粟島浦村

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村上市の諸上寺公園から望む粟島
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漁火温泉 おと姫の湯

粟島浦村(あわしまうら むら)は、新潟県の北部、岩船郡に属する日本海に浮かぶ粟島唯一の基礎自治体である。

地理と気候

集落が2つあり、村役場や汽船用の港があり村の中心である東部の内浦と西部の釜谷がある。夏には海水浴など行楽客が増え、旅館があるほか民宿も多い。

地学的には隆起の激しいであり、島の北部には海岸段丘が発達している。また1964年(昭和39年)6月16日に発生した新潟地震の際には、震源に近かったことから島内で隆起が生じた。

1974年(昭和49年)3月22日海底地すべりによる「粟島災害」が発生した[1]。内浦集落の海岸が一晩のうちに大きく侵食され、多くの住居と完成したばかりの鉄筋コンクリートの村役場と役場に隣接していた木造の施設が海に飲み込まれた。新潟地震とこの海底地すべりにおいて、死者は出ていない。

本土とは岩船港(村上市)発着の粟島汽船で結ばれている[2]。冬の粟島は大陸からの寒波にさらされ、海が荒れる。そのため酷い時は一週間も船が欠航し、郵便等の貨物や新聞のやり取りができなくなる。 また、内浦と釜谷では冬の気候が少々違う。内浦は本土に面しており、集落の背後の山が大陸からの強風を防いでくれるため風が弱く、島に隠れている部分の海は穏やかであるが、逆に釜谷は大陸からの強風を直接に受けるため、冬は漁ができない。釜谷では、高さ数メートルもある岸壁を大波が軽々と超える。

荒海と漂着物

粟島は激しい波にさらされるため、特に大陸側である釜谷の海岸には日本語のみならず朝鮮語、ロシア語、中国語等が書かれた様々な外国製品も流れ着く。大型台風の襲来時には、更に大量の漂着物が集積する。

廃棄物のみならず、不審船も度々漂着することもある。2004年(平成16年)の春に漂着した不審船は全長5メートルほどの木造船で、船体はタールのようなものが塗られ真っ黒であった。2013年(平成25年)12月にはハングルの書かれた全長3.5メートルほどの木造船が漂着し、船内から男性の遺体が見つかっている。

冬になると、荒波に流されてタルイカ(ソデイカ)が打ち上げられる。味はそこそこであるが、珍しいため皆が探す。タルイカを拾うために海岸を徘徊する光景は粟島の冬の風物詩でもある。

歴史

粟島は過去に集落を焼き尽くすような大火に数度見舞われており、過去の資料や文献等がほとんど残っていない。このため、江戸時代以前は推測に頼るしかない。

人の居住は早く、縄文土器が出土している。古代は蝦夷が住んでいたと思われる。阿倍比羅夫の遠征や磐舟柵の設置など大和朝廷の北陸・東北地方への進出に伴い、その支配下に組み込まれていったと推測される。『万葉集』に載る和歌「波の間ゆ雲居に見ゆる粟島の逢わぬもの故我に寄そる児ら」にある粟島が、現在の粟島を指すとの解釈もある[3]

『大日本地名辞書』によると、日本各地に伝わる薬の処方を集めた『大同類聚方』に「磐船郡粟生蝦夷等之家伝方」として「粟島薬」が見え、2種類の薬について記されている。そこで原料とされている植物は現在も島に自生している。

鎌倉時代室町時代は色部氏の領地。この時期、板碑が大量に造られた。

江戸時代には村上藩庄内藩領、幕府領米沢藩預と二転三転した。また北前船の寄港地として栄えた。戊辰戦争中はエドワード・スネルによる米沢藩への武器輸送の中継地だった。現在も海が荒れた際はタンカー等が内浦港の沖合いに停泊する。

  • 1889年(明治22年)町村制施行にともない、新潟県岩船郡粟島浦が名称をそのままに村制施行。
  • 1909年(明治42年)粟島浦村に改称。
  • 2001年(平成13年)村長選挙で新人候補が立候補に必要な戸籍抄本を取ろうとした際に、村は祝日を理由に拒否したため、現職の神丸保男が無投票で当選した。2002年(平成14年)7月30日、最高裁は「神丸村長が地位を利用して立候補を妨害した」と認定して選挙無効が確定したため、神丸は失職となった。しかし同年9月15日に出直し選挙が行われ、現職の神丸が再選した。

人口

粟島浦村(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より

行政

  • 村長:本保 建男(2006年9月15日から、3期目)[4]

産業

観光

島全体が「瀬波笹川流れ粟島県立自然公園」の一部[5]となっている。ゴールデンウィークの時期に連絡船より眺める粟島は、萌黄色の島の中に桜の花がちりばめられ、紺碧の海の色との対比がとても美しい島である。観光船「シーバード」で島を一周できる[6]ほか、役場で自転車を借りることができる。自転車はシーズン中は開始時間前に並ばないと借りられなくなるが、貸してくれる自転車はママチャリで、平地が少ないため道路は起伏が激しい。

島内には温泉があるほか、秋には磯ダコ取りツアーが開催される。その他、粟島浦村の名物として次のようなものがある[7]

粟島の名物料理。曲げわっぱの器に焼いた魚とネギを入れて上から熱湯をかけ、さらに熱した石を入れて煮立たせ、味噌を溶き入れて香ばしく仕上げる。酒を加える場合もある。島の多くの家庭では味噌が自家製で、材料を入れるタイミングや順番などワッパ煮の作り方もそれぞれこだわりがある。そのため色や味などは家によって異なる。
豊富な竹林を生かした竹製品を製造・販売している。粟島浦村役場に電話で注文する事が出来る。

漁業

粟島漁港と釜谷漁港がある。漁師以外に釣りも楽しめる[8]

農業

各家で野菜を育て、小豆大豆も島内で自給している。小豆や味噌も多くは自家製である。稲作も昔は行われていたが、1964年の新潟地震による島の隆起が原因で水源が枯れた為、それ以降は行われていない。島のジャガイモは甘くておいしいといわれる。秋に捕れる磯ダコを使ったイモダコは絶品との評判が高い。

交通

島内に鉄道、国道(高速道路一般国道とも)、空港はなく信号機は小中学校前にあるのみである。路線バス、タクシーも運行されていないが、民宿に電話で依頼すると港まで送迎してくれる。近年、補助金によりコミュニティバス(島民のみ無料で、島民以外は200円)が開通し、内浦と釜谷を往復している。粟島汽船のカーフェリーは車を運べるが、島民や仕事での来島者を除く観光客は自家用車の持ち込みはできない[9][10]

また、災害救援用のヘリポートが島北部に設けられている。

道路

幹線道路は、中心部の内浦地区と釜谷地区を結ぶ一般県道1路線。その他は全て村道となっている。

学校前の信号機

信号機のない島で育った子供たちが本土での信号機に迷わないようにと2007年7月13日、粟島浦村で唯一の信号機が設置された。島内には信号機が必要なほどの交通量ではないが、交通量の激しい島外で事故に遭わないようにと教育関係者の働きかけもあり設置場所が学校前となった。

粟島島内を走る一般県道

村道は北周りの遊歩道と南回りの遊歩道がある。南回りの遊歩道の最高部である矢ヶ鼻から見た本土は良い景色である。晴天時は佐渡島の大佐渡山地と小佐渡山地、本土の角田山弥彦山が四つ並んだ島のように見える。また、新潟市中央区新潟スタジアム(デンカビッグスワンスタジアム)、朱鷺メッセNEXT21も見ることができる。北周りの遊歩道は快晴の日に限り鳥海山が見える。

港湾・船舶

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粟島汽船のフェリーあわしま

離島という地理条件上、島外との交通の基幹は航路に頼ることとなる。新潟県本土側とは、粟島汽船が運航する内浦港と村上市の岩船港を結ぶ航路により結ばれており、カーフェリーと高速船が運航されている。

なお、2018年6月29日より7月20日までの平日のみ15日間について、新潟港と粟島を結ぶ航路が社会実験として44年ぶりに就航することとなった[11]

名所・旧跡・観光

  • 粟島浦村資料館
  • 大謀(だいぼう)網漁見物
  • 観光船シーバード
  • 漁火温泉 おと姫の湯
  • 島開き(ゴールデンウィーク)
  • 粟島ミュージックフェスティバル 歌島

施設

  • 島内に警察署、消防署はない。2017年12月21日、北朝鮮からとみられる日本海側への相次ぐ漂着船や上陸事案を受けて、新潟県警察機動隊員と村上警察署員の合計2人とミニパトカー1台を派遣した[12]。それまでは夏季に増える観光客に対応するため、村上警察署が内浦地区に臨時交番を開設していた。
  • 郵便局は、内浦地区の粟島郵便局[13]1カ所のみ。金融機関としては粟島浦漁業協同組合も利用できる。
  • 粟島浦小学校と粟島浦中学校がある。小中併設校のため校舎と校長は同じ。2005年度(平成17年度)時点では小中合わせて28名。これに対し教職員数はあわせて10名。釜谷集落には廃校になった旧分校がある。
  • 病院はなく、診療所に看護師2人が配置されている。専門的な医療は本土へ渡航して受診し、急患はヘリコプターか粟島汽船の船を臨時に運航して搬送することになる。
  • 商店は漁協経営の小さなスーパーと、個人商店が2軒[14]。観光シーズンになると、土産物屋が何軒か開店する。

動植物

春先には百数十種の渡り鳥が飛来し、野鳥観察地として人気がある。渡り鳥の「オオミズナギドリ」と「ウミウ」の繁殖地が国指定の天然記念物に指定されている。
  • 哺乳類
元からいる哺乳類はイタチと野鼠くらいである。昭和の初めまで野生馬がいたが、絶滅した。この野生の先祖は源義経が奥州平泉へ逃れる途中に放した馬といわれる。また、皇居前の楠木正成の銅像の馬は粟島の野生馬であるといわれている。2011年以降、牧場で馬が飼育され、乗馬が体験できる[15]野良猫がかなりいるほか、脱走した鹿が3匹いる。
  • 植物
初夏になると、岩肌から島の花である岩ユリ(スカシユリ)が咲く[16]。新潟地震の直前、山の竹が一斉に開花して枯れたと言われている。

市町村合併

岩船郡(朝日村山北町神林村荒川町)と村上市とで合併するはずだったが、村上市が離脱したため白紙に。岩船郡関川村は以前より自立の道を選択している。

その後、村上市の市長交代により元の枠組みで新協議会が発足したが今度は粟島浦村自体が村長交代により協議を離脱し、自立の道を歩むと表明をした。

脚注

  1. 粟島災害についてJ-STAGE(2017年12月24日閲覧)
  2. 粟島汽船
  3. 粟島漁港新潟県ホームページ(2017年12月24日閲覧)
  4. http://go2senkyo.com/local/senkyo/6241 粟島浦村長選挙]. 選挙ドットコム
  5. 瀬波笹川流れ粟島県立自然公園新潟県ホームページ(2017年12月24日閲覧)
  6. 観光船のご案内粟島観光協会(2017年12月24日閲覧)
  7. 名物・お土産粟島観光協会(2017年12月24日閲覧)
  8. 釣り情報粟島観光協会(2017年12月24日閲覧)
  9. 移住を希望される方へ粟島浦村役場(2017年12月24日閲覧)
  10. よくある質問粟島汽船(2017年12月24日閲覧)
  11. 【期間限定】粟島~新潟航路社会実験 2018年6月29日~7月20日 - 粟島浦村ホームページ
  12. 北の漂着船対策へ派遣、警察官の出発式 新潟の離島・粟島へ産経新聞ニュース(2017年12月21日)2017年12月24日閲覧
  13. 粟島郵便局日本郵政(2017年12月24日閲覧)
  14. 移住を希望される方へ粟島浦村役場(2017年12月24日閲覧)
  15. 体験粟島観光協会(2017年12月24日閲覧)
  16. 観る粟島観光協会(2017年12月24日閲覧)

外部リンク