石川郡 (大阪府)
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石川郡(いしかわぐん)は、かつて河内国・堺県・大阪府にあった郡。
郡域
1880年(明治13年)に行政区画として発足した当時の郡域は、南河内郡の全域および富田林市の一部(概ね新堂、富美ケ丘町、寿町、錦ケ丘町、常盤町、富田林町、山中田町、東板持町、佐備、龍泉、甘南備より北東)にあたる[1]。
歴史
古代
式内社
テンプレート:河内国石川郡の式内社一覧神名帳 | 比定社 | 集成 | |||||
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社名 | 読み | 格 | 付記 | 社名 | 所在地 | 備考 | |
凡例を表示 |
近世以降の沿革
知行 | 村数 | 村名 | |
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幕府領 | 幕府領 | 17村 | ○喜志村、新堂村、中野村、富田林村、○毛人谷村、○太子村、○春日村、○山田村、○大ヶ塚村、○北大伴村、○山城村、○南大伴村、○板持村、○森屋村、○神山村、○川野辺村、○芹生谷村 |
旗本領 | 7村 | 葉室村、○東山村、○寺田村、畑村、持尾村、○弘川村、○下河内村 | |
藩領 | 常陸下館藩 | 17村 | ○竜泉村、○北加納村、南加納村、○白木村、○馬谷村、○中村、○平石村、○上河内村、二河原辺村、○水分村、○桐山村、○東阪村、○小吹村、○甘南備村、○吉年村、○千早村、○中津原村 |
相模小田原藩 | 4村 | ○一須賀村、山中田村、○北別井村、南別井村 | |
近江膳所藩 | 1村 | ○佐備村 | |
幕府領・藩領 | 幕府領・下館藩 | 2村 | ○寛弘寺村、新家村 |
- 慶応4年
- 明治2年
- 明治3年2月27日(1870年3月28日) - 堺県の管轄地域が五條県の管轄となる。
- 明治4年
- 明治7年(1874年)1月22日 - 大区小区制の堺県での施行により、河内国第1大区となる。
- 明治8年(1875年)(46村)
- 北加納村・南加納村が合併して加納村となる。
- 北別井村・南別井村が合併して別井村となる。
- 明治13年(1880年)4月15日 - 郡区町村編制法の堺県での施行により、行政区画としての石川郡が発足。古市郡古市村の真蓮寺に「古市郡役所」が設置され、同郡および錦部郡・八上郡・安宿部郡・丹南郡・志紀郡とともに管轄。古市郡役所はまもなく改称して「石川錦部八上古市安宿部丹南志紀郡役所」となる。
- 明治14年(1881年)2月7日 - 大阪府の管轄となる。
- 明治16年(1883年) - 郡役所が石川郡富田林村の興正寺別院に移転。
- 明治18年(1885年) - 新家村が喜志村に合併。(45村)
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、下記の各村が発足。(13村)
- 富田林村 ← 富田林村、毛人谷村(現・富田林市)
- 新堂村 ← 新堂村、中野村(現・富田林市)
- 喜志村(単独村制。現・富田林市)
- 大伴村 ← 南大伴村、板持村、山中田村、北大伴村、別井村(現・富田林市)
- 石川村 ← 大ヶ塚村、東山村、山城村、一須賀村(現・南河内郡河南町)
- 磯長村 ← 太子村、葉室村、春日村(現・南河内郡太子町)
- 山田村 ← 山田村、畑村(現・南河内郡太子町)
- 白木村 ← 加納村、白木村、平石村、寺田村(現・南河内郡河南町)
- 河内村 ← 弘川村、上河内村、下河内村、持尾村(現・南河内郡河南町)
- 中村 ← 中村、馬谷村、芹生谷村、神山村、寛弘寺村(現・南河内郡河南町)
- 千早村 ← 中津原村、吉年村、小吹村、東阪村、千早村(現・南河内郡千早赤阪村)
- 赤阪村 ← 森屋村、水分村、二河原辺村、桐山村、川野辺村(現・南河内郡千早赤阪村)
- 東条村 ← 竜泉村、甘南備村、佐備村(現・富田林市)
- 明治29年(1896年)4月1日 - 郡制の施行のため、志紀郡三木本村を除く「石川錦部八上古市安宿部丹南志紀郡役所」が管轄する各郡の区域をもって南河内郡が発足。同日石川郡廃止。
脚注
参考文献
- 角川日本地名大辞典 27 大阪府
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
先代: ----- |
行政区の変遷 - 1896年 |
次代: 南河内郡 |