芝浦
芝浦 | |
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— 町丁 — | |
座標: 東経139度44分53.59秒北緯35.641825度 東経139.7482194度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
特別区 | 港区 |
地区 | 芝浦港南地区 |
面積[1] | |
- 計 | 1.25km2 (0.5mi2) |
人口 (2017年(平成29年)12月1日現在)[2] | |
- 計 | 24,965人 |
等時帯 | 日本標準時 (UTC+9) |
郵便番号 | 105-0023(一丁目)[3] 108-0023(二〜四丁目)[4] |
市外局番 | 03[5] |
ナンバープレート | 品川 |
※座標は八千代橋交差点付近[6] |
芝浦(しばうら)は、東京都港区の地名。現行行政町名は芝浦一丁目から芝浦四丁目。芝浦港南地区総合支所管内に属する地域である。郵便番号は一丁目が105-0023(銀座局管区)[3]、二〜四丁目が108-0023(高輪局管区)[4]。
Contents
概要
現在の芝浦は、明治 - 昭和初期に「隅田川口改良計画」によって、東京市芝区の臨海部を埋立てて成立した。東京湾埋立2 - 6号地にあたり、芝・三田とJR山手線・京浜東北線の線路で、港区海岸・港南とは運河で接している。
ほぼ全域が山手線田町駅東側に位置する、運河の多い埋立地であり、工場やオフィス、倉庫などの商工業施設が大半を占め、田町駅芝浦口周辺を中心に商店街・飲食店街がある。バブル景気のころには「ウォーターフロント」として流行の発信地となり、ディスコやライブハウスが多数作られた。最近では工場の跡地などで大規模な再開発が行われており、マンションが増えている。特に芝浦アイランドがある芝浦四丁目では、近年人口の増加が著しい。
「芝浦」とは芝の浦の意味であり、もともとは芝一帯の東京湾を指す言葉であった。この地域一帯の地名に見られる「芝」とは、文字通り芝のことで芝が生い茂った地であり、その沖の海岸部分であるため「芝浦」と呼ばれるようになったといわれている。また、「芝」とは芝沖の海苔の養殖に使う木の枝「ひび」(竹篠)のことであり、「ひび」の並んだ海であることから「芝浦」となった、とする説もある。芝浦は現在では行政区画上の芝浦一 - 四丁目の地域のことであるが、広義では港区海岸・港南の全域を含む山手線よりも東京湾寄りの地域全体を指し、山手線より内陸の部分が芝と呼ばれる。
芝浦桟橋・芝浦ふ頭駅・芝浦パーキングエリア・芝浦ジャンクション・芝浦出入口は港区海岸に、芝浦下水処理場は港南にある。芝浦の町域内には鉄道駅はないが、田町駅・三田駅・日の出駅・芝浦ふ頭駅などが近い。
歴史
現在の芝浦一帯は、以前は江戸湾(東京湾)の浅瀬だった。中世から東京湾の重要な海運拠点で、戦国時代には後北条氏の水軍の一拠点であったとされ、北条氏の縁戚である吉良頼康と玉縄城主北条綱成の管理下に置かれた。
江戸時代には芝浦は雑魚場と呼ばれて漁村として栄え、また芝浦でとれた魚は芝肴(しばざかな)と称され江戸に広く出回り、将軍にも献上された。いわゆる江戸前である。特に芝海老は特産となった。芝浦の沖合いでは海苔の養殖も行われた。
日本初のプロ野球チーム「日本運動協会」の発祥の地である(創立は1920年)。芝浦を本拠地としていたことから、「芝浦協会」とも呼ばれていた。また、日本初の放送が行われたのもこの芝浦の地である。詳細は日本放送協会を参照のこと。
沿革
- 1912年(明治45年) 隅田川口改良工事が始まり、そのとき浚渫された土砂を使って芝浦地区の埋め立てが開始される。
- 1919年(大正8年)2月 芝浦海面埋立地が完成し、翌3月に芝浦町一 - 三丁目が成立、東京市芝区に所属する。
- 1932年(昭和7年) 芝浦町一丁目に外国・国内の貨物船専用桟橋である芝浦桟橋(芝浦埠頭)が完成する。
- 1936年(昭和11年)1月1日 芝浦町とその周辺の町域整理を実施。芝浦町二丁目に周辺地域をあわせて新たに芝浦一 - 三丁目が成立する。また、芝浦町三丁目に周辺地域をあわせて西芝浦一 - 四丁目が起立され、芝浦町一丁目は海岸通三丁目に変更となった。
- 1947年(昭和22年) 芝区が赤坂区・麻布区と合併して新たに港区が成立。それに伴い、芝浦地区は東京都港区芝浦・西芝浦となる。
- 1964年(昭和39年)7月1日 芝浦地区に住居表示が実施され、芝浦に西芝浦を統合し、現行の芝浦一 - 四丁目が成立する。
町名の変遷
実施後 | 実施年月日 | 実施前(各町名ともその一部) |
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芝浦一丁目 | 1964年7月1日 | 芝浦一丁目 |
芝浦二丁目 | 芝浦二丁目 | |
芝浦三丁目 | 西芝浦一丁目、西芝浦三丁目 | |
芝浦四丁目 | 芝浦三丁目、西芝浦二丁目、西芝浦四丁目 |
再開発
芝浦では、1990年代以降、付近の汐留や品川などの埋め立て地と同様再開発が盛んになった。その代表的なものが、2007年(平成19年)に竣工した大規模な高層住宅群「芝浦アイランド」である。都営バス操車場、新三井製糖工場などの跡地に「ケープタワー」や「エアタワー」、「グローヴタワー」など、高さ160m程度の高層マンションが4棟建設された。また同じ芝浦4丁目、沖電気工業の本社及び工場跡地にも高層住宅「CAPITAL MARK TOWER」が同年10月に竣工した。2016年1月には芝浦1丁目、ヤナセ本社跡地に高層住宅「グローバルフロントタワー」が建設された。
世帯数と人口
2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
芝浦一丁目 | 1,816世帯 | 3,194人 |
芝浦二丁目 | 2,156世帯 | 3,527人 |
芝浦三丁目 | 1,216世帯 | 2,026人 |
芝浦四丁目 | 7,866世帯 | 16,218人 |
計 | 13,054世帯 | 24,965人 |
小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7]
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
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芝浦一丁目 | 1~5番 | 港区立芝小学校 | 港区立三田中学校 |
その他 | 港区立芝浦小学校 | 港区立港南中学校 | |
芝浦二丁目 | 全域 | ||
芝浦三丁目 | 全域 | ||
芝浦四丁目 | 全域 |
交通
鉄道
道路
施設
芝浦一丁目
芝浦二丁目
芝浦三丁目
- 芝浦公園
- キャンパス・イノベーションセンター東京
- 東京工業大学附属科学技術高等学校
- 田町駅
- TDK 本社
芝浦四丁目
- ジャパンタイムス
- 港区立芝浦小学校
- 住友不動産三田ツインビル東館(ホテルヴィラフォンテーヌ東京三田)
- キャピタルマークタワー
- トヨタアドミニスタ芝浦ビル
- トヨタアドミニスタ 本社
- トヨタテクノクラフト 本社
- 東京トヨペット 本社
かつて存在した施設
- ジュリアナ東京 - 1990年代に人気となった大規模ディスコ
- インクスティック芝浦ファクトリー - バブル期に人気となったライブハウス
- 田町ハイレーン
- 株式会社ジェイ・シー・エム - プラスeなどを手掛けた企業[8]
芝浦が舞台になった作品
- 名所江戸百景・金杉橋芝浦 - 安藤広重作。名所江戸百景のうち金杉橋と奥に広がる芝浦を描いた一枚。
- 西部警察 - よくロケーションで使われていた。
- ゴジラvsモスラ(大河原孝夫監督)
- 侠骨一代(マキノ雅弘監督)
芝浦の名が付く企業・団体等
- 東芝 - 芝浦製作所が重電系部門の源流。その後、1939年(昭和14年)の東京電気との合併で東京芝浦電気という名称になり、1984年(昭和59年)にその略称であった現社名になった。
- 芝浦メカトロニクス(旧芝浦製作所(2代目)) - 東芝系の産業用電気機器メーカー。
- 芝浦自販機 - 上記会社から自販機の事業を分社化して新規設立した会社。
- 芝浦電産 - 日本のモーター製造会社。その後に日本電産が買収して日本電産シバウラとなる。現在は日本電産パワーモータと合併し日本電産テクノモータ。
- 石川島芝浦機械 - 日本の農業機械メーカー。その後に親会社(IHI)の社名変更によりIHIシバウラとなる。
- 芝浦工業大学 - 東京都江東区豊洲にある工科系の私立大学。豊洲キャンパスができる前に、芝浦キャンパスが芝浦にあったことに由来している。
- 芝浦屠場 - 正式名称は、東京都中央卸売市場食肉市場。
脚注
- ↑ “平成22年国勢調査による各総合支所管内別の町丁目別面積・昼夜人口等”. 港区 (2015年2月19日). . 2018閲覧.
- ↑ 2.0 2.1 “各月1日現在の各総合支所管内別の町丁目別人口・世帯数(平成14年~平成29年)”. 港区 (2017年12月6日). . 2018閲覧.
- ↑ 3.0 3.1 “郵便番号”. 日本郵便. . 2018閲覧.
- ↑ 4.0 4.1 “郵便番号”. 日本郵便. . 2018閲覧.
- ↑ “市外局番の一覧”. 総務省. . 2018閲覧.
- ↑ Google Earthより
- ↑ “港区立小・中学校通学区域一覧表”. 港区 (2015年4月1日). . 2018閲覧.
- ↑ “2004年(平成16年)8月度こうして倒産した…”. こうして倒産した…. 東京商工リサーチ (2004年). 2015年7月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2015閲覧.