藤原忠平

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藤原 忠平(ふじわら の ただひら)

平安時代中期の廷臣。別称,小一条殿。基経の4男。母は人康親王の娘。延喜9 (909) 年に長兄時平が死ぬと氏長者,同 14年右大臣となって朝廷の首座を占めた。延長2 (924) 年左大臣。同5年先に勅命によって時平が編纂を開始した『延喜格』『延喜式』を完成。同8年朱雀天皇の践祚とともに摂政,天慶4 (941) 年関白となったが,治績にみるべきものはない。貞信公と諡 (おくりな) された。日記『貞信公記』や『小野宮故実旧例』『貞信公教命』がある。



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