豊国
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豊国(とよのくに)は、かつて日本にあった律令制以前の国の一つ。『国造本紀』によれば、成務朝に伊甚国造と同祖の宇那足尼が豊国造に任じられたとされる。
概要
地理的には、九州の北東部に位置し、現在の福岡県東部および大分県全域に相当する。
『古事記』・国産み神話においては、隠岐の次、壱岐の前に生まれた筑紫島(九州)の四面のひとつとして語られ、別名を「豊日別(トヨヒワケ)」といったといわれる。
『豊後国風土記』は、国名の由来について以下のように伝えている。
- 景行天皇の命によってこの地域を治めていた菟名手(うなで)が仲津郡[1](なかつぐん: 現在の福岡県東部にかつて存在した郡)を訪れると、白鳥が飛んで来て、まず餅となり、次いで冬であったにもかかわらず幾千もの芋草(里芋)となって茂ったので、菟名手がこの芋を天皇に献じたところ、景行天皇は「天の瑞物、土の豊草なり」と喜んで、この地を「豊国」と名付けた。
豊前国(■)
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豊後国(■)
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豊国は、7世紀末の文武天皇のころに、豊前国と豊後国の二つに分けられたといわれる。しかし、考古学での発掘成果から、この地域全体を統治するような勢力があったわけではなく、当時の中央政権がこの地域の一部にあった豊国の名称を全体を指して使用した、あるいは豊前国、豊後国の制定時に使用した、との説が唱えられている。
後に令制国に対し中国風の別称がつけられた際、豊前国と豊後国のどちらか一方、あるいは両方をさして豊州(ほうしゅう)と称するようになった。また、豊国と同じ地域、すなわち、豊前国と豊後国の両国をさす語としては、二豊(にほう)・両豊(りょうほう)も用いられる。福岡県東部を除く豊国のほぼ全域が大分県にあたることから、今日でも「豊国」や「二豊」が大分県の別名として用いられることがある。