襟裳岬
襟裳岬(えりもみさき)は、北海道幌泉郡えりも町えりも岬に属し、太平洋に面する岬。北緯41度55分28秒、東経143度14分57秒。北海道の形を大きく表徴する自然地形の一つである。日高山脈の最南端で、太平洋に向かって南へ突き出した岬である。海上にまで岩礁群も伸びている。
地理
日高山脈の南端部に位置するものであり、沖合い7 kmまで岩礁が連なる。岬の周囲は高さ60 mに及ぶ断崖となっており、三段に及ぶ海岸段丘が発達している。眺望が開けており、日高山脈襟裳国定公園の中核を成す観光地となっている。
風が強いことで知られる。風速が計測できる全国900以上の山岳を除くアメダス地点で、年平均風速がもっとも大きいのが襟裳岬の観測地点である。1981-2010年の年平均風速は8.2 m/s。風速10メートル以上の風の吹く日が年間290日以上ある。
岬上の襟裳岬灯台は海抜73 mに位置し、光達22海里。1889年に初点灯した[1]。他に霧笛が備えられている。2009年4月10日までは無線方位信号所も備えられていた。沖合で暖流の黒潮(日本海流)と寒流である親潮(千島海流)とがぶつかり、濃霧が発生しやすいためである。また強風が吹きやすいことでも知られる。
地名の由来は、アイヌ語の「エンルム(enrum)」(岬)または「エルムン(ermun)」(ネズミ)などがある。
トピック
- 森進一が唄い、第16回日本レコード大賞を受賞した「襟裳岬」(1974年、岡本おさみ作詞・吉田拓郎作曲)で、一躍有名となった。
- 「襟裳岬」の歌碑は2つある。1つは島倉千代子の曲(1961年、丘灯至夫作詞・遠藤実作曲)のもので1971年建立、もう1つが上記の森進一の曲のもので1997年建立である。
- 札幌から日高本線へ直通する国鉄急行の愛称として「えりも」が用いられていた。→すずらん_(列車)を参照のこと。
- 岬の突端の岩場を中心にゼニガタアザラシが300-400頭棲息する。双眼鏡で観察が可能。
緑化事業
襟裳岬周辺は良質なコンブの産地であり、江戸時代後期より水産資源を求めた和人が移住した。明治になると開拓農民も加わり、炊事や暖房用の薪として海岸林を伐採した。さらに明治中期には牧場が開かれたほか樹木が洋紙のパルプ原料と見なされたため植生破壊に拍車がかかり、ついにはげ山同然の状態となった。強風で飛散する砂塵は屋内にまで舞い込み生活に支障をきたしたほか、海中も砂で汚染されコンブが生えなくなり、サケや回遊魚も去ってしまった。
事態をみた林野庁は1953年以降治山事業を開始した。まず砂地に草本の種子を蒔きつけたが、強風によりすぐ吹き飛ばされてしまう。そこで蒔いた種子の上を「ゴタ」と呼ばれる雑多な海藻で覆い、地面に固定する方法を編み出した。この工夫により草本緑化を完了。その後、防風垣で覆った上でクロマツを中心とした植林が行われ、1999年度末で、荒廃地面積のほぼ89%にあたる170ヘクタールの木本緑化を終了した。
緑化の経緯は、NHKの番組プロジェクトXで取り上げられている(2001年3月放送、プロジェクトX全放送作品リスト参照)。
2006年9月には天皇・皇后両陛下の行幸啓があり、植林されたクロマツ林を見学されている。襟裳岬に立つ碑には、後に植林の苦労を偲び詠んた歌が刻まれている。
自然環境
襟裳岬は豊かな自然環境に恵まれており、ゼニガタアザラシの最大の生息地であり、風の館から個体を観察することができる。
交通
- JR日高本線 様似駅からジェイ・アール北海道バス日勝線で約55分
- 国道336号及び北海道道34号襟裳公園線
脚注
- ↑ 明治22年逓信省告示第127号(『官報』第1768号、明治22年5月24日、p.257.)