自由党 (イギリス)

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自由党(じゆうとう、Liberal Party

19世紀中頃から第1次世界大戦直後まで保守党と並んでイギリスを支配した政党。党の前身はホイッグ党であるが,党名を変更した時期については定かでない。すでに 1839年に党首 J.ラッセルは自由党と呼んでいたといわれるが,一般に受入れられるようになったのは,ホイッグ的な H.J.パーマストンに代って,W.E.グラッドストンが指導権を握った 65年以降のことである。そのとき以来,まさに党は名実ともに自由主義の旗手となった。党の精神的基盤はベンサムやミルの功利主義哲学であり,その背後には有力な工業ブルジョアがいた。第1次世界大戦に際しては戦争遂行の任にあたり,戦後も連立政権の中心に収まった。しかし 1922年に保守党は独自の道を歩もうとして,ついに連立政権を倒壊させた。このとき以来自由党は,政権の座から遠のくことになり,さらに第2次世界大戦中アスキス派とロイド・ジョージ派とに分裂したことで党勢を弱めることになった。しかし保守=労働の2党間の議席差がわずかであるため,政策決定にキャスティング・ボートを握る場合もままあり,二大政党制の連続にあきたらぬ中間層の支持を集め,勢力回復の兆しをみせつつある。事実,74年 10月の総選挙では 13議席を獲得しキャスティング・ボートを握り,77~78年には労働党政権を支えた。 83年6月の総選挙では社会民主党と組み,合計4分の1の票を獲得,87年の総選挙でも17議席を獲得し第3党となった。 88年3月,社会民主党の一部と合併し社会自由民主党を結成,その後 89年には自由民主党と改称した。



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