第27回衆議院議員総選挙
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第27回衆議院議員総選挙(だい27かいしゅうぎいんぎいんそうせんきょ)は、1955年(昭和30年)2月27日に投票された衆議院選挙。
Contents
概説
1954年、第5次吉田内閣は総辞職し、12月10日、日本民主党の鳩山一郎を首班とする第1次鳩山内閣が成立した。首班指名選挙に当たって民主党と左右両社会党は、12月9日に党首会談で鳩山内閣成立後の早期衆議院解散に合意し、共同声明を発表した。また、民主党としても少数与党政権を一日も早く脱し、第一党ひいては安定多数を得たいところであった。
1955年1月24日に衆議院は解散された。この選挙で鳩山ブームは爆発的に盛り上がった。鳩山の陽性の人柄と、政権掌握間近にGHQによって公職追放となったことや、病魔に倒れた悲運に対する同情が集まり、民主党の候補者に票が集まった。
本総選挙においてNHK(日本放送協会)は、初めてテレビによる総選挙開票速報を行った[1]。また開局から1年半の日本テレビも開票速報を初めて実施した[2]。。
選挙データ
内閣
解散日
- 1955年(昭和30年)1月24日
解散名
投票日
- 1955年(昭和30年)2月27日
改選数
- 467議席
選挙制度
奄美群島が1953年12月に米国より日本へ返還されたことに伴い、この選挙の前年(1954年)に新設された奄美群島選挙区(定数1)において補欠選挙が実施されている(1回目の投票では8名の立候補者全員が有効投票総数の25%に達しなかったため、再選挙を実施)。同選挙区は1992年の公職選挙法改正で鹿児島1区へ編入されるまでの約40年間、中選挙区制度下における唯一の小選挙区であった。
同日実施の選挙等
- 国民投票
選挙結果
投票率
- 75.84%(白票や無効票を除外した実質的投票率は75.18%)
党派別獲得議席
党派 | 得票 | % | 議席 | ||
---|---|---|---|---|---|
候補 | 議席 | % | |||
日本民主党 | 13,536,044 | 36.57 | 286 | 185 | 39.6 |
自由党 | 9,849,457 | 26.61 | 248 | 112 | 24.0 |
左派社会党 | 5,683,312 | 15.35 | 121 | 89 | 19.1 |
右派社会党 | 5,129,594 | 13.86 | 122 | 67 | 14.3 |
労働者農民党 | 357,611 | 0.97 | 16 | 4 | 0.9 |
日本共産党 | 733,121 | 1.98 | 60 | 2 | 0.4 |
諸派※ | 496,614 | 1.34 | 37 | 2 | 0.4 |
無所属 | 1,229,081 | 3.32 | 127 | 6 | 1.3 |
総計 | 37,014,837 | 100.00 | 1,017[3] | 467 | 100.0 |
棄権・無効 | 12,220,538 | ||||
当日有権者 | 49,235,375 |
※新党同志会(自由党系)=山下春江(福島2区)、堤康次郎(滋賀全県区)
- 出典:石川真澄著『戦後政治史 新版』岩波新書、<データ>国会議員選挙の結果
各党役員
議員
この選挙で当選
民主党 自由党 社会党左派 社会党右派 労働者農民党 共産党 諸派 無所属
補欠当選等
- 福岡県第1区 緒方竹虎(1956.1.28死去)、熊谷憲一(1956.10.9死去)→簡牛凡夫、中島茂喜(1956.11.22補欠当選)
- 福島県第1区 鈴木周次郎(公選法違反による当選無効)→小松信太郎(1957.9.3再選挙当選)
- 愛媛県第2区 越智茂(1957.9.10死去)、砂田重政(1957.12.27死去)→羽藤栄市、井原岸高(1958.2.9補欠当選)
この選挙で初当選
※初当選者のうち、参議院議員経験者には「※」、貴族院議員経験者には「△」の表示がある。
日本民主党
自由党
日本社会党(左派)
日本社会党(右派)
無所属
この選挙で返り咲き
日本民主党
自由党
日本社会党(左派)
日本社会党(右派)
日本共産党
労働者農民党
無所属
この選挙で引退・不出馬
日本民主党
自由党
日本社会党(左派)
この選挙で落選
日本民主党
自由党
日本社会党(左派)
日本社会党(右派)
労働者農民党
諸派
無所属
選挙結果、選挙後
民主党は、61議席を増やし第一党となった。自由党は選挙前より68名を減らし、党首脳や閣僚級の大物議員も多数落選した。
左派社会党が17名、右派社会党が1名議席を増加し、革新陣営は全議席の3分の1を超え、鳩山首相が公約としていた憲法改正の発議を阻止できることとなったことが注目される。また、左右社会党は選挙後の再統一を公約にしていたが、この選挙で左派の優位が確定した。
選挙後、3月18日に第22特別国会が召集され、鳩山一郎が内閣総理大臣に指名され、第2次鳩山内閣が組閣された。しかし特別国会冒頭、首班指名に先立ち正副議長の選任で、民主党は鳩山の盟友たる三木武吉を衆議院議長候補としたが、自由党と左右社会党が統一候補として益谷秀次を推したため、三木は議長の座を逸した。第2次鳩山内閣は民主党が第一党ではあるが、相変わらず少数与党であるが故、内政、外交ともに思わしい成果を上げることが難しく、三木は保守合同による自由民主党結成に動くことになる。
脚注
- ↑ NHKは何を伝えてきたか-NHKテレビ番組の50年(2011年4月10日閲覧)
- ↑ “62年前はほぼ手作業!衆院選“開票速報””. 日テレNEWS24. (2017年10月13日) . 2018-3-3閲覧.
- ↑ 2月12日の届出締切時点では1058名。その後、共産党が他の革新系候補支援のため、39名の立候補辞退者を出した。また左社からも1名辞退者が出た他、死亡者が1名、補充立候補が1名あったため、最終的に1017名となった。出典:朝日新聞社『朝日年鑑』1956年版、292頁
- ↑ 当選日当日に急逝。次点であった前田栄之助が繰り上げ当選
- ↑ 谷川昇が当選直後に死去したため、繰上げ当選
参考文献
関連項目
- 自治庁
- 第3回統一地方選挙。第27回総選挙と同じ年の4月に行われた統一地方選挙。
- 署名狂やら殺人前科事件