米代川
米代川(よねしろがわ)は、主に秋田県北部を流れ日本海に注ぐ米代川水系本流の一級河川である。東北地方第5の大河で、秋田県内でも流域面積が雄物川に次ぐ。
地理
秋田県と岩手県、青森県の3県の境界付近に位置する奥羽山脈の中岳や四角岳付近から南流する切通川が、八幡平北麓に発し北流する兄川を岩手県八幡平市兄畑で合わせ、米代川と名を変える。程なく秋田県に入り北に転じ、鹿角市毛馬内からは概ね西へ流れる。大館市南部を通り、北秋田市(阿仁地方)を北流してきた阿仁川を能代市二ツ井地域で合わせ、能代市で日本海に注ぐ。
太平洋に面し、分水嶺たる奥羽山脈の東側に位置する岩手県では珍しい、日本海に注ぐ川である。ただ、米代川の源流地帯は岩手県にあるが、最も奥の源流部は中岳や四角岳北部の秋田県側にある。
歴史
米代川の語源は「米のとぎ汁のような白い川」と言われている。米代川源流地区(現在の岩手県八幡平市田山)にいた、だんぶり長者の米のとぎ汁だとする伝説もある。また、これは915年、十和田湖火山が大噴火を起こした際の火砕流や火山灰で白く濁った川の色を表現したとも言われている。なお、現在の米代川の色は緑色をしている。
この大噴火は日本列島の過去2000年で最大の噴火とも言われ、毛馬内・大館・鷹巣・二ツ井に大量の火山噴火物を流出させ、せき止め湖を造り、現在の能代南中学校付近に大量の軽石を堆積させた。これらによって、米代川の流れは影響を受け、低地に建てられた建物は土砂に埋まり、人々は高台に避難するという大災害となった。胡桃館遺跡や七座山天神貯木場から発見された遺跡はこのとき埋没したものと考えられている。これほどの大災害なのにもかかわらず、文献による被害の記録はまったく残っておらず、三湖伝説に人々はその記憶をとどめたと考えられている。
米代川流域には鉱山地帯が多く尾去沢鉱山、小坂鉱山、大葛鉱山、阿仁鉱山、太良鉱山などの鉱山から出る鉱石は米代川での舟運で運ばれた。また、この地区は優れた材木の産地でもあり、これらも米代川を使って運ばれた。特に丸太を筏にして川に流す筏流しは1964年まで続いた。これらの輸送はその後鉄道と森林鉄道、トラックによる輸送に移行していった。
近年の災害
古くからたびたび氾濫の記録があるが、近年では1972年昭和47年7月豪雨で大規模な洪水が起こっている。山本郡二ツ井町(現・能代市)では8日に堤防が決壊し、町内の中心部が浸水または水没した。翌9日午後1時過ぎには能代市の中川原堤防が決壊、同地区及び周辺地域で家屋や田畑に大きな被害が出たほか市内全域が停電した。この洪水による被害総額は120億円に及んだが、奇跡的に死者は1人も出なかった。
1983年5月26日の日本海中部地震の際には、この地震にともなって発生した津波が米代川河口から逆流し、堤防の一部が損壊する被害が出た。
流域の自治体
支流
※括弧内は流域の自治体
- 熊沢川(鹿角市)
- 夜明島川(鹿角市)
- 大湯川(鹿角市)
- 長木川(大館市)
- 下内川(大館市)
- 岩瀬川(大館市)
- 早口川(大館市)
- 阿仁川(北秋田市)
- 藤琴川(藤里町・能代市)
- 粕毛川(藤里町)
- 種梅川(能代市)
- 内川(能代市)
- 常盤川(能代市)
- 檜山川(能代市)
並行する交通
鉄道
道路
関連項目
- 能代 (軽巡洋艦) 米代川に因んで名づけられた。