襄陽市
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中華人民共和国 湖北省 襄陽市 | |
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旧称:襄樊市 | |
湖北省中の襄陽市の位置 | |
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簡体字 | 襄阳市 |
繁体字 | 襄陽市 |
拼音 | Xiāngyáng Shì |
カタカナ転写 | シアンヤンシー |
国家 | 中華人民共和国 |
省 | 湖北 |
行政級別 | 地級市 |
面積 | |
総面積 | 19,724 km² |
人口 | |
総人口(2004) | 578.8 万人 |
市区人口(2004) | 219.23 万人 |
経済 | |
電話番号 | 0710 |
郵便番号 | 441000 |
ナンバープレート | 鄂F |
行政区画代碼 | 420600 |
公式ウェブサイト: http://www.xf.gov.cn/ |
襄陽市(シアンヤンし、じょうようし)は、中華人民共和国湖北省に位置する地級市。2010年12月、襄樊市から襄陽市に改名された。旧名・襄樊の名は、襄陽、樊城から得ている。漢水(漢江)の重要な内陸河川港。
Contents
地理
湖北省西北部に位置する。北を河南省、東を随州市、南を宜昌市、荊門市、西を十堰市、神農架林区と接する。
歴史
行政区画
3市轄区・3県級市・3県を管轄下に置く。
襄陽市の地図 |
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年表
襄陽地区
- 1949年10月1日 - 中華人民共和国湖北省襄陽専区が成立。襄陽県・棗陽県・南漳県・光化県・穀城県・自忠県・保康県が発足。(7県)
- 1949年10月 (8県)
- 1951年6月 - 襄陽県の一部が分立し、地級市の襄樊市となる。(8県)
- 1951年8月1日 - 光化県の一部が分立し、老河口市が発足。(1市8県)
- 1952年1月7日 - 鄖陽専区鄖県・均県・房県・竹山県・竹渓県・鄖西県を編入。(1市14県)
- 1952年6月8日 - 孝感専区随県を編入。(1市15県)
- 1952年8月7日 - 襄樊市を編入。(1市15県1鎮)
- 襄樊市が鎮制施行し、襄樊鎮となる。
- 1952年8月 - 老河口市が光化県に編入。(15県1鎮)
- 1952年11月30日 - 襄陽県の一部が河南省南陽専区唐河県に編入。(15県1鎮)
- 1953年4月25日 - 襄樊鎮が市制施行し、襄樊市となる。(1市15県)
- 1955年2月15日 - 洪山県が棗陽県・宜城県・随県、荊州専区鍾祥県に分割編入。(1市14県)
- 1960年11月17日 - 均県・光化県が合併し、光化県が発足。(1市13県)
- 1962年6月1日 - 光化県の一部が分立し、均県が発足。(1市14県)
- 1965年7月19日 - 鄖県・均県・房県・竹山県・竹渓県・鄖西県が鄖陽専区に編入。(1市8県)
- 1970年 - 襄陽専区が襄陽地区に改称。(1市8県)
- 1970年5月28日 - 保康県の一部が鄖陽地区房県、宜昌地区興山県、恩施地区巴東県の各一部と合併し、省直轄県級行政区の神農架林区となる。(1市8県)
- 1979年6月21日 - 襄樊市が地級市の襄樊市に昇格。(8県)
- 1979年11月16日 (2市8県)
- 1983年8月19日 - 随州市・老河口市・襄陽県・棗陽県・宜城県・南漳県・保康県・穀城県・光化県・随県が襄樊市に編入。
襄樊市(第1次)
- 1951年6月 - 襄陽専区襄陽県の一部が分立し、襄樊市が発足。(1市)
- 1952年8月7日 - 襄樊市が襄陽専区に編入。
襄樊市(第2次)
- 1979年6月21日 - 襄陽地区襄樊市が地級市の襄樊市に昇格。(1市)
- 1983年8月19日 (3市6県)
- 1984年4月27日 (4区2市6県)
- 1988年1月8日 - 棗陽県が市制施行し、棗陽市となる。(4区3市5県)
- 1994年6月10日 - 宜城県が市制施行し、宜城市となる。(4区4市4県)
- 1994年9月29日 - 随州市が省直轄県級行政区となる。(4区3市4県)
- 1995年10月22日 (2区3市4県)
- 2001年8月31日 (3区3市3県)
- 襄陽県・樊城区の各一部が合併し、襄陽区が発足。
- 襄陽県の残部が樊城区・襄城区に分割編入。
- 2010年11月26日 - 襄樊市が襄陽市に改称。
襄陽市
- 2010年11月26日 - 襄樊市が襄陽市に改称。(3区3市3県)
- 襄陽区が襄州区に改称。
交通
空港
鉄道
観光
友好都市
文化
言語では、主に西南官話鄂北片の方言が話されているが、1970年前後に呉語や東北官話を話す人が多く移住してきたため、言語島が形成されている。西南官話を話す人の内、回族が1万人以上いる。
食文化の麺では、湖北料理の内の「襄鄖菜」が食べられている。辛い味付けの牛モツを入れた牛雑麺が有名。