笑点
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『笑点』(しょうてん)は、日本テレビ系列で1966年5月15日から毎週日曜日夕方に放送されている演芸バラエティ番組。
Contents
概要
1966年(昭和41年)5月15日に『金曜夜席』を受け継ぐ形で放送がスタート。
放送開始当時はまだカラーテレビの普及率が1%にも満たない時代であったが、第1回から一貫してカラーで放送されている。
収録は後楽園ホールで隔週土曜日の昼頃に行われる(1回で2〜3週分収録する)。また年に数回(基本的には4回)、ネット局の開局記念イベントなどで地方収録が行われる。なお番組で放送されるのは、収録から8日後と15日後の日曜日となることが主である(年末進行[注 1]や地方収録などのスケジュールの関係で貯め撮り収録し、それが翌日から1か月以上先の放送になることもある)。
視聴率(ビデオリサーチ、関東地区・世帯、以下略)では週間バラエティ番組部門での1位を記録することもある。放送回数は2016年(平成28年)1月31日の放送で2500回に到達した。2016年現在の日本テレビの番組では『NNNきょうの出来事』(2006年9月終了)、『キユーピー3分クッキング』(日テレバージョン)に次いで放送期間の長さで歴代第3位である。さらに2009年(平成21年)には『素人名人会』(毎日放送、テレビ版)の42年という、演芸番組及びバラエティー番組として最長の放送期間を塗り替えた[1]。
2005年(平成17年)11月23日には放送40周年を記念して5枚組の『笑点 大博覧会 DVD-BOX』が発売されたが、日本テレビのアーカイブに現存する『笑点』の番組本編映像は1973年(昭和48年)8月26日(第369回)放送分が最古である。理由としては、放送局用VTRは1970年代まで2インチ規格で場所を取り、テープも1巻当たりの単価が現在とは比べ物にならないほど高く、放送済みビデオテープは消去されて使い回されることがほとんどだったためである。そのため同番組の1960年代の映像は、オープニング(「笑点音頭」が主題歌だったころのアニメーションフィルム)を除き現存していないという。
1976年(昭和51年)より毎年チャリティーカレンダー「笑点暦」(発売元は日テレアックスオン)を発売しており、年末になると番組内で告知される。発売当初は価格分の郵便切手を同封して注文する通信販売のみの扱いであったが、後に書店での販売を開始している。売り上げの一部は、日本テレビ小鳩文化事業団(2011年までは、日本テレビ系列愛の小鳩事業団)に寄付される。
2015年(平成27年)10月には番組放送50周年を記念して、記念切手セット「笑点50周年記念プレミアムフレーム切手セット」が発売された[2]。
放送規格について
1980年(昭和55年)4月6日(第711回)からステレオ放送[3]。1989年(平成元年)9月3日(第1186回)からはクリアビジョン化に伴い字幕放送[注 3][注 4]を開始、2009年(平成21年)10月4日(第2184回)からは解説放送[注 4][注 5]を実施している。
ハイビジョン制作の開始はより行われており、大喜利コーナー時の隣座席の映り込みに配慮し、黒のサイドパネルを配置し4:3化して放送されていた。2010年(平成22年)1月1日の新春スペシャルで初めて全編ハイビジョン放送(アナログではレターボックス)となり、同年1月3日(第2197回)からレギュラー放送もハイビジョン放送となった。また、全編ハイビジョン放送開始以降「大喜利」のコーナーにおいて、出演者の座布団の間隔を置くようになった。
2016年(平成28年)には、いわゆる「8K」解像度で「笑点 8Kスペシャル」と題した特別版を収録[4]。番組自体は歌丸の落語と大喜利の2部による通常通りの構成だが技術的なトライアルのために制作されたものであり、現在のところ一般への公開予定はない(同年3月に日テレの放送技術発表会「デジテク2016」で業界関係者向けに公開)。
2017年1月8日放送分からデータ放送連動となり、大喜利コーナーで出演者の座布団枚数加減がリモコンで調節可能となった。
放送時間
期間 | 放送時間(日本時間) | 備考 | |
---|---|---|---|
1966.05.15[5] | 1968.04.28[6] | 日曜日 16:30 - 17:10(40分) | 1967年9月のみ17:00 - 17:40 |
1968.05.05[7] | 1996.03.31[8] | 日曜日 17:20 - 18:00(40分) | |
1996.04.14[9] | 現在 | 日曜日 17:30 - 18:00(30分) |
毎年8月後半に行われる『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』では、チャリティー大喜利という特別バージョンで生放送を行う(1988年から参加、それ以前は放送休止)。かつては1問のみだったが、後にレギュラーと同じ3問に変更された。後に演芸も行われるようになり、当初は主にその年のパーソナリティであるお笑いコンビ・トリオによる漫才、近年はマギー司郎・マギー審司やナポレオンズのマジックにその年のパーソナリティの女優1人が参加しており、ほぼレギュラーと同じ構成になっている。遅れネット局では放送されないため、放送回数には含まれない。
2003年(平成15年)と2004年(平成16年)の新年最初の放送は、正月特番の編成の都合で18:00-18:55の1時間に拡大されて放送された。
2010年(平成22年)7月4日の放送は、17:59から1分間、国内全テレビ局(民間放送127社とNHK)で『全国一斉地デジ化テスト』を放送したため、本編が1分遅れてスタートし17:59[注 6]までのステブレレスで放送された。なお、本編の最後に桂歌丸が、『全国一斉地デジ化テスト』の予告を行った。逆に地デジEPGでの放送時間は、17:30 - 17:59[注 7]までとなった。2011年(平成23年)4月24日にも『全国一斉地デジ化テスト』が行われ、同様の編成となった。
2005年(平成17年)以降はFIFAクラブワールドカップが日本開催に限り、FIFAクラブワールドカップ中継を優先する為休止または時間帯を移動する(日本テレビがFIFACWCの国内放映権を所有しているため。2015年と2016年は1週のみ後続番組である『真相報道 バンキシャ!』は休止。2015年は18:20 - 18:50に放送し、2016年は18:25 - 18:55に放送し、開幕戦〜5位決定戦までをBS日テレにて生中継する)。
2016年(平成28年)4月3日より、直前の17:25 - 17:30に派生番組『もう笑点』を放送開始した。番組は日本テレビと南海放送の2局ネットで、番組本編およびその他の関連番組でもスポンサーを務める龍角散の一社提供となる[注 8]。また笑点の90分スペシャル放送時に限り後続番組である『真相報道 バンキシャ!』は休止(休止分はNNNニュースを内包する措置を取る)となっている。
出演者
以下の表中の出演者名欄にある記号の意味は次のとおり。
- ◎: 前身番組『金曜夜席』に引き続いて出演していた出演者。
- △: かつて演芸に出演した出演者(笑点メンバー時の出演を除く)。
- ○: かつて大喜利メンバーだった出演者(司会者のみ)。
- ☆: かつて若手大喜利に出演していた出演者。
- □: かつて座布団運びの代理またはアシスタントをしていた出演者(座布団運びを除く)。
現在の出演者
出演者にはそれぞれ性格付けがしてあり、特に木久扇の与太郎(おバカ)キャラ、6代目円楽の腹黒・社会派キャラは、メンバーの代表的なキャラクターである。
冒頭の案内は原則として司会者が行うが、司会者が病気などにより休演した回は、以下に記載している(冒頭の挨拶が無い回もある)
座布団運びは大喜利で司会者が大喜利メンバーに差配する座布団を運ぶのが主な役目。
司会者 | |||
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名前 | 色紋付の色と着衣期間 | 出演期間 | 出演回 |
春風亭昇太△○☆□ | 2006年5月14日 - 現在 | 2006年5月14日 - 現在 | 第2016回 - 現在 |
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大喜利メンバー | |||
林家木久扇☆ | 1970年秋 - 1971年7月11日 1971年9月5日 - 現在 |
1969年11月9日 - 現在 | 第171回 - 現在 |
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三遊亭好楽☆□ | 1979年9月9日 - 1980年11月2日 1980年11月2日 - 1983年10月9日 1988年4月3日 - 現在 |
1979年9月9日 - 1983年10月9日 1988年4月3日 - 現在 |
第682回 - 第889回 第1116回 - 現在 |
| |||
三遊亭小遊三△ | 1983年10月16日 - 現在 | 1983年10月16日 - 現在 | 第890回 - 現在 |
| |||
6代目三遊亭圓楽□ | 1977年8月28日 - 現在 | 1977年8月28日 - 現在 | 第578回 - 現在 |
| |||
林家たい平△☆□ | 2004年12月26日 - 現在 | 2004年12月26日 - 現在 | 第2017回 - 現在 |
| |||
2代目林家三平 | 2016年5月29日 2016年6月5日 - 現在[12] |
2016年5月29日 - 現在 | 第2515回 - 現在 |
座布団運び | |||
名前 | 色紋付の色と着衣期間 | 出演期間 | 出演回 |
山田隆夫 | 1984年10月7日 - 1985年7月21日 1985年9月1日 - 現在 |
1984年10月7日 - 現在 | 第938回 - 現在 |
過去の出演者
司会者 | |||
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名前 | 色紋付の色と着衣期間 | 出演期間 | 出演回 |
7代目立川談志◎ | 1968年冬 - 1969年3月30日 | 1966年5月15日 - 1969年11月2日 | 第1回 - 第170回 |
| |||
前田武彦 | 1969年11月9日 - 1970年12月13日 | 1969年11月9日 - 1970年12月13日 | 第171回 - 第228回 |
| |||
初代三波伸介△ | 1970年12月20日 - 1972年7月23日 1972年9月17日 - 1982年12月26日 |
1970年12月20日 - 1982年12月26日 | 第229回 - 第850回 |
5代目三遊亭圓楽◎○ | 1968年冬 - 1969年3月30日 1970年秋 - 1977年3月27日 1984年9月9日 - 2006年5月14日 |
1966年5月15日 - 1969年3月30日 1970年6月21日 - 1977年3月27日 1983年1月9日 - 2006年5月14日 2008年3月9日 |
第1回 - 第139回 第203回 - 第556回 第851回 - 第2016回 第2106回 |
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大喜利メンバー | |||
名前 | 色紋付の色と着衣期間 | 出演期間 | 出演回 |
柳亭小痴楽◎ (のちの春風亭梅橋) |
1968年冬 - 1969年3月30日 | 1966年5月15日 - 1969年3月30日 | 第1回 - 第139回 |
林家こん平◎ | 1968年冬 - 1969年3月30日 1972年9月17日 - 2004年9月5日 |
1966年5月15日 - 1969年3月30日 1972年7月30日 - 2004年9月5日 2016年4月17日 |
第1回 - 第139回 第313回 - 第1932回 第2511回 |
4代目三遊亭小圓遊 | 1968年冬 - 1969年3月30日 1970年秋 - 1980年10月12日 |
1966年5月15日 - 1969年3月30日 1969年11月9日 - 1980年10月12日 |
第1回 - 第139回 第171回 - 第737回 |
| |||
柳家かゑる (5代目鈴々舎馬風) |
1969年4月6日 - 1969年11月2日 | 第140回 - 第170回 | |
三升家勝二 (8代目三升家小勝) |
1969年4月6日 - 1970年6月14日 | 第140回 - 第202回 | |
柳家さん吉 | 1969年4月6日 - 1970年6月14日 | 第140回 - 第202回 | |
三遊亭好生 (春風亭一柳) |
1969年4月6日 - 1969年11月2日 | 第140回 - 第170回 | |
春風亭栄橋☆ | 1969年4月6日 - 1969年11月2日 | 第140回 - 第170回 | |
2代目三遊亭歌奴 (3代目三遊亭圓歌) |
1969年11月9日 - 1970年6月14日 | 第171回 - 第202回 | |
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4代目三遊亭金馬 | 1969年11月9日 - 1970年6月14日 | 第171回 - 第202回 | |
| |||
柳家小きん☆ (6代目柳家つば女) |
1970年秋 - 1972年7月23日 | 1969年11月9日 - 1972年7月23日 | 第171回 - 第312回 |
6代目三遊亭圓窓 | 1970年秋 - 1977年7月17日 | 1970年6月21日 - 1977年8月21日 | 第203回 - 第577回 |
三笑亭夢之助 | 1977年8月28日 - 1979年7月15日 | 1977年8月28日 - 1979年9月2日 | 第578回 - 第681回 |
7代目桂才賀☆ | 1980年11月2日 - 1988年3月27日 | 1980年11月2日 - 1988年3月27日 | 第740回 - 第1115回 |
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座布団運び | |||
名前 | 色紋付の色と着衣期間 | 出演期間 | 出演回 |
三升家勝松 (4代目桂文字助) |
1966年5月15日 - 1967年1月22日 | 第1回 - 第34回 | |
| |||
毒蝮三太夫 | 1968年冬 - 1969年3月30日 | 1967年1月29日 - 1969年11月2日 2016年5月8日 |
第35回 - 第170回 第2514回 |
三遊亭笑遊 (5代目三遊亭圓遊) |
1969年11月9日 - 1970年6月14日 | 第171回 - 第202回 | |
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初代三笑亭夢丸 | 1969年11月9日 - 1970年6月14日 | 第171回 - 第202回 | |
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小野千春 | 1970年6月21日 - 1971年7月11日 | 第203回 - 第258回 | |
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桂米助 (ヨネスケ) |
1970年6月21日 - 1971年7月11日 | 第203回 - 第258回 | |
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松崎真 | 1971年9月5日 - 1984年9月30日 | 1971年7月18日 - 1984年9月30日 | 第259回 - 第937回 |
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永世名誉司会
永世名誉司会 | |||
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名前 | 色紋付の色と着衣期間 | 出演期間 | 出演回 |
桂歌丸◎○ | 1968年冬 - 1969年3月30日 1970年秋 - 2007年7月29日 2007年9月9日 - 2016年5月22日 |
1966年5月15日 - 1969年3月30日 1969年11月9日 - 2016年5月22日 |
第1回 - 第139回 第171回 - 第2514回[注 13][注 14] |
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アシスタント
番組内では、若手の落語家がアシスタントとして座布団運びの手伝いをしたり、収録前の前説を行っている。そのほとんどが大喜利メンバー(あるいは元大喜利メンバー)の弟子。
- 現在のアシスタント
- 過去のアシスタント
ほか多数
コーナー
1996年4月以降は、番組本編を演芸と大喜利の2部で構成している。番組開始当初から1996年3月までは、演芸と大喜利の間に「談志とゲスト対談」など司会者が務めるコーナーが存在し(または演芸ゲスト2組で2コーナー)、長らく3部構成であった。
演芸
番組の前半に行われる。オープニング後に司会が会場の座席からゲストを紹介する。5代目圓楽は「今日のはな(端=始めと「華」を掛けている)」と紹介していた。また、歌丸や昇太は上方から登場するゲストの場合は「上方からおいでの〜」などと紹介する。登場するゲストは芸歴の長いベテランから注目の若手まで幅広く、ジャンルも落語、漫才、漫談、コント、マジック、物真似など多岐にわたっている。毎回1組が基本だが、40分番組だった時代はピン芸人の短いネタの場合、2組が出るケースもあった。
主な芸の種類と主な出演者は次のとおり。
- 落語 - 東西の様々な落語家が新作・古典を問わず演じる(春風亭小朝、春風亭柳昇など)。笑点メンバーが出演することもある。他に4代目桂米丸・8代目橘家圓蔵は20回以上出演している。
- 浪曲 - 玉川カルテット(歌謡浪曲)など
- 講談 - 田辺一鶴、一龍斎貞水(夏季の怪談話)、神田山陽など
- 漫才 - 上方漫才(宮川大助・花子、横山ホットブラザーズ、中田カウス・ボタン、正司敏江・玲児、人生幸朗・生恵幸子、春日三球・照代、オール阪神・巨人、NONSTYLEなど)、東京漫才(内海桂子・好江、春日三球・照代、星セント・ルイス、ナイツ、サンドウィッチマンなど)
- 漫談 - 牧伸二(ウクレレ漫談)、ケーシー高峰(医事漫談)、堺すすむ(ギター漫談)、ぴろき(ギタレレ漫談)、柳家紫文(三味線漫談)など
- 手品 - ナポレオンズ、マギー司郎(最多出演[17])、マギー審司、北見マキ、松旭斎すみえ(水芸含む)など
- 物真似・声帯模写 - 江戸家猫八(3代目、4代目、動物声帯模写)、桜井長一郎(人物声帯模写)など
- コント - コント山口君と竹田君、ゆーとぴあ、東京03、アンジャッシュなど
- パントマイム - カンジヤママイム、がーまるちょばなど
- その他 - 曲芸(海老一染之助・染太郎)、紙切り(3代目林家正楽)、コミカルソング(テツandトモ)、音楽演奏(浅草ジンタ)、南京玉すだれなど
この他、若手のお笑いタレントが多数出演している。
コーナー最多出演者はマギー司郎で、2016年現在の時点で49回出演している[17]。
星セント・ルイスやツービートなど後の漫才ブームでブレイクした漫才師たちも早い時期から演芸に出演していた。特にセント・ルイスは1970年代半ばごろに収録の間の時間つなぎをする「マエラク」を担当していた縁もあり、1977年(昭和52年)の『NHK新人漫才コンクール』でセント・ルイスが優勝すると直後4カ月の間に演芸に3回出演させ番組ぐるみでブレイクを後押しした。その一方、実際に漫才ブームが訪れた1980年代初期にはブームの中心となった漫才師たちがほとんど出演しなかった。これは「笑点」から出た「ずうとるび」を通じてブームそのもののはかなさと怖さを知ったという当時のプロデューサーが「ブームに便乗するとブームが去った時に番組も終わる」と判断し、漫才ブームから距離を置く姿勢を取ったためである。ただし、漫才ブームが沈静化した後はセント・ルイスやおぼん・こぼん、西川のりお・上方よしお、オール阪神・巨人、今いくよ・くるよなどブームの中心を担った漫才師も演芸に出演している。
5代目圓楽の司会当時は、毎年新年1回目の演芸で5代目圓楽の落語が披露されるのが恒例となっていた。現在では笑点で落語を放送することは滅多にないが、「笑点 特大号」でプレミアム落語として定期的に放送している。また、2014年6月8日の歌丸復帰回と10月19日の木久扇復帰回は自身の病気療養期間中のエピソードを、2016年9月4日にはたい平が24時間マラソンに挑戦した際のエピソードを、落語風にして披露した。かつては特に地方収録の回では、大喜利メンバーが落語をすることが多かった。
コラボレーション演芸として、木久扇&カンカラ、BOOMER&プリンプリン、内海桂子&あした順子、木久扇・たい平&鉄拳、好楽&ヒロシ、歌丸&ナイツ、昇太&サンドウィッチマン、6代目円楽+テツandトモなど異色な組み合わせが行われることもある。
2006年(平成18年)1月22日の第2000回放送と、同年5月14日の「40周年スペシャル」では、(当時の)演芸最多出演者として、マジックのナポレオンズが紹介され、出演した(ナポレオンズの出演回数は47回[17]=2016年現在)。
2016年1月17日には司郎のマジックに特別出演として、日曜ドラマ『臨床犯罪学者 火村英生の推理』の主演である斎藤工、窪田正孝が出演した。
「演芸」内で行われる企画
- アナウンサー大喜利
- 真打昇進・襲名披露口上
- 各協会・一門に関係する大喜利メンバーが進行役や挨拶で登場する。
- 真打昇進披露は年2回、落語協会と落語芸術協会、円楽一門会の各団体の合同によって行われることが多い。落語立川流については通常含まれない[注 16]。真打になった本人の挨拶があるのが特徴[注 17]。最後に進行役が1人(大抵は年長者)を指名し、指名された者が音頭をとる形で「三本締め」で締めるのが恒例である。
- 大喜利メンバーのロケ企画
- ロケ収録の模様を送る。大喜利での座布団10枚獲得の賞品授与が多かったが、近年はメンバーへの密着企画なども行われる。ナレーションは日本テレビのアナウンサーか大喜利メンバーが担当。
「演芸」内で行われていた企画
- 若手大喜利
- 若手の登竜門 笑点の穴
- 1996年(平成8年)11月3日にスタート。ベテランの出演が多かったころ、あまり出演機会のなかった若手を対象にしたコーナー。コーナー名は『タイガーマスク』の「虎の穴」にちなんでいる。毎回2、3組登場し、最後までOAされれば「おめでとう!全国放送」のテロップが出るが、笑いが取れないネタはOA途中でカットされ「笑点の穴へ逆戻り!再チャレンジお待ちしています。」のテロップが出る。
- アンジャッシュ、TIM、グループ魂(暴動・破壊・バイト君)、爆笑問題、つぶやきシロー、プリンプリン、テツandトモ、ますだおかだ、北陽、たい平、など多くの若手芸人がしのぎを削った。また、ウッチャンナンチャンのウリナリ!!のコントコーナー「ランキングキャラクターライブ」から派生した番組内ユニットのザ・レスラーズ(南原清隆・勝俣州和・濱口優)とSeniorJunior(内村光良・ウド鈴木)による対決が行われ、SeniorJuniorが勝利した。
- その他の企画
- 1980年(昭和55年)から1987年(昭和62年)までの年末と1990年(平成2年)から1996年(平成8年)までの新春スペシャルでは、笑点メンバーがマジックを披露する年1回のスペシャルコーナーがあった。
- 1998年(平成10年)7月は番組を休んだ山田に代わる座布団運びを選出するとして、4回にわたって若手落語家による「大喜利下克上」を放送した。
- 2007年(平成19年)2月4日の放送では、当時、林家きくおの2代目木久蔵襲名後の自分の名前を募集していた林家木久蔵の新しい名前の中間発表が行われた。結果は4月28日の収録で発表され、終了後本人が会見を開き公表した。その模様は5月6日に放送。9月23日の放送から「林家木久扇」の名で出演している。
- 2009年(平成21年)11月8日の放送では、「さよなら円楽笑点お別れ会」として、現在のメンバーとこん平が、5代目圓楽の思い出を振り返った。
大喜利
「笑点の大喜利には台本が存在し、回答は放送作家が考えている」といった噂について、初代司会者の談志は「笑点は司会者と回答者のコールアンドレスポンスを楽しむもの。台本はある」と発言している[18]一方で、 昇太はこの噂について「僕からは何も言えません」とコメントし[18]、木久扇は台本は存在するものの、あくまでも番組進行に関するものであり、歌丸は台本通りに喋っていなかったこと、回答は書かれていないこと、リハーサルがほとんどないこと、長年の経験から回答が浮かぶことを述べている[19]。
「台本として書いているわけではないが、回答案を提示しており、これを無視するメンバーもいれば、そのまま話すメンバーもいるため、ある意味作家が一部考えているともいえる」[20]「大喜利の中でも特に爆笑を誘う、いわゆる身内いじりは各メンバーのアドリブが多い」[18]とも報じられたことがある。
昇太や小遊三と親交がある高田文夫は著書「TOKYO芸能帖 1981年のビートたけし」で学生時代(番組初期)に大喜利の答えを考える「バイト」をしていた事を述べており、6代目円楽もその「バイト」をしていた時期がある事も記されている[21]。
終了したコーナー
- 談志とゲスト対談
- 談志がゲストと対談するコーナー。トークコーナーでありながら、ゲストとの掛合いが半ば即興漫才となっていた。
- 第1回のゲストはミヤコ蝶々で、前身番組『金曜夜席』の裏番組だった『蝶々・雄二の夫婦善哉』(朝日放送・TBS系列)の司会という間柄の対談であった。
- フリートーク
- 1969年11月に前田武彦司会就任と共に始まった「前武歳時記」で、舞台上にいる前武が日々感じたことをありのまましゃべっていたもの。三波伸介司会就任後は、収録会場の観覧客席に移る。番組オープニング直後に司会者がカメラに向かって番組開始の挨拶に続いて簡単な話を数分間した後、直後の演芸へと繋いだ流れは1996年3月まで続いた。
- 前武のなんでも入門
- その道のプロを呼んで挑戦するというコーナー。後に座布団運びを担当する小野千春は、このコーナーのアシスタントを担当していた。
- 伸介のなんでもコーナー
- ゲストを呼んでの対談やその道のプロを呼んで挑戦するというコーナー。
- このコーナーの最多出演者は、計13回出演の神田川俊郎。三波と親交があったため定期的に出演し、自慢の料理の腕前を披露していた。次いで多かったのは、三波がファンであったシャンソン歌手高英男で、コーナーへは6回出演しているほか、新春の特別コーナーであるドレミファ大喜利へも出演した。他に岡本太郎・長谷川一夫・手塚治虫[注 18]・嵐寛寿郎・淡谷のり子・石原慎太郎・大宅壮一といった人物も出演した[22]。
- 円楽のよろずガイダンス
- 落語に関することを中心とした雑学を5代目圓楽が披露するコーナー。
エンディング
司会者の締めの挨拶の後、大喜利メンバーたちが高座に正座した状態で客席に向かって手を付いてお辞儀をしている様子を映したまま、『笑点のテーマ』をBGMに提供クレジットと次回の放送内容のテロップが出て(後述)そのまま番組終了していた。この間の大喜利メンバーたちはお辞儀をしたまま特に動きがないのが基本だが、時に最後に出たネタを引きずってそれに絡んだアクションをしたり、司会者と大喜利メンバーたちのやり取りが見られることもある。2013年6月以前は最後に次回予告が出ていたが、それ以降は「次回をお楽しみに」のみ表示され、次回予告は廃止された。
2015年5月から2016年5月8日[注 19]まで「笑点おもいで写真館」→「笑点 こんな写真が!!」と題し、『笑点のテーマ』をBGMに、主に立川談志や5代目圓楽ら、番組黎明期の出演者写真を紹介しながら提供クレジットを表示していた。
また、11月から12月にかけては番組の公式カレンダーである「笑点暦」の宣伝をエンディングで行うが、番組のオフィシャル本などカレンダー以外の番組関連グッズの宣伝をエンディングで行うこともある。
言い回しは毎回微妙に異なるものの、昇太は基本的に「といったところで、(今週の)笑点はこれまで。また来週!」と挨拶して締める。
40分番組だった頃は司会者の挨拶の後大喜利メンバーたちがお辞儀をする姿を一瞬映し、さらに拍手を送る客席の様子を映してからCMに入り、CM明けに提供クレジットと次回の放送内容が出たあと、オープニングタイトルの左下に寄席文字で「終」の文字が入ったタイトルが出て番組終了となっていた。次回の放送内容の紹介はテロップではなく、収録後の高座の様子を写したスチール写真に寄席文字で書いたパネルで紹介するスタイルが長く続いていた。
地方収録やその年の最後に「三本締め」で幕締めすることが恒例中の恒例であったが、近年は行われなくなっており、前述の披露口上の締めでのみ行われている。
特別大喜利
「演芸」や正月特番などでは、特別企画として以下の大喜利が放送される。
「演芸」で定期的に行われる大喜利
アナウンサー大喜利
- 日本テレビのアナウンサーによる大喜利。三波が司会の頃から行われている。
- 初開催された1979年(昭和54年)は、8月に女性アナウンサーの大喜利が行われ、10月に男性アナウンサーの大喜利が放送された。
- その後しばらくは行われなかったが、1984年(昭和59年)の新春スペシャルでNNNの系列局(いずれもズームイン!!朝!を当時ネットしていた局)のアナウンサーも参加してのアナウンサー大喜利が行われて好評だったため(この時の司会は5代目圓楽が担当)、以降恒例の企画となった。
- 1996年(平成8年)4月から1997年(平成9年)までは、月1回ごとに開催されており、毎回最も座布団が多かったアナウンサーには、マイクの人形が付いたペンダントを獲得できる。このペンダントを10個獲得すると、豪華賞品を獲得できるルールがあった。月1回から不定期開催になってからも2002年8月11日まではこのルールが継続され、2002年8月11日に鈴木君枝(大杉君枝)が10個獲得を達成した。
- 過去には藤井恒久が「こん平」的キャラクターとして準レギュラー出演しており、あいさつの時に必ず「1.2.3! チャラーン!!」とこん平と同じ掛け声を観客と一緒に上げていた。
- 先述1984年の系列局アナ出演以外では外部(例:セント・フォース勢などフリーアナウンサー、日本テレビOB、OGも含む)の出演はない(在局中の出演がなかった日テレOGの永井美奈子は退社後前述の「振袖大喜利」に、セント・フォース所属で元青森放送アナウンサーの中田有紀は2015年の「ペット大好き!大喜利」に、元フジテレビアナウンサーの木佐彩子は同年の「夫婦大喜利」に出演)。
- 年2回開催定着以降、女性アナウンサーは正月の出演枠が多い関係上そのほとんどが出演している。
- 通常放送時は小遊三と6代目円楽が司会者。以前は三波、5代目圓楽単独もしくは5代目圓楽と歌丸が二人で司会を務めたり、好楽が単独で司会を行なったこともある。現在は昇太が司会を務める。
- 他の大喜利メンバー2人が座布団運びを担当。以前は歌丸・こん平・木久蔵(当時)・好楽が担当していたが、歌丸が司会の頃は昇太とたい平が務めた。
- アナウンサー大喜利に出演した女性アナウンサーは、地上波に復活後の若手大喜利で座布団運びを務めることがある。
- 後の副音声による解説放送も日本テレビアナウンサーが行なっている。
- 近年の席順
個人戦(1984年から1994年までの圓楽は5代目圓楽。2011年以降の円楽は6代目円楽) | |||||||||||
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放送日 | 司会 | 出演メンバー(左側が下手) | 座布団運び | 備考 | |||||||
1984年1月1日 | 圓楽 | 荻原 | 今井 | 深堀 | 小林 | 木村 | 徳光 | 歌丸 | 「花のアナウンサー大喜利」として開催。 | ||
1984年11月25日 | 圓楽 | 脇田 (HTV) |
辛坊 (YTV) |
万屋 (KRY) |
清田 (FBC) |
徳光 | 中村 (KKT) |
植松 (RNC) |
小澤 (KTS) |
山田 うん平 |
「ズームイン!!朝!アナウンサー大喜利」として開催。 |
1994年1月1日 | 圓楽 | 大神 | 米森 | 鷹西 | 笛吹 | 薮本 | 金原 | 「日本テレビ花の女子アナウンサー大喜利」として開催。 | |||
1997年3月23日 | 小遊三 楽太郎 |
笛吹 | 古市 | 森(富) | 福澤 | 羽鳥 | 藤井(恒) | 山田 うん平 |
個人戦だが、女性サイドと男性サイドに分かれた。 | ||
1997年9月21日 | 小遊三 楽太郎 |
鈴木(君) | 河本 | 町 | 福澤 | 後藤(俊) | 藤井(恒) | 山田 うん平 |
個人戦だが、女性サイドと男性サイドに分かれた。 | ||
1997年11月2日 | 小遊三 楽太郎 |
角田 | 馬場 | 山本(真) | 福澤 | 蛯原 | 藤井(恒) | 山田 うん平 |
個人戦だが、女性サイドと男性サイドに分かれた。 | ||
1997年12月14日 | 小遊三 楽太郎 |
角田 | 山王丸 | 大神 | 吉田 | 矢島 | 藤井(恒) | 山田 うん平 |
個人戦だが、女性サイドと男性サイドに分かれた。 | ||
2002年1月6日 | 好楽 | 鈴木(君) | 笛吹 | 松本 | 魚住 | 延友 | 藤井(恒) | 歌丸 こん平 |
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2003年1月5日 | 歌丸 | 鈴木(君) | 松本 | 魚住 | 山本(真) | 西尾 | 藤井(恒) | こん平 | |||
2003年8月17日 | 小遊三 楽太郎 |
魚住 | 阿部 | 大杉[注 20] | 若林 | 蛯原 | 藤井(恒) | こん平 木久蔵 |
個人戦だが、女性サイドと男性サイドに分かれた。 | ||
2004年1月4日 | 小遊三 楽太郎 |
大杉 | 魚住 | 井田 | 松本 | 森(富) | 藤井(恒) | 歌丸 こん平 |
|||
2004年8月15日 | 小遊三 楽太郎 |
阿部 | 宮崎 | 大杉 | 若林 | 森(圭) | 藤井(恒) | 歌丸 こん平 |
個人戦だが、女性サイドと男性サイドに分かれた。 | ||
2005年1月9日 | 小遊三 楽太郎 |
大杉 | 小野寺 | 松本 | 佐藤(良) | 阿部 | 藤井(恒) | 歌丸 山田 |
|||
2005年8月14日 | 小遊三 楽太郎 |
阿部 | 佐藤(良) | 大杉 | 若林 | 町田 | 藤井(恒) | 歌丸 木久蔵 |
個人戦だが、女性サイドと男性サイドに分かれた。 | ||
2006年1月8日 | 小遊三 楽太郎 |
大杉 | 松本 | 西尾 | 杉上 | 阿部 | 藤井(恒) | 木久蔵 たい平 |
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2007年1月1日 | 小遊三 楽太郎 |
松本 | 馬場 | 西尾 | 阿部 | 古閑 | 藤井(恒) | 木久蔵 好楽 |
「大笑点」内で開催。 | ||
2007年8月12日 | 小遊三 楽太郎 |
葉山 | 古閑 | 松本 | 羽鳥 | 森(圭) | 藤井(恒) | 昇太 たい平 |
個人戦だが、女性サイドと男性サイドに分かれた。 | ||
2008年1月1日 | 小遊三 楽太郎 |
松本 | 西尾 | 宮崎 | 葉山 | 夏目 | 藤井(恒) | 昇太 たい平 |
「大笑点」内で開催。 | ||
2009年1月4日 | 小遊三 楽太郎 |
松本 | 宮崎 | 鈴江 | 古閑 | 葉山 | 藤井(恒) | 昇太 たい平 |
|||
2010年1月3日 | 小遊三 楽太郎 |
杉上 | 鈴江 | 森(麻) | 松尾 | 葉山 | 藤井(恒) | 昇太 たい平 |
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2011年1月9日 | 小遊三 円楽 |
森(麻) | 水卜 | 小熊 | 上田 | 葉山 | 藤井(恒) | 昇太 たい平 |
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2013年3月31日 | 小遊三 円楽 |
鈴木(崇) | 右松 | 上重 | 辻岡 | 佐藤(義) | 藤井(恒) | 上田 | 「日本テレビイケメンアナウンサー大喜利」として開催。 | ||
2014年1月5日 | 小遊三 円楽 |
徳島 | 中島 | 水卜 | 馬場 | 杉野 | 石田[注 21] | 藤井(恒) | 「日本テレビ女性アナウンサー大喜利」として開催。 | ||
2015年1月1日 | 歌丸 | 畑下 小遊三 |
郡司 好楽 |
杉野 木久扇 |
水卜 昇太 |
徳島 円楽 |
岩本 たい平 |
藤井(恒) 山田 |
「女子アナ振袖大喜利」として開催。 | ||
2015年7月26日 | 昇太 | 笹崎 小遊三 |
久野 好楽 |
水卜 木久扇 |
中島 円楽 |
尾崎 たい平 |
平松 山田 |
「日本テレビ女性アナ×笑点メンバーペア大喜利」として開催。 歌丸は病気療養中のため欠席し、昇太が司会を代理担当。 | |||
2015年11月22日 | 歌丸 | 笹崎 小遊三 |
久野 好楽 |
水卜 木久扇 |
豊田 昇太 |
徳島 円楽 |
尾崎 たい平 |
山田 | 「日本テレビ女性アナ×笑点メンバーペア大喜利」として開催。 | ||
2016年3月13日 | 歌丸 | 笹崎 小遊三 |
久野 好楽 |
杉野 木久扇 |
中島 昇太 |
徳島 円楽 |
尾崎 たい平 |
山田 | 「日本テレビ女性アナ×笑点メンバーペア大喜利」として開催。 | ||
2017年5月14日 | 昇太 | 笹崎 小遊三 |
中島 好楽 |
鈴江 木久扇 |
畑下 三平 |
岩本 円楽 |
尾崎 たい平 |
山田 | 「日本テレビ女性アナウンサー ペア大喜利」として開催。 | ||
2018年1月7日 | 昇太 | 水卜 | 滝 | 鈴江 | 岩本 | 中島 | 尾崎 | 梅澤 山田 |
この回は上手側に笑点メンバーがいる対抗戦だったが、賞品は個人の枚数で与えられた。 |
チーム対抗戦(2010年からの円楽は6代目円楽) | |||||||||
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放送日 | 司会 | 出演メンバー | 座布団運び | 勝利チーム | 敗北チーム | 備考 | |||
上手側 | 下手側 | 上手側 | 下手側 | ||||||
1998年4月5日 | 小遊三 | 楽太郎 | 女性チーム 鈴木(君) 馬場 豊田 |
男性チーム 福澤 菅谷 藤井(恒) |
歌丸 | こん平 | 女性チーム | 男性チーム | 初のチーム対抗戦。 |
1998年5月3日 | 小遊三 | 楽太郎 | 女性チーム 鈴木(君) 井田 町 |
男性チーム 松永 若林 藤井(恒) |
歌丸 | こん平 | 女性チーム | 男性チーム | |
1998年8月30日 | 小遊三 | 楽太郎 | 女性チーム 鈴木(君) 森(富) 大神 |
男性チーム 若林 鈴木(健) 藤井(恒) |
歌丸 | こん平 | 女性チーム | 男性チーム | |
1998年11月15日 | 小遊三 | 楽太郎 | 女性チーム 豊田 森(富) 大神 |
男性チーム 若林 菅谷 藤井(恒) |
歌丸 | こん平 | 女性チーム | 男性チーム | |
1999年2月28日 | 小遊三 | 楽太郎 | 女性チーム 鈴木(君) 角田 魚住 |
男性チーム 若林 船越 藤井(恒) |
歌丸 | こん平 | - | - | 結果は引き分け(アナウンサー大喜利では初)。 |
1999年8月15日 | 小遊三 | 楽太郎 | 女性チーム 鈴木(君) 古市 魚住 |
男性チーム 若林 鈴木(崇) 藤井(恒) |
歌丸 | こん平 | 女性チーム | 男性チーム | |
2000年3月26日 | 小遊三 | 楽太郎 | 女性チーム 鈴木(君) 河本 魚住 |
男性チーム 若林 藤井(貴) 鈴木(崇) |
歌丸 | こん平 | 男性チーム | 女性チーム | |
2000年8月27日 | 小遊三 | 楽太郎 | 女性チーム 鈴木(君) 山王丸 魚住 |
男性チーム 若林 蛯原 藤井(恒) |
歌丸 | こん平 | |||
2001年8月12日 | 小遊三 | 楽太郎 | 女性チーム 鈴木(君) 斉藤 魚住 |
男性チーム 若林 蛯原 藤井(恒) |
歌丸 | こん平 | - | - | 結果は引き分け |
2002年8月11日 | 好楽 | 女性チーム 鈴木(君) 阿部 魚住 |
男性チーム 若林 羽鳥 菅谷 |
歌丸 | こん平 | 女性チーム | 男性チーム | ||
2006年8月13日 | 小遊三 | 楽太郎 | 女性チーム 松本 鈴江 阿部 |
男性チーム 船越 上重 藤井(恒) |
好楽 | 木久蔵 | 女性チーム | 男性チーム | |
2008年8月17日 | 小遊三 | 楽太郎 | 女性チーム 宮崎 夏目 葉山 |
男性チーム 菅谷 桝 藤井(恒) |
昇太 | たい平 | 女性チーム | 男性チーム | 結果は女性チームの勝利。 |
2009年8月2日 | 小遊三 | 楽太郎 | 女性チーム 森(麻) 小熊 葉山 |
男性チーム 上重 右松 藤井(恒) |
昇太 | たい平 | 女性チーム | 男性チーム | 結果は女性チームの勝利。 |
2010年8月15日 | 小遊三 | 円楽 | 女性チーム 森(富) 森(麻) 葉山 |
男性チーム 上重 藤田 藤井(恒) |
昇太 | たい平 | 女性チーム | 男性チーム | 結果は女性チームの勝利。 |
2011年7月24日 | 小遊三 | 円楽 | 女性チーム 杉上 水卜 葉山 |
男性チーム 菅谷 青木 藤井(恒) |
昇太 | たい平 | 女性チーム | 男性チーム | 結果は女性チームの勝利。 菅谷はこの回の副音声解説放送も担当。 |
2012年4月1日 | 小遊三 | 円楽 | 女性チーム 古市 水卜 葉山 |
男性チーム 菅谷 辻岡 藤井(恒) |
昇太 | たい平 | 女性チーム | 男性チーム | 結果は女性チームの勝利。 菅谷はこの回の副音声解説放送も担当。 |
2012年8月12日 | 小遊三 | 円楽 | 女性チーム 小熊 杉野 石田 |
男性チーム 菅谷 上重 藤井(恒) |
昇太 | たい平 | - | - | 結果は引き分け。 藤井(恒)はこの回の副音声解説放送も担当。 |
2013年6月23日 | 小遊三 | 円楽 | 体育会系チーム[注 22] 上重 山本(紘) 佐藤(義) |
文科系チーム 桝 青木 藤井(恒) |
昇太 | たい平 | 文科系チーム | 体育会系テーム | 「日本テレビアナウンサーイケメン対抗大喜利」として開催。 藤井(恒)はこの回の副音声解説放送も担当。 |
2013年10月13日 | 小遊三 | 円楽 | 体育会系チーム 上重 中野 山本(紘) |
文科系チーム 桝 青木 藤井(恒) |
昇太 | たい平 | 文科系チーム | 体育会系テーム | 「日本テレビアナウンサー派閥抗争大喜利」として開催。 |
2013年12月22日 | 小遊三 | 円楽 | 体育会系チーム 上重 安村 山本(紘) |
文科系チーム 桝 青木 藤井(恒) |
昇太 | たい平 | 体育会系チーム | 文科系チーム | 「日本テレビアナウンサー派閥抗争大喜利」として開催。 藤井(恒)はこの回の副音声解説放送も担当。 |
2014年6月22日 | 小遊三 | 円楽 | 体育会系チーム 上重 後藤(晴) 山本(紘) |
文科系チーム 桝 中島 藤井(恒) |
昇太 | 好楽 | - | - | 「日本テレビアナウンサー派閥抗争大喜利」として開催。 結果は引き分け。 |
- 豪華賞品
- 特別に全員が、「羽子板」を獲得。(1984年1月1日放送)
- 鈴木君枝がマイクペンダント10個獲得を達成し「世界一周旅行」を獲得したが、地球儀を一回転しただけだった。(2002年8月11日放送)
- 藤井恒久が「5代目圓楽の色紙」を獲得。(2003年8月17日放送)
- 井田由美が「金色の座布団」を獲得。(2004年1月4日放送)
- 大杉君枝が「超有名デザイナーが作った水着」を獲得。(2005年8月14日放送)
- 葉山エレーヌが「“安眠どころか永眠できる”歌丸抱き枕」を獲得。(2007年8月12日放送)
- 女性チームが「“安眠どころか永眠できる”歌丸抱き枕・夏の装いバージョン」を獲得。(2008年8月17日放送)
- 松本志のぶが「紅白座布団」を獲得。(2009年1月4日放送)
- 女性チームが「“涼しさ(寒さ)が骨身に沁みる”歌丸風鈴」を獲得。(2009年8月2日放送)
- 杉上佐智枝が「(2010年1月1日の新春スペシャルで余った)紅白座布団」を獲得。(2010年1月3日放送)
- 女性チームが「“幽霊になる”歌丸フラドール」を獲得。(2010年8月15日放送)
- 水卜麻美が「(2011年1月1日の新春スペシャルで余った)紅白座布団」を獲得。(2011年1月9日放送)
- 女性チームが「“枕元に置いて夜に使えば凍りつくような寒さの節電対策の落ち”歌丸ミストファン(歌丸の人形付きの携帯扇風機)」を獲得。(2011年7月24日放送)
- 女性チームが「“花粉症対策の最終兵器 花粉どころかどんなウイルスも裸足で逃げ出す”歌丸マスク(歌丸の口元が印刷されたマスク)」を獲得。(2012年4月1日放送)
- 全員が「”夏の紫外線対策最終兵器 どんな強烈な紫外線も全て跳ね返す”歌丸日傘(歌丸の顔がプリントされた日傘)」を獲得。(2012年8月12日放送)
- 鈴木崇司が「“男性アナの最終兵器 キラリと光る”歌丸ネクタイ(歌丸の顔がプリントされたネクタイ)」を獲得[注 23]。(2013年3月31日放送)
- 文科系チームが「"男性アナの最終兵器 フォーマルの味方"歌丸蝶ネクタイ(色は歌丸の着物と同じ濃緑色で、結び目の部分に歌丸の顔写真が貼られている)」を獲得。(2013年6月23日放送)
- 文科系チームが「“笑点ならではの商品”橘右橘の寄席文字によるチームメンバーそれぞれの千社札(桝は「アサリ」、青木は「ジャニオタ」、藤井恒は「チャラーン」のそれぞれのニックネームが記載されている)」を獲得[注 24]。(2013年10月13日放送)
- 体育会系チームが「"この冬の防災グッズ"歌丸ヘルメット(歌丸の似顔絵がデザインされている)」を獲得。(2013年12月22日放送)
- 馬場典子が「紅白座布団」を獲得。(2014年1月5日放送)
- 両チームが「歌丸雨傘」を獲得。(2014年6月22日放送)
- 木久扇・水卜麻美ペアが「東京ドームシティアトラクションズのチケット」を獲得。(2015年7月26日放送)
- 昇太・豊田順子ペアが歌丸の著書「極上歌丸ばなし」「歌丸極上人生」を獲得。(2015年11月22日放送)
- たい平・尾崎里紗ペアが歌丸の顔がプリントされた巨大レジャーシートを獲得[23]。(2016年3月13日放送)
- 岩本乃蒼が「昇太の等身大写真付きの傘」を獲得。(2017年5月14日放送)
- 水卜麻美が「昇太の等身大写真入り添い寝マットレス」を獲得。(2018年1月7日放送)
派生番組で行われる大喜利
若手大喜利
若手落語家による大喜利。1967年(昭和42年)10月8日に初開催されて以降、不定期に番組の前半に放送された。初開催当時の若手メンバーは、柳家さん治(現:10代目柳家小三治)、柳家小きん(後の6代目柳家つば女)、春風亭栄橋、林家木久蔵(現:林家木久扇)、三笑亭茶楽
1970年代から1990年代の若手メンバーには、古今亭朝次(現:7代目桂才賀)・桂歌はち(現:桂歌春)・古今亭菊之助(現:古今亭菊丸)・林家錦平・金原亭駒平(現:金原亭世之介)・三遊亭貴楽・桂幸丸・林家こぶ平(現:9代目林家正蔵)・桂竹丸・月の家かがみ(現:2代目橘家蔵之助)・春風亭昇太・立川談春・三遊亭楽大(現:伊集院光)などがいた。
1990年代前半を最後にしばらくは行われなかったが、1998年(平成10年)7月に4週連続で行われて以降、再び恒例の企画となった。この時の司会はかつて若手メンバーの一人として出演し、後に笑点メンバー、その後に笑点の司会者となる昇太が担当し、それ以降昇太は「大喜利下克上」の司会としてレギュラー出演した。復活した当初は「大喜利下克上」のタイトルになっていたが、1999年(平成11年)5月2日の放送から、現在の「若手大喜利」のタイトルに戻っている。この時の若手メンバーには、五明樓玉の輔[注 25]・春風亭勢朝・5代目春風亭柳好[注 26]・立川生志[注 27]・三遊亭愛楽・林家たい平・2代目林家木久蔵[注 28]・林家きく姫・神田北陽(現:3代目神田山陽)・橘家亀蔵(現:橘家圓十郎)・三遊亭遊馬などがいた。
2003年10月12日に司会の昇太と若手メンバーが出演する兄弟番組『笑点Jr.(放送開始当初は『BS笑点』)』が放送開始されて以降、『笑点』での若手大喜利は2004年(平成16年)12月26日を最後に長らく行われなくなったが、『笑点Jr.』が2011年(平成23年)3月13日で放送終了となったため、2011年(平成23年)6月5日[注 29]に『笑点』で再び行われ、司会は引き続き昇太が担当した。それ以降は春と秋に行われ、座布団運びには日テレ女性アナウンサーを起用した。
2013年春から開催の場を『笑点 特大号』の番組上に変えて毎月に1・2回程度行われ、昇太以外の笑点メンバーも司会を担当するようになった(笑点 特大号#若手大喜利の項を参照)。
若手大喜利出身のメンバーは、栄橋・小きん(つば女)・木久蔵(木久扇)・朝次(7代目才賀)・昇太・たい平である。
近年の席順
1998年 - 2004年 | |||||||||||
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放送日 | 司会 | 出演メンバー | 座布団運び | 備考 | |||||||
1998年7月5日 | 昇太 | 新潟 | 北陽 | たい平 | あさ市 | 笑志 | 亀蔵 | 山田が4週にわたって休演したため、 オープニングアニメも4週無し(新作を製作中)、 演芸を休止して4週間行われた。 | |||
1998年7月12日 | 昇太 | あさ市 | 笑志 | 勢朝 | 愛楽 | たい平 | 亀蔵 | ||||
1998年7月19日 | 昇太 | 笑志 | 佐助 | たい平 | 遊之介 | 北陽 | 柳八 | ||||
1998年7月26日 | 昇太 | 柳八 | 笑志 | 新潟 | 勢朝 | たい平 | 北陽 | あさ市 | 亀蔵 | ||
1998年9月6日 | 昇太 | 笑志 | たい平 | 北陽 | 愛楽 | あさ市 | 亀蔵 | あさ市、改名前最後の大喜利 | |||
1998年10月25日 | 昇太 | 笑志 | たい平 | 勢朝 | 玉の輔 | 北陽 | 柳八 | 玉の輔、改名後初の大喜利 | |||
1998年12月20日 | 昇太 | 北陽 | 遊馬 | たい平 | 勢朝 | 國志舘 | 柳八 | ||||
1999年2月7日 | 昇太 | 玉の輔 | 柳八 | 愛楽 | たい平 | 笑志 | 遊馬 | ||||
1999年5月2日 | 昇太 | 北陽 | 遊馬 | たい平 | 玉の輔 | 愛楽 | 柳八 | ||||
1999年7月18日 | 昇太 | 北陽 | 遊馬 | たい平 | 玉の輔 | 笑志 | 愛楽 | 柳八 | この日は寿司ネタを使ったダジャレ歌合戦だった。 | ||
2000年2月20日 | 昇太 | たい平 | 遊馬 | 北陽 | 玉の輔 | きく姫 | 柳八 | 柳八、襲名前最後の大喜利 | |||
2000年6月25日 | 昇太 | 笑志 | 北陽 | たい平 | きくお | 愛楽 | 柳好 | 柳好、襲名後初の大喜利 | |||
2000年10月29日 | 昇太 | 北陽 | きくお | たい平 | 玉の輔 | 愛楽 | 柳好 | ||||
2001年2月11日 | 昇太 | 北陽 | きくお | たい平 | 玉の輔 | 遊馬 | 笑志 | ||||
2001年6月24日 | 昇太 | 北陽 | 玉の輔 | たい平 | 柳好 | きく姫 | きくお | ||||
2004年12月26日 | 昇太 | 愛楽 | 笑志 | きくお | たい平 | 柳好 | 玉の輔 | ひらり | この日は新メンバー選考会として実施された。 |
おはよう笑点(2006年と2007年の木久蔵は初代木久蔵) | |||||||||||
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放送日 | 司会 | 出演メンバー | 座布団運び | 備考 | |||||||
2006年1月2日 | 昇太 | 愛楽 | 文左衛門 | きくお | 木久蔵 | 柳好 | 玉の輔 | インリン たい平 |
「おはよう笑点」内で開催。 若手に交じって木久蔵も参加し、きくおと親子で共演した。 | ||
2007年1月2日 | 昇太 | 愛楽 | 文左衛門 | きくお | 木久蔵 | 柳好 | 玉の輔 | たい平 |
2011年 - 2018年(2011年以降の木久蔵は2代目木久蔵) | |||||||||||
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放送日 | 司会 | 出演メンバー | 座布団運び | 備考 | |||||||
2011年6月5日 | 昇太 | 愛楽 | 文左衛門 | 木久蔵 | 生志 | 一之輔 | 彦いち | 水卜 | 復活後初の大喜利。 | ||
2011年10月9日 | 昇太 | 愛楽 | 蘭 | 木久蔵 | 生志 | 可龍 | 柳好 | 徳島 | |||
2012年4月29日 | 昇太 | 枝太郎 | 王楽 | 木久蔵 | 生志 | 蘭 | 柳好 | 上田 | |||
2012年11月25日 | 昇太 | 鯉斗 | 昇吉 | 木久蔵 | ぴっかり | 八ゑ馬 | 柳好 | 杉野 | |||
2016年7月31日 | 昇太 | 昇也 | 鯉八 | 木りん | ぴっかり | わさび | 宮治 | つる子 | 個人戦での開催は4年ぶり。 | ||
2016年11月6日 | 昇太 | 昇也 | 小痴楽 | ぴっかり | 宮治 | わさび | 馬るこ | つる子 | この回からは名札に名前だけでなく、一文やイラストが書(描)かれていた(以降の回も同様)。 | ||
2017年2月12日 | 円楽 | 昇也 ↓ つる子 ↓ 昇也 |
貞鏡 | 晴の輔 | 三四郎 | わさび | 馬るこ | つる子 ↓ 昇也 ↓ つる子 |
2回放送の座布団の合計枚数が1番多い人が商品を獲得。 | ||
2017年2月19日 | 三平 | ||||||||||
2018年4月29日 | 木久扇 | 昇也 | ぴっかり | 宮治 | 晴の輔 | わさび | 馬るこ | とむ | 2回放送の座布団の合計枚数が1番多い人が商品を獲得。 | ||
2018年5月6日 | たい平 |
チーム対抗戦 | |||||||||
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放送日 | 司会 | 出演メンバー | 座布団運び | 勝利チーム | 敗北チーム | 備考 | |||
上手側 | 下手側 | 上手側 | 下手側 | ||||||
1998年4月5日 | 昇太 | 西軍 む雀 こごろう 米吉 |
東軍 たい平 北陽 柳八 |
西軍 | 東軍 | この日は若手の上方噺家[注 30]が出演した、 「東西若手大喜利」として放送。 | |||
2014年7月13日 | 昇太 | 中堅チーム 愛楽 木久蔵 生志 柳好 |
若手チーム 宮治 とむ 晴の輔 馬るこ |
つくし | ぼたん | 若手チーム | 中堅チーム | この日は第3期メンバー中心の中堅チームと 第4期メンバー中心の若手チームが対決した、 「若手噺家派閥対抗大喜利」として放送。 | |
2015年1月18日 | 昇太 | 二つ目チーム 宮治 わさび 馬るこ |
真打ちチーム 木久蔵 晴の輔 愛楽 |
昇也 | 柳好 | 二つ目チーム | 真打ちチーム | この日は二つ目チームと真打ちチームが対決した、 「若手噺家派閥対抗大喜利」として放送。 | |
2015年8月2日 | 二つ目チーム | 真打ちチーム |
- 豪華賞品
- 亀蔵、たい平、柳八、昇太が「大喜利の座布団運びを担当する権利」を獲得。(1998年7月5日 - 1998年7月26日放送)
- 座布団ではなく椅子に座って行ったため、司会の昇太がMVPを指名していた。昇太は掟破りで自分をMVPに指名し、この日出演したメンバーの反感を買った。
- あさ市が「美女と肌と肌の触れ合える権利」を獲得(1998年9月6日放送)
- しかし、女性観客と触れ合うだけだった。
- 柳八が「めくるめく官能の世界へ行ける権利」を獲得。(1998年10月25日放送)
- 昇太とともに後楽園ゆうえんち(現:東京ドームシティアトラクションズ)のアトラクション「リニアゲイル」に乗った。
- 北陽が「笑点の大トリをとれる権利」を獲得。(1998年12月20日放送)
- しかし、舞台の後片付けが行われている中での大トリとなった。
- 愛楽が「みんなから拍手を受ける権利」を獲得。(1999年2月7日放送)
- 柳八が吉野家のタダ券5枚を獲得。(1999年5月2日放送)
- 北陽がマグロのかぶりものを獲得。(1999年7月18日放送)
- 西軍が来年の笑点カレンダーを獲得(1999年10月31日放送)
- 負けた東軍にもカレンダーが与えられたが、そのカレンダーは今年の笑点カレンダーだった。
- きく姫が厚底雪駄を獲得。(2000年2月20日放送)
- きくおが海女セット獲得。(2000年6月25日放送)
- きくおがマツタケを獲得。(2000年10月29日放送)
- 「マツタケがもらえる」とのことたが、松茸ではなく松(と)竹だった。
- 笑志がバレンタインのチョコレートを獲得。(2001年2月11日放送)
- しかし、中身は小さいチョコひとつだけだった。
- きく姫が赤ふんどしを獲得。(2001年6月24日放送)
- たい平が「こん平師匠の代わりに大喜利に出演できる権利」を獲得。(2004年12月26日放送)
- たい平はこれにより、大喜利のこん平の代理メンバーとして出演する事になったが、5代目圓楽の勇退・歌丸の司会就任・昇太のメンバー加入と同時に正式なメンバーとなった。
- 玉の輔が箱根駅伝応援権(応援旗と切符)を獲得。(2006年1月2日 おはよう笑点での放送)
- 愛楽が兄弟子楽太郎が率いる「ブラック団」の4人目のメンバー権を獲得。(2007年1月2日 おはよう笑点での放送)
- 2代目木久蔵が「歌丸フラドール」(2010年夏のアナウンサー大喜利の賞品)を獲得したが、壊れていた[注 31]。(2011年6月5日放送)
- 生志が「歌丸ミストファン」(2011年夏のアナウンサー大喜利の賞品)を獲得したが、壊れていた。(2011年10月9日放送)
- 蘭が「歌丸マスク」(2012年春のアナウンサー大喜利の賞品)を獲得。今回は破損していなかった。(2012年4月29日放送)
- 2代目木久蔵が「歌丸日傘」(2012年夏のアナウンサー大喜利の賞品)を獲得。今回も破損していなかった。(2012年11月25日放送)
- 若手チームが昇太の著書「城あるきのススメ」を獲得。(2014年7月13日放送)
- 二つ目チームが木久扇の落語の書籍を獲得(2015年1月18日放送)
- 二つ目チームが好楽の著書「好楽日和。」を獲得(2015年8月2日放送)
- わさびが「大喜利への出演権利」を獲得。(2016年7月31日放送)
- その回の大喜利3問目に出演した。
- わさびが「笑点の大喜利コーナー出演権利」を獲得(2016年11月6日放送)
- 翌週11月13日放送分の演芸に出演した。
- わさびが「6代目円楽主催のパーティー招待券」を獲得(2017年2月19日獲得・同年4月16日放送)※賞品は6代目円楽から贈呈された。
- 馬るこが「来週の笑点への出演権利」を獲得(2018年5月6日放送)
- ニコニコ超会議2018「超笑点」の大喜利(2018年5月13日放送)に出演した。
正月特番で毎年行われる大喜利
振袖大喜利
番組黎明期から開催されているバラエティ大喜利で、女性芸能人(ニューハーフ含む)が笑点メンバーとペアを組んで大喜利に挑戦する。ペアを組む相手は、メンバーのキャラクターに合わせて決められることもある。2015年は日テレ女性アナウンサーと笑点メンバーによるペア戦だった(「アナウンサー大喜利」の項参照)。これ以降の通常放送でのアナウンサー大喜利も、この形式を踏襲している。
このコーナーには泉ピン子(もともと牧伸二に師事して歌謡漫談家として活動したキャリアがあり、昭和40年代の演芸コーナーに2度出演したこともある)と山田花子が常連で出演している。他に、日本テレビアナウンサー時代は「アナウンサー大喜利」に出演しなかった永井美奈子も出演した。
近年の席順(2002年から2005年までの圓楽は5代目圓楽、2011年以降の円楽は6代目円楽、三平は2代目三平) | |||||||||
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放送日 | 司会 | 出演メンバー(左側が下手) | 座布団運び | 備考 | |||||
1999年1月1日 | 圓楽 歌丸 |
山田(ま) 小遊三 |
ピン子 木久蔵 |
原 好楽 |
永井 こん平 |
花子 楽太郎 |
山田 | ||
2002年1月1日 | 圓楽 歌丸 |
島崎 小遊三 |
藤崎 木久蔵 |
ピン子 好楽 |
山川 こん平 |
花子 楽太郎 |
山田 | ||
2003年1月1日 | 圓楽 歌丸 |
新山 小遊三 |
酒井 木久蔵 |
ピン子 好楽 |
上原(さ) こん平 |
花子 楽太郎 |
山田 | ||
2004年1月1日 | 圓楽 歌丸 |
ユンソナ 小遊三 |
飯島 木久蔵 |
ピン子 好楽 |
佐藤 こん平 |
花子 楽太郎 |
山田 | ||
2005年1月2日 | 圓楽 歌丸 |
井上 小遊三 |
飯島 木久蔵 |
ピン子 好楽 |
平山 たい平 |
花子 楽太郎 |
山田 | ||
2006年1月1日 | 歌丸 | 小倉 小遊三 |
若槻 木久蔵 |
ピン子 好楽 |
インリン たい平 |
花子 楽太郎 |
愛楽 | 「大笑点」内で開催。 5代目圓楽の休演・降板に従い、この年から司会は歌丸のみとなった。 | |
2007年1月1日 | 歌丸 | 小倉 小遊三 |
菊川 木久蔵 |
ピン子 好楽 |
眞鍋 昇太 |
ユンソナ たい平 |
花子 楽太郎 |
山田 | 「大笑点」内で開催。 この年から6人体制となった。 |
2008年1月1日 | 歌丸 | 小倉 小遊三 |
田丸 木久扇 |
ピン子 好楽 |
眞鍋 昇太 |
ユンソナ たい平 |
花子 楽太郎 |
山田 | 「大笑点」内で開催。 |
2009年1月1日 | 歌丸 | 平山 小遊三 |
スザンヌ 木久扇 |
ピン子 好楽 |
エド 昇太 |
はるな たい平 |
花子 楽太郎 |
山田 | |
2010年1月1日 | 歌丸 | 杉本 小遊三 |
優木 昇太 |
ピン子 好楽 |
マリエ 木久扇 |
上原(美) たい平 |
花子 楽太郎 |
山田 | |
2011年1月1日 | 歌丸 | 西山 小遊三 |
小森 昇太 |
ピン子 好楽 |
芦田[注 32] 木久扇 |
ヨンア たい平 |
花子 円楽 |
山田 | |
2012年1月1日 | 歌丸 | 剛力 小遊三 |
ローラ たい平 |
デヴィ 好楽 |
芦田 木久扇 |
重盛 昇太 |
花子 円楽 |
山田 | |
2013年1月1日 | 歌丸 | 指原 小遊三 |
鈴木(奈) 木久扇 |
ピン子 好楽 |
吉田 たい平 |
ローラ 昇太 |
花子 円楽 |
山田 | |
2014年1月1日 | 歌丸 昇太 |
壇蜜 小遊三 |
百田 木久扇 |
久本 好楽 |
片平 たい平 |
LiLiCo 円楽 |
山田 | 「理由(ワケ)あって結婚できない女大喜利」として開催。 それにちなんで未婚の昇太は歌丸とのダブル司会。 レギュラー陣は、1問目は不参加。 | |
2017年1月1日 | 昇太 | 浜口 小遊三 |
大島 好楽 |
鈴木(梨) 木久扇 |
ピン子 三平 |
藤田 円楽 |
はるな たい平 |
山田 | |
2018年1月1日 | 昇太 | 壇蜜 小遊三 |
いとう 好楽 |
新井 木久扇 |
ピン子 三平 |
滝沢 円楽 |
岡田 たい平 |
横山 |
東西大喜利
新春スペシャルで年1回行われ、笑点メンバーと上方噺家[注 33]が大喜利で対戦する。
1977年(昭和52年)の新春スペシャルが初開催。当初は鶴亀大喜利の東西対抗戦として行われていたが、しばらくして東西大喜利として年1回開催の新春恒例のスペシャル大喜利として定着した。当初の司会は三波伸介で、三波が急逝した1983年(昭和58年)の新春スペシャルは愛川欽也が代理で司会を務めている。以降、2005年(平成17年)までは5代目圓楽、2006年(平成18年)から2008年(平成20年)は歌丸と三枝(当時)、2009年(平成21年)から2016年(平成28年)は歌丸単独、2017年(平成29年)からは昇太が司会を務めている。
笑点メンバーは全員黒紋付袴で登場していたが、2003年(平成15年)から笑点メンバーは笑点の色紋付で登場している。上方メンバーは2006年まで黒紋付袴を継続していたが、2007年(平成19年)からは色紋付袴を着るメンバーが出てきた。
上方メンバーは、一門別では松鶴一門が笑福亭松之助(2012年まで)と鶴光でほぼ固定され、それ以外は文枝一門と米朝一門で占められている。所属事務所別では吉本興業(2007年10月以降は子会社のよしもとクリエイティブ・エージェンシー)が多く、松竹芸能からは鶴光のみ。米朝事務所からは2014年(平成26年)を最後に出演が途絶えている[注 34]。メンバーは年に1人程度入れ替わりがあるが、2018年は前年と顔触れが変わらなかった。なお現在は西軍の座布団運びが筆頭アシスタントの愛楽(愛知県出身)と定められており、上方噺家による座布団運びは、歌丸・三枝コンビ司会時に三枝門下の桂三弥が起用された程度である。
近年の席順(2003年から2005年までの圓楽は5代目圓楽、2011年以降の円楽は6代目円楽、2017年以降の三平は2代目三平) | |||||||||
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放送日 | 司会 | 出演メンバー | 座布団運び | 勝利チーム | 敗北チーム | 備考 | |||
西軍 | 東軍 | 西軍 | 東軍 | ||||||
2003年1月1日 | 圓楽 | 三枝 八方 鶴光 きん枝 小枝 可朝 |
歌丸 楽太郎 好楽 木久蔵 小遊三 こん平 |
愛楽 | 山田 | 西軍 | 東軍 | ||
2004年1月1日 | 圓楽 | 松之助 雀々 鶴光 きん枝 小枝 可朝 |
歌丸 楽太郎 好楽 木久蔵 小遊三 こん平 |
愛楽 | 山田 | 西軍 | 東軍 | ||
2005年1月2日 | 圓楽 | 三枝 きん枝 鶴光 ざこば 小枝 可朝 |
歌丸 楽太郎 好楽 木久蔵 小遊三 たい平 |
愛楽 | 山田 | 西軍 | 東軍 | ||
2006年1月1日 | 歌丸 | 三枝 | 松之助 きん枝 小米朝 小枝 八方 |
木久蔵 好楽 小遊三 楽太郎 たい平 |
三弥 | 愛楽 | 西軍 | 東軍 | 「大笑点」内で開催。 この年から三枝が 歌丸と共に司会にまわった。 |
2007年1月1日 | 歌丸 | 三枝 | 松之助 きん枝 鶴光 小枝 雀三郎 可朝 |
小遊三 好楽 木久蔵 昇太 楽太郎 たい平 |
三弥 | 山田 | 東軍 | 西軍 | 「大笑点」内で開催。 |
2008年1月1日 | 歌丸 | 三枝 | 松之助 きん枝 鶴光 小枝 文福 可朝 |
小遊三 好楽 木久扇 昇太 楽太郎 たい平 |
三弥 | 山田 | 西軍 | 東軍 | 「大笑点」内で開催。 |
2009年1月1日 | 歌丸 | 松之助 きん枝 鶴光 小枝 米團治[注 35] 八方 |
小遊三 好楽 木久扇 昇太 楽太郎 たい平 |
愛楽 | 山田 | 西軍 | 東軍 | この年から司会は歌丸のみ。 | |
2010年1月1日 | 歌丸 | 松之助 きん枝 鶴光 小枝 あやめ[注 36] 可朝 |
小遊三 好楽 木久扇 昇太 楽太郎 たい平 |
愛楽 | 山田 | 西軍 | 東軍 | ||
2011年1月1日 | 歌丸 | 松之助 鶴光 ざこば 小枝 方正 可朝 |
小遊三 好楽 木久扇 昇太 円楽 たい平 |
愛楽 | 山田 | 西軍 | 東軍 | ||
2012年1月1日 | 歌丸 | 松之助 鶴光 ざこば 小枝 あやめ 可朝 |
小遊三 好楽 木久扇 昇太 円楽 たい平 |
愛楽 | 山田 | 西軍 | 東軍 | ||
2013年1月1日 | 歌丸 | 城島 きん枝 鶴光 小枝 あやめ 可朝 |
小遊三 好楽 木久扇 昇太 円楽 たい平 |
愛楽 | 山田 | 西軍 | 東軍 | ||
2014年1月1日 | 歌丸 | 城島 鶴光 ざこば 小枝 染弥 可朝 |
小遊三 好楽 木久扇 昇太 円楽 たい平 |
愛楽 | 山田 | 西軍 | 東軍 | ||
2015年1月1日 | 歌丸 | 城島 雀々 鶴光 あやめ 菊丸[注 37] 可朝 |
小遊三 好楽 木久扇 昇太 円楽 たい平 |
愛楽 | 山田 | 西軍 | 東軍 | ||
2016年1月1日 | 歌丸 | 城島 きん枝 鶴笑 鶴光 菊丸 笑瓶 |
小遊三 好楽 木久扇 昇太 円楽 たい平 |
愛楽 | 山田 | 西軍 | 東軍 | ||
2017年1月1日 | 昇太 | 城島 菊丸 きん枝 八光 三四郎 鶴光 |
小遊三 好楽 木久扇 三平 円楽 たい平 |
愛楽 | 山田 | 西軍 | 東軍 | ||
2018年1月1日 | 昇太 | 城島 菊丸 きん枝 八光 三四郎 鶴光 |
小遊三 好楽 木久扇 三平 円楽 たい平 |
愛楽 | 山田 | 西軍 | 東軍 |
過去に行われた大喜利
師弟大喜利
- メンバーの師匠が参加し、弟子達と大喜利対決をする。第1回の師弟大喜利は1967年(昭和42年)の新春スペシャルである。談志が司会だった時代は年末にも行われていた。
- 初期に出演したのは
- 後に出演したのは
- またメンバーの師匠ではないがメンバーの師匠役として出演したのは
- その後メンバーの高齢化にともなって、師匠サイドで登場するべき人物の大多数が故人となってしまったことや、メンバーである好楽と楽太郎の師匠が、当時司会を務めていた5代目圓楽だったことなどから調整が難しくなってしまったため、1981年(昭和56年)の新春スペシャルに放送された後は行われなくなったが、これとは別に、レギュラーメンバーが自分の弟子・弟弟子達と大喜利対決をする師弟大喜利も何回か行われていた。
師弟一門大喜利
- 1999年(平成11年)の新春スペシャルでは昇太を司会に、神田北陽(現:3代目神田山陽)を座布団運びとして、主に若手大喜利に出場していたメンバーが自分の師匠とタッグを組んで大喜利を行った。この時に出演したのは
- 2006年(平成18年)5月14日の40周年記念特番で、レギュラーメンバーが自分達の弟子または弟弟子とタッグを組む形で大喜利が行われた。出演者は
- なお1999年の師弟一門大喜利では、師匠に普段言えない小言をつくというお題の中で、洋楽に対して五代目圓楽が回答の中で本当に小言を長々と続けるハプニングがあり、司会だった昇太が「本当に小言言うのやめてください」と、慌てて止めに入っていた。後の、五代目圓楽追悼番組でもこのシーンに触れており、当時のことを、昇太は本当に慌ててしまったと述懐している。6代目円楽曰く、「弟子集めて普段やる小言と変わらない」とのこと。
ちびっ子大喜利
鶴亀大喜利
- 1970年代後半から主に新春スペシャルで、東西の大御所落語家混成チームの対抗戦方式での大喜利が行われた。
- 1978年(昭和53年)の新春スペシャルに出演したのは
- 1977年(昭和52年)や1983年(昭和58年)の新春スペシャルでは、笑点メンバーと上方噺家との東西対抗戦方式で行われた。しばらくして東西大喜利と改題し、現在でも新春スペシャルの恒例大喜利となっている。
ドレミファ大喜利
- 1981年(昭和56年)から主に新春スペシャルで、高英男、ディック・ミネ、藤山一郎など往年の名歌手を集めての大喜利が行われた。
- 1983年(昭和58年)の新春スペシャルでは司会者の三波伸介が急逝したことにより、こん平が代理で司会を務めている。この時の参加メンバーは、高英男、大津美子、田端義夫、近江俊郎、松尾和子、林伊佐緒。座布団運びは、マジシャンのダーク大和。
対決大喜利企画
過去の笑点メンバーが他の日本テレビ系番組の出演者やジャニーズのグループと大喜利対決を行う企画を何回か行われていた。
特上!天声慎吾
- 2002年(平成14年)と2003年(平成15年)の2回は「新春!笑てん声慎吾」と題し、『特上!天声慎吾』のメンバーと大喜利対決を行った。2002年は天声慎吾の反則により笑点側が勝ったため、その後の「天声」を楽太郎メイン、木久蔵と好楽が出演の「天声楽太郎」と改題した。
- 席順(2002年と2003年の圓楽は5代目圓楽)
放送日 | 司会 | 出演メンバー | 座布団運び | 勝利 チーム |
敗北 チーム | |||
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天声慎吾 | 笑点 | 天声慎吾 | 笑点 | |||||
2002年1月1日 | 圓楽 | 香取 ウド 天野 勝俣 ゴルゴ レッド |
歌丸 小遊三 好楽 木久蔵 楽太郎 こん平 |
内山 | 山田 | 笑点 | 天声慎吾 | |
2003年1月1日 | 圓楽 | 香取 ウド 天野 石田 磯野 三瓶→ 上島 |
小遊三 好楽 木久蔵 歌丸 楽太郎 こん平 |
上島 ↓ 三瓶 |
山田 | 天声慎吾 | 笑点 |
TOKIO
- 2005年(平成17年)の新春スペシャルでTOKIOと大喜利対決を行った。『元気なお年寄り』、『ト・キ・オの三文字をそれぞれ頭につけた言葉』、『自慢合戦』の3問で対戦した。当初は5対5となる為に、たい平は座布団運びにまわった。
- TOKIOは『大笑点』でメインパーソナリティを務めた。またメンバーの国分太一は2006年(平成18年)5月14日の40周年記念特番に出演し、師弟大喜利で歌丸と共に司会を務めた。
- 笑点メンバーとTOKIOの対戦は2006年から2008年までは舞台を「大笑点」の番組上に移した。
- 2008年の「大笑点」を最後に暫く行われていなかったが、2014年9月28日放送分で「TOKIOスペシャルDAYS」の企画の1つとして6年9カ月ぶりに開催された。
- 2016年の「歌丸ラスト大喜利スペシャル」内で1年8カ月ぶりに開催。これが、収録放送では最後の歌丸司会の大喜利となった。勝ったTOKIOへの商品である歌丸が描かれたスコップは、『POWERフレーズ』を挟んで放送の、TOKIOが出演する『ザ!鉄腕!DASH!!』のメインコーナーである「DASH島」の舟屋に飾られた様子が放送された。
- 席順(2005年の圓楽は5代目圓楽、2014年以降の円楽は6代目円楽)
放送日 | 司会 | 出演メンバー | 座布団運び | 勝利チーム | 敗北チーム | 備考 | |||
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TOKIO | 笑点 | TOKIO | 笑点 | ||||||
2005年1月2日 | 圓楽 | 城島 山口 国分 松岡 長瀬 |
歌丸 楽太郎 木久蔵 好楽 小遊三 |
山田 | たい平 | TOKIO | 笑点 | ||
2006年1月1日 | 歌丸 | 城島 山口 国分 松岡 長瀬 |
小遊三 好楽 木久蔵 楽太郎 たい平 |
愛楽 | 山田 | TOKIO | 笑点 | 「大笑点」内で開催。 | |
2007年1月1日 | 歌丸 | 城島 山口 国分 松岡 長瀬 |
小遊三 好楽 木久蔵 楽太郎 たい平 |
愛楽 | 山田 | TOKIO | 笑点 | 「大笑点」内で開催。 昇太は福岡市で行われた公演に出演するため欠席。 | |
2008年1月1日 | 歌丸 | 城島 山口 国分 松岡 長瀬 |
小遊三 好楽 木久扇 昇太 楽太郎 たい平 |
愛楽 | 山田 | TOKIO | 笑点 | 「大笑点」内で開催。 | |
2014年9月28日 | 歌丸 | 城島 山口 国分 松岡 長瀬 |
小遊三 好楽 昇太 円楽 たい平 |
愛楽 | 山田 | TOKIO | 笑点 | 「TOKIOスペシャルDAYS」[24]の企画として開催。 木久扇は病気療養中のため欠席。 | |
2016年5月22日 | 歌丸 | 城島 山口 国分 松岡 長瀬 |
小遊三 好楽 木久扇 昇太 円楽 たい平 |
愛楽 | 山田 | TOKIO | 笑点 | 「歌丸ラスト大喜利スペシャル」内で開催。 |
お笑い芸人大喜利
- 若手・中堅芸人が大喜利に挑戦。
行列のできる法律相談所大喜利
- 『行列のできる法律相談所』の出演者が大喜利に挑戦。
ボクシング世界チャンピオン大喜利
- プロボクシングの元世界チャンピオンが出演。司会は昇太(2007年以降)。輪島功一は毎回本番前に飲酒して出演するのが恒例だった(顔が赤く、正座ができない。大喜利中に居眠りする事もあった)。
大福大喜利
- 2010年(平成22年)1月1日の新春スペシャルで初実施。芸能界のぽっちゃりタレントが大喜利に挑戦。
- 日本テレビにはメンバーに合う着物が無かったためメンバー全員が私服(テレビ衣装)で出演。メンバー全員正座がしにくいことが判明したため座布団は5枚からスタートし、正座せずに座布団の上に普通に座る(椅子に座るような要領)という特別ルール。司会はたい平、座布団運びは山田。
ものまね大喜利
- 2012年(平成24年)1月1日の新春スペシャルで初実施。ものまね芸人がご本人と組んで大喜利に挑戦。司会は昇太、座布団運びは山田。また、ものまねタレントに交じってたい平も参加している。
ペット大好き!大喜利
- 2015年(平成27年)1月1日の新春スペシャルで実施。タレントがペットを連れて大喜利に挑戦。
- ペットが舞台上に出演する為、舞台には黄緑色のマットが敷き詰められていた。また、主人用の座布団の他に、ペット用の小さな座布団が用意されていた。
ふるさと大喜利
- 2016年(平成28年)1月1日の新春スペシャルで実施。都道府県に因んだ大喜利に挑戦。参加メンバーは森公美子(宮城県)、蛭子能収(長崎県)、寺田心(愛知県)、彦摩呂(大阪府)、渡辺直美(茨城県)、さかなクン(千葉県[注 39])。司会は木久扇(江戸)、座布団運びは山田(江戸川区)。
- 森公美子・彦摩呂・渡辺直美は正座がしにくいため、前述の「大福大喜利」同様に座布団は5枚からスタートし、正座せずに座布団の上に普通に座る(椅子に座るような要領)という特別ルール。他の参加メンバーは通常どおり1枚からスタートのため、不公平がないように座布団が増えた枚数で判断することになった。
なかよしペア大喜利
- 2017年(平成29年)1月1日の新春スペシャルで実施。参加メンバーは石塚英彦(ホンジャマカ)&水卜麻美、ぺこ&りゅうちぇる、佐々木健介&北斗晶、さかなクン&桝太一、ふなっしー&ねば〜る君。司会はたい平&2代目三平、座布団運びは山田。
- 石塚英彦および佐々木健介・北斗夫妻は正座がしにくいため座布団は5枚からスタートし、正座せずに座布団の上に普通に座る(椅子に座るような要領)。他の参加メンバーは通常どおり1枚からスタートのため、不公平がないように座布団を獲得した枚数で判断。
その他
- 大喜利ゲスト大会
- スペシャル大喜利の第1弾。1967年(昭和42年)8月27日の放送で実施。前述の通りこの時には後に2代目の司会者となる前田も大喜利メンバーとして出演していた。司会は談志、座布団運びは毒蝮。
- 親子大喜利
- 1972年(昭和47年)1月2日の新春スペシャルで実施。当時の大喜利メンバーが子女と共に出演した。司会は三波、座布団運びは松崎。
- 2010年(平成22年)1月1日の新春スペシャルでは、メンバーが自身の子女と共に出演した。参加メンバーは、はなわ、北斗晶、ボビー・オロゴン、西村知美、たい平の各親子。司会は昇太、座布団運びは山田。
- スター大喜利
- 1978年(昭和53年)1月2日の新春スペシャルで実施。参加メンバーは、坂本九、夏木マリ、千昌夫、京唄子、宍戸錠、岸ユキ、鳳啓助。司会は三波、座布団運びは東八郎。
- 2018年(平成30年)1月1日の新春スペシャルで40年ぶりに実施。参加メンバーは、梅沢富美男、佐藤栞里、加藤一二三、平野ノラ、ぺこ&りゅうちぇる、児嶋一哉(アンジャッシュ)。司会はたい平、座布団運びは三平。
- 春の大喜利大会
- 天国よいとこ昇天大喜利
- 2006年(平成18年)5月14日の40周年スペシャルで実施。笑点メンバーが「天国に旅立った(昇天した)」という設定で、天使のコスプレをして大喜利を行った。
- 夫婦大喜利
- 2015年(平成27年)1月1日の新春スペシャルで実施。夫婦がタッグを組んで大喜利に挑戦。参加メンバーは金石昭人・陣内貴美子夫妻、石井一久・木佐彩子夫妻、佐々木健介・北斗晶夫妻、ALEXANDER・川崎希夫妻、金山一彦・大渕愛子夫妻。司会は夫婦大喜利に因み、当時の大喜利レギュラーの中で唯一の未婚者である昇太、座布団運びは山田。
- このうち、佐々木・北斗夫妻については膝の負傷などがあり正座がしにくいことに配慮し、前述の「大福大喜利」同様に座布団は5枚からスタートし、正座せずに座布団の上に普通に座る(椅子に座るような要領)という特別ルールを採用。他の4夫婦は通常どおり1枚からスタートのため、不公平がないように座布団が増えた枚数で判断することになった。
- 手相大喜利
- 2015年(平成27年)3月29日・2016年(平成28年)1月3日の放送で実施。笑点メンバーの手相を島田秀平が拝見して、結果を言った。また笑点メンバーの背後にはメンバーの左手が載ったボードが置かれていた(歌丸も含まれるが、山田は除く)。またこの回は大喜利での裁量以外にも手相の結果(手相が良いと獲得、手相が悪いと没収)によって座布団の増減が行われた。地上波では7人分の紹介だったが、特大号では山田や笑点メンバー(木久扇、好楽、円楽、たい平、山田)のマネージャー[注 40]の手相の結果も発表された。
- 真相報道 バンキシャ!大喜利
- 2015年(平成27年)12月27日に、当番組の前後[注 41]に放送の『真相報道 バンキシャ! ニッポン人は頑張ったスペシャル』の箸休め企画として実施。参加メンバー(全員洋装)は福澤朗、夏目三久、宮本亜門[注 42]、三浦雄一郎、尾木直樹。司会は昇太、座布団運びは山田。
オープニング
番組のオープニングではテーマ曲をBGMに、その放送回の出演者(レギュラー出演者とゲスト出演者)と、番組スタッフの紹介のあと、最後に制作クレジット(「日本テレビ」と公開収録したテレビ局名)が表示される。
表示される番組スタッフは、題字、テーマ音楽担当、オープニングアニメ制作者、企画立案、制作協力、ディレクター、プロデューサー、制作担当などである。
テーマ曲
「笑点音頭」
番組放送当初はテーマ曲は無かったが、1967年(昭和42年)1月29日の放送回からオープニング曲が使用された。
- 曲名:「笑点音頭」
- 作詞:立川談志、作曲:宮崎尚志
- 歌唱:立川談志&笑点グループ
1967年、キングレコードからレコード発売。のちに複数のレコード会社から、企画盤のうちの一曲としてCD化されている。2012年、立川談志追悼としてタワーレコード専売で当時のシングル盤のジャケット写真を用いてマキシシングルとして復刻販売される。
ジャケットには「連続TVドラマ「笑点」主題歌」と記載されているが、発売1年前の1966年には「笑点」の名前の由来であるとされている「氷点」[25]の連続テレビドラマが放映されていた。
「笑点のテーマ」
1969年(昭和44年)11月に談志が司会を降板した後、新テーマ曲として「笑点のテーマ」が導入された。
また、導入当初は司会の前田武彦による歌詞があった。。
1985年3月31日まで使用されていた初期バージョンは、東海林修の編曲・指揮により、ジャズのオーケストラ形式で録音されたが、効果音係が、効果音の一つとして使用していたクラクションの操作ミスによって、最後の部分に妙な音調で「パフ」という音を入ったが、これが好評だったのでそのまま採用され、後述の再録音の際にも再現されるなど、「笑点のテーマ」のシンボルとなった。また、。
その後テーマ曲は、1985年4月7日に別の演奏者によりステレオにて再録音された(「笑点 大博覧会 DVD-BOX」では、1991年12月まで使われたオープニングまで前のバージョンの音声に変えていた)ものが放送される。その際、鳴り物や吹き物が変更され、アレンジも変化したが、全体的にはオリジナルの曲調を踏襲している。提供アナウンス時の音楽はジャズ調アレンジとなった[注 43]。1998年8月2日からは長さが40秒に短縮された。
初期の東海林修の編曲・指揮によるモノラル音源のインストゥルメンタル・ヴァージョンは、ソニー・ミュージックエンタテインメントからのコンピレーション・アルバムCD「日曜夜のテレビは哀愁」(CD番号:MHCL1185、2007年10月10日発売)の第1曲目に収録されている。
歴代オープニング
- オープニングの最初には、必ずと言っていいほど定式幕をバックに笑点のロゴが出てきて、定式幕が開き、太陽の絵が出てくるのが慣例である。
- オープニングの最後には、テーマに沿った品物が画面の奥から飛んできて、その後背景が白に替わり赤の長方形に白い寄席文字の「製作 著作 日本テレビ」(その右下脇に現行「日テレ」ロゴ[注 44]が添えられる)が映し出されるのが慣例となっている。
- オープニングの出演者表示は休演による変更は行われない。
- 「笑点音頭」から「日本の昔話編」までは、5代目圓楽の表記は6代目と同じ「三遊亭円楽」であった。小円遊・円窓も同様。「笑点大演芸編」より旧字体の「圓」表記となる。
- 「笑点音頭」 (1967年1月29日 - 1969年3月30日)
- アニメーションの似顔絵と演出は、竹内大三が担当。
- 「笑点」の文字を笑顔に見立てるアニメーションの後、以下の順でメンバーを模した動物が登場。
- 途中、メンバーの名跡襲名・改名があった際、字幕のみ変更。
- 1969年4月以降は5代目圓楽らが降板したため、オープニングが一旦廃止された。
- 「笑点のテーマ(歌唱つき)」(歌詞付き) (1969年11月9日 - 1970年6月14日)
- 「笑点のテーマ」を歌っていたのは前田武彦と大喜利メンバー。
- 任侠陣傘編 (1970年12月20日 - 1971年12月26日)
- テーマ曲の「笑点のテーマ」はインストゥルメンタル版(歌なし楽器演奏のみ)で、出演者紹介時のみ静止画で表現される形式。以降のオープニングで踏襲される。なお、クレジットは横書き表示でゴシック体であった。
- 切り絵風アニメーション(似顔絵・演出は永沢詢が担当)で、陣笠姿の大喜利メンバー6名と司会者が陣笠を取り、コスプレ姿に。
- 日本の昔話編 (1972年1月2日 - 1974年12月29日)
- 出演者紹介時のみ静止画と縦書き表示で手書き調で表現される形式に(このオープニング以降、一貫してクレジットは縦書き表示である)。
- 水墨画風アニメーション(似顔絵・演出は永沢詢が担当)で、朝日と富士山を背景に「笑点」と書かれた掛軸の登場後、以下の順で出演者紹介。
- 笑点大演芸編 (1975年1月5日 - 1977年8月21日)
- 浮世絵風アニメーションで、おなじみの定式幕を背景に「笑点」のタイトル表示後、以下の順で出演者紹介。
- 「製作 著作 日本テレビ」の表示が、これまでのテロップ表示に代わってアニメーション表示に変更。
- このオープニングからクレジットは寄席文字になる。
- ここから2006年5月14日まで、出演者紹介前に出演者に向かってズームインする形式に。
- 5代目圓楽が番組卒業した1977年4月以降は、5代目圓楽の似顔絵アップ部分のみカットし若干ピエロのシーンを延長して対処。
- 江戸の暮らし編 (1977年8月28日 - 1978年12月24日、1979年9月9日 - 1980年12月28日)
- 6代目三遊亭圓窓の降板と三笑亭夢之助と三遊亭楽太郎の2名の加入に伴い、オープニング一新。
- 1979-80年は三笑亭夢之助の急な降板や4代目三遊亭小圓遊の急逝に伴い、新メンバーの林家九蔵と古今亭朝次の紹介に作り替えたバージョンを放送。
- 1980年10月19日と26日は、同年10月5日に急逝した4代目三遊亭小圓遊の追悼によりオープニングテーマなし。
- 古今東西大演芸編 (1979年1月7日 - 1979年9月2日)
- アニメーションの似顔絵・演出は、夢野凡天が担当。
- 東海道五十三次編 (1981年1月4日 - 1982年12月26日)
- 1982年12月12日と19日は、同年12月8日に急逝した三波伸介の追悼によりオープニングテーマなし。
- 日本の祭り編 (1983年1月9日 - 1983年10月9日)
- 5代目三遊亭圓楽の司会就任後、初のオープニング。当初は三波伸介版で制作されたが急逝したため、顔の部分だけ5代目圓楽に作り替えて放送に間に合わせた。
- 落語の世界編 (1983年10月16日 - 1985年3月31日)
- 三遊亭好楽の降板と三遊亭小遊三の加入に伴い、オープニング一新。
- 世界の童話編その1 (1985年4月7日 - 1986年3月30日)
- このオープニングからステレオ音声に。
- 世界の童話編その2 (1986年4月6日 - 1987年3月29日)
- 世界の童話編その3 (1987年4月5日 - 1988年3月27日)
- 古今東西有名人編 (1988年4月3日 - 1989年12月24日)
- 7代目桂才賀の降板と三遊亭好楽の復帰に伴い、オープニング一新。
- 5代目圓楽(武田信玄)→ゲスト出演者(騎馬武者隊)→歌丸(サリー・ライド)→こん平(マイケル・ジャクソン)→木久蔵(アーサー王)→楽太郎(小野小町)→小遊三(ジョン万次郎)→好楽(一休宗純)→山田(ユーリイ・ガガーリン)
- 江戸の商売編 (1990年1月7日 - 1990年12月30日)
- 世界のスポーツ編 (1991年1月6日 - 1991年12月29日)
- 江戸の生活編 (1992年1月5日 - 1992年12月27日)
- 古典落語の世界観で表現。
- 日本テレビ開局40周年記念・日本の昔話編その2 (1993年1月10日 - 1995年12月24日)
- 「日本の昔話編」のリメイク。
- 笑点フェスティバル編 (1996年1月7日 - 1997年3月30日)
- 笑点メンバーの趣味趣向編 (1997年4月6日 - 1998年6月28日)
- 1998年7月は新オープニングアニメ(七福神編)の制作が間に合わず、山田が休演していたことも重なり、オープニングテーマなし。そのため、大喜利終了時にエンドロールを出していた。
- 笑点七福神編 (1998年8月2日 - 1999年12月26日)
- ここからアレンジされ、間奏とゲスト紹介がカットされた40秒バージョンに。
- 笑点ファミリー編 (2000年1月9日 - 2000年12月24日)
- ここからレギュラー陣氏名のアルファベット文字が入った。
- 5代目圓楽(サラリーマンの父)→歌丸(料理中の母)→こん平(階段から転げ落ちる子供)→木久蔵(トイレを済ませたおじいさん)→楽太郎(バス停へ走るOL)→小遊三(リーゼント極めてる高校生)→好楽(セーラー服の女子高生)→山田(女の子を追いかける幼稚園児)
- 2000年10月22日から好楽と楽太郎の紹介順が入れ替わる。
- 21世紀記念編 (2001年1月7日 - 2001年5月13日)
-
- 5代目圓楽(1966年/笑点誕生)→歌丸(1967年/ツイッギー来日)→こん平(1969年/アポロ11号人類月面到着)→木久蔵(1970年/大阪万博)→好楽(1972年/札幌オリンピック)→小遊三(1977年/王貞治・756号本塁打)→楽太郎(1989年/ベルリンの壁崩壊)→山田(2000年/日本女子マラソン・オリンピック初金メダル)
- 最後の前にメンバー全員が登場し「21世紀もよろしく」と示されていた。
- 笑点35周年記念・大江戸すごろく編 (2001年5月20日 - 2003年12月28日)
- 「東海道五十三次編」のアレンジ。
- 2002年・2003年の「新春!笑てん声慎吾」のみ、香取慎吾(文字・場所ともに不明)とキャイ〜ン(御油宿・文字不明)を追加。
- 笑点1900回記念・大江戸笑点街編 (2004年1月4日 - 2006年5月14日)
- こん平の休演後も、こん平が正式な降板はしていなかったこと、林家たい平は代理出演という扱いだったため、作り替えることなく放送された。
- 笑点40周年記念・新装開店祭編 (2006年5月21日 - 2008年5月11日)
- 桂歌丸の司会就任、同時に1988年に再加入の好楽以来18年ぶりの大喜利新メンバーとして春風亭昇太の加入+林家たい平のレギュラー昇格後、最初のオープニング。
- 日本テレビ開局55周年記念・落語の世界編その2 (2008年5月18日 - 2016年5月8日)
- 「落語の世界編」のリメイク。
- 番組のハイビジョン化により、2010年1月1日の新春スペシャルより画面比率16:9に拡大。2009年1月1日の新春スペシャルでも地上デジタル放送ではオープニングアニメーションのみ16:9フルサイズで放送。アニメーション自体そのものは作成当初からハイビジョンで制作。
- 出演者の名前の表示枠は4:3表示に対応する位置にあったが、ハイビジョン化以降変更した6代目円楽のみ16:9表示対応になった。
- 6代目円楽に「六代目」「6th」が追記された。
- 2014年10月19日放送回では、初期の喉頭癌により休演していた木久扇が復帰することから、木久扇の登場シーンにて扇子の日の丸にそれぞれ「た」「だ」「い」「ま」の4文字が入れられた。[26]
- 笑点50周年記念・落語の世界編その3 (2016年5月15日 - 現在)
- メンバーの入れ替わりにより、細かい変更が行われている。
- 2016年5月29日放送回から2017年5月14日放送回までは番組名の上に「祝五十周年」のテロップがオープニングで表示されていた。2017年5月28日放送回から、番組ロゴの書体が変更された。
- 名前の表示枠が拡大、出演者のテロップとアルファベット文字が手書きとなり、6代目円楽の「六代目」「6th」が削除された。
- 2016年5月29日放送回以降、スタッフテロップの後に歌丸の名前表示部分のみを移動し、「終身名誉司会」→「永世名誉司会」を追記。
- 2代目三平は2016年5月29日放送回の大喜利で発表されたため、同回のオープニングは未登場。2016年6月5日放送分から26日放送分はアニメが完成しておらず、お詫びのイラストが「ただいま作成中」というテロップとともに使用されていた。
- 2016年7月10日放送回のオープニングから、2代目三平の目が大きく描き直された。
- 2016年12月18日放送回のみ、三平の紹介シーンの画面左下に赤子の絵が追加された。
- 2018年7月8日放送回は、歌丸追悼特集のためオープニングなし。スタッフ紹介はエンディングでエンドロールとして表示した。
舞台装置
1970年(昭和45年)まであった演芸場「人形町末廣」を参考に、「昔ながらの寄席の高座をスタジオに再現したい」というコンセプトでデザインされている。部分的な手直しは何度か行われたが、『金曜夜席』の放送開始時から基本的なところは変わっていない。司会者席には黒字で『笑点』と彫られた見台が置かれ、ピンマイクが使われる前には見台の上にコンデンサーマイクが置かれていた。なお、大喜利メンバーにピンマイクが着けられるようになった後も、集音はしていないが舞台上にマイクが置かれている。
舞台奥の襖は4枚あり、後楽園ホールでの収録時と地方収録時では絵柄が異なる。後楽園ホール(麹町スタジオでの収録でも同様)では、演芸コーナーと大喜利コーナーで柄が異なり、収録時には柄の部分を回転させて切り替えている。地方収録の際は、襖に収録地の名産品、観光名所、祭りの光景などが描かれる[注 45][27]。2017年2月5日放送分では、大喜利中に林家たい平がこの襖にぶつかり、放送中に襖が一回転してしまうというハプニングを起こしている[28]。
舞台の上の提灯には当初、笑の文字や、笑点メンバーの定紋を入れていたが、1969年(昭和44年)から現在のように名前を書くようになった(ただし、その後も特番の時などに紋の入った提灯が下げられたことがある)。。
出演者や裏方たちは原則として上手から入退場するので下手側は通常襖で閉められているが、対抗戦形式の大喜利が行われる時などは下手側の襖も開いて下手から入退場するケースもある。なお、2014年7月6日から2016年5月22日までは足腰が弱り歩行が困難になった歌丸が司会者席に近い下手側から入退場しており、入退場する時のみ開放された。
舞台上は、基本的に土足厳禁となっており、大喜利メンバーのみならず前半の演芸コーナー出演者も靴は履かずに舞台に上がる。
地方収録
初の地方収録は大阪府寝屋川市で行われた(放送日不詳、収録日は1967年(昭和42年)7月15日。他、談志司会の頃には山形県天童市や岩手県花巻市などにも行っている)。
また、神奈川県伊勢原市での地方収録の放送時(1973年(昭和48年)10月21日)にニールセン[注 46]調べによる当番組の歴代最高視聴率40.5%(関東地区)をマークしている[注 47]。
かつて、地方収録第1週目の客席からのオープニングでは、司会者の隣に系列局の女性アナウンサーが座り、当地の名所や名産物を紹介していた。
1997年(平成9年)以降の地方収録は以下の通り。近年はもっぱら、日本テレビの系列局の開局○周年記念として行われている(市制○周年記念などがプラスされるパターンもある)。
放送年月日 | 会場 | 理由 | |
---|---|---|---|
1997年 (平成9年) |
8月10日 8月17日 |
鳥取県・山陰・夢みなと博覧会会場 | 日本海テレビジョン放送開局40周年記念 |
9月28日 10月5日 |
熊本県・熊本市民会館 | 熊本県民テレビ開局15周年記念 | |
11月9日 11月16日 |
徳島県・鳴門市文化会館 | 四国放送開局45周年記念 | |
1998年 (平成10年) |
3月8日 3月15日 |
埼玉県・熊谷文化創造館 さくらめいと | 日本テレビ放送網開局45周年記念 |
6月21日 6月28日 |
山形県・山形県県民会館 | 山形放送開局45周年記念 | |
10月11日 10月18日 |
鹿児島県・鹿児島市民文化ホール | 鹿児島讀賣テレビ開局5周年記念 | |
1999年 (平成11年) |
1月10日 1月17日 |
香川県・ユープラザうたづ | 西日本放送開局40周年記念 |
3月21日 3月28日 |
静岡県・静岡市民文化会館 | 静岡第一テレビ開局20周年記念[注 48] | |
6月6日 6月13日 |
岩手県・北上市北上市民会館 | テレビ岩手開局30周年記念 | |
8月1日 8月8日 |
愛媛県・今治市公会堂 | 南海放送開局45周年記念 | |
10月17日 10月24日 |
福島県・郡山市民文化センター | 福島中央テレビ開局30周年記念 | |
2000年 (平成12年) |
3月5日 3月12日 |
大分県・大分文化会館 | テレビ大分開局30周年記念 |
5月7日 5月14日 |
北海道・札幌メディアパーク・スピカ | 札幌メディアパーク・スピカ グランドオープン記念 | |
8月6日 8月13日 |
長野県・長野県県民文化会館 | テレビ信州開局20周年記念 | |
9月24日 10月1日 |
宮城県・イズミティ21 | 宮城テレビ放送開局30周年記念 | |
2001年 (平成13年) |
3月18日 3月25日 |
新潟県・村上市民ふれあいセンター | テレビ新潟放送網開局20周年記念 |
5月27日 6月3日 |
石川県・金沢市観光会館 | テレビ金沢開局10周年記念 | |
8月26日 9月2日 |
山口県・山口きらら博きららホール | 山口放送開局45周年記念 | |
12月2日 12月9日 |
長崎県・アルカスSASEBO | 長崎国際テレビ開局10周年記念 | |
2002年 (平成14年) |
3月24日 3月31日 |
山梨県・山梨県立県民文化ホール | 山梨放送開局50周年記念 |
6月30日 7月7日 |
福井県・鯖江市文化センター | 福井放送開局50周年記念 | |
9月29日 10月6日 |
広島県・はつかいち文化ホール | 広島テレビ放送開局40周年記念 | |
12月8日 12月15日 |
熊本県・熊本県立劇場コンサートホール | 熊本県民テレビ開局20周年記念 | |
2003年 (平成15年) |
3月9日 3月16日 |
徳島県・徳島市立文化センター | 四国放送開局50周年記念 |
4月27日 5月4日 |
秋田県・秋田県民会館 | 秋田放送開局50周年記念 | |
6月8日 6月15日 |
神奈川県・横浜にぎわい座 | 日本テレビ放送網開局50周年記念 | |
7月6日 7月13日 |
山形県・山形県県民会館 | 山形放送開局50周年記念 | |
10月26日 11月2日 |
鳥取県・鳥取県立倉吉未来中心 | 日本海テレビジョン放送開局45周年記念 | |
2004年 (平成16年) |
3月14日 3月21日 |
高知県・高知県立県民文化ホール | 高知放送開局50周年記念 |
5月23日 5月30日 |
鹿児島県・鹿児島市民文化ホール | 鹿児島讀賣テレビ開局10周年記念 | |
9月26日 10月3日 |
静岡県・静岡市民文化会館 | 静岡第一テレビ開局25周年記念 | |
12月5日 12月12日 |
岩手県・北上市文化交流センター さくらホール | テレビ岩手開局35周年記念 | |
2005年 (平成17年) |
3月6日 3月13日 |
福岡県・福岡市民会館 | 福岡放送開局35周年記念 |
5月29日 6月5日 |
石川県・金沢市観光会館 | テレビ金沢開局15周年記念 | |
9月11日 9月18日 |
宮城県・仙台サンプラザホール | 宮城テレビ放送開局35周年記念 | |
12月4日 12月11日 |
長野県・長野県県民文化会館 | テレビ信州開局25周年記念 | |
2006年 (平成18年) |
4月30日 5月7日 |
山口県・周南市文化会館 | 山口放送開局50周年記念 |
10月8日 10月15日 |
新潟県・長岡市立劇場 | テレビ新潟放送網開局25周年記念 長岡市制100周年記念 | |
2007年 (平成19年) |
4月1日 4月8日 |
熊本県・熊本県立劇場演劇ホール | 熊本県民テレビ開局25周年記念 熊本城築城400周年記念 |
7月8日 7月15日 |
富山県・富山県民会館大ホール | 北日本放送開局55周年記念 | |
9月9日 9月16日 |
福井県・福井市文化会館 | 福井放送開局55周年記念 | |
2008年 (平成20年) |
3月30日 4月6日 |
広島県・はつかいち文化ホール | 広島テレビ放送開局45周年記念 |
7月13日 7月20日 |
島根県・出雲市民会館 | 日本海テレビジョン放送開局50周年記念 | |
10月26日 11月2日 |
愛媛県・松山市民会館 | 南海放送開局55周年記念 | |
2009年 (平成21年) |
3月8日 3月15日 |
鹿児島県・鹿児島市民文化ホール | 鹿児島讀賣テレビ開局15周年記念 |
5月17日 5月24日 |
岩手県・岩手県民会館 | テレビ岩手開局40周年記念 | |
8月9日 8月16日 |
山梨県・山梨県立県民文化ホール | 山梨放送開局55周年記念 | |
10月25日 11月1日 |
青森県・青森市文化会館 | 青森放送開局55周年記念 | |
2010年 (平成22年) |
3月7日[注 49] 3月14日[注 49] |
愛知県・みよし市文化センターサンアート大ホール | 中京テレビ放送開局40周年記念 みよし市の市制施行記念として、みよし市で収録された |
6月20日 6月27日 |
福岡県・福岡市民会館 | 福岡放送開局40周年記念 | |
7月4日 7月11日 |
宮城県・仙台サンプラザホール | 宮城テレビ放送開局40周年記念 | |
11月14日 11月21日 |
長野県・ホクト文化ホール | テレビ信州開局30周年記念 | |
2011年 (平成23年) |
4月17日 4月24日 |
長崎県・長崎市公会堂 | 長崎国際テレビ開局20周年記念 |
7月10日 7月17日 |
新潟県・弥彦総合文化会館 | テレビ新潟放送網開局30周年記念 | |
10月23日 10月30日 |
山口県・周南市文化会館 | 山口放送開局55周年記念 | |
2012年 (平成24年) |
7月8日 7月15日 |
富山県・魚津市新川文化ホール | 北日本放送開局60周年記念 |
11月4日 11月11日 |
熊本県・熊本県立劇場 | 熊本県民テレビ開局30周年記念 | |
2013年 (平成25年) |
2月10日 2月17日 |
福島県・郡山女子大学 建学記念講堂 | 福島中央テレビ東日本大震災復興支援 |
4月7日 4月14日 |
徳島県・徳島市文化センター | 四国放送開局60周年記念 | |
6月30日 7月7日 |
秋田県・秋田県民会館 | 秋田放送開局60周年記念 | |
12月8日 12月15日 |
山形県・山形県県民会館 | 山形放送開局60周年記念 | |
2014年 (平成26年) |
4月13日 4月20日 |
高知県・高知県立県民文化ホール | 高知放送開局60周年記念 |
5月25日[注 50] 6月1日[注 50] |
岩手県・大船渡市民文化会館 リアスホール | テレビ岩手開局45周年記念 | |
11月30日 12月7日 |
福岡県・キャナルシティ劇場 | 福岡放送開局45周年記念 | |
2015年 (平成27年) |
4月5日 4月12日 |
山梨県・山梨県立県民文化ホール | 山梨放送開局60周年記念 |
6月14日 6月21日 |
静岡県・焼津文化会館大ホール | 静岡第一テレビ開局35周年記念 | |
11月8日 11月15日 |
石川県・本多の森ホール | テレビ金沢開局25周年記念 | |
2016年 (平成28年) |
3月27日 4月3日 |
宮城県・仙台サンプラザホール | 宮城テレビ放送開局45周年記念 |
7月17日 7月24日 |
広島県・ふくやま芸術文化ホール リーデンローズ | 広島テレビ放送開局55周年記念 | |
9月11日 9月18日 |
新潟県・上越文化会館 | テレビ新潟放送網開局35周年記念 | |
10月23日 10月30日 |
長崎県・とぎつカナリーホール | 長崎国際テレビ開局25周年記念 | |
2017年 (平成29年) |
3月5日 3月12日 |
山口県・周南市文化会館 | 山口放送開局60周年記念 |
5月28日 6月4日 |
福井県・フェニックス・プラザ大ホール | 福井放送開局65周年記念 | |
8月6日 8月13日 |
徳島県・鳴門市文化会館 | 四国放送開局65周年記念 | |
10月8日 10月15日 |
熊本県・熊本県立劇場 | 熊本県民テレビ開局35周年記念 | |
2018年 (平成30年) |
5月13日 | 千葉県・幕張メッセ | ニコニコ超会議2018「超笑点」 |
6月10日 6月17日 |
北海道・まなみーる岩見沢市民会館 | 札幌テレビ放送開局60周年記念 |
2018年5月現在で地方収録の回数が一番多い回数は福島県の9回。次いで福岡県が8回。逆に、茨城県、三重県、滋賀県、奈良県、和歌山県、佐賀県、宮崎県では1度も行われていない(いずれも2018年5月時点)。
初の地方収録を大阪で行った理由は関西地区での視聴率対策のためと言われる。2018年現在、日本テレビはおろか他局を含め、ホールでの公開収録型番組でなおかつ地方収録を行っている番組自体が非常に少なく人気番組であることもあり、ネット局からの収録の依頼が殺到している状態である。そのため激しい誘致競争に勝ち抜くために上記の通り各ネット局の開局記念行事として行われることがほとんどである。
2000年代以降2018年度まで長らく関西地区での収録は行われておらず、「笑点」のオフィシャルサイトにも「関西での収録予定はないのか」という質問が紹介されており、それに対する答えが「前提として要請のあった系列局に伺うことになっております」となっている。また、歌丸の著書では大阪府寝屋川市で公録を行った際に読売テレビ側がきちんとした対応をとらなかったということで局と出演者たちの間で対立が起きたというエピソードが紹介されている[29]。
海外公演
過去に大喜利での座布団10枚獲得などによる、海外での収録は幾度か行われているが、うち大喜利そのものの海外収録は過去3度行われている。
放送年月日 | 公演名 | 収録地 | 備考 |
---|---|---|---|
1978年(昭和53年)4月30日、5月7日 | 笑点 亜米利加寄席 | サンフランシスコ | 日本テレビ放送網開局25周年記念 |
1980年(昭和55年)10月5日、10月12日 | 笑点 ハワイ公演 | ハワイ州 | 番組15周年記念 |
1997年(平成9年)4月20日 | 笑点 in 香港 | 香港 | 番組30周年記念 |
ハワイ公演は大喜利レギュラーだった4代目三遊亭小圓遊の最後の出演となった(ハワイ公演の1回目の放送があった日の未明に急死)。また、香港ロケの模様は90分の特別版で放送された。
このほか、1991年(平成3年)の番組25周年の時にはパリでの収録が予定されていたが湾岸戦争の影響を理由に中止されている[注 51]。
番組史
年 | 日付 | 出来事 |
---|---|---|
1966年 (昭和41年) |
5月15日 | 『笑点』放送開始。当初の放送時間は16:30-17:10。 |
1967年 (昭和42年) |
1月1日 | 初の「師弟大喜利」を開催。 |
8月27日 | 初の「大喜利ゲスト大会」を開催。大喜利メンバーの1人として後の2代目司会者・前田武彦が出演。 | |
10月8日 | 初の「若手大喜利」を開催。大喜利メンバーの1人として林家木久蔵(木久扇)が初登場。 | |
1968年 (昭和43年) |
5月5日 | 放送時間が17:20-18:00に変更。 |
12月15日 | 石井が「毒蝮三太夫」に改名。この頃、談志とメンバーの間に、番組の方向性についての深刻な溝が出来ていた。 | |
1969年 (昭和44年) |
3月30日 | 5代目圓楽らメンバー全員が談志と対立し降板。翌4月6日から新メンバーで大喜利を行う。 |
4月頃 | このころより談志がたびたび番組を休演。万が一の談志休演に備えて、一龍斎貞鳳を代理司会に起用。 | |
11月9日 | 視聴率低下と衆院選への出馬に伴って談志が降板。代わって前田武彦が2代目司会者となり、メンバーチェンジで大喜利が8人制(各チーム4人編成の2チーム制)に(コーナー名も「大喜利ナンバーワン」に改称)。「前武の何でも入門」がスタート。 | |
1970年 (昭和45年) |
2月8日[30] |
この日は北海道(具体的な場所は不明[31])で収録されたものを放送したが、収録日[31]の大雪による欠航のため、遅れて会場に向かう予定だった前田が急遽休演。当日の演芸ゲストがてんぷくトリオであったことから、代理司会を三波伸介が、座布団運びを伊東四朗が務めた。 |
5月31日 | 放送200回記念に神田明神で神輿担ぎやバナナの叩き売りなどの「笑点まつり」を開催し、大喜利は境内の仮設舞台で行った。 | |
6月21日 | メンバーチェンジで大喜利が現在の6人制になる(チーム対抗制も同時に廃止)。コスチューム大喜利を導入。 | |
8月24日 | 初の「ちびっ子大喜利」を開催。大喜利メンバーの1人として山田隆夫が初登場。 | |
12月20日 | 三波が3代目司会者に就任。「伸介の何でもコーナー」がスタート。 | |
1972年 (昭和47年) |
1月2日 | 初の「親子大喜利」を開催。 |
放送日不明 | 座布団の色がピンク色から現在の紫色になる。 | |
4月30日 | 放送300回を記念して、歴代3司会者によるスペシャル対談を行う。 | |
8月27日 | 歌丸小圓遊・手打ち式。三波・5代目圓楽を仲裁立会人として仲直りさせる。 | |
1973年 (昭和48年) |
8月26日[注 52] | 日本テレビ開局20周年を記念して、浅草寺の境内で開催され、「座布団供養」を行った[32]。談志がゲストで出演。 |
10月28日 | ニールセン調べによる視聴率において、歴代最高の40.5%を記録(関東地区)。 | |
1974年 (昭和49年) |
10月27日 | ビデオリサーチ調べによる視聴率において、歴代最高の36.1%を記録(関東地区・世帯)[33]。 |
1975年 (昭和50年) |
12月14日 | 一般販売用「笑点暦」第1号を披露。 |
1976年 (昭和51年) |
8月22日 | 『笑点』放送開始10周年を記念して、京王プラザホテルでの開催。 |
1977年 (昭和52年) |
1月2日 | 初の「東西大喜利」を開催。西軍のリーダーは桂三枝(現・六代桂文枝)、東軍のリーダーは5代目圓楽。 |
3月27日 | 「圓楽・笑点卒業式」を行う。これまでの功績を称え、三波が卒業証書を5代目圓楽へ授与した。大喜利レギュラーからはニンジンが贈られた。 | |
1978年 (昭和53年) |
4月30日・5月7日 | 日本テレビ開局25周年を記念して、サンフランシスコで「亜米利加寄席」を開催。 |
1980年 (昭和55年) |
10月5日未明 | 小圓遊が食道静脈瘤破裂のため急逝。 |
10月5日・10月12日 | 『笑点』放送開始15周年を記念して、ハワイ寄席を開催。 | |
10月19日・10月26日 | 小圓遊追悼特集を行う。 | |
12月28日 | 年1回の恒例となる「マジック大会」が初開催(1996年新春まで)。 | |
1982年 (昭和57年) |
12月8日 | 三波が大動脈解離のため急逝。 |
12月12日・12月19日 | 三波伸介追悼特集を行う。 | |
1983年 (昭和58年) |
1月2日 | 司会者不在となった新春スペシャルのそれぞれの大喜利司会をこん平と愛川欽也が臨時に担当。 |
1月9日 | 5代目圓楽が4代目司会者として復帰。 | |
10月16日 | 「円楽のよろずガイダンス」がスタート。 | |
1985年 (昭和60年) |
4月7日 | 寄席「若竹」で初の公開収録を行う。同収録には初代司会者・立川談志も特別演芸ゲストとして出演、講談を披露した。 |
12月22日 | 間近となった『笑点』放送開始20周年と放送1000回突破を記念して、京王プラザホテルで特番を開催。歌丸が「2000回までやろう!」と言う。 | |
1988年 (昭和63年) |
8月28日 | 初の「24時間テレビ・チャリティー大喜利」を開催。『笑点』史上初の生放送。 |
1991年 (平成3年) |
12月29日 | 大喜利で、メンバー全員が座布団10枚達成。賞品(いわしみず)の贈呈は、翌年5月の慰安旅行先にて行われた。 |
1996年 (平成8年) |
4月14日 | 放送時間が17:30-18:00に短縮。 |
11月3日 | 若手芸人の登龍門「笑点の穴」がスタート。 | |
1997年 (平成9年) |
4月20日 | 『笑点』放送開始30周年を記念して、香港寄席を開催。 |
1998年 (平成10年) |
7月5日 - 7月26日 | 山田が休演。この間は、大喜利下克上で優勝した若手落語家が座布団運びを務めた。 |
2001年 (平成13年) |
5月20日 | 『笑点』放送開始35周年。そのため、この日の大喜利の3問全てが35周年に関する問題となった。 |
2002年 (平成14年) |
11月10日 | 公式ホームページ『笑点web』が開設。毎回の大喜利の回答や、座布団の枚数が放送後に更新される。 web内で、視聴者が番組内で行われたのと同じお題に参加できる「web大喜利」が毎週開催された(その日出題された3問の中から1問抜粋)。 |
2004年 (平成16年) |
9月12日 | こん平が休演。残りのメンバーで大喜利を行う(こん平の場所には4枚の座布団が積まれたまま)。 |
12月26日 | たい平が初登場。こん平の代役として出演。 | |
2005年 (平成17年) |
10月23日 | 5代目圓楽が休演。メンバーによる代理大喜利司会を経て、11月27日より歌丸が大喜利司会代理に。 |
11月23日 | 『笑点 大博覧会 DVD-BOX』発売。 | |
2006年 (平成18年) |
1月1日 | 新春特別番組『大笑点』が放送される(2007年・2008年も放送)。 |
1月22日 | 『笑点』放送2000回を達成したが、5代目圓楽とこん平が療養中のため通常放送。歌丸が「今度は5000回までやろう!」と発言。 | |
番組の歴史を写真でたどり、出演者や番組製作に関わった人々のコメントで構成された本【笑点】が刊行。 | ||
3月26日 | 5代目圓楽がオープニングの案内役として復帰するが、大喜利司会は歌丸が引き続き担当。 | |
5月14日 | 『笑点』放送開始40周年記念特別番組を最後に、5代目圓楽が勇退を表明。翌週から歌丸が正式に5代目司会者になる。 | |
5月21日 | たい平が正式にメンバーに昇格し、昇太が初登場。 | |
10月19日 | 木久蔵が新高座名公募の募集を『笑点』を通じて行い、番組を巻き込んだ騒動となる。 | |
2007年 (平成19年) |
9月23日 | 「ダブル襲名披露口上」を行い、木久蔵の新高座名が「木久扇」と改名される。 |
2008年 (平成20年) |
6月29日・7月6日 | 歌丸が腰の手術および療養のため休演。案内役は2週とも木久扇と楽太郎。 大喜利司会は6月29日がたい平、7月6日を昇太が担当。歌丸は翌週の7月13日(島根県での地方収録)から司会に復帰した。 |
2009年 (平成21年) |
10月4日 | この日放送の第2184回から音声多重放送を利用した視覚障害者向けの解説放送を開始(一部解説放送を行わない場合もある)。 アナログ放送とデジタル・ワンセグでは音声帯が2chなので主音声が従来の放送、副音声で解説放送。何れも従来のモノラル化された。 デジタル・12セグでは音声帯が最大5.1chなので主音声はこれまで通りステレオ放送、副音声もステレオで解説放送を実施。 |
10月29日 | 5代目圓楽が転移性肺がんのため逝去。 | |
11月8日 | 5代目圓楽追悼特集を行う。 | |
12月23日 | DVD『笑点 ありがとう円楽さん! 〜五代目 三遊亭円楽を偲ぶ映像集〜』発売。 | |
2010年 (平成22年) |
2月28日 | 「六代目円楽襲名披露口上」を行い、同日の放送より楽太郎が6代目円楽を襲名。 |
3月7日・3月14日 | 歌丸が肺炎のため休演。案内役は2週とも木久扇と好楽。大喜利司会は3月7日が木久扇、3月14日が好楽が担当。 | |
2011年 (平成23年) |
3月13日 | 前々日に当たる3月11日に発生した東日本大震災関連のNNN報道特別番組を放送したため休止[注 53]。 |
5月15日 | 『笑点』放送開始45周年。この回の大喜利は「45周年記念大喜利」として放送された。 | |
8月5日 | 2代目司会者の前田武彦が肺炎のため逝去。 | |
11月21日 | 初代司会者の談志が喉頭癌のため逝去。 | |
11月27日 | 番組エンディングにて談志の追悼コーナーを放送。 | |
2012年 (平成24年) |
5月9日 | 番組ブレーンの新倉イワオが大腸癌のため逝去。 |
2014年 (平成26年) |
3月18日 | 公式Facebookが開設される。 |
4月28日 | 公式ホームページがリニューアルされる。その前の週の4月20日を以って、視聴者参加の「web大喜利」が終了した。 | |
5月11日 - 6月1日 | 歌丸が慢性閉塞性肺疾患と肋骨骨折、帯状疱疹で入院したため休演。 この間、冒頭の案内役を昇太とたい平が、大喜利の司会は5月11日放送分は木久扇、5月18日は好楽、 5月25日は小遊三、6月1日は6代目円楽がそれぞれ司会を務めた[34]。6月8日から復帰。 | |
6月15日 | 大喜利で木久扇が座布団10枚を獲得。前週の6月8日はたい平が10枚を獲得しており、 番組放送開始以来2週連続で10枚獲得という初の事態となった。 | |
7月27日 - 10月12日 | 木久扇が、初期の喉頭癌のため休演[35]。 | |
2015年 (平成27年) |
1月25日・2月1日 | 歌丸が、インフルエンザによる入院のため、休演[36]。大喜利の司会は1月25日放送分は昇太が、2月1日放送分はたい平が務めた。 |
1月25日 | 演芸は、当初三宅裕司と小倉久寛(両名とも本業は俳優・タレント)による医者のコントを放送予定であったが、 急遽翌週2月1日放送予定のビックスモールン(ゴン・チロ)のボディアートコントに差し替え[注 54][37]。 同日放送予定だったコントは、2月15日に延期された。 | |
動画配信サイト『Hulu』にて、過去に放送した大喜利(歌丸司会時代)を配信開始。 | ||
5月31日 - 7月19日、8月2日 - 10月25日、12月27日 - 2016年5月8日 | 放送50年目として、番組のエンディングにて『笑点おもいで写真館』→『笑点 こんな写真が!!』を放送[注 19]、Facebookにて『笑点おもいで写真』を掲載している。 | |
7月12日 - 9月6日 | 歌丸が、腸閉塞による入院のため、休演[38]。笑点の本放送は、9月13日放送分で復帰。その放送の前に、8月23日の24時間テレビ『チャリティー笑点』で復帰後最初のテレビ出演を果たした。 | |
2016年 (平成28年) | ||
1月31日 | 『笑点』放送2500回を達成。大喜利の1問目で、回号の「2500」に関する問題を出題した。 | |
4月3日 | 直前の17:25 - 17:30に派生番組『もう笑点』を開始。OPの提供クレジット映像が、メンバーの顔のアニメーションから出演者の舞台裏[注 55]に変更された。 | |
4月17日 | こん平が、真打昇進披露口上の三本締め発声役として、本編には2004年以来12年ぶりに出演。 同年4月14日より相次いでいる熊本地震の影響で、一部CMがACジャパンに差し替え。 | |
4月24日 | 正月開催の『第92回箱根駅伝競走』で総合2連覇を達成した、青山学院大学陸上競技部・長距離ブロック監督の原晋が特別ゲストとして出演[39]。 | |
4月30日 | 『笑点50周年記念スペシャル』(同年5月15日放送)の収録が行われ、歌丸が同年5月22日の生放送を最後に司会の引退を表明する。引退後は終身名誉司会へ就任し、派生番組の『もう笑点』への出演を継続した[40][41][42]。 | |
5月15日 | 放送開始から丁度50年となるこの日に、『笑点50周年記念スペシャル』を放送。記念大喜利の他に、笑点50年の歴史を歌丸を中心として振り返る企画が行わた。 | |
5月22日 | 『笑点歌丸ラスト大喜利スペシャル』を放送(17:30-18:55の拡大放送)。 番組終盤に歌丸最後の大喜利を生放送で行い[注 56]、歌丸が勇退。エンディングで、昇太が6代目の司会に昇格することが歌丸から発表された[10]。 | |
5月29日 | 『新メンバー&24時間テレビランナー発表スペシャル』を前週に続き生放送で放送(オープニング後に第2515回と表示された)。 新メンバーとして2代目三平が初登場し、生放送で大喜利を行った(前週で全員の座布団が全部(35枚)没収されたため、2代目三平を含め全員座布団0枚からスタート)。 番組終盤に、当年の24時間テレビ総合司会の羽鳥慎一・水卜麻美(水卜は日本テレビアナウンサー)が登場し、24時間テレビチャリティーマラソンランナーをたい平が務める事が羽鳥から発表された。 | |
8月27日 | たい平が24時間テレビ39 「愛は地球を救う」のチャリティーマラソンに挑戦。スタート地点に昇太と好楽以外のメンバーが集合し、たい平の師匠であるこん平がスターターを務めた。 | |
8月28日 | 24時間テレビ内でチャリティー大喜利を実施(マラソン中のたい平は不参加)。その後、メンバーはマラソンゴール地点の日本武道館に移動し、こん平とともにゴールの瞬間を見届けた。また、24時間テレビ終了直後の「行列のできる法律相談所」の生放送にも、メンバー全員が出演した。 | |
2017年 (平成29年) |
1月8日 | 番組連動データ放送開始 |
11月5日 | 6代目円楽が大喜利の1問目で座布団10枚達成。その後、座布団を減らされたが、再度10枚達成した。このため、番組初の同一出演者が同一放送回での座布団10枚2回達成となった。 | |
12月10日 | 11月26日・12月3日放送分の2本撮り収録時に、前回(11月19日放送分)大喜利終了時の枚数ではなく間違った枚数(11月12日放送分終了時の枚数)で収録をしてしまい、そのまま放送されたことを、大喜利冒頭で司会の昇太が謝罪。これについては「『笑点』史上初の不祥事」と説明された[注 57](なお、先だって当該11月26日放送冒頭においても、昇太から説明と謝罪がされていた)。 | |
2018年 (平成30年) |
4月1日 | 放送日にちなんだエイプリルフール企画[注 58]として、6代目円楽が大喜利司会を務め、昇太が2016年5月22日放送回(『笑点歌丸ラスト大喜利スペシャル』)以来となる回答者を務めた。なお、昇太はレギュラー回答者時代に座っていた4枠ではなく、6代目円楽とそのまま入れ替わって5枠に座り[43]、前回までに6代目円楽が獲得した座布団の枚数を一時的に引き継いだ。 |
7月2日 | 終身名誉司会者の歌丸が慢性閉塞性肺疾患のため死去。 | |
7月8日 | 歌丸追悼特集を行う。 |
放送局・配信元
現在
テレビ
- 笑点は、アナログ放送がVHF局しかなかった時代から、完全地上デジタル放送化された現在も続く長寿番組である。アナログ放送時代UHF局だった局は全て、当該地域でそれまで放送していた放送局からのネット局変更が行われた。
- 40分番組時代には、オープニングのあとにネット局のテロップロールが流れていた。
- 2016年時点で放送されていない都道府県は、日本テレビ系列局が無い佐賀県のみである。 なお、佐賀県の大部分の地域では福岡放送およびくまもと県民テレビや長崎国際テレビで視聴可能。
- 下の表で放送開始年が「※」なのは、1966年(昭和41年)5月の番組開始から放送している局。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 放送時間 | 備考 | 放送開始年月日 |
---|---|---|---|---|---|
関東広域圏 | 日本テレビ(NTV) | 日本テレビ系列 | 日曜 17:30 - 18:00 |
制作局 | ※ |
北海道 | 札幌テレビ(STV) | 同時ネット | 1966年10月23日[44] | ||
青森県 | 青森放送(RAB)[注 59] | [45] | |||
岩手県 | テレビ岩手(TVI)[注 60] | 1969年12月 | |||
宮城県 | ミヤギテレビ(MMT) | 1970年10月[注 61] | |||
秋田県 | 秋田放送(ABS) | 1967年3月5日[46] | |||
山形県 | 山形放送(YBC)[注 59] | 1968年6月2日[47] | |||
福島県 | 福島中央テレビ(FCT) | [注 62] | |||
山梨県 | 山梨放送(YBS) | 1975年4月[注 63] | |||
新潟県 | テレビ新潟(TeNY) | 1981年3月29日[注 64] | |||
長野県 | テレビ信州(TSB)[注 65] | 1991年4月7日[注 66] | |||
静岡県 | 静岡第一テレビ(SDT) | 1979年7月 | |||
富山県 | 北日本放送(KNB) | ※ | |||
石川県 | テレビ金沢(KTK) | 1990年3月25日(サービス放送開始の日から) | |||
福井県 | 福井放送(FBC) | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列[注 67] |
※ | ||
中京広域圏 | 中京テレビ(CTV)[注 65] | 日本テレビ系列 | 1973年4月 | ||
近畿広域圏 | 読売テレビ(ytv) | ※ | |||
鳥取県・島根県 | 日本海テレビ(NKT) | 1972年10月 | |||
広島県 | 広島テレビ(HTV) | 1974年4月[48] | |||
山口県 | 山口放送(KRY)[注 59] | ※ | |||
徳島県 | 四国放送(JRT)[注 68] | 1988年[49] | |||
香川県・岡山県[注 69] | 西日本放送(RNC) | 1968年5月[50] | |||
愛媛県 | 南海放送(RNB) | 1976年4月、最初の1年間は一週遅れの17:00-17:40に放送 | |||
高知県 | 高知放送(RKC) | ※ | |||
福岡県[注 70] | 福岡放送(FBS) | 1969年4月 | |||
長崎県 | 長崎国際テレビ(NIB) | 1991年4月 | |||
熊本県 | くまもと県民テレビ(KKT) | 1982年4月 | |||
鹿児島県 | 鹿児島読売テレビ(KYT) | 1994年4月 | |||
大分県 | テレビ大分(TOS) | 日本テレビ系列 フジテレビ系列 |
土曜 16:30 - 17:00 |
遅れネット | 1970年4月[注 71] |
宮崎県 | テレビ宮崎(UMK) | フジテレビ系列 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
土曜 17:00 - 17:30 |
2008年。番組販売扱い[注 72] | |
沖縄県 | 琉球放送(RBC) | TBS系列 | 土曜 16:00 - 16:30 |
2013年4月[注 73] |
インターネット配信
- Hulu…日本テレビでの放送終了後、順次配信(『24時間テレビ』PART9〈日曜17:23 - 19:00〉内での放送回のほか、レギュラー放送でも一部配信されない回がある)。
日本国外
- テレビジャパン (NHKワールドTVのアメリカ地域向け放送)
- 放送時間 (いずれも現地時間)
- 本放送
- 日曜 21:15 - 21:40 (アメリカ東部)
- 日曜 18:15 - 18:40 (アメリカ西海岸)
- 日曜 16:15 - 16:40 (ハワイ、ただしアメリカ本土の夏時間期間中は15:15開始)
- 再放送
- 同じ週の土曜日 (ハワイのみ時差により金曜日)
- 本放送
- 放送時間 (いずれも現地時間)
2005年(平成17年)4月10日放送開始。番組中のCMはカットされている。
過去の放送局
系列は現在の系列。◎は日本テレビ系新局開局やネットチェンジにより終了した局。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 放送時間・遅れ | 備考 |
---|---|---|---|---|
岩手県 | IBC岩手放送 (IBC) | TBS系列 | 不明 | ◎1969年11月まで放送 |
宮城県 | 東北放送 (TBC) | 遅れ幅不明 日曜16:00 - 16:40(1968年4月 - 1968年12月) →日曜16:30 - 17:10(1969年1月 - 1970年9月) |
◎1968年4月から1970年9月まで放送 | |
福島県 | 福島テレビ (FTV) | フジテレビ系列[注 74] | 同時ネット | ◎1971年9月26日[51](TBS系列加盟および福島中央テレビとのNNS・FNSネット局交換)まで放送 |
新潟県 | 新潟総合テレビ (NST) | フジテレビ系列[注 75] | 同時ネット | 1968年12月1日(開局前のサービス放送開始時)から1971年9月26日まで放送[注 76] |
新潟放送 (BSN) | TBS系列 | 6日遅れ 土曜13:00開始[52] |
◎1981年3月28日[注 77]まで放送 | |
長野県 | 信越放送 (SBC) | 1975年10月12日から1982年3月28日まで同時ネット、1982年4月10日から1991年3月30日まで土曜12:00 - 12:40、6日遅れ | ◎1975年10月12日から1991年3月30日[注 78]まで放送[53] | |
静岡県 | 静岡放送 (SBS) | 日曜13:15 - 13:55→土曜12:00 - 12:40 | ◎1979年3月まで放送 | |
静岡朝日テレビ (SATV)[注 79] | テレビ朝日系列[注 80] | 火曜0:20 - 1:00(月曜深夜) | ◎1979年(昭和54年)4月から3カ月間のみ放送 | |
石川県 | 北陸放送 (MRO) | TBS系列 | 不明 | 移行時期不明 |
石川テレビ (ITC) | フジテレビ系列 | 2週遅れ 日曜17:05 - 17:45[54]→日曜15:00 - 15:40→土曜16:00 - 16:40 |
◎1990年2月末まで放送、テレビ金沢では1990年3月25日のサービス放送から放送開始。 | |
中京広域圏 | 名古屋テレビ (NBN) | テレビ朝日系列[注 81] | 同時ネット | ◎1973年3月まで放送 |
鳥取県・島根県 | 山陰放送 (BSS) | TBS系列 | 日曜15:00 - 15:40→土曜16:00 - 16:40 | 1972年9月(日本海テレビが島根県で放送開始)まで放送 |
福岡県 | RKB毎日放送 (RKB) | 不明 | ◎1969年3月まで放送[注 82] | |
長崎県 | 長崎放送 (NBC) | 不明 | ◎1969年3月まで放送 | |
テレビ長崎 (KTN) | フジテレビ系列[注 83] | 土曜17:20 - 18:00 | ◎1990年9月まで放送[注 84] | |
大分県 | 大分放送 (OBS) | TBS系列 | 不明 | ◎1970年3月まで放送 |
熊本県 | 熊本放送 (RKK) | 不明 | ◎1969年3月まで放送 | |
テレビ熊本 (TKU) | フジテレビ系列[注 85] | 日曜17:00 - 17:40 | ◎1982年3月まで放送 | |
宮崎県 | 宮崎放送 (MRT) | TBS系列 | 不明 | ◎1970年3月まで放送[注 86] |
鹿児島県 | 南日本放送 (MBC) | 不明 | ◎1969年3月まで放送 | |
鹿児島テレビ (KTS) | フジテレビ系列[注 87] | 不明 | ◎1994年3月まで放送 | |
沖縄県 | 沖縄テレビ (OTV) | フジテレビ系列 | 7日遅れ→9日遅れ 日曜13:30-14:10→日曜13:00-13:40→水曜0:30-1:10(火曜深夜) |
まで放送 |
派生番組
レギュラー番組
BS笑点・笑点Jr.
2003年(平成15年)10月12日から2007年(平成19年)2月17日までBS放送BS日テレで兄弟番組として若手中心の『BS笑点』を放送した。
2007年4月からはCSに移転し、CS放送日テレプラス(放送開始当時は日テレプラス&サイエンス)で『笑点Jr.』として2007年(平成19年)4月22日から2011年(平成23年)3月13日まで放送した。
現大喜利メンバーの春風亭昇太と林家たい平は、この番組の出身。現司会者の桂歌丸はナビゲーターとして出演し、笑点の現アシスタントである三遊亭愛楽もこの番組に出演していた。
笑点デラックス
2012年(平成24年)10月1日から2016年(平成28年)9月26日まで、毎週月曜19:00 - 19:54にBS日テレにて放送。過去のアーカイブの演芸、および大喜利を厳選して放送する。
笑点 特大号
2013年(平成25年)4月3日より毎週水曜21:00 - 21:54にBS日テレにて放送開始。「大喜利」のディレクターズ・カット版や新規撮影した「演芸」「大喜利」などを放送する。
笑点 なつかし版
2016年(平成28年)10月10日より毎週月曜・火曜19:00 - 19:54にBS日テレにて放送開始。月曜は5代目圓楽司会時代、火曜は歌丸司会時代の「笑点」を再放送。2018年度からは毎週火曜・水曜の同じ時間に変更となり、歌丸司会時代の放送が引き続き火曜に、5代目圓楽司会時代の放送が水曜に放送されている。
もう笑点
2016年4月開始。毎週日曜17:25 - 17:30に日本テレビと南海放送[注 88]の2局で放送。笑点開始前の前説的ミニ番組。開始当初は歌丸の部屋にメンバーが訪ねるという設定のもと、歌丸が笑点メンバー1人(山田含む)と落語や寄席に関する事や、番組に関連したちょっとした会話・雑談をする内容であった。当番組スタート時、歌丸は番組司会として出演していたが、2016年5月の司会降板後も同番組には『終身名誉司会』の肩書きで続投していた。
- 2018年4月1日放送分からは、『おひとりさま大喜利』と銘打ち、笑点の舞台でメンバー1人が歌丸から出される大喜利のお題に答える形式に変更された。
2018年7月2日に歌丸は死去。前日の7月1日放送の三平との回が生前最後のテレビ出演となった。死去直後の7月8日放送分は、歌丸追悼スペシャルの事前番組として内容を変更して放送。翌週7月15日放送分から7月29日放送分までは、歌丸入院前の同年4月に収録済で、生前に放送されていなかったものを放送していた。
2018年8月5日放送分以降は、歌丸に代わって番組司会の昇太が進行を担当。
特別番組
24時間テレビ・チャリティー笑点
1988年(昭和63年)から『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』内で毎年日曜17時20分頃から18時過ぎまで生放送される。放送回数には含まれない。
通常の放送と同様に演芸と大喜利3本で構成されているが、大喜利メンバーの挨拶を演芸前に行なったり、大喜利の1問目と2問目の間にコマーシャルが挿入されたりするなど、一部の構成が異なる。なお一時期は放送時間は不定で、メンバーの挨拶→CM→大喜利1本という短さで構成されていた。2005年以降から現在の構成となる。
大喜利では座布団が一番多かったメンバーには栄誉(拍手)が送られる。過去の大喜利では、「座布団1枚につき1万円を募金」という特別ルールがあり、募金をさせるためにつまらない答えでも座布団を減らされることなく大盤振る舞い、メンバーが募金を嫌がるというやりとりが見られたため、視聴者から苦情が殺到した[55]。そのため1991年(平成3年)以降はこのルールがなくなり、笑点メンバー全員が募金をする様子を大喜利前に放送している。
2005年(平成17年)以降はその年のパーソナリティーらが出演する場合もある。
- 2005年(平成17年)の放送では、演芸にアンガールズ(山根良顕・田中卓志)が出演。SMAPの草彅剛が大喜利の座布団運びを務めた。
- 2006年(平成18年)の放送では、演芸にナポレオンズが出演。
- 2007年(平成19年)の放送では、演芸にタカアンドトシが出演。座布団運びをタッキー&翼の滝沢秀明が務め、滝沢とのツーショット写真が大喜利での「豪華賞品」となった。
- 2008年(平成20年)の放送では、演芸にチュートリアルが出演。
- 2009年(平成21年)の放送では、演芸にネプチューンが出演。
- 2010年(平成22年)の放送では、「チャリティー笑点」放送前の14時台に6代目円楽がメイン会場の日本武道館を訪れ、師匠・5代目圓楽との想い出を語った。演芸には森三中が出演。
- 2011年(平成23年)の放送では、演芸にマギー審司が出演。真矢みきが大喜利の座布団運びなど、歌丸の補佐役を務めた。
- 2012年(平成24年)の放送では、演芸にマギー司郎が出演。黒木瞳が大喜利の座布団運びなど、歌丸の補佐役を務めた。
- 2013年(平成25年)の放送では、演芸にマギー司郎・マギー審司が出演。上戸彩が演芸に参加したほか、大喜利の座布団運びなど、歌丸の補佐役を務めた。
- 2014年(平成26年)の放送では、演芸にナポレオンズが出演。杏が演芸に参加したほか、大喜利の座布団運びなど、歌丸の補佐役を務めた。また大喜利終了後にはかつての大喜利メンバーであるこん平がメイン会場の日本武道館を訪れ、10年ぶりに生放送でチャラーンを武道館に来た3000人の来場者と一緒に生で行った。
- 2015年(平成27年)の放送では、演芸にマギー司郎・マギー審司が出演。松下奈緒が演芸に参加したほか、大喜利で歌丸の補佐役を務め、Hey! Say! JUMP・NYCの山田涼介が大喜利の座布団運びを務めた。こん平が11年ぶりに笑点舞台のかつての自身の席に正座で座り、チャラーンを2回行った。
- 2016年(平成28年)の放送では、演芸にナポレオンズが出演。波瑠が演芸に参加したほか、大喜利で昇太の補佐役を務めた(3問目のみ)。また大喜利時は、チャリティーマラソンランナーのたい平の席は空席のまま進行され、チャリティーマラソンの様子もワイプ画面で随時中継された。
- 2017年(平成29年)の放送では、演芸にマギー司郎・Mr.マリックが出演。石原さとみが演芸に参加したほか、大喜利の座布団運びなど、昇太の補佐役を務めた。
1988年と1989年は日本武道館からの生放送(2分間のCMの間にセットを組んだという)、1990年からは銀座・旧日産本社ギャラリー前広場、JCB旧本社(お茶の水スクエア)などからの生中継だった。2003年(平成15年)から2010年(平成22年)までは汐留・日本テレビタワー特設スタジオから生中継された。2011年(平成23年)以降は日本テレビ麹町Gスタジオからの生中継となっている。日本テレビタワー特設スタジオ時代までは襖のデザインが24時間テレビのロゴが入った特別仕様だったが、Gスタジオに移行してからはレギュラー放送と同じデザインが使用されている。
おはよう笑点
1998年(平成10年)から2007年(平成19年)までの1月2日に箱根駅伝中継が始まる前の時間帯に『おはよう笑点』を放送した。
大笑点
2006年(平成18年)から2008年(平成20年)までの1月1日に新春スペシャルとして、『大笑点』を放送した。
笑点緊急追悼特番 ありがとう 円楽さん
5代目三遊亭圓楽の逝去に伴う追悼特番。2009年(平成21年)11月1日16:55 - 17:25に日本テレビ、読売テレビで放送。後に2010年(平成22年)1月3日16:30 - 17:00にBS日テレで放送された。
桂歌丸を司会に落語「弥次郎」(2000年(平成12年)1月9日放送分の再放送)、大喜利(1988年(昭和63年)3月6日放送分・2001年(平成13年)2月11日放送分・1988年(昭和63年)4月3日放送分(若竹での収録))の様子が流れた(ハイビジョン放送)。
また、その翌週の2009年(平成21年)11月8日には急遽予定を変更して「ありがとう円楽さん!笑点メンバーお別れ会」が放送された。
笑点!お正月だよ!大喜利祭り
新春特番自体は開始当初から行われており、1990年代まではゲストを招いた大喜利とメンバーの初春口上だけであったが、90年代末期に入るとロケ企画や演芸コーナーも盛り込まれるようになる[56]。2006年からは「大笑点」が放送されていたが、同番組に代わり、2009年(平成21年)以降の元日、16:00 - 18:00に、大喜利を中心とした内容の2時間特番が放送されている。
- レギュラーメンバーによる口上 - 各メンバーはその年の干支にちなんだ口上を述べる。口上が終わったあとは鏡割りを行う。なお、2008年以前は新年最初のレギュラー放送の回で行われていた。この口上は番組開始当初から行われており、三波時代には口上に続いて笑点メンバーが歌舞伎や舞を披露した[56]。
- 寿大喜利 - 2部制。前半は正月にちなんだ大喜利、後半はメンバーがその年の干支に因んだ衣裳に仮装して大喜利を行う。
- ほか、ゲストを迎えての東西大喜利、振袖大喜利、ものまね大喜利などが行われる。演芸コーナー(漫才、マジックが多い)も用意されている。
ザ・富士山
2011年(平成23年)5月6日に『金曜スーパープライム』枠で『ザ・富士山 大解剖スペシャル!!』を放送した。ここでは、大喜利メンバーが富士山にちなんだ大喜利を披露。ナレーションは平野義和。
あのニュースで得する人損する人とのコラボレーション
大喜利メンバーと桂歌丸が人間ドックを受診する様子が2015年4月9日の『あのニュースで得する人損する人』2時間スペシャルで放送された。番組内では、笑点メンバーと得損メンバーのペアによる大喜利が開催された。得損メンバーはペアを組む笑点メンバーと同じ色の色紋付を着用した。 お題は1問のみで、第2403回(2014年2月23日放送分)の大喜利一問目と同じお題が出題された。
BS笑点ドラマスペシャル 桂歌丸
2017年(平成29年)10月9日にBS日テレにて、歌丸の半生を描いた2時間のスペシャルドラマ『BS笑点ドラマスペシャル 桂歌丸』(19:00 - 20:54)が放送された。主人公の歌丸(椎名巌)役を尾上松也(歌舞伎役者)が演じた[57]ほか、祖母役を泉ピン子、妻・富士子役を水川あさみがそれぞれ演じた[58]。また、現役の笑点メンバー8名も随所に登場している。
また、2018年7月2日の歌丸逝去に伴い追悼番組として、7月11日(水曜日)20:00 - 21:54の枠にて再放送された[59]。
笑点桂歌丸師匠ありがとうスペシャル
5代目司会者でもあった桂歌丸の逝去に伴う追悼特番。2018年(平成30年)7月8日は、内容を変更し「桂歌丸師匠 ありがとうスペシャル」(17:30-18:00、第2620回)を放送[60]。
前半は歌丸が出演した過去の大喜利の映像を出演者全員で振り返り、後半はメンバー全員による追悼大喜利を放送した[61]。
ミスター笑点 桂歌丸追悼特番
2018年(平成30年)7月12日(木曜日)19:00 - 20:54に放送された特別番組。司会の桝太一、水卜麻美と現在の出演者8人が桂歌丸の生い立ち、歌丸最後の出演となった2016年5月22日[注 89]の生放送の裏側、笑点出演の回答者から司会者時代などの半生をトークを交えて行った。スタジオのセットには歌丸が番組で着用していた色紋付や、歌丸の写真・人形などが飾られていた。たい平はスケジュールの関係により、19:30頃に途中退席した[62]。平均視聴率は10.7%(関東地区・世帯・リアルタイム、ビデオリサーチ調べ)を記録[63]。
嵐にしやがれ「笑点記念館」
2018年(平成30年)7月28日放送『嵐にしやがれ』に笑点メンバー全員(三平を除く)が出演し、『笑点』の番組52年の歴史を振り返る企画として「笑点記念館」が行われたほか、笑点メンバーと嵐(大野智、櫻井翔、相葉雅紀、二宮和也、松本潤)による大喜利が行われ、「あらし」を題にあいうえお作文が出題された[64]。なお、嵐メンバーの座り順と着物の色は、左から大野(水色)、二宮(黄)、櫻井(赤)、相葉(緑)、松本(薄紫)、の順であった。
スタッフ
- 構成:遠藤佳三、城啓介、三木睦郎、佐藤かんじ、会沢展年、小林哲也、菊池裕一、山田浩康、宮﨑牛丼、堀江里光
- 音楽:中村八大
- アニメ:竹内大三
- 題字:橘左近
- TM:新名大作
- TD:飯島章夫、三沢津代志、篠原昭浩、萩野谷直樹、川村雄一、牛山敏彦、明庭保昭、高橋卓
- 照明:内藤晋、下平好実、小川勉、坂口尚真、真壁弘、木崎弘之、梶田彩華、田口佑人、帯金貴子
- SW(映像):宮崎和久(以前はカメラ)、安藤康一、吉田健治
- カメラ:田代義昭、吉田健治、赤澤知弘、後村武、中村将直、佐藤信
- 音声:酒井孝、山口直樹、白水英国、村瀬脩一、依田真和、鈴木里美
- PA:木本文子
- 美術:大住啓介
- 美術進行:櫻場千尋
- 大道具:赤木直樹、峰崎俊輔
- 装置:田村佳久、紫藤翼
- 装飾:佐々木洋平、伊藤純一
- 衣裳:栗田佐智子、村上紘美
- 美粧:外山奈津子、星野沙紀
- 編集:村上友佳子、春木美保
- 整音:小林陽子
- 集客:久住亮二、広畑尚哉
- 音効:吉田茂、宮川素子
- TK:中村ひろ子
- デスク:田口美和子
- AD:山口裕之、福田拓也、五十嵐くるみ
- AP:小森佳代、奥山知美(以前はデスク)
- 制作協力:ユニオン映画、AX-ON
- ディレクター:高木裕司(ユニオン映画)、加藤健太(AX-ON)
- プロデューサー:福田一寛(日本テレビ)、飯田達哉・大畑仁(ユニオン映画、共に以前はディレクター)
- 統轄プロデューサー:倉田忠明(日本テレビ)
- チーフプロデューサー:東井文太(日本テレビ)
- 製作著作:日本テレビ
歴代のスタッフ
- 構成:新野隆司、山崎惟章、ギャグ工房、栗田悌志、新倉イワオ、鈴木重夫、山西伸彦、横山誠一、内海譲司
- アニメ:エレホン企画、マルチボックス
- 題字:橘右近
- TM:北野政憲、古井戸博、石塚功
- TD:柴田康弘、山岸真、片柳幸男、青木健二、岩本公平、田村好彦、江頭恭二、菅谷典彦
- 技術・SW:田口勝夫
- 調整:矢田部昭
- 照明:渡辺一成、蜂谷道雄
- 編集:青木健、大森美佳子
- 整音:駒路健一
- 音効:恩田佳代子
- 美術:伊東清、石川啓一郎、大竹潤一郎
- 美術制作・デザイン:磯村英俊
- 小道具:渡辺勇二
- 衣裳:佐々木皖子
- 装飾:丸山善之
- 人形デザイン:辻下浩二
- 企画:小暮美雄
- AD:古賀香澄、小川愛
- AP:中野留理子、菅原由芳、梅沢佳代
- ディレクター:加藤輝男、立壁久泰・江間保隆・梅原高実・親松豊(ユニオン映画)、中西健・鬼頭直孝・上田崇博・末延靖章・岩沢錬・中田志保(日本テレビ)
- プロデューサー:小里光・本多益幸・尼崎昇・中村元気・江口義明・中西健・鬼頭直孝・岩沢錬(日本テレビ)/小暮美雄・中野留理子・加藤晋也(ユニオン映画)
- ラインプロデューサー:鈴木雅人(日本テレビ、以前はプロデューサー → チーフプロデューサー)
- 統轄プロデューサー:中村博行(日本テレビ、以前はプロデューサー)
- チーフプロデューサー(制作):北村光雄・中島銀兵・吉田勲明・吉岡正敏・佐野讓顯・吉田真・馬場寛・梅原幹・菅賢治・松崎聡男・安岡喜郎・糸井聖一(日本テレビ)
- 制作協力:現代センター
※また地方収録の時はその地域の系列局の技術スタッフ、ディレクター、プロデューサーが携わることがある。なおかつては地方収録時は日本テレビとその地域の系列局が共同で製作・著作していたが、現在はその地域の系列局は制作協力扱いとなっている。
巡回展
番組放送50周年を記念して、2016年4月より全国各地(高島屋が中心で、高島屋がない地域はそれ以外の百貨店など)で、巡回展「笑点 放送50周年特別記念展」が各地で開催され、「笑点商店」として番組放送50周年記念グッズなどの販売が行われた[65][66]。また、「放送50周年特別記念展」が行われた関東・関西2店舗よりも、催事場の規模が小さい高島屋などを対象に、展示スペースを一部縮小・または展示のない物販のみの形で「笑点商店フェア」を開催している[67]。現段階で、中部地方・四国以外ではいずれも開催実績がある[注 90]。
- 笑点 放送50周年特別記念展
- 2016年4月27日 - 5月9日:高島屋日本橋店(東京都中央区)
- 2016年7月20日 - 7月31日:高島屋京都店(京都府京都市下京区)
- 2016年8月3日 - 8月15日:高島屋横浜店(神奈川県横浜市西区)
- 2016年8月24日 - 9月5日:高島屋大阪店(大阪府大阪市中央区)
- 2016年12月27日 - 2017年1月3日(除:1月1日):うすい百貨店(福島県郡山市)
- 2016年1月5日 - 1月10日:藤崎(宮城県仙台市青葉区)
- 2017年4月25日 - 5月7日:福岡三越(福岡県福岡市中央区)[注 91]
- 2017年8月3日 - 8月14日:東急百貨店さっぽろ店(北海道札幌市中央区)
- 笑点商店フェア
- 2016年9月14日 - 9月19日:高島屋立川店(東京都立川市) - 展示と物販の両方を開催
- 2016年10月26日 - 10月31日:高島屋柏店(千葉県柏市) - 展示と物販の両方を開催
- 2017年1月18日 - 1月24日:高島屋大宮店(埼玉県さいたま市大宮区) - 物販のみ開催
- 2017年3月8日 - 3月20日:高島屋岡山店(岡山県岡山市北区) - 展示と物販の両方を開催[68]
- 2017年4月7日 - 4月21日:まるごとにっぽん(東京都台東区) - 展示と物販の両方を開催
- 2017年5月19日 - 5月30日:高島屋米子店(鳥取県米子市) - 展示と物販の両方を開催
- 2017年7月26日 - 7月31日:高島屋高崎店(群馬県高崎市) - 展示と物販の両方を開催
DVD等
- 『笑点 大博覧会 DVD-BOX』(2005年11月23日発売)
- 『笑点 ありがとう円楽さん! 〜五代目 三遊亭円楽を偲ぶ映像集〜』(2009年12月23日発売)
- 歌丸の地元・横浜にある放送ライブラリーでは1980年10月5日放送分(上記)[69]と2001年(平成13年)10月28日放送分[70]の閲覧が可能となっている。
関連書籍
- 『笑点』 日本テレビ放送網、ISBN 978-4820399551
- 『笑点第1号』 日テレムック、ISBN 978-4820300021
- 『笑点第2号』 日テレムック、ISBN 978-4820300106
- 『笑点第3号』 日テレムック、ISBN 978-4820300175
- 『笑点第4号』 日テレムック、ISBN 978-4820300250
- 『笑点の謎』 ISBN 978-4309264547
- 『笑点 諸国お笑い漫遊記』 ISBN 978-4309267098
- 電子書籍
- 50周年記念 完全保存版 『笑点』大研究(2016年8月19日)[71]
脚注
注釈
- ↑ 新春スペシャル等は日本テレビ麹町分室にて収録される。東日本大震災の影響により後楽園ホールで収録できなくなった際にも、2011年(平成23年)5月分5本(45周年記念口上も含む)と6月分1本の計6本の収録を麹町分室にて行われた。また、2016年5月22日の『歌丸ラスト大喜利スペシャル』と同年5月29日の『新メンバー&24時間テレビマラソンランナー発表スペシャル』大喜利は、麹町スタジオから生放送された。
- ↑ なお、全国放送でないものでは1962年9月に放送が始まった『よしもと新喜劇』(毎日放送)が最長寿となる。
- ↑ 字幕は、司会(現在は昇太)の声が黄色、アナウンサー大喜利の司会の声若しくは演芸ゲストが2人いる場合そのうち一人の声が水色、3人以上の場合さらにもう1人の声が緑色で表示される。開始当初は日本テレビ、読売テレビ、福岡放送など極少数の局でしか行われていなかった(当時は民放各局の字幕放送番組が現在よりも少なかった)が、1998年までにすべての同時ネット局で実施するようになった。
- ↑ 4.0 4.1 2009年(平成21年)11月8日放送の5代目圓楽追悼の回では放送日が収録直後だったこともあり、リアルタイム字幕放送を実施。解説放送は行わなかった。
- ↑ 2010年(平成22年)4月4日(第2210回)からは、解説放送のナレーター(NTVアナウンサー)が自己紹介するようになった。
- ↑ 通常は17:30 - 17:58まで。
- ↑ 通常は17:30 - 18:00まで。
- ↑ 龍角散の一社提供は日本テレビのみ。なお龍角散はBSの派生番組(『笑点デラックス』・『笑点なつかし版』・『笑点 特大号』)にもスポンサーに入っており、また地上波の正月特番にもスポンサーを務めている。
- ↑ 2015年7月26日(第2475回)放送回は日本テレビ女性アナウンサーペア大喜利の代理司会を担当。
- ↑ 番組の雰囲気を変える目的で若手の噺家に座布団運びを任せるためスタッフが意図的に山田を休ませたものだが、かえって番組のテンポが悪くなってしまったため4回休んだだけで復帰となったことを山田自身が『笑点五〇年史』で明らかにした。
- ↑ ただし、これは表向きの理由であり、実際上は番組路線の転換を巡ってのスタッフとの関係悪化・出演者総入替え後の視聴率の低迷・度重なる収録不参加の責任を問われており、事実上の解任に近い降板であったとされる。
- ↑ 歌丸は自身の著書『極上歌丸ばなし』で前田がわずか1年で司会を降りることになった理由につき、「前武さんじゃ、落語家のシャレが通じないんですよ。とにかくやりにくくってしょうがない。局側も(それに)気がついたんでしょうね」と述懐している[15]。
- ↑ この後2週のスペシャルが挟まれるが放送回数には含まれていない。
- ↑ オープニングでの出演者クレジットは同回以降も継続。
- ↑ 8月23日の24時間テレビには出演。
- ↑ 2014年(平成26年)5月4日放送では、当時若手大喜利レギュラーメンバーかつ落語立川流である立川晴の輔(旧高座名:志の吉)が前年2013年(平成25年)12月1日に真打昇進したため、晴の輔も落語協会・落語芸術協会の新真打とともに襲名披露に出演した。ただし、師匠の立川志の輔をはじめ、落語立川流から関係者の出演はなかった。
- ↑ この際、進行役から「本来新真打はこの場(=襲名披露口上)では言葉を発しないのですが」などの前置きがされる。寄席の披露口上では、本人が主任をとることで挨拶に代えるため。
- ↑ 手塚は立川談志の友人だった関係で出演した。
- ↑ 19.0 19.1 2015年7月26日(第2475回)放送分(日本テレビ女性アナウンサーペア大喜利)、2016年1月3日放送分(手相大喜利)は休止。11月1日 - 12月20日放送分は笑点カレンダーの告知のため休止。
- ↑ 鈴木より改姓。
- ↑ 葉山より改姓。
- ↑ 上重は硬式野球(PL学園高 - 立大)、山本はサッカー(柏レイソルユース - 明大)、佐藤はラグビー(慶応普通部)やスキー(慶応高)、中野はテニス(明大)の経験者。
- ↑ 藤井も鈴木と同じ枚数でトップとなったが「司会者の席の近い方」の鈴木のみ賞品獲得となった。
- ↑ 2013年10月23日放送の『笑点 特大号』「本日の楽屋」コーナーでは、負けチーム用の千社札(上重は「甲子園」、中野は「テニス」、山本は「長友の後輩」)が披露された。これらについては歌丸の優しさにより、後日上重らにも贈呈された。
- ↑ 出演当初は春風亭あさ市
- ↑ 出演当初は春風亭柳八
- ↑ 出演当初は立川笑志
- ↑ 出演当初は林家きくお
- ↑ 当初は2011年(平成23年)4月10日放送予定分の若手大喜利の収録を3月12日に予定していたが、東日本大震災により延期。後に麹町分室にて収録した。4月10日放送予定分の収録は、長崎市公会堂で収録(放送では長崎市公会堂とはアナウンスされず)した歌丸の落語「つる」に変更。
- ↑ いずれも米朝一門。
- ↑ 文左衛門も2代目木久蔵と同じ枚数でトップとなったが、「2代目木久蔵のお父さんにお世話になっている」という理由で、2代目木久蔵のみ賞品獲得となった。
- ↑ 大喜利メンバー史上最年少
- ↑ 噺家ではないが、2013年以降はジャニーズ事務所所属の男性アイドルグループ・TOKIOの城島茂(奈良県出身)も参戦(高齢になった笑福亭松之助に替わるリーダー格)。
- ↑ 2015年の桂雀々は米朝事務所退社後の出演。
- ↑ 桂小米朝より改名。
- ↑ 西軍初の女流メンバー。
- ↑ 林家染弥より改名。
- ↑ 後に2011年の東西大喜利に月亭方正として出演。
- ↑ 正確には神奈川県出身であるが、当時千葉県在住のため千葉県代表として出演。
- ↑ 木久扇と好楽のマネージャーは(それぞれの)自身の娘、山田のマネージャーは自身の息子である。
- ↑ 第1部は16:30 - 17:30。第2部は18:00 - 18:55。
- ↑ 同スペシャル本編にも出演。
- ↑ 後に2006年5月14日放送(第2016回)の40周年記念スペシャルや2009年以降の2009お正月スペシャルや出演者の交代時などの節目となる回のエンディングに使われている(かつては1年の最後の放送のエンディングにも使われていた)
- ↑ 過去には日テレの正式社章(「日」を模した楕円形)→なんだろう(当初は下に「40th」の文字が添えられていた)が添えられていた。開局55周年・60周年・65周年の時にはキャンペーンロゴも使われた。
- ↑ 現在の大喜利の襖の絵柄は2001年1月から使用している。また、現行のセットになったのは2002年1月で、通常回用と両サイドの壁が広く窓が丸になっているものの2種類があり、後者は新春スペシャルなどの際の『東西大喜利』など大人数での大喜利で使われる。 笑点Web 放送内容 第2350回 福島県郡山市での収録回。襖にしだれ桜(二本松市、三春町など、福島県内に多数の名所がある)が描かれている。
- ↑ 現在では日本での視聴率調査からはすでに撤退済み。
- ↑ ただし、歴代最高視聴率を記録したこの放送回の記録媒体は日本テレビに残っていないため2016年現在VTRを利用できない状況にある(2013年5月15日放送『1番ソングSHOW 日テレ60年伝説番組が生んだ名場面&名曲大連発スペシャル』)
- ↑ 放送直前にCM未放送問題が発覚したため、これについての発言は実際の放送ではカットされた。
- ↑ 49.0 49.1 ただしこのとき歌丸は体調不良で休演。冒頭の挨拶および1週目の大喜利の代理司会を木久扇、2週目の大喜利の代理司会を好楽が担当した。
- ↑ 50.0 50.1 歌丸が療養中であった為冒頭の挨拶を昇太とたい平、1週目の大喜利の代理司会を小遊三、2週目の大喜利の代理司会を円楽が担当した。
- ↑ 1997年の香港公演の特番冒頭に出演者から明かされた。
- ↑ 2016年5月15日放送で、日本テレビに現存する最古の映像(放送回)として紹介された。
- ↑ 「笑点」の報道特別番組による休止は2004年7月18日の「曽我ひとみ一家帰国関連」以来である。
- ↑ そのため冒頭の案内をやらずに、字幕で一部内容を変更した旨を伝えた上で、すぐ演芸に入った(翌週放送分の原口あきまさ・ホリのものまねも同様)。
- ↑ 当初は静止画で、後に動画に変更。
- ↑ 番組冒頭から中盤にかけて(後述するTOKIOとの大喜利対決、笑点50年間の事件簿をまとめた再現VTR、ナイツと歌丸のコラボ漫才)は事前収録。なお、急遽の生放送決定のため、中京圏でそれぞれ別々の落語会を当日開催した好楽・6代目円楽・たい平は名古屋からの移動のため遅れて出演(生放送の大喜利には間に合った)。
- ↑ 修正により座布団の枚数は小遊三・好楽・木久扇が1枚、たい平が2枚、六代目円楽が3枚増加。三平のみ枚数が正確だった。
- ↑ 日本テレビ系列の番組で同様の企画が行われた他の例として、前年同日に放送された名探偵コナンで、アバンタイトルや次回予告でのNext Conan's Hintが"名探偵ヘイジ"仕様に差替えられたことがある。
ほんのひきだし編集部 浅野 (2017年3月31日). “【名探偵ヘイジ】もろたで工藤!『名探偵コナン』が服部平次バージョンに次々変更!! | ほんのひきだし” (日本語). ほんのひきだし . 2018閲覧. - ↑ 59.0 59.1 59.2 一時期日本テレビ系列・テレビ朝日系列クロスネット局でもあったが引き続き放送。
- ↑ 2011年10月から水曜夕方の枠で再放送を行っている。
- ↑ 東日本放送が開局するまでは、日本テレビ系列とNET系列のクロスネット。クロスネット時代はNETの番組(『ビッグスポーツ』『朝日新聞テレビ夕刊』)を同時ネットしていたため、日曜12:15から(開局-1973年3月まで)→土曜16:30から(1973年4月-)のそれぞれ遅れネットだったが、1973年9月でいったん打ち切り。その後東日本放送の開局に伴うクロスネットの解消で、1975年10月に同時ネットでネット再開。
- ↑ 福島放送が開局するまでは、日本テレビ系列とテレビ朝日系列のクロスネット。また、1979年4月1日-1981年9月27日は『ANNニュースレーダー』(日曜日のみ)をネットしていたため遅れネット。
- ↑ 1978年3月までは毎週土曜17時20分の6日遅れネット。1978年4月からは同時ネット。
- ↑ それまで、当番組を放送していた新潟放送は、6日遅れの放送だった為、テレビ新潟は、開局前のサービス放送開始後のこの日から同時ネットし続けている。
- ↑ 65.0 65.1 ANN主体からNNNマストバイ局変更による。
- ↑ それまでは『ANNニュースレーダー』『ANNニュース&スポーツ』『530ステーション』を放送していた。
- ↑ 1989年4月からANNにも正式加盟したが、日本テレビ系優先のクロスネット局のためスポンサードネットでの放送を継続。かつては日本テレビ系列単独加盟でありながらANNともオブザーバー扱いで素材交換契約を結んでいたため、『ANNニュース&スポーツ』や『530ステーション』などのテレビ朝日の日曜夕方のニュースを1991年3月まで(1989年3月までは番組販売扱い)放送していたために6日後の土曜夕方に時差ネットしていたが、その後、自社番組などの放送を経て、本番組の30分化に伴って日本テレビとの同時ネットに移行している。
- ↑ 17:00から『日曜劇場』の遅れネットのため(現在も別時間で継続)、当初は土曜正午に時差ネットしていたが、現在は日本テレビとの同時ネットに移行している。
- ↑ 1983年(昭和58年)4月に西日本放送が岡山県に乗り入れるまでは岡山県では放送されていなかった(ただし、多くの地域でRNCもしくはNKT・ytv・HTVで視聴することは可能であった)。
- ↑ 佐賀県でも大部分で視聴可能。
- ↑ 時期によっては土曜 16:15 - 16:45に時差ネット(編成の関係で放送時間変更や休止される場合あり)。また、テレビ大分では未ネットである『FNSの日』当該日の日本テレビとの同時ネットも行われない(『FNSの日』当該日には『TOSニュース』を放送)。2011年4月から現在の放送時間。
- ↑ 日曜 17:00 - 17:40→火曜 11:15 - 11:45に時差ネット。1997年3月に一旦打ち切られたが(ただし2005年(平成17年)正月特番は放送)、2008年以降火曜10:45 - 11:15に放送を再開した。2010年4月に火曜11:15 - 11:45に移動し、2014年10月より現在の時間に移動。
- ↑ 2003年4月から2004年3月は月曜15:55-16:25で放送。その後、2013年4月から放送再開。放送日時の変更が多い。2016年10月1日放送後、放送休止状態。再度打ち切り
- ↑ ネット当時は日本テレビ系列
- ↑ ネット当時は日本テレビ系列およびNETテレビ系列とのトリプルネット
- ↑ NSTでのネット終了後は、NETテレビの夕方のニュースの同時ネットに切り替えた。
- ↑ 翌3月29日から、開局前のサービス放送中のテレビ新潟での同時ネットに移行。
- ↑ この月にテレビ信州が、それまでのテレビ朝日系列・日本テレビ系列(ただしNNSは非加盟)クロスネットから、日本テレビ系列へネットを一本化(NNS加盟)した。
- ↑ ネット当時の名称は「静岡けんみんテレビ (SKT)」。
- ↑ ネット当時はNNNにも加盟。
- ↑ ネット当時は日本テレビ系列(NNN、NNS加盟)メインであった。
- ↑ JNN基幹局でありながら、放送開始当時、福岡県に日本テレビ系列局がなかった事情から、同系列の番組もネットしていた。
- ↑ ネット当時はNNN系列とフジテレビ系列に加盟
- ↑ 同年10月にNNNを脱退したため、半年間長崎県では放送されなかったが、1991年4月に長崎国際テレビが開局して再開。
- ↑ ネット当時はNNN/NNSとANNにも加盟
- ↑ テレビ宮崎では開局と同時に放送を開始したが、途中で打ち切り・再開を繰り返していた。1997年3月で一旦放送は打ち切られたものの、2008年から放送を再開している。
- ↑ ネット当時はNNN/NNSにも加盟。1982年9月まではANNにも加盟
- ↑ 2017年10月1日・8日は「えひめ国体ダイジェスト」のため休止。
- ↑ 映像冒頭のテロップでは、2016年5月15日(50周年SPの放送日)と誤記されていた。また、『番組対抗かくし芸大会』の映像のナレーションは「1972年に放送された」と言っているが、正しくは1979年である。
- ↑ 高島屋だけでも、中部地方はジェイアール名古屋タカシマヤ・岐阜店、四国は伊予鉄高島屋が存在する。現段階では、高島屋以外の百貨店も含め開催されていない。
- ↑ 福岡市内には高島屋の施設として、博多リバレインモール by TAKASHIMAYAがあるが、こちらには催事場がない。
出典
- ↑ 50周年特別記念展のパンフレットにその旨記述あり。[注 2]
- ↑ “「笑点」50周年記念のフレーム切手セット発売”. お笑いナタリー (ナタリー). (2015年10月16日) . 2016閲覧.
- ↑ 1980年3月と4月の朝日新聞縮刷版にて確認済
- ↑ “現場リポート おそらく世界初!? 8Kで"番組収録"してみました。”. 日テレ・テクニカル・リソーシズ(NiTRo) (2016年1月19日). . 2016閲覧.
- ↑ 1966年5月15日 信濃毎日新聞 テレビ欄
- ↑ 1968年4月28日 信濃毎日新聞 テレビ欄
- ↑ 1968年5月5日 信濃毎日新聞 テレビ欄
- ↑ 1996年3月31日 信濃毎日新聞 テレビ欄
- ↑ 1996年4月14日 信濃毎日新聞 テレビ欄
- ↑ 10.0 10.1 “「笑点」6代目司会は春風亭昇太 恐縮「『え〜』と思いました」”. スポニチアネックス. (2016年5月22日) . 2016閲覧.
- ↑ “円楽「笑点」でテツandトモとコラボ「なんで…?」に答えた”. スポーツ報知 (2016年6月19日). . 2016閲覧.
- ↑ “「笑点」新メンバー・林家三平、着物は丁子(ちょうじ)色に決定”. スポーツ報知. (2016年5月29日) . 2016閲覧.
- ↑ “「笑点」大喜利の新レギュラーに2代目林家三平”. 日刊スポーツ. (2016年5月29日) . 2016閲覧.
- ↑ “林家三平 昇太に「独身チビ野郎」で座布団ゼロに”. デイリースポーツ. (2016年5月29日) . 2016閲覧.
- ↑ [1]
- ↑ 「笑点の謎」(河出書房新社)より
- ↑ 17.0 17.1 17.2 “【笑点50年 笑いのある人生】(5)演芸コーナー最多出演はマギー司郎の49回”. スポーツ報知. (2016年5月12日) . 2016閲覧.
- ↑ 18.0 18.1 18.2 笑点最大のタブー 大喜利の回答は放送作家が考えている?ライブドアニュース
- ↑ 『笑点』の裏側 台本は? リハーサルは?に木久扇が回答,ライブドアニュース
- ↑ 『笑点』に台本がある・ない問題の聞き込み取材でわかった、三遊亭円楽師匠の潔さ!BIGLOBEニュース
- ↑ 高田文夫著「TOKYO芸能帖 1981年のビートたけし」
- ↑ 『笑点五〇年史』 ぴあ、2016年。ISBN 978-4-8356-3118-9。 p.147
- ↑ 笑点Facebook 2016年3月13日付
- ↑ TOKIOスペシャルDAYS|日本テレビ
- ↑ ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』102ページ
- ↑ showtenntvの投稿(784007658304582) - Facebook
- ↑ 笑点Web 放送内容 第2371回 秋田県秋田市での収録回。襖に竿燈が描かれている。
- ↑ たい平、「笑点」で暴走しセットを破壊?スポーツ報知 2017年2月5日配信
- ↑ 歌丸の著書「極上歌丸ばなし」に記述あり。
- ↑ 当日付の新聞テレビ欄(読売新聞東京本社11版17面、朝日新聞東京本社11版11面、毎日新聞東京本社12版9面)にて確認。
- ↑ 31.0 31.1 1970年(昭和45年)1月27日の北海道新聞夕刊4面によると、1月31日に2月1・8日放送分を札幌中島スポーツセンターで収録予定だった。
- ↑ 日本テレビ放送網 『大衆とともに25年 -沿革史-』、1978年、156頁。
- ↑ 「笑点」最高視聴率は74年36.1% 座布団は立川談志さん考案 Sponichi Annex 2016年5月23日発行、同日閲覧)。
- ↑ 桂歌丸 肺疾患と肋骨骨折で入院 「笑点」収録も欠席 スポーツニッポン 2014年4月4日閲覧
- ↑ 林家木久扇さん、初期の喉頭がんで休養へ 「笑点」は代役立てず 産経新聞 2014年7月21日閲覧
- ↑ 桂歌丸、インフル感染し入院…「笑点」司会など今月いっぱい休養 サンケイスポーツ 2015年1月8日閲覧
- ↑ 三宅裕司&小倉久寛「笑点」コント延期に…「国際情勢を配慮」 スポニチアネックス 2015年1月26日閲覧
- ↑ 歌丸また「笑点」欠席へ…腸閉塞で入院、退院時期は未定 デイリースポーツ 2015年7月12日閲覧
- ↑ 「笑点 2016年4月24日(日)放送内容 価格.com・テレビ紹介情報、2018年5月9日閲覧
- ↑ 桂歌丸が「笑点」司会引退「体力の限界です」 日刊スポーツ 2016年4月30日閲覧
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- ↑ 桂歌丸「笑点」50周年で大喜利司会引退発表 ラストは5月22日生放送 - gooニュース・スポニチアネックス、2016年4月30日14:35配信、同日閲覧
- ↑ “円楽の「笑点」司会に反響やまず「違和感ゼロ」!昇太は回答席 | RBB TODAY” (日本語). RBB TODAY . 2018閲覧.
- ↑ 1966年10月23日付北海道新聞テレビ欄より確認。
- ↑ 根拠:1971年4月〜1972年4月の東奥日報・陸奥新報・河北新報(青森県立図書館・弘前市立図書館・五所川原市立図書館で閲覧)の青森放送テレビ欄から
- ↑ 1967年3月5日付秋田魁新報テレビ欄より確認。その前の1967年1月1日に特番の放送もしている。
- ↑ 1968年6月2日付山形新聞テレビ欄より確認。
- ↑ 根拠:読売新聞大阪本社発行岡山版のテレビ欄で確認
- ↑ 社史「四国放送の50年」による。
- ↑ 根拠:読売新聞大阪本社発行岡山版(岡山県立図書館で閲覧)のテレビ欄
- ↑ 出典:1971年9月と10月の河北新報FTVテレビ欄(青森県立図書館で閲覧)から
- ↑ 北日本新聞 1981年2月7日付朝刊18面(テレビ欄)より
- ↑ 1975年10月12日、1982年3月28日、1982年4月10日、1991年3月30日 信濃毎日新聞 テレビ欄
- ↑ 富山新聞 1974年4月7日付朝刊テレビ欄より。
- ↑ 『笑点』(日本テレビ、2006年、ISBN 4-8203-9955-1)
- ↑ 56.0 56.1 『笑点』(日本テレビ、2006年、ISBN 4-8203-9955-1)
- ↑ “尾上松也、笑点ドラマで歌丸役「知られざる半生を知っていただけたら」”. ORICON STYLE. オリコン. (2017年6月29日)
- ↑ “歌丸の祖母役は泉ピン子、妻役は水川あさみ”. 日テレNEWS24. 日本テレビ. (2017年7月26日)
- ↑ “桂歌丸さん追悼「BS笑点ドラマスペシャル 桂歌丸」11日放送”. スポーツ報知. 報知新聞社. (2018年7月5日) . 2018-7-8閲覧.
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- ↑ ミスター笑点 桂歌丸師匠追悼特番 2018/07/12(木)19:00放送 日本テレビ TVでた蔵(1ページ目)/富士ソフト株式会社、2018年7月12日、13日閲覧。
- ↑ 「ミスター笑点 桂歌丸師匠追悼特番」10・7% Sponichi Annex、2018年7月13日、同日閲覧
- ↑ “「嵐にしやがれ」に笑点メンバー登場、嵐が“あいうえお作文”に挑戦”. お笑いナタリー (ナターシャ). (2018年7月27日) . 2018閲覧.
- ↑ 笑点 放送50周年記念特別展 日本テレビ
- ↑ “あの座布団にも座れる! GWに「笑点 放送50周年特別記念展」開催”. ねとらぼ. (2016年4月14日) . 2016閲覧.
- ↑ 笑点商店 高島屋大宮店
- ↑ “ご長寿TV番組の限定品ゲット! 岡山で「笑点」「徹子の部屋」催し”. 山陽新聞. (2017年3月16日) . 2017閲覧.
- ↑ テンプレート:放送ライブラリー
- ↑ テンプレート:放送ライブラリー
- ↑ “「笑点」研究本に桂歌丸×阿川佐和子の対談、毒蝮三太夫や伊東四朗の証言”. お笑いナタリー. (2016年8月19日) . 2016閲覧.
参考文献
- 『笑点』 日本テレビ放送網株式会社、2006年、ISBN 978-4820399551
関連項目
外部リンク
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