神は死んだ
「神は死んだ」(かみはしんだ、独:Gott ist tot, 英:God is dead)は、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの言葉として、ニヒリズム(虚無主義)を表す言葉として広く引用される言葉である。ニーチェによれば、神・霊・魂といった虚構によって、栄養・健康・住居といった人生の重大事が軽んじられてきた[1]。神が死んだ(そして神を冒涜することも出来なくなった)からには、最大の問題は地上やからだを冒涜することである[2]。地上的・身体的な人間は「超人」である[2]。一方で、超地上的・超自然的な事柄や魂といったものは、不健康な嘘とされる[2]。
ニーチェは「神々の死」とも述べている[3]。
Contents
由来
「神の死」とは、ニヒリズム的状況[4]。彼岸を「真の世界」とする価値観(プラトニズムやキリスト教等)が崩壊したことで発生し、20世紀の哲学・神学へ衝撃を与えた[4]。
ニーチェによれば、「神の死」とは単なるキリスト教超克ではなく、虚無主義の宣言でもあった[5]。生の本質は「力への意志」であり、それは自己維持のために必要な世界解釈を行う[5]。強者は自己を善とし、弱者を「劣悪」とする[5]。これに対して、弱者は虚構の世界解釈を行うのであり、一例はキリスト教である[5]。畜群的な弱者は、強者の価値観を転倒させ、支配的な強者を「邪悪」とし、自己正当化する[5]。
弱者の考えにおいては、いずれ来る世の中 ―― または来世 ―― において弱者が支配者となり、強者は貶められる[6]。しかし神聖な道徳は、弱者の自己正当化に過ぎず、神とはこうした道徳の根拠であり、道徳の全体でもある[6]。ニーチェによると神聖な価値観は、彼岸に「真理の世界」を虚構する(例えばキリスト教やプラトン主義等)[6]。この虚構性についての洞察が、「神の死」を宣告することだった[6]。
「神の死」は20世紀の課題の先取りであり、これは彼岸的真理の否定と結び付いている[6]。「真理」や「世界の目的」といったものは、虚構や仮構に過ぎない[6]。このような最高価値の喪失が、虚無主義だとされる[6]。それは、宗教的信仰や哲学的理性の権威が失墜したことを宣告していた[6]。
20世紀になって、伝統的な信条・理性が失権したことは、多くの人々にとって現実の問題として自覚された[6]。1950年代のアメリカでは、「神の死の神学」が模索された[6]。この神学は、超越的存在 ―― 伝統的な意味での「神」 ―― を否定した上で成り立つ、宗教的信仰の立場だった[6]。
ニーチェの著作
『悦ばしき知識』(Die fröhliche Wissenschaft,1882)の108章、125章、343章で言及されている。その内、最も著名なのは125章の記述であるが、今、ドイツ語版Wikipediaより当該部分を抜粋すると、
- Gott ist todt! Gott bleibt todt!
- Und wir haben ihn getödtet!
- Wie trösten wir uns, die Mörder aller Mörder?
とあり(todt は tot の古いスペル)、英語版Wikipediaでは
- God is dead. God remains dead.
- And we have killed him.
- Yet his shadow still looms.
- How shall we comfort ourselves, the murderers of all murderers?
とあるのであって、英語版では"Yet"以下の一文を、ドイツ語"haben"の語気を補うために補記的に挿入している。 また、『ツァラトゥストラはかく語りき』(1885年)の冒頭部分は、アフォリズム形式で書かれた『悦ばしき知識』(1882年)の思想を承けて書き起こされたものである。
神の冒涜者の死
栄養・生理学の問題
だが問題は、私が生理学を知らなかったことだ。――私は「理想主義」に呪われていたのである。 テンプレート:Interp たとえば私は文献学者になったのだが、――せめて、どうして医者にならなかったのだろう? 医者でないにしても、目を開かせるような仕事に就かなかったのだろう? テンプレート:Interp私がほとんど終わりかけている<<という事実>>によって、私は、私の人生の根本的な非理性――つまり「理想主義」――のことをじっくり考えるようになった。<<病気>>が私をはじめて理性へと導いてくれたのである。――[8]
地上・からだの復権
「神」という概念は、生の反対概念として発明された。 テンプレート:Interp 「彼岸」や「真の世界」という概念がでっち上げられたのは、存在している<<唯一の>>世界を無価値にするためである。――われわれの地上の現実のための目標や理性や使命が存在する余地をなくすためである。
「魂」や「霊」や「精神」という概念が、それになんと「不滅の魂」という概念までがでっち上げられたのは、からだを軽蔑するためである。からだを病気に――「神聖」に――するためである。
人生で真剣に考えられるべきすべてのこと、つまり栄養、住居、精神の食餌、病気の治療、清潔、天気の問題を、身の毛もよだつほど軽率に扱わせるためである!
健康のかわりに「魂の平安」が持ち出されるが、――それは、懺悔の痙攣と救済のヒステリーを往復する周期性痴呆症なのだ![9]
生活・現実の復権
あなたがね、大きな使命を果たすよう定められているのなら、なおさらあなた自身、傷つくでしょう。
答えはこうだ。こういう小さなこと――つまり栄養のことや、土地のことや、気候のことや、保養のことや、それから自分欲のアラを探すことですが――こういうことこそ、これまで重要だと思われてきたどんなことよりも、はるかに重要なんですよ。まさにこの点において、<<学習の転換>>をはじめる必要があるんです。
これまで人類が真剣に検討してきたことは、現実ですらないんですよ。たんなる想像にすぎない。もっと厳密に言うとですね、病気の人間たちの、もっとも深い意味で有害な人間たちの、劣悪な本能から生まれた<<嘘>>なんですよ。――「神」、「魂」、「徳」、「罪」、「彼岸」、「真理」、「永遠の命」などの概念は、みんな嘘なんです。
・・・それなのに人間の本性の偉大さを、人間が「神のようであること」を、そんな概念のなかに求めてきたわけですね。・・・政治、社会秩序、教育などの問題はすべて、そのために底の底まで偽造された問題となっている。[10]
地上の人・超人
神の死の神学
ニーチェのことばである「神は死んだ」は、1960年代になり、公民権運動が盛んな時代のアメリカの神学者たちが使うようになった。アメリカの神学者たちは、現代社会において神は人間にリアルな存在ではないという意味で、神は死んでしまったという意味で用いる。
1957年にアメリカの神学者ゲイブリル・ヴァハニアンは『神は死んだ』と題した著書を著した。ヴァニハンはその中で、無神論をアメリカの大衆の生き方であると述べている。
アメリカ人の神学者トマス・アルタイザーはエモリー大学で教えている間に、『神は死んだか?』を出版する。アルターザーは無神論的神学者ではなく、「この歴史の中に神が全く内在化している。」と神の内在化を述べたのであった[12]。
また、アメリカの神学者のウィリアム・ハミルトンが異なった立場から、1961年に著書『キリスト教の新しい本質』で、異なった視点の神の死の神学を展開した。
脚注
- ↑ ニーチェ 2016, p. 217.
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 ニーチェ 2010, p. 20.
- ↑ ニーチェ 2009, p. 78.
- ↑ 4.0 4.1 松村 2017, p. 神の死.
- ↑ 5.0 5.1 5.2 5.3 5.4 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト(編) 2017, p. 神の死.
- ↑ 6.00 6.01 6.02 6.03 6.04 6.05 6.06 6.07 6.08 6.09 6.10 下中直人(編) 2009, p. 64.
- ↑ ニーチェ 2016, pp. 48-49.
- ↑ ニーチェ 2016, pp. 56-57.
- ↑ ニーチェ 2016, pp. 217-218.
- ↑ ニーチェ 2016, p. 80.
- ↑ ニーチェ 2010, p. 21.
- ↑ W・E・ホーダン『現代キリスト教神学入門』(1969年)布施濤雄訳、日本基督教団出版局、p.333-p.336
参考文献
- ニーチェ, フリードリヒ 『ツァラトゥストラ』上巻、丘沢静也訳、光文社、2010年。ISBN 978-4334752170。
- ニーチェ, フリードリヒ 『この人を見よ』 丘沢静也訳、光文社、2016年。ISBN 978-4334753412。
- ニーチェ, フリードリヒ 『道徳の系譜学』 中山元訳、光文社、2009年。ISBN 978-4334751852。
- W・E・ホーダーン(著)『現代キリスト教神学入門』布施濤雄(訳)、日本基督教団出版局1969年
- 松村, 明(編) 『大辞林 第三版』 Kotobank.jp、2017年。
- 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト(編) 『世界大百科事典 第2版』 Kotobank.jp、2017年。
- 下中直人(編) 『世界大百科事典』6巻、平凡社、2009年、改訂新版。
- 山崎正一・市川浩著『現代哲学辞典』講談社(講談社現代新書)、1970年
- ウィリストン・ウォーカー(著)『キリスト教史4 近・現代のキリスト教』、野呂芳男・塚田理・八代崇訳ヨルダン社、1986年
- ハーヴィー・M・コーン(著)『現代世界神学』松田一男(訳)、聖恵授産所、1985年