分を記録(翌9日目は休場)しており、実際に連勝が始まったのは翌4月場所の初日からであるが、刻銘には「明治9年1月場所8日目」とある。
- ↑ “平成23年12月3日超60連勝碑除幕式”. 宇佐市公式サイト. . 2015閲覧.
- ↑ “谷風、双葉山、そして白鵬…「これ以上の光栄なことはない」”. スポーツニッポン(2011年12月3日). . 2015閲覧.