胆振線
停車場・施設・接続路線(廃止当時) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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胆振線(いぶりせん)は、日本国有鉄道(国鉄)が運営していた鉄道路線(地方交通線)。北海道伊達市(胆振支庁管内)の伊達紋別駅で室蘭本線から分岐し、虻田郡倶知安町(後志支庁管内)の倶知安駅で函館本線に接続していた。国鉄再建法の制定に伴い、1984年6月に第2次特定地方交通線に選定され、1986年11月1日[1][2]に全線が廃止された。
Contents
路線データ
- 管轄:日本国有鉄道
- 区間(営業キロ):
- 軌間:1067mm[1]
- 駅数:21(起終点駅含む)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:なし(全線非電化)[1]
- 閉塞方式:タブレット閉塞式
- 交換可能駅:5?(久保内、新大滝、御園、喜茂別、京極)?
- 廃止時の簡易委託駅:久保内、蟠渓、北湯沢、優徳、御園、南京極、東京極、寒別
歴史
胆振線は、歴史的に軽便鉄道法によって建設された京極以北と、私鉄を買収した京極以南に分かれる。
倶知安 - 京極 - 脇方間は、改正鉄道敷設法制定以前に軽便鉄道法により計画された路線で、1919年から翌年にかけて京極軽便線(きょうごくけいべんせん。1922年、軽便鉄道法の廃止により京極線に改称)として開通した[2]。1898年に脇方で発見された褐鉄鉱床の鉄山・倶知安鉱山からの鉱石輸送が建設目的である。
京極以南は、改正鉄道敷設法別表第131号に規定する予定線「膽(胆)振國京極ヨリ喜茂別、壯瞥ヲ經テ紋鼈至ル鐵道」に沿い、京極線の延長の形で胆振鉄道(いぶりてつどう)が建設し、1928年に喜茂別(初代)まで開業した[2]。
1940年には、胆振縦貫鉄道(いぶりじゅうかんてつどう)によって伊達紋別 - 徳瞬瞥(とくしゅんべつ=後の新大滝)間が開業[2]、翌年には胆振鉄道を合併[2]、そして西喜茂別(後の喜茂別(2代))まで延伸され、伊達紋別 - 京極間が全通した[2]。
1944年には、胆振縦貫鉄道が戦時買収され、京極線と合わせて胆振線となっている[2]。戦時買収前日の6月30日の夜、昭和新山が噴火を開始。沿線一帯が激しい隆起に見舞われたが、戦時の鉄鉱石輸送という路線の使命上、列車の運行を休止させることもできず、各地から保線区員を集めて迂回鉄路を引き直し続けた。結局、昭和新山の噴火が終息を迎える頃には、元々の鉄路があった場所は山の中腹に位置するほど地形は変化したが、列車の運行を休止することはなかった[3]。
枝線となった京極 - 脇方間については、鉱山の閉山により輸送量が減少し、赤字83線の取組みの中で1970年に廃止された。残った伊達紋別 - 倶知安間についても、1980年に国鉄再建法が成立すると、有珠山噴火による運休があった1977年度(昭和52年度)を含む1979年度(昭和54年度)までの3か年の輸送密度をもとに、第2次特定地方交通線に指定された。
そして、1986年10月31日の旅客営業を以って全線廃止となり、道南バスのバス路線に転換された。
改正鉄道敷設法には、京極から留寿都を経て壮瞥に至る鉄道(別表第132号)も規定されていたが、こちらは全くの未着手に終わった。この区間には、 国鉄バス(伊達線)が京極駅 - 豊浦駅間に運行されていたが廃止されている。
倶知安 - 脇方間(京極線)
脇方の倶知安鉱山は1916年(大正5年)に三井鉱山の所有となり、さらに1918年(大正7年)4月に三井が出資する室蘭の北海道製鐵(旧・輪西製鐵所、現・新日鐵住金室蘭製鐵所)へ譲渡、同年11月1日に開山した。当時推定鉱量1000万tと言われた同鉱山への国家的な期待は大きく、当線が建設される主要動機となった[4]。
- 1919年(大正8年)11月15日 倶知安 - 京極間 (13.4km) を京極軽便線として新規開業[2][5]。六郷駅・寒別駅・京極駅を新設[1]。
- 1920年(大正9年)7月15日 京極 - 脇方間 (7.5km) を日本製鋼所が敷設し、全線を鉄道院に寄付して開業[6][7]。脇方駅を新設[1]。
- 1922年(大正11年)9月2日 京極線と改称[2][8]。
京極 - 喜茂別間(胆振鉄道)
- 1928年(昭和3年)10月21日 胆振鉄道が京極 - 喜茂別間 (11.0km) を開業[2][9]。川上温泉停留場・留産駅・喜茂別駅(初代)を新設[1]。
- 1931年(昭和6年)6月25日 東倶知安停留場を新設[1]。
伊達紋別 - 西喜茂別間(胆振縦貫鉄道)
- 1940年(昭和15年)12月15日 胆振縦貫鉄道が伊達紋別 - 徳瞬瞥間 (35.0km) を開業[2][10]。上長流停留場・壮瞥駅・久保内駅・蟠渓駅・優園停留場・優徳駅・徳舜瞥駅を新設[1]。
- 1941年(昭和16年)
- 1943年(昭和18年)12月頃から、昭和新山の火山活動により壮瞥村(当時)の地盤が隆起を始め、上長流 - 壮瞥間でたびたび線路が崩壊。保線と新線建設が火山活動の終了まで繰り返される[12]。
胆振縦貫鉄道買収後
- 1944年(昭和19年)7月1日 胆振縦貫鉄道の伊達紋別 - 京極間、西喜茂別 - 喜茂別間を買収・国有化し、これに京極線を編入して胆振線(伊達紋別 - 倶知安間・京極 - 脇方間)とする[2][13]。西喜茂別 - 喜茂別間 (0.7km) を廃止し、喜茂別駅(旧西喜茂別駅)構内に併合[2]。優園駅を北湯沢駅に、川上温泉駅を南京極駅に、西喜茂別駅を喜茂別駅(2代)に改称[1]。東京極駅を廃止[1]。尾路遠を駅から仮乗降場に改める[1]。
- 1952年(昭和27年)11月15日 徳舜瞥駅を新大滝駅に改称[1]。
- 1959年(昭和34年)10月1日 上長流を上長和駅に改称[1]。
- 1960年(昭和35年)10月1日 北岡駅・参郷駅を新設[1]。
- 1962年(昭和37年)12月17日 東京極駅を新設[1]。
- 1970年(昭和45年)11月1日 京極 - 脇方間 (7.5km) を廃止[2]。これに伴い、脇方駅を廃止[1]。
- 1977年(昭和52年)
- 1984年(昭和59年)6月22日 第2次特定地方交通線として廃止承認[15]。
- 1985年(昭和60年)? 尾路遠仮乗降場を廃止[1]。
- 1986年(昭和61年)11月1日 全線 (83.0km) を廃止[2][1][16]し、道南バスのバス路線に転換。
運行形態
1986年3月3日改正時点[17]で、全線通しの列車のほか、「伊達紋別 - 久保内」「伊達紋別 - 新大滝」や「御園 - 倶知安」といった区間列車があった。新大滝 - 御園間は胆振支庁 - 後志支庁の境になり、人口も特に稀薄なため、この区間で運行便数が少なくなっていた。
急行「いぶり」
胆振線には、札幌発着で循環運転を行う準急・急行「いぶり」が運行されていた(千歳線 - 室蘭本線 - 胆振線 - 函館本線経由、キハ22形気動車を使用)[18]。
- 1962年10月1日 臨時の準急列車として内回り便(札幌→倶知安→伊達紋別→札幌の方向)のみが設定される(単行で、土曜・日曜日のみの運行)[18]。
- 1963年10月1日 内回り便が定期化される。外回り便(札幌→伊達紋別→倶知安→札幌の方向)の運転を開始[18]。
- 1965年10月 「ちとせ」「えりも」に加え、札幌 - 伊達紋別で準急「とうや」(札幌 - 洞爺)との連結を開始。札幌 - 苫小牧は4階建て、苫小牧 - 東室蘭は3階建て、東室蘭 - 伊達紋別は2階建てとなる。
- 1966年3月5日 急行に格上げ[18]。
- 1967年10月 倶知安 - 札幌にて連結する相手が「ニセコ」から「らいでん」に変更されるが、運転区間はそれまで通り。
- 1972年3月 「とうや」が「ちとせ」に改称されるが、運転区間はそれまで通り。
- 1980年10月1日 廃止[18]。
廃止時の停車駅は以下の通りであった。
- 札幌 - 千歳 - 苫小牧 - 白老 - 登別 - 東室蘭 - 本輪西 - 伊達紋別 - 壮瞥 - 久保内 - 蟠渓 - 北湯沢 - 新大滝 - 御園 - 喜茂別 - 京極 - 倶知安 - 小沢 - 余市 - 小樽 - 札幌
駅一覧及び接続路線
接続路線の事業者名・駅の所在地は廃止時点のもの。全駅北海道に所在。
駅名[1] | 駅間キロ | 営業キロ[1] | 接続路線 | 所在地 |
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伊達紋別駅 | - | 0.0 | 日本国有鉄道:室蘭本線 | 伊達市 |
上長和駅 | 5.1 | 5.1 | ||
壮瞥駅 | 5.2 | 10.3 | 有珠郡壮瞥町 | |
久保内駅 | 6.8 | 17.1 | ||
蟠渓駅 | 6.0 | 23.1 | ||
北湯沢駅 | 4.4 | 27.5 | 有珠郡大滝村 (現:伊達市大滝区) | |
優徳駅 | 2.8 | 30.3 | ||
新大滝駅 | 4.7 | 35.0 | ||
御園駅 | 13.4 | 48.4 | 虻田郡喜茂別町 | |
北鈴川駅 | 5.1 | 53.5 | ||
喜茂別駅 | 5.7 | 59.2 | ||
留産駅 | 3.7 | 62.9 | ||
南京極駅 | 2.1 | 65.0 | 虻田郡京極町 | |
東京極駅 | 3.4 | 68.4 | ||
京極駅 | 1.2 | 69.6 | 日本国有鉄道:胆振線(脇方方面) | |
北岡駅 | 3.0 | 72.6 | ||
寒別駅 | 2.3 | 74.9 | 虻田郡倶知安町 | |
参郷駅 | 3.5 | 78.4 | ||
六郷駅 | 2.0 | 80.4 | ||
倶知安駅 | 2.6 | 83.0 | 日本国有鉄道:函館本線 |
支線
駅名[1] | 営業キロ[1] | 接続路線 | 所在地 |
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京極駅 | 0.0 | 日本国有鉄道:胆振線(伊達紋別・倶知安方面) | 虻田郡京極町 |
脇方駅 | 7.5 |
代替バス
道南バスが鉄道代替路線を運行している。
- 2016年3月26日現在、伊達駅前(伊達紋別駅) - 倶知安駅前を通しで運行する便が1日3往復あるほか、伊達 - 大滝、倶知安 - 喜茂別に区間便がある[20](参考:2014年10月1日改正時点[21])。
- かつては倶知安駅・喜茂別 - 鈴川(北鈴川駅) - 御園(御園駅)の系統も設定されていたものの、2014年に鈴川 - 御園間の運行補助が打ち切りとなり[22]、2014年10月1日のダイヤ改正をもって同区間は路線廃止となった[21]。これにより御園に乗り入れるバスは全廃された。なお伊達駅前 - 倶知安駅前の通し系統は従前より御園には乗り入れていない(国道276号経由で直行)。
脚注
- ↑ 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 1.12 1.13 1.14 1.15 1.16 1.17 1.18 1.19 1.20 1.21 1.22 1.23 1.24 1.25 1.26 今尾恵介監修『日本鉄道旅行地図帳』1号 北海道、新潮社、2008年、p.29
- ↑ 2.00 2.01 2.02 2.03 2.04 2.05 2.06 2.07 2.08 2.09 2.10 2.11 2.12 2.13 2.14 2.15 2.16 2.17 2.18 2.19 宮脇俊三編著『鉄道廃線跡を歩く』IV、JTB、1997年、p.203
- ↑ 篠原繁雄「わが人生」 『穂別高齢者の語り聞き史(昭和編)大地を踏みしめて 上』 穂別高齢者の語りを聞く会、2014年。
- ↑ 日鉄鉱業40年史 昭和54年11月発行 P17。
- ↑ 「鉄道院告示第103・104号」『官報』1919年11月1日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 北海道鉄道百年史 上巻 日本国有鉄道北海道総局 昭和51年3月発行 P479。同年より日本製鋼所は北海道製鐵を吸収合併して製鉄部門としていた。
- ↑ 「鉄道省告示第34・35号」『官報』1920年7月10日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「鉄道省告示第109号」『官報』1922年9月2日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1928年10月30日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1941年1月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1941年10月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 全国災害伝承情報 添付資料1-1(1) 1977年有珠山噴火 (PDF) - 総務省消防庁
- ↑ 「運輸通信省告示第307・308号」『官報』1944年6月27日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ↑ 14.0 14.1 14.2 14.3 全国災害伝承情報 添付資料1-1(2) 1977年有珠山噴火 (PDF) - 総務省消防庁
- ↑ 池田光雅『鉄道総合年表1972-93』中央書院、1993年、pp.84,98
- ↑ “31日廃止の富内、胆振線”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1986年10月31日)
- ↑ 『交通公社の時刻表』1986年3月号、日本交通公社、p.430
- ↑ 18.0 18.1 18.2 18.3 18.4 今尾恵介・原武史監修『日本鉄道旅行歴史地図帳』1号 北海道、新潮社、2010年、p.37
- ↑ 上りの「ニセコ」は目名(1965年10月からは上目名(1984年4月に駅廃止))まで運行されていた。また「ニセコ」は、上目名・目名・蘭越 - 倶知安および岩内線内は普通列車(「らいでん」も同様)となっていた。
- ↑ 郊9伊達〜洞爺湖温泉〜倶知安駅前pdf - 平成28年3月26日改正、道南バス公式ページ、同年4月26日閲覧
- ↑ 21.0 21.1 “平成26年10月1日(水)【胆振線】ダイヤ改正のお知らせ”. 道南バス. 2014年9月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2014閲覧.
- ↑ “議会だより 平成二十五年第一回定例会”. 喜茂別町議会. . 2015閲覧.(12ページを参照)
参考文献
- 「注解 鉄道六法」平成20年版 国土交通省鉄道局監修 第一法規出版 2008年10月発行
- 旧法 鉄道敷設法
- 「旅」1999年11月号 特集:鉄道新時代 21世紀への序曲(JTB1999-11 No.874)
- 別冊付録:改正「鉄道敷設法」別表を読む 三宅俊彦
- 道南バス PDF版時刻表