筑紫国
筑紫国(つくしのくに)は、のちの令制国での筑前国と筑後国にあたり、現在の行政区分では、福岡県のうち東部(豊前国の一部だった部分)を除いた大部分にあたる地域に大化の改新・律令制成立以前の日本古代にあった国である。
本項では、この筑紫国を支配した国造である筑紫国造についても併せて解説する。
Contents
概要
筑前国(■)
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筑後国(■)
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『古事記』・国産み神話においては、隠岐の次、壱岐の前に筑紫島(九州)を生んだとされ、さらにその四面のひとつとして、別名を「白日別(シラヒワケ)」といったとされる。
7世紀末までに筑前国と筑後国とに分割された。両国とも筑州(ちくしゅう)と呼ばれる。また、筑前国と筑後国の両国をさす語としては、二筑(にちく)・両筑(りょうちく)も用いられる。
語源
(江戸期の文献[注 1]の説によると) 「筑紫」とは「西海道」すべてを言うのではなく、「筑前」のみを言うのである。そして、筑前が古来、異国から「大宰府」へ向かう重要な路であったため、それが石畳にて造られていた。それを称して「築石」といい、これがなまって「筑紫」となったのである。石畳の道は筑前の海岸に現存しているという。
筑紫国造
筑紫国造(つくしのくにのみやつこ、つくしこくぞう)は、のちに筑前国・筑後国となる地域(筑紫国)を支配した国造である。
概要
表記
「筑紫国造」は『日本書紀』における表記である。『先代旧事本紀』「国造本紀」においては、「筑志国造」と表記される。ただし『国造本紀考』 (105コマ目)によれば、「国造本紀」における表記も筑紫国造であるという。
祖先
- 『日本書紀』によれば、大彦命(孝元天皇(第8代天皇)の皇子で、四道将軍の一人)が筑紫国造など計7族の始祖であるという。
- 『先代旧事本紀』の「国造本紀」によれば、成務天皇(第13代天皇)の時代に阿倍氏(姓は臣)の同祖である大彦命の5世孫にあたる人物が初代筑志国造(または筑紫国造。#表記参照。)に任命されたという。この人物の名の表記については同じ「国造本紀」でも「田道命」と記すもの(度会延佳神主校正鼇頭旧事紀[1][2])と「日道命」と記すもの(前田侯爵家[注 2]所蔵安貞年間古写本[1][2]・佐伯有義氏所蔵別本所引清魚県主本所引イ本[2])と「曰道命」と記すもの(神宮文庫本[2])がある。
- 『古代豪族系図集覧』の系図は大彦命―武渟川別命(四道将軍)―大屋田子命―田道命となっており、これに従えば田道命は大彦命の5世孫ではなく曽孫(3世孫)となる。
氏族
筑紫氏(姓は君[注 3]・公[注 4])。『日本書紀』が筑紫国造だったと記す後述の筑紫磐井について、『古事記』は竺紫氏(姓は君)だったと記す。筑紫氏は阿部氏(姓は臣)とは同祖である(どちらも大彦命の子孫)。史書では7世紀末までこの氏の一族の名が見られ、その活躍が認められている[4][5]。
なお筑紫氏と同名の氏族には、中世以降の武家で筑前国や筑後国、肥前国に勢力を張った筑紫氏がいる。
本拠
なお、「筑紫」の名を持つ郡としては近代以降に福岡県筑紫郡がある。この郡は明治29年(1896年)4月1日に御笠郡・那珂郡・席田郡(すべて旧筑前国)の区域をもって発足したものであり、現在那珂川町のみが所属する。発足当時の郡域は、そのほか現在の福岡市の一部と筑紫野市、春日市、大野城市、太宰府市の全域にあたる。このうち旧筑前国御笠郡原田村(現在の福岡県筑紫野市原田)には、筑紫国造の氏神である筑紫神社(#氏神参照)があり、また旧原田村に隣接して旧筑前国御笠郡筑紫村(現在の福岡県筑紫野市筑紫)があってこれも筑紫の名を持つ。
また、「筑紫」の名を持つ自治体としては、筑紫村があった。
支配領域
筑紫国造の支配領域は当時筑紫国と呼ばれていた地域である。筑紫国はのちの令制国の筑前国・筑後国をさし、現在の福岡県西部に当たる[7]。
地名の語源については、#語源を参照。
筑紫国はのちに令制国の整備にともなって、7世紀末に筑前国(現在の福岡県西部に当たる)と筑後国(現在の福岡県南部にあたる)に分割された。
氏神
筑紫国造の氏神は、福岡県筑紫野市原田(旧筑前国御笠郡)にあり筑紫国の国名を負う筑紫神社(ちくしじんじゃ/つくしじんじゃ、位置)である[8]。この神社は「筑紫の神」(筑紫の国魂)を主祭神とする。元々旧筑前筑後二国の国境付近にある城山の山頂に祀られていたが麓に移されたという説(続風土記拾遺)、当初から現在地に祀られたという説(続風土記)がある[9]。この神社を筑紫君[注 5]・肥君[注 6]が祀ったという所伝が存在し特に注目されている[10]。当地は筑紫君の勢力圏内であるが、肥君が本拠地の九州中央部から北九州に進出したのは6世紀中頃の磐井の乱が契機で、この所伝にはその進出以後の祭祀関係の反映が指摘される[10]。
関連神社
墓
詳しくは磐井 (古代豪族)#墓を参照。
筑紫君(筑紫国造の氏族。#氏族参照。)一族の墓に相当すると推定されているのは八女丘陵に分布する[13]八女古墳群である[13]。前方後円墳12基・装飾古墳3基を含む古墳約300基からなり、その築造は4世紀前半から7世紀前半に及ぶ[13]。
以下に筑紫国造の墓と関係すると思われる八女古墳群中の古墳を記載する。なお以下の古墳はすべて旧上妻郡内にある。
人物
以下に筑紫国造を務めた著名な者を記載する。
- 筑紫磐井(つくし の いわい、生年不詳 - 継体天皇22年(528年?[注 7]))
- 鞍橋君(くらじ の きみ、生没年不詳)
- 6世紀中頃(古墳時代後期)の豪族。欽明天皇15年(554年)に内臣に率いられ百済への援軍として朝鮮半島に渡った一団の一人と考えられる[19]。このときに百済王子余昌(のちの威徳王)が新羅兵に包囲されたとき、矢をつぎつぎと放ち敵の包囲を射ち破ったことで、余昌たちを間道から脱出させた。弓が得意であり、つかう強弓の威力はすさまじく、敵の騎兵の鞍橋(馬鞍の前後に付くアーチ)を射抜いてさらに鎧にまで矢が通る程であった。鞍橋君の名は戦後この活躍にちなみ余昌より贈られた尊名である[20]。福岡県・筑前国の郡である鞍手郡やその中にある鞍手町の名「くらで」は、鞍橋君の「くらじ」が訛ったものとされる。また、福岡県直方市(旧鞍手郡)にある劔神社(#関連神社参照)は往古は「倉師(くらじ)大明神」と称えられたが、この「くらじ」は鞍橋君に由来する可能性がある。
子孫
脚注
注釈
- ↑ 尾崎雅嘉[蘿月菴國書漫抄」吉川弘文館(日本随筆大成 巻2)、1927年,500頁が引用する「益軒文集」、著者は19世紀初頭の人、貝原益軒は17~18世紀の人である。
- ↑ 前田氏加賀前田家の加賀藩本家は明治維新後侯爵となっている[3]。
- ↑ カバネ参照。
- ↑ 真人参照。
- ↑ 筑紫国造の氏族。#氏族参照。
- ↑ のちの肥後国の一部にあたる地域である火国におかれた火国造の氏族である肥氏。君(カバネ参照)は姓。
- ↑ 継体天皇晩年の編年は、『百済本記』の伝える辛亥の変(継体・欽明朝の内乱)により3年繰り上げられたとする説がある。その場合、書紀の527年から528年という紀年は、実際には530年から531年の出来事になる {{#invoke:Footnotes | harvard_citation }}。
出典
- ↑ 1.0 1.1 『国史大系. 第7巻』
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 『新訂増補國史大系 第7巻』
- ↑ 『寛政重修諸家譜』『金沢市史』『藩史大事典』
- ↑ 4.0 4.1 4.2 筑紫君葛子(古代氏族) 2010年.
- ↑ 岩戸山歴史資料館 2009年, p. 13.
- ↑ 6.0 6.1 『日本歴史地図 原始・古代編 下』。
- ↑ 7.0 7.1 筑紫国造(筑紫) - 日本辞典(2017年10月17日午前11時33分(JST)閲覧)
- ↑ 『姓氏家系大辞典. 第2巻』
- ↑ 『福岡県の地名』筑紫神社項
- ↑ 10.0 10.1 『日本の神々』筑紫神社項。
- ↑ 鞍手町再発見(史跡) - 鞍手町オフィシャル(2018年5月5日午後8時30分(JST)閲覧)
- ↑ 鞍手町再発見(歴史) - 鞍手町オフィシャル
- ↑ 13.0 13.1 13.2 岩戸山歴史資料館 2009年, p. 9.
- ↑ 14.0 14.1 14.2 14.3 岩戸山歴史資料館 2009年, p. 16.
- ↑ 岩戸山歴史資料館 2009年, p. 14.
- ↑ 岩戸山歴史資料館 2009年, p. 24.
- ↑ 磐井の乱(古代史) 2006年.
- ↑ 磐井(古代氏族) 2010年.
- ↑ 『日本書紀』舒明天皇14年条5月3日条
- ↑ 『日本書紀』舒明天皇15年条
関連項目
参考文献
- 百科事典
- 百科事典以外の書籍
- 『岩戸山歴史資料館 展示図録』 八女市教育委員会、2009年。
- 栗田寛 『国造本紀考』 近藤活版所、1903年。アクセス日 2017-12-24。リンクは国立国会図書館デジタルコレクション。
- 『国史大系. 第7巻』 経済雑誌社、経済雑誌社、1901年、凡例1頁,同4頁,本文424頁。アクセス日 2017-12-25。リンクは国立国会図書館デジタルコレクション。
- 『新訂増補國史大系 第7巻』 黒板勝美、吉川弘文館、1998年、新装版、先代舊事本紀凡例1頁,同4頁,先代舊事本紀本文154頁。ISBN 4642003088。
- 太田亮 『姓氏家系大辞典. 第2巻』 姓氏家系大辞典刊行会、1936年。アクセス日 2018-03-04。リンクは国立国会図書館デジタルコレクション、964コマ目。
- 『古代豪族系図集覧』 近藤敏喬、東京堂出版、1993年、8-9。ISBN 4-490-20225-3。
- 『日本歴史地図 原始・古代編 下』 竹内理三等、柏書房、1982年。