聚楽第
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聚楽第 (京都府) | |
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別名 | 聚楽亭、聚楽城など |
城郭構造 | 平城 |
天守構造 | 不明(諸説あり) |
築城主 | 豊臣秀吉 |
築城年 | 1586年(天正14年) |
主な改修者 | 豊臣秀次 |
主な城主 | 豊臣氏 |
廃城年 | 1595年(文禄4年) |
遺構 | 移築門 |
位置 |
聚楽第(じゅらくてい、じゅらくだい)
「聚楽亭」と書くことがあり,「じゅらくのてい」とも読み,「聚楽城」とも称する。天正 13 (1585) 年関白に就任した豊臣秀吉が,京都内野の大内裏跡に建てた邸宅。同 14年春に着工し,翌年9月完成した。秀吉隆昌期の所産で,四周を濠塁で囲み,このうえない豪華壮麗さで天下に威勢を示したといわれ,同 16年4月には後陽成天皇の行幸を仰いでいる (聚楽行幸記 ) 。同 19年 12月関白を養子秀次 (豊臣秀次 ) に譲り,聚楽第も秀次の居所となったが,文禄4 (95) 年7月秀次を高野山へ追って自殺させ,その8月聚楽第も秀吉の命で破壊された。その殿舎の多くは伏見城へ移された。大徳寺唐門,西本願寺飛雲閣および浴室にその遺構がみられる。桃山文化の代表的建築物である。
座標: 東経135度44分45秒北緯35.024937度 東経135.745964度