生駒山上遊園地

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生駒山上遊園地
施設情報
事業主体 近鉄レジャーサービス株式会社
管理運営 近鉄レジャーサービス株式会社
開園 1929年
所在地 630-0231
630-0272
奈良県生駒市菜畑2312-1
大阪府東大阪市山手町2017-3
公式サイト 公式サイト
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ファイル:スカイランド生駒2.png
アトラクション(SL列車)と三角点

生駒山上遊園地(いこまさんじょうゆうえんち)は、奈良県生駒市生駒山の山上にある遊園地[1]である。近鉄の子会社である近鉄レジャーサービスが所有・運営する。開園70周年にあたる1999年平成11年)以降、「スカイランドいこま」という愛称を併用していた時期があった。

概要

標高642mの生駒山頂周辺に1929年昭和4年)に開園した遊園地[1]。現存する大型遊具としては国内最古の「飛行塔」(高さ30メートル)があり[1]大阪平野(阪神平野を含む)や大和盆地山城盆地が一望できる[2]

入園料は無料だが、遊具利用は有料。平野部に比べ気温が3 - 5度低いことから夏の行楽地として特に人気を呼び、ファミリー向けの近鉄あやめ池遊園地2004年閉園)に対し、おもに若者やカップル向けの遊園地として定着した[3]。但し、12月から3月中旬の間は冬季休園する。

園域は大阪府および奈良県にまたがっており、土地は近鉄本社が保有している[4]。近鉄あやめ池遊園地および奈良ドリームランド閉園後の奈良県では県内唯一の遊園地である[2]。園内には1954年(昭和29年)3月から在阪テレビ局生駒送信所親局)が設けられている。2015年11月3日までは「ペットふれあいの森・生駒」も併設していた。

歴史

ファイル:Ikoma Hikoutou01.jpg
飛行塔(2014年8月撮影)

近鉄の前身にあたる大阪電気軌道が、沿線の開発を目的に、あやめ池遊園地(1926年開園)に続く直営遊園地として、ケーブルカーの山上線(現・近鉄生駒鋼索線山上線)とともに1929年(昭和4年)に開園した。開設時のキャッチフレーズは、山頂の避暑行楽地をアピールした「夏の寒冷線」[5]第二次世界大戦中は営業を中断し、園内の飛行塔は軍の防空監視塔に使われた[6]

戦後はあやめ池遊園地、玉手山遊園地とともに近鉄子会社の近鉄興業(現・近鉄レジャーサービス)が運営。1970年代にはナイター営業もあり、入園者のピークを迎えた[6]1980年(昭和55年)には宙返りコースターを導入するなど若者層をターゲットにしたいわゆる「絶叫マシン」を積極的に設置し、1992年(平成4年)には約73万人が入園した。

しかし1990年代以降、USJなど各地に作られた大規模テーマパークとの競合や遊園地離れで入園者は減少。開園70周年の1999年(平成11年)に入園料の無料化に踏み切ったが、2003年度(平成15年度)以降は閑散期である冬季の休園を余儀なくされ、2004年(平成16年)には約17万5000人に落ち込んだ[7]

2004年(平成16年)の近鉄グループレジャー事業再編では生駒山上遊園地の事業単体では赤字であったものの、跡地の再開発利用が困難であること、また一体運営を行っている信貴生駒スカイラインなどの事業総体では黒字であることを理由に閉園を免れ[8]、同年7月に近鉄レジャーサービスに事業譲渡された。

事業移管後の同園は「花と緑に囲まれ、みんなが安心して遊べる遊園地」を新しいテーマとし、2005年(平成17年)に10万株の花植栽を開始する一方、宙返りジェットコースターなどの絶叫系遊具を順次廃止して園内遊戯施設の見直しを進めるなど対象を子供・ファミリー向けに変更し、2007年(平成19年)には入園者数が20万人台に回復した[7]

飛行塔

園内には、日本における大型遊具開発の祖である「土井文化運動機製作所」の土井万蔵が設計した飛行塔があり、遊園地のシンボルとなっている[9]

土井式飛行塔は1920年(大正9年)、千里山遊園に設置されたものが第1号機で、その後、京都愛宕山山上遊園など全国各地に設けられたが、現存するのは当園の飛行塔のみである[10]

当園の飛行塔は土井にとって16基目の飛行塔で、山頂の立地を生かして塔体に展望台を設け、エレベーターを内部に設置したことが、土井のほかの飛行塔と大きく異なる。このエレベーターは、張り出したアームから吊り下がる複葉機を模した4基のゴンドラと連結され、ゴンドラが上昇するとエレベーターが下降し、ゴンドラが下降するとエレベーターが上昇するしくみになっていた[10]

同園は第二次世界大戦中、金属類回収令(鉄材供出)によって園内の他の大型遊具が解体搬出されたが、飛行塔についてはゴンドラやエレベーターなどの撤去にとどまり、塔体は防空監視所として海軍航空隊が利用したため、解体を免れた。繰り返し改修が行われているものの、塔基礎と塔体は2014年現在も開園当時のままで、国内に現存する遊戯施設では最も古い[9][11]

アクセス

参考文献

  1. 1.0 1.1 1.2 内田幸一(2015年2月24日). “近鉄100年物語:生駒山上 眺望楽しむ憩いの場”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
  2. 2.0 2.1 生駒山上遊園地の衰退と再生の可能性帝塚山大学、2011年
  3. 「『生駒山上遊園地』今夏復活 入場者、前年の1.5倍」『産経新聞』大阪本社版夕刊、2006年9月1日付
  4. 「レジャー事業の一部再編に関するお知らせ」近畿日本鉄道、2004年1月23日
  5. 生駒市の都市地理研究(その2)大植繁雄、大手前大学、 1980
  6. 6.0 6.1 これからの遊園地の話をしよう奈良女子大学「空間をかたちづくる」2013, p86-
  7. 7.0 7.1 「春を歩く・変わる生駒山上遊園地 『絶叫系』から『安心』へ」『読売新聞』大阪本社版朝刊、2008年5月6日付
  8. 「あやめ池遊園地6月閉園 近鉄、事業再編総仕上げへ 減損会計への対応急ぐ」『読売新聞』大阪本社版朝刊、2004年1月24日付
  9. 9.0 9.1 「最古の飛行塔、大空舞う 本体、開園当時のまま 生駒山上遊園地あす80周年」『朝日新聞』大阪本社奈良全県版、2009年3月26日付
  10. 10.0 10.1 『奈良県の近代化遺産 —奈良県近代化遺産総合調査報告書—』 奈良県教育委員会、平成26年3月、161頁。
  11. 【なら再発見】51 生駒山上遊園地 〝84歳〟飛行塔いまだ現役 - 産経新聞、2014年4月9日。

関連項目

外部リンク

座標: 北緯34度40分46.4秒 東経135度40分43.9秒