益田郡
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郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は下記の区域にあたる。
- 下呂市の大部分(金山町金山・金山町菅田笹洞・金山町菅田桐洞・金山町弓掛・金山町卯野原・金山町乙原・金山町岩瀬・金山町祖師野・金山町戸部・金山町東沓部・金山町田島・萩原町山之口を除く)
- 高山市の一部(朝日町各町・高根町各町・久々野町久須母・久々野町大西・久々野町柳島・久々野町小屋名・久々野町辻)
歴史
870年(貞観12年)に飛騨国大野郡の南部を分割して置かれた。温泉をはじめとする観光地で賑わいのある郡だった。
近世以降の沿革
知行 | 郷 | 村数 | 村名 |
---|---|---|---|
幕府領 | 阿多野郷 | 37村 | 久須母村、大西村、柳島村、小屋名村、辻村、○小谷村、○甲村、見座村、○立岩村、小瀬村、万石村、上ヶ見村、寺沢村、大広村、○黒川村、浅井村、○青屋村、寺附村、小瀬ヶ洞村、黍生谷村、○一之宿村、桑之島村、宮之前村、○西洞村、胡桃島村、猪之鼻村、中之宿村、○中洞村、池ヶ洞村、下之向村、○日影村、○上ヶ洞村、阿多野郷村、日和田村、小日和田村、野麦村、大古井村 |
小坂郷 | 11村 | 門坂村、岩崎村、無数原村、○小坂町村、大島村、坂下村、長瀬村、赤沼田村、○落合村、大洞村、湯屋村 | |
上呂郷 | 6村 | ○尾崎村、大ヶ洞村、宮田村、奥田洞村、○四美村、○上呂村 | |
萩原郷 | 7村 | ○桜洞村、○萩原町村[2]、○上村、花池村、○中呂村、西上田村、東上田村 | |
中呂郷 | 3村 | 野上村、羽根村[3]、跡津村 | |
下呂郷 | 6村 | ○森村、小川村、○湯之島村、少ヶ野村、三原村、門原村 | |
竹原郷 | 4村 | ○乗政村、○宮地村、○野尻村、○御厩野村 | |
下原郷 | 16村 | 保井戸村、瀬戸村、三ツ淵村、夏焼村、田口村、蛇之尾村、門和佐村、久野川村、和佐村、○火打村、○中切村(現・下呂市金山地区)、福来村、○中津原村、大船渡村、下原町村、渡村 | |
馬瀬郷 | 10村 | 川上村、○黒石村、○数河村、中切村(現・下呂市馬瀬地区)、堀之内村、名丸村、井谷村、惣島村、西村、下山村 |
- 慶応4年
- 明治4年11月20日(1871年12月31日) - 第1次府県統合により、筑摩県の管轄となる。
- 明治8年(1875年) - 以下の町村の統合が行われる。(7村)
- 下原村 ← 門原村、保井戸村、瀬戸村、三ツ淵村、夏焼村、田口村、蛇之尾村、門和佐村、久野川村、和佐村、火打村、中切村(現・下呂市金山地区)、福来村、中津原村、大船渡村、下原町村、渡村
- 三郷村 ← 大ヶ洞村、宮田村、奥田洞村、上呂村、桜洞村、萩原町村、上村、花池村、中呂村、東上田村、森村、小川村、湯之島村、乗政村、宮地村、野尻村、御厩野村
- 川西村 ← 尾崎村、四美村、西上田村、野上村、羽根村、跡津村、少ヶ野村、三原村
- 小坂村 ← 門坂村、岩崎村、無数原村、小坂町村、大島村、坂下村、長瀬村、赤沼田村、落合村、大洞村、湯屋村
- 馬瀬村 ← 川上村、黒石村、数河村、中切村(現・下呂市馬瀬地区)、堀之内村、名丸村、井谷村、惣島村、西村、下山村
- 朝日村 ← 久須母村、大西村、柳島村、小屋名村、辻村、小谷村、甲村、見座村、立岩村、小瀬村、万石村、上ヶ見村、寺沢村、大広村、黒川村、浅井村、青屋村、寺附村、小瀬ヶ洞村、黍生谷村、一之宿村、桑之島村、宮之前村、西洞村、胡桃島村
- 高根村 ← 猪之鼻村、中之宿村、中洞村、池ヶ洞村、下之向村、日影村、上ヶ洞村、阿多野郷村、日和田村、小日和田村、野麦村、大古井村
- 明治9年(1876年)8月21日 - 第2次府県統合により、岐阜県の管轄となる。
- 明治12年(1879年)2月18日 - 郡区町村編制法の岐阜県での施行により、行政区画としての益田郡が発足。「大野益田吉城郡役所」が吉城郡高山町に設置され、同郡および大野郡とともに管轄。
- 明治16年(1883年)(12村)
- 下原村の一部(夏焼組・田口組・蛇之尾組・門和佐組・久野川組)が分立して上原村が、一部(門原組・保井戸組・瀬戸組・三ツ淵組・和佐組・火打組)が分立して中原村がそれぞれ発足。
- 三郷村の一部(乗政組・宮地組・野尻組・御厩野組)が分立して竹原村が、一部(東上田組・森組・小川組・湯之島組)が分立して下呂村が、一部(大ヶ洞組・宮田組・奥田洞組)が分立して宮田村がそれぞれ発足。
- 明治17年(1884年) - 馬瀬村が分割し、一部(川上組・黒石組・数河組・中切組・堀之内組・名丸組)に上馬瀬村が、残部(井谷組・惣島組・西村組・下山組)に下馬瀬村がそれぞれ発足。(13村)
町村制以降の沿革
- 明治22年(1889年)7月1日 - 町村制の施行により、三郷村、宮田村、小坂村、下呂村、竹原村、上原村、中原村、下原村、川西村、馬瀬村(現・下呂市)、朝日村、高根村(現・高山市)が発足。それにともない以下の変更が行われる。(12村)
- 明治30年(1897年)
- 明治31年(1898年)3月2日 - 小坂村が町制施行して小坂町となる。(2町9村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正14年(1925年)1月1日 - 下呂村が町制施行して下呂町となる。(3町8村)
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和10年(1935年) - 面積1,071.07平方km、人口37,701人(男19,522人・女18,179人)[4]。
- 昭和17年(1942年) - 萩原町に益田郡を管轄する益田地方事務所が置かれる。
- 昭和25年(1950年)4月1日 - 朝日村・高根村の所属郡が大野郡に変更。(3町6村)
- 昭和30年(1955年)
- 昭和31年(1956年)8月25日 - 萩原町・川西村・大野郡山之口村が合併し、改めて萩原町が発足。(4町1村)
- 平成16年(2004年)3月1日 - 萩原町・小坂町・下呂町・金山町・馬瀬村が合併して下呂市が発足し、郡より離脱。同日益田郡消滅。
変遷表
自治体の変遷
明治22年以前 | 明治22年7月1日 | 明治22年 - 大正15年 | 昭和1年 - 昭和64年 | 平成1年 - 現在 | 現在 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
宮田村 | 明治30年4月1日 萩原村 |
明治30年10月29日 町制 |
昭和31年8月25日 萩原町 |
平成16年3月1日 下呂市 |
下呂市 | |||||
三郷村 | ||||||||||
川西村 | 川西村 | |||||||||
大野郡 山之口村 |
大野郡 山之口村 | |||||||||
下呂村 | 大正14年1月1日 町制 |
昭和30年4月1日 下呂町 | ||||||||
竹原村 | 竹原村 | |||||||||
上原村 | 上原村 | |||||||||
中原村 | 中原村 | |||||||||
小坂村 | 明治31年3月2日 町制 |
小坂町 | ||||||||
馬瀬村 | 馬瀬村 | 馬瀬村 | ||||||||
武儀郡 金山村 |
明治23年12月27日 町制 |
昭和30年3月1日 金山町 |
昭和30年4月1日 金山町 | |||||||
武儀郡 沙田村 |
明治23年12月17日 改称 菅田村 |
明治29年11月20日 町制 | ||||||||
下原村 | 下原村 | |||||||||
郡上郡 弓掛村 |
明治30年4月1日 郡上郡 東村 | |||||||||
郡上郡 卯野原村 | ||||||||||
郡上郡 乙原村 | ||||||||||
郡上郡 岩瀬村 | ||||||||||
郡上郡 祖師野村 | ||||||||||
郡上郡 戸部村 | ||||||||||
郡上郡 東沓部村 | ||||||||||
加茂郡 西白川村 |
加茂郡 西白川村 |
昭和28年4月1日 町制改称 加茂郡 白川町 |
昭和29年4月1日 加茂郡 白川町 |
昭和31年9月30日 加茂郡 白川町 |
昭和30年4月1日 加茂郡 白川町大字白山の一部が 金山町に編入 | |||||
武儀郡 坂ノ東村 |
武儀郡 坂ノ東村 |
昭和29年4月1日 加茂郡 白川町に編入 |
加茂郡 白川町 |
加茂郡 白川町 |
加茂郡 白川町 | |||||
加茂郡 佐見村 |
加茂郡 佐見村 |
加茂郡 佐見村 | ||||||||
加茂郡 黒川村 |
加茂郡 黒川村 |
加茂郡 黒川村 | ||||||||
加茂郡 黒川村 |
加茂郡 黒川村 |
加茂郡 黒川村 | ||||||||
朝日村 | 朝日村 | 昭和25年4月1日 大野郡へ |
平成17年2月1日 高山市に編入 |
高山市 | ||||||
高根村 | 高根村 | 昭和25年4月1日 大野郡へ |
脚注
参考文献
- 角川日本地名大辞典 21 岐阜県
- 旧高旧領取調帳データベース