神道指令

提供: miniwiki
移動先:案内検索

神道指令(しんとうしれい)とは、1945年昭和20年)12月15日連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が政府に対して発した覚書「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」(SCAPIN-448)[1]の通称である。

覚書は信教の自由の確立と軍国主義の排除、国家神道を廃止、神祇院を解体し政教分離を果たすために出されたものである。当初は政教完全分離を目指し、神道行事を一切排除する内容となっていたが、日本社会の実情にそぐわず混乱を招いたため、1949年(昭和24年)を境に適用条件が大幅に緩和された。

大東亜戦争」や「八紘一宇」の語の使用禁止や、国家神道、軍国主義、過激なる国家主義を連想するとされる用語の使用もこれによって禁止された。

論争

葦津珍彦は神道指令に関する1960年(昭和35年)の論文で、「重大な障害がない限り」("as long as there is no serious obstacle")占領軍は「被占領地の信仰と慣習に干渉すべきでない」("should not intervene in the religious faith or customs of an occupied area")ということがハーグ条約で定められていたとして、日本占領軍による神道の弾圧は国際法からの逸脱だと批判した[2]

神社本庁研修所によれば、神道指令が掲げる「国家」と「宗教」の分離は非現実的で、国際的基準からも非常識であるなど、多くの問題を抱えていたために、幾度となく修正がおこなわれた[3]。とくに、宗教である神社神道に対して「神道指令」のような干渉を行うことは、「宗教の信仰及びその遵行を尊重しなければならない」と定めるハーグ条約違反であることは明白であったという[3]。しかし、神社神道を宗教ではないと認めると、国家と神社神道の結びつきの復活が可能となり、GHQが意図する占領政策と大きく矛盾するという問題を抱えていたと神社本庁研修所は指摘する[3]。神社本庁によれば、「神道指令」の起草に関わったGHQ宗教課長のバンスもこの矛盾を熟知しており、渋川謙一によるインタビューで、神社神道への干渉について、「日本政府は神社神道は宗教ではないといっていた。したがって、神社神道に対する干渉はハーグ条約違反ではない」と非宗教性を述べる一方、「ハーグ条約といえどもすべての宗教的慣行を保護しているわけではない」などと神社神道の宗教性を示唆する矛盾した回答をしていたという[3]

出典

  • (2005) in 神社本庁研修所: わかりやすい神道の歴史. 神社新報社. ISBN 9784915265051. 

関連項目

外部リンク

テンプレート:Shinto-stub